鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

カテゴリ:04 国内政治 > D 原発

熊本群発地震のあいだも川内原発がなんの対応もしないことに不満の声が高まっている。
この間のやり取りで、規制委員会の田中委員長の無責任さがかなり浮き彫りになった。以下は共産党井上議員の国会質問への感想。
田中委員長の見解は、一言で言えば「何もしない。不安はない」というものだ。これは個人ではなく、委員長としての発言としてはおかしい。
安全性をあらためて確認する責任は、立場上あるはずだ。
丸川原子力担当相の答弁もまことにおかしい。「これまでのところ川内現発で観測されたのは最大12.6ガルだ。想定基準地振動は620ガルだから、停止する必要はない」というものだ。
しかし益城町ではつい先日1580ガルを記録している。専門家の記者会見では、今後南西方向に地震が波及する可能性もあると、はっきり指摘している。
原発のきわめて深刻な危険性を鑑みれば、群発地震が収束に向かうまでは一時停止するというのが、論理的帰結だろう。未来永劫止めろと言っているわけではない(とりあえず今は…)
一番危険なのは、原発を管理する人物と、規制する人物、指導する人物にまったくそういう発想がないことだ。もし何かあれば「想定外だった」と言い抜ければそれで済むと思っている。
JRだって道路公団だって、その危険性を織り込んで、徐行したり運行中止している。「1580ガルが来たら止めます」などという人はいないはずだ。普通はそういうものではないでしょうか、皆さん。

川内原発を止めてください に協力を



原子力規制庁によりますと、午前0時3分ごろの地震で震度4を観測した鹿児島県薩摩川内市にあり、全国の原発で唯一稼働している九州電力川内原子力発電所1号機と2号機は、今のところ異常はなく、運転を続けているということです(NHK)

鹿児島県庁のホームページ

sendai sindo

このくらいなら連中はまったく気にしないだろう。なにせ1997年には川内市直下でマグニチュード6.5,震度6弱の地震が起きても平然と運行を続けた連中だ。

普通は徐行運転に切り替えるとか、運行を一旦停止して経過を見るとかするのが常識であるが、この連中にはそんな気はさらさらない。

良く言えば九州男児のきっぷの良さなのだろうが、「備えなくても憂いなし」

我々には工藤会も真っ青、ほとんど「キ印集団」と見受けられる。

原発は安全性の秤に乗せるには大きすぎる

1.安全性の議論はフェイル・セーフ機能の範囲内で行われるべきだ

原発の安全性はもう少し理屈の問題として詰めておく必要があるのではないか。

安全性という目盛りはたしかにある。論理的にも危険性の逆数として存在しうる。工学的にも多変量の連立方程式として算出しうる。社会的にも利便性と危険性認容の掛け算として想定しうる。

ただその扱える範囲には限界があるのではないか。歴史的にはその範囲は変化してきたし、拡大しつつある。それはフェイル・セーフの技術が発達してきたためである。

逆に言えばフェイル・セーフの機能が完全でなけれれば、あるいはフェイル・セーフ機能をはるかに越えるものには、そもそも安全性の概念は適用できないということになる。

2.社会的安全度という問題

一つの技術なりシステムというものの安全性は危険性の逆数だが、これが社会で汎用されるときには、利便性と秤にかけられる。

しかし実はこれだけではない。社会の多数の人が関われば関わるほど安全性は高度なものが要求されるようになる。

実験的な使用であればかなりのリスクは受忍されるが、多数の人がルーチンに使用するものなら、安全性ははるかに高度のものが要求される。

なぜなら事故が起きた時の影響ははるかに深刻だからである。

つまり利便性と危険性の秤は、その置かれた土台の広範性を念頭に置かなければならないのである。

3.量的・質的な安全性の限界

もう一つは、安全性が破たんした際の影響の深刻度がある。

これは薬の副作用を例にとるとわかりやすいのだが、薬局でもらう薬の説明書には副作用が書いてあるだろう。例えば吐き気などは極めてポピュラーな副作用だが、これはたいていは軽微であるために許容されている。

しかし数は少なくとも死に至るような副作用があれば、薬の使用に関しては厳しい注意が必要となる。

さらに常用量の問題があって、その範囲では安全性が確認されていても、10倍量飲まれたら安全性は保障できない。

つまり質的・量的な危険性は、安全性の秤を吹き飛ばしてしまうのである。

4.結論

原発は危険性と利便性の秤に乗せるには大きすぎる。

大きすぎるということは、物理的な危険性が現代技術の統制力の力を超えていることであり、その社会的影響力が社会システムの枠を大きくはみ出しているということである。

このことから考えれば、原発の安全性をうんぬんすること自体が論理矛盾であり、それは「安全性」の戯画に過ぎない。

肝心なことは、それを今まで認識できなかったことであり、今やっと認識できたということである。

原発に対する60年の認識の歴史は、結局、この認識に達するための歴史であった。

5.これからの原発

私個人としては、人間の力である程度統御が可能なレベルであれば、原子炉を用いた研究は続けるべきであると考える。

もちろん大型であろうと小型であろうと、原子炉の危険性は本質的には変わるものではない。

ただジェット機は墜落すれば数百人の命が失われる危険性を内包しつつ飛び続けているし、船は沈没すれば千人単位の命が危険にさらされる。

現代人は、今のところ、それを必要なリスクとして甘受している。

しかし原発はそのような安全性リスクの目盛りからははるかにスケールアウトしている。なぜ原発のようなビッグなシステムが、なぜろくな安全装置もなしに開発されたか、それはまさに原爆を製造するという目的のためであり、その副産物だからである。

戦争のための武器だから、どうせ人を殺すんだからということで、安全性にはさしたる考慮が払われないままに野放図に大規模化し、それがある日ぬっと娑婆の社会に乗り込んできたのだ。それが原発だ。

思えば不幸な生い立ちの子だ。

しかしこの子には、大きな将来性がある。一度サイズダウンしたうえで、正しく育てることは大事な仕事だろうと思う。


いろいろと、異論もおありでしょう。

私自身、意見変更の可能性もあります。とりあえずの感想としてお聞きください。

伊方原発が廃炉決定。まずは良しとしなければならない。

地図を見ただけでもその非人道性は明らかだ。事故が起きれば佐田岬半島の住民は皆殺しだ。

関連記事を見ていて、見逃せないポイントがあることに気付かされた。

それはヒトの問題だ。

建築後40年たつと、建てた時の人間はいなくなる。何かあったときに技術が継承されていないと、建築当事者には当たり前だったことが、まったく忘れ去られてしまう。

じつは、私の病院でも同じことがあった。同じ部屋にまったく違う電源があって、片方の電源がどこから来ているのかわからなかった。建設時の設計図や施行図を持って来いというが、これがなかなか見つからない。

結局最後は壁を壊しながら電線の先を探っていくことになった。最終的にはとんでもないところからきていることが分かり、しかも普通の差込口からの危うい電源であった。

「誰がこんなことをしたんだ」と怒鳴ったが、もちろんそんなことが分かるわけはない。強いて言えば「40年の年月がそうさせたのだ」と納得するほかない。

放射能による劣化が勿論最大の問題ではあるが。人間の脳みその劣化も頭に入れなければならない。安全性の技術を考える際にはヒューマン・ファクターを念頭に置かなければならない。

これは鉄則である。

川内に続いて高浜が再稼働(しかもプルサーマル!)、さらに伊方とどんどん進んでいく。

これらの動きで注目されるのは、再稼働がまったく無言のうちに進んで行っていることだ。

以前なら電力会社側が声高に電力の危機を騒いだものだったが、最近はまったく音無し。ある意味不気味な話だ。

福島の後、大企業側はNHKを動員して、電力が危ないと繰り返した。また電力料金が跳ね上がると脅した。

それが最近ではとんと聞かれないから、庶民の側では原発を再稼働する理由がさっぱりわからない。電力会社の都合としか受け取れないのだ。

福島以前、原発の宣伝は基本的には3本柱だった。安定供給、安全、安価という3つの「アン」である。

原発事故そのものが安全神話の崩壊を意味した。東大教授たちは大方の非難を浴び公の舞台から姿を消した。

さらに残る二つがひっくり返されていったのが福島以降の経過だ。とくに電力不足のキャンペーンは異常なものだった。

しかしこれはすでにクリアされた。もう「電気が足りなくなる」の嘘は通用しなくなった。それと同時に原発再開を前提に火発の再稼働を怠ってきた各電力会社も、火発へのシフトを開始した。

残る問題がコスト問題であった。

コスト問題というのは3つのフィクションの上に成り立っている。

ひとつは人命コスト、国土汚染コストなどのリスク対応コストが排除されたうえでコスト計算を行うというフィクションである。

ふたつ目は「核のゴミ」の廃棄・処理コストがゼロとして計算されるというフィクションである。

三つ目は電源開発などの名目による国税投下がコストから排除されるというフィクションである。これらは本来、電力会社がコストとして負担すべきものであった。

ただ、あえてそれらのフィクションを受け入れたうえで、攻撃的なコスト論争が行われ、液化ガスとの比較優位はほぼ否定された。

残された唯一の問題が、原油・天然ガス輸入増に伴う貿易赤字であったが、円安を上回る原油価格の低下により、この問題も自然解決してしまった。

つまり、電力会社には拠るべき再稼働の理由がなくなってしまったのである。


ネットを探してみると、経団連御用達の「ウェッジ」誌が再稼働推進論を打ち出している。

2015年08月18日(Tue)  川内原発の再稼働が必要な4つの理由  再稼働がもたらすリスクとベネフィット 

これを読みながら反論しようかと思ったが、読んでいるうちにアホらしくなったので止める。

一応リンクはかけておくので、目を通しておくほうが良いでしょう。


福井地裁の判決は、あらためて読み直すとかなり難しい。文章の問題だけではなく、論理展開がちょっと跳んでいるところがある。

とくに後半のところは少し補足的な解説が必要だと思う。

「万が一」論の中身

C) 「新規制基準に求められるべき合理性」の箇所では、最高裁「伊方判決」を根拠にしながら、「万が一」論が展開されている。

「伊方判決」の趣旨は、当該原子炉施設の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす等の深刻な災害が万が一にも起こらないようにすること。そのため、原発設備の安全性につき十分な審査を行わせることにある。

そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもない といえるような厳格な内容を備えていることである。

万が一論は2つの内容を含んでいることが分かる。すなわち万が一の天変地異が起こりうることを前提にして、

1.万が一の天変地異が起きても、万が一の事故が起こらないようにする手立て

2.万が一の事故が起きても、それを深刻な災害としないための厳格な安全基準

を求めるものである。

この「万が一」論は一般的な議論ではなく、判決を踏まえた議論であり、伊方判決なるものの理解が必要である。

伊方判決の概要

伊方判決というのは、平成4年(1993年)10月29日に最高裁判所第一小法廷にて発せられた判決である。もう23年も前のバブル期のものだ。私は知らなかった。

事件名は「伊方発電所原子炉設置許可処分取消」と称される。つまり住民原告が伊方原発の設置禁止をもとめた訴訟である。最初の訴えは1973年のことだ。もう42年も前、私が大学を卒業して北海道勤医協に就職した年だ。

訴えの内容は、設置許可の際、原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だというもの。

78年に一審判決、84年に二審、その後最高裁に上告されていた。一審判決に関しては小出さんが語気鋭く批判している。ただ訴訟が成立したこと自体が、原告適格性(住民の公訴権)の承認という意義を持つことは留意されるべきであろう。

ウィキペディアに判決要旨が紹介されている。関連箇所?を拾ってみる。

1.裁判所は政府委員会が出した「安全性に関する判断」の適否を審理・判断する。(…ことができる)

2.判断に不合理な点があれば、原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。(…ことができる)

3.原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、行政庁がみずからの判断に不合理な点のないことを立証する必要がある。

4.(もし立証を怠れば)行政庁の判断が不合理であることが、事実上推認される。

ということで、ここには「万が一論」は登場していない。あまり注目されていなかったのかもしれない。

判例倉庫には判決全文が載せられている。

ここに以下のクダリがあった。

原子炉設置許可の基準として、右のように定められた趣旨は、

①原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料と して使用する装置であり、

②その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、

③原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、

A 当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、

B 周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがある

以上①~③にかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため(努力しなければならない)

(このことは)原子炉設置許可の段階で、

①原子炉を設置しようとする者の右技術的能力

②並びに申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性

につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される。

「技術的能力」というのは、万が一にも壊れない原子炉そのものの安全性であり、施設の位置、構造、設備の安全性というのは原子炉が損傷を受けても重大な事態に至らないための周辺的安全対策である。

これが福井地裁判決の法的根拠を形成しているのである。

ということで、結果的には原告側敗訴でったが、重要な前進があったのである。それが「万が一論」である。

 

大変な判決が出たものだ。推進派は真っ青だろう。

これが通れば日本の原発はアウトだ。原子力規制委員会など何の意味もなくなる。

とりあえず判決要旨(正確には要旨の要旨)を掲載しておく。法律言葉というのは、私の感覚からすれば悪文の極みであり、相当センテンスをぶった切って修文している。小見出しは私の付けたものである。

NPJ訟廷日誌 より

高浜原発3、4号機運転差止仮処分命令申立事件

主文

1 関西電力は、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において、高浜発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2 裁判費用は関西電力の負担とする。

理由の要旨

1. 基準地震動について

A) 「基準値振動」を越えれば大変なことになる

「基準地震動」は当該原発に想定できる最大の地震動である。基準地震動を超える地震が到来すれば、施設が破損する。施設の設計は基準地震動を超える地震を想定していないからだ。

その際、事態の把握は困難で、時間的な制約の下で収束を図るには多くの困難が伴う。その結果、炉心損傷に至る危険を含んでいる。

B) しかし実際には「基準値振動」は何度も越えられている

現在、原発は全国で53基あるが、その所在地は20ヶ所にも満たない。このうち4ヶ所で、「基準地震動」を超える地震があった。それも、この10年足らずのあいだに起きたのだ。

ゆえに、これらの原発で「基準地震動」の値は信頼出来ないことが明らかになった。

C) 高浜原発だけが信頼に足る「基準値振動」を持っているという根拠はない

本件(高浜)原発の「基準値振動」はこれら4つの原発と同一の手法で定められている。すなわち、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析である。

それにもかかわらず、本件原発の地震想定(700ガル)だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

D) 「基準地震動」を基準とすること自体にも問題がある

基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値ではないし、観測そのものが間違っていることもある。原発の基準地震動を策定すること自体が無意味であり、合理性は見い出し難い。

これは基準値振動の提唱者自身が語った言葉である。

2.「基準値未満なら安全」とはいえない

A) 関西電力の無責任な耐震安全性引き上げ

高浜原発が運転を開始した時、基準地震動は370ガルであった。その後、「安全余裕がある」との理由で550ガルに引き上げられた。このとき根本的な耐震補強工事は行われないままだった。さらに新規制基準が実施されたのを機に、700ガルにまで引き上げられた。このときも根本的な耐震補強工事は行われないままだった。

原発の耐震安全性確保の基礎となるべき「基準地震動」を、何のしかるべき対応もなしに数値だけ引き上げるということは、社会的に許容できることではない。債務者(関西電力)のいう「安全設計思想」とも相容れないものである。

B) 700ガル以下なら安全だろうか

とはいえ、関西電力は基準地震動を700ガルまで持ち上げた。では700ガル以下なら安全だろうか。

実際には700ガルを下回る地震によっても、①外部電源が断たれ、②主給水ポンプが破損し、③主給水が断たれるおそれがある。関西電力はこのことを自認している。

外部電源と主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿である。外部電源と主給水は安全確保の上で不可欠な役割を担っている。これら「第一次設備」はその役割にふさわしい耐震性を求められる。それが健全な社会通念である。

しかるに、関西電力はこれらの設備を「安全上重要な設備でない」と主張している。このような債務者の主張は理解に苦しむ。

C) 「多重防護」の主張は的外れだ

関西電力は「原発の安全設備は多重防護の考えに基いている」という。しかし、多重防護とは「堅固な第一陣が突破されたとしてもなお第二陣、第三陣が控えている」という備えを指すのである。第一陣の備え(外部電源と主給水)が貧弱なため、いきなり背水の陣となるような備えは、多重防護とは言いがたい。そのような「第一陣軽視」の考えは、多重防護の意義からはずれていると思われる。

このような考えのもとでは、「基準地震動」である700ガル未満の地震においても、冷却機能喪失による炉心損傷に至る危険が認められると言わざるをえない。

3. 小括

日本列島は4つのプレートの境目に位置するという、世界で見ても特異な位置にある。このため、全世界の地震の1割が我が国の国土で発生している。「日本国内に地震の空白地帯は存在しない」と考えなければならない。

関西電力は他の原発敷地と高浜原発との地域差を強調している。しかしその地域差なるものは、それ自体確たるものではない。まして、我が国全体が置かれている上記のような厳然たる事実の前では大きな意味を持たない。

各地に幾たびか激しい地震が到来した。また原発敷地にも、5回にわたり基準地震動を超える地震が到来した。それらが高浜原発には到来しないというのは、根拠に乏しい楽観的見通しにしかすぎない。

その上、基準地震動に満たない地震によっても、冷却機能喪失による重大な事故が生じ得ると考えられる。であれば、高浜原発の危険は、「万が一」というレベルをはるかに超える現実的で切迫した危険であるとみなされる。

4. 「使用済み核燃料」というもう一つの問題

使用済み核燃料は、将来、我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼす可能性がある。しかしそれは目下のところ、格納容器(最終処理)のような堅固な施設によって閉じ込められていない。

その理由は「使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要する」ということになっている。

そこでは、「国民の安全が何よりも優先されるべきである」との見識は前提とされていない。すなわち、「深刻な事故はめったに起きないだろう」という見通しのもとに、姑息的な対応で済まされているといわざるを得ない。

目下のところ、格納容器に代わるべきものとして使用済み核燃料プールが位置づけられているが、その給水設備も耐震性はBクラスにとどまっている。

5. 当面、守られるべき住民の安全について

A) 安全性確保に必要な方策

本件原発の脆弱性は、

①基準地震動の策定基準を見直し、基準地震動を大幅に引き上げ、それに応じた根本的な耐震工事を実施する、
②外部電源と主給水の双方について、基準地震動に耐えられるように耐震性をSクラスにする、
③使用済み核燃料を堅固な施設で囲い込む、
④使用済み核燃料プールの給水設備の耐震性をSクラスにする

という各方策がとられることによってしか解消できない。

さらに、地震の際には事態の把握の困難性が予想されることから、使用済み核燃料プールに係る計測装置がSクラスであることが必要である。さらに、中央制御室へ放射性物質が及ぶ危険が予想されることから、耐震性及び放射性物質に対する防御機能が高い免震重要棟の設置が必要である。

B) 原子力規制委員会の新規制基準には合理性がない

しかるに原子力規制委員会が策定した新規制基準は上記のいずれの点についても規制の対象としていない。免震重要棟についてはその設置が予定されてはいるが、猶予期間が設けられている。

地震が人間の計画、意図とは全く無関係に起こるものである以上、かような規制方法に合理性がないことは自明である。

原子力規制委員会が設置変更許可をするためには、

①専門技術的な見地からする合理的な審査を経て、申請に係る原子炉施設が新規制基準に適合するか否かを判定しなければならない。
②新規制基準自体も合理的なものでなければならない

C) 新規制基準に求められるべき合理性

最高裁判所平成4年10月29日第一小法廷判決(いわゆる伊方判決)の趣旨は、当該原子炉施設の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす等の深刻な災害が万が一にも起こらないようにすること。そのため、原発設備の安全性につき十分な審査を行わせることにある。

そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることである。

しかるに、新規制基準は上記のとおり、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。

そうである以上、その新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく債権者らが人格権を侵害される具体的危険性即ち被保全債権の存在が認められる。

6 保全の必要性について

本件原発の事故によって債権者らは取り返しのつかない損害を被るおそれがある。したがって、本案訴訟の結論を待つ余裕はない。

現時点においては、すでに原子力規制委員会の設置変更許可がなされており、現状を保全する(緊急の)必要性も認められる。


を参照されたい。


前の記事で「だったら上げなさい」と書いた。私達としても関電が潰れて社員が路頭に迷うようなことがあってはいけないと思う。


ところで、気になって給料を調べてみた。いまでは便利なことに日本最大級の年収ポータルサイト「平均年収.jp」というサイトがあって、簡単に調べられる。

そこの、関西電力の年収に興味がある方のための基礎知識」というページから紹介する。

関西電力の年収は?

平成22年度版の従業員一人あたり平均年収は約945万円という噂があります(ゆかしメディア調べ)
総人件費と従業員数から算出した数字となっており、完全ではありませんがこのような上記年収となっています。

平均年収は40歳前半の800万~810万ぐらい。50代の管理職クラスになると、技術関連で1100万。経営企画で1230万となってます。
ボーナスは197万8900円程度で、「雑給」という用途不明の項目もあるようです。

秋山喜久会長は2006年に退職しましたが、退職慰労金の額はナント推定10億円でした。
関西電力は2年前、 美浜原発の事故で11人の死傷者を出した。在任中にそんな大事故を起こしていながら、『規定通り10億円もらいます』とは、呆れた話です(当時の記事から)
役員クラスでない従業員も退職金は3000~5000万ぐらいと言われます。よって、関西電力の生涯年収の総額は4億3000万程度と考えられます。

いいんですか、赤字企業がこんなにもらって。しかも赤字を出した社長は責任を取るどころか堂々と10億のゲンナマを取っていった。これって電気料金ですよね。

前の記事で

いま電力各社は、原発再稼働を進めるにあたり、何もその理由を語らない。語るべき理由がないからだ。

と書いた。その証拠をお見せする。

ちょっと古い報道だが、2014年12月24日の電事連会長の記者会見についての報道があった。

電力会社がいま、何を口実に原発再稼働を進めようとしているのかが分かる。

電事連会長は関西電力の八木会長であり、質問では関電の経営状況の話題から始まっている。

1.原発再稼働
原発再稼働が大きく遅延し、火力燃料費をすべて吸収するのは限界。4期連続赤字で、このままでは企業存続が危ぶまれる。

(だったら上げなさい)

2.MOX使用計画

高浜では再稼働時にMOXを使う予定。地元(高浜町と福井県)の理解をいただきたい。

(どさくさMOXだ。なぜMOXかの説明なし)

3.廃炉について

このまま早期廃炉になると、一括で多額の費用計上となる。(だから反対だ、と匂わせている)

4.固定価格買取制度

再エネの導入拡大と国民負担の抑制を両立するには、制度の抜本的改正が必要だ。(要はやめちまえということだ)

5.発送電分離

安定供給の確保の面でいまだ課題や懸念が残っている。エネルギー間の公平な競争環境の整備が必要。(反対。ずっと“先送り”せよ)

5.原油安の影響

燃料費調整制度で収支には中立(これはウソ)。円安も影響しており、トータルとして注視していく。(“注視”するのみ。還元するつもりはない)

6.2015年への抱負

電力小売り自由化に備えて、スピード感を持って競争基盤を構築する。原発再稼働を何としても成し遂げる。(もはや国民のためとか、国家のためとは一言も言わない。全ては自分のため)

東洋経済オンラインより


原発、もうひとつのウソ

原発は安全神話のもとに進められた。福島のあと、この安全神話を信じる日本人はいなくなった。少なくとも表向きは…

それではなぜ原発を再稼働するのか、それは「原発なしには生きていけない」神話のためである。

それは3つの柱からなっている。

一つは「資源小国である日本は原発なしには生きていけない」、という神話であり、一つは「日本を支える企業が電力料金のために破産する」という神話であり、もうひとつは「電力会社が経営的に成り立たない」という神話であった。

それらはそれなりに説得力があった。経営の側からイロイロ算盤を弾いて数字を出されると、こちらもたじろぐ場面があった。

しかし、それらの話は全てウソであった。

日本は生きている。たしかに苦しいが、それは原発を止めたせいではなく、経済政策の失敗によるものだ。

企業は、とくに大企業は空前の利益をあげている。破産どころの話ではない。大企業は国民に向かって大ウソをついたのだ。それを反省する様子も見えない。

電力会社は経営的に成り立っている。そもそも電力会社が成り立たないわけがないのだ。赤字が出れば、すべて電力料金に転嫁すればいいだけだからだ。

電力料金はたしかに上がった。なぜか、原発に回していたカネ(国費)を一般火発に回していないからだ。「原発より火発のほうがコストが高い」と主張していたのはウソだったのだ。

差し引きすれば、火発のほうが安いことは明らかだ。

「原発なしには生きていけない」神話は、もはや完璧に破産した。

いま電力各社は、原発再稼働を進めるにあたり、何もその理由を語らない。語るべき理由がないからだ。

しかし「語れない理由」はある。それは原発維持がアメリカ軍産複合体の要求だからだ。そして原発稼働によって生み出されるプルトニウムが喉から出が出るほど欲しいからだ。

今年4月に広瀬隆さんが鹿児島で行った講演の記録があって、そこにいくつかの図表が載っていたので、転載させていただく。

川薩
この記事は1997年3月26日の出来事だそうだ。キャプションによると、日本の原発が初めて地震の強い揺れに直接襲われた日なのだそうだ。直下型でマグニチュード6.2というのは相当のものだと思う。
川薩の川というのは川内のことのようだ。阿久根というのは地図で言うとこのへん。川内の隣町だ。

akune

そういえば、前にえびの地震というのもあったな。

それで、さっきの地震が3月だが、その2ヶ月後には川内を地震が直撃した。

川内

それ自体きわめてやばい話だ。次はまさに原発の直下だ。

だが、もっと恐ろしい話がる。見出しに「川内原発停止せず」と書いてある。二回目の地震のその時、九電は深度6弱でも原発を止めなかったのだそうだ。脇見出しには過去最大71ガルと書いてある。

止まったのは原発ではなく、原発を管理する人間の思考が止まったのだ。これが一番恐ろしいことなのだ。「止める」という発想がそもそもない。車にはアクセルとブレーキのペダルがあるが、ブレーキを踏むつもりがなければブレーキはブレーキではなく、たんなる飾り板でしかなくなる。


広瀬さんはこう語っている。

これは信じられない事です。
原子力発電所というのは危険ですから、普通の地震でも原子炉は止めるようになっているはずなんですが、
止めなかったんです。
「なぜ止めなかったのか?」
それは私は今もってですね、九州電力を信頼できない一番の根幹になっています。

それで今回の申請だが、なぜ通ったのかがわからない。断層なくして地震なしだ。10年ちょっと前には、あわやあと一歩という直下型地震があった。

とすればそこには断層があるのであり、それは定義上は紛れもない活断層ではないか。


多分全国版には載らないと思うので紹介しておく。
「取材メモ」というコラムに(善)さんという記者が書いた記事。
電源開発が原子力規制委員会に大間原発の新基準適合性審査を申請しました。ここには三つの「初」があります。
一つ目は、建設中の原発の審査申請は初めてということ。
二つ目は、世界初のフルMOX原発であること。フルモックスというのは危険性の高いMOX燃料のみを使うということです。
三つ目は、電源開発が初めて作る原発だということです。つまり原発を作ったこともない会社が初めて作る原発が、世界初のフルモックス型だということです。
この原発、東日本大震災と東電福島原発の事故のあと工事が止まりましたが、12年10月に民主党野田政権の容認のもとに工事を再開しています。(以下略)
これにもう一つ「初」を付け加えるならば、「化石化」することを前提に作られる初の原発だろうということだ。大間という町は今後半世紀のあいだ日本中に恥を晒すことになるだろう。



という記事で「朝の風」の大谷門主の発言を紹介した。とりあえず、全文再掲する。
西本願寺(真宗本願寺派)の大谷門主が、非公式な発言としたうえで、以下のように述べている。(29日付)

原発は人間の処理能力を超えたものである。
使用済み核燃料の処理方法がないものをどうして許したのか。
廃棄物だけ残していくのは、倫理的・宗教的に問題がある。

これだけで発言の真意を窺うのはいささか軽率かもしれないが、安全性でも、エネルギー論でもなく、使用済み核燃料というこの一点に「原発と人の道」の関係の本質をとらえる眼は確かだ。
大谷門主は、原発の核となる概念として廃棄物を取り出し、人間としての業も見据えながら、未来への視座を打ち出した。
きわめて説得力の高い主張だ。

経済、経済というが、要するにお金のことである。しかしそうやって手に入れるお金は、結局子孫にツケを回して得るお金である。お金回りが苦しいからといって、子孫のお金に手をつけていいのだろうか。娘を身売りする親と選ぶところはないのではないか。

この一点において、原発は没義道そのものであり、仏の道、人の道に反するのである。

「どうして許したのか」という問いかけは、自らへの責めもふくんで、厳しい。
それはいまなお「許そう」としてる人々にとっては、さらに厳しい。

その大谷門主の発言がふたたび本日の「朝の風」に登場した。

今度は公式の文書での発言である。

大谷門主、大谷光真師は6月に退任されているので、正確には前門主ということになる。門主在任中は発言を控えていたということのようだ。

主な内容は以下のとおり

現代の原子力発電所には、未解決の問題がいくつかある。

第一は、現代の科学技術では、放射性廃棄物の無害化ができないこと。

第二は、一度大きな事故があれば、対処できなくなる可能性があること、

第三は、原子力発電所を運転するためには、平常時でも一定数の労働者の被曝が避けられないこと、

したがって、原発は「検討するとき」だ。

ということで、指摘はより包括的になっている。

出処は著書「いまを生かされて」(文藝春秋)の「あとがき」

川内原発をめぐる記事から拾ったもの。“要確認”の記述である。
住民からは、「ヨーロッパではメルトダウンに備えてコアキャッチャーが装備されている。なぜコアキャッチャーを装備しないのか?」との質問が出ました。
規制庁は下記の設備が「コアキャッチャーと同等の安全性を確保している」と答えています。
その設備とは、
緊急時には、圧力容器の上から水をスプレーし、それが格納容器の下部に溜まって、水深1.5メートルのプールができ、溶け落ちた核燃料を受け止めて冷やす
というものらしい。
これに対し元燃焼炉設計技術者の中西雅之氏が下記のごとく指摘している。
溶融した核燃料に限らず、鉄や銅などの高温の溶融物が大量の水と接触すると、水蒸気爆発の危険があり、その対策は高温溶融炉設計の常識です。水を張って溶け落ちた核燃料を受け止めるなどとんでもない
水蒸気爆発といえば、御嶽山の噴火でおなじみだ。あれはマグマと地下水の接触だったようだが、今度は核物質だから、放射性物質があの噴火の煙のように世界中に撒き散らされることになる。
素人で分からないが、中西氏が正しいなら規制委員会が間違っているかウソをついているかということになる。
「世界最高水準の規制基準」という看板をめぐるガチンコ勝負だ。

東京新聞に掲載された、反原発の詩歌から。

俵万智さんの歌が良い。

「海辺のキャンプ」と題された連作から

雨の降る確率 0 %でも 降るときは降るものです、雨は

声あわせ「ぼくらはみんな生きている」 生きているから この国がある

「なかったことにできるのか」という若松丈太郎さんの詩の終連

無残としか言いようがない現実がある

あったことを終わったことにするつもりか

あったことをなかったことにするつもりか

おなじことをくりかえすために

いまあることをなかったことにできるのか

阿修羅より引用 

武谷問題で言い忘れたことがひとつある。

私が加藤氏を批判するのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで」というやり方がおかしいということであって、「坊主=日本共産党」が憎いということについては、共感できないわけではない。

逆に「悪いのは共産党で、武谷氏は被害者みたいな言い方も、やめたほうが良い」という、加藤氏の言い分にも一理はある。しかし共産党と武谷を串刺しにするのは、もっと乱暴だし、もっと傲慢だ。


いわゆる「50年問題」だが、その主要な側面は「分裂」にあるのでもなく、「極左主義」にあるのでもなく、党の事実上の「壊滅」にある。さらにマクロな視点に立てば、共産党の「壊滅」は、主要には「プログラムされた死滅」ではなくアメリカと支配層による「殲滅」作戦の結果である。


しかし厄介なのが対外盲従性の問題で、これは50年以降の党の弱体化にともなって強まっただけではなく、6全協以降の再建過程で明らかに強化されている。いわば外圧を背景に党が再建されたことの必然的結果といえる。

再建された党が掲げた親ソ・親中の路線は、しばしば現場の方針と齟齬をきたした。それがモロに大衆運動と激突したのが60年代前半だった。


しかし、事後的にではあるが、それらは全て基本的には現場の方針にそって修正されていった。歴史的に振り返れば、間違いなく共産党は各種課題と真摯に向き合ったと思う。それはこの間に共産党が「知識人の党」(グラムシ)となったからだ。


このへんはむしろ加藤さんの専門領域だろうと思うが、私が共産党に接近した昭和40年ころ、共産党というのは実に奇妙な組織だった。組織のトップは戦後の労働運動を通じて専従となり、レッドパージや反動攻勢を生き抜いてきた人々だった。

しかし企業からはパージされ労働現場に足場を持っているわけではなかった。基本的な足場は生協や民医連などの市民運動であった。


いっぽうレッドパージは大学には貫徹せず、組織が無傷のまま残されていた。ここが多くの活動家の巣立ちの場所となった。これらの事情は、逆に共産党が高度成長の時期を生き延び、さらに成長を遂げた背景となっている。そして共産党がソ連や中国に対し自主独立の立場を打ち出し得た理由となっている。


繰り返すが、日本共産党も私たちも原子力の平和利用について幻想を持っていたことを自己批判しなければならない。問題は具体的に提起されている。現実の原発には平和利用の可能性も安全な運用の可能性もなかったのだ。

私たちは原発の安全性について度重なる警告を発してきたが、それを根本的に否定してこなかった。

いまやこう言わなければならない。「原発は根本的に否定されなければならない」と。





どうも人のフンドシで相撲をとるというのは気持ちの悪いもので、尻のあたりがむず痒くなってくる。とりあえず、ネットで拾える範囲内で自分流の武谷三男関連年表を作成してみた。

1949年 日本学術会議の発足。最初の学術会議において、武谷は坂田昌一とともに、慎重に原子力研究を進めるべきだとして提案。急ぐべきだという茅誠司、伏見康治と衝突した。(これは武谷自身の文章で、しかも回顧談みたいな形での記述だから、真偽の程は定かではない)

1949年 ソ連が原爆実験に成功。米の核独占体制が崩れる。この後、米ソの核開発競争に入っていく。

1950年 朝鮮戦争が勃発。世界平和評議会は核兵器の禁止を訴えるストックホルム・アピールを発表。

50年 ストックホルム・アピールへの賛同署名、日本国内で650万筆を達成。

「安全性の考え方」より:
この頃の国民の原子力問題に対する関心の度合いを思い出してみよう。広島・長崎に対する原爆攻撃の非人道さに対して広く国民のふんがいは存在していたが、 敗戦の結果、それをあからさまに述べることははばかられていた。それは第一には占領軍の報道管制によって、原爆の詳細が伝えられなかったからであり、また 第二には日本民主化の主目標が日本帝国主義を批判することにあったからである。
原爆の非人道さに対してはじめて行なわれた抗議は、世界平和会議がストック ホルムに集まり、原子兵器の禁止を要求したストックホルム・アピールを作り発表した一九五〇年のことであった。このアピールへの署名が日本の中で六五〇万 も集まったのであるから、原子兵器に対する全国民的な憎しみ・反対は明らかであろう。

1952年 『科学』誌上にて原子物理学者の菊池正士氏が原子炉推進論を展開。日本学術会議の茅誠司氏と伏見康治氏が秘密裏に原子力計画を進める。

1952年4月 サンフランシスコ講和条約が発効。

1952年8月 武谷、「原子力を平和につかえば」という文章を『婦人画報』で発表。「原子力の平和利用」を主張。

広島、長崎の無残な記憶がますます心のいたみを強くしているのに、ふたたび日本をもっとすさまじい原子攻撃の標的にしようという計画がおしすすめられてい る。そのような計画は権力と正義の宣伝によって行われるので、国民の多数がこれはいけないと気がついたときには、手おくれになるかも知れない。
…今日研究が進められている水素爆弾1発で関東地方全域に被害をおよぼすことができる。一方で、原爆製造をしているアメリカの原子炉では、100万キロワットの電力に相当する熱を冷却水を通じて捨てている
  キュリー夫人、ジュリオ=キュリー夫人、マイトナー女史、このような平和主義的母性の名をもって象徴される原子力が、このような、人類の破滅をも考えさせ るものにどうしてなったのだろうか。原子力は悲惨を生むためにしか役立たないのだろうか。このような大きなエネルギーを、人類の破滅のためにではなく、人 類の幸福のために使えないのだろうか。
そうだ! 原子力はほんとは人類の幸福のために追求 され、また人類の将来の幸福を約束している。それを現実化するためには,戦争をほっする人々に権力を与えないだけで十分なのだ.

1952年11月 オスロのオランダ・ノルウェー合同原子力研究所の天然ウラン重水型研究炉が完成。武谷は『改造』に「日本の原子力研究の方向」を掲載。「大国から独立に、独力のすぐれた原子炉を完成」したと評価し、「直ちに日本も原子炉の建設にのり出すことを提案」した。

提案に盛り込まれた諸原則: 
・日本では、人を殺す原子力研究は一切行わない
・日本には、平和的な原子力の研究を行う義務がある
・諸外国は、日本に対して、平和的な原子力の研究へのあらゆる援助をすべき義務がある
・諸外国は、日本に対して、ウラニウムを無条件に入手できる便宜をはかる義務がある
・日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである
・日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない
・外国と秘密の関係は一切結ばない
・日本の原子力研究所のいかなる人が、そこで研究することを申し込んでも、拒否しない
これらを「法的に確認してから、日本の原子力研究は出発すべきである」とした。この提言は、最終的に、「公開」「民主」「自主」からなる原子力三原則という形でまとめられる。

53年 武谷、原子力研究のはらむ3つの危険を指摘。1.原子力研究は桁ちがいの予算と多数の専門家を動員するので、政府の研究統制を助長する危険がある、2.自由な研究、他部門の研究を圧迫する危険、3.秘密の問題をひきおこし、自由な討論をはばむ危険。

54年2月24日 この日付の極秘報告書が明らかにされている。「米国務省解禁文書」で、タイトルは「日本に於ける原子核及び原子力研究の施設及び研究者について」

原子力問題が面倒な理由の一つは、左翼の反米運動の材料として使われているためである。
坂田昌一名古屋大学教授や 武谷三男氏など「素粒子論研究者の極左派」が、「最も強く、保守政府の下での原子力研究に反対している。
この「極秘」資料は、文部政務次官だった福井勇が吉田茂政府の下でまとめたもの

1954年3月1日 ビキニ環礁での米国による第一回目の水爆実験。近くで操業中の第五福竜丸が被曝する事件が発生。

3月3日 改進党(中曽根康弘党首)が原子炉予算案を提出。中曽根氏は「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」といったと伝えられている。

3月14日 第五福竜丸が帰国。死の灰(放射性降下物)が脚光を浴びる。

4月3日 「原子炉予算」が国会で可決。

武谷の述懐: 物理学者が原子力に反対するといわれた。原子力をうみ出したものがそれに反対するわけはないんで、われわれのほこりである原子力が正しく発展することを祈っているんですよ。
「物 理学者は原子力は素人でしかないからもう何の役割もない。物理学者の意見は素人の一般論だ。原子力の主体は技術者である」と、宇田委員長や業界は主張し、 伏見康治氏なども同類だ。これほど危険な見解はないのである。原子力は決してまだ完成したものではないどころか、まだ実験研究 の段階にすぎない。原子核物理学者を中心にして様々の専門科学者、技術者が協力し て発展さすべきものである。

54年 米国の原子力委員会はリビー博士(ノーベル賞受賞者)らを派遣して“日本放射能会議”を東京で開く。米国側の出席者は「汚染マグロの放射能は、人体に対する“許容量”にははるかに及ばないほど少ないものだから“安全”である。」と主張した。これに対し武谷は、許容量の概念を否定。長期予後に関して被曝に閾値はないことを主張。

1954年5月28日 中野区議会において「原子兵器放棄並びに実験禁止その他要請の決議」が全会一致で可決される。

1954年4月 日本学術会議総会が原子力三原則をふくむ声明。

54年8月6日 岩波新書『死の灰』が発行される。死の灰の組成から、爆弾の構造を突き止める。

1955年 原子力基本法が制定される。原子力三原則を取り入れたものとなる。第2条において「原子力の研究、開発及び利用は、 平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」

1957年 武谷、岩波新書『原水爆実験』を発表。『許容量』理論を否定。放射線利用の利益・便益とそれに伴う被曝の有害さ・リスクを比較して決まる社会的な概念として”がまん量”を想定する。

1957年9月11日 武谷が講演。「戦前は放射線・放射能はそれほど危ないものと思っていなかった」ことを明らかにする。

戦前は放射線・放射能はそれほど危ないものと思っていなかったが、戦後になりまして、人体に及ぼす影響が非常な微量なものまで危険がある。もちろんすぐ死んでしまうというようなそういう危険ではない。そういう危険でないからこそ大変心配なのであります。
戦後において原子力の平和利用を提唱したが…最近は少し薬がききすぎて、今度は、原子力なら何でもいいんだという風潮 が生まれた。文明の利器、とりわけ原子力は非常な危険を有しているから、非常に慎重に扱わなくてはならない。
 まず、軍 事利用というものには許容量というものは許されない。例えば、水爆実験の死の灰などでは、どんな微量の放射性物質でも許されず、「警告単位」という考えで なければならない。平和利用に限定して、許容量という考えが許される。しかし、この平和利用といえども何の意味もなくこの放射線や放射能を受けるというこ とは許してはならない。
 放射線・放射能は量に比例して有害であり、毒物のような致死量が存在しない。白血病やガンというものの発生も非常に微量に至るまで受けた線量と比例して現れる。本来は許容量以下でも無駄な放射線をあびることはさけなくてはならない。

1956年5月22日 武谷、衆議院社会労働委員会で、放射性物質に対する許容度の問題について参考人発言。

放射線を扱うときの根本的なフィロソフィーはできるだけ放射線に当らないということである。放射線に当るということは多かれ少なかれ有害なことなのですけれども、それと引きかえに 得をしている。これは許容量というこ とがある程度意味がある。ところが何の関係もない人に、そういう放射線をこの程度なら当ててもよろしいという理由はどこにもない。 

1976年 武谷、「原子力発電」(岩波新書)を発表。

 

以上は、中嶋さんのブログ 東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解く からの引用。

この中嶋さんは、加藤さんの講演の場にも居合わせたようで、以下のように感想を述べている。

加藤氏は、とりあえず日本マルクス主義について、もっとも狭義に日本共産党に限定しつつ、日本共産党が社会主義における核開発を肯定していたと述べ た。特に、日本共産党が社会主義における核開発を肯定する上でキーマンー「伝道師」とすら表現されているーとなったのが武谷三男であると加藤氏は主張し た。


「原子力 戦いの歴史と哲学」 武谷三男現代論集1 (1974年) という本で武谷が戦後の経過を回顧していて、

この文章をまとめた 瀧本往人のブログ では、武谷に控えめな、だが本質的な批判を行っている。

武谷の問題点は、大きく分けると二つある。

一つは、原子力を平和的利用とはいえ推進したことによる、現状への加担である。今からみると、 「原子力」に関する研究内容も技術も、「平和利用」として制限されるたぐいのものではなく、テロ対策も含めて、これ自体が、他国および自国の政治的、軍事的な道具でもあると考えるだろう。残念ながら当時の武谷にはそこまでは思い至らなかったようである。

もう一点は、明らかに彼の頭のなかには、米=資本主義=悪、ソ連=社会主義=善、という二項対立があったことである。当時の知識人において(たと えばサルトル)このことは、ある程度やむを得ないところもあるとは思うが、ソ連や、その後の中国に対する知識人の対応は、基本的に肯定的で、マイナスが あったとしても、及び腰で、米国に対する非難と比べるとかなり違った態度をとっている。

彼の言葉で「人類のため」というのがある。原子力 も「人類のため」に平和的に利用できる可能性をさぐっていた。しかし、彼が許せなかったのは、「自分だけ利潤をあげる」ために利用するの か、ということであった。そして、ソ連は「人民のため」であり「人類のため」と結び付けて考えられていたのであった。


瀧本さんは、終戦からの10年の武谷の位置取りについて、適確な指摘をしているが、私にはもうひとつの視点が必要ではないかと思える。それは時代とのアクチュアルな対決である。

第二次大戦がファシズムと民主主義との戦いであったことは言うまでもない。彼はファシズムに及ばずとも抵抗し、二度もパクられている。終戦直後に彼が日本ファシズムとの闘いを主要課題としたのは当然の事である。

その後闘いは急速に日本を単独占領するアメリカとの課題に収斂していく。これも当然のことだ。原子力問題はそれらの主要課題との関連で語られなくてはならないから、それがソ連の支持につながらざるをえないのは当時としてはやむをえざる制約であった。

これらは「民衆の敵」に対してアクチュアルであるがゆえのブレであり、アクチュアルであり続けることによって克服されていったブレであった。

ソ連も水爆を作るということになって来て、たとえソ連といえども到底支持できないということになる。しかし武谷は、それを理由にして、「民衆の敵」の攻撃と闘うことをやめたりはしなかった。我々はそこに、時代が生んだ「苦闘する知識人」としての武谷を見出すことになる。そこが武谷論のミソではないだろうか。

ただひとつ、武谷の看過し得ない詭弁については一言言っておきたい。

原子力は悪いように使える代物ではない。必ずいいようにしか使えない代物である

なぜなら原子爆弾が無制限に使われれば人類は滅亡する他ないからである。

人間に滅亡を防ぐ叡智がなければ、人類は平気で滅亡するだろう。

 

というサイトに、「第7章 原水爆への反応 唐木順三がらみで見ておくべき文献」

というページがあって、

「唐木順三が1980年の遺稿で武谷を手厳しく論難した」、という記載がある。

今次の敗戦は、原子爆弾の例を見てもわかるように世界の科学者が一致してこの世界から野蛮を追放したのだとも言える。そしてこの中には日本の科学者も、科 学を人類の富として人類の向上のために研究していた限りにおいて参加していたと言わねばならない。原子爆弾を特に非人道的なりとする日本人がいたならば、 それは己の非人道をごまかさんとする意図を示すものである。原子爆弾の完成には、ほとんどあらゆる反ファッショ科学者が熱心に協力した

という、加藤さんも引用した例の文章だ。

武谷三男は、『科学者の社会的責任』という本でこれに反論したそうだ。


Uchiiさんは、武谷さんの肩を持つ形で以下のように書いている。

世紀が変わった現在の人々には、この文章の文脈が無視されて、「ひどい文章だ!」と受け取られる可能性が高い。しかし、武谷が注意するとおり、この敗戦を 「解放」と受け取った武谷ら左翼知識人の文脈を忘れてはならない。「ヒロシマ・ナガサキの二重の意味」は、唐木には思考の範囲外なのだ。

さらに、アインシュタインの言葉の引用で唐木に追い打ちをかける。

マッカーシーイズムの吹き荒れた時代に書かれたアインシュタインの手紙(『リポーター』誌)を、原典も文脈も調べずに、単なる想像だけで意味を憶測し、勝手に思いこみを付け加える。

フランクやシラード、そのほかについても同じ。適当な引用文をつぎはぎ細工すれば、ほとんどどのような「印象」でも読者に与えることができる。こういった手口をできるだけ控え、恣意的でない記述を目指すのが「学術的」ということ。


私にはこの唐木・武谷論争の経緯はわからない。今のところそれれほど関わろうとも思わない。ただ、加藤さんの議論はこの話の蒸し返しではないかと感じたので、引用させていただく。







武谷三男の言動を調べていくうちに、面白い記事に出会った。
西谷勝さんのブログで、こう書かれている。

私が一度、何度目かの漫談の冒頭で「私たちの漫談を若者たちは《ジジイ漫談》と呼んでいますよ」と仕向けると、武谷さんはキツとして「若者が《ジジイ》ほどに頑張っていりや別ですがね」と応えたことがあった。

「ゆっちゃった!」という感じ。
「働き盛り」の現実派は、世の中良くしようとは、てんで考えていない。まして「世によって生かされている」なんてことはまるっきり考えちゃいない。人のアラばかりほじくって楽しんでいる。

どうも昨日のLivedoor Blog が調子悪かったような気がする。
文章が一つ消えている。
わたしも、ブログに載せたらどんどん元原稿を消してしまうので、もはや復元不能だ。
武谷三男の原子力認識の軌跡の文章は、その前に加藤哲郎「日本マルクス主義はなぜ原子力に憧れたのか」という論文の紹介と、自分なりの見解を提示していた。

いまさら書き直しもできないが、「日本マルクス主義はなぜ原子力に憧れたのか」という演題名は明らかに日本共産党への当てこすりである。

本題は共産党の原発政策が「原子力の平和利用」という呪縛を脱却できず、遅れを取ったのではないかという批判にあるようだが、それを終戦直後の原子力賛美の論調と結びつけようとするのがポイントのようだ。

加藤さんが作成した戦後の武谷三男(と共産党)の発言タイムテーブルを読みながら、我々の原子力認識の過程を後追いしてみたのが昨日の文章だ。

収集すべきデータの対象が増えてくると、どうしても取捨選択の必要が出てくる。そこにタイムテーブルの作成者の主観が入らざるをえない。
加藤さんのタイムテーブルは、終戦直後から約10年間の経過については、よく出来たものだと思う。
対象を武谷三男に絞り、悉皆調査的にデータベースをフル動員して出来ているから紛れが少ない。

そのうえで、終戦直後に形成されたプロトタイプ的な原子力観、そこで形成された原子力観が、いくつかの出来事を通じて変容していく過程が理解できる。

とは言うものの、「いくつかの出来事」はタイムテーブル内に明示されていないし、それがどう原子力観に影響したかも自明的に解き明かされているわけではない。

それらを列挙すると次のようになる。
1.“解放軍”としての占領軍からアメリカの支配への変化。
2.ソ連の原爆実験成功。
3.冷戦体制とレッド・パージ。
4.朝鮮戦争とストックホルム・アピール。
5.共産党の弾圧と分裂。ソ連・中国の干渉
6.米ソ両国の水素爆弾開発と核開発競争
7.ビキニの死の灰事件
そしてなによりも肝心なこと。それは原爆の恐ろしさが知られるようになったことである。当初は秘匿された広島・長崎の異次元の凄まじさが徐々に明らかにされ、国民に衝撃を与えた。
年表を見ると、戦後の一時期は広島に原発を作る話があったようだ。地元民にすら原爆の悲惨さは知られていなかったし、被爆者は世をはばかってひっそりと暮らしていたのである。
被爆の実相は、ナイーヴな原子力賛美者たちをして、慙愧の念をもたらしたに相違ない。そのタイムラグが、原子力観を根本的に転換させたに相違ない。
加藤氏は直接には「マルクス主義者の原子力へのあこがれ」を嘲笑するのであるが、それは日本国民への嘲笑のようにこだましてくるのである。

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