鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 35 社会問題(労働/福祉/人権など)

思い出した。
一部を再掲する。

保育園、増やせよ!

オリンピックで何百億円ムダに使ってんだよ

エンブレムとかどうでもいいから、保育所作れよ

有名なデザイナーに払う金あるなら、保育所作れよ

どうすんだよ

会社辞めなくちゃならねーだろ

ふざけんな、日本!

小山田氏のいじめ」問題というのが、世上を騒がせているが、その内容がどうもよくわからない。というか、ほとんどまったく分からない。

何よりも、「誰に、なぜ遠慮しているのか?」が分からない。「社会的タトゥーing」とか言っていじめの当事者を保護することが理由となっているらしい。

たしかに子供の頃の軽い悪さであれば、多少は眼をつぶるのもありかと思うが、だとすれはオリンピックのなんとか担当を降すという社会制裁の口実がわからないままというのも、逆に法治国家としていかがなものかとも思う。

話が飛んで申し訳ないが、ミャンマーで若者が罪状が明らかにされないまま次々に逮捕されている。理由がわからないということが一番の恐怖だ。真綿でくるんだまま社会から排除するのでは、「仕返し」と選ぶところはない。

そんなもやもやした気分が、この文章で一気に晴れた。「猫系作家の時事評論」という連載コラムの一編で、記事を書いたのは古谷経衡さん。

題名は「
加害と向き合えない小山田圭吾君へ──二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙」とやや長い。思いを正確に表現するにはこれだけの長さが必要だったのだろう。

事件の内容が具体的に描かれているが、それを明らかにしたみずからの氏素性も明らかにし、理非曲直を詳らかにし、ただのいじめ事件に終わらせずに本質論議まで展開している。

ナチスのユダヤ人に対するホロコースト、日本軍の中国での数々の蛮行などまで話が及ぶが、その焦点は、小山田氏が「カルチャー」という言葉によって、逃げようとしているという指摘である。それは「空気」という構造化された虚無と、付和雷同のブラックボックスで醸し出されていく。

彼は、被害者の側から事実を眺めよと主張する。なぜなら、いじめの事実と記憶は、被害者の心の中にしか存在しないし、被害者の側からしか再構成できないからである。

これらいくつかの提言は、読んだものの心に残るものとなるだろう。


かなり長いが、一気に読ませる。是非一読をおすすめする。

以下は、土曜日の日経新聞、書評欄より切り抜いたもの。

コロナ禍の経済困窮世帯の子どもたちを調査した慶應義塾大学教授の中室牧子氏によると、経済困窮以外の課題を同時に抱える世帯が多いことが明らかとなった。
発達障害、身体障害、不登校である。
 しかし行政の視点で見ると、発達障害や身体障害は健康・保健関連部署、不登校は教育委員会、経済困窮は福祉関連部署の担当である。行政の縦割りにより、保健・教育・福祉の所管横断的な情報共有が妨げられ、重層的な課題を抱える子供に対する支援が不十分になっている、と中室氏は訴える。
「子供庁」の創設を中央省庁の再編にとどまらず、自治体での組織の再編に繋げる必要があるとの指摘は、正鵠を射ている。 


中身が濃いので箇条書き化してみる。
① 貧困世帯の子どもたちは貧困以外の問題も抱えている。
② それは精神発達の遅れ、身体障害、社会からの隔離である。
③ 生活の貧困、精神発達の遅れ、身体障害、孤独化は「子供の貧困の四重奏」をなしている。
④ 行政の縦割りにより、保健・教育・福祉の所管横断的な情報共有ができていない。
⑤ しかしそれが何よりも重要だ。組織の組み立てを問題・課題別→対象別ではなく、対象・プロジェクト別→問題・課題別にすべきだ。
⑥ 「子供庁」の発想はとても良い。それを自治体・共同体でのレベルにまで重層化しなければならない。

多分この調査の最大の功績は、学習の遅れ、身体障害、孤独化を「子どもの貧困」という社会病理現象の三大合併症として抽出したことにある。そして「貧困からの脱出」という根治療法に加えて3つの合併症に対する対症療法を結合させることが不可欠であると、明らかにしたことである。

⑤,⑥の是非はよく分からない。それをたんなる制度いじりに終わらせないためにはどうしたら良いのか。「いずれにせよ…」のもう一掘りがもとめられるのではないか。


生活保護の最近の数字で、本日の赤旗からコピーしたもの。
8月時点の厚労省調査の報道だ。

IMG

1.受給世帯数は163万件。前年同期より2千件減少でほぼ横ばい。

2.内訳では、高齢者が1万5千件増えた。その分母子・失業者などが減っていることになるから、かなりの変動だ。

ここ数年のうちに100万世帯150万人の高齢者が生活保護で暮らすことになってしまう。

生活保護が貧困者の年金として利用されるのは筋違い

直接には、扶養者、あるいは扶養義務者の貧困化がもたらしているのであろうが、ここまで来ると自助・共助の枠組みを明らかに超えている。

そもそも生活保護というのがとんでもない筋違いだ。

幻の「セーフティー・ネット」

かつて小泉内閣で「聖域なき構造改革」が謳われたとき、竹中大臣は「セーフティーネットはしっかり張ってあるから」と豪語したが、結局それは生活保護でしかなかったということになる。というより、「セーフティー・ネット」などまったく張らず、「張った」と嘘をついただけだっということだ。

お年寄りが安心して暮らせるようにすることは、国民の権利であり、政府の義務である。お年寄りの殆どはすぐる大戦で大きな苦労をされ、戦後復興や高度成長に貢献されてきた人たちであり、人さまに後ろ指さされるような暮らしをしてきたわけではない。
最後の10年や20年、笑って過ごしてもらいたいものだ。それしきのお金が日本にないとも思えないし、日本人がそれほど薄情になったとも思えない。

何らかの形の「貧困高齢者向けの年金制度」の創設が求められている。

この際、高齢者ドライバーの一人としてはっきり言わせてもらう。
事故の本質は「高齢者事故」ではなく、「自動車の暴走事故」だ!
1.高齢者事故の原因はブレーキとアクセルの踏み間違いではない!
2.事故の原因はブレーキをかけることができなかったためだ!
この2つは明らかに違う。1.の場合はドライバーの責任だ。しかし2.の場合は自動車の欠陥による。すなわちメーカーの責任だ。

以前、車には3つのブレーキがあった。
AフットブレーキとBエンジンブレーキとCハンドブレーキだ。もう一つ、ブレーキではないが、Dクラッチを切るという逃げ道もあった。
いまBもCもない。Bがなくなったのはオートマになったから仕方がないが、Cをなくしたのは自動車会社だ。
かくして、一度踏み間違えたら対応の手段は消滅する。失敗してしまったらもうそれをカバーする手段がない。こういうのを非可逆的・致命的欠陥というのではないか。
せめてパーキング・ブレーキの使い方を自動車学校で指導すればもう少しなんとかなるかもしれないが、教えている気配はない。

つまり自動車会社は自動車を欠陥品へと改造したのだ。その安全軽視の思想が「踏み間違い」という「制動失敗」事故を多発させているのだ。これは自動車会社による「未必の故意」と言わざるを得ない。

メディアはもっと事故を分析してほしい。「踏み間違い事故」は、「高速道路の逆走」とは別の範疇の事故のはずだ。それは統計をとるまでもなく、決して高齢者に特有の事故ではないはずだ。

ハンドブレーキを廃止した自動車会社の責任をもっと厳しく追求すべきだ。


不法投棄を奨励する「家電リサイクル法」


ブラウン管テレビが一台、ウィンドウズ98の搭載機が車庫に眠っている。

これを処分しようと思ったが、家電4品目というのがあってとんでもない縛りがかかっている。

子供のいたずらで、右へ行け、左へ行け…とあって、最後に「バーカ!」と書いてあるのと似ている。


テレビは

収集時に支払い、家電リサイクル券を受け取ります。

あるいは

事前に郵便局にある家電リサイクル券に記載し、「リサイクル料金」を振り込んでください。

なお、リサイクル料金については、製造メーカーもしくは家電製品協会家電リサイクル券センターへご確認ください。


ということで、読んだだけで気分が悪くなる。


「収集を依頼する場合」と「直接持ち込む(郵便局での振り込み)場合」では、用紙が違いますので、ご注意ください。


ときたもんだ。


「リサイクル料金」は、家電メーカーがそれぞれ決めていますので、家電メーカーもしくは一般財団法人家電製品協会家電リサイクル券センターのホームページで金額をご確認ください。


とさらに追い打ちがかかる。


古い製品だから家電メーカーのHPに載っているかどうかもわからない。


これでは、不法投棄を奨励しているとしか思えない。


「母性は女性の集団的属性に過ぎない」と、ふと思いついて、まず書いてみた。
字面は悪くない。一見真実性がこもっているようにも見える。
しかし多分ウソであろう。それがウソだと言い切れない自分がいるし、おそらく「現代社会」がいる。

むかし同期の仲間に私以上にケンカっ早いやつがいて、婦人科医になった。
あの頃は労組の婦人部がさかんに活動していて、「生理休暇」を取りましょうと旗を振っていた。
彼は「生理休暇」に反対していた。「高血圧の人が高血圧休暇を取りますか?」というのだ。

生理になったら具合悪くなる、それはそうなのだが、「それは高血圧の人が血圧が上がったのと同じで、具合が悪くなったら休めばよいのだ」というのだ。
「具合が悪くなれば休んで療養する」というのはすべての労働者の権利なのだ。「その根源性をもっと突き出せ、安易にフェミニズムに頼るな」というのが彼の論理だ。

もともと「母性保護」は軍国主義と結びついた「産めよ増やせよ」の厚生思想の賜であり、女性の権利擁護とは何の関係もない。

残念ながら昨今の風潮は「血圧が上がったら休ませろ」ということさえ否定する「ブラック・モラル」が蔓延している。「生理休暇」という言葉は死語となり、どんなに辛くても働くという「男女同権」が常識となっている。

そして「闘え」とアジった友は、今は帰らぬ人となった。

この間の87歳の元通産省エリートの事故は、“アクセルの踏み間違い”がたんなるヒューマンエラーではないことを明白に物語っている。
私は以前から踏み間違い対策は簡単だと主張してきた。
最も基本的には2つのペダルの間の距離を広げて、踏み間違えないようにすればよいのである。
極端に言えば、ブレーキペダルを左側で踏むようにすれば、踏み間違いは消滅する。

クラッチがあれば暴走はない

もともとマニュアル車では左足の位置が固定されていた。必ずそれはクラッチペダルの上にあったのである。アクセルとブレーキのペダルの位置認識は左足によって確認されていたのである。
そうやって育ってきた高齢者は、左足の感覚を失うことによって右足の位置感覚も失うことになったのである。高齢者の認知能力の低下だけが原因ではない。そこには「技術改革」の負の側面が顔を覗かせているのだと思う。

これは極論だが、高齢者事故ゼロを実現する秘策はクラッチの復活にある。75歳以上の運転免許をマニュアル限定にすればよい。マニュアルに乗れないのなら免許を返納するということだ。ただし僻地で車なしに生きていけない人には地域限定の免許を出す。そのへんは臨機応変にやればよい。

高齢者事故が多発するもう一つの理由は、サイドブレーキの消失である。これによりドライバーは車を緊急停止させるための有力な方法の一つを失ってしまった。
今それはパーキングブレーキとして左足の左側にあるが、かなり扱いづらい形で、「余り使うなよ」みたいに設置されている。
これを昔のクラッチ・ペダルの位置に据えてはどうか。

とにかく昔の車に比べて、フェイルセーフ機構は格段に改善されていることは間違いない。オートマのギアは素晴らしく、燃費のことだけならマニュアルを陵駕するほどである。
しかしフェイルを起こさせないようなメカニズムは明らかに退歩している。その典型が左足ペダルの消失であり、ハンド・ブレーキであり、サイドミラーだ。
何よりも、ブレーキを踏み続けなければ自然と走り出してしまうという原理的欠陥が、オートマにはつきまとうのである。うっかりしているあいだに、すでに車はかなりの程度に加速されている。それがパニックを引き起こすのである。

とりあえず緊急に改良すべき欠陥として急発進問題があるが、これについて対処したという報道を見たことはない。あるのは急発進した車がぶつかりそうになったときに急停止する仕掛けとか、ぶつかってしまったときにその衝撃を和らげる仕掛けとか、要するに対策が泥縄方式なのだ。

メディアにも責任がある。高齢者自動車事故の半分は「自動車会社の安全思想」に関わって生じていると思うのだが、そのことを警告するような記事に出会ったことがない。

これからも声を上げ続けようと思う。


札幌の配電停止と熱中症死のケースについて、共産党はかなり突っ込んだ報道を行ってきた。
今週の赤旗日曜版に、事件を中心になって取り組んできた畠山和也前衆院議員のレポートが載った。

1.殺したのは北電
前回記事から私が推測したのとほぼ同じ内容だった。
端的に言えば、この女性を殺したのは北電だった。電気という「ライフライン」を切断することは、生命を切断することだ。この簡単なことが彼らには分かっていない。
電気が止まって、しばらくすれば、年寄り・子供は死ぬ。それを通報もせず放置して、死に至らしめることを、日本語ではなんと言うのだろうか。

2.北電は合法だと信じている
彼らは個人情報保護法を盾に自分を合理化していて、反省していない。反省の言葉は一言も発していないようだ。
ということは、彼らは今後もやるということだ。
「法に従って適正に対処させていただきました」ということなのだろう。
これは推測ではない。畠山前議員の質問に市の担当者が答えている。畠山議員によればこうだ。
市によると、電気事業者は個人情報保護を理由に電気を止めたことを市側に知らせてこないと答えました。

3.誰も北電に文句が言えなくなっている
北電が電気を止めた。ライフラインを止めることによって、もって女性を死に至らしめた。
彼らはノーコメントを貫くことで、「これからもやる」と事実上宣言している。
それにもかかわらず、だれも何も言えない。こういう状況が北海道という人口500万の自治体で出現している。
このことも畠山さんの調査で明らかになった。
畠山さんは道庁内の経済産業局に「監督官庁の役割を果たせ」と要請した。道の機構といっても事実上は経産省の出先である。
回答はこうだ。
局としては、①一律に止めず個別に対応を行うべきと考えている。②事業者(北電のこと)にもその方向で指導していた。
これを額面通り受け止めると、北電は監督官庁の指導を拒否する“内規”で動いていることになる。これはきわめて重大なことだ。

4.経産省は無条件で許すつもりだ
ではその北電の内規はどんなものか。どうも経産局はその内容を把握していないようだ。知ろうともしていない。
最後の経産局の回答は「一律に対応しないようにあらためて申し入れる」というものだ。
道・市・経産省をふくめ、いかに各組織が北電に対して及び腰になっているか伺われる回答である。

5.このままだと個人情報保護法が違憲容認立法となる
北電の言い分は、個人情報の保護に例外規定を許さないということである。個人の秘密は個人のいのちにまさるということだ。
それは銃所有の権利を神聖化する全米ライフル協会を彷彿とさせる。ただその裏に算盤勘定が見え隠れするだけ余計に醜悪だ。
「契約法は生存権に優先する」というのがベニスの商人シャイロックの論理である。それは「強者の論理」である。契約の神聖性を強調することによって、人の生命を奪うことを合理化・合法化する論理である。
これは、日本の市民法体系にとって恐ろしいことである。これが認められるなら、「法の精神を遵守するためには人を殺しても構わない」という法律がまかり通ることになる。
この間、行政糾弾に動いたメディア各社に、私は世論誘導の狙いを感じる。どうして北電を糾弾しないのか。
人の命をここまで軽視するこのような会社に、廃墟製造装置・原発を運営させて良いものなのか。

赤旗の情報だけではいささか心もとないので、他紙も参照することとした。
おそらく出処は警察情報だけなので、継ぎはぎしていくと全貌が浮かび上がってくるはずだが、事実は逆で情報の錯綜が目立つ。
死亡したのが日曜日というのが、ややこしくしたかもしれない。
時系列を整理すると以下のようになる。
29日の朝、亡くなった女性とおなじ住宅に住む「別の女性」が「最近姿を見ない」と110番した。“最近”というのがどのくらいの最近なのかはわからない。
連絡を受けた警察が出動し、午前11時半ころ部屋に入った。このとき女性は室内で倒れており病院に搬送された。
しかし搬送先の病院で死亡が確認された。おそらく発見時すでに心肺停止状態であったろう。
その後「警察が死因を詳しく調べた」とあるので検屍が行われたのだろう。「女性は激しい脱水の症状が見られた」と書かれている。これをもって、「熱中症によって29日の午前に死亡した」と判断された。
29日の午前とアイマイに書かれているのは、明らかに死亡している場合は「不審死」として現場維持対応されるべきだからかもしれない。死亡推定時刻は死後硬直やチアノーゼ、直腸温などで判断されるが、熱中症においてはこれらが教科書通りには行かない可能性があるからだ。
これで事件としては一件落着なのだが、警察発表は何故か火曜日にずれ込んだ。理由は不明であるか、犯罪性は乏しいのでとくに問題はなさそうである。
以下は警察捜査の結果の報道であろう。
警察によりますと、女性は5階建てのアパートの4階の部屋で1人で暮らしていて、部屋にはクーラーや扇風機はありましたが、料金を滞納していたため電気を止められていて使えない状態だったということです。(NHK NEWS WEB)
事件に関して西区保健福祉部が経過を発表したらしい。各紙が報道しているが市側対応の批判に終止している。
そのなかで、読売は5月から電気が止まっていた事実を指摘。「札幌市は女性の健康状態などを踏まえ、訪問は3か月に1回と決めており、担当職員は4~6月に複数回訪問したが会えなかった」という記載もあり、しっかりフォローされている。
なお事件の発表された31日、北海道旭川市でも高齢者の熱中症死が発生した。
31日午前7時すぎ、旭川市東旭川南1条5丁目のアパートの1室で、1人暮らしの79歳の女性がソファーの上で意識を失って倒れているのが見つかりました。
女性は病院に搬送されましたが死亡しました。部屋は閉め切った状態でエアコンもなく、警察は熱中症と見て調べています。
この2つには共通点も多い。高齢女性の孤独死であり、それが熱中症であることも共通している。ただ札幌の女性は電気が止められて熱中症になって死んだという際立った特徴がある。
生活保護の問題は実は副次的だろうと思う。ライフラインが遮断されて命が絶たれたという明確な因果関係がプライマリだ。
いろいろな人がこの事件に触れてコメントを発している。その中で次の2つが問題の本質を言い当てていると思う。
1.【ゆるねとにゅーす】
一般論として、「電気代が払えない状態」になっただけで「生命の危険」が直接的に襲いかかってくる状況というのは、まさしく「異常事態」です。
このままこの状況を放置していると、他でも同じようなケースが次々発生してしまう危険があります。
2.畑理枝さんのツィッター
(たしかに)生活保護費(というのは)かつかつだとは思うけど、光熱費を滞納するのは(そのためだけではありません)。他に借金とか認知症とか身内の経済的虐待とか、いろいろ問題を抱えていることが多いのです。
(だから、逆に)光熱費滞納をシグナルとして支援に結び付ける体制(仕組みづくり)が必要かと…。
(すみません、かなり勝手に修文してしまいました)


事件をフォローする報道では、市役所の怠慢が問題にされているようだが、これはお門違いだと思う。まず電気を止めてしまった北電に最大の直接責任がある。
「光熱費滞納はそれ自体がシグナル」なのだ。それも猶予できないSOS信号なのだということを認識しなければならない。
もちろん北電にただで電気を流し続けろとは言わない。しかし「ただで流し続けることはできない」という言い分は電気を止める口実にはならない。
もう一つ、北電はこのケース行政に連絡すべきなのを怠った。しかもただ怠ったのではなく、意識的にネグレクトしたらしい。
市担当者は、個人情報保護を理由に事業者からは情報を得られていない。市として事業者に協力を願うしかないと答えました。(畠山前国会議員への回答
つまり北電は配電停止を市側に連絡しなかったばかりではなく、個人情報保護をたてに配電停止事例に関する情報提供依頼を拒否しているらしい。
「ゆるねとにゅーす」さんが言う通り、北電は「他でも同じようなケースを次々発生させててしまう危険」があるのだ。

もご参照ください

札幌という街は、民間の優しさは人後に落ちるものではないが、公の優しさにはかなり欠けているのではないかと思う。
20年以上前の母親餓死事件、6年前の姉妹の孤立死に続く第3弾である。
深刻なのは、餓死事件の教訓として、「どんなことがあっても電気と水道だけは止めない」ということが確認されたはずなのに、それがまったく継承されていないことである。
以下赤旗報道を紹介する。
見出しは三本。大きい順に並べる。
電気止められ 熱中症で死亡
札幌市 生活保護利用の60代女性
国の「通知」生かされず

次がリード
札幌市西区の5階建てマンションで、生活保護を受給していた60代の女性が死亡した。
激しい脱水症状が確認され、熱中症と判断された。
部屋にはクーラーや扇風機があったが、使用されていなかった。料金を滞納し、電気を止められていた。(マルクスの「ナイフやフォークを持っての餓死なら許される」という一節が思い出される)

本文は小見出し付きの2つの段落からなる。小見出しは内容と照応していないので、こちらでつけさせてもらう

1.今度の事件をどう捉えるか
共産党はこの事件を“ライフラインが断ち切られて命を落とす事態”として重視した。
2012年に白石区で40代の姉妹が孤立死した。その後も埼玉と大阪で孤立死・孤独死が発生、これらを行政の対応不備がもたらした悲劇と捉える。
2.過去の事件にどう向き合ってきたか
これらの事件に対応して、学者・研究者などが全国調査団を結成。孤立死事件を現地調査した。
調査団は結果を踏まえて事件根絶に向けた提言を発表した。
3.厚生省の対応
提言は世論と運動を巻き起こした。厚生省も重い腰を上げた。
2012年5月、厚生省が通知を発した。「関係部局・機関との連絡・連携を強化し、徹底を図るよう」もとめたものであった。
それは具体的には「行政がライフライン事業者と連携して対応する」ことをもとめたものであった。
畠山前議員はこの「通知」との関係で札幌市の対応がどうだったのか、をただそうとしている。
4.畠山前議員と市担当者とのやりとり
やり取りの中で明らかになったのは、この厚生省通知が事実上無視されていることであった。
記事をそのまま引用する。
市担当者は、個人情報保護を理由に事業者からは情報を得られていない。市として事業者に協力を願うしかないと答えました。
5.畠山前議員の見解
昔なら「ドン」と机の一つも叩こうというところだが、さすがは畠山さん、諭すように自説を述べる。ただし相当端折った記事のようで、つじつまの合わないところもあるので、補いながら紹介する。
① 今回の事件はかけがえのない人命が奪われる重大問題だ。しかも自然災害ではなく、「人災」の可能性も疑われる。真剣な検討が必要だ。
② 熱中症という形の孤立死は初めての経験だ。したがって状況を精査し、よく教訓化しなければならない。
③ 言えることは困窮世帯でライフラインが止まるということが、さまざまな形を取りつつも、命に関わるということだ。
最後に、畠山さんは「こうした事件を二度と起こしてはならない。電力・ガス・水道などの会社・機関と早急に協議してほしい」と求めた。


この記事では直接言及していないのだが、究極の問題が「個人情報保護法」なのだろうと思う。
あえてジャーナリスティックな言い方をすれば「人権か、人命か」という選択である。
ユニバーサルな課題なだけに、あまり制限条項とか例外条項で逃げてほしくない問題で、コンセンサス方式での合意形成が必要になるだろう。
誰かが音頭取りをして、海外の動向も見ながら、非政府系の機関でのイニシアチブがもとめられる。

共産党の東区民報に宮川じゅん道議が「かけある記」というコラムを書いている。
今回の記事の題名は、「ひとり親家庭生活実態調査」。内容は北海道がまとめた「2017年度ひとり親家庭生活実態調査」の紹介。
だいじな数字なので、ここにメモしておく。
まず世帯収入
54%が200万円以下、83%が300万円以下。
雇用形態は
55%が派遣・契約社員、嘱託、臨時・パートなど。
生活上の困難として次のような数字が挙げられている。
1.医療へのアクセス
過去1年間に、病院や歯医者に行きたいのに行けないことがあった。  49%
2.家計の状況
赤字で貯金を取崩した。または、借金をした。  35%
3.食料の状況
家族が必要とする食料を買えなかったことがよくあった。または時々あった。  22%
4.居住の状況
冬に暖房が使えなくなったことがよくあった。または時々あった。  12%
5.食事の状況
子供と一緒に朝食をとることがほとんどない。  33%
6.育児の状況
子どものことで悩みを相談する相手がだれもいない。  8%

なおこの記事では省略したが、父子家庭の状況もあげられている。特徴的なのは父子家庭の雇用形態が非正規比率が低いこと、相談相手が欠如していることだ。

すみません。原文にあたったわけではないので、
これ以上の質問は宮川じゅんさんへ直接お願いします。matasete.g@gmail.com<

すみません。原文が見つかったのでリンクしておきます。

ひとり親家庭生活実態調査報告書【概要版】

2018年5月10日付で、「自立支援グループ」の作成したものです。

自立支援グループというのは、道庁の「保健福祉部子ども未来推進局子ども子育て支援課」に設置された5つのグループの一つのようです。

北大大学院教育学研究院に委託して実施したもので、調査期間は昨年8月となっています。

中身は今見ているところです。それほど難しくもなく、長いものでもなく、変に要約するより原文に直接あたってもらったほうが良さそうです。
北海道新聞その他で報告書を紹介・報道しています。基本的には宮川さんと同じ場所に注目しています。父子家庭でところどころちょっと変わった数字が出ていますが、無理な解釈はしないほうが良さそうです。

過年度の 関連資料が閲覧できます。「北海道子どもの生活実態調査 結果報告書」というもので、平成29年6月の発行となっているので調査は2016年に行われたものと思われます。(もう元号はやめてほしい)

発行者は北海道保健福祉部と 北海道大学大学院教育学研究院 となっています。「ひとり親家庭」調査と同様、教育学部内に組織された「子どもの生活実態調査」研究班が、道の委託を受けて実際の作業にあたったのではないかと思われます。

育児・教育に的を絞ったものですが、一読に値します。とくに巻末のナマ回答例は参考になります。


割り箸から見た環境問題 2006」というファイルがあって非常に面白い。
環境三四郎というペンネームで書かれているが、東大駒場の教員と思われる。
面白いと言いつつもPDFファイルで43ページにわたる。5分で読めるように要約して紹介する。興味ある方は本文をどうぞ。

はじめに
1 章 割り箸の生産
2 章 割り箸の流通
3 章 割り箸の消費
4 章 割り箸の廃棄
5 章 割り箸論争の整理
6 章 考察
7 章 資料・参考文献

という構成で、言うまでもなく第5章が主題部分、そこまではいわば序論ということになる。
そんなつもりで取りかかって欲しい。

はじめに
1.我が国において割り箸の「存在感」はきわめて大きい。
それは割り箸問題への市民の関心の深さとして現れている。
2.それは外食文化の発展とともに市民にとって馴染み深いものとなっている。
それと同時に、有用期間の短さ、使い捨て率の高さ、代替箸の存在などが、実際以上に「もったいない」感を刺激する。
3.2005年、中国から日本に輸出される割り箸が一斉に値上げされた。また、これを機会に割り箸が純粋に(中国の)森林を破壊していることが明らかになった。 
これにより割り箸を止める方向のインセンティブが働いている。


1 章 割り箸の生産 
原材料: 主にエゾマツ・アスペン・シラカバである。高級料理店ではスギ・ヒノキも使われる。タケは割り箸より串としての用途が広い。
高級割り箸はさほどの環境負荷になるとも思えないので割愛する。
主たる生産地: 98%は中国(旧満州)で生産されている。もともと生産性が低く放置されてきた木材を伐採するため、植生破壊負荷はシビアである。
なお日本の割り箸生産は80年代に激減し90年代に崩壊した。
間伐材の利用: 間伐材といえども国産で、高価格。間伐材ゆえの品質不良。しかし企業PRにはなる。

2 章 割り箸の流通
年間消費は250 億膳。一人あたり200膳と言われる。その 98%を輸入割り箸が担っている。事実上中国が独占しているが、2005年には様々な措置により価格が5割増しとなった。(あまり実感はないが…)

3 章 割り箸の消費 
最初に日本における割り箸の歴史がかんたんに触れられている。
江戸時代中頃から竹製の割り箸が使われ初め、そば屋などで利用されていた。
1877(明治10)年に、奈良県の寺子屋教師である島本忠雄によって、木製割り箸が開発された
大正時代には衛生箸という名で食堂などにおいて広く利用されるようになった。
太平洋戦争直前には50億膳に達したが、戦時中割り箸は禁止された。敗戦時はほぼゼロに落込み、回復には15年を要している。
順調に消費を拡大したが、80年代後半から消費が伸び悩みジグザグ傾向が現れているのは割り箸論争の影響であろう。
ついで割り箸の最大の長所である、清潔・衛生についていくつかの保留点が触れられる。
最初の報告が1994 年度の東京都立衛生研究所によるもの。43 点のうち製造国不明の割り箸6点などからら防かび剤が検出されている。
また、2002 年度の検疫所における検査で、中国産割り箸 32 件中 7 件から二酸化硫黄が検出された。漂白用に用いられたものであろう。

4 章 割り箸の廃棄 
申し訳ないが、読んでも暗澹たる心持ちにさせられるばかりなので省略。
率直に言えば紙おむつの再利用を考えたほうがはるかに生産的だ。

5 章 割り箸論争の整理 
ということで、ここからが勝負どころになる。すこし詳しく紹介しておきたい。
著者によれば、主な割り箸論争には3つあるという。
割り箸論争の口火を切った 1984 年の論争、特に自然保護との関係から論争がさらに過熱した 1989・1990 年の論争、そして割り箸業界側からの反論が強く押し出された 2000 年の論争の 3 つである。
さすがは割り箸問題専門家である。

5.1 1984 年論争 
発端は林野庁林産課長の発言である。
朝日新聞の「論壇」欄において、三沢毅林産課長が「割り箸は木材資源の有効利用法」と主張した。

原材料が低利用材であること、地域経済に貢献、森林資源の育成に貢献を挙げている。

2週間後に同じ「論壇」欄で日本自然保護協会の金田平理事が反論した。

反論骨子は、自然林の採伐であり、主力が輸入材であることを挙げているが、もっとも強いインパクトとなったのが「森食い虫」という呼称であった。

この議論への判断は、実態の把握を必要とする。そこで朝日新聞が実態調査を行った。

結果、割り箸の用材は低利用材ではない、インドネシアの割り箸は森林危機の一端を担っているなど、全体として「緑」浪費論を支持する論調であった。

5.2 1989・90 年論争
第1段階
1989年 「世界自然保護基金」が、日本の割り箸使用は熱帯雨林破壊の要因の1 つだと声明した。
日本環境保護国際交流会が塗り箸キャンペーンを展開。英文テキストを発刊する。
第1章「割り箸という無駄使い」、第2章「ペナン族の苦難」、第3章「消滅する熱帯林」と題されている。
役所の食堂などで割り箸廃止の動きが広がる。
第2段階
林野庁と業者は対抗キャンペーンを張る。議論は熱帯林との関係に集中。南洋材に占める割合は0.02%にすぎない、用材はもともとマッチやパルプとして使い捨てられるものと主張。
業者の危機感を背景に、反論はやや感情的になり、「使い捨てが問題ならティッシュこそ問題だ。OA 用紙を大量に消費している役所や企業によるキャンペンは偽善だ」と拡散する。
第3段階
市民グループによる再反論も展開されるようになった。市民感情に寄り添う表現になったのが最大の特徴。
「熱帯林、森林破壊だから全廃せよ、といっているわけではない。…モノを使い捨てて顧みなくなった日本人の習慣を、その気になれば使わずに済む割り箸を通じて見直そうというのが、運動の趣旨」(市民グループ「割りばし問
題を考える会」)
ダイエーが間伐材の割り箸を開発し、予想外の売れ行きを見せた。
これは議論が「良い」割り箸と「悪い」割り箸があるという形で収斂しつつあることを示した。
「割り箸文化」問題では、割り箸が日本の伝統文化の一環でもあり、高度成長期に5倍も増えたという「使い捨て文化」の象徴でもあることの認識が共有された。

5.3 2000 年論争
これは私も知らなかった論争である。
石川県の輪島市が「ノー割りばし運動」に取り組んだ。これに対し奈良県の吉野製箸工業協同組合(以下組合)が危機感を擁き、公開質問状を発した。

組合は「吉野割りばしは、スギ、ヒノキの間伐材を使っており、環境にやさしい製品だ」と主張。
これに対し、輪島市は「使用を自粛しているのは外国材が大半を占める安いはし。吉野の高級箸を敵視しているわけではない」と回答。
最終的には、伝統の「はし文化」の共存共栄で合意。

6 章 考察
割り箸をめぐる論点を整理すると以下のようになる。
①割り箸と森林破壊との関係
これについては、厳密には割り箸の是非ではなく、割り箸の用材として何を使うかの選択をめぐる問題である。
熱帯雨林の破壊につながるような用材選択は非であり、国内の間伐材を用いるなら是である。
ただし後者はほぼゼロ、というのが実態である。
なお、中国の割り箸企業が国内資源の劣化を受けてロシアからの木材輸入を増加させているという報道は注目すべきである。
②割り箸と地域経済との関係
割り箸産業には一定の経済効果があるが、それを以て割り箸は必要であるとまでいえない。
極端な例で言えばコカやケシの栽培は地域に経済効果があってもアウトである。
③割り箸と文化との関係
割り箸が批判されるのはムダ使い文化に根ざすと考えられるからである。
資源の無駄づかいが批判されるのは、資源の有限性が論拠となっている。無限に使える資源、ある程度の持続可能性を持つものであれば、無駄使いとの批判は当たらないかもしれない。
石油という有限の資源を原料とするプラスチック箸より割り箸の方が自然に優しい、という理屈が成り立つかも知れない。

6.4 まとめ

割り箸について考えていく際には、議論の論点は何なのか明確にした上で議論していく必要がある。そうでなければ、お互いの主張が繰り返されるだけで、すれ違うままに終わってしまう。
このことは環境問題全般に通じるものである。


北海道AALAの理事をつとめる柿沢宏昭さんの講演がある。
バイオマス利用に関するシンポジウムの演者ということだ。入場は無料というものの、事前予約が必要とやや敷居が高い。
そこでとりあえずネットで勉強させてもらうことにした。
柿沢さんは北大農学部教授、いろいろの著書から判断するに、「森林管理学」という分野を専門とされているようだ。
今回の講演の予定演題は「北海道における持続可能な木質バイオマス利用」となっているが、究極の問題意識は「持続可能な森林管理」というべきかもしれない。
「持続可能」というのは、至れり尽くせり、償いを求めない森林管理ではなく、経営的にもペイし、自前で管理を続け人材も育成できるシステムを指すのだろう。
だがそれは可能だろうか。木質バイオマスは救世主となれるのだろうか。
まずは 「北海道の森林・林業・山村の再生に向けて」というレビューから。

日本の森林は伐り時
柿沢さんはなかなか商売上手で、最初の言葉が「日本の森林は伐り時」というキャッチフレーズである。
どういうことかというと、「日本の人工林は1,000万haにのぼり、年間成長量は6,000万㎥を超える」のだそうである。
私達が子供の頃、山は禿山で河川は荒れ、人々を苦しめた。私たちは木は貴重な資源、森林こそ大事な財産と教えられ、植林に励んだ。「緑の羽根」募金はその象徴である。
ところがある時を境に木材は売れなくなり、山は荒れ始めた。「割り箸論争」というのがあり、使うな、使えと両方から迫られて困惑したものだ。
ここにエコロジストが割り込んでくるから余計話が難しくなる。
だから私は前から主張していた。「世界の森林を守るのは環境の問題だ。しかし日本の森林を守るのは経済の問題だ。日本の森は人工林なのだから。手入れしなければ森林がなくなるのではなく、自然林になるだけだ」
すぐ話が飛んでしまう。
「伐り時」の話に戻ろう。柿沢さんの提起は「この資源を有効に活用することが課題となっている」ということだ。
これと関係するのだが、森林管理を林業再生と結びつけて考えようというのがもう一つの提起だ。
「これまでの森林管理は植えて育てることが中心課題であり、補助金の投入によって」支えられてきたが、果たしてそれでよかったのだろうか。
そういう赤字慣れが現場を無気力にし、林業の危機を増幅してきたのではないか…
そういう問題意識が根っこにあるのだろうと思う。
ここから柿沢さんの議論が本格的に始まる。

林業再生のための2つの前提と2つの課題
第一前提は持続的な森林維持体制の確立
第二前提は林業の人的母体(農山村)の持続性確保
課題の第一は林業コストの低下である。これにより価格競争力を確保するとともに就業意欲を高める必要がある。
課題の第二は需要の掘り起こしである。これまでは補助金にあぐらをかいた殿様商売を続けて販路を失ってきた。
①どこで、どのような材が求められているのかについてきちんと素材の供給側と需要側で情報を交換・共有し、両者がともに便益を得られるような取引をつくっていくことが重要
②品質のそろった材を大量かつ安定的に供給する能力も必要だ。
ということだが、これらは斜陽産業に共通の特徴である。アタリマエのことで、おそらくこれまでに語り尽くされてきただろう。問題はその先だ。

林業再生に向けて 下川町などの取り組み
下川町では森林認証を取得し、森林を活用するまちづくりとして木質バイオマス利用に力を入れ、エネルギー自給を目指した取り組みを行っている。
森林ツーリズムや森林療法など
森林の多面的な利用や環境教育などへの広がりを見せている。
黒松内町ではブナ北限のまちづくりに取り組んでおり、道東の標津町では河畔林の保護をルール化している。
これには専門的な人材と、多様な関係者の協力が欠かせない。まず重要なのは森林・林業の専門家の役割である。特に市町村など現場レベルでの人材育成に力を入れる必要がある。
最後に、「森づくりの基礎は人づくりであり、人のつながりづくりなのである」とあるが、混ぜっ返すようだが「人が欲しくなる」ような「必要づくり」が必要なので、これは林業の専門家が経営的センスをもって立案する他ない。
ただし計画が良ければなんでも成功するわけではない。天の利、地の利、人の利というものが必要になるだろう。
頑張っても成功するとは限らないが、頑張らなければ成功しないのは確実である。

リチャード・ウィルキンソン(以下RW)という経済学者がいる。1943年生まれだから私とほぼ同年代だ。イギリス生まれのイギリス育ちで、どちらかと言えば経済学者というより社会病理学者で、下記のプレゼンテーションで有名になった人らしい。

いかに経済格差が社会に支障をきたすか

これはグーグルでもYou Tubeでもすぐ出てくる。日本語訳までついてくるので大変ありがたい。

非常に説得力のあるプレゼンであるが、かなり畳み込んでくる。しかも最後はやや飲み込みにくい話も出てくるので、終わったあとさっぱり残らない。

活字人間向きに、多少の解説も交えて紹介しておくことにしよう。くれぐれも、これは解説であって転載ではありません。ただし異議があれば直ちに取り下げます。

Ⅰ 格差をめぐる三題噺
最初はGDPと寿命は関係がないという話、次が寿命は所得と関係するという話。そしてこの2つが前提となれば所得格差の少ない国ほど寿命が長いという話。これを統計的に証明する。

GNPと平均寿命

RWが最初に提示する図はGNPと平均寿命の相関で、相関がないことが示される。

所得階層と寿命

この図はイギリスに限ったものだが、所得階層ごとに寿命が決まっていることが明らかだ。最貧と最富者では7.5歳も違う。つまり寿命を決めるのは収入そのものではなく収入の相対ランクだということになる。それにしてもこの図を信じるとすればイギリスというのは相当ひどい国だ。私は71歳と2ヶ月。もしイギリスの最貧層ならもう間もなく死ななければならない。もし中流なら3,4年、うんとお金があればあと7年は生きられることになる。

2.貧富の差と病気や社会問題の関係


これから先のいくつかの図は国別に貧富の差と健康社会問題指数をプロットしたものである。きれいに相関しているが、日本が一番左端というのはにわかに信じがたい。
健康社会問題指数と格差

「平均余命…」というのは字幕が写り込んだもので関係ない。横軸は収入格差で右に行くほどひどいということになる。Index of health and social problems (社会病理指数)というのは、おそらくRWが下記の項目を元に作った計算式だろうと思う。
社会病理指数
これも上に行くほどひどいということになる。
これから先は社会病理指数の各個別項目について図を並べていくことになる。縦軸のベクトルが逆であることに注意。
格差と児童福祉

最初の図が貧富の差と児童福祉水準で。基本的には同じ傾向。日本が低格差にも関わらず低福祉なのは別の問題があるのだろう。これについてはRWが後でコメントしている。

ただこれらの傾向は先進国にのみ通じる話で、古典的な貧困が支配する途上国では別な話になる。


次にRWは、もう少し情緒的なデータを提示する。最初が格差と他人への信用率の相関をプロットしたもの。次が同じ調査を米国内の各州でプロットしたもの。

格差と他人信頼度

州ごと格差と信用率

米国でもきれいに相関がプロットされることに驚く。NC,AL,MSなど人種問題が絡むと下方に偏位するようだ。

次の図は格差と精神疾患の有病率との関連。どうでも良いがイタリアのノーテンキさは何だ。

格差と精神疾患

次が殺人事件との関連。青のカナダが赤のアメリカに彩りを与えている。

格差と殺人事件

次が格差と囚人数の関連。片対数グラフであることに注意。

格差と囚人数

次が高校中退率。こちらは米国内各州の比較である。

格差と高校中退率

次はちょっと難しいが、重要な図である。

アメリカは、「富の不平等はあるが機会の平等、アメリカン・ドリームは保障されている」と主張する。

この図の縦軸の社会流動性というのは親子の代が変われば社会的地位が変わる、つまり能力本位の世界になっているかどうかの指標だ。

明らかに格差とは負の相関を示し、米国は世界最低だ。

ここでRWは一言、「もしアメリカ人がアメリカン・ドリームを叶えたいのならデンマークに行くべきだ」と会場を笑わせる。

このあと、これまでの図の一覧が示される。

格差との相関一覧



3.格差をめぐる議論とRWの主張
ここまではほぼそのまま素直に飲み込める話である。
次に話はディスカッションに移っていく。

まず、RWはいくつかの作業仮説を提示する。

第一に格差が、社会全体の機能不全を引き起こすということ。

第二に格差を縮小するためのやり方には二つあるとしてスエーデンと日本を取り出す。

スエーデンはそもそも収入格差が非常に大きく、これを税金という所得再配分で調整する。

日本はそもそもの所得格差が低い。租税による所得再配分や社会保障もそれほど行われていない。

この2つの傾向はアメリカ国内各州の特徴付けでも当てはまる。

それはどちらであってもいいので、格差が少なければ良いのである。

次の図はやや意図的なものである。

横軸に親の帰属階層、縦軸に幼児死亡率をとったもので、しかもスエーデンとイギリスの比較を見たものだ。

所得階層と幼児死亡率

イギリスでは所得階層に従ってきれいな相関が見られるがスエーデンはほぼ無関係だ。もう一つの注目点はイギリスの最上層でさえ、スエーデンの平均死亡率より高いということだ。

理由は分からないが、最上層階級の人々にとっても格差のない世界に済むほうが得策だということを示している。

なかなか難しい図であるが、RWは幼児死亡率の他にも5つの指標を用いて、同様の傾向を証明したという。
4.格差と社会的ストレス

RWは次の議論に進む。

このことは格差社会がこのような社会の勝者に対しても悪影響を与えていることを示唆しているのではないか。

そしてその悪影響というのが社会的ストレスなのではないか。

そこでRWは次の図を示す。方法論的には若干疑問が残るが。

ストレスとコルチゾール反応

ボランティアにさまざまな社会的ストレスをかけて、どれが一番コルチゾール(ストレスホルモン)の分泌をもたらすかを検討したもの。

「社会的評価に影響をおよぼすようなタスク」の施行時にもっとも強いストレスがかかったことを示す。


最後にRWは二つの結論を語る。

一つはしっかりしたコントロールをとらなくても、バイアス因子を厳密に取り除かなくても普通に物が言えるデータというのはたくさんあるのだと言うことだ。

これには完全に同意する。数倍から数十倍の差がある群間比較に有意差検定など必要ないのだ。

もう一つは「格差減少のためになにができるのか」ということだ。

下の図がRWなりの答えだ。

解決法


私のホームページの「更新記録」(以前ブログ代わりに使っていた)に面白い記述があったので再掲します。リーマンショックの始まる直前のもの、この頃の世界銀行はスティグリッツの影響があるかもしれません。10年後の今も通用するということは、世の中あまり進歩していないということかもしれません。

2008.08.25
 世銀は、2000年頃からIMFと一線を画し、「貧困削減志向の成長」(Pro―Poor Growth)という考えを打ち出すようになりました。世銀によれば、「途上国の成長過程で、トリックル・ダウン(trickle-down)理論が実現されないという事実が明らかになった」ためだとされます。(かといって世銀がにわかに善人になったというわけでもなさそうですが)

 レーガノミックスに代表されるネオリベラリズム理論は、トリックル・ダウンのセオリーをこそ錦の御旗にしていたのに、事実はその逆になってしまいました。現実には、途上国における経済成長は、貧困層の生活改善に対してほとんどプラスの影響を与えなかったばかりか、場合によってはマイナスの影響を与えてきました。これはどうしてなのでしょうか。

 そこから得られる結論は、「たしかに経済成長は必要であるが、どんな経済成長でも貧困削減に有効であるわけではない」ということです。経済成長のパターンには、貧困層に対して有益なものとそうでないものがあるということです。したがって計画立案者は、その内容を分析したうえで、「貧困削減志向の成長」戦略を定立しなければなりません。

 いずれにしても、ネオリベラリズム路線は「貧困削減志向の成長」の戦略とはなりえません。このことはいまや疑問の余地なく明らかとなっています。

 しかし、そもそもネオリベラリズム路線の前提であるトリックル・ダウンの仮説は正しかったのしょうか。むしろ、ネオリベラリズムのオーセンティックな適用により、トリックル・ダウンなどというものは存在しないことが証明された結果になったのではないのでしょうか。

息子が偉そうにいう。
年寄りは良いよな、年金が満度にもらえるし…
俺達は年寄りに尽くすだけで、取り分はなくなってしまうし…
バカ野郎
年金は俺達のものだ。
俺達が頑張って積み上げたものだ。
あんたがたが年金の積み上げに何か貢献してきたの?
俺達が積み上げた年金は、俺達が使う。それであなたに何の迷惑をかける事になる?

考えてご覧、
この年金を維持するのは不可能だってことは誰だってわかるでしょう。
引き出す人間のほうが預ける人間よりはるかに多いんだから
こういう時は原資を減らすのが当然でしょう
それで年金体制が維持できなくなるわけじゃないんです
困るのは年金を食い物にしている役人たちだけでしょう
彼らは年金制度そのものではなくて、現在の年金規模が縮小することが問題なのです

だから彼らは年金規模を絶対に縮小させない。そしてそのつけをあなた方に回しているんです。
そして給付額を減らそうとして、あんた方を焚き付けているんです。

「払える掛け金」で年金を運用せよと、なぜ言わないんですか。
それで足りなかったら原資を取り崩せば良いんです。あなた方は官僚に踊らされてるだけなんです。

ただし、公務員(議員をふくむ)のど外れた恩給と職業軍人への恩給はやめるべきです。途上国では財政赤字の半分は公務員の年金だ。正当な掛け金を払っていないのに不当に受給するいわれはない。

本日の赤旗文化面には西谷敏さんの「労基法の精神」を述べた文章が掲載されている。
労基法は以前にも一度勉強したことがあったが、どちらかと言えば条文の内容についてのものであった。そして労基法(労働基準法)が如何に骨抜きにされてきたかを学んだ。
しかし、「労基法の骨」とは何だったのかまでは触れられていなかった。そこを西谷さんが解説してくれている。
1.「人たるに値する労働条件」
労基法の目的は(目標といったほうが適切かもしれないが)、1条1項にある「人たるに値する労働条件」という言葉に尽くされている。
「人たるに値する条件」というのはいろいろあるが、それはまず日本国憲法の精神である。25条の生存権、27条の労働権、13条の個人の尊重を根っこに据えた「人間の条件」である。
西谷さんは「労基法の根底には一種の理想主義があった」と書いている。
2.「労働条件」を守らないのは犯罪
西谷さんの言葉を少々いじらしてもらうと、こういうことになる。
労基法の最も重要な特徴は、「人たるに値する労働」の最低基準を決め、これに違反するものを犯罪として罰しようとしていることである。
ただしこれは予定してはいたが、実施されるには至らなかったらしい。
この後、西谷さんは労基法の辿った運命を書き記している。
*労基法の掲げた理念は実現には程遠い。
*その原因は労基法が時代の変化に応じて適切に改正されなかったこと、労基法違反が相次ぐ中で実質的に骨抜きにされたこと、労働運動が期待に反して大きく停滞してきたことなどによる。(これらの論点については素直には首肯できない)
*「働き方改革」は憲法と労基法の理念を現実化するものでなければならない。しかし現実の動きは逆である。
*制定から70年、労基法はいま現実化と空洞化の岐路に立たされている。
最後の論点は重要だ。空洞化の岐路はとっくに過ぎていたと思っていたが、労基法そのものが、満身創痍とはいえ生き残っていることを、我々はもっと重視すべきなのかもしれない。

共産党がふたたび長時間労働に関する緊急提案を行っている。
今回の題名は「長時間労働を解消し、過労死を根絶するために」となっている。
特徴としては
前回(ブラック企業規制法案)が、悪質経営者を相手にした取り締まり中心の提案だったのに対し、今回は電通など大企業、「長時間労働を是とする社会風土」をも念頭に置いた、より包括的なものとなっている。
もう一つは過労死という事件を受けて、より労働内容の吟味に踏み込んだものとなっている。
第三には、ホワイトカラー・エグゼンプションへの断固たる拒否という視点を組み入れたものとなっている。

前回のブラック企業政策で打ち出した斬新な提案とキレの良さはそのまま残されており、至る所に「雇用のヨーコ」が顔をのぞかせている。若い人にも読んでもらえる政策となっている。
1.インターバル規制の導入。勤務と勤務の間に最低11時間の連続休息時間を確保する。
2.いちじるしい長時間労働は残業代を5割増しにする
3.違法なサービス残業が摘発されたら10割増しにする。つまり「倍返し」である。

政策はこれらの規制を実のあるものにするために、追加的に二つの政策を打ち出している。
一つは、長時間労働の最大の基盤となっている「職場でのパワハラ」を規制することである。まず長時間労働そのものをパワハラと位置づける。
その根拠は厚生労働省が示している「パワハラの6類型」という指針にあるらしい。志位さんの言葉を借りれば、企業社会は、人々を長時間労働に向けて「追い詰める」のである。
政策はこういう指針があるにも関わらず、現行の労働法制にそれを裏打ちをするものがないとして、立法化を要求している。
これは斬新な視点であるし、今後重要な視点でもある。
もう一つの政策が、労基署の抜本的強化である。これにはスタッフの大幅増など現場力の強化と、労働法令の整備による権限の強化がふくまれている。「悪いことをするとおまわりさんが来るよ」というのと同様に、「悪いことをすると労基署が来るよ」という社会を作らないといけないということだ。
「パワハラの6類型」についてはいずれ勉強して報告したい。

東洋経済ONLINE の 2013年05月23日付にアパホテルに関する記事が掲載されている。

1.急拡大を示す数字

グループが積極拡大路線に転じたのは、2000年代に入ってからだ。00年末に20件だったホテルは、2013年には219件へと膨張した。客室数も10倍になっている。

これは東横インの243件、ルートインの243件と肩を並べる数字である。

2.いつから急成長したのか

飛躍の転機になったのは、意外にも、08年秋に起こったリーマンショックだ。

元谷代表の言

他の不動産デベロッパーが物件を手放す中、われわれは積極的に買った。ウチは全部自己資金で賄った。

それなりの営業努力もあったようで、07年には売上げ287億円に対して利益3.8億円だったのが、12年には売上げ432億に対し利益が22億に達している。

これで見てもやはり急成長を支えた資金源が見えてこない。

3.現在の財務状況

今年1月のライブドアニュースによると、

元谷氏は取材に対して「(総資産は)2,000億円から2,500億円程度ある。借り入れは1,000億円程度だ」と語っている。

資産に比べれば借入額は比較的手堅いといえるが、キャッシュ・フローに限れば事情は違ってくる。

アパグループの売り上げは900億円なので、年間売り上げを大幅に上回る借入残高があることになる。

なお一部報道ではリーマンショック前のバブル期に不動産を処分して売り抜け、その後積極的に底値買いしたと書いているが、この手の話は信用できない。こういうギラギラした一匹狼は必ず大損しているはずだ。

4.一番怖いのは建築強度の手抜き

闇に葬られたままになっているが、一番の問題は、客観的に見ればとても高層ビルが建てられるとは思えないような半端な土地に、どんどこアパホテルが建てられていることだ。

本来、日本の建築規制はきわめて厳しい。それを利用して官庁の天下り構造が形成されている問題もあるが、ある程度の厳しさは絶対必要だ。

しかし官庁というのは利権にはとてもソフトにできているのも事実だ。だから何処かに抜け穴が作られているのでは?と疑ってしまう。

赤坂のホテルが焼けたときの横井社長の蝶ネクタイが、何故かまぶたに浮かんでしまうのは、私が高齢化したせいだろうか。

以前一、二度は泊まったことがあるアパホテル。そんな本がおいてあったかどうかは記憶に無い。

今回、中国政府の強硬な抗議にもどこ吹く風で、「イヤなら泊まって貰わなくていいよ」というふう。

「こういう客商売ってありなんだ」と、時代の変化を痛感している。もっともJR東海も「ウィッシュ」という反共雑誌を座席の網掛けに挟んでいるようだが、グリーン車に縁のない輩には関わりのないことであった。

ここのオーナーが元谷外志雄という人。このような人物は昔は世の片隅の特殊な世界に生きていたものだが、いまはなんと一国の首相の副後援会長だというから、イヤなご時世になったものだ。

ウィキペディアから経歴を拾ってみる。

1943年の生まれ。「慶応の通信制に入学するが中退」というから、まぁ高卒だ。(慶応大学卒業と書いてあるものがある)

地元の小松信金に入社するが、9年後に退社し不動産屋に転向した。その後はトントン拍子でアパート・マンションを次々と建設し、「現在、マンションやホテル、レストラン事業などを中核とする14の企業から成るアパグループの代表

となっている。

ということでウィキでは肝心のトントン拍子の中身が分からない。

アパグループのホームページに「沿革」が載っている。

1971年  石川県小松市において、アパ株式会社の前身である、信金開発株式会社を設立。

1972年 信開荒屋ホームプラザ〈全87区画〉造成。ついで73年にアパ建設株式会社を設立。74年にアパ住宅株式会社を設立。(誰が資金を提供したのか?)

1975年 金沢に進出し、金沢支店を開設。

1976年 マンション・ビル建設に進出。商業複合ビル・パオス〈小松〉、複合分譲マンション〈2+4〉などを竣工。

1978年 アパ総研株式会社を設立。福井・富山など県外にも進出。

1984年 ホテル事業も開始。第一号ホテル、アパホテル〈金沢片町〉がオープン。

1985年 東京支店を開設。

1990年 日本開発ファイナンス株式会社を設立。住宅金融部門にも進出。

1994年 アパホテル株式会社社長に妻の元谷芙美子が就任。派手な宣伝を展開。

1997年 社名をアパグループに変更。各地に開設。この年だけで富山、東京板橋、大阪天満、軽井沢にアパホテルを新規開業。その後年3店の割合で新規開業。

2001年 「私が社長です」を出版。4年後には「続・私が社長です。元谷芙美子の幸せ開運術!」を発売。自己宣伝を開始する。

2008年 右翼と接近。「メセナ活動」として歴史論文顕彰制度を創設。

2012年 アパホテル、3万室を達成。

2016年 アパホテル、6万室を達成。アパカード会員1,200万名達成。

アパホテルの推移

創業以来の連続黒字を重ね、売上高900億円、利益率が30%に達する。なんと非上場なのである。金繰りに困ったことはなさそうだ。

という経過で、資金調達面から見れば、2010年あたりを境に一気に潤沢化しているようだ。それまでは風変わりな「成功者」でしかないが、この数年間で「財界人」の一翼を担うまでになっている。どこか太いパイプと繋がったように思えるがいかがであろうか。


チラチラとスキャンダル絡みの報道があるが、深追いはされていない。

1.耐震偽装 疑惑 (東京新聞)

「イーホームズ」元社長が名指しで耐震偽装を指摘している。「姉歯事件」と類似している。

イーホームズはアパグループの3物件の偽装を確認し、国交省に通報してアパの物件を調査するように要請したが、アパは工事を止めず、国には「関知しない」と言われた。

元谷代表は「全く事実無根であり、弊社の社会的信用を著しく失墜させるものであり、同氏を名誉毀損で告訴することを検討」とコメントした。

メディアは取り上げず、ウヤムヤになったらしい。しかしこれだけのホテル群で耐震偽装があると、一発アウトであろう。

J-CASTニュース(2006年10月)が Livedoor News で読める。お早めに。

2.自衛隊との癒着疑惑 (朝日新聞

航空自衛隊小松基地が民間宿舎を借り上げたが、その1/3がアパグループであった。(石川県小松はアパグループ発祥の地)

田母神俊雄・前航空幕僚長は同基地トップの司令を98年から99年まで務め、本谷会長と顔見知りだった。

しかし知りたいのはそんな細かい話ではない。バブル崩壊もリーマンショックもどこ吹く風でどうやって成長したのか。上場せず融資だけでどうやって資金を調達できたのかということだ。

津久井やまゆり園での殺傷事件から半年、報道機関で特集が組まれている。

一方ネット(2ちゃん)では怒りを感じる不快発言が相次いでいる。


「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため」

「障害者は不幸を作ることしかできません」

「不幸を生み出す障害者を代わりに殺してあげた」

「突然のお別れをさせるようになってしまって遺族の方には心から謝罪したい」と言明する一方で、被害者に対する言葉はない。


というのが、犯人の供述。ただし「警察筋によると」の発言ばかりで、この発言を受け止めてよいのか、ためらう。

論理があまりに飛躍しており、どう手を付けてよいのか分からない。イラクの人質事件のときの「自己責任」論と同じだ。あの時もウンウン言いながら考えたのだが、うまい結論は出せなかった。

今回も、「障害者蔑視」や「差別」というある意味普遍的な「世間の風」というものに、真っ向から切り込む課題が重くのしかかる。

それは理論というよりも情緒であるから反論のしようがない。「あんたのいうことは分かるよ。だけどねぇ…」となると暖簾に腕押しで、お手上げのところがある。

やはり未来志向で、共通点を確認しつつ、それを一歩づつ積み上げながらやっていくしかないのだろう。

1.すべての人は生きなければならないし、生かされなければならない

原則として、すべての人は生きなければならない。自殺してはならない。すべての人は生かされなければならない。見殺しにしてはならない。人間は人類の誕生以来そうやって身を守ってきた。

これは原則(おきて)であるから、例外はあるだろう。我々の施設などけっこう「看取り」をやっていて、ご家族の同意を得て、積極的な治療を手控えることがある。

これは医療側の客観的指標に基づく判断が必須条件である。

この例外つきの原則については大方の同意は得られるのではないか。

2.障害者は例外になるだろうか

障害者というだけでは例外にはならない。しかし筋萎縮性側索硬化症など進行性の疾患で予後がきわめて不良の場合、最終盤で人工呼吸器をつけるかどうかなどの判断が迫られる場合がある。

進行癌でホスピス治療に切り替える場合もある。ただしこれらは障害というよりは病気なので、医療側の高い立場からの判断が前提となる。もちろん本人の意志も確認されなければならない。

この例外つきの原則についても大方の同意は得られるのではないか。

したがって、生命予後に不安がない場合、医療の側で是とする判断が下せない限り障害者は生きなければならないし、社会は生かさなければならない。

これは人情の話ではなく、「民主社会の原則」の話である。

3.なぜそれが原則なのだろうか

うんと消極的にいえば、人間には殺す権利はないからである。「生かそうとしない」ということは見殺しにすることだからである。たとえば「育児放棄」は立派な犯罪だし、結果、死に至らしめれば重罪だ。

ただしこれにも例外はある。独居老人、共倒れになりかねない介護状況、専門的介護を要する場合などは、個々人ではなく社会が介入しなければならない。

なぜなら他に方法はないからである。

4.障害者と家族が障害のゆえに不幸にならなければ、それが一番良い

ここまでは連帯精神の二つの基盤のうち、集団協力の観点から論じてみた。しかしもう一つの大事な要素、利他心が残っている。これについても、大げさな博愛心は必要ない。「みんなが不幸にならなければ、それが一番良い」ということだ。チンパンジーのような、ささやかな利他心だ。

障害だけでも不幸なことだが、障害のゆえに罵られ、排除され、日陰暮らしをしなければならないのも不幸なことだ。

障害者のほとんどは、元々は普通の人だ。いまでも障害を除けば普通の人だ。ハンディを背負いながらも、精一杯頑張って生きている人たちなのだ。

生活保護をもらって酒とパチンコに明け暮れている人たちではないのだ(複数の報道で、容疑者Aは「生活保護を受給しそれを遊興費として浪費していた」とされる)。死ななくても良いような仕組みをなんとか作ってあげられないだろうか。

* いわゆる「アファーマティブ・アクション」は、人種差別に絡んだ歴史的措置なので、障害者問題とは混同するべきではないと思う。あえてここでは触れない。


への追記です。


案の定、右翼が使い始めた。右翼の代表安倍晋三が国会の場でぬけぬけと語っている。
衆院本会議での志位委員長の代表質問に対する答弁。

相対的貧困率については、昨年公表された全国消費実態調査では、集計開始以来初めて低下しています。子供の相対的貧困率は5年前の9.9%から今回7.9%へと2ポイント改善しています。
これはアベノミクスの成果により雇用が大きく増加するなど経済が好転し、子育て世帯の収入が増加したことによるものです。
前段は数字のマジックによるものであり、後半はウソである。

OECDの相対的貧困率とはなんぞや?軽く調べて簡単に説明します

というページに分かりやすい例えが載っていました。(若干手を加えています)

例えば独裁国家のC国では、所得はすべて独裁階級に独占され、他の国民は全員貧乏。

所得の配分は「1ドル、1ドル、1ドル、1ドル、3兆ドル」だとします。

この場合、国民の総所得は3兆4ドルです。これを5で割ったのが国民一人あたりの平均所得で6千億ドルとなります。

ところが、あ~ら不思議、相対的貧困率の算出のもとになる「中央値」は1ドルです。その半分(貧困ライン)は0.5ドルとなります。

0.5ドル以下の収入の世代はさすがにありません…生きていけませんので。

従ってこの国の「相対的貧困率」はなんとゼロ…になるんだよね。

客観的にどう見ても全ての国民が貧困…、餓死する人が多い…だとしても、「相対的貧困率」という特定のインデックスで見たら、貧困層は1人もいなく、結構幸せ…という結論に至ってしまいます。

私の前の記事にも書いたように、所得の中央値そのものが十分に貧困の程度を語っているのです。だから子供の貧困を語るには何も手を加えない「中央値」そのものを提出すべきなのです。
相対的貧困を語るのなら平均値(6千億ドル)と中央値(1ドル)の乖離の程度を語るべきなのです。
いわゆる「相対的貧困率」は、富裕層など存在しないかのように見せかけるための「マジック」なのだということがわかります。


生活保護の不正受給

実態についてあまり良く知らないので、まず客観的な数字を見ておきたい。

まずはウィキペディアの「生活保護の不正受給」の記事

概説に数字がある。

2010年時点における不正受給は、件数ベースで見ると2万5355件で、全体に占める率は1.8%であり、金額ベースで見ると不正受給額は128億7425万円で、全体に占める率は0.38%であった。

内訳としては、「賃金の無申告」が不正の中で約45%を占め最も多く、次いで「年金の無申告」が約25%、「収入を少なく申告したケース」が約10%であった。

これは厚生労働省「社会・援護局関係主管課長会議資料に基づくもののようである。

以下、不正受給の実例が上げられている。見ていくと、それらのほとんどがマスコミによって大々的に報じられたものであり、けっこう覚えがある。

これらは不正受給という範疇を超えた明らかな刑法犯罪・詐欺罪である。

貧困が犯罪の温床である以上、生活保護をめぐる犯罪率が高いのは当然である。

しかし福祉事務所や、生活保護課がそのことに責任を取る必要はない。相手が騙すつもりで「虚偽申請」して来る以上、騙されるのはある程度仕方がない。それは「経営リスク」である。

事後的に警察に通報して、そちらの判断に委ねる他ない。

ただそもそも「憲法の生存権を保障する」という性格を持つ生活保護が、その運営を地方自治体に委ねることが適切かどうか、という問題は問われるのではないか。

名合わせとか前歴照会などは全国で統一すべきものと考える。いまのコンピュータシステムの力から見れば造作ないことと思えるが。

不正就労と賃金の無申告は一番煩わしい問題である。いずれ生活保護を外れて自活の道を取ろうとしたとき、一定の資金は必要である。なんとか貯金のような形で許容できないものだろうか。

パート従業員として月12万-13万円の収入がありながら、無収入であるように装って生活保護費を不正受給していた女性が捕まった。市生活福祉課の職員らが交代で約2週間に亘り張り込んで現場を捕まえた。(生活保護不正、執念の見破り…張り込み2週間 読売新聞 2012年10月3日

まさに「生活保護 なめんな」精神であるが、なぜかむなしい。

よく分からないのだけど、相対的貧困率というのでいろいろ検討がされているみたいだ。

それで相対的貧困率のもとめ方だけど、国民所得の中央値の2分の1以下というのが定義のようだ。

そうすると、中央値が下がってしまうと、相対的貧困率が見かけ上は下がってしまう可能性はないだろうか。

たしか以前赤旗で、所得格差が広がると平均所得は同じでも中央値は下がるという記事があった。

たしか引用した記憶があるのだが、いま思い出せない。

いずれにしても所得格差がどんどん広がっている社会で、相対的貧困率で勝負しても始まらないような気がする。

右翼あたりなら、「相対的貧困率は下がっているぞ」と宣伝の種にしかねない。


これですね
2013年07月10日


生活保護「なめんな」事件への感想

マスコミやネットでは職員バッシングか、「そうだそうだ」の右翼の対応が目立つが、どうもすっきりしない。

彼らの本音は「生活保護課をなめんなよ」ということではないのか。もちろんそれは歪んだ形の反映になっていることも間違いないので、決して褒められたものではないのだが。

むかし、(ひょっとすると今も)共産党系の人はいじめられた。有形無形の差別、嫌がらせが横行していた。

北大を卒業して、本来なら主任・課長と進むべき実績を持ちながら、ヒラのままだったり、地方や外局に飛ばされたりしたものだ。

その最たる部署が生活保護課だったりした。

そこで水を得た魚のように一生懸命やる人もいれば、「落伍者」として生きる人もいた。

生活保護課は本来、生活困窮者を救済し社会復帰の道を開くことが仕事だ。医者と同じ「人助け」の商売なのだ。だから誇りを持って当たるべき職であり、敬意をもって遇されるべき職業なのだ。しかし、現状はどちらかと言えば「人斬り稼業」のようになってしまった。

なぜなら、自治体が生活保護の増加を恥と考え、保護率を減らすように押し付ける傾向さえあるからだ。

それが積み重なると、生活保護課がその名とは裏腹に生活困窮者の切り捨てを目標に掲げるようになる。中には公然と「適正化」を旗印に掲げたところもあった。

そういう職場では、生活保護を受理すれば上司は顔をしかめ、拒否すれば上司の覚えはめでたくなる。ヤバ筋のケースでもつかもうものなら、泣きの涙となる。

だから生活保護課の職員は、一般職員から冷ややかな目で見られるのと同時に、本来の目的からかけ離れた業務を遂行されることで、ますますやる気を失っていくことになる。

いろいろな統計を見ても分かるように、この国では、本来受給対象となるべき人の数に比べて実際の受給者ははるかに少ないのである。「生保以下の生活」を余儀なくされている人は受給者の数倍にのぼる。

つまり対象者の多くが捕捉されていないのであり、それは行政の不作為であり怠慢である。この逆転現象が問題の根っこにはある。問題にされるべきは「不正受給」ではなく「不正不支給」なのだ。

行政は生活保護をなめている。憲法第25条をなめている。それは犯罪と言ってもよい。

「生活保護 なめんな」は、むしろ私たち市民の叫ぶべきスローガンなのだろう。

今回の事件で生活保護課が掲げたスローガンは、いかにも弱気で屈折している。それは受給者に向かってではなく市役所の本庁舎に向けて叫ぶべきスローガンであり、さらには政府・厚労省や世間に向けて叫ぶべきスローガンである。

それならきわめて正しいスローガンだと思う。

たしかに生活保護はアリ地獄的構造になっており、一度ハマると脱出は困難だ。だから滞留し、果てしなく増えていく可能性はある。しかし、ここだけははっきりさせておこう。アリ地獄的構造を変革するのは政治(それも中央政府)の責任であって、生活保護課の任務ではないのだ。


生活保護の総合情報(条件 申請 基準 他)サイト生活保護の捕捉率というページに、あらあらの数字が載っています。

国民生活基礎調査など各種の統計からの推計で9.9%~19.7%という数字が出されている。

最近、厚労省と総務省で別個に捕捉率調査が行われており、厚労省では32%、総務省調査では68%という結果になっている。

厚労省の統計が低値を示すのは、住宅ローンのある世帯が除外されていないためであり、それを調整すれば総務省並みの数字になると思われる。

各種統計からの推計と「実測」にかなりの開きがある原因は、この文章からは不明である。ただ同じ方法で各国の捕捉率を比較すると、ドイツやイギリスはいずれも85%以上となっている。したがって日本の官庁統計には相当の操作が加えられていると見るべきであろう。

とりあえず、一番高い数字を示した総務省の調査を基準とすると、3世帯に一つは、生活保護の受給権を放棄させられていることになる。これをしっかり補足することが生活保護課の業務の第一目的だろう。

これだけの文章をいちいちまとめていくのは大変なので、例によって年表形式を利用して、事項を整理していく。

2004年2月 最高裁、グレーゾーン金利が有効と認められる例外について「厳格に解釈すべきだ」との判断を示す。

金利の上限については、利息制限法(15〜20%)と出資法(29.2%)の2種類がある。貸金業法では20%以下だが、債務者が任意に支払うなら29%までの利息が可能であった。これがグレーゾーンである。

06年1月 最高裁、「明らかな強制だけでなく、事実上の強制があった場合も、上限を超えた分の利息の支払いは無効だ」とする判断。さらに過払い利息は過去10年に遡り返還請求が可能とする。

06年 新司法試験が導入。弁護士の合格者が大幅に増加し、失業弁護士が大量に出現。多くが過払い金案件に群がる。

この頃ホームロイヤーズ(現:弁護士法人MIRAIO)が登場。自己破産1件28万円という低価格を売りに,債務整理の「市場」に参入。事務職員を何十人も雇って、大量の事件処理を行わせるビジネスモデルを開発。

08年 日本貸金業協会、全国の業者が返還した過払い金は約1兆円に達したと発表。報酬金を20%とすると法曹界は2千億円を獲得したことになる。

09年7月 日弁連、債務整理事件の受任にあたっては、依頼者と直接面談することを義務化する指針を定める。

この他にも例えば、「過払い金のつまみ食い」などが現れた。依頼者の他の借金は無視して過払い金返還請求だけを行うやり口。

10年9月 業界大手の武富士が会社更生法の適用を申請。過払金の返還請求の急増で多くのサラ金の業績が悪化。

東京地裁では不当利得返還請求訴訟(過払金返還請求)が通常訴訟全体の半数を占める。

11年2月 日弁連、「債務整理事件処理の規律を定める規定」を制定。法曹界の自粛を促す。「つまみ食い」の禁止、個別面談義務、報酬の上限20%など。

12年11月 アディーレ法律事務所、過払い金回収案件が15万4219件、804億1781万円に達したとホームページ上で公表。報酬金を20%とすると160億円強の収入となる。

2016年 最高裁判決後10年を経て、過払い金返還請求バブルが終りを迎える。(筈ですが)

と、一通り経過を書きました。


まぁよくある話で、「悪徳」ではあるが、すれすれ違法とは言い切れないあたりで荒稼ぎしているようです。

一昔前は、医療でも儲け主義としか言いようのない、眉をひそめるような病院がゴロゴロしていましたから、弁護士だけを悪しざまに言うのも気が引けます。

ある記事では弁護士事務所を街場系とビジネス系に分けていましたが、いずれにしても本来の目的は債務者の救済にあるわけなので、過払い金返還にあるわけではありません。

その観点から見ると、債務者救済に親身になってくれる街場系の法律事務所にお願いするのが一番ではないでしょうか。

毎日通勤の車でラジオを流している。ほとんどが無駄話だが、その分、運転が疎かになることもないのでやめられない。

しかし、最近の法律事務所のCMには辟易する。ある種の貧困ビジネスなのだろうが、一体なぜこんなに流行るのか気になる。

いくつもの事務所がこれだけの宣伝コストを掛けて、かつ儲かっているのだからかなり割のいいビジネスなのだろう。しかし債務者=貧困者を相手にこれだけ儲けるということに、どうも胡散臭さを感ぜずにはいられない。

そこで「法律事務所 債務整理 ビジネス」のキーワードでグーグル検索してみた。山のように法律事務所のサイトが引っかかってくるが、それに混じって法律事務所に対する疑問を呈するページもかなりの量に達する。

一応挙げてみると

有名弁護士事務所まで非弁提携で市民を食い物に! | ビジネスジャーナル

債務整理事件の「市場」で起きていること - 黒猫のつぶやき

1億円以上の年収を得た弁護士が続出した、過払い金返還バブルをまとめ ...

過払い金のつまみ食いって何? - 教えて!債務整理

自己破産ビジネスの横行 “法の庭”徒然草 頼れる弁護士 白川勝彦の 白川 ...

よくある質問|依頼した弁護士・司法書士とのトラブル・セカンドオピニオン ...

債務整理のお話し(3)~弁護士とコマーシャル 法律事務所にテレビCMは ...

「債務整理ビジネスで増加する“違法弁護士”の実態(後編) 」 - livedoor Blog

という具合。少し小当りしてみるか。

その前に、幸いなことに債務で悩んだことがないので、債務整理という概念がさっぱりわからない。

そこで下記のページでお勉強。

北海道合同法律事務所(札幌) || 任意整理Q&A

11項目のQ&Aが載せられているが、まあ、「読めば分かる」と言えば分かるし、分からないといえば分からない。

Q0: 任意整理とはなんですか

答え 任意整理は、利息制限法を上回る金利で借りた人が、過払い利息を元本に組み入れて債務額を減らす手続です。

要は借金(違法金利分)の減額ですね。

Q1: 任意整理を弁護士に依頼する場合には、何に注意したらいいですか。

答え 全ての借金について正直に話すことが大切です。

そうでしょうね。

Q3: 任意整理の対象とならない債務もあるのでしょうか。

任意整理の対象となるのは、銀行やクレジット会社、サラ金、商工ローン等からの借り入れです。住宅ローンや自動車ローンは任意整理の対象とはなりません。

基本的には「住宅や自動車は売れ」ということでしょうね。

Q4: ヤミ金から借り入れてしまいましたが、その場合も相談に乗ってもらえますか。

答え 出資法に違反する高金利で貸付をするいわゆる「ヤミ金」から借り入れてしまった場合、弁護士が介入すれば早期解決につながります。 この場合にも正直にお話しください。

相談には乗るが、それは「任意整理」(利息制限法)とは別の話(出資法違反)ということになる。

Q7: 弁護士に任意整理を依頼した後も、債権者(貸主)に返済を続けなくてはいけないのですか。

答え 弁護士に任意整理を依頼した後は、債権者に返済する必要はありません。弁護士が債権者に「受任通知」を送ると、債権者は直接請求をすることができなくなります。

それだけでも有り難いことです。

Q9:    銀行のカードローンなどは、任意整理をしても意味がないのでしょうか。

答え 金利が利息制限法の範囲内であれば、債務額があまり減らず、任意整理のメリットが十分にない場合もあります。残債務額によっては、「個人再生」を利用した方が適している場合もあります。

個人再生というのは良く分からないが、いわゆる「自己破産」のことか。

合同法律事務所のサイトには「任意整理」、「個人再生」、「自己破産」の3つが並べられている。良く分からないが「個人再生」というのは“隠れ自己破産”みたいな感じらしい。

Q10:   任意整理で、「逆にお金が返ってきた」という話は本当でしょうか。

取引期間が長い場合には、制限利息と過払い利息の差が元本を超える場合もありえます。この超えた部分が「過払い金」と呼ばれるものです。

過払い金があったとき、弁護士は債権者(貸主)と交渉をして返還を請求します。回収した過払い金は、他の債務や弁護士費用の支払いに充てますが、それでも余りが出た場合には、依頼者の方にお返しします。

これがCMでおなじみの「逆にお金が返ってきた」という宣伝だが、この説明を聞くと、宝くじ並みの確率のようだ。

ということで、まずは仕組みについてあらあら分かった。次に、それで法律事務所が儲かる仕組み。前掲の記事にあたっていくことにする。

「国沢 福岡 タクシー」でグーグルしてみると、もう一つの記事がある。

ほかならぬ国沢さんのブログで、2016年12月5日の発信。事故の翌日である。

題名は「福岡で高齢運転手のタクシーが暴走?(4日)」というもの。

急いで書いたものらしく、あまりまとまりはないが、それだけに率直な感想が伺える。

書き出しは

ニュース見てると何が本当で、何が間違いで、何がワザと危機感をアオっているのか解りにくい。

ということで、「わざと危機感をアオッている“何か”」をひしひしと感じているようだ。

もう一つがプリウス(の過去)にかこつけて、

また「プリウスなので暴走した」と根拠無いデマを流す輩も少なくない。

とプリウスを擁護する。

国沢さんによれば、「初期型プリウスのトラブルはブレーキ抜け」なのだそうだ。

「ブレーキ抜け」については国沢さんが別の記事で説明している。正直のところよく分からない。ただ対処法は分かっている。
「もしプリウスですっぽ抜けに遭遇したなら、そのままブレーキを踏み込むこと。瞬時に油圧は立ち上がります」ということだ。

そのうえで、国沢さんは事故原因を次のように想定している。

疑われるのは踏み間違えか、フロアマットにアクセル挟まったのか解らないけれど、機械的にアクセル全開になったということである。

つまり初動段階では国沢さんは踏み間違い説に立っていると考えられる。

いずれにしろ車載のEDR(イベントデータレコーダ)にエアバッグ展開した手前の状況が残されており、そいつを解析するだけで判明するだろう。

ここまでは自動車評論家として無難な記事だが、この後警察批判が始まる。

こういったデータ、警察が全て握りつぶしちゃってるあたりに問題ある。

そして、その典型例として「札幌で燃えたPHVの情報」を持ち出す。恥ずかしながら、札幌に住みながらこの事件は知らなかった。たしか他の三菱車炎上事件は記事にした覚えがあるが…。

三菱自動車に聞いてみたら「警察や消防から何の問い合わせも無く、こちらとしては調べようがなく困ってます」。200Vの普通充電中に燃えたことだけ伝わっているため、充電を必要とするクルマに乗ってる人はみんな不安。記者クラブに入ってないメディアは取材すら出来ないし。

と続く。

この最後の「記者クラブに入ってないメディアは取材すら出来ないし」というのがどうやらこの記事のキモのようだ。

このあたりが伏線になって、馴れ合い記者クラブのはしゃぎぶりに「頂門の一針」となったわけだ。

たしかに福岡県警の記者クラブは爪剥がし事件でも、警察の片棒担いでバッシングしたもんな。

三菱自動車の発火事件は以下の記事を

そこに一石を投じたのが 自動車評論家の国沢光宏さんが書いた「福岡の暴走事故、フロアマット2枚だけが原因ではない」である。12/10(土) 21:14の投稿となっているから、一通り報道が出回ったすぐ後に書かれたものと思われる。
国沢さんが真っ先に指摘するのは、「福岡県警に思い込みがあるのではないか」ということである。
そう言われると、北九州の病院での「爪剥ぎ事件」で、看護婦さんを1ヶ月も拘置所に閉じ込めて無理やり有罪に仕立てたのも福岡県警の「思い込み」だったね。
この後の話はかなり専門的になる。
1.ブレーキ・オーバーライド
プリウスには、「アクセルとブレーキを同時に踏んだらブレーキを優先させましょう」という仕組みが導入されている。 これが「ブレーキ・オーバーライド」と呼ばれるシステムだ。
だからアクセルペダルにマットがかぶさっていたとしても、ブレーキを踏めば止まるはずだ。
2.アクセルがマットに引っかかる確率は低い
アクセルを目一杯踏み込まない限りアクセルペダルがマットの下に挟み込まれることはない。事件の発端、すなわち公園で暴走が始まったときの状況からは、このような事態はきわめて考えにくい。
3.負圧に頼らない強力なブレーキシステム
プリウスには、負圧(アクセル戻した時にブレーキ力を高める装置)に頼らない強力なブレーキシステムが装備されている。マニュアル車におけるエンジンブレーキのことのようだ。
だから、どのような状況のもとでもブレーキを強く踏めば必ず止まる。「プリウスはそのくらい優れた車なのだ!」
ということで、国沢さんは警察のおかしな挙動にも触れている。
そもそも暴走事故の99%はアクセルとブレーキの踏み間違いか、フロアマットの引っかかりに起因する。自動車関係者ならどんなシロウトだってこの二つを疑う。なのに警察がフロアマットが2枚だったことを公表したのは本日。そしてブレーキ・オーバーライドの機能については未だ考慮に入れていない。
報道各社の動きは国沢さんの記事の後ばったりと止まってしまう。国沢さんの記事は正論だが、妖刀村正のようで、どちらにどう切れるのかが見て取れない。読みようによっては「プリウス、褒め殺し」ともなりかねない。だから途方にくれているのではないだろうか。
国沢さんは
いつまでも自動車ユーザーの不安を煽る情報ばかり流していないで、正しい事故原因の公表をお願いしたい。
と、警察にきついお灸をすえた上で、今後の原因解明に向けて以下の提言を行っている。
とにかくEDR(イベントデータレコーダー)の情報を開示すること。エアバッグが開いた事故は、必ずEDRに記録されている。
その中で重要な情報は
1)衝突時の速度。
2)アクセルの操作状況。
3)ブレーキの操作状況。
4)加速していたのか減速していたのか

という4種類の情報だ。
たしかに新聞でも「県警はEDRの解析を急いでいる」と書かれている。しかし、もし急ぐなら上記のデータはすぐにでも開示できるはずだ。あんたがたシロウトに「解析」しろとは頼んでいない。生データをそのまま公開しろということだ。それならすぐできる。
遅くなればなるほど、「何かを隠そうとしているのではないか」と勘ぐられることになる。福岡県警のためにも、それは好ましい事態ではないだろう。
*これとは別のデータもあるはずだ。
車両のセンサーが故障を 検知した際に車両の状態を記録する「フリーズフレームデータ」が 車内のコンピューターに残っている可能性もある。(毎日新聞 12/10(土) 3:00配信 )
ということだ。こちらはあくまで可能性だが…

あまりにも大きな「誤報」の可能性があるだけに、もう少し状況を見聞したい。

グーグルで「福岡 タクシー 二重マット」で検索してみる。

産経以外の報道はないかと調べてみると、日経新聞が同日に同内容の報道を行っている。

運転席の床に備え付けてあるマットの上に、市販のマットを重ねて置いていたことが10日、県警への取材で分かった。

運転席の足元には純正品のマットの上に市販のマットが重ねてあったという。

朝日新聞は同日に「病院突入のタクシー、マットずれペダル操作に影響か」という記事を掲載している。

運転手が「(運転席の)マットの上に、市販のマットを敷いていた」と供述していることが分かった。「上のマットは買った」と説明。固定されていない状態で、事故前にずれた可能性があるという。

と具体的である。

毎日もほぼ同様の記事を掲載していることがわかった。

【平川昌範、佐野格】 の署名入り記事で、12月11日 07時00分にアップされている。産経の報道から1日遅れの後追いである。

タクシーと同型車にはアクセルとブレーキを同時に踏むとブレーキが優先されるシステムが導入されている。

とも書き加えられている。

ということで、産経の勇み足ではないことが分かった。産経の記事を元にしたコメントが圧倒的に多いのは、ネットの世界で一番利用しやすいのが産経だからというのにすぎないようだ。

記事そのものは朝日のほうがはるかに具体的である。


ということで10日の時点で、二枚重ね説が圧倒的になった。とくに背景としてアメリカでの「暴走」問題で二枚重ねが原因の多くを占めていたことが、その印象を強めた。

コメントの中には明らかにトヨタ側に立って、トヨタ無罪説へと流し込むような記述もかなり目立つ。



いずれにせよ、この記事は少し自力で調べてみないと、確たることは言えない。

グーグルで “プリウス 福岡 タクシー” で検索してみたらものすごい数のヒット数だ。探偵気分で事故原因を追究する記事もてんこ盛りだ。どう手を付けたら良いのかわからないくらいだ。

目下、原因をめぐってはマット派と反マット派に二分されている。赤旗の記事はマット問題に触れていないが、触れていないということ自体が反マット派であることを意味するとみてよい。

ということで、マット説をまず調べてみよう。

マット説が浮上したのは12月9日。これは「捜査関係者のリーク」という形で明らかにされた。

報道(産経新聞)によると、

タクシーの運転席の足下には、備え付けのマットの上に別のマットが重ねて敷かれていた。2枚はメーカーの純正品と市販の社外品で、上に敷かれたマットは特に固定されていなかった

ただしこれは正式な発表ではない。しかも事故発生(3日)の6日後ということで、十分に怪しい。

その前の報道は車両の不具合が濃厚という方向で足を揃えていた。

それが、どうもこの記事以来、沈黙しているような気がする。

これだけ全国報道されたのだから、はたしてそれが事実なのか福岡県警に問い合わせるべきだろう。イエスかノーか、それともノーコメントか。その結果くらいは報道すべきではないか。

ただ、事実として他社はこの報道に追随していないようだ。

10日の朝日新聞

事故後に県警が運転席を調べたところ、ペダルを踏む支障になるような物は見つからなかった。

これが本当だとすると、なぜか6日後にマットが出現したことになる。

同じく10日の毎日新聞

アクセルとブレーキの踏み間違え事故を研究する立命館大の土田宣明教授は「踏み間違えは誰にでも起こりえる。しかし今回が踏み間違えだとしたら、300メートルも判断を切り替えずにアクセルを踏み続けたことになり不思議だ」と話す。

ここでもマットの話には触れられていない。

なお途中から車が加速したのは、ドライバーがエンジンブレーキをかけようとしてシフトダウンしたのが原因のようだ。

このほかNHK読売新聞と調べたが、二重マットについての言及はゼロ。面と向かっては否定しないが、完全に無視している。

ひょっとすると、この産経新聞の報道は“ガセネタ”の可能性もありそうだ。

プリウスがやばい

12月3日にプリウスのタクシーが病院に突っ込んだ事件。

「ブレーキとアクセルの踏み間違い」と考え、最近頻発する高齢ドライバー問題と同じだと思っていた。

しかしそれに疑問を呈する記事が赤旗に掲載された。遠藤記者の調査報道だ。

1.ペダルの踏み間違いが考えにくいわけ

まず、記者はヒューマン・ファクターが考えにくい理由を列挙する。

A) 運転手は64歳で高齢とはいえない。健康状態は問題なく、アルコールも検出されていない。個人タクシーで過労状態でもない。

B) 94年に個人タクシーの営業許可をとって22年、熟練ドライバーということができる。運転の技倆・経験ともに申し分ないといえる。

C) 車は「ブレーキが利かない」状態で、350メートルを暴走している。この間、および事故直後においても運転手の意識状態には明らかな異常はなく、体調の変化もない。

これらの点から、記者はきわめて慎重な言い方ながら、「プリウスの側に何らかの問題があったのではないか」と強く示唆している。

2.プリウスの側に問題があった可能性

そこで、記者はプリウスの側に問題があった可能性について調べている。

A) 関係者の証言

自動車業界関係者(匿名)は「運転技術があるタクシーの運転手が、20~30メートルならまだしも、300メートルも暴走して、その間何も手を打てなかったのは奇妙だ」と話します。

B) 国交省の「不具合情報」

国交省は01年以降、ユーザーの苦情を「自動車のリコール・不具合情報」で開示している。

「プリウス」で検索すると、「ブレーキの不具合」が128件あった。また「エンジンの急加速(吹け上がり)」が17件あった。

もちろんこれらすべてが製品の不具合に起因するものではないだろうが、実際にあるのだ。

3.緊急時の対処法がない

ここが一番の問題になる。今回の事件は、緊急時対応法が事実上なかった可能性を示唆している。プリウスのような高度に自動化された製品においては、フェールセーフ機構のあるなしは致命的なものとなる。

A) トヨタ側の説明

取説に「車両を緊急に停止するには」という項目が書かれている。

①ブレーキペダルを両足でしっかりと踏み続ける

②シフトをN(ニュートラル)にする

③パワースイッチを3秒以上押し続けて、ハイブリッドシステムを停止する

ただハイブリッドシステムが停止すると、パワーブレーキ、パワーステアリングなどが効かなくなるらしい。

「ブレーキの利きが悪くなり、ハンドルが重くなるため、車のコントロールがしにくくなり危険です」と警告されている。

B) トヨタのおすすめ

記者は取説を踏まえた上で、トヨタ自動車東京本社に問い合わせた。

答えは以下の通り。

(取説)は予期せぬ事態が起きたときに備えて、それに対処するために記載しているだけだ

お薦めしているわけではないということだ。

通常は暴走などの具体的な不具合は想定していない。

「なぜならプリウスは絶対安全だから」ということなのか。原発と同じ論理で、「安全神話」の上に「想定外」の言い訳が乗っかる構造だ。

フェールセイフの発想はそもそも存在しないのだ、ということになる。

4.私のささやかな経験 自動装置は壊れるものだ

20年前、エプソンのラップトップを使用中に突然ピンク色の煙が上がった。煙は5秒ほどの間猛烈に吹き上げた後自然鎮火した。もちろんエプソンはお陀仏となった。

15年前、ブラックアイスバーン状態でカペラを運転していた。スリップした途端にエンジンは切れ、ハンドルは固定され、車はそのまま進んだ。赤信号で停車中の車に追突して止まった。そもそも20キロ程度のノロノロだったから、幸いなことに先方は無傷だった。

半年前、レノボのパソコンが高熱を発しお釈迦になった。16万円の当時最新機だったが、修理に出したらCPI周りが溶けていて、修理不能と言われた。

1週間前、我が家の電気冷蔵庫が突然止まった。冷凍食品は全て解けてだめになった。日立のサービスマンが来て天板を開けてプリント基板をちょいといじったら元通りになった。

「最近は自動調整機能が極めて多いので、リレーが混線してしまう」という話だった。「よくあるのか」と聞くと返事を濁していたが、少なくはないようだ。

そういえば、20年近く前、近くの北広島の養護施設に自衛隊のジェット機から180発の機銃弾が撃ち込まれる事件があった。

あれも、パイロットが操縦桿を右旋回したら、自動発射装置が誤作動してしまったのが原因だった。

機械は壊れるものだ。しかも壊れたら対応不能だ。

装置の心臓部はブラックボックス化し、いざという時に手に負えなくなっている。


奨学金の改善をもとめる若者集会での発言。赤旗からの転載です。
平川さん

すみません。実情を知らなくて、利子がこんなに取られるとは知りませんでした。
どういう計算になるのか。
4年間で総額456万円を借りた。これを20年ローンで返済することになる。
例えば住宅ローンだと、住宅保証機構のサイトのシミュレーションに入れると。
500万円借り入れの20年償却で、均等割で返済すると返済総額は5,518,620円と出てくる。
利子は52万円だ。奨学金の利子の半分ということになる。
三菱UFJの住宅ローンの試算だと、約 5,702,420 円と出てくる。それでも利子は70万円どまり。
貸し倒れリスクが上乗せされているのだろうか。たしかに返済率は相当悪そうだが。
無償給付する本来の奨学金制度がすぐに実現できないのなら、まずは住宅ローン並み(できればその半分くらい)に金利を下げてやることが必要だろう。
そのうえで、「悪質滞納者」については、審査の上で、裁判に出るとか債権を競売にかけるなどの強硬手段も必要かもしれない。
とにかく景気の良かった時代とは違う。仕送りも親のスネもやせ細っている。ホンキで考えないと、この国の明日は真っ暗だ。

過労自殺に至る心的機転は雨宮さんの説明でよく分かる。

ただ、天下の大企業である電通の事件であり、東大卒の超エリート社員の話である。ある意味、私らごときが悩んでどうなるようなレベルではない。

ある程度の忙しさ・ストレスは承知の上で、彼女は就職したはずだ。それに、なんとなれば電通をやめたとて食うに困るような境遇ではないはずだ。

そこには、やりがいのなさ、給料の安さ、失業の恐怖に悩みながら働く居酒屋チェーン青年のストレスとは異質のストレスがあるはずだ。

しかもこの会社、以前にも同じような事件を起こしており、基本的に反省していないことが窺われる。

やはり業種・職種の特殊性とか、企業風土みたいなものを念頭に置かないと理解はできないのではないだろうか。

あるツイッターでどこかの大学教授(元ビジネスマン)が「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」と書き込んで大問題になったそうだ。さらに「自死はプロ意識の欠如だ」と追い打ちをかけている。(BLOGOSより重複引用)

時と所をわきまえない無神経な発言には腹が立つが、一番問題なのは「月100時間で自殺するとは変だ」と思わないことだ。その思考停止ぶりが非常に気になる。

「愛する部下」だったかもししれない人の自死に、これほど無頓着な人物には、管理職は務まるまい。だから大学教授になったのかもしれない。

まず月100時間という数字の怪しさだ。

月25日勤務として、超勤100時間は1日4時間になる。たしかに異常に多いとはいえないかもしれない。私も若手の頃には10時前に帰ったことはなかった。

おそらく実際はそれをはるかに超えていたろうと思われる。

本人のTwitterでは「誰もが朝の4時退勤とか徹夜とかしている中で新入社員が眠いとか疲れたとか言えない」と書かれている。

この言葉が実情であれば、うちわに見ても150時間は越える。

もし自殺するかしないかの分かれ目が某教授の言うように労働時間により規定されるのなら、たしかにこの女性の労働時間はその一線を越えていた可能性がある。某教授はまずそのことに気づくべきだった。

もう一つ。

この教授が「自殺するのはプロ意識の欠如」と断じている点である。前段が「思い違い」として許せるにしても、これはプロ意識の重大な履き違えがあり、教授としての資質が問われると思う。

むかし、稲尾という名投手がいた。日本シリーズでは7試合中6試合を投げ優勝に貢献した。「この時神様、仏様、稲尾様」と名付けられた。弱冠19歳のことだ。

その後も鉄腕稲尾の名をほしいままにしたが、結局10年で肩を壊し選手生命を絶たれた。

某教授はこういうのを「プロ意識」というのだろう。それはそのまま「特攻隊精神」だ。

これが「マイウエイ」だと、彼がこだわるのなら構わない。しかしそれを人に押し付けてその結果人が死んだとしたら、その死はあんたの責任である。


エリート社員と過労自殺とをつなぐものは「プロ意識」である。なぜなら「プロ意識」は「撃ちてしやまん」精神に置き換えられてしまっているからである。

しかし電通のような業界にあって、エリートとはどのようなものなのだろう。私たち世代にとってCMというのは三木トリローだったり柳原良平であったり、野坂昭如であったりする。どちらかと言えばアイデア勝負のヤクザな連中である。片足でそういう連中をうまいこと使いながら、もう片方の足で業界にはめ込んでいくのがエリートなのであろう。

であればその人には、片足ヤクザ的なキャラクターが求められるだろう。どっちにしても「特攻隊」にはそぐわない。そんな仕事からは良い作品は生まれない。良い作品を生み出せない人は「プロ」ではないのだ。




雨宮処凛さんが19日の日付で、ブログに書いている。

電通過労死認定から、この国の非常識な「普通」を考える という題だ。

たいへん良い文章で、いちいち納得してしまう。

ハラスメントは、過労死・過労自殺に必ずと言っていいほどつきまとう。

と切り出して、次のようなインタビューを紹介している。

本当は、はっきり言えば上司なんですよ。かならず過労死って3人くらい、上司がかかわっているんですよ。ダメな上司が3人いると死んじゃう。

もう一つは周囲が関わらないことだ。

私に投げかけられたのは、「正社員だったら今時それくらい普通だよ」という妙に冷たい言葉だった。

これで彼あるいは彼女は周囲から切り離され、自分を責めるしかなくなる。

雨宮さんは、ここでもう一つ追い打ちをかける。

ギリギリのところで踏ん張っているからこそ、「辛い」という人が許せない。弱音を吐く人が癪に障る。「ついていけない」とか「無理」なんて、一番の禁句だと信じ込まされているから。

そして生き留まった人は、その代償として心が「壊れて」行き、生贄を求めていくようになる。

こういう集団的な力動過程のもとで、「過労死」が生み出されていく。

おそらく雨宮さんの事例は、自殺した電通社員のことが念頭にあっての、パワハラ自殺にやや偏った過労死分析ではあろうが、実際にはその比率が圧倒的に高いことも事実である

雨宮さんによれば、15年度に過労死で労災認定された人は96人。未遂も含む過労自殺は93人となっている。

日本の過労死統計のほとんどは過労自殺が占めているのである。逆に言えば自殺以外の過労死はいまだ闇から闇へと流されていることになる。

とすれば、過労自殺を過労死に含めることが逆の意味で正しいかどうかも疑問になってくる。

過労自殺の本質は過労そのものより過労を強いているものにありそうで、そこへの対処が問題になりそうだ。

電通過労死問題は大変ずっしり来る課題である。

しかし、どう切っていったらいいのか、切り口の見えにくい問題だ。

根底にあるのは不況と就職難だろう。さらに労働規制の緩和も拍車をかけている。

景気のいいときにも過労死問題はあった。しかし、それは「やめりゃいいじゃん」の世界でもあった。いまの過労死は働きすぎるほど働いても、その先が見えない過労死だ。しかも簡単にドロップ・アウトする訳にはいかない状況のもとでの過労だ。

ただ、以前の過労死がクモ膜下出血だとか、心筋梗塞だとかいう病気だったのに、最近はほとんどがウツ→自殺という形態を取っていることに注意が必要だ。

ウツというのは何もなくてもなる病気で、だからうつ病なのだが、過労が引き金になってのウツというのは、正確にはウツではなく神経症ないし心因反応ではないか。

そしてその原因は過労という宙に浮いたような抽象的なものではなく、過労を強いていた周囲の圧力にあるのではないかと思う。

その辺の精神力動的状況をチェックすることが、医学的には必要かと思う。いささか過激な言葉を使うならば、彼もしくは彼女は「殺された」のであり、「殺した犯人」を見つけ出さなければならないのではないか。

時として過労やストレスは人を襲う。それは避けようがない。しかしそれが死に至る結末へとつながらないようにするには、「二次予防」が必要であろう。

昨日のテレビでパーボ・ヤルビと武満徹の娘が対談していた。といっても武満の娘が一方的に喋って、それをヤルヴィが一生懸命聞いているのだが、とても面白かった。
武満は作曲家=芸術家というより作曲屋さんで、とにかく朝起きてはせっせと曲作りをして、それが午前中で終わると後はフリータイム。あえて言えば「充電時間」に当てていたという。
こういうのが「勤勉」というのだろうな、と思った。
確かに「勤勉」は美徳だが、1日10時間以上も働くのが勤勉ではない。
野球のピッチャーなら成功しようが失敗しようが1週間に一度しか投げない。だからといって決して残りの6日間を遊んでいるのではない。脳ミソを絞って、体力を一気に発散できる時間はせいぜい4,5時間なのである。それがサステイナブルな生産スタイルなのである。
労働スタイルではない。労働なら1日10時間、それを週に5日間なら十分働ける。
労働と創造にはそれだけの違いがある。しかし逆に言うと週に50時間労働できる体力と経験なしに週に10時間の創造は維持できないのである。



 

講演レジメ

あるサイトの見出し

来る2025年、高齢者向けの市場規模は100兆円超え!介護産業は15兆円規模に!果たして介護ビジネスに“儲かる”土壌はあるのか!?

という文字が踊る。

この見出しには少し説明が必要だ。

①2025年というのは団塊の世代がすっぽり70歳超えの老人となる年を指す

②高齢者向け市場とは、医療・医薬品産業、介護産業、生活産業の三分野を指す。そのトータルが100兆円ということだ。現在は65兆円程度らしい。もちろん生活産業の比率が最も高く5~6割を占める。

③その3分野の中の介護産業が15兆円となる見通しということになる。15年では10兆円だそうだから10年で1.5倍化する予想だ。

これはみずほコーポレート銀行の調査によるものだそうだ。

高齢者市場というのは当然あって、富裕とまでは行かなくてもいささかの預金もあり、豊かに老後を送りたいという要求があるなら、商売は成り立つ。

しかし介護産業は他の2つの分野とは明らかに異なる。そもそも儲かるわけがない事業だからである。(医療も医薬品を除けば同断だ)

いくら市場規模が大きくても、それは「擬似市場」であり、本来的に儲けが出るような性質のものではない。高齢者介護というのは半ば公的な事業であり、全資源を注ぎ込むべき非営利事業だからだ。

しからば、介護事業を営利対象として見る人々はどこに注目しているのか。少し勉強してみよう。

1.利益率は8.4%

総務省の平成24年度経済センサス「産業分野別の売上高営業利益率」(いわゆる粗利益率)によると、社会福祉・介護事業は8.4%。これは専門技術サービス、不動産、飲食サービス、医療、複合サービスについて高い。建設、製造業が4%台だから倍以上になる。(逆に言えば、この種の統計は実情をまったく反映していないともいえる)

1.介護各分野の利益率

介護事業の収支差率: 全サービス加重平均では8%

サービスの種類別にみると下表の通り

各サービス

2.国と厚労省のやり放題

ただし、これらの数字は厚労省の胸先三寸、さじ加減でどうにでも変わる。下のグラフを見れば一目瞭然である。

事業形態別

引用元文献によれば、

国の施策の方向性と連動して、拡大したい分野の報酬を上げて、減らしたい分野の報酬を下げる。「施設から在宅へ」という流れがあるため、現在の方向は一層強化されるだろう。

また、介護経営実態調査等によって、「財政的に余力がある」と判断された分野は、もぐらたたきに会う。

以下は別資料からの引用

全産業平均のH25年度の年収は414万円となっている(国税庁「平成25年民間給与実態統計調査」)

これに対し福祉施設介護員の年収は「22万円x12プラスボーナス」で306万円程度と推定される(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)

2.周辺産業の発展

最初にも述べたように介護事業は決して営利でやれるものではない。しかしその周辺には利益を生み出す構造はある。

高齢者向けのメニューである宅配、見守りサービス、家事代行などのサービスなどがこれに相当する。

3.ハード面はさらに厳しくなる

下の図は厚労省の「施設・事業所調査の概況」からのグラフである。

事業所数1

事業所数2

事業所数3

このグラフを見れば、全体的傾向ははっきりする。

全体を特徴づけているのは、高齢者の増加による全体的増加傾向ではない。介護療養型医療施設、いわゆる老人病院の激減である。

これは決して自然的傾向ではない。政府・厚生省による狙い撃ちの結果であることは明らかだ。

そこで行き場を失った老人が老健施設・介護福祉施設に押し出されている、というのがこの間の経過だ。

しかも後者は前者を吸収しきれていない。それが在宅にあふれ始めているのが実態だ。

なぜそうなったのか、それは高齢化社会だからではなく、国の責任放棄の結果なのだ。

実は「高齢化社会」はまだ始まっていない。高齢化は始まっているが。まだ「お達者高齢社会」なのだ。

政府は「高齢化社会」を口実に国民から消費税をふんだくり、自己負担を重くし、介護の中身を劣悪化し、それを大企業と大金持ちのために注ぎ込んでいる。それがこの間の実態だろう。

これから「病弱高齢化社会」が進行していけば、この矛盾は耐えられないほどに激化するだろう。

メディアによる国民だましと小選挙区制のからくりがいつまで通用するだろうか。

4.通所介護事業は絶対に持たない

介護報酬改定で小規模の通所事業がほとんど致命的な打撃を受けたことは、前に記事に書いた。

これに代わりチェーン型の通所が増える可能性がある。

しかしこれら通所サービスは、根本的に利用者のニーズに適合していない。

第一に通所サービスは一定の家庭介護の能力を前提にしているが、それが崩れ去りつつあるからだ。

団塊の世代は親に子供を預け共稼ぎをして生活を向上させてきた。親が倒れると、老人病院に入れてでも仕事を続けた。

そういう生き方を見て育った子供が、親たる団塊の世代を世話するとは思えない。そのつもりがあっても、彼らにはそのような余裕はないのである。

だからこれからの利用者ニーズは、半端な通所系よりも入所系サービスに集中するしかないのである。

第二に利用者の貧困化がある。

利用者の自己負担なり一部負担に依拠して経営しようと思っても、そのような金銭的余裕のある利用者などそうざらにはいない。

だから否応なしに介護報酬に頼らざるをえない。まさに政府・厚労省の思惑によって翻弄されざるをえないのだ。

倒産

帝国データバンク「医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査」からの引用である。

やや古い資料だが、肝心なことは介護報酬の改定がもろに倒産へとつながっていることだ。

結論を言おう。老人福祉事業は決して“儲かる”経営ではない。しかも生殺与奪の権利を握る政府・厚労省は何時でも潰す気でいる。投資しようと思っている方には思い直すよう忠告する。もちろん社会貢献であれば大歓迎だが。

「小規模デイサービスは、もういらない」というのが政府・財務相・厚労相の考えだ。

週刊朝日 14年11月

国は潰したい?小規模デイサービス

1.主導は財務省

介護報酬の「現行からの6%程度引き下げ」を主張。6%削ったとしても、「運営に必要な資金は確保できる」とする。

2.株式会社・フランチャイズで乱立

企業は全国800カ所以上でFC展開している。「月に100万円の収入は確実」と宣伝。

FC加盟料300万円、毎月、ロイヤルティーなどの名目で20万円をとる。設置者がリスクを背負う。

競争激化で採算が悪化。人手不足が拍車。

3.行政からの締め付け

人員体制や介護内容などの届け出が義務化された。サービスの質を維持するためのガイドラインも策定した。(これは当たり前だ)

介護分野の昨年の求人倍率は2倍、介護福祉士養成校の入学者も減って、定員80人に対しわずか20人だ。

赤旗 15年3月

介護報酬を4月から大幅に削減

上乗せの「加算」を除けばマイナス4・48%と過去最大規模の削減となる。
特別養護老人ホームで6%弱、小規模のデイサービス(通所介護)では9%以上も減額された。グループホームの基本料も6%弱の切り下げとなっている。
「出る釘は打たれる」結果となった。政府のやることは要するにモグラ叩き、カンナで削るだけの減点方式だ。

特別養護老人ホームは、巨額な内部留保(1施設3億円、全体で2兆円)のため、収益性の高さから注目された小規模デイサービスは、急増したことがあだとなって介護報酬上の抑制措置が取られた。廃業する事業者が続出、介護基盤崩壊の危機となっている。

全国老人福祉施設協議会は今改定で「5割近くの施設が赤字に転落する」と試算。
北海道で89事業所を対象としたアンケート: 77%が報酬改定で「経営は後退せざるを得ない」と回答。対応は「賃金・労働条件の引き下げ」31%、「人員配置数の引き下げ」42%。「事業所廃止」19%。

小規模デイサービスを狙い撃ち

小規模型デイサービスでは要介護者は約9~10%の報酬削減、要支援者は市町村の事業となり、さらに報酬が下げられる(推計25%)。現場の試算では年間200~300万円ほどの減益となる。これでやっていけるところは殆どないだろう。

これで終わらない小規模デイサービス

小規模デイサービスへの風当たりの強さはまだまだ続く。小規模デイサービスは1年の経過措置を経て、地域密着型デイサービスに移行する。定員10名の小規模デイサービスは、もういらないということだ。こんな調子で毎年いじられたのでは、介護事業は到底長期の方針など立てられない。かくしてますますブラック産業化していくのである。

問題は二つある。

まず一つは、小規模デイサービスはいらないのかということだ。

答えは、はっきりしている。必要だ。

ただ、量と質の問題はある。とくにフランチャイズ制で儲けを至上目的とするようなデイは有害かもしれない。

ただそれは、運営基準を厳しくしていけば良いので、それがクリアできるような施設なら大いに奨励されるべきだ。

逆に、そのへんのおじさん、おばさんが預かるような「託老サービス」の形態は、共助の観点からも、介護難民を生じさせないためにも、限界集落の崩壊を防ぐためにも、柔軟に取り組むべきだと思う。

もう一つの問題は、財務省主導で、目先のそろばんだけで動いて良いのかどうかということだ。

結局そこで浮かせた金は、法人税減税とか公共事業とかに回ることになる。それから見れば、どんな欠陥があろうとも、はるかに生きた金の使い方だ。

少なくとも、その金は老人福祉の分野で使うべき金であって、富裕層のための金ではない。

 

ケアマネ・タイムス」というサイトに

介護業界「勝ち組」の法則と課題

というレポートが掲載されている。2012年の記事なので少々古いが、紹介する。

1.大手企業の特殊性

介護事業における厳しい経営状況や従事者の低待遇が問題になっている。

しかし有名大手企業の売上高は軒並み「右肩上がり」となっている。

営業利益率については2006年度に一時的な停滞があったが、10年度には総じてプラスに転化した。

2.利益を上げる2つのポイント

第一に、利用者を囲い込み、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとなる。

第二に、パートタイマーもふくめ臨時雇用者等の比率が高いことだ。

3.大手企業が業界を制圧したらどうなるか

第一に、介護保険サービスのみに頼らざるを得ない低所得者層の利用者は行き場を失う。

第二に、低所得者層も視野に入れつつ、地域のセーフティネットを担おうという事業所は淘汰される。

第三に、「介護を一生の仕事としたい」という労働ニーズは拒絶され、介護という労働分野全体がブラック化する。

4.著者(福祉ジャーナリスト 田中 元さん)のまとめ

介護報酬の大幅な伸びが期待できないまま、上記のような事業所が淘汰され、介護士が駆逐されていった場合、それは「国民の安心」を担う介護事業のあり方として正しい姿なのでしょうか。


2013年07月17日もご参照ください。まったく事情は同じです。 

横浜市が一気に保育所の待機児童をゼロにしたというので安倍首相が「横浜方式」だとはしゃいでいたが、どうも怪しいとは思っていた。

少しづつ数字が出てきている。

まず驚くのが人件費比率。保育所の人件費比率は全国平均で71%となっている。まずまず妥当な数字だ。
これが「横浜市内で株式会社が運営するある保育園」では約40%ということだ。我が目を疑う数字だ。
差額でもとらない限り、収入はどこも大差ないはず。ということは一人あたり給与が40÷71=56%に抑えられていることになる。
申し訳ないが、正直、保育所の保母さんの給料はお世辞にも高いとはいえない。ぎりぎり一人暮らしが可能な程度だ。
その半分ということになると、想像を絶する額だ。まさにブラック保育園だ。

そうやって浮かせた100-56=46%の金を、“利益”として計上することになる。なぜなら株式会社であり、営利企業であるからだ。
横浜市では株式会社の比率が25%に達している。全国平均は2%だから、この間の横浜市での保育所増設分の殆どを株式会社が占めることになる。

人件費比率40%は決して突出した数字ではないことが分かる。

さらに困るのは、このような給与でスタッフを確保するのは無理があるということだ。たぶん保母さんが7人やめたら、この保育園は潰れるだろう。現に2ヶ所がすでに潰れているという。
赤旗ではあるケースが報告されている。

この保育所では保育士7人が一斉退職した。給与は手取りで14万円、賞与は年2回1万円ちょっとだった。
給食も粗末で、から揚げなら子供は1個、保育士は3個だけ、子供も保育士もお腹をすかせていました。

これがブラックでなくて何なのか。

営利企業は逃げ足が早い。
しかしママさんパワーは強い。舐めてはいけない。
「市が認可したのだから市が後始末しなければならない」、ということになる可能性がある。そうなれば、市は結局高いものを掴まされたことになる。

此処から先は酒飲み話。
レイプの社会的背景を探ることは深刻な課題である。
不倫はそれとはまったく異なる。
午後のテレビのワイドショーで、有名タレントの息子のレイプ疑惑と歌舞伎役者の不倫騒動がまったく同じトーンで扱われていた。
メディアはこの2つの違いが見えなくなっているらしい。
不倫は私事であり、メディアが「審判」すべき事例ではない。場合によっては弁護しなければならないことすらある。
なぜなら「倫」そのものが「不倫」であることさえありうるからだ。
とかく口さがない連中に限って、自らの卑しい好奇心を「正義」の名により合理化する。そんな連中の片棒をメディアが担ぐのは「報道の自由」の自殺行為になる。
「自由恋愛」、おおいにおやりなさい。「浮気の自由」を推薦するわけではないが、「自由」は守ります。これが報道に当たるものの矜持ではないか。

「2ちゃんねる」に「元 性犯罪加害者のその後の生活を見守る」というスレッドがある。
むかしは各家庭にゴミ箱というものがあって、そこを開けるととてつもない悪臭がして、気を失いそうになったものだが、まさにそういうスレッドだ。
性犯罪者の心境が赤裸々に語られていて、半分は嘘だろうが、ところどころ真に迫るものがある。
そこには「余りある性欲」というものは感じられない。①劣等感とそれと裏返しの②憎しみと、③虚無感が「性欲」に流し込まれているように思える。
「世間は彼らを遠巻きにして、真綿で首を絞めるようにして抑圧している」と彼らは思っている。
「少女」は世間の弱い部分の代表なのであろう。だからその「世間の裂け目」に向けて「生」がほとばしり出る。これまで自分に加えられた軽蔑とかいじめとかが睾丸に貯めこまれていて、それが“抵抗しない世間”に向けて一気にほとばしり出る。
他所の国では性犯罪者はDNAに刻み込まれた精神病質者であり、生かしておくこと自体がためにならないような議論になっている。
これは一面では正しいかもしれないが(本人たちもそう思っているようだが)、一面では間違っているようだ。
正しいというのは、彼らは生きている限り再犯の可能性があるということであり、間違っているというのは、それがDNAにより規定されているのではないということだ。(例えば大久保清のごとく、DNAで運命づけられた性犯罪者が存在しないと言っているわけではない)
あくまで彼らの主観にそって考えるとすれば、こうなるだろう。
彼らは人間として生きることを否定された(と感じている)存在であるが、非人間的に(獣的に)生きることを許容された存在だ。
レイプとは、人間であることを否定された(と感じている)人間の非人間的な代償行為であり、彼らはレイプすることで世間に復讐し、“生きている”ことの意味を問うている。
宮沢賢治の詩のように「雨ニモ負ケズ、風ニモマケズ」というのが世間の道徳だが、雨にも負けて、寒さにも負けて、なおかつ生きている人間の、自らの在りように対する理不尽な合理化だ。それは根拠の無い「被害者意識」と結びつくことで確固としたものになっていく。
そしてその合理化は生きる実感(復讐)としてのレイプへとつながっていく。
したがって彼らが社会への怒りを感じている限り、それを理不尽に合理化する限り、その理不尽な行為を、真の意味で悔い改めることはないだろう。
彼らの思考や発言はいわゆるネトウヨときわめて近似している。彼らが少女をレイプする代わりに「嫌韓デモ」で旗を振れば、それを喜ぶ人はたくさんいる。「理不尽な合理化」が必ずしも理不尽ではなくなってくる。
なぜ「朝鮮人の馬鹿野郎」と叫べば英雄視され、なぜ小学生をレイプすれば非難されるのか、彼らには分からないのではないか。そこに時代の理不尽さがある。

鳥飼車両基地に関する記事が、突如としてアクセス・ランキングしたので「何事か」とグーグルしてみる。9月2日に大阪地裁の判決が出たという。摂津市側の全面敗訴だ。とりあえず前回記事後の経過を追ってみる。まずは摂津市のホームページ。

経過表が補充されているので、提訴後の経過を追ってみる。

平成27年1月30日 大阪地方裁判所において、JR東海に対する裁判が開始された。第1回口頭弁論では森山市長が意見陳述を行っている。

6月2日 参議院国土交通委員会において、辰巳参議院議員(共産党)が、本件について質問した。(たつみコータローのブログ

7月17日 JR東海の揚水試験に対し抗議文提出、とある。JRは裁判などお構いなしに試験を実施しているようだ。

今年に入って、事態が急展開した。

平成28年1月7日 大阪府がJR東海の工業用水法に基づく井戸の許可申請を認可した。そういう通知が大阪府から摂津市にあったそうだ。

この時点で、行政的には外堀を埋められたことになる。

そして6月には結審し、

9月2日 大阪地方裁判所は、「原告(摂津市)の請求をいずれも棄却する」との判決を下した、という経過だ。


この経過にそって、肉付けしていきたい。

平成26年11月、摂津市の提訴に対応する形でJR東海は一般市民向けの「お知らせ」を発表している。全文がPDFファイルでアップされている。

① 井戸水活用計画は“進めている”。

② 場所は鳥飼車両基地の“茨木市エリア”である。

③ “災害時に上水道が断水した場合”に備えるものである。

④ しかし井戸水は“安定的に活用”する。

前から問題になっていたように、③と④は矛盾する。「非常用」であれば何ら問題はないので、④の意味がはっきりしないのだ。

後の方の文章にもこう書かれている。

当社では日頃から井戸水を安定的に活用することで水を確保し、災害時においても新幹線を運転できるよう…
…なお、井戸が故障した場合に備え、上水道も併用していく考えです。

わかりますか、この文章…

わからない人には次の文章がある。

現在井戸水が毎日相当量汲み上げられている茨木・摂津市域で地盤低下が生じていないことを考えれば、この程度の汲み上げ量が加わっても、周辺で地盤沈下が起きる恐れはない…

語るに落ちるというのはこのことで、恒常的な汲み上げを行うつもりでいることは間違いないのだ。しかも万が一に備え上水道も使うということだから、基本的には必要な水を地下水で賄おうということだ。

「地盤沈下が起きる恐れはない」というのは鉄面皮だ。現に地盤沈下が起きてしまっているから問題にしているのだ。

最後に欄外に但し書きがある。

*この計画は摂津市と結んでいる環境保全協定の適用は受けないと考えています。

たしかに茨木市エリアではあるが、そこは摂津市の真ん中に食い込んだ茨木の飛び地である。それに茨木なら何をやっても構わないというのでは協定の精神に対する侮辱ではないか。(たしかに茨木も茨木だが)


JR東海は掘削禁止を求める裁判が始まった後、掘削を続行した。

去年の11月には掘削を完了。くみ上げた地下水を利用するための手続きを開始した。市側は「係争中の裁判の結論が出るまで待ってほしい」と要望した。

この要請は無視された。そして今年に入ってからは汲み上げを開始した。それがすごい。

1日当たり750トン汲み上げる予定のところ、3倍以上の地下水汲み上げを行いました。この量は、以前摂津市で地盤沈下が起きた時の汲み上げ量をすら上回るものです。

そして「汲んでみたけど地盤沈下は起こらなかった」といって、そのデータを裁判所に提出した。(増永わきさんのブログ

これって、大人のやることだろうか。

むかし一休さんという民話があって、

「この橋通るべからず」と高札があるのに、一休さんが堂々と渡ってしまいました。門番が咎めると「いえ、ハシは通っていません。真ん中通ってきました」と答えたとさ。

これは笑い話だが、JR東海のやることは笑って済ませるようなものではない。

判決とそれをめぐる反応については、もう少し時間を置いてから調べてみたい。

「広義の失業率」統計が始まる

昨日の赤旗の記事。

例によって読みにくい記事だが、整理して紹介する。

これまでの失業率は完全失業率で、さまざまな問題が指摘されてきた。

これに対し米国では、「広義の失業率」が用いられてきた。

今回は、内閣府が米国の「広義の失業率」を元に試算した結果である。

というのが、記事のホネ。

1.計算の方法

完全失業率では、失業者のうち①仕事があってもすぐに就業できない人、②求職活動をしなかった人や断念した人、③1ヶ月に何日かでも仕事をした人、④正社員になれず、やむなく非正規として就職した人、は除外されている。

「広義の失業率」はある程度これらを取り込んだものとなっている。

とくに④の人が問題とされている。

安倍首相は就業者数が増加したと強調するが、実際には低賃金の非正規ばかりが増えているからである。

2.試算の結果

今年の1~3月期で8.4%。同期で完全失業率は3.2%だった。

計算方法の細部はよく分からず、前後の比較もできず、国際比較も困難であるが、とにかく政府の試算でも8.4÷3.2=2.6倍の顕在+潜在失業者がいることが分かった。

一応、この2.6倍という数字は憶えておいたほうが良いだろう。

ノークラッチ車とかオートマ車なんて言葉が死語になって久しい。
それと並行してクルマの暴走事故が増えている。そのほとんどが高齢者だ。
私は以前の記事で、アクセルを右足・ブレーキを左足と分けてはどうかと提案したことがある。数年前までマニュアル車に乗っていたので、左手・左足がいかにももったいない。
しかしこれは世界中を走っている何億台という車の基本構造にかかわることなので、そう簡単には行かないのかもしれない。
そこで教習の時に、左足のフットレストのさらに左側にあるよう提案したい。
ブレーキとアクセルの踏み間違いは、とくにバックの時に起こりやすい。バック走行時は足もペダルも完全に視野の外にあり、全身走行時の記憶と足先の感覚のみが頼りである。
パニック的状況が起きた瞬間、自分の右足の下にあるのがアクセルなのかブレーキなのかの感覚は失われる。失われたまま何もしなければ、そのままそれは事故へと繋がる。思い切って踏んだとして、それがアクセルであったとすれば、さらに悲惨な状況になる。
この時に左足を移動させて手動ブレーキ(昔はハンドブレーキといったが今はパーキング・ブレーキというらしい)を踏む訓練をしておけば、事故は防げるのである。また駐車中は必ずパーキング・ブレーキをかける習慣を身につけることである。
それにしても自動車はどうして危険な方向に進化していくのかがわからない。
ハンドブレーキもなくなってしまった。エンジンブレーキもなくなってしまった。サイドミラーはドアーに着けられるようになって視界は狭くなり、前方との同時視も不可能になった。
そのくせ、それで危険になった分どうして安全性を高めるかという変な方向に技術が走っている。エアバッグの前に考えるべきことはたくさんあるはずだと思うが。
人はなぜ「ブレーキとアクセルを踏み間違える」のか!?を参照しました。

赤旗労働面に面白い記事があった。

「最賃アップ 俗説 退治  米労働省HP」というもの。

外信の紹介ではなく、自社記事のようだが署名はない。

これは米国の労働省の公式ホームページの記事を紹介したもので、元の題名は「最低賃金伝説バスターズ」となっている。見出しとしてはこちらのほうがキャッチーである。(元ネタは日弁連貧困問題対策本部の訪米調査団が米労働省で発掘してきたパンフレットらしい)


とりあえず記事の紹介。

米国の労働省はオバマ政権の最低賃金引き上げ政策を支援している。運動をすすめるために、最賃の引き上げに反対する「俗説」(デマ宣伝)を否定する解説を掲載している。これが「最低賃金伝説バスターズ」というコーナーだ。

一問一答形式になっているようで、そのいくつかが引用されている。

最賃引き上げは10代の若者だけの利益になる?

事実ではない。最賃引き上げで利益を得る人の9割は20歳以上だ。

最賃を上げると人々が失業する?

事実ではない。最賃が上がっても、雇用には全くマイナス影響はない。事実は需要が増え、雇用が成長し収益が増えることを示している。

中小企業には最賃引き上げの余裕が無い?

事実ではない。最賃引き上げは商品やサービスの需要増加に役立ち、ビジネスチャンスを作る。

最賃引き上げは失業を増やす?

事実ではない。カリフォルニア州では最賃を引き上げたが、カリフォルニアのレストランの売上高はほとんどの数を上回っている。

サンフランシスコでは最賃を時給1360円に引き上げたが、サービス業の雇用は伸びている。

最賃引き上げは企業にとって良くない?

事実ではない。より高い賃金により離職率が激減する。その結果採用と教育訓練のコストが削減される。これは企業に好結果をもたらす。

最賃引き上げは経済に悪影響になる?

事実ではない。この80年間で最賃は25セントから7ドルまで引き上げられた。しかしその間に一人あたりGDPは着実に増加している。

というところ。

一番肝心なところ、それは日本の政府とは逆の宣伝を行っていることだ。


とりあえず、記事の紹介は以上のとおり。

ということで現物を見に行こう。

Department of Labor のサイトにMinimum Wage Mythbustersというページがある。ディスカバリーチャンネルで放送されている番組『怪しい伝説』(MythBusters)をもじったものらしい。

“Myth”が15項目並べられていて、これに対する回答はすべてNot true: で始まる。

解答はきわめて簡潔なもので、これを読んで使用者との交渉に臨めば勝利は疑いなし、という虎の巻だ。

暁(あかつき)部隊のネット情報

私はかつて暁部隊の被爆者について調査し、発表したことがある。その時、集められるだけの史料は集め、関係者の聞き取りもしたつもりだった。

しかし現在ではネットでかなりの資料が閲覧可能であり、知らなかったこと、誤解していたこともあることが分かってきた。

以下、とりあえずネット上調査の結果をまとめておきたい。

まずネット上の資料を挙げておく。グーグルで登場順に並べたものである。

まずは軍内の位置づけ

1.陸軍直属の組織として船舶司令部(宇品)があり、、戦時における軍隊・物資等の船舶輸送を指揮統率した。所轄の兵は船舶兵と呼ばれた。最大18万人が在籍したという。

2.司令部のもとに二つの司令部(教育船舶兵団司令部、船舶砲兵団司令部)と野戦船舶本廠、船舶砲兵団、船舶練習部、船舶衛生隊、船舶防疫部などがおかれる。

3.管轄下の各部隊は「暁部隊」と通称された。これは各隊が秘密保持のため「暁○○部隊」という兵団文字符(秘匿名)をつけられていたことからくる。

 

次に船舶司令部と部隊の沿革

1889年(明治22年) 日清戦争に備え、宇品港が軍港として整備される。宇品島は本土と陸続きの宇品町となる。ここには、のちに改めて水道が設けられ、暁橋がかかる

1894年(明治27年) 宇品港に運輸通信支部が開設される。

1904年(明治37年) 陸軍運輸部条例発布。宇品の「台湾陸軍補給廠」を改編し「陸軍運輸部」を設置。対岸の金輪島に造船所を建設(現在の新来島宇品どっく)

1937年(昭和12年) 第二次上海事件発生に伴い、陸軍運輸部長(中将職)のもとに第1船舶輸送司令部を編成。司令部を宇品に置く。

1940年(昭和15年) 第1船舶輸送司令部をベースに、船舶輸送司令部が臨時編成。司令部は引き続き宇品。

支部を大泊・小樽・東京・新潟・敦賀・大阪・神戸・門司・釜山・羅津・大連・高雄の12箇所に設置。

1942年(昭和17年) 戦争激化に伴い、船舶輸送司令部を船舶司令部に改編。宇品の司令部のもとに、3つの船舶輸送司令部(門司、上海、昭南)が設置される。

船舶司令部は他に船舶兵団も管理することになる。その後第4(ラバウル),第5(ダバオ)船舶輸送司令部が増設される。

1943年

2月 宇品に陸軍船舶練習部(少将職)が設置される。

8月 宇品に野戦船舶本廠(少将職)が設置される。

1944年10月 セブ島の船舶兵団司令部が宇品に移設され、教育船舶兵団司令部と改称される。

1945年(昭和20年)

1月 第7船舶輸送司令部が編成される。

5月 大本営海運総監部が新設され、全船舶を国家船舶として一括管理することになる。実務的には船舶司令官が国家指定船の統一運用をおこなう。

 

爆発時の状況

1.爆心地の状況

軍の機能は広島城周辺の中国軍管区司令部は壊滅し、司令官が被爆死する。広島駅北側の東練兵場に駐屯していた第二総軍もほぼ機能停止となる。

中国地方総監府・広島県庁・広島市役所も大きな被害を受け機能停止。消防機能も壊滅していた。

宇品の船舶司令部はほぼ無傷の状態。とは言っても、朝の体操をしていた兵士はほとんどが大やけどを負っている。

爆心と宇品
   ヒロシマ新聞より転載

2.被爆後の救援・整理活動

下の絵はきのこ雲の形成過程。

被爆証言を残そう!ヒロシマ青空の会 1集原子爆弾爆発時の状況より

下の写真は

宇品から見た中心部
ヒロシマ新聞より転載。午前9時ころ、宇品の船舶練習部から中心部方面をとった写真である。おそらく2,3キロ位のところまで煙(二次火災)に包まれており、それから先は見えない。

以下はヒロシマ新聞より引用。

直後 船舶司令部は、佐伯文郎司令官の指示で第二総軍、県庁、市役所などに電話連絡を試みる。いずれも不通のため、兵士を各方面に偵察に出す。

午前8時50分 消火艇、救護艇を川から市中心部へ派遣。あわせ救護、消火活動に各部隊を振り分ける。(宇品には全国から徴用された民間船が集結していた)

午前9時 被災者が船舶司令部に集まり始める。当初は被害を受けてない軍医二人、衛生兵三人、看護婦五人が治療に当たる。

殆んどが全身火傷で、すすだらけで黒ずんだ顔。髪の毛や衣服はぼろぼろに焼けちぎれ、肌は焼けただれたり火ぶくれになっていた。皮膚はたれ下がり、又、皮膚や肉片が衣服にくっついていた。担架に乗せようとすると皮膚がずるりと剥けて、手のほどこしようがなかった。
…火傷臭と死臭の漂う収容所内で何度も遺体の搬出をおこなった。船で似島(検疫所)へ移された。

午前11時 佐伯司令官、中国地方の各基地に対し、「敵の新型爆弾が広島市に投下さる。各基地は全力を挙げて復旧救援に従事せよ」との指令を発出。

午前12時 江田島・幸の浦基地の部隊(船舶練習部第十教育隊)が宇品に到着。そのまま市内に進出し救援作業に当たる(この部隊は特攻隊で、ボートで敵船に突っ込む訓練をしていた。マルレ艇を見よ)

午前12時 千田町の広島電鉄本社に指揮所を設置。負傷者の救護にあたる。宇品では対応できないと判断した司令部は、対岸の似島検疫所へ船による輸送を始める。(金輪島へも多くの負傷者が運ばれている)

午後1時 宇品地区の水道が減水。幸の浦基地より衛生濾水器を輸送し、水を確保。罹災者に乾パン、作業着、蜜柑缶詰などを配給する。

午後2時 この時点までに収容した負傷者は1300人。その後も後を絶たず。

夕方 船舶教育隊(石塚隊)が紙屋町、八丁堀のあいだの屍体発掘作業。

7日、船舶司令部の佐伯司令官が「広島警備本部」として市内の救援活動や警備活動の指揮をとることとなり県庁・県防空本部を指揮下に入れる。
爆心から宇品方面を


四道将軍を書くのに、山口組のたとえを持ち出したが、書いていて意外と山口組の歴史があいまいであることに気付いた。

やはり一度は山口組年表を押さえて置いた方がいいだろう。

ウィキペディアによれば、山口組は日本最大規模の指定暴力団で、現在は六代目となる。組員数は約14,100人(構成員6,000人、準構成員数は約8,000人)

その構造は以下の如くである。

山口組本体の組員は100名程度だが、組員それぞれが自前の暴力団を抱えており、これらは「直参」(直系組長)と呼ばれる。これは、「組長の弟」を意味する6名の「舎弟」と、「組長の子供」を意味する「若衆」にランクされている。

山口組の象徴は「山菱」というマークであり、「代紋」と呼ばれる。

1915年(大正4年) 「大嶋組」傘下の山口春吉、神戸港の沖仲仕50人を束ねる「山口組」を結成。人夫供給だけでなく、浪曲興行にも進出。

山口春吉は淡路の漁師の出。1910年ころに神戸に出て労務者兼用心棒となった。倉橋組を経て1912年ころに大嶋組の傘下に入る。

1925年(大正14年) 山口春吉の実子である山口登が山口組二代目を襲名。

神戸中央卸売市場の開設。山口組が大嶋組に反乱。「死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得る」(ウィキペディア)

1932年(昭和7年) 山口組、正式に大嶋組から独立。

1932年 やくざの出入りで相手を刺殺。服役する。

1942年(昭和17年) 二代目組長の山口登が死亡。このあと組長不在の時代が続く。

1943年 田岡一雄が出所。神戸市湊川で山口組系田岡組を組織。

1946年(昭和21年) 三国人との闘争で名を挙げた田岡一雄が三代目組長に就任。この時点で山口組は組員33名にまで衰退。港湾荷役と神戸芸能社を柱に組織を再建。

1953年(昭和28年) 山口組若衆山本健一が鶴田浩二を襲撃。ウィスキー瓶とレンガで殴りつける。田岡は襲撃を指示したとして逮捕されるが、不起訴処分となる。
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田岡と鶴田浩二(1952年)Wikipediaより

1954年 谷崎組と新開地の縄張りをめぐって衝突。山本健一が谷崎組若頭を襲撃、重傷を負わせる。その後谷崎組は崩壊。

1957年 小松島抗争。地元のやくざの抗争に山口組が介入。組員115人を動員して小松島へ乗り込む。山口組の全国進出のきっかけとなる。

1957年 別府抗争。2ヵ月に渡り県内外の暴力団員約400人がにらみ合う。山口組系の勝利に終わり、対立組織は解散。

1959年 横浜ブルースカイ事件。これはなかなか面白い事件です。ウィキペディアをご参照ください。田岡の判断ミスから起こった事件ですが、もうすこしで山口組と稲川会の正面衝突になるところだった。

1960年 明友会事件(第一次大坂戦争)。山口組が大坂最大の暴力団「盟友会」(在日系)を制圧。

1962年 博多事件(夜桜銀次事件)。明友会事件のあと福岡に潜伏していた山口組組員「夜桜銀二」が地元やくざに殺される。山口組は戦闘員250人を福岡に送り宮本組、大島一家などを威圧する。

1962年 篠田建市、名古屋の山口組系鈴木組内広田組の組員となり、司忍を名乗る。

鳥取抗争

広島代理戦争

1963年(昭和38年) 田岡一雄、田中清玄らとともに「麻薬追放国土浄化同盟」を結成。市川房枝らとともに麻薬撲滅運動を展開。

1964年 第一次頂上作戦。直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するが、まもなく勢いを盛り返す。

1965年(昭和40年) 山口組が日本最大のやくざ組織となる。この時点で傘下424団体、構成員は総勢9450名に達する。

1965年 田岡一雄、心筋梗塞で入院。若頭の地道行雄は山口組解散へと動く。山本健一ら若頭補佐の反対で挫折。地道は失脚する。

1975年 山口組と松田組による「第3次大阪戦争」が勃発。

1978年 田岡一雄が京都のクラブ・ベラミで松田組系大日本正義団の組員に撃たれ負傷。その後松田組は山口組による報復で、10人近い死者を出し崩壊。

1978年 田岡組長、肝臓病が進行した山本健一に引退を迫る。まもなく山本は保釈を取り消され収監される。

1981年7月 三代目田岡一雄が死去(急性心不全)。収監中の山本若頭に代わり、山本広、中西一男、竹中正久、中山勝久ら7人の幹部組長による集団体制が組まれる。

1982年2月 若頭の山本健一(初代山健組組長)が肝硬変で死亡。若頭補佐の山本広が組長代行、竹中正久が若頭となる。この時点で、2府33県の559団体が傘下に入り、構成員は1万1800人に達する。

1984年6月 若頭の竹中正久が四代目組長を襲名。中山勝正が若頭となる。田岡の妻の強い意向とされる。

6月 組長代行だった山本広は反発し、20人の組長とともに「一和会」を結成。

6月 名古屋の弘田組はいづれにもつかないまま解散。司忍がこれを引き継ぎ弘道会を立ち上げる。

1984年8月 和歌山県串本町の賭場で射殺事件。山一抗争が発生。この時点で山口組参加者は直系組長42人・総組員数4690人、一和会参加者は直系組長34人・総組員数6021人だった。

1985年1月 竹中正久、若頭の中山勝正、ボディーガード役の南組組長を伴い吹田市江坂の愛人宅に向かう。待ち伏せていた一和会系山広組のヒットマンにより暗殺される。この時点ですでに勢力は逆転し、山口組1万人、一和会2800人となっていた。

1985年 渡辺芳則(山健組二代目組長)が若頭代行を務める。山口組による報復が激化。300件を超える抗争事件が発生。一和会側に死者19人負傷者49人、山口組側に死者10人負傷者17人が出た。

1989年 一和会会長の山本広が引退。一和会は解散し、山本は山口組本家を訪れ詫びを入れる。山一抗争が終結。

1989年 渡辺芳則が山口組五代目を襲名。宅見勝が若頭に就任。名古屋弘道会の司忍は若頭補佐となる。

1989年 竹中組は一和会との和解に反対し、山口組を離れる。その後山竹抗争を経て崩壊。

1992年 直系組織が120団体まで拡大。

1992年 暴力団対策法が施行される。

1995年 阪神淡路大震災が発生。渡辺組長の陣頭指揮による組織ぐるみの救援活動を展開。

1997年 若頭の宅見勝、ホテルの喫茶室で山口組中野会系組員により射殺される。流れ弾に当たった歯科医師も死亡。

2004年 渡辺芳則、組織運営の全権を執行部へと委譲し組織運営の全権を執行部へと委譲。噂話としては、渡辺・宅見ラインの金権腐敗ぶりが嫌われたとされている。

2005年

5月 渡辺芳則、突然の引退表明。中部ブロック長の司が若頭に就任。司忍が渡辺に引退を迫ったという「クーデター説」が流れる。

7月  司忍が六代目を襲名。若頭も弘道会の高山清司が務める。

12月 司忍、銃刀法違反により懲役6年の実刑判決が確定。府中刑務所に収監される。

2007年

2月 東京で住吉会系との抗争が勃発(麻布戦争)

3月 山口組系水心会幹部が長崎市長を射殺。

2008年

10月 山口組、井奥会など11団体を「絶縁」する。

2011年

4月 司忍が刑期を満了し出所。これを機に関東の住吉会とも和解。工藤会と道仁会のみが山口組に対して独立を継続。

2015年

8月 山健組(井上邦雄組長)、宅見組(入江禎組長)など直系組長13人が山口組を離脱。

9月 離脱した13団体と新加入した1団体が、あらたに神戸山口組を結成。互いに相手組織の切り崩しを図る。

 

ということで、

5代目から6代目への移行の経過は今のところ、闇の中である。調べていくと、どうも殺された若頭の宅見勝という人物がキーパーソンのように思えてくる。相当頭のいい人物ではあるが、それだけに、嫌われる素質を十分すぎるほどに備えている。彼のようなやり手を前にすると、山口組は全国組織としてどうあるべきかという問題を、倫理上の問題として突き付けられるような気がしてくる。やくざに倫理をうんぬんするのも何なのだが、やはりそれがないと組織は成り立たない。

印象としては、山口組が全国組織となった以上、こうした事態がいつかは来るべきものであったのではないかと思う。

大和朝廷が、周囲に力を伸ばしていったある瞬間に、地方の声が集中的に反映される時期が来るのではないかということだ。地方は中央権力にむしられ続けるためにだけ存在するわけではない。たとえやくざといえども、取り分の公平さは実現されなければならないものだと思う。

 

以下は、1989年に広島で行われた「原爆後障害研究会」で研究発表した時の発表原稿です。

後に共著「原子力と人類」でその要旨を発表していますが、表のいくつかを割愛していたため、今回そのまま掲載します。

はじめに

当協会(北海道勤労者医療協会)での被爆者健診の経過を説明します。

北海道にも全道で500人を超える被爆者(被爆手帳公布者)がいます。北海道では従来、広島原爆病院より石田定先生が出張され、被爆者健診に当たられていました。(石田先生についてはこのページをご参照ください)

しかし被爆者の中では、「地元に安心してかかれる病院がほしい」という希望が強まってきました。

1972年(昭和47年)に被団協(北海道被爆者団体協議会)から当協会に、「被爆者健診に協力してほしい」との要請がありました。そして被団協、当協会に原水協(原水爆禁止北海道協議会)も加わって「被爆者健診をすすめる会」が結成され、独自の健診を開始しました。

当時、当協会は北海道の指定した健診機関ではなかったので、実施には苦労しました。その後、被団協を中心に北海道庁に対する働きかけを強め、1975年(昭和50年)に正式に健診機関に指定されました。

当協会では、現在、札幌病院が被爆者健診の指定医療機関となっています。(その後拡大し、すべての病院が指定されている)

被爆者健診 略年表

1964年(昭和39年)

北海道において、広島原爆病院の石田定医師による出張健診が開始される

1972年(昭和47年)

北海道被団協から、北海道勤医協へ健診への協力の申し入れ

1973年(昭和48年)

被団協、勤医協、原水協の三者により、「被爆者健診をすすめる会」結成。独自の健診活動を開始する。

1975年(昭和50年)

被団協をはじめ、「すすめる会」の働きかけの結果、道庁より「健康診断指定医療機関」の認可を受ける。

1984年(昭和59年)

健康管理手当の基準が「厳格化」され、当協会への転院者が増加。

1985年(昭和60年)

札幌医師会医学大会に「被爆者健診 10年間のまとめ」を発表。

1986年(昭和61年)

北海道被団協の生活相談会で、被爆者の病気の特徴について講演。

1987年(昭和62年)

北海道被団協の生活実態調査に協力。

1988年(昭和63年)

北海道民医連学術集談会に、「軍人被爆者の特徴について」を発表。

1989年(昭和64年)

広島の「後障害研究会」にパネリストとして参加し、研究結果を発表。

被爆者健診の概要

1988年(昭和63年)度の被爆者健診の受診者は160名でした。同年度の北海道全体の検診受診者は、道庁集計で約500名となっています。

下の図は、演者が被爆者健診を担当するようになってからの検診受診者の経年変化を示しています。

受信者数の変遷

この図から次のことが読み取れます。

まず第一に、被爆者健診の受診者が年ごとに増えていることです。これは全道レベルでもほぼ同様の傾向ですが、増加分の殆どが当協会受診の増加によるものであることがわかります。

このために受診者に占める当協会の割合は、1981年の21%から88年の32%に増加しています。

また、この8年間の総受診者は244名に達しております。

このような大きい比重を占めるに至ったのは、被団協の積極的な働きかけの影響が大きいです。とくに軍隊関係の人達が戦友関係を通じて掘り起こしに貢献しているのが特徴です。

また当協会としても、被爆者健診を特別に位置づけ、健診機関中スタッフを増強し、日曜特別診療体制を組むなど各種の対応を行ってきました。

副次的には、健康管理手当受給資格が「厳格化」されたために、他所の病院で書類作成を断られて、当協会に受診するケースが増えたこともあります。

(管理手当の「厳格化」は被爆者援護法の趣旨に明らかに反しています。後に被爆者の粘り強い抗議を受けて、かなり緩和されています)

検診受診者の内訳

受診者のうちデータが調査可能な対象となったのは160人です。

法区分別の内訳を示したのが下の図です。

法区分

広島の被爆者が134人、長崎が26人です。

1号は直接被爆者です。これは爆発の瞬間に指定された地域内にいて被爆した人です。2号は爆発の瞬間には指定地域内におらず、その後2週間以内に入市した人です。

2号の場合、市内というのは爆心から2キロ以内とされ、1号被爆よりかなり狭く設定されています。このため3号被爆というのが別に設定されており、「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」人が該当します。

しかしその条件もきわめて特殊な環境に限定されたものなので、最近はさらに3号の(3)項、すなわち「(1)、(2)には該当しないが、それらに相当する被爆事実が認められる方」も対象とされるようになりました。(89年時点では該当せず)

他に被爆者の区分として4号、胎児被曝がありますが、今回の調査対象にはふくまれていません。

次が受診者の性別・年齢別分布です。

受診者の分布

男性が109名、女性が61名であり、男性の数が圧倒的に多い。年齢別に見ると60歳代が突出している。しかもそれは男性に限られている。すなわち60歳代の男性が大集団を形成していることになります。これが軍人被爆者です。受診記録上は、総数は100名近くに達しています。

この年令は1987年の時点での年齢です。つまり被爆時点では彼らの多くは20歳代です。

この数字を見て、私たちはこの特異な集団、軍隊被爆者について分析を加えなければならないと思うようになりました。

ここまでが、当協会における被爆者健診の紹介を兼ねた長い前振りになります。

軍人被爆者と市民の違い (1)被爆の経過

そこで、被爆者を軍人被爆者(以下軍人)とそれ以外の市民被爆者(以下市民)に分け、軍人被爆者の臨床的特徴を探ってみました。

まず被爆のバックグラウンドですが、直接被爆者の割合、爆心からの距離については両群に有意差は認めませんでした。これは軍人被爆者の多くが直接被爆者でもあったことを示しています。

ついで、推定被曝量ですが、これは二つの問診で爆発時の放射能、フォールアウト(死の灰による被爆)を推定しました。

一つ目が「被爆時、あるいは直後1週間の間に熱傷・外傷あるいは胃腸炎・発熱・脱毛などの急性症状を起こしたか」という質問で、これにより熱線・ガンマ線の直接影響が強かったか弱かったかを推定しました。

被爆時の傷病

両群間に有意差はありませんでした。問診者によるバラつきやバイアスはありません。すべて演者による問診です。(演者自身のバイアスはある)

もう一つの質問が「いわゆる黒い雨に当たりましたか」というものです。

黒い雨については、当初市の西部の一部地域に限局されていたとされていましたが、その後、市内の各所で降ったことが証言から明らかになっています(松尾雅嗣「黒い雨はどのように記憶されたか」)。

黒い雨 地図

20%の人が雨にあたったと回答しています。これも両群間に差はありません。

つまり、急性・亜急性のガンマ線被爆については両群の間に差はないと推定されます。

それでは健診結果はどうだったでしょうか。

軍人被爆者と市民の違い (2)健診の結果

検診結果では軍人被爆者に明らかに異常が目立ちました。もともと健康だから兵隊になったので、60歳代とはいえ、見た目は人一倍元気に見えたのですが、検診結果は逆の傾向を示したのです。

最初が「データ異常数」です。下の表です。「疾病数」と書いたのはちょっと大げさかもしれません。

疾病数

健康診断ですから、病気とはいえなくても軽微な異常があればチェックします。60代ともなれば、血圧・診察・血液・尿・レントゲン・心電図のいずれかで、「叩けばホコリが出る」可能性はあります。

しかし、これを統計処理してみると明らかに両群間には差があります。軍人のほうがより多くのデータ異常を示しているのです。(すみません。面倒なので有意差検定は行っていません)

次にデータ異常の中でも、とりわけ差が目立った肝機能を取り出して、同じく両群を比べてみました。

これは肝機能の項目が少しでも正常域を超えれば、異常としたものです。アルコール、肥満、ウィルス、免疫等の異常については一切考慮していません。

肝臓障害の有無

たいへん雑駁な表で申し訳ないのですが、肝機能異常者の割合は市民が17.6%であるのに対し、軍人は28.0%と明らかな差を認めます。

ただこれは、軍人が男性オンリーであるのに対し、市民は女性が多く混じっているので、アルコールをふくむ生活の影響が否定できません。

実は、同時期に札幌病院で行われた成人病健診のデータの集計から同年代男性を抽出して、肝機能異常の出現率を出した所、軍人被爆者の肝機能異常者の割合が有意に高いという結果を得たのですが、データが散逸してしまいました。

しかし今調べても、市民、軍人ともに肝機能異常の出現率は一般市民に比べて明らかに高いだろうと思います。

三つ目が腫瘍の頻度の比較です。

この項目については明らかに時代の限界があります。当時はまだ「ガンの告知」などとんでもないという時代でした。

したがって演者の問診と推理で「腫瘍だろう」というものを拾いだしたものです。さらに、検診時にオプションで検査したCEAとCA19-9の異常者を加えたものです。

腫瘍の発生件数

これに関しては市民の方に発生頻度が高い傾向を認めたものの、例数が少ないため有意の差は出ないだろうと思います。

ただ特徴だと思ったのは、軍人のガンが胃(当時もっともポピュラーなガン)に集中しているのに対し、市民の方は乳がん、肺がん、咽頭部腫瘍など多彩であることです。

放射能への暴露の様式が両群間で異なり、これがガンの原発部位の違いに影響を与えていることも考えられます。

肝疾患に注目した二次解析

肝機能という有無を言わせぬ客観的データで、軍人被爆者の特異性が浮き彫りになったことから、肝機能に注目して二次解析を行いました。ただし例数が少なくなるので有意差の判定には慎重さが求められるでしょう。

距離別肝疾患

市民、軍人ともに3キロ以遠の被爆では肝疾患の頻度が減り、距離の影響があります。しかし3キロ以内では、両群ともにはっきりした傾向は認めません。

爆発時の放射能と肝機能異常との直接の因果関係、すなわち同心円的パターンは認められないといえます。

しかし被曝量に関係すると思われる「被爆時、あるいは直後1週間の間に熱傷・外傷あるいは胃腸炎・発熱・脱毛などの急性症状を起こしたか」という質問と肝機能異常を関係づけてみると、下記の表のようにかなりはっきりした特色が出てきました。

傷病体験と肝疾患

軍人の場合で見ると、傷病体験のある被爆者30人のうち14人に肝機能異常を出現しています。すなわち異常率48%という高率です。これに対し傷病体験のない軍人は28人中6人にとどまります。すなわち21%です。

いっぽう、市民被爆者は傷病体験と肝機能異常との間にまったく関係はありません。肝機能異常の出現率は33%です。

つまり、軍人の間の肝機能異常の高い出現率の原因は、このハイリスク・グループの寄与によるものだといえます。

また市民の傷病体験と軍人の傷病体験の間には「質的な違い」があると予想されます。それには軍人被爆者の爆発後の行動パターンについて検討して見る必要があるでしょう。

 

 

 

 

非正規社員が4割を超えたそうだ。

そんな中で、泣けてくるような笑い話。これは沖縄タイムスの記事だ。

とても良い記事なので、ぜひ元記事2015年11月11日)を参照してください。

「官製ブラック企業」  ハローワーク職員の7割が非正規

沖縄では、安定雇用を働きかけるハローワークの職員7割が非正規だ。彼らには労働契約法などの法律が適用されず、正社員登用の道もない。

HW

上図は沖縄県内の非正規雇用率を比較したもの。ハローワークでは圧倒的に非正規率が高いことがわかる。

非正規のため公務員法に基づく身分保障がない一方で、労働契約法やパートタイム労働法など民間で働く非正規労働者のための法律も適用されない。

次年度も働き続けられるか決まるのは、契約終了の1カ月前の公募試験。

筆記試験はなく、面接が中心だ。なぜあの人が受かり、あの人が落ちたのか。合否の基準は「よく分からない」のが実情。

限られた定員をめぐる公募試験の倍率は3倍前後。「まるで椅子取りゲーム」だ。毎年1~2割の同僚が公募に落ちて職場を去り、送別会の準備に追われる。

「職場の誰かが公募を辞退してくれれば、自分は次年度も残れるかもしれない。いけないと分かっていてもそう思ってしまう。職場の空気は悪く、本当につらいです」 と、県内HWで働く女性の非正規相談員は語る。

これって、全国共通なのか?

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