鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 16 国際政治/ラテンアメリカ

「カストロ 十話―知られざる逸話」

1.サメの泳ぐ海を泳いで逃げた

カストロが国立ハバナ大学に入学したのは第二次大戦の終わった年です。

カストロはやる気満々でオリエンテ(東部)の田舎から出てきました。

一説によれば、カストロはヒトラーの「我が闘争」を愛読,ムソリーニの演説フィルムを見ては,鏡の前で演説の練習をしたそうです.

当時の学生運動は軍隊帰りもいて、多少の暴力はいとわない血気盛んな時代で、3つの集団が覇権を争っていました。

カストロもそのひとつに近づくのですが、自分こそが指導者だと思っていますから、組織の論理で動くことはありませんでした。

当時の真正党政権は比較的進歩的でしたが、汚職・腐敗はひどいものでした。これを正そうという正統党を担いで学生を組織していきます。

このとき、隣の島ドミニカの独裁者トルヒーヨを倒そうという運動が持ち上がります。半分は暴力学生の矛先を外に向けようという支配層の思惑でもありました。これにカストロも乗ります。

カストロら参加者1200名が沖合の小島に集められ軍事訓練を開始しました。ところが直前になって、陰謀はアメリカの知るところとなり、米政府はキューバ政府に弾圧を求めました。

小島に取り残された参加者は一網打尽となるのですが、カストロはゴムボートで脱走.最後にはサメのいる海を泳いで対岸にたどり着き脱走に成功します。

カストロの偉いのはその日のうちにハバナにたどり着きただちに行動を開始したことです.カストロが政府非難の集会に顔を見せるや満場の拍手で歓迎されました.このような土壇場でのクソ力が何度カストロの命を救ったことでしょうか.

これが最初の武勇伝。

2.ボゴタ事件に遭遇

カストロと対立する暴力集団の幹部が暗殺されました。その場に居合わせた人物がフィデルを犯人だと名指ししたためカストロは逮捕されてしまいます.

これが偽証だったことが分かり警察からは釈放されますが、暴力集団はそれで許してくれるわけではありません。

当時法学部の自治会委員長だったカストロは、第1回LA学生会議がコロンビアで開かれるのを知り、これに飛びつきました。

コロンビアの首都ボゴタに到着したカストロは、学生代表として進歩派の代表ガイタンと会見の約束を取り付けます。ガイタンは自由党の大統領候補者として国民のカリスマ的人気を集めていました。

ところが会見の直前、ガイタンが街頭で暗殺されてしまったのです。これをきっかけに憤激した群衆が暴動を起こしました。「ボゴタソ」と呼ばれる事件です。

反乱のあいだフィデルはどうしたかということですが,この血の気の多い青年がじっとしているわけがありません.どさくさ紛れにいつのまにか学生の一団を率いることになります.

しかし、この手の暴動が長続きするわけがありません。やがて政府軍が進出し、暴動派の形勢は不利になりました。

カストロは近くの山に逃げ込み一夜を明かしました。そのあげくキューバ大使館に命からがら逃げ込みます.キューバ大使館はこの厄介者を密かにハバナ行きの家畜輸送機に潜り込ませます.

なおこのボゴタソはコロンビア全土に波及し、農民の抵抗の中からFALCが生まれていきます。今回の停戦に至る間、キューバがさまざまな交渉努力をしたのもそういう因縁でしょう。

3.ジャイアンツから指名されたカストロ投手

パターソンの本におもしろいエピソードが載っています.48年11月ボゴタソから半年後のことです.キューバ転戦中のメジャーリーグ選抜チームがハバナ大学と対戦します.

ハバナ大学の主戦投手はなんとフィデル.それがメジャーリーグを3安打無得点に抑えてしまったというのですからどうも開いた口がふさがりません.あまりにもハリウッド映画の世界です.

その年のストーブリーグではニューヨーク・ジャイアンツが彼を指名し年棒5千ドルを提示しました.しかしフィデルは熟慮の末この誘いを断り弁護士への道を選んだのだそうです.

このエピソードでもうひとつおもしろいのが,フィデルはあの立派な体形にもかかわらず豪速球投手ではなかったということです.逆にカーブを主体とした技巧派の投手だったそうです.

後年の彼の言動を検討しているとついこの話が思い浮かばれて微苦笑を禁じえません.

カストロは激しい学生運動を指導しながらも、野球もやり、恋もしました。バチスタとも遠縁にあたる名門令嬢と結婚し,バチスタからは過分のご祝儀をいただいたそうです。新婚旅行ではマイアミで高級車を乗り回して豪遊したそうです。

こっらの逸話はパターソンの本からのものですが、キューバではほとんど知られていません。7,8年後にハバナの地下で闘っていたコシオ元大使も知りませんでした。

革命前のキューバ

ちょっと数字を並べさせていただきます。53年度の国勢調査報告です.

国民一人当たり所得はラテンアメリカ諸国中5位と高位を占めます.自家用車普及率は第3位,テレビ普及率ではなんと1位です.53年に日本にテレビなどあったかしら?

 暗の部分がこれまたすごい.報告によれば「都市と農村をふくめて,キューバ全体で水道があるのは住宅戸数のわずか35%,屋内便所があるのは28%にすぎない.また農村の住居の3/4は掘ったて小屋(ボイオ)に住み,54%がトイレなしで小屋掛けカワヤも持っていない」状況でした.

 報告は衣・食にも言及します.これによると97%が冷蔵庫なし,水道なしが85%,電気なしが91%.牛肉を常食するのは4%,魚は1%,卵は2%,パンは3%,ミルクは11%,生鮮野菜は1%以下という具合です.一体何を食っていたのでしょう.

 次は保健・衛生です.報告は「医師は2千人に1人しかおらず,農村の大衆は医療を受けられないことが度々ある.多数の子どもが寄生虫に感染し,ひどく苦しみ,苦痛のうちに死んでいく」と告発しています.

 それから教育.学齢期児童の就学率は56%,地方では39%にとどまります.オリエンテの砂糖地帯ではさらにひどく,わずか27%です.国民の1/4が文盲とされ,都市部以外では42%にのぼりました.

 報告はさらに続きます.「農地のうち8割が遊休地であり,なんら利用されぬまま放置されている.一方で基礎食料のほとんどを輸入に頼っている.労働可能な人口の4人に一人は常時失業している」つまりばく大な富が再生産や投資に回されないで,死蔵されたり浪費されたりしているということです.

 報告は米国に従属した産業構造にも触れます.「電力の9割以上が米国の会社によって供給されている.電話はすべて米国の会社のものである.鉄道の多くもそうである.製糖工場の4割は米国のもので,とくに優れた性能のものはそうである」

 バチスタ政権下でどうしてこのような国勢調査報告が発表されたのかよく分かりませんが,これを読めば誰でも今日から革命家になってしまいます.

4.モンカダ兵営の襲撃

モンカダとシェラマエストラの戦いについては、すでに書きつくされているので飛ばそうかとも思いましたが、知らない人も増えているでしょう。簡単に書いておこうと思います。

大学を卒業したカストロは人権派弁護士として活動を開始します。とは言ってもゆくゆくは代議士になり大統領を目指すというつもりだったでしょう。

ところがまもなくバチスタ(元軍人で元大統領)がクーデターを起こし独裁政治を始めます。民主的な方法で政治の実権を握る可能性は消えました。

そこでカストロは武装蜂起を決意します。彼は仲間を募り、53年夏にキューバ第二の都市サンチアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃しました。

百人余りの手勢で奇襲をかけるのですが、さまざまな手違いで失敗。近くの山に逃げ込みます。逃げ遅れたものは逮捕され、そのうち70人ほどが拷問の末虐殺されます。

結局、カストロも住民の密告で逮捕され警察に連行されました。この警察というところがミソで、捜査隊長のサリアという人物はハバナ大学の同期生でした。彼は軍に手渡せば即刻射殺されることを知っていましたから、軍への引き渡し命令を巧妙に避け、フィデルをサンチアゴ市警察に引き渡すことに成功します。

こうしてかろうじて命をつないだカストロですが、決してへこたれもしないし、転んでもただでは起きません。

公判闘争では弁護士がつかない中で、自らの力で弁論を行います。その文章が「歴史は私に無罪を宣告するだろう」という論文です。この論文はニューヨークで印刷され密かに国内に持ち込まれました.そして地下活動により広範に流布していきます.

こうして、カストロは「テロリスト」から「キューバ人の希望の星」へと大転換を遂げていくことになります。

5.カストロのニューヨーク騒動

これも語り尽くされた話題ではありますが、カストロの行動パターンを見る上ではだいじなエピソードを含んでいるので紹介しておきます。

カストロは国連総会出席のため、60年9月18日から10日間にわたりニューヨークを訪れています。

以下は私のキューバ革命史からの転載です

ニューヨークに到着したフィデルらは数千の民衆の出迎えを受けました.代表団は国連ビルに近いシェルボーン・ホテルに入りますが,ここで早くも大騒動が持ち上がります.亡命者らによる騒動を懸念したホテルは代表団に対し「もしもの際の保証金」を要求しました.代表団はこの「不当かつ受理不可能な金銭的要求」に激怒します.ホテルを飛び出した代表団はなんと国連本部前の芝生にテントを張ってしまうのです.結局深夜になって支援団体の紹介を受けた代表団はハーレムのホテル・テレサに移動します.ひげ面の若者たちによるこのパフォーマンスには,さすがのニューヨークっ子も度肝を抜かれました.

続いての騒動は翌日早朝にフルシチョフがホテルテレサを訪問したことです.米国と並ぶ大国の指導者が突然ウラ寂れた下町に入ったのですから大変です.そのあともホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相など各国首脳がきびすを接するように訪れます.いうまでもなく黒人も大喜びです.ラングストン・ヒューズやマルコムXなど黒人運動の指導者があいついで訪問します.もう大変なお祭り騒ぎとなります.

第三のハプニングは22日に起きました.アイクはLA各国首脳を招き昼食会を開きます.キューバだけが招待されませんでした.露骨な当てこすりというか子どものいじめに近い幼稚さです.カストロの奇想天外ぶりが発揮されたのはこの時です.彼はみずから昼食会を開きます.招待されたのはなんとホテル・テレサの従業員でした.もう市民はヤンヤの喝采です.

ハプニングはこれで終わったわけではありません.27日代表団が帰国の途につこうとしたとき,米国はイチャモンをつけてキューバ航空機を差し押さえてしまいます.またもや一騒動?と思ったときソ連がさっと飛行機を提供します.代表団はこれに乗り意気揚々とニューヨークをあとにするのです.

という具合で、カストロは窮地に陥ったとき奇想天外な手段を編み出して、それを果敢に実行するのです。劇場型政治家の典型です。


この映画の恐ろしさは映画会社の宣伝しているような中身ではない。映画を見た人たちが抱いた恐怖感の中にあるのではない。

真の恐怖は、エル・クランの人々の行いが“非合法ではなかった”社会の恐ろしさにあるのである。彼らが平然と一般市民の生活を送っていたのは、かれらが狂気の人だったからではなく、ビジネスとして誘拐と殺害業を営んでいたからである。このような極悪ファミリーが、取り立てて罪悪感を抱かずに平然と社会生活を送ることができる、そのような社会の異常ぶりこそが恐怖の対象なのだ。

少し時代背景の説明が必要だろう。

記憶が曖昧になっているので、細部の間違いはご容赦願いたい。

1970年代の初頭、アルゼンチンではペロン大統領のもとで民主運動が高揚していた。しかし経済的には苦しさが募っていた。この中で軍部がクーデターを行い、親米・新自由主義の政策を強引に実行した。反対派は左翼といわずリベラルといわず片っ端から弾圧の対象となった。学生の一部は都市ゲリラ作戦を展開したが、それはカウンターテロの絶好の口実となった。

公然活動家には暗殺の恐怖が襲いかかった。地下に潜った活動家を軍・警察とグルになった「死の軍団」が追い詰め、誘拐し、拷問し、殺害した。遺体はヘリコプターで海上投棄されるか、見せしめのために街路に放り出された。子どもたちは取引の対象となった。

「死の軍団」のメンバーの多くは元軍人だったり、元警官だったり、場合によっては現職の警官だったりした。彼らは半ば公務としてこれらの任務を粛々とこなしたのである。昼は善良な警察官や市民、夜は覆面をした誘拐・暗殺犯、というシーンはある意味で日常茶飯事であったのである。

そのようにして人々を恐怖のどん底に貶める役割を「エル・クランの人々」も担っていた。つまり左翼もしくは左翼に同情的な人々を誘拐し暗殺し口をつぐませるのが商売だったわけだ。それは軍事独裁政府によって指示されていたから、その限りで“合法”だった。

内戦の頃は,夜間の外出は禁止されていました.夜,クリケットの応援歌は,しばしば男たちや女たちの絶叫で中断されました.軍隊に捕まった人たちです.彼らは拷問されたり体を切り刻まれたりしているあいだ,そして生きているあいだ,そのような叫びをあげていたのです.それは,決して罰せられることのない「死の軍団」のしわざでした.

朝になって,子供たちが住宅街の埃っぽい道を学校に向けて歩いていると,しばしば道ばたの死体と遭遇しました.それは昨日の晩,夜の闇の中で悲痛な叫び声をあげていた人たちのものでした.

J.P.Bone エルサルバドルからの便り

しかし軍政が終わり民主化運動が進むにつれそのような“ビジネス”は許されなくなった。収入の道も断たれた。だから彼らは誘拐ビジネスに手を染めたのである。軍部もこのような闇組織を維持したいから、これらの行動=殺しの民営化を黙認していたと考えられる。

彼らが左翼を誘拐し殺害することは軍部の公認であり、罪ではない。だから罪の意識は持ちようがない。彼らが間違ったのは、そのやり方は金持ちを相手にして使ってはならない手段だということを理解できなかったことである。

彼らに罪の意識はない。彼は自分を“普通の市民”だと思っている。極悪犯罪者が平然と社会生活を送っていたのではなく、彼らはちょっとやばいけれども、一つのビジネスを行っていると考えていた。

繰り返すが、軍政時代、彼らにとって左翼を誘拐し殺害することは、中身は別として、法形式的には極悪非道のことではなかった。現にそれを実行し、あるいは指示した軍の上層部はすべて恩赦法により免訴された。(後にキルチネル大統領によって厳しく指弾されることになるのであるが)

誘拐業はルーチンの政府業務代行であった。彼らの気分の中では、それがちょっとスライドして金持ちが対象に変わっただけのことである。だからパパは軍が保護してくれると確信し、逮捕されたときも平然としていたのである。

彼は人質を誘拐するとおもむろにタイプライターに向かいブラックメールを打ち始める。その用紙には左翼ゲリラMLNの名が刷り込まれている。こういうシーンが有ったことを覚えておられるだろうか。

これがまさに事件の本質であり、この映画の本質なのである。

この映画はアルゼンチンで大ヒットを達成したという。アルゼンチン国民はこの映画を見て、タイプライターの用紙にMLNの名が刷り込まれているのを見て、事件の本質を捉えたのであり、軍部をそこに見たのであり、なぜ秘密のテロリスト集団が富豪の誘拐を行うに至ったのかを理解した。

だからこの映画に熱狂し、恐怖したのである。

何故か、突然、「今日は映画に行こう」と心に決めた。

日曜の朝には、いろいろお勤めがある。まずはシャワーを浴びて、洗濯を始める。トーストとハムエッグを作って、コーヒーを沸かして魔法瓶に入れる。

関口宏のモーニングショーを見ながら、「ファイターズが日本一!」の新聞を読む。「信じられないくらい、皆よくやった。しかしシーズンを通してみれば、最大のヒーローは栗山だな」

と独り言を言いつつ、「そうだ、今日は映画日和だ」と思いついたのである。とにかくひたすら寒い。風は冷たい。カーディガンにジャケットではいけない。コートが必要だ。しかしマフラーと手袋はまだ早い。

映画館を出た時、風花のような雪がちらほら、地面をプラタナスの枯れ葉がカサカサという景色が、最初からイメージとして固まる。

ネットで調べたら、それなりに食指の動く映画がたくさんある。その中で「エル・クラン」というのが目に止まった。アルゼンチンの映画で、一家で誘拐ビジネスに当たったという連中の実話に基づくクライム・ストーリーだ。

「これはマストだ」と、瞬間確信した。

映画館は前から3列目、スクリーンに向かってやや右よりというのが生理的にあっている。一般の好みからするとかなり前だが、画面が大きくないと何故か損した気分になる。

映画館は昔と違ってそう大きくはないから後ろでも良いのだが、それなら家で大型液晶で見たほうが良い。いまの映画はそもそもDVDをプロジェクターで写しているだけだ。

映画館の良いところは非日常にある。「大衆の中の孤独」感を満喫しつつ、いつの間にか映画に没入するところにある。家で同じものを見ていたら気が疲れてしまって途中で抜け出したくなる。そのくらい映画は臭いを発する。その臭いに慣れて鼻がバカになってしまうところから映画の醍醐味は始まる。逆にそれが嫌で、映画館から足が遠のいてしまうところもあるのだが…

「エル・クラン」という映画は面白かったかといわれると、さほど面白くはなかった。衝撃的だったかといわれると、さほどでもなかった。

実話を題材にしているが、それをストーリーにまで消化しきれていない。普遍的なものにまで昇華されていないから、衝撃的な事実が乱雑に投げ出されるだけだ。

配給会社のホームページにはいろいろな人の感想が載せられている。「普通の家族にしか見えない人々が冷酷な犯罪を実行していくその落差と、平然としたヌケヌケぶりに恐怖感を覚える」というのだが、私はそれは違うと思う。

彼らの感想を読んでいると、何故かメキシコの麻薬カルテルの大量殺人を「恐ろしいことだ」と騒ぎ立てる人を白々しく思ってしまったときと同じような感慨が湧いてくるのだ。

(以下、私のこの映画に対する感想を書いたのだが、読み返すと、まったく乱雑だ。次の記事でもう少し分かるように述べることにする)


ベネズエラの政治危機

これまでのかんたんな経過

2002年のクーデターとその失敗、2003年の資本家スト、2005年のリコール投票と相次ぐ資本家の攻撃に耐え、民主主義を達成したチャベス政権は、その後の原油高を背景に中南米変革の旗頭となった。

南米諸国連合(ウナスール)は、各国での度重なるクーデター策動を封じ込め、アメリカを孤立させてきた。

しかしベネズエラ国内では反チャベス派の勢いがおさまらず、政権内の腐敗も発生したことから政権基盤は徐々に脆弱化し、ついに議会では野党が優位を占めるに至った。

チャベスが前立腺癌で死んだ後、副大統領のマドゥーロが後継者となりチャベス路線を継承してきたが、原油安不況の状況は政治環境を激変させた。

これを機にネオリベ派は一気に政府転覆を狙い、一方では生産サボや物資隠匿などの経済闘争、他方では大統領リコール投票の実施要求により政権を追い詰めようとしている。

国外ではアメリカがベネズエラを米州機構から追いだそうと画策し、事務総長はその先頭に立って反政府派と手を結んでいる。

危機の経済的背景

ベネズエラの経済が楽なわけはない。原油はベネズエラの輸出額の96%だ。原油価格が半分になれば、歳入は半分になる。格付けが下がれば為替価格は低下し購買力はさらに落ち込む。

基礎生活物資のほとんどを輸入に頼るこの国では、それはそのまま物価の上昇に繋がる。生産原料の輸入が止まれば生産は減退する。

これに異常な降雨不足が拍車をかけた。水力発電が止まり、厳しい停電を余儀なくされた。

世論調査でマドゥロ政権への支持率は20%、不支持率は67%となっている。不況の中での国民の怒りをマドゥロが一身に背負っている感がある。

マドゥロ政権は必死に活路を見出そうとしているが、通貨ボリーバルが三通りもある為替相場のもとで、ベネズエラ経済は国際的信頼を失っており、長期の維持は不可能となっている。

ただ、ひとつコメントしておきたいのは、悪名高きガソリン補助金の廃止に着手したのは、マドゥロ政権が最初だということである。

厳しい実力闘争

米国の支持を受けた反政府勢力は、ふたたび大統領リコール運動をはじめた。そして大企業による生産サボタージュを強化した。生活必需物資の9割は民間企業が支配しており、物流阻止、物資隠匿などが横行している。

政府は軍を出動し、主要5港を管理下に置いた。倉庫からは大量の食料品や薬品が発見され、供給に回された。

政府はさらに生産を停止させている工場を接収し、産業活動を止めている企業経営者の逮捕を命令した。しかし状況の好転は見られない。

アメリカではベネスエラ中央銀行の支払い用口座(シティバンク)が閉鎖された。「ベネスエラ経済の危機によるリスク増大」としている。

反政府デモは暴力性を強めつつある。指導者カブリーレスは軍に対し「憲法と政府のどちらの味方をするのか」と問いかけた。これはクーデターの呼びかけとも取れる。

米州機構は人権を口実にした攻撃を強め、12月までにリコール投票を実施なければ「米州民主憲章」に基づいて加盟資格を停止すると脅している。

アルマグロ事務総長は「(リコール投票は)12月以前に実施されるべきだ。実施されないと、ベネスエラ人民が意志表示する可能性が出てくる」と発言している。

かつてチャベスの下でラテンアメリカの変革を主導したベネズエラは、今や満身創痍の状態となっている。だが、依然として耐えている。

  

アルゼンチン マクリ政権のやったこと

これまでのかんたんな経過

2002年、アルゼンチンは奈落の底に沈んだ。国家として破産してしまったのだ。人々は食べるものさえなくなり、ネズミまで食べたという。

この時登場したのがキルチネルだ。彼は国際債務の支払を拒否し、最終的には7割の債務軽減に成功した。

それ以来、アルゼンチンは国債を発行せず、自らの努力とメルコスール諸国(とくにブラジル)との関係強化の中で経済を再建してきた。

おりからの資源・農産物価格の上昇の中でアルゼンチンは息を吹き返し、好調な経済を維持してきた。

キルチネルが2期大統領を務めた後、妻のフェルナンデスが引き続き大統領を務めた。キルチネル時代は13年にわたり続いた。

アルゼンチンはこの時の経過から強烈な反米意識を持ち続けてきたが、そのことはアメリカの金融支配層には不愉快なことだった。

ハイエナファンドが紙くずとなった債券をかき集め、額面通りの返済を迫った。これを米連邦裁が支持し、軍の練習船を接収しようとしたり、代理店銀行の口座を閉鎖させるなどの攻撃を行ってきた。

アルゼンチンはこれを中国との関係強化で乗り切ってきたが、経済が回復すればするほど外貨不足が重くのしかかってきた。

リーマン・ショック後の農産物不況と中国経済の減速により、この矛盾が一気に表面化した。

15年12月、不況下で正義党政権は支持を失い、保守派のマクリが勝利した。

マクリのやったこと

マクリというのは一言で言えばアルゼンチンのベルルスコーニ。ボカ・ジュニアーズのオーナーという大金持ちだ。

マクリの行ったことは不正義としか言いようが無い。

マクリは就任早々、為替相場を自由化した。結果は約4割のペソ切り下げとなった。これに伴い電気代を5倍、ガスを3倍化した。

マクリもひどいが閣僚もひどい。エネルギー相(シェルの元重役)は「もしこのレベルの価格で消費者が高いと思うのならば、消費するのをやめたらどうか」と言い放った。文化相は軍事独裁時代に3万人の人が行方不明になったという事実を否定した。

新政府は真っ先にハイエナファンドへの債務返還を約束した。そのために02年入りの国際を発行するという。これに応じて米国企業は計23億ドルの投資を決めた。あの悪夢への道を再開することになる。

最初の数ヶ月で、解雇が16万人にのぼった。政府も公務員3万人の解雇でこの動きを助長した。労働者たちは、警官たちと公証人によって、職場に入ることを阻止された。書類を読み上げることによって、かれらは解雇されたことを知らされた。

毎日のようにレストランが閉店に追い込まれ、大学、劇場、そのほかの場所は麻痺状態となり、無数の零細企業が廃業となっている。

マクリへの反感が広がっている

世論調査では65%の人がこの半年で貧しくなったと感じており、新政権への支持は減少している。

前政権派が多数を占める議会は、これを抑えるために解雇条件を厳しくする緊急法を採択した。しかしこれは大統領の拒否権発動で不発に終わった。

半年を経た現在、新政権の評判は芳しくない。マクリ大統領一族の名がパナマ文書に登場したのである。当時彼はフェルナンデス・キルチネル前大統領の汚職を見つけ出そうと懸命のキャンペーンを張っていたが、釣り上げたのは自分の体だったというお粗末だ。

たしかに中南米の革新政府とそれを支えた勢力は苦境に陥っている。人々はそこからの脱出を求めて、目新しさを訴えるネオリベ派に投票した。

しかしその先に待ち構えているものがなんなのか。アルゼンチンの姿はそれを鮮やかに示している。

ラテンアメリカ人民の闘い ハイライト編

前の記事 2016年07月21日

は、とりあえず記事をざっとめくったが、少しトピックスを絞って深読み。

ブラジル

これまでのザットしたあらすじ

ブラジルが60年代から70年代にかけて軍部独裁下にあったことは、ご承知と思う。

軍事独裁からの民主化を勝ち取る中で労働組合が先進的な役割を果たした。労働者は民主化の後に労働党という政党を結成した。

それが資本家の政党との長い間の角逐を続けた後に、2003年に大統領選挙に勝利した。これがルーラ政権であった。

これは民主勢力にとって大きな前進ではあったが、完全な勝利とは程遠いものだった。アメリカは資本回収の脅しをかけてルーラにIMF路線の踏襲を押し付けた。

当初ルーラ政権にとってできることは限られていた。アメリカの縛りだけではなく、議会においても少数与党としてさまざまな妨害を受けた。

ただその後の世界的な好況の中で、財政にも一定の余裕が生まれ、それを貧困層に振り向けることによって国内需要が生まれ、景気の好循環を実現した。

経済面では南米諸国間との交易を重視し、メルコスールという経済共同体を形成した。その中でブラジルは分別ある兄貴分として振る舞い、南米共同体構想の実現に向けて大きな役割を果たした。

国際的にも「ブラジルの奇跡」は大きな反響を呼び、その中でワールドカップやオリンピックの招聘に成功するなど華々しいパフォーマンスを実現した。

しかし国内においてはその後も少数与党の壁を破ることはできず、資本家政党との連合を余儀なくされてきた。

それらの溜まっていたツケがリーマン・ショックと中国経済の沈滞により、一気に吹き出した。

昨年のGDPはマイナス3.5%に達した。生産、労働、福祉の各方面で矛盾が噴出した。メディアはそれをルセウの失政として攻撃し、大規模な資本家ストを展開した。

しかし民主勢力が「軍事独裁に戻すな、民主主義を守れ」と立ち上がった。ルセウは辛くも大統領選に勝利し二期目の大統領に就任した。

ここまでが今年初めまでの状況である。


ペトロブラスをめぐるスキャンダル

従来ブラジルは石油の取れない輸入国であった。しかし相次いで海底油田が発掘され、現在はほぼ自給状態となっている。

石油事業を一手に引き受けるペトロブラスは国営会社であるが、現在は政府の意向と独立した独自の戦略のもとに運営されている。

急成長を遂げた会社だけに原油安の影響は甚大で、経済の低迷と相まって巨額の赤字を出すに至っている。

贈収賄の生まれるための条件が全て揃っていると言っても良いだろう。

このスキャンダルは単発ではない。与党の絡んだものもあるし、各州政府のたかりもある。

これはこれで解決しなければならない問題だが、それがルセウのところに向かうのは筋違いである。


ルセウの職務停止まで

野党と資本家たちはこれをルセウ弾劾と政府転覆に結びつけようと一気に力を発揮した。

それが3月のサンパウロでの数百万のデモである。有産者を中心に組織されたデモは、タイの軍事クーデター前のデモやベネズエラの野党デモと共通する。

これで政界に脅しをかけた。これで労働党と連立を組むブラジル民主労働党(PMDB)がビビってしまった。そして党がまるごと反大統領に寝返って弾劾裁判の開始に賛成してしまったのである。

5月にはルセウ大統領の職務が停止された。国会における採決はわずか1票差であった。そして副大統領のテメルが職務を代行することとなった。テメルはPMDBの議員であり、裏切りの中心にいた人物である。


ルセウは戦い続ける

ルセウ弾劾の容疑は「予算支出について粉飾があった」と言うものである。ルセウも労働党もこれを認めていない。

上院の調査委員会は「粉飾決算」にルセフが関与した証拠はない、との結論に達した。

本来、大統領弾劾審議は、大統領が直接関与した例外的に重大な過失がある場合に限って認められており、粉飾決算などを弾劾審議開始の理由にするのは違憲である。

「彼女は現在までのところ、一般犯罪との関連で、一つの責任も問われてはいない」(エクアドルのコレア大統領)のである。

ルセウは職務停止を「議会におるクーデター」と呼んでいる。連立与党であったPMDBが財界側に寝返り、ルセウを追い落としたとされる。最近わかったのは、ペトロブラス汚職に絡んだPMDB幹部が自らの訴追を避けるために芝居を打ったということだ。

議会採決の直前、PMDB党首がペトロブラス重役と会い、「捜査を止める唯一の方法は、大統領をルセフからテメルに替えることだ。国軍高官らもルセウ打倒を了解している」と発言。このテープが新聞にすっぱ抜かれている。

首謀者のクーニャ下院議長は、その後汚職によりその座を追われた。共謀者とされるテメル副大統領にも収賄疑惑が浮上している。

ルセウの与党は少数与党であるから、国会が支持しなければ政局運営がにっちもさっちも行かなくなる。

しかしルセウは国会議員に選ばれたのではない。全国民の投票で選出され国民の信託を受けたのであるから、三権分立の建前からすれば職務停止は越権行為である。

「新政権」は選挙の洗礼を受けないまま、社会保障の削減と労働者の権利剥奪に動き始めている。労働組合は全国行動などにより反撃を強めている。ブラジル共産党のフェガリは、「このゲームを変える民衆の能力をみくびっている」と語る。

 

ラテンアメリカ人民の闘い

ラテンアメリカの政治経済

現代ラテンアメリカ情勢 (伊高浩昭さん)

というサイトがあって、新しい情報を提供してくれている。
すこし、今回は日本語でお勉強。

はじめに

エクアドルのコレア大統領は経済不況の原因について、①原油の持続的な価格低迷、②中国経済の減速にともなうマーケットの縮小、③国際制裁に伴うロシア市場の縮小、④一次産品の国際価格低下による輸出額の減少、⑤国際的な投資額の減少に伴う外資導入の縮小を、ラテンアメリカ経済共通の困難として挙げている。

これに各国の特殊性に応じた特殊な困難が加わることになるので、実際上は7重苦、八重苦となる。

この中で、アルゼンチン、ブラジルの両大国が相次いで親米派の手に移り、UNASURは事実上解体状況となっている。これに勢いを得た親米勢力はベネズエラつぶしにすべての力を集中しつつある。

しかしことはさほど簡単なものではない。ブラジルのルセウ大統領を陥れた親米派の策略が暴露されつつある。ルセウの復権もありうる。一方で政権をとった親米政権が何をやるのかということもアルゼンチンで示されつつある。

ラテンアメリカは、まるで一つの国であるかのように情報が素早く広がる。親米派の情報管理の壁が崩れたとき、人民の大きな反撃はありうる。そのことを確信したい。

ボリビア

かつてボリビアは中南米最貧国の一つだった。豊かな地下資源があるが、それは一握りの富裕層に独占され、欧米の多国籍企業の支配のもとにあった。

ボリビアの国民は「宝の山の上の乞食」と呼ばれていた。

それが2006年にエボ・モラレスが政権について風向きが変わってきた。

彼は反米親キューバを唱え、民族衣装で国際会議に臨むなど派手な政治パフォーマンスで話題を呼んだが、それだけではなく10年にわたる内政でも着実に成果を上げている。

それが6月に発表された経済白書である。その内容を少し紹介する。

極貧率の減少: 10年前、この国の極貧率は38%であった。現在では半分以下の17%に減少している。ボリビアにおける極貧率の減少はラテンアメリカのなかでもっとも大きい。

極貧率減少をもたらしたもの: エボ・モラレス政権は天然ガス資源を国有化した。これにより国庫が潤うようになった。

政府は財源を救貧対策に集中した。具体的には

①子供(通学児童)、老人、女性(妊娠・出産後)への社会交付金を増額した。

額は子供で年29ドル、老人で平均300ドル、女性で260ドルだから大したものではない。

②最低賃金の段階的引き上げ。10年間にわたり平均5~10%の引き上げ。累積で2倍化したことになる(単純計算の場合)。

以上のような社会的前進にもかかわらず、モラレス政権は政治的には重大な後退を余儀なくされている。2月の国民投票で再選を可能にする憲法改正を図ったが、48%の賛成しか得られず、野党勢力に敗れたのだ。

モラレスは、この間のラテンアメリカの政治的後退を、経済的理由ではなくエディアとの闘いの不十分さに求めている。

これには理由がある。投票直前にモラレスの愛人問題、とりわけ二人の間に子供が一人いたという情報が流されたのだ。現在ではこれがデマだったことが確認されている。

 

コロンビア

6月23日、ハバナで政府とFARCの和平協定が調印された。その後タイムテールの詰めが進み、9月25日に国民投票が施行される運びとなった。今度こそ恒久的な平和の始まりとなることを祈るばかりである。

そもそもこんなに長引いたのは、元FARC活動家の身の安全を政府が保証できなかったからだ。80年代なかばFARCは和平に合意し、武器を捨て山から出てきた。そして政党を結成し選挙に臨んだのだが、その間に数千の活動家がテロの犠牲となった。

彼らはふたたび山に閉じこもった。それは深いトラウマになっている。だから和平が成功するかどうかの勝負はこれからというところがある。

根本にはコロンビアが農業国であり、オリガルキー(寡占層)が支配する構造が改められていはいないことにある。そしてオリガルキーの手先としてのコロンビア軍の残虐性が反省されていないことにある。

ガルシア・マルケスの小説にもあるように、この国は100年以上も血を血で洗うような戦争が続いてきた。第二次産業が安定的に発展するような経済・社会の変革が不可欠であろう。

 

アルゼンチン

15年12月、不況下でアルゼンチン前政権は支持を失い、保守派のマクリが勝利した。

マクリの行ったことはひどいとしか言いようが無い。

マクリは就任早々、電気代を5倍、ガスを3倍化した。おりからのドル高の中で食料品も値上げされた。

これについてエネルギー相(シェルの元重役)は「もしこのレベルの価格で消費者が高いと思うのならば、消費するのをやめたらどうか」と言い放った。

最初の数ヶ月で、解雇が16万人にのぼった。政府も公務員3万人の解雇でこの動きを助長した。労働者たちは、警官たちと公証人によって、職場に入ることを阻止された。書類を読み上げることによって、かれらは解雇されたことを知らされた。

毎日のようにレストランが閉店に追い込まれ、大学、劇場、そのほかの場所は麻痺状態となり、無数の零細企業が廃業となった。

半年を経た現在、新政権の評判は芳しくない。マクリ大統領一族の名がパナマ文書に登場したのである。当時彼はフェルナンデス・キルチネル前大統領の汚職を見つけ出そうと懸命のキャンペーンを張っていたが、釣り上げたのは自分の体だったというお粗末だ。

ただしキルチネルの不正蓄財額は半端ではない。900万ドルの隠匿金のほか、未申告の600万ドルも摘発されている。

世論調査では65%の人がこの半年で貧しくなったと感じており、新政権への支持は減少している。

前政権派が多数を占める議会は、これを抑えるために解雇条件を厳しくする緊急法を採択した。しかしこれは大統領の拒否権発動で不発に終わった。

さらに文化相は軍事独裁時代に3万人の人が行方不明になったという事実を否定した。

 

ブラジル

5月、予算支出について「粉飾」があったとして、ルセウ大統領の職務が停止された。国会における採決はわずか1票差であった。副大統領のテメルが職務を代行するが、ルセウも労働党もこれを認めていない。

上院の調査委員会は「粉飾決算」にルセフが関与した証拠はない、との結論に達した。

本来、大統領弾劾審議は、大統領が直接関与した例外的に重大な過失がある場合に限って認められており、粉飾決算などを弾劾審議開始の理由にするのは違憲である。

「彼女は現在までのところ、一般犯罪との関連で、一つの責任も問われてはいない」(エクアドルのコレア大統領)のである。

ルセウは職務停止を「議会におるクーデター」と呼んでいる。連立与党であったPMDBが財界側に寝返り、ルセウを追い落としたとされる。最近わかったのは、ペトロブラス汚職に絡んだPMDB幹部が自らの訴追を避けるために芝居を打ったということだ。

議会採決の直前、PMDB党首がペトロブラス重役と会い、「捜査を止める唯一の方法は、大統領をルセフからテメルに替えることだ。国軍高官らもルセウ打倒を了解している」と発言。このテープが新聞にすっぱ抜かれている。

首謀者のクーニャ下院議長は、その後汚職によりその座を追われた。共謀者とされるテメル副大統領にも収賄疑惑が浮上している。

少数与党のために国会が支持しなければ政局運営がにっちもさっちも行かなくなるのは当然だが、ルセウは国会議員に選ばれたのではない。全国民の投票で選出され国民の信託を受けたのであるから、三権分立の建前からすれば職務停止は越権行為である。

「新政権」は選挙の洗礼を受けないまま、社会保障の削減と労働者の権利剥奪に動き始めている。労働組合は全国行動などにより反撃を強めている。ブラジル共産党のフェガリは、「このゲームを変える民衆の能力をみくびっている」と語る。

 

ペルー

6月の大統領選挙でクチンスキーがケイコ・フジモリを僅差で破り勝利した。左翼「拡大戦線」(FP)が選挙最終盤でクチンスキー支持に回ったためだ。

前回の選挙もそうだったが、ケイコ・フジモリの主張はつまるところフジモリ政治をもういちど評価せよというものだ。現に国会の過半数(73/130)はフジモリ派が握っている。国民はフジモリを評価しているじゃないかということだ。

フジモリが弾圧を指示し、その結果多くの人が虐殺されたというのが罪状になっている。しからば、そこは問わないで「その代わりに娘が出てきたら、どうなんだ」と問うている。フジモリ政策の本体の評価だ。

リベラル系の論調にはそれが見いだせない。「独裁時代に戻る」というだけだ。

我々はかつて、それに対する答えとしてジャンタ・ウマラに期待した。しかし彼の行った政策はネオリベそのものだった。そしてクチンスキーは金融資本のテクノクラートであるから、さらに右に向かうであろう。

キューバ

米国との国交は回復したものの、50年間に蓄積されたキューバいじめのさまざまな法体系は、自由化の歩みを遅らせている。オバマは再三キューバ封鎖の解除を議会に要請しているが議会にはこれに応える動きはない。

それどころか、米連邦下院の共和党は経済封鎖強化策を予算に押し込んだ。そこには交流の制限、輸入の制限、送金・融資の制限が盛り込まれている。

経済成長はベネズエラ政情不安を受けて鈍化しており、観光産業の隆盛にもかかわらずGDPの伸びは1~2%に留まると予想されている。

キューバでは引き続き企業活動の自由化が進められている。理髪店からレストランに至るまで開業が相次いでいる。外交関係を再開して以来、ワシントンは私企業の発展を優先させており、今後も注意深い観察が必要である。

最後に6月のカリブ首脳会議でのラウル・カストロの開会演説を引用しておく。

ラテンアメリカにおける帝国主義と寡頭勢力による反転攻勢に無関心であってはならない。

米州諸国機構(OAS)は過去も未来も帝国主義の道具だ。キューバはOASに復帰する意志は毛頭ない。

 

ベネズエラ

ベネズエラの経済が楽なわけはない。原油はベネズエラの輸出額の96%だ。原油価格が半分になれば、歳入は半分になる。格付けが下がれば為替価格は低下し購買力はさらに落ち込む。

基礎生活物資のほとんどを輸入に頼るこの国では、それはそのまま物価の上昇に繋がる。生産原料の輸入が止まれば生産は減退する。

これに異常な降雨不足が拍車をかけた。水力発電が止まり、厳しい停電を余儀なくされた。

世論調査でマドゥロ政権への支持率は20%、不支持率は67%となっている。不況の中での国民の怒りをマドゥロが一身に背負っている感がある。

マドゥロ政権は必死に活路を見出そうとしているが、通貨ボリーバルが三通りもある為替相場のもとで、ベネズエラ経済は国際的信頼を失っており、長期の維持は不可能となっている。

ただ、ひとつコメントしておきたいのは、悪名高きガソリン補助金の廃止に着手したのは、マドゥロ政権が最初だということである。

米国の支持を受けた反政府勢力は、ふたたび大統領リコール運動をはじめた。そして大企業による生産サボタージュを強化した。生活必需物資の9割は民間企業が支配しており、物流阻止、物資隠匿などが横行している。

政府は軍を出動し、主要5港を管理下に置いた。倉庫からは大量の食料品や薬品が発見され、供給に回された。

政府はさらに生産を停止させている工場を接収し、産業活動を止めている企業経営者の逮捕を命令した。しかし状況の好転は見られない。

アメリカではベネスエラ中央銀行の支払い用口座(シティバンク)が閉鎖された。「ベネスエラ経済の危機によるリスク増大」としている。

反政府デモは暴力性を強めつつある。指導者カブリーレスは軍に対し「憲法と政府のどちらの味方をするのか」と問いかけた。これはクーデターの呼びかけとも取れる。

米州機構は人権を口実にした攻撃を強め、12月までにリコール投票を実施なければ「米州民主憲章」に基づいて加盟資格を停止すると脅している。

アルマグロ事務総長は「(リコール投票は)12月以前に実施されるべきだ。実施されないと、ベネスエラ人民が意志表示する可能性が出てくる」と発言している。

かつてチャベスの下でラテンアメリカの変革を主導したベネズエラは、今や満身創痍の状態となっている。だが、依然として耐えている。

 

ニカラグア

資源輸出国ではないことから、国際不況の影響もあまりなく着実な成長を遂げている。

3期目(85年にも一度当選)を目指すオルテガ大統領の人気は依然として高く、世論調査では44%が三選を支持。有力な対抗馬もいない。

別の世論調査では、与党サンディニスタへの支持率は89%にのぼっている。

ただ、ニカラグア大運河構想は香港側の事情でかなり遅れる見込みとなっている。そんなものなどないほうが幸せな気もするが…

 

エルサルバドル

映画「サルバドル」でもおなじみの大量虐殺の国エルサルバドルでも、ようやく虐殺者への追及が始まろうとしている。

和平後の93年にいったん恩赦法が制定されたが、サンチェス大統領がこれに異議を唱えた。これにもとづいて最高裁で審議が行われ、この程、恩赦法を違憲と判断した。

背景には和平後も政治全体に睨みを効かせていた軍部の影響力が減退したこと、FMLN政権の安定化があげられる。

従来、法廷と検察は内戦中の事件が問題になった場合、加害者に有利な姿勢をとっていた。無処罰・免罪の見直しが期待される。

 

 

 

 

 

 

やや古いが、昨年10月の世銀報告ではラテンアメリカ経済の全体傾向が示されている。

これによれば

商品相場の上昇と対中国貿易の伸びを基礎に順調な成長を遂げていたラテンアメリカ経済は、08年のリーマン・ショック、その後の中国経済の原則、原油価格など一次産品の暴落を背景に厳しい局面を迎えている。

一次産品輸出への依存度により各国の影響は様々であるが、全般的にゼロ成長ないしマイナス成長で推移することは間違いない。そして途上国には内需拡大により景気浮揚を図るという選択肢はない。

問題は各国の左翼政権がこの経済調整局面を乗りきれるかどうかである。

左翼的であろうと右翼的だろうと、ポピュリスムが今のラテンアメリカで成り立つ基盤はない。今バラマキをすればハイパーインフレになる。それは「失われた10年」で確かめ済みだ。

あるとすれば“民主的な引き締め”か、ネオリベ的な資産移動しかない。

引き締めにあたって保護すべきものが2つある。一つは生産組織だ。大企業と資本家を保護するのは悔しいが、これが潰れては元も子もない。

もう一つは貧困にあえぐ低所得者層だ。子供、老人、女性の生きる権利は最低限保障しなければならない。そうでなければ国家というものの存在意義が失われる。

そうすれば当然中間層、とくに官公庁に働く労働者にしわ寄せが行くしかない。しかしこの人達こそが左翼運動を支え文化を築き民主主義を守り育ててきた人たちである。

まずはこの人達が退路を断たなくてはならない。そのことによって富裕層を倫理的影響下に置き、貧困者の信頼を引き寄せることができるのである。

これができなければたちまちにして弱肉強食のジャングルが出現する。このことは「失われた10年」と「絶望の10年」を経て、ラテンアメリカ人民の体得した痛切な教訓である。

ベネズエラやエクアドル、ボリビアについてはいろいろな見方があるようだが、一番見なければならないのは10数年の闘いを経て、こういう層がどれだけ分厚く積み上げられてきたかである。


internacionalista さんからペルー大統領選挙についての情報をいただきました。ありがとうございます。
多分、ラテンアメリカ関連をサボっている私への叱咤激励の意味もあるかと思います。
とりあえずの感想ですが、私のペルーはオジャンタ・ウマラVSケイコ・フジモリのところで止まっています。
じつは、どうもアンデス左翼の方向性について確信が持てなくなっているところもありました。
おそらくはペルー共産党は党創立者のホセ・マリアテギの路線を引っ張っているのだろうと思います。マリアテギ自身が、先住民の意義を重視し彼らを立ち上がらせることにペルー革命の意義を見出していたことについては異論はありませんが、それがどの程度のものだったか、これは現場を見てみないとわかりません。
そのマリアテギすら、スターリン主義からの逸脱を指摘され批判された経過があるわけですから、どうしても都市の組織労働者に依拠することになるでしょう。
たしかにそれは必然だったかもしれません。ただいつまでもそうではないでしょう。
否応なしに資本が、道路が、商品が、文化が地方の隅々にまで浸透し、いまや地方の先住民を抜きに民主主義も政治も語れなくなっています。
それまでは一種のアパルトヘイト状態で、地方は国の政治とは無関係に生きてきました。しかし資本主義の浸透は逆に地方の政治参加を促したといえます。
そこをすくい上げたのがフジモリだったと思います。一面ではバラマキのポピュリズムと言われても仕方ないでしょうが、大事なことは、彼が地方の住民に初めて援助や「救い」ではなく、「展望」を与えたことだろうと思います。彼は地方に「農本主義」の思想を持ち込みました。その「展望」を持ったからこそ、地方はセンデロ・ルミノソを自らの手で駆逐したのだろうと思います。
リマの左翼は独裁者とか弾圧や腐敗とかを取り上げて、フジモリを悪しざまに罵るのですが、彼らが地方の小農・貧農(イコール先住民)、その難民としてのリマ市内貧困者に有効な展望を指し示しているのでしょうか。そこが気になります。
チャベスはベネズエラの左翼活動家でしたが、フジモリに学び従来の都市型選挙の枠を超えて大衆を組織し、その力で大統領に当選し、大衆の支えによりその座を守りました。(その任期の後半は強引な政権運営が目立ちましたが)
ベネズエラでは労働組合の多くは企業側と共同し、チャベスを攻撃しました。
新たな左翼の枠組みができようとする時、誰と肩を並べ、誰と対決するかは重要な問題です。
オジャンタ・ウマラは左翼の支持を受けて大統領選に出馬したのですが、決選投票でケイコと対決する中で、企業代表や札付きの右翼と手を結びました。それはリマの左翼の共同意志でもあったかもしれません。
はたしてそれでよかったのか。
その後のウマラ政権の軌跡は、それを疑わせるに十分なものでした。

と、ここまでが感想ですが、この後は少し勉強してからものを言うことにします。



私もへそ曲がりだから、人が誉めそやすと「ほんとかいな?」とチャチを入れたくなる。
ウルグアイの前大統領ムヒカのことだ。
知っている人は知っているだろうが、知っている人はほとんどいないだろうが、彼は元ツパマリョスだ。
都市ゲリラを気取って、散々好き勝手なことをやった連中だ。
もともとウルグアイはゲリラ闘争とはおよそ縁のない平和な国だった。予定通り行けばチリの次に「社会主義」が実現したであろう国だ。
社会党と共産党を軸とした民主連合勢力(拡大戦線)は、軍の革新派も巻き込んでいま一歩でその政府を実現するところだった。
そこに「極左」勢力が割り込んできて都市ゲリラという名のテロを繰り返した。左翼は敵の反動攻勢については実に粘り強く戦う。しかし左翼の衣をかぶったオオカミに対しては実にナイーブであった。そして極左グループの妄動の責任を取らされて、軍事独裁を許し、計り知れないほどの犠牲をこうむった。
軍事独裁がさじを投げ、民主政治が戻ってきたとき、多くの人は挑発者である極左集団も許さなかった。しかし、その一員であったムヒカは獄中何年の勲章を引っ提げて政界復帰に成功した。
その結果、拡大戦線の統一候補にまでなり、大統領候補となり、勝利した。しかし挑発者としての経歴に反省したかどうかは定かではない。
彼の大統領としてのキャリアは非の打ちどころのないものであった。無事に拡大戦線を守り次の大統領へのバトンタッチという重責も果たした。
これらの経過については何も異論をはさむ余地はない。
しかし、奥歯にものの挟まったような不快感はいまだに残っている。だから「世界一貧しい大統領」という称賛にはもろ手を挙げて賛成とはいかないのである。
経団連の土光会長は毎朝メザシを食おうとも、経団連の会長である。
(私のホームページのウルグアイ 年表をご参照ください)

ベネズエラの選挙結果について

1.選挙結果について

12月6日に行われたベネズエラ国会選挙で、故チャベス以来民族革命を担ってきた左派政党が大きな敗北を喫しました。政権を担ってきたマドゥロ大統領は、今後は少数与党のもとで難しい政権運営を迫られると思います。

2.野党勢力の狙い

野党連合は選挙後に声明を発し、民営化を推進すること、外国資本を積極的に導入すること、放送の「中立化」を促進することなどを公言しています。また労働者保護法や貧困者への福祉なども削減する方向です。

そして選挙法を改正し、憲法を改正し、最終的にはマドゥーロ大統領を解任することを狙っています。

3.選挙の敗北の原因

故チャベスが1999年に大統領に就任して以来、ベネズエラの人々の暮らしは劇的に改善しました。それは国際機関も認めているところです。しかし最近では国民の要求も多様化し、それに応えることができなかったことから物不足・インフレが亢進し、国民の不満が高まっていました。

そして昨年からの「逆オイルショック」で財政が困難になったことから、不満が一斉に野党側に流れたものと思われます。

もう一つの原因は、アルゼンチンの大統領選挙の敗北にも見られるように、アメリカがラテンアメリカに対する攻撃を強めていることです。今回の選挙でも大企業・野党連合が物不足を意識的に煽った(いわゆる「経済戦争」)と言われています。また以前の政権から引き継いだ「ガソリン補助金」制度などバラマキ型の財政システムも危機をもたらしたと言われます。

4.選挙敗北の影響

ラテンアメリカ諸国は平和と連帯のイニシアチブをとり続け、米国の覇権を拒否し、多くの国でクーデターの企てを食い止め、域内貿易を発展させてきました。キューバと米国の国交回復もラテンアメリカ諸国の働きかけで初めて可能となったものです。

その先頭に立ったのがベネズエラでした。そのベネズエラが挫折することの影響は計り知れないものがあります。アメリカはアルゼンチン、ベネズエラに続いてラテンアメリカ最大の国ブラジルを狙っていると言われています。

5.ラテンアメリカとベネズエラ人民との連帯と強めよう

今後米国と野党連合はマドゥーロ政権の打倒を狙いさまざまな不安定化工作を強めると思います。民衆への攻撃もさらに強まるだろうと思われます。

私たちも戦争法廃棄などの闘いを強めるとともに、アメリカと国際的独占企業との共通の闘いとして、ラテンアメリカとベネズエラ人民との連帯を強めていく必要があると思います。

下の図は、前項記事につけられたものである。

「ベネズエラ革命が何を残したのか」を、何よりも雄弁に物語ってている。

b&a

テレビ番組ではないが、まさに「劇的変換! ビフォア・アンド・アフター」である。

ちょっと見にくいので説明しておく。

左の灰色がチャベス革命の前、右のえんじ色が革命後である。

一番上が平均年間インフレ率である。前が48%、後が27%でその差は歴然である。ただしこれにはイロイロ事情があって、単純には比べられない。

2番めが失業率。これも11%から6%に劇的に低下している。ただこれも景気が劇的によくあったわけではないので、失対事業などでふくらませている可能性はある。

3番めは貧困率。これも失業率とほぼ平行している。

4番めは社会支出(Social Spending)で、11%から19%に著増している。

下から2番めは年金受給者数(Pension Recipients)。39万人から258万人へと6倍強に増えている。といっても、革命前には軍人か役人くらいしかもらっていなかったということだろう。

一番下は大学へのアクセスということだが、どういう数字なのかわからない。まぁ大幅に増えていることは間違いない。

以上のごとく革命前後の差は歴然としている。「バラマキ」と言われようと、これだけの数字(マクロ)を示されれば、左翼政府の功績は否定しがたい。

しかし、それは、「それなのに、なぜ負けたのか」という答えにはまったくなっていない。

おそらくいちばん安易だが説得力のある説明は、バラマキでつなぎ留めてきた支持が、逆オイルショックで不可能になった、ということになるのではないか。

とくに厳しい輸入制限で、「金はあるのに、物が買えない」という閉塞感は相当不利に働いたと思う。

財政問題では、とくに非常識なガソリン補助金制度が、財政の底に穴を開けてしまった。ただこれは経済攻撃の手段として意図的に利用された可能性もある(断定はできないが)。

この問題については下記を参照されたい。

原油安問題については下記を参照されたい

ベネズエラ 選挙後どうなる?

迫り来る民営化

テレスール国際リサーチ部(ベネズエラ政府が出資する国際通信社)

12月14日


1.右翼連合(MUD)の圧勝

右翼の連合(MUD)は12月6日のベネズエラの下院選挙で圧倒的多数を勝ち取った。

それは過去17年にわたる左翼政権の政策や法律から劇的に離脱することを意味する。

選挙戦の只中に、MUDはウェブサイトで法律のリストを発表した。議員たちは1月5日に議会が開始されたら。それらの法律をひっくり返すと公言した。

そこには、基礎生活商品の価格統制の撤廃、重要企業やサービスの民営化、基盤産業の外国企業への譲渡、地方警察の強化、公共メディアの「独立」と民営化などがふくまれる。

これらの変化は、劇的にベネズエラの政治・社会景観を変えるだろう。

2.価格統制の廃止と民営化

価格統制諸法(the fair prices and food security laws)の撤廃は、ベネズエラ人に必需品への安価なアクセスを失わせ、公平な価格と食糧安全保障を無効にするだろう。

野党は言う。「これがもの不足の問題を解決する」と。

政府は反論する。物不足の原因は密輸犯罪と野党の支援する経済戦争のためだと。

他の2つの法律は、民営化への道を開けるだろう。ひとつは戦略的な企業の国有化を逆戻しする。そして民間企業の資産を脅かす「公共使用の宣言」(the declaration of public utility)を無効にするだろう。

彼らの文書にはこう説明されている。「我々の考えは、食物、薬、家庭用品と個別医療のような重要な領域において、企業活動の復活を支持することである」

もう一つの法律は公共サービスの「非集中化」である。公共サービス事業は自治体に分散される。そして民間のサービスプロバイダに下請契約する権限を与える。

MUDによればこの計画は独占と特権を抑制するためのものである。「それは政府が公共サービスの供給において作り出した障害を除去する。それは民間企業あるいは半官半民企業との戦略的協力を産み出すためのコンセッションである」とされる。

3.外国投資の大幅緩和

この領域の第3の法律は、大規模な基盤プロジェクトのために外国の投資家と多国籍銀行にコンセッションをあたえるだろう。

左翼政権はこのような外国資本との取引を終わらせるべく尽力してきた。それは主権を強化し、国内事件への外国の干渉を避けるためである。それはとくに米国を念頭に置いている。

米国の歴史は内政干渉の歴史であり、その政策は通常その国の資本の国内利益を守るためのものであった。

MUDは、特に道路、水道、ゴミ収集、港と空港について言及する。

「多国間の資金提供を認め奨励する。それはその融資はコンセッションを利用することで、政府と協調する民間企業が返済する。大規模なプロジェクトを発展させるためには、大規模な投資が必要であり、そのことにより事業の効率も上がる」と謳っている。

4.地方警察の強化

ベネズエラは非常にリアルな犯罪問題を抱えている。MUDはそれを「ベネズエラの市民が日夜向き合うもっとも深刻な問題」と表現している。

MUD計画では、地方のおよび州警察勢力により多くのパワーを与えることになっている。しかし、それらの警察はしばしば反対派の地方政府によって動かされている。

2002年にウーゴ・チャベス大統領を倒そうとしたクーデター企てで、重要な役割を演じたのは、まさにカラカスの地方警察であった。

5.メディアに関して

国会で多数を占める反政府派は、公共メディアにおける「覇権終了」法を提案している。そしてメディア報道担当の「独立」の保証を主張する。

MUDは、これらの変化は憲法で保証されたものであり、「より良いクオリティ・オブ・ライフ」に導くものだと主張している。


1.氾濫する憶測記事

“キューバ 国交回復”と入れて、グーグルで検索すると山のような記事にあたる。しかし数は多いが、中身は大同小異だ。

しかもうんざりするような話ばかりだ。

オバマの点数稼ぎ、政策転換により変革を促したい米国とか

経済苦境を解決したいキューバとか、ソ連なき後、孤立からの脱却を狙っているとか

これからキューバの人権問題が浮かび上がる、ビジネスチャンスを伺う産業界、

さらに言うなら、日本のメディアは本当はキューバなんかに興味はないのだ。欧米諸国でこのニュースがもてはやされるからお付き合いしているだけだ。

そういう連中の言うことを聞いていても、何の役にも立たない。

すみません。以後アメリカ・キューバ関係のことを米玖関係と書かせてもらいます。玖というのはキューバを漢字で書くと玖瑪となるからです。ちなみに米国というのはアメリカの漢字書きが亜米利加となるからです。

2.国際外交上の原則が確認された

なぜ米国交回復がそれほどまでに重大なニュースなのか。

まず言っておきたいこと、それは米玖国交回復が世界の外交の原則に関わっているからこそ、重視されているということだ。

それは経済封鎖という外交手段である。

これまでアメリカは国際外交の原則 を蹂躙し続けてきた。

それがもはや許されなくなった。そのことを明らかにしたから、その故に、このニュースは重大なのだ。

米国の側にどんな言い分があろうと、どんな歴史的経過があろうと、この外交原則は破ってはならないのである。

3.守るべき国際原則とは何か

それは国連の制裁解除決議に端的に示されている。去る10月28日には23回目の決議が採択された。反対したのは米国とイスラエルのみ。あの日本ですら賛成 しているのだ。

米国の対キューバ経済封鎖は、国連憲章、国際法、民族自決権、内部問題不干渉、国内政策の域外適用、自由貿易に反するものである。

ということで、やたらと引っかかっているが、根本的には「自由貿易の原則」の侵害なのであろう。

自由貿易は第2次世界大戦の反省の上に作られた原則で、弱者の保護を前提としつつもすべての国々の産業の基盤となっている。

問題は制裁という行為にあるのではなく、それを強大国が単独で、実力封鎖という手段で押し付けることにある。そのことが自由貿易の原則を著しく毀損することになる。

当然それは内政干渉にもなるし、民族自決権の侵害にもなる。これが米を除く全ての国の共通認識だ。

なお、日本のでは経済制裁(economic sanctions)と報道されているが、これはおそらくは意図的な誤訳であり、決議は取引禁止(Embargo)となっている。制裁は、どちらかと言えば“言うことを聞かせる”方に力点がある。せめて経済封鎖(economic blockade)というべきであろう。

池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル
放送日時
2015年9月5日(土) 18:56 ~ 20:54
番組概要
1日本がスパイに狙われている!?…先日アメリカのNSAが日本政府・企業を盗聴しているとのニュースが…なぜ同盟国に?その狙いとは?
【スパイの今と昔】
 先月、アメリカの情報機関NSAが日本の政府や大企業の電話を盗聴していたと内部告発サイトのウィキリークスが暴露し、日本に衝撃が走った。盗聴内容は アメリカを含む5カ国で共有されている可能性があるというが、アメリカは同盟国の日本をなぜスパイの標的にしたのか? 戦時中には勝敗を分けるとも言われ るスパイ活動の驚くべき歴史を紐解きながら、現在も世界的規模で行われているスパイ活動の目的と実態に迫る。


・カストロ,危機一髪

 今度の暗殺計画は一番成功に近かった作戦でした.キューバ国内にカプセルを持ち込む「運び屋」には,買収されたスペイン外交官ベルガーラがあたることになりました.ベルガーラは外交特権を使って警備の網を潜り抜けます.毒薬カプセルが再び持ち込まれました.

 トニーの「救援隊」はまだ健在でした.ベルガーラは救援隊のカソを呼び出しスペイン大使館内でカプセルを渡します.カソはホテル・ハバ ナ・リブレを暗殺の場に選びました.ハバナ・リブレはキューバ最高のホテルで海外の賓客が宿泊することも多かったのです.館内には接待に赴いたカストロが しばしば立ち寄るビュッフェがありました.カストロはそこでアイスクリームを食べるのが楽しみだったといいます.

 恰好なことにホテルのバーテンダー,サントス・ペレスは救援隊の秘密隊員でした.カソはペレスにカプセルを渡しアイスクリームにこれを混ぜるよう指示しました.ペレスはこれを冷凍庫に隠します.準備万端整いました.あとはカストロが来るのを待つばかりです.

 結局この計画も失敗に終わりました.別に当局に察知されたわけではありません.ペレスをはじめとするハバナ・リブレ内の反革命分子が摘発されたのは,それから2年半も経った64年末のことです.彼らの自白から恐るべき計画が明らかになったのです.

 現にチャンスはあったのです.外国のゲストにあいさつするためホテルを訪れたカストロは,くだんのごとくビュッフェに立ち寄りアイスク リームを注文しました.注文を受けたペレスは冷凍庫の扉を開け,ふるえる手でカプセルを取り出そうとします.ところがなんと容器は冷凍庫のなかで凍結して しまっていたのです.ごりごりこじってもすぐには剥がれそうにもありません.もちろんいつまでそうやって遅くなれば怪しまれます.この瞬間ペレスは実行を 断念します.

 こういうことは一度失敗するともうダメなのでしょうか.ペレスたちはすっかり怖じ気付いてしまいカプセルをトイレに流してしまいました. それにしてもピッグス湾のときのトニーの「失踪」とか冷凍庫の失敗とか,カストロ暗殺計画にまつわるさまざまなエピソードにはなにかブラック・ユーモアを 感じてしまいます.

むかし森山加代子の歌で、「月のキューバの、夜のことよ、甘い恋の囁き…」というのがありました。

Lobby of Tryp Habana Libre

奥のガラス張りの部屋がメイン・ダイニングなので、多分その中にビュフェコーナーがあるのではないでしょうか。一見綺麗ですが、なにせ築50年ですから相当ガタが来ているはずです。郊外にきれいな新築ホテルができているので、そちらの方をおすすめします。よんどころなくお泊りの方はまずエアコンと水回りをチェックしてください。ただし20階以上の海側はすべてを補って余りある眺めです。


〇〇様
まことに申し訳ございません。
1.コンビニでファックス送れるかと思ったら送れなかった。
2.我が家のファックス試したがやっぱりダメだった。
3.我が家のプリンターでスキャンしようとしたら、パソコンにドライバーがなかった。
4.デジカメで撮ろうと思ったが、デジカメを職場においてあることに気づいた。
5.嫁さんのデジカメは電池切れで、充電が間に合いそうもない。
6.最後にウィンドウズのスキャン&ファックスというソフトで試したらどうやら取り込めた。
というところまで来ました。
メールだとパンクするかもしれないので、私のブログにアップロードします。
これが本の表紙です。
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これが裏表紙です。
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これが1ページ目です。
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これが該当部分です。
4

これが次のページです。
5

とりあえず、これですべてです。
ちょっとだけ付加情報
20年前にハバナで買った本です。
オーストラリアの出版社になっていますが、ダミーです。
この本の後ろには、根拠となったCIAの秘密文書のコピーが貼り付けられています。
著者の名前はどうでもよくて、ヘドス(G2)が自らの力を誇示すべく書かせた文書であることが用意に察せられます。

ブログ記事一覧表


2015年6月現在

02 ラテンアメリカ
まだリンクを貼るところまで至りません。申し訳ありませんが、題名を検索語にしてグーグル検索してください

2015-05-05

米・キューバ関係改善を目指すこの間の動き

2015-05-05

オバマ政権、キューバ政策転換の特徴

2015-05-05

米・キューバ関係改善の世界史的常識

2015-04-23

2015年 ラテンアメリカ情勢 レジメ

2015-04-21

それはもうひとつのベトナム戦争だ

2015-02-25

キューバ革命を学び、今を知る旅

2015-01-24

「10月、キューバ」ですよ

2014-12-19

「外交関係復活」 ラウル・カストロのテレビ演説

2014-12-19

米・キューバ関係の前進について

2014-11-27

ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その5

2014-11-27

ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その3

2014-11-27

ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その4

2014-11-26

ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その2

2014-11-26

ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その1

2014-11-11

メキシコ 学生失踪事件の感想

2014-11-11

アバルカ問題とメキシコの危機

2014-11-11

メキシコ 学生集団失踪事件 タイムテーブル

2014-09-16

アルゼンチン「債務交換」の行方

2014-08-07

アルゼンチン債務 と、著名エコノミストの米議会要請

2014-07-05

ゲバラの幻を見た一瞬

2014-06-16

コスタリカ情勢、これで決まり

2014-06-16

コスタリカ大統領選は勝ったのではなく負けたのだ

2014-06-16

ビジャルタ候補(コスタリカ)について

2014-06-16

ラテンアメリカ左翼政権一覧表

2014-06-15

コスタリカの大統領選挙について

2014-06-10

ポサダ・カリレス 稀代の爆弾テロリスト

2014-06-09

アレイダ・ゲバラ 経済封鎖を非難

2014-06-09

アレイダ・ゲバラ 原発を語る

2014-05-06

現代キューバ文化のキーワード

2014-04-22

チリ教育と新自由主義

2014-02-24

グスマン逮捕! そして誰もいなくなった

2014-02-11

チリの学生抗議運動 その1

2014-02-07

嫌チャベスの色眼鏡を外しては?

2014-02-07

チリ年表とネパール年表

2014-01-16

NAFTAは経済成長に貢献しているとはいえない

2014-01-15

メキシコの経済パフォーマンス

2014-01-15

日経のNAFTAバンザイ論

2014-01-15

メキシコ、NAFTAの20年

2013-12-20

フランシスコ語録 つけたし

2013-12-20

フランシスコ法王の祖国での評判

2013-12-20

ローマ法王、11月文書の要旨

2013-12-20

フランシスコ教皇「私はマルクス主義者ではない」

2013-12-20

フランシスコ法王の経済的不平等についての発言

2013-12-13

コロンビア情勢が大荒れになりそう

2013-12-03

リオス・モントの評価

2013-11-19

カミラ・バジェホが国会議員に

2013-11-02

キューバ・ミサイル危機の捉え方

2013-10-03

グアテマラで携帯被害が年間14万件

2013-10-02

ラテンアメリカにおける消費主義の理解

2013-09-16

メキシコ教育労働者の闘い

2013-09-14

わたしはチリについて書いてきた

2013-09-13

チリ共産党、100年の闘い

2013-07-23

セタスの消耗が激しくなっている

2013-07-23

「メキシコ麻薬戦争 列伝」の評判が“すごすぎる”

2013-05-27

チリで好きになった娘

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その6

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その5

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その4

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その3

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その2

2013-03-22

キューバ 苦悩の歳月 その1

2013-03-12

赤旗「中南米の変革」シリーズ

2013-03-12

石油生産、いらぬ心配はご無用

2013-03-12

WSJはチャベス革命の死を願う

2013-03-12

チャベスの死と資本家の大はしゃぎ

2013-03-10

プラヤ・ヒロンの戦い

2013-03-10

チャベス革命の道筋 その3

2013-03-10

チャベス革命の道筋 その2

2013-03-10

チャベス革命の道筋 その1

2013-03-07

チャベスに関する私の過去発言

2013-03-06

チャベス死してUNASURを遺す

2013-03-06

チャベス、3つの功績

2013-02-27

ボサノバの立ち位置

2013-01-28

リベルタード号歓迎集会での大統領演説

2013-01-27

ニカラグア大使講演、聞き書き

2013-01-26

ハゲタカファンドの帆船乗っ取りの手口

2013-01-25

記憶すべきリベルタード号事件

2013-01-24

お帰りなさい、サンディニスタ!

2013-01-17

ニカラグア大使が札幌で講演

2013-01-07

ビクトル・ハラの虐殺犯が逮捕

2012-11-25

FSLN離党者の気持ちは分かる

2012-11-23

ニカラグアの全市長が平和市長会に加入

2012-11-22

或るサンディニスタの生き方

2012-11-15

ニカラグア総領事エルビルさん

2012-11-09

ガイアナの解放者 チュディ・ジャガン 2

2012-11-09

ガイアナの解放者 チュディ・ジャガン 1

2012-11-08

ゲバラ部隊の生き残りの証言 2

2012-11-08

ゲバラ部隊の生き残りの証言 1

2012-11-07

「ゲバラ最後の戦い」は映画だ

2012-11-01

ゲバラのボリビア戦記

2012-10-28

それは佐藤さんの“業”です

2012-10-28

ブラジルの現状をどう見るか

2012-10-28

チリ・クーデター 佐藤さんの証言 その2

2012-10-09

フレディ・前村について

2012-10-09

イゲラ村とバジェグランデについて

2012-10-09

ゲバラの死 趣味の悪い写真集

2012-10-08

「ゲバラの死」年表を増補

2012-10-06

ベネズエラ 最終盤の状況

2012-09-11

ポプラの並木路

2012-09-11

アジェンデ最後の演説

2012-08-18

チャベス政権の十年: 経済・社会指標の検討

2012-08-15

ベネズエラ 世論調査の動向

2012-08-13

チャベスの対抗馬ラドンスキー

2012-08-13

赤旗「ベネズエラはいま」を読む

2012-08-12

エコノミストはベネズエラを評価している

2012-08-11

赤旗の「ベネズエラ特集」について

2012-07-26

ブラジル: 格差縮小とルーラの功績

2012-07-05

パラグアイ 13年前の弾劾劇

2012-07-05

パラグアイ 続々報

2012-07-03

パラグアイ弾劾クーデター 続報 

2012-07-02

メキシコ大統領選挙 訂正

2012-06-28

パラグアイ 議会クーデターの真相 その3

2012-06-28

パラグアイ 議会クーデターの真相 その2

2012-06-28

パラグアイ 議会クーデターの真相 その1

2012-06-27

メキシコの「132運動」の紹介

2012-06-27

AMLOが猛追 メキシコ大統領選

2012-04-16

イヴォ・ロルシェイテル司教(ブラジル)

2012-04-09

チリ・クーデター 佐藤さんの証言

2012-04-07

ブラジル、民主化の闘い 略年表

2012-04-07

ブラジル、民主化の闘い その6

2012-04-06

ブラジル、民主化の闘い その5

2012-04-06

ブラジル、民主化の闘い その4

2012-04-04

ブラジル、民主化の闘い その3

2012-04-04

ブラジル、民主化の闘い その2

2012-04-04

ブラジル、民主化の闘い その1

2012-03-14

FMLNの選挙での後退

2012-02-28

FARCが誘拐作戦中止を宣言

2012-02-25

ブラジル共産党への誤解の根源

2012-02-08

エクアドル経済への目 その4

2012-02-08

エクアドル経済への目 その3

2012-02-07

エクアドル経済への目 その2

2012-02-06

エクアドル経済への目 その1

2012-02-04

エクアドル・クーデター事件を書きなおす

2012-02-01

木下氏の評価には同意できない:エクアドルは混迷を深めていない

2012-01-31

チリ大統領が大企業増税を宣言

2012-01-31

メキシコで農業崩壊の危機

2011-12-08

ブラジル経済が失速?

2011-12-07

ラテンアメリカの貧困率 つけたし

2011-12-03

それでも2002年は意味がある

2011-12-03

ECLACの元データ

2011-12-02

ラテンアメリカ 8年間で最悪から最高へ

2011-11-18

チリ学生闘争年表 その3

2011-11-18

チリ学生闘争年表 その2

2011-11-18

チリ学生闘争年表 その1

2011-11-18

チリ学生は何をもとめているか

2011-11-15

チリ学生運動のジャンヌ・ダーク

2011-11-11

サンディニスタ圧勝のわけ その5

2011-11-10

サンディニスタ圧勝のわけ その4

2011-11-10

サンディニスタ圧勝のわけ その3

2011-11-10

サンディニスタ圧勝のわけ その2

2011-11-10

サンディニスタ圧勝のわけ その1

2011-10-16

エルサルバドル年表の訂正

2011-10-05

オジャンタ・ウマラとラテンアメリカ革命 2

2011-10-05

オジャンタ・ウマラとラテンアメリカ革命 1

2011-09-26

南米を変えたこの十年 その5

2011-09-26

南米を変えたこの十年 その4

2011-09-26

南米を変えたこの10年 その3

2011-09-26

南米を変えたこの10年 その2

2011-09-26

南米を変えたこの十年 その1

2011-09-23

ベネズエラ もう少し考えた

2011-09-22

ベネズエラ経済: 立ち止まって考えた

2011-09-22

ベネズエラ経済を、ふと考える

2011-09-06

新自由主義は治療薬にはならない

2011-08-20

アルゼンチン破産の理由 その1

2011-08-09

もうひとつのラテンアメリカ

2011-08-04

UNASURがドル離れの姿勢

2011-07-28

南米諸国連合はなぜ支持されるか

2011-07-21

アジェンデは自殺

2011-07-19

2002ルーラ当選阻止作戦の手口

2011-07-18

2001アルゼンチン危機とラテンアメリカ 2

2011-07-18

2001アルゼンチン危機とラテンアメリカ 1

2011-06-23

ペルー大統領選の勝者はUNASUR

2011-06-16

ラテンアメリカ諸国の財政状況: とくに歳入部門

2011-06-07

オジャンタ・ウマラについて

2011-05-11

アメリカとベネズエラ、国民が感じる「幸福感」












米・キューバ関係改善を目指すこの間の動き

2014年

12.17 オバマ米大統領、キューバとの国交正常化に乗り出すと発表。

キューバ国民と米国民、そして全半球と世界のために、米国は過去の足かせを緩めることを選ぶ。

米国は長い間キューバの民主化促進を唯一の政策として掲げてきた。アメリカの外交政策で賞味期限が切れたものがあったとすれば、それは対キューバ政策だこれまで失敗してきた時代遅れの手法を終わらせる。
頑なな政策は、私たちのほとんどが生まれる前に起きた出来事に根差すものだ。それは米国人のためにもキューバ人のためにもなっていない。
キューバとの対話を直ちに始めるようケリー国務長官に指示するとともに、キューバの首都ハバナの米大使館を再開する。
ケネディ政権時代から続いてきた渡航禁止、送金規制も緩和する。また原則として禁止してきた、建築資材や携帯電話などの禁輸措置を緩和し、テロ支援国家指定の見直しも検討する。
カナダ政府とローマ法王フランシスコの仲介で、2013年6月から舞台裏の交渉が続けてられていた。
フランシスコ法王は、3月にオバマと会談しキューバを巡って意見交換した。さらに両首脳に書簡を送り、10月にはバチカンで対話の場を提供した。オバマは「ローマ法王の支援で道義的な権威が得られた」と感謝している。

12.17 ラウル・カストロ国家評議会議長もキューバで演説。

オバマ大統領の発表は尊敬と評価に値する。ローマ法王庁の力添え、特にキューバと米国の関係改善に向けたフランシスコ法王の力添えに感謝したい。(全文はここに掲載)

12.17 米国人アラン・グロスが、「人道的」見地から釈放される。20年にわたって拘束されていた米情報要員も釈放される。米国はスパイとして服役していた3人を釈放する。

12.17 共和党の反応。

共和党のベイナー下院議長が「キューバ国民が自由を享受するまでカストロ政権との関係を見直すべきではない」とする声明を発表。
共和党のマルコ・ルビオ上院議員が非難声明を発表。経済制裁の緩和を「理解できない」と批判。あらゆる権限を行使してキューバへの米大使派遣を阻止すると述べる。
ルビオはフロリダ選出で、亡命キューバ人の家系。反共謀略組織CANFの幹部を務める。次期大統領候補の一人と目されている。

12.20 ラウル・カストロ、人民権力全国会議(国会)で演説。「われわれは米国に政治体制の変更を求めてこなかった。米国にもわれわれの政治体制を尊重するように求めていく」と述べる。

12月 国交回復交渉への日本メディアの見解。

歴史に名を残したいオバマ大統領と、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長の思惑が一致

原油価格急落で、キューバの友好国であるベネズエラのデフォルトが現実味を帯び、キューバ経済が厳しさをました。

ウクライナ情勢を受けて米ロ関係が悪化したことから、ロシアとキューバの接近が懸念された。

12月 オバマ大統領、テロ支援国家の指定を見直すようケリー長官に指示。大統領権限の範囲で、貿易や渡航の制限緩和をうちだす。

12月 キューバ、米国の指名した政治犯53人の釈放に同意。さらにインターネット利用の解禁や、赤十字国際委員会、国連人権保護担当官の受け入れも表明。

12月 フロリダ・インターナショナル大学が行った世論調査によると、フロリダ州デイド郡に住むキューバ系米国人の間では禁輸支持は、1991年の87%から現在では48%に低下。(フロリダ州はキューバ系米国人約130万人のの本拠)

2015年

1.20 オバマ大統領が上下両院合同会議で一般教書演説。

われわれのやっていること(キューバ孤立策)は50年間機能しなかった。新しい試みに取り組むときだ。

キューバ政策の変更は西半球での不信の遺産を終わらせる可能性を持っている。ローマ法王フランシスコは「外交は小さな一歩の仕事」と述べた。この「小さな一歩」は、キューバの将来に新たな希望を加えた。

我々はキューバ制裁について偽りの口実を除去し、民主的価値のために立ち上がり、キューバの人々に友情の手を拡げる。

そして今、議会は禁輸を終えるための仕事を開始する必要がある。

1.22 ハバナで次官級協議が行われる。移民問題、大使館開設,人権問題が俎上にあげられる。

1.24 2日間の協議を終え、ジェイコブソン国務次官補が記者会見。

米、キューバは、両国の意見の隔たりを埋めるべく取り組んでいる。表現の自由や人権について、今回の協議の一部として話し合った。
オバマ大統領も、テロ支援国家指定と経済封鎖の解除の2つの問題を認識している。

4.04 オバマ、ニューヨーク・タイムズのインタビューで、自らの「関与政策」を説明。強大な軍事力を背景に、軍事力を使用することなく、外交で解決の可能性を探ると語る。

4.11 パナマで第7回米州首脳会議が開かれる。キューバが53年ぶりに参加。両国首脳が非公式に会談。

オバマの演説は以下のとおり

米国はキューバとの関係で新たな章に入った。この政策転換は南北の米大陸全体にとっても重要な転換点となる。
米州首脳会議にキューバを参加できるようにしてくれた米州機構諸国に感謝している。
キューバと違いは残っているが、話し合いは前進している。米国はキューバと新しい関係の構築を目指すとともに、キューバに人権問題の前進を求める。

4.11 オバマ、会議終了後パナマを発つ際の記者会見。

米国はキューバの民主化を諦めていない。民主主義、人権、結社の自由ならびに報道の自由といった問題について話し合うことをやめることはない。社会がどのように構成されるべきかについては、さまざまな考えがあるが、私はラウルと密に話をしている。

米国は完璧である、という主張はしない。
確かに過去の不満について話し合う時間は十分にあり、国内で発生している政治的な問題の言い訳として米国を利用することもできるだろう。
しかし、それでは進展は期待できない。
それによって、字を読めない、十分な食糧を得られない子どもたちの問題を解決できるわけではないし、われわれがより生産的になり、競争力を得られるというわけでもない。

4.14 オバマ米大統領、キューバへのテロ支援国家指定を解除することを承認し、議会に通告する。これにより経済制裁も緩和される。

テロ国家指定解除の仕組み: オバマの指示に基づき、国務省がテロ支援国家の指定が解除できるかの見直し作業をおこなった。

「情報機関が提供した記録などを慎重に検討」した結果、国務長官は、①過去6カ月の間に国際テロを支援していない、②将来もテロを支援しないと予想される、と判断。
大統領に解除を勧告し、オバマ氏がこれを承認した。

この措置は、承認を受け45日後以降に発効する。議会はそれまでに、解除に反対する法案を可決することもできる。
ただ、反対法案が可決されても、大統領は拒否権を行使する。その際、議会は上下両院で3分の2以上の票を集めれば、大統領の判断を覆せる。
世論調査では、米国民の約6割がキューバとの国交正常化に賛成しているため、共和党側もそこまで対決できないのが実情だ。(朝日新聞)

外交政策変更の柱(WSJによる)

1.大使館開設(大使の発令は議会の承認事項のため当面は困難)

2.渡航制限の例外規定の拡大(現在は親族訪問や報道、専門的な研究、貿易業務、医療など12のカテゴリー)

3.米銀発行のクレジットカードおよびデビットカードが使用可能となる。

4.葉巻・ラム酒などの5万円までの持ち込み可。

5.米国からキューバへの送金制限は1四半期当たり500ドルから2000ドルに引き上げられる。送金許可を得る必要はなくなる。

6.インターネット構築のための通信機器の対キューバ輸出が認められる。現在は観光向けホテルを除き一般利用はほぼ不可能。

4月 米州首脳会談に対するラテンアメリカの評価: ブラジルのルセフ大統領は13年の盗聴問題発覚以降中止していた米国訪問を行うと発表。ベネズエラのマドゥロ大統領も言葉を交わす。メキシコのウニベルサル紙は「米州における新時代」との見出しを掲げる。

5.01 岸田外相は3日間にわたりキューバに滞在。ロドリゲス外相や、外国との貿易などを担当するカブリサス閣僚評議会副議長などと会談。

キューバ政策転換の特徴

今回の一連の動きは、ローマ法王などの努力があったとはいえ、基本的には米国側のイニシアチブによるものです。その根底には米国の外交姿勢の転換があります。

だから、「双方の思惑が一致した」などというのはおよそ分析の名に値しません。これらの動きを分析するためには、米国側の姿勢転換の特徴を分析しなくてはなりません。

これまで米国は何回か大きな外交路線の転換を行ってきました。たとえばケネディによる平和共存路線、ニクソンによるベトナム戦争終結と中国との国交回復などがあげられます。

これらの決断に比べれば影響は大きいとはいえませんが、決断の内容はそれらに勝るとも劣らない程のもので、その波及効果は今後注目されるべきです。

第一の特徴 総括を伴う転換

最大の特徴は、これまでの路線に対する「総括」を伴う転換だということです。オバマは12月の声明でこう言っています。

アメリカの外交政策で賞味期限が切れたものがあったとすれば、それは対キューバ政策だ。これまで失敗してきた時代遅れの手法を終わらせる。頑なな政策は、私たちのほとんどが生まれる前に起きた出来事に根差すものだ。それは米国人のためにもキューバ人のためにもなっていない。

過去に対キューバ政策の転換を唱えた政治家はいたが、これだけ明確に過去の政策を弾劾したものはいません。オバマはそこまで立ち入ったことによって、逆に支持を獲得したのだと思われます。

過去のケネディやニクソンの路線転換は「総括」を伴ったものではありませんでした。それはパワーポリティクスやゲオポリティクスの枠組みの中でのみ処理されてきました。だから彼らが打ち出した新路線はケネディ戦略とかニクソン戦略と呼ばれてきました。

今回の路線転換はもっとラジカルに、21世紀型思考への変更をもとめるものとなっています。

これが最大の特徴です。

第二の特徴 外交による解決というオバマ路線の貫徹

レーガンからブッシュ親子へという共和党政府24年の歴史は絶えざる干渉と侵略の歴史でした。それから見ると、オバマは一度も新たな出兵を行っていません。厳密に見ればアフガンの武装を強化したり、リビアやシリアへ出兵の構えを見せたりと、危ういことはたくさんありました。現在でも無人機の攻撃は続けられています。

これはイラクからの米軍撤退を公約に掲げて当選した時からの彼の基本的姿勢が影響していると思います。彼は自らの外交を「関与」の路線と名づけています。強大な軍事力を背景に、軍事力を使用することなく、外交で解決の可能性を探るというものです(ニューヨーク・タイムズとのインタビュー)。

その唯一の例外がキューバだったわけで、武力行使こそないものの、外交関係の断絶と非人道的レベルにまで達した禁輸、キューバ政府転覆活動への公然・非公然の支援は事実上の戦争状態です。これを部分的にせよ改めることで、オバマの「関与」路線は初めて首尾一貫としたものとなるわけです(パレスチナは残るが)。

イランなど中東の関係者は、キューバとの交渉に注目しています。そのプリンシプルは中東にも適用されるべきものだからです。

第三の特徴 大統領権限の一方的行使

そのやり方の特徴は大統領権限を一方的に行使して、世論を味方につけながら政策を遂行していくことです。

現在、議会はティーパーティーに牛耳られ、議会の同意を得ながら進めることはほとんど不可能になっています。それだけ二大政党間の対立、ひいては米国における階級対立が厳しくなっているからです。

議会選挙で共和党が優勢な理由(オバマが不人気な理由)についてはいろいろ挙げられますが、同時に、富裕層を代弁する共和党に対して、世論がオバマ以上に冷たい視線を浴びせていることも見逃せません。

つまり、オバマ政権は議会では少数派でも、世論の後押しを受ければ政策を実現できるという、ちょっと変則的な局面にあるといえます。

こういう少数与党の政権運営は、政党対立が厳しいラテンアメリカではよく見られる現象です。今回のキューバとの関係改善という過程の中で、それが典型的に示されました。

残る1年半の任期で、この手法でどれだけ成果を積み上げられるかが注目されます。その意味でもキューバ交渉は試金石となっています。

いま米国とキューバの関係改善が着々と進んでいます。

これに対して、日本のいわゆる専門家と言われる人々の見方があまりに皮相であることを知って、あらためて驚いています。

まず強調しておきたいのは、今回の事態は世界史的なエポックであるということです。だから世界史的な観点から評価しなければならないのです。

第一は、冷戦体制の最終的終焉だということです。もちろん形を変えた冷戦システムはいまだに健在ですし、大国主義や大小の覇権主義は大手を振っています。しかしそれを資本主義対共産主義というイデオロギーで裁断する手法はすでに過去のものとなっており、アメリカのキューバ制裁がまさにその過去の遺物の象徴でした。オバマが声明で強調したのはまさにそういうことだったし、それが米国民の圧倒的支持を獲得したのも、そのためです。

第二は、民族解放運動の最後の勝利だということです。第二次大戦後に始まった世界の民族解放運動は、ベトナム戦争で最大の高揚を見せました。その後もいくつかの民族解放運動が闘われ、20世紀の末にはほぼ完了していました。その中で、形を変えた民族自決の闘いとなったのが、このキューバ制裁でした。

もはや植民地制度も新植民地制度も、奴隷制度と同じく過去のものとなりました。このことは21世紀の常識です。それが示されたのが国連総会で何度も圧倒的多数で採択されたアメリカ非難決議です。

第三は、これがグローバルな世界の形成という必然的な流れの必然的な結論だということです。米国もキューバもグローバル世界の一員として各国と向き合うことなしに生きていくことはできません。

ローマ法王もカナダ政府もラテンアメリカ諸国も、決してキューバの政策に諸手を上げて賛成しているわけではありませんが、平等なパートナーシップを望む権利があると考えています。

総じて言えば、キューバへの経済制裁政策はあまりに古色蒼然としており、無意味で有害で無益なものとなっており、一日も早く破棄しなければならないということです。それが世界史的に見た常識というものです。

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