鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

カテゴリ:05 音楽 > A 音楽/クラシック

「ピアノの詩人」といえばショパンの代名詞。世界中どこに行っても通用する。ところが誰がいつからショパンを「ピアノの詩人」と呼ぶようになったのかが判然としない。
それはいつかまた詮索するとして、「ロシアのショパンたち」を書いていて「なるほど」と思ったことがある。
ショパンは別格として、「ピアノの詩人」と言われておかしくない人はたくさんいる。どちらかと言えば小品にさえを見せる人たちだ。
意地悪く言えば、あまり大河小説のような大作は書けない人、小物作曲家というイメージもある。今では死語になったが「女性的」という言い方もできる。
ところで、ロシアの「世紀末」作曲家たちを聞いていると、そういうちょっとネガティブな枠組みと違う「ピアノの詩人」概念が存在するのではないかと思うようになった。
逆説的だが、ピアノで詩を作り歌う才能がない人というのが世の中にいるのではないかという考えである。
ラフマニノフの場合
最初に気がついたのはラフマニノフだ。
ラフマニノフについては以前、1901年の前奏曲(作品23)の途中でプッツンしたのではないかと書いたことがある。
ラフマニノフといえばチャイコフスキーも目をかけたモスクワ音楽院の俊秀で、大谷ではないがピアノと作曲の両方でトップをとった。前途洋々の人だったはずだが、途中で作曲の方はあきらめている。多くの解説では彼の持病であるメランコリーが関係しているのではないかと言われている。
私もそれを念頭に置いて「プッツン説」を唱えたのだが、あらためて聞いてみて、もっと問題は本質的ではないかと考えたのである。
彼の作品一覧を見て気づいたのだが、彼はそもそも最初からピアノ曲をあまり書いていない。作品番号がつかない初期作品を除くと、作品3の「幻想的小品集」が92年、2台のピアノのための「幻想的絵画」を挟んで、4年後の「楽興の時」が作品16、それから5年をおいて作品23の「前奏曲集」が出たのが1901年である。
この前奏曲集は前にも書いたとおり、途中からカスの集まりになっている。本来なら24曲書くのが筋なのに、10曲でやめてしまった。
それから9年もあとにもう一度、残り13曲を発表するのだが、私の耳からすればカスばかりだ。その後の曲もほぼ同断だ。
なぜか
それはラフマニノフがピアノの名人ではあっても作曲の名人であっても、「ピアノの詩人」ではないということではないか。
彼のピアノ独奏の名曲はほとんどが、“ゆびぢから”でピアノを目一杯鳴らすものばかりだ。「詩人というよりは「プロレスラー」だ。たしかに彼は名ピアニストで名作曲家であるかもしれないが、それは大谷風の二刀流であって、そこに渾然一体となった「詩人」がいるわけではない。
カトワールの場合
カトワールはなかなか良い室内楽を残している。ピアノトリオからカルテット、クインテット、弦楽四重奏曲と一通り取り揃えている。
さぞピアノ独奏でも良いものがあるのではないかと思ったが存外少ない。彼の曲を聞いていると、歌うのは弦楽器、ピアノはそれを支えるのが役割という分担があるように聞こえる。
だから「ピアノで歌いなさいといわれると、ちょっと困っちゃうんだなぁ」という感じがする。もちろん作曲をする時はすべてのパートをピアノで音作りしていくのだろうが、そのときピアノは「音出し装置」、作曲ツールとしか位置づけられていないのではないか。
どうも「ピアノで歌う」というのは、バイオリンとか他の楽器で歌うのとは次元の異なる感性を必要とするのではないかと思う。ピアノというのは本質的にリズム楽器みたいなところがあって、音はポクポクとぶつ切りでしか出てこない。「歌」が音の連続性・持続性を要求するものだとするなら、ピアノは歌とは本質的になじまないのである。
そういう本質的な限界を持った楽器で、それにもかかわらず歌を歌うとするなら、間隙を埋める装飾音符とかいろいろアヤを付けなければならない。
しかしアヤを付けすぎるといかにも野暮ったい演歌になってしまいかねない。その辺の兼ね合いがピアノ曲の制作や演奏には問われるのであろう。そのセンスが「詩人の魂」となるのであろう。

たしか前にも書いたが、ギレリスとコーガンは義理の親子で、コーガンはギレリスに心酔していたという話だ。
ギレリスというのは謙遜な人で、ソ連の演奏家としては最初に西欧にエクスポーズしたのだが、「世界一のピアニスト」と賞賛された時にマジに否定したそうだ。
「ソ連には私よりはるかに上手い人がいる」とコメントしたのだが、それがリヒテルだった。
しかし「そうだろうか」と私は思う。テクニックと言うだけならたしかにそうなのかもしれない。しかし聞いて「良いな」と思うのは、私ならギレリスだ。
リヒテルなら、どの曲を演奏しても曲の中にぎりぎりと切り込んでいく、そういう凄さがある。それを傍で感じる時はすごいなと思う(だがいつもそうではない)。
ギレリスの演奏は鍵盤をオーケストラのようにあやつる指揮者のように聞こえる。それがどう違うかというと、多分リズム感と響きなのだろうと思う。
ギレリスの演奏はどっしりと安定して、優しい。ギレリスの演奏は気持ちいいのである。リヒテルは時として不機嫌でそっけなく、人の心を不安定にさせる。音色は綺麗とは言い難い。ベートーベンのソナタで、その違いは顕著だ。
シューマンやドビュッシーはギレリスには合わない。ところがブラームスのピアノ協奏曲第2番はギレリスの不朽の名演だ。グリークの叙情小曲集は珠玉の一枚だ。
いま、アシュケナージやプレトニョフが指揮者として大をなしている。私が思うにはギレリスこそ大指揮者になったのではないかと思う。彼には大谷選手並みの素質があったと思う。惜しいことだ。
そのギレリスが娘婿のレオニード・コーガンと組んでベートーベンのバイオリンソナタを出している。これはこの曲のベストだと思う。学生時代、FONTANAという廉価版シリーズでグリュミオーとハスキルのレコードを買ったが、音のバランスが悪かったせいかもしれないが、この曲へのマイナス・イメージが焼き付けられた。それがこの演奏で払拭できたのである。
たしかにコーガンのバイオリンは線が細く硬質で、オイストラフと比べての話であるが、きまじめだ。しかしそれがギレリスのバックを得て生き生きと踊り始めるようになる。(この話は以前書いたよね)
さて、話がようやく本題に入る。
このギレリスとコーガン親子にロストロポーヴィッチが加わったのがこのトリオである。名前はついていないが、どう考えてもギレリスを中心にしたトリオだ。だからこれから先はギレリス・トリオと読んでおく。
このギレリス・トリオが演奏したのがチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」だ。

このあと、つらつらと書き連ねた文章があっという間に消えた。
もうやめた。
これだけあれば、一応は足りている。
You Tubeでは同じ年の同じ演奏でモーツァルトのピアノトリオ第一番が聞ける。おそらく同じレコードの裏面なのだろう。こちらのほうがピアノの大音量がかぶさらない分聞きやすくなっている。ただしロストロポーヴィッチの出番は殆どない。目立ちたがり屋だから無理やりしゃしゃりこんでくるが、そもそも音符がないのだからどうしょうもない。

こまった。
レビコフのピアノ曲集全曲盤を買ってしまった。
AnatolySheludyakov-VladimirRebikov
見ての通り、シェルデャコフというピアニストがレビコフのピアノ曲全曲をCD3枚に吹き込んでしまったのだ。
やっと名曲百選を作って、レビコフをかなり押し込んだのだが、これから聴き込んでいくととてもそのレベルでは収まらないかもしれない。困ったものだ。

ジャ~ン! 自分でファンファーレ

1年をかけて、やっと終わった。

「ロシアのショパンたち」

一応、100曲を選び終えた。

作曲家別に、おおよそ古い順に並べていく。

グリンカ

1 ノクターン「別れ」 ヘ短調

2 マズルカ ハ短調

バラキレフ

3 1864 ひばり (原曲はグリンカ)

4 1859 ポルカ嬰へ短調

5 1902 トッカータ 嬰ハ短調

6 1902 ノクターン No.3 ニ短調

ムソルグスキー

7 1859 子供の遊び スケルツォ

8 1865 子供の頃の思い出 第2曲 最初の罰

9 1865 ロギノフの主題による「夢」

10 1879 クリミアの南岸にて 第1曲アユダク山麓グルズフ

11 1880 村にて

12 1880 涙の一滴

ボロディン

13 「小組曲」より 1.修道院で

14 「小組曲」より 2.間奏曲

15 「小組曲」より 7.夜想曲

キュイ

16 Op.20 2台のピアノによる8つの小曲 第8番子守歌

17 Op.21 組曲_1-即興曲

18 Op.21 組曲_2-Tenebres_et_lueurs

19 Op.21 組曲_3-間奏曲

20 Op.22 ノクターン

21 Op.31 3つのワルツより 第2番 ホ短調

22 Op.40 「アルジャントーにて」no 6 「おしゃべり」練習曲

23 Op.64 前奏曲集 第2番 ホ短調

24 Op.64 前奏曲集 第4番 ロ短調

25 Op.64 前奏曲集 第6番 嬰ヘ短調 Andante

26 Op.64 前奏曲集 第7番 イ長調

27 Op.64 前奏曲集 第8番 嬰ハ短調

28 Op.64 前奏曲集 第9番 ホ長調

29 Op.64 前奏曲集 第10番 嬰ト長調

30 Op.64 前奏曲集 第16番 ヘ短調

31 Op.64 前奏曲集 第18番 ハ短調 Allegretto

32 Op92 3つの旋律スケッチ 第1番

33 Op92 3つの旋律スケッチ 第2番

34 Op92 3つの旋律スケッチ 第3番

アレンスキー

35 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

36 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

40 Op.25 4つの小曲から No.3 練習曲 (中国の主題による)

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

リャードフ

44 Op.3a 6つの小品 3 フーガ ト短調

45 Op.4 4つのアラベスク No. 2 イ長調 アレグレット

46 Op.9 2つの小品 1ワルツ ヘ短調

47 Op.11 3つの小品 第1番 前奏曲 ロ短調

48 Op.23 小品「湿地にて」ヘ長調

49 Op.31 バラード“古い時代から”第1曲 マズルカ ト長調

50 Op.32 ワルツ「音楽の玉手箱」

51 Op.36 3つの前奏曲 第2番 変ロ短調

52 Op.37 練習曲 ヘ長調

53 Op.38 マズルカ ヘ長調

54 Op.44 舟歌 嬰ヘ長調

リャプノフ

55 Op.1 No.1 練習曲 変二長調

56 Op.1 No.2 間奏曲 変ホ短調

57 Op.1 No.3  ワルツ 変イ長調

58 Op.6 7つの前奏曲 第6番 ヘ短調

59 Op.8 ノクターン 変ニ長調

60 Op.11 超絶技巧練習曲 第3番 鐘

61 Op.11 超絶技巧練習曲 第6番 嵐

62 Op.36 マズルカ 第8番 ト短調

63 Op.41 降誕祭 第1曲 クリスマスの夜

64 Op.41 降誕祭 第3曲 クリスマスの歌

65 Op.41 降誕祭 第4曲 クリスマスの歌手たち

66 Op.57 3つの小品 第2曲 春の歌

レビコフ

67 Op2_3 メランコリックなワルツ ロ短調

68 Op8_9 マズルカ イ短調

69 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

70 Op10_10 ワルツ ロ短調

71 Op15_2 悪魔の楽しみ

72 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

73 Op23_2 冬の歌

74 Op23_4 エスペランサ(希望)

75 Op23_5 スヴェニール

76 Op28_3 羊飼いの踊り

77 Op29_3 モデラート・コン・アフィリツィオーネ

78 ワルツ ヘ短調

79 秋の花々 モデラート

80 秋の花々 アンダンテ

81 小さな鐘の踊り

スクリアビン

82 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

83 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

84 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調

85 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調.flac

86 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

87 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

88 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

89 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

90 ワルツ 嬰ト短調 1886年

ラフマニノフ

91 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

92 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

93 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

94 Op.16 楽興の時 第3曲

95 Op.16 楽興の時 第4曲

96 Op.23 前奏曲第2番

97 Op.23 前奏曲第3番

98 Op.23 前奏曲第5番

99 Op.34 No14 ヴォカリーズ

100 Op.39 絵画的練習曲《音の絵》No_2 イ短調

基本的にはすべてYou Tubeで聞けるものばかりである。リンクはすぐ切れる。しかしそのうちまた出てくる。あえてリンクはしなかったので、自分で検索してほしい。

選曲の基準はショパンっぽいこと、聞きやすいことである。必然的に大音響のうざったい曲は少ないが、入ってはいる。彼らのお手本はショパンとリストだったから、どうしてもリストっぽさが混じるのであろう。あのブラームスだって初期の曲はバリバリだ。

もちろんいつまでもショパンの真似ばかりもしていられないから、経歴を重ねるとともに独自の音作りに移行していく。だから基本的にはキャリアの浅い時期の曲が多くなる。いわゆる「初期の習作」である。

したがって音源探しは意外に難しい。見つけた曲以外にも佳曲はたくさんあるだろうと思う。また聴き込んでいくうちに味が出てくるブラームスの間奏曲みたいのものもあるだろう。

結局なんだかんだとCDも買ってしまった。挙げておくと、

1.Lyadov Complete piano works: Marco Rapetti (5枚組)

2.Vladimir Rebikov Piano works: Jouni Somero (1枚)

3.Cesar Cui Complete works for piano solo:  Osamu Nakamura (1枚目のみ)

4.Cesar Cui 25 Preludes: Jefrey Biegel (1枚)

5.Borodin Complete piano music: Marco Rapetti (1枚)

6.Sergei Lyapunov Piano music: Margarita Glebov (1枚)

とりあえず、これでアップロードしておくことにする。後はチャイコフスキーが第一次候補で40曲ばかり残っている。これを絞り込んで30曲位にすれば完全に終わる。チャイコフスキーを「ロシアのショパンたち」に括るのは、いささか無理があるが、そこは勢いだ。

なぜ、ドイツでは変ロがBなのか

かねがね疑問に思っていたが、あるQ&Aのページにこんな記載があった。

ドイツ音名ではBは変ロで、ロはHですが、これについては(うろ覚えですが)こんな話を読んだ記憶があります。

ヘ長調の属七の和音はハ-ホ-ト-変ロになります。古典的な転調ではよく登場する和音です。

理論書などでロと変ロを書き分けるとき、角張った書体のbを本位のロに、丸さのある書体のbを変ロに宛てる習慣ができたのだそうです。

そのうち、角張ったbがhと混同されるようになって、ドイツ語の世界ではロ=H、変ロ=Bとなったのだそうです。

ということで、かなりいい加減な習慣のようだ。

fraktur
下段の小文字、左から二つ目が“b”,8つめが“h”である。

ドイツ語の勉強の時は、イヤでもドイツ文字を読まなければならなかった。これはフラクトゥールというらしい。第二次大戦後は使われなくなった。ご同慶の至りである。




チャイコフスキーのピアノ小曲の名曲選を書いているうちに、HTMLエディターが突然クラッシュした。5時間分の作業が、その瞬間に水の泡と消えた。このエディターは一定時間がたつと自動的に保存機能が働く。初期設定で10分間隔で保存が働くので、ふつうは大丈夫なのだが、ソフトそのものがぶっ飛んでしまうとどうしようもない。
本当は作業を始める前に、「ファイル名を付けて保存」とすればよいのだが、つい忘れてしまう。現にこの文章もまだ裸のままだ。まぁ“自己責任”だ。“Get over it” だね。
今日はもうとても、作業を繰り返す気分にはならないので、とりあえず結論だけ書いておく。

チャイコフスキーはOxana Yablonskaya で決まりだ。
理由は、ロシア人でリズムとテンポの感覚があるのはこの人だけだからだ。
せっせとアップしてくれる人がいるから、Youtube で “Yablonskaya Tchaikovsky” と入れて、片っ端からダウンロードするだけでかなりのものは集まる。
音質もなかなか良いから、ながら聞きするにはこれで十分だ。ただビットレートがAACで100kbだから、強音部では音が飽和する。音量を上げると、折り返しが耳について小うるさい。本気で聞くならやはりCDを買うべきだろう。
1995/4/7 Tchaikovsky: Piano Music, Vol. 1 Oxana Yablonskaya
1998/11/6 Tchaikovsky: Piano Music, Vol. 2 Oxana Yablonskaya
で、アマゾンだと国内新品は購入不可。出品販売で中古か輸入品が買えるがどうしようか。
しかしこの2枚ではとてもチャイコフスキーのピアノ曲の全貌をカバーできない。
本当の全曲集は Victoria Postnikova のものと、フランコ・トラブッコのCD7枚組だ。ポストニコヴァは何と2,865円! 絶対損はない。トラブッコの演奏は断じてお勧めしない。
1枚ものの選集は山ほどある。おすすめはリヒテルだ。立派の一言に尽きる。しかし面白いかどうかは別。イロナ・プリュニは選曲が抜群。浸りたい人には絶対のおすすめ。プレトニョフは、一応一通り聞いた人が面白がって聞く演奏。素人は手を出さない方が無難。

キュイ、アレンスキー、リャードフ、リャプノフと聞いてきて、チャイコフスキーはさすがにロシアを代表する作曲家だとつくづく思う。
かなり曲数を絞っても、CD3枚はほしいところだ。夢はそういうコンピレーションを作って、ヤブロンスカヤに録音してもらうこと。売れないだろうなぁ。

最近のYoutubeはすごいもので、アントン・ルビンステインのピアノ小曲だけでこれだけ聞ける。
anton
一応全部聞いたが、つまらないものばかりだ。結局ヘ長調の「メロディー」一発の人だ。
この人は交響曲を6曲、ほかにコンチェルトやソナタなど大曲をずいぶん書いているようだ。そちらは遠慮しておく。
編曲すると隠れたよさが引き出されるのか、「天使の夢」 はオーケストラやバイオリン独奏版のほうが定番。

ミャスコフスキーという作曲家がいる。プロコフィエフと同年代、交響曲をなんと27曲も作曲したという実にロシア的な作曲家である。
スターリン時代を代表する作曲家で、いかにもそれっぽい曲もあるが、「おやっ」と思わせる佳曲もある。御用作曲家ではあるが、ジダーノフ批判の対象にもなったことがある。まぁ、そういう辺に位置する人である。
この人を紹介した記事に面白いものがあった。
19世紀末にミャスコフスキーはペテルブルク音楽院に入学している。プロコフィエフとは同期のようだ。当時の指導教官がリャードフ、これがミャスコフスキーには気に入らなかったらしい。ぐーたら教官と刻苦勉励型の生徒では馬が合わないのは当然だろう。しかしプロコフィエフはぶーたらをいいながらもリャードフの管弦楽法をしっかりと吸収している。
そしてプロコフィエフと反リャードフで意気投合したのだそうだ。それ以来二人は無二の親友になったという。かなりあいまいな記憶で書いているのだが、当時のペテルブルクの雰囲気がうかがわれて、楽しいエピソードではある。
ミャスコフスキーの交響曲のかなりがYoutubeにアップロードされている。しかしほとんど聞いていない。せめて10曲くらいにしておいてほしかった。ほんのちょっと聞いた範囲でのお勧め曲を挙げておく。
弦楽四重奏曲 第7番 「コーカサスの主題による」 タネーエフ四重奏団
ピアノソナタ 第7番 演奏者不明(Hegedus という人の演奏がNaxos から出ているので、それかもしれない)
とにかく、屈託なく、さらさらと音が流れていくのがよい。

トロップのロシアピアノ小曲選にレビコフという作曲家の作品が三つも含まれている。まったくの初耳の人だ。

ワルツがとてもよい。

とりあえずウィキペディアから

1866年5月31日 クラスノヤルスク — 1920年10月1日 ヤルタ ということでリャードフらと完全にかぶる。モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも学んだ、というからロシア・アマチュアリズムの人。

初期作品はチャイコフスキーの影響を示している。抒情的なピアノ小品集(組曲、連作、アルバム)のほか、児童向けの合唱曲や童謡を手懸けた。後年では、新しい進歩的な和声法を利用した。

ウィキペディアには辛らつなレビコフ評も載せられている。

ようつべで検索するとかなりの曲が聞ける。cubusdk という人が自演でアップしてくれているようだ。演奏は悪くない。ただしエレクトリック・ピアノのようでエコーも人工的だ。(Sound from ROLAND RD-700GXとのコメントがある)しかし聞く分には一向に差し支えない。

以下にリンクを張っておく。

情緒のある風景/ Stimmungsskizzen  Op.10  1 Ländliche Scene (Pastoral scene) 2 Volkslied (Folk song) 3 Lustige Stimmung (In cheerful mood) 4 Trost (Depre

Vladimir REBIKOV: Valse Miniature, Op. 10, No. 10

Vladimir REBIKOV: Waltz in B minor, Op. 10, No. 8

夢, 5つの音楽風刺劇/ Les Rêves, 5 mélomimiques  Op.15

Vladimir Rebikov : Naïade , Op. 15 No. 1

クリスマスツリー, 組曲/ Christbaum, suite  Op.21  [1 piano 4 hands]

Vladimir REBIKOV: Op. 21, Valse (Yolka)

 Vladimir Rebikov - Waltz, from "The Christmas Tree" (PIANO SOLO VERSION) Yevgeny Yakovlev

黄昏時に/ A la Brune  Op.23  [1900年]

Vladimir REBIKOV: Chant d'hiver Op. 23, No. 2(Winter Song)

Vladimir REBIKOV: Persuasion (Op. 23, No. 3)

Vladimir REBIKOV: Espérance (Op. 23, No. 4)

Vladimir REBIKOV: Souvenir (Op. 23, No. 5)

Vladimir REBIKOV: Il était une fois.... (Op. 23, No. 8)

田園生活の情景/ Scènes bucoliques  Op.28

Vladimir Rebikov: 2 Dances from op.28 Jouni Somero, piano

Vladimir Rebikov - Scenes bucoliques Anthony Goldstone

Fleurs d'Automne f-moll (1 Moderato 2 Andante 3 Moderato)作品29

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne I

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne II(秋の葉 おそらく第2曲アンダンテ)

同じ曲で管弦楽作品もあった。

Misha Rachlevsky - A Russian Mosaic - Chamber Orchestra Kremlin: Vladimir Rebikov (「秋の葉」の3曲全曲が聞ける)

Vladimir REBIKOV: Valse Mélancolique B minor

Vladimir REBIKOV: Waltz in F# minor

ほかのサイトでもいくつかが聞ける

Vladimir Rebikov - Small Bell Dance in E Flat Major Anatoly Sheludyakov

こちらは合唱曲

Russian Orthodox Music - Have Mercy On Us, Vladimir Rebikov / Children's & Youth Choir "Sophia"

もういい加減やめにしたいのだが、最後っ屁で、リャードフとリャプノフの関連年表。

 

リャードフ

リャプノフ

1855

サンクト・ペテルブルクに生まれる

 

1859

 

ヤロスラヴリで生まれる。まもなくニジニ・ノヴゴロドに移る。

1870

ペテルブルク音楽院に入学。R・コルサコフに学ぶ。

 

1878

ペ音楽院で教職につく。門下にプロコフィエフ、ミャスコフスキーなど

モスクワ音楽院に入学。

1885

 

バラキレフを慕いペテルブルクに移る。帝国地理協会の民謡収集部に所属する。

1886

ロ短調の前奏曲(作品11の1)を発表

 

1893

「音楽の玉手箱」を発表

 

1897

 

超絶技巧練習曲の作曲を開始。完成は1905年

1905

「ババ・ヤガー」を発表。以後、管弦楽曲に集中。09年には「キキモラ}

 

1910

ディアギレフの新曲依頼をキャンセル。代わりに提供されたストラビンスキーの「火の鳥」が大ヒット。

 

1911

 

ペ音楽院教授に就任。

1913

 

プラタナスの歌を含む小曲集(作品57)を発表

1914

死亡

 

1924

 

革命を逃れパリに移るがまもなく死亡。

 二人が旺盛に作曲活動を展開した時期はほぼ重なり合っている。

まず最初は1880年代後半から1890年代前半にかけてであり、ともにピアノ小曲を中心にコツコツと積み上げている。

この時期においては、リャプノフのほうが大規模曲も手がけたりして一歩先を行っているようだ。ただリャードフのロ短調の前奏曲や「音楽の玉手箱」に匹敵するような有名曲は、リャプノフにはない。

例の93年の民謡収集旅行の後、リャプノフは超絶技巧練習曲の作曲にとりかかり8年の歳月をかけて完成させる。この間リャードフはピアノ小曲をポツポツと作りつつ、管弦楽法の習得をすすめる。

リャプノフは超絶技巧練習曲の後もピアノ・ソナタなど活動を展開するが、形式的にはリストのレベルに留まり、ロシア民謡の吸収も未消化に終わっている。

もともとメロディーで勝負する人ではないが、後半になるとますますメロディーが枯渇してくる印象だ。

いっぽう、リャードフは1905年の「ババ・ヤガー」で管弦楽曲作家として華麗なデビューを果たし、ピアノ小品でもいくつかの佳品を作曲している。

リャプノフは作品57の小曲集などいくつかの佳品を残すが、結局、超絶技巧練習曲の作家として終わってしまう。

リャードフは、大掛かりな管弦楽曲は作れるようになったが、長い構成的作品は作れないままに終わった。しかしそのモダンな手法はストラビンスキーやプロコフィエフに受け継がれている。

というところか。

この二人をめぐる面白いエピソードがある。
リャプノフは田舎(ニジニー・ノヴゴルド)の出で、父が天文学者、兄が世界的に有名な数学者だ。完全に理数系の血を引いている。対してリャードフはペテルブルク生まれの街っ子。祖父と父親が指揮者という音楽一家だ。
リャプノフの写真を見ればわかるようにコチコチの堅物だ。リャードフはエスケープの名人、ペテルブルク音楽院を一度は放校になってるほどだ。

リャプノフはニコライ・ルビンステインの引きでモスクワ音楽院に進学し、チャイコフスキーの指導も受けている。ここで純西欧風の音楽理論で教育を受けたが、逆に民族風の音楽にはまってしまい、バラキレフの指導を受けるためにペテルブルクに移動する。リャードフはそのころペテルブルクの音楽院で相変わらずチンタラとやっていた。
二人は同じ校舎の中で生活するようになる。しかしいわば水と油だからそう気があうはずはないと思う。
ところがこの二人が1993年に突然長い旅を共にすることになるのだから不思議なものである。
そのとき、帝室地理協会という団体がバラキレフにヴォルガ地方の民謡採集を命じたのである。まぁ政治力に長けたバラキレフのことだから、協会の幹部をたきつけて調査費をせしめたのであろう。
このころはチャイコフスキーの名声がピークに達していたころだ。ペテルブルクのリムスキー・コルサコフもすっかりその気風に染まっている。
民族派の先頭を走り続けてきたバラキレフには面白くない時代だ。そこで民謡でも発掘してそれで巻き返しを図ろうという魂胆だったのではないだろうか。
民族派にあこがれてチャイコフスキーのところからバラキレフの下にはせ参じたリャプノフは当然喜んでこのフィールドワークに参加したことだろう。
ところがそこに、どこからうわさを聞いたものかリャードフが紛れ込んできた。親分のリムスキー・コルサコフも、バラキレフの調査とあれば、少なくとも表向きは反対する理由はない。どうせ遊んでいるようなリャードフのことだから、勝手にすればという感じで見ていたのではないだろうか。とくにこの時期、リャードフは完全なスランプ状態に陥っていた。92年に発表したのは作品29のピアノ小品ただひとつである。93年も数曲にとどまる。その中のひとつが「音楽の玉手箱」なのだ。これでリャ-ドフの首は皮1枚でつながったのだ。
ということで、バラキレフ、リャブノフ、リャードフの奇妙な三人連れがヴォルガ地方一帯をうろうろすることになる。
どういう旅だったのかは記載がないので分からない。ただこのたびの後、二人はともに民族色の強い音楽を書くようになったことは確かだ(特にリャードフ)
旅の結果、300の民謡が採集され、それらは97年に協会から刊行された。リャプノフはこの中から30曲を歌曲として発表している。
なかなか文献がないので想像するほかないが、ぐーたらな街っ子のリャードフがどのくらい足手まといになったかは想像するに余りある。

リャードフに続いてリャプノフ。この二人あまりにも似ている。
どこがどう似ているかは明日また検討してみようと思うが、両方ともすごい。
リャプノフはこれまで音源がなかったために知る機会がなかったのだが、この人のピアノは高音が実が詰まっている。40歳過ぎまでたいした曲を書いていなかったリャードフと比べ、リャプノフは若いときからしっかりした曲を書いている。有名なのが作品11の「12の超絶技巧練習曲」だが、その前後にもすばらしい曲がある。
まず「12の超絶技巧練習曲」について説明しておくと、これは実は3期に分けて作曲されており、はじめは1897年、完成は1905年となっている。8年がかりだ。59年の生まれだから38歳から46歳ということになる。こうなるともう別の曲集と考えたほうがいい。この練習曲集と時期的には重なりながら、作品8の夜想曲、作品9の二つのマズルカ、作品25のタランテラが作られている。いずれもすばらしい曲だ。
そして1908年に作られたピアノソナタはブラームスのピアノソナタを髣髴とさせる。というよりブラームスの上を行っている。ブラームスの強音は時として濁るが、リャプノフは透き通っている。ただブラームスは若いときのこの方向を捨てている(基本的には)ので、単純に比較はできないが。
この人も寡作で、遅咲きの桜である。最高作といわれる作品46の舟歌は52歳のときの作品だ。50を過ぎてからむしろ油が乗ってくる。56歳の時のバイオリン協奏曲は信じられないほどの瑞々しさをたたえている。ただ古いといえばあまりに古めかしい。この辺は近代音楽に果敢に(恐る恐る?)アプローチしたリャードフと違うところである。
58歳でロシア革命が勃発し、何年か後にはフランスに亡命し、まもなくパリに客死していく。
リャードフと同じく、もっと聞かれてよい作曲家である。

すみません。シラフで聴いてみると、ソナタの後はドンづまっています。斉藤祐樹投手みたいです。この人はここで終わってしまったようです。
基本的にメロディーメーカーではないのですが、ロシア民謡を採集しているうちにそれも枯渇してしまったようです。初期の曲の歯切れの良さも失われてゆきます。
借り物のロシア民謡のメロディーで変奏曲を作るのですが、やはり自発的に内在するメロディーがないと曲が進んでいかないのです。リストと似ていますね。
でも超絶技巧練習曲からピアノソナタにかけては間違いなく一流だと思います。

なんというか、想像を絶する指揮者というのがいるのだ。今日それを初めて見た。
なんというか、演奏のじゃまをするのだ。
ばれないように書くのがとてもつらいのだが、
たとえば野球の始球式にいろいろ有名だったり、そうでなかったりする人が登場する。一番バッターが打席に入って空振りするのが礼儀になっているが、この指揮者ときたら空振りをさせないのだ。
…どうも違うな、
音符や休止符の長さを変えてしまうので、たとえば弦楽器だと弓の長さが足りなくなってしまう。弦楽器というのは弦を弓でこすって音を出すから、擦らないと音は出ない。だから音が切れてしまう。
これが素人の“指揮者”だったりすると、楽団の方も承知しているから、遅めに弦を動かして余力を残す。あるいはコンマスが合図を送ってボウイングを切り返す。管楽器なら第二奏者にバトンタッチする。
しかし相手がプロだと思えば、まさかそんなことは考えない。プログラムを見ると、この指揮者はけっこうそれなりにキャリアがあるように書かれている。ただし国内での指揮の経歴は書かれていない。
おそらくは指揮力以外の力に優れているのだろう。それと、おのれの能力を信じる心にきわめて長けているのだろうと思う。

私が思うには、指揮者というのはエアー打楽器の奏者みたいなもので、リズムとテンポを司るのが第一の役割だ。後は第一バイオリンの音量バランスを調整していけば良い。他のセクションは適当にやってくれる。
とにかく余分なことはしないで、しっかりリズムを刻めよ。それができないなら、「名指揮者」気分にならずに指揮棒持ったら。



YouTubeに初めてアップロードした。
初めてとあって、なかなか面倒だ。
まずはウィンドウズのダウンロードから何やらかんやらというソフトのセットをダウンロードした。
その中にムービーメーカーというソフトがあってそれだけ欲しいのだが、そういうわけには行かなくて、余分なものまで全部揃いで落とした。これが結構時間がかかる。
それでムービーメーカーというソフトを立ち上げて、そこにまず適当な写真を入れる。
写真をはめ込むと、次に「音楽をつける」というボタンを押す。そこで何を入れるかという画面が出て、そこに音楽ファイルを入れる。ほとんど手持ちはYouTubeから落として剥ぎとったAACファイルだが、AACは面倒そうなのでMP3に変換していれた。
それだけでもアップできるのだが、デフォールトだと静止画面は30秒ほどで切れてしまう。そこで「音楽の長さに合わせる」を選択すると、音楽がなっているあいだ画面が流れ続ける。これで完成だ。
これを動画ファイルとして保存する。これが結構時間を食う。
つぎに、YouTubeのホームを開くと、右肩に「アップロードする」というボタンがあるのでそこを押すと画面が出てきて、後は指示されたとおりに操作していけば完了だ。
つまり動画ファイルを作るまでがなかなか難しくて、出来上がってしまいさえすれば、後はさほどの苦労はない。
ということで、出来上がったのが「Sibelius Trial」というファイル、URLは以下のとおり。
https://www.youtube.com/watch?v=ND1CiD_Ndmw
時間は14分41秒。何故かと言うと、15分を越すといろいろ面倒な手続きをしなければならないようなので、という簡単な理由。
なぜこれをアップしたかというと、Audacity という“音質改善ソフト”のデモンストレーションである。
以前の記事で、Bughead Emperor について書いた時に「お化粧ソフト」と表現した。たしかに音は綺麗になるが、それは高性能だからではなく、原音にお化粧するのではないかと考えたからである。
このSibelius Trial の原音は以下のものである。
Sibelius - Symphony n°7 - Cleveland / Szell live
Live recording, Helsinki 23.V.1965 とのコメントがある。
必要な音はすべて入っている。しかしモノーラルであり、最強音が飽和している。全体として音がくぐもっている。しかも全体の音量と近接マイクのバランスが何とも不細工だ。
原音がおそらくエアチェックで、時代から考えるとAM放送の音源の可能性もある(AMというのは帯域を広く取れば意外にいい音なのだ。むかしはそういうチューナーがあった)。しかもアップロードの際の音量が大きすぎる。
しかしそれを乗り越えるほどの演奏である。セルとクリーブランドの最盛期のものだ。しかも本場に乗り込んでのライブだから力が入っている。いわば「お宝」音源だ。
そこで、とりあえず聴きやすくしてみようと思い立った。
やったのは以下のことである。
1.ノイズの除去。これで音のくぐもりはとれる。しかし間接音のかなりが失われる。
2.Clip Fix。これで飽和して失われた音が擬似的に回復される。しかしこれで回復されるのはせいぜい半分くらいである。これをやると音が硬くなりキンキンする。
3.ノイズの除去をすると間接音が失われるので、どうしても音はデッドになる。そこでGverbで残響をつける。Gverb の調整についてはいろいろな人が書いているので、それを参考にした。なおAudacity の最新版ではGverb が外されているので、サイトから拾ってくる必要がある。
4.それから疑似ステレオ化を行う。これはステレオトラックを一旦左右に分離して、片方のチャンネルの出だしを少しだけ削って時差を作り出す方法である。人間の耳はいい加減なので、これをステレオと感じてしまう。この効果は抜群なので、これだけでもいいくらいだ。ただしこのファイルはやり過ぎである。(効果を強調するため)
5.最後に圧縮を行って、音量を適正化する。
以上の処理を行ったのが、わたしのアップした“動画”である。
両方を聴き比べてみると、聴きやすさはずいぶんアップしている。しかし、原音にふくまれていた“雰囲気”はずいぶん失われてしまっている。この辺りは素人の限界なのだが、おそらくノイズの除去をどの程度までやるか、どこで我慢するかで変わってくるのだろうと思う。
いずれにしても自分でAudacity をいじってみると、いわゆる「高音質音楽ソフト」は何かをやらかしているに違いないと思う。
むかし、中学時代の同級生の女の子が同窓会で会うと見違えるほどの美人になっていて、びっくりしたおぼえがある。今や眉を剃って墨で描いて、アイシャドウを入れてつけまつ毛をつけるだけで、変身できる時代なのだ。ましてや聴覚など、だますのはいとも簡単だ。
ダマされないように気をつけるか、ダマされる快感をだいじにするか、そこはあなたのお好みしだい…ということになる。ただ、それを「高音質」と呼ぶのは羊頭狗肉のたぐいであろう。高音質というのはブスはブスらしく忠実に再生することのはずである。

アルハンゲルスキー 略伝

アルハンゲルスキーの生涯を記した記事があまりに少ないので、とりあえず紹介しておく。元ネタは

というサイトの

Alexander Andreyevich Arkhangelsky

という記事。

生年: 1846年10月23日

没年: 1924年11月16日

合唱指揮者 作曲家

有名なアルハンゲルスキー・クワイアの創設者。37年の間、合唱団を率いた。19世紀末のロシア合唱音楽のルネッサンスの先頭に立った。

アルハンゲルスキーは、ロシアのペンザ(Penza)で生まれて、そこの少年歌手となった。そして、セントペテルスベルグで訓練を受けた。

彼は、16歳で指揮活動を始めた。ロシア民族主義の影響を受けた彼は、宗教音楽が過度に「西欧化され」ていると感じた。そして古いロシア音楽のレパートリーを復活させようとした。

教会の権威は彼の改革の試みを受け入れようとしなかった。そのため彼は1880年にアルハンゲルスキー・クワイアをつくって、シベリアからロンドンまで演奏旅行を重ねた。

それはロシアにおける最初のアンサンブルの試みであった。それまで典礼の場では少年合唱が担っていたパートを女声合唱に取り替えた。同様にコンサート会場でも代えられた。

彼の残した曲はすべて合唱のためのものである。レクイエムが1曲(1892)、Vespers(Evening Prayer)

が1曲、ミサ曲が二つ、50あまりの小曲が残されている。もっとも有名なのは「クレド」と「神聖な輝く光」である。

かれはまた、ロシア民謡といくつかの「ロマンス」の編曲も行なっている。

アルハンゲルスキーは、ロシア正教音楽を確立することでチャイコフスキー、グラズノーフ、ラフマニノフらに影響を与えた。しかしソビエト時代の偏狭な非宗教的合唱は、彼の民主的な作曲へのアプローチを不可能にした。

彼はボルシェビキのファンでなかった。1917のロシア革命の後、彼はプラハに移住した、そこで、彼は死んだ。

1990年代、ロシアの教会音楽は復活した。それは数十年にわたって無名状態にあったアルハンゲルスキーの音楽を掘り起こした。

アルハンゲルスキー合唱団の録音(1902年から1916年にかけて)は、すべてリマスターされてCD化されている。そこには彼の作った曲もいくつか収められている。

(bio by: Bobb Edwards)


私のおすすめは以下のとおり

Arkhangelsky - "Blessed are they whom Thou hast chosen"

Arkhangelsky - "I Cried Unto the Lord With My Voice"

Arkhangelsky - "I Ponder Upon the Fearful Day"

Arkhangelsky - "Give ear to my prayer, o God"

Arkhangelsky - "Let us come zealously to the Mother of God"

とりあえずこのくらいにしておく。このくらい聞くと、正直のところ飽きてくる。

ついでに同時代の作曲家キュイの曲も聞いてみてください。

Cui: My Soul magnifies the Lord Op.98 (Song to the Mother of God: for soprano and choir)

César Cui - Everywhere Snow - Op.77 n.2

RADIANT STARS, César Antonovich Cui - LATVIAN VOICES

日本の左翼運動にロシア民謡がなかったら、だいぶ様相が変わっていたかもしれない。
とにかくロシア民謡の影響は圧倒的だった。私もその一人だった。
私が大学に入った昭和40年にはもう盛りは過ぎていたと思うが、とにかくあちこちで歌声をやっていた。
とにかく基本的には合唱だった。最初はそれが嫌だった。老健でゲームしたり歌ったりしているのを見ていると、いまだに引いてしまう。
それが否応なしに引きずり込まれたのは、ロシア民謡の威力だったのではないだろうか。
とくに男声合唱でポールシュカポーレ、仕事の歌とかエルベ川とかを聞かされると、すごいなと思わざるをえない。
赤軍合唱団とか、アレキサンドロフ歌と踊りのアンサンブルとかには完全に脱帽だ。
そんなことをすっかり忘れちまってずいぶん久しい。
ところがふとしたことからYouTubeでアルハンゲルスキーの曲を聞いて、「何だ、これか」と思った。
ロシア民謡のズシンと来る合唱も、ルーツはこれだ。
それどころかチャイコフスキーもロシア教会音楽のパクリだ。ロシア民謡からのメロディーがたくさんあるが、もろに民謡を採集したのではなく、一度教会音楽のフィルターを通っているのではないか。そんな気がしてくる。
アルハンゲルスキーはそんな教会コーラスの作曲家だ。彼の活動した時代はおそらくチャイコフスキーと重なってる。ただしアルハンゲルスキーは相当長生きしている。
YouTubeでは楽譜が流されるが、和音はきわめて単純明快、余分な冒険は一切しない。職人技だ。教会堂の中でそれぞれのパートがどう響くかということだけに神経を絞っている。
何曲聞いても同じだから、10曲くらい聞いておけば十分だ。あとはBGMとして掛け流しにしておけば良い。

アルハンゲルスキー(Aleksandr Andrejevich Arkhangel'skij)についてはウィキペディアで。
曲はとりあえずYouTubeのこの曲 Arkhangelsky - Vespers

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ここのサイトの作者は、私にとってはまさにエヴァンゲリスト(伝道者)のような人です。多分私よりは10歳位若い方のようですが。

その作者が、実はジョージ・セルのフリークなのです。

こんなオード(賛辞)が書かれています。

セルはオーケストラのメンバーが常に他のメンバーの音を聞きあうことを要求しました。それは、特定のスタープレーヤーが突出した響きを聞かせることにはなんの価値も見いだしていなかったからです。
セルが求めたのは響きが完璧に均質化されたオーケストラでした。
それは、一見すると個々のプレーヤーが100点満点の精一杯の演奏をするのではなくて、少しレベルを落としてもいいので全体にバランスを大切にしたように聞こえます。
しかし、現在の再生システムでセルの演奏を聴くと、セルが求めたのはそんな生易しいものでないことが手に取るように分かります。
疑いもなく、個々の楽器は完璧に鳴りきっています。
まさにフルスイングしています。金管楽器だって力の限り吹いています。
誰一人として、まわりの様子を窺いながら「当てに」行っているような雰囲気は微塵も感じません。
それでいながら、オケ全体は極めて高い透明性を保持しています。…

セルの率いるクリーブランド管はどんなときでもフルスピードでコーナーに突っ込んでいきます。
そして、時には危ういラインで何とかクリアしているような場面も珍しくありません。しかし見るものの心を熱くする走りは決して小綺麗な走りではなく、そのような勇気と気迫あふれた走りの方です。 

うまい言い方をするものです。

なんというか、彼ほどの指揮者はいなかったか、いた。彼ほどのトレーナーはいなかったか、いた。しかし両方を兼ね備えた人はいなかった、ということになるのではないでしょうか。

ロンドン交響楽団を振ってもいいし、コンセルトヘボウでもベルリン・フィルでもいいのだが、それは他の誰かでも良い。セルとクリーブランドは一体であり、それは音楽史上の奇跡なのでしょう。

むかし、カラヤンという名指揮者がいた。
とにかく何でもカラヤンだった。
いま、カラヤンて何がいいんだろう。
YouTubeでもいまだにカラヤンの演奏はたくさんある。
しかし、どれを聞いてもいまいちだ。
というより、「この指揮者、ホンマにうまんかなぁ」という感じだ。
ベートーベンの交響曲、ブルックナーの交響曲、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク…何を聞いてもつまらない。
ベトーッとした演奏で、おそらく故意にだろうが出だしを外す。
ネットでカラヤンの名盤、というのを探してみた。出てくるのはチャイコフスキーかR・シュトラウス、後はオペレッタみたいな色モノだ。
けっきょく、残っていくのはそういうものばかりということか。かなり淋しい話だ。
かつてはエピック盤のB級指揮者だったジョージ・セルが、リマスターで生き返って、いまや20世紀最高の指揮者の一人となったのとは対照的な凋落ぶりだ。H.S.イッセルシュテットがこれから評価を上げて来るだろう。
ヴァントも無尽蔵と思われるコンサート録音の内容次第ではトップに上り詰める可能性がある。
3人に共通する特徴は何か。それは叩き上げの職人だということだろう。お酒で言うと大吟醸ではなく特別純米だ。だからどうしても玄人好みになってしまう。

ルネ・レイボヴィッツのベートーベン交響曲全集がいつ日本発売になったかという質問がありました。

日記をつけているわけではないので、はっきりしたことは言えませんが、多分高校1年生の冬だったと思います。したがって昭和37年の末か38年の初めではなかったでしょうか。

数ヶ月くらい前から予約していたので、多分、発売と同時だと思います。実はこの時、全国模試で県で13番の成績をとったのです。それで強引にねだって買ってもらったのです。

そうは言っても、安いから買えたのであって、決してクラスで自慢できるような買い物ではありません。健気な庶民の精一杯の宝物でした。


録音の日時は以下のごとくで間違いないと思います

1961年4~6月
 ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール(Walthamstow Town Hall)
 プロデューサー:チャールズ・ゲルハルト(ガーハート)(RCA)
 エンジニア:ケネス・E・ウィルキンスン(DECCA)

には下記のごとく記載されております。

 Without exact release date, but released in the 60s

Recorded and Manufactured Especially for Reader's Digest by the Custom Record Division of the Radio Corporation of America

Other Versions (5 of 8) View All

1. De Negen Symfonieen Van Beethoven (7xLP + Box)         RCA, Reader's Digest, Reader's Digest   M80P, RDM 20    Netherlands     1961    

2. Las 9 Sinfonias De Beethoven (7xLP + Box)      Reader's Digest, RCA    RD4-06  Spain   1962

だそうです。今の常識から言えばずいぶんスローモーな話ですが、

だとすれば、1962年という年は妥当なところでしょう。

当時の出版事情からすれば、プレスは日本で行ったのではないでしょうか。RCAのプロデュースなので、日本ビクターかと思います。

逸匠列伝で引用している以下の行は今でも憶えています。

私たちはこの不朽の名作に対して、「王侯にふさわしい考え方」をしている指揮者に偶然出会ったのである。この九つの交響曲全曲をもう一度まとめて出そうという想念はパリの歩道に面したささやかなカフェーで生まれた。
私はルネ・レイボウィッツと一緒にモーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ボレロ」の録音をやっていた。二人はコーヒーを飲みながら音楽について議論を戦わしていた。話はベートーヴェンに移った。
レイボウィッツはこう言った。

「世界で一番演奏回数の多いベートーヴェンの第五の出だしのところで、ここのところの小節が一度も正確に演奏されたことがないということに気がついたことがあるかい? それからここのところと…ここのところ」
そして48時間後には彼はベートーヴェンの交響曲の中で一般に行なわれている約六百ほどの誤りをみつけ出していた。
話し合いや手紙のやりとりを6カ月つづけたのち、私たちが「俳優としての王侯」をみつけ出したことは明らかとなったので、この劇をやらない理由はもうどこにもなかった。


Rene Leibowitz with his Ford Thunderbird in Paris (1961)


Rene Leibowitz with his Ford Thunderbird in Paris (1961)


ポーランド生まれのユダヤ人で、フランスに逃げてきたら、フランスもナチに占領されてしまって、戦争中は息を潜めていた人です。このアルバムで一財産作ったのでしょう。精一杯贅沢して、おしゃれしています。

 良かったですね。

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