鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 71 音楽/クラシック

ここまでハイドンのピアノソナタにはまり込んで、なんでこんなことまでしなければならないのかと思う。

結局前の記事で、肝心なことが説明できていないからである。

「ウィーン原典版」(ランドン版)というのが結局混乱の元だったのだろう。

こういうことになると、日本語のネット文献はとんと無力である。

調べてみて分かったのはこういうことだ。
ハイドンという人はドイツ人として初めて大衆の支持を受けた作曲家だ。しかも大変息の長い作曲家で、ウィーンで楽譜が売れ始めたのがかなりの歳になってからだ。だから楽譜が売れる前エステルハージの時代にかなりの曲が手書きコピーで流布された。つまり海賊版がやたらと多い人なのである。だから作品目録を作るに当たっては『伝 正宗』のヤマの中から本物を探し出す作業が必要になる。

1926年生まれのアメリカ人ロビンズ・ランドンが、第二次大戦後間もなくウィーンにやってくる。まさに「第三の男」の時代だ。

彼はボストンでの学生時代、ウィーンから亡命してきたガイリンガーというハイドン研究者の講義を受けて感動していた。ウィーンに来てからは、ハイドン研究の大御所ラールセン(デンマーク人)の指導も受けていたといわれる。
溢れんばかりの才気とやる気、それにかなりの資力(パトロン)もあったんだろうと思う、たちまちのうちにウィーンとボストンにハイドン協会を立ち上げてしまった。

彼のハイドン協会は、「不幸なハイドン」のために一刻も早く全集を完成しようと奔走するが、結局それは挫折する。

やがて戦後の混乱が落ち着いてくると、ラールセンは復興資金の集まるケルンに移り、ハイドン研究を継続する。そこにはラールセンより15歳年上のホーボーケン(オランダ人)も結集した。

57年にホーボーケンが作品目録を提示した。ロビンス・ランドンは相当あせったようだ。

ランドンは妻クリスタ(5歳年上)とともにウィーンに戻った。他の研究者の協力を得て訂楽譜の編集を急ぎ、しばしばハイドン研究所より早く完成させて出版した。これがいわゆる「ウィーン原典版」である。

ピアノ・ソナタに関してはクリスタ・ランドンの名義で別目録を発表、ホーボーケンと真っ向対決の形になった。その不正確さ故に拙速の批判を浴びることがあったともいう。つまり巷の多くの『伝 正宗』を取り込んじゃったわけだ。

結局この混乱は、ロビンズ・ランドンが亡くなることで終りを迎えた。このあと「ウィーン原典版」、ランドン校訂の旧版を底本として改訂に着手し、新版ではホーボーケン番号順へ並び替えられたというから全面降伏である。クリスタ・ランドンの名は原校訂者として残されているが、その意味は定かでない。
PS
クリスタ・ランドンはほとんどネットでは紹介されていない。写真も見当たらない。
1921年、ベルリンに生まれる。父親は保守系の政治家だった。39年、クリスタが18歳のときに戦争を嫌ってウィーンに移住。そのままウィーンで終戦を迎えた。ウィーン音楽院を卒業後、当時ウィーンで創設されたハイドン協会に就職する。ベルリンなまりのきつい子だったという回想がある。
このハイドン協会というのがよく分からないが、多分ラールセンが中心となったのだろうが、アメリカからの資金提供を受けていたのではないか。ウィーンとボストンのダブルフランチャイズとなっている。そこに大学を卒業したてのロビンス・ランドンがやってくる。あるいはロビンス自身がフィクサーだったかもしれない。
クリスタは後にロビンスの二度目の妻となる。5歳年上の姉さん女房だから、傷心のランドンにとって慰め役になっていたのかもしれない。
クリスタはハイドン協会の解散後もケルンのハイドン研究所、ウィーンに立ち上げたウィーン原典版研究所と、ロビンスと行動をともにする。
彼女はウィーン原典版の発行と接して、77年になくなっている。ロビンスはその後3度めの結婚をしている。
生前はシューベルトの初期交響曲の校訂に携わったらしいが、ハイドンのピアノソナタにはほとんど研究実績がみあたらない。このことから、この大胆不敵な仕事は実のところロビンスのものではないかとも思われる。


多分、おおくの不正確さをふくんでいると思います。訂正・加筆を期待します。

ハイドンのピアノソナタとナンバリングの歴史

飯森 豊水「J.ハイドン研究における近年の変化について」を下敷きにしながら歴史動向を探る。

1732年3月31日 ハイドンが生まれる。

1761年 ハンガリー貴族エステルハージ侯爵家に副楽長として仕える。

1770年頃 ソナタ(Hob18-19, 44-46)が作曲される。(出版は10年後)

1774年 ヴィーンのクルツベック社から6曲の鍵盤楽器ソナタ(Hob21-26)が出版される。この頃ハイドンにおけるソナタの位置づけが定着。

1776年 「6曲のソナタ」(Hob27-32)が発表され、流布する。

1780年 ヴィーンのアルタリア社から6曲のソナタ(Hob35-39, 20)が出版された。

1783年 ロンドンで3曲のソナタ(Hob43, 33, 34)が出版される。

1784年 シュパイアーで3曲のソナタ(Hob40-42)が出版される。

1789年 2曲のソナタ(Hob48-49が発表される。この頃からクラヴィアに代わってピアノが鍵盤楽器の主流となる。

1800年 ロンドンやヴィーンで3曲のソナタ(Hob 50-52)が出版される。いずれも94年の第2回ロンドン滞在中に書かれたもの。

1810年 ハイドンの死去。ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社(以後ブライトコップフ)の代表でハイドンの友人グリージンガーによる伝記が出版される。

1879年 C.F.ポール、ハイドンに関する研究を開始。「グローブ音楽事典」でハイドンの項目を執筆。

1895年 高名な音楽理論家フーゴー・リーマン、ハイドンの手稿を発掘。発表された34作品に新たに発見された5曲を加え39曲とする。

1908年 ブライトコップ社による「ハイドン全集」の編集が開始。

1918年 「ハイドン全集」のうち、ピアノソナタの巻が発表になる。校訂者カール・ペスラーは一挙に52曲へ拡大した。

この全集は全3巻からなり、第1巻に第1-22番、第2巻に第23-38番、第3巻に第39-52番が収められた。彼はこの52曲のソナタを創作年代順に並べることを意図した。しかしとくに第1~17番を作曲順に並べるにはその判断の助けとなる資料がまったく欠けていたといわれる。

1927年 オランダの音楽学者アントニー・ヴァン・ホーボーケン、ハイドンの楽譜等を写真で複製するなど収集を開始。1千曲のカードを数えるに至る。

1932年 ガイリンガー、「ヨゼフ・ハイドン」を執筆。代表的ハイドン概説書となる。

1933年 ブライトコップ社の「ハイドン全集」が挫折。

1939年 デンマークの研究者 J.P.ラールセン、ハイドン楽譜の真贋に関する先駆的研究。門下にホーボーケン。(ただしホーボーケンはラールセンより15歳年上)

1947年 ボストン生まれのロビンズ・ランドン、ウィーンに軍務で赴任。ラールセンの下でハイドンの研究を始める。

1950年 ボストン・ウィーンのハイドン協会による全集発行の企画がスタートする。ラルセンがシニア研究員、ロビンズ・ランドンが実務を担当した。

1951年 楽譜は4巻まで出したあと中断。全集企画が流産する。

1955年 ケルンに「ハイドン研究所」を設立。ラールセンが初代責任者となる。学問的に緻密な全集を新たに出版することを目的とする。

1955年 ロビンズ・ランドンが『ハイドンの交響曲』を出版。真正の交響曲を特定し、作曲順を推定する。

1957年 ホーボーケン、「ハイドン書誌学的作品目録」を作成。第1巻「20のグループの器楽曲」が発表される。この内「グループ16」(表記はHob.XVI:)がピアノソナタに割り振られる。

ホーボーケンは、すでに整理されているジャンルについてはできるだけそれを尊重するという方針を採る。したがって、ピアノソナタにおいてはペスラーの第1~52番がそのまま踏襲された。

1958年 ハイドン研究所、ハイドン全集の発行を開始。60年までに最初の8巻(ヘンレ社本)を出版。所長はラールセンからフェーダーに交代。

1968年 進まぬ作業に業を煮やしたランドンは、独自の『ウィーン原典版』の作成に乗り出す。この年に交響曲全曲の楽譜が発行される。

1972年 ハイドン研究所ゲオルグ・フェダー校訂の原典版ピアノ全集(ヘンレ社)が発刊される。

1973年 クリスタ・ランドン、ヴィーン原典版を発表。新たに13曲を加え(うち6曲は実体がない)、3曲を排除して62曲とした。全62曲に通し番号を付けなおした。

クリスタ・ランドンはほとんどネットでは紹介されていない。ウィーン音楽院を卒業後、ハイドン協会にくわわる。49年にロビンスの二度目の妻(5歳年上)となる。77年になくなっている。他にほとんど見るべき実績がないことから、ロビンスの仕事ではないかと思われる。

ランドンは他の研究者の協力を得て訂楽譜の編集を急ぎ、しばしばハイドン研究所より早く出版した。ランドン版に当たる第4番、第7番、第17番~19番、第21番~28番はホーボーケン版には該当するものがない。

ランドンおよびその陣営の研究者たちによる楽譜出版が、その不正確さ故に拙速の批判を浴びることがあった。最大の問題は根拠なしに創作順を推定して全面的に番号づけ直したころにある。

1974年 ケルンのヨーゼフ・ハイドン研究所、ハイドン関連文献の目録作成を開始。

1978年 ホーボーケンの目録第三巻(作品集、作品番号一覧、出版社一覧、被献呈者一覧等のデータ集および追補と訂正)が発行し、全目録が完成。

1976年 ランドン、5巻からなる膨大な『ハイドン:年代記と作品』を刊行。

1984年 アメリカのDover Publications 社、ペスラーの『ピアノ全集』全2巻を復刻・出版。

1994年 ロビンス・ランドンが「新発見のピアノソナタ」とした作品をめぐって論争。これらの楽曲は偽作であると結論された。

2004年 全音楽譜がハイドン:ソナタ集1、2を発行。各15曲が収録されている。いずれもホーボーケン表記を採用。ランドン表記を旧分類とする。

2009年 没後200年を機に、G.ヘンレ社より「ピアノソナタ全集(原典版)全3巻」が発行される。ケルンのハイドン研究所「ヨーゼフ・ハイドン全集」の一部を構成する。

鍵盤音楽担当編集者のフェーダーは、通し番号を付すのをやめ、全54曲を10のグループに分け創作順関係に融通性をもたせた。

2009年 「ウィーン原典版」、ランドン校訂の旧版を底本として改訂に着手。改訂担当者はライジンガー。ランドン独特の通し番号は旧番号として維持されたものの、並び順はホーボーケン番号順に並び替えられる。

2010年 ペータース社より「マルティエンセン編ピアノ・ソナタ集 全2巻」が発行される。

2013年 「ウィーン原典版ハイドン ピアノソナタ全集」が改訂。日本では音楽之友社から発行。

ハイドンのピアノソナタをまとめ聞きする。
ハイドンをまとめ聞きするというのは、そもそも無理なのである。
そんなことは前から分かっている。わかってはいるが一度やってみたいのである。それが性というものだ。
シンフォニーは10番位で最初に挫折し、それでも頑張って行くと、30番位でなにが何やら分からなくなってくる。
そのへんからは徹底的に流しまくって、聞いたことにして前に進んでいく。
それでも50番位でもうごちそうさまになる。
ニックネーム付きを選んで進むが、それでもパリセットに入る頃には耳がストライキを起こす。
最後は、そんなことで一生を終わるのかという、声が聞こえてくる。これはほとんど統合失調の手前だ。
交響曲で挫折したのなら、弦楽四重奏がどうなるかは火を見るより明らかだ。
それに比べればピアノソナタはかなり気楽に行けるのではないかと、またもや始めた次第。
以前、ピアノトリオはけっこう気楽に進んだので、少し頑張ってみよう。

ピアノソナタを聞くのにあたって最初に困ったのは、名前がばらついていることである。
ばらつくのは決定的な権威がいないからであり、譲りあいの精神が欠如しているからである。
みごとなほどにばらついており、そのばらつきに規則性がない。

バッハとモーツァルトは幸せである。ケッヘルとBWVでとりあえず収まってくれるからだ。
一番不幸なのはスカルラッティで、たいした有名でもないのにL(ロンゴ)とK(カークパトリック)が意地を張り合っている。
それでもまだKとLと名を名乗るから良いが、ハイドンの場合は名を名乗らない。


私のつたない記憶では、かつて一時はホーボーケンに統一しようという流れがあったと思う。
しかしそれはもうない。昔のピアノソナタ第何番に戻ろうとしている。しかし2,3割の人はいまだにホーボーケンにこだわっている。だから同じ曲がまったく違う番号で出てくる。その際鑑別するには曲の調性で判断する。また作品番号もついているのでこれでも推測できる。
とにかく音源がある程度溜まってくるとこれを整理していくだけでも大変なのだ。
ということで、これからハイドンのピアノソナタを聞こうと思っている人のために、あらあらの曲名一覧を提示しておこう。
(なおオヴェ・アンスネスのソナタ集の番名は多分、「ウィーン原典版」の現行版ではなく旧版(ランドン版)を使っているのではないだろうか
一般的に言えば、ここに名前がない曲は聞く必要はないと思っていい。
haydn_PS
なお、ウィキペディアではホーボーケン番号順に曲を並べているが、今日では意味が無いので利用しないほうが無難。ピティナの索引(全音楽譜版?)を使って一覧表を作らないとあとでひどい目にあう。
曲としては、31番、32番、33番、38番、47番、50番、53番、59番あたりが定番曲だろう。
演奏は誰が良いということはないが、録音が新しく良いものが良い。ピアノフォルテやクラヴサンの演奏は避けた方が良い。
ブレンデルがあらゆる面から見て無難。クリーンも良いがブレンデルより粒が小さい。アンスネスの立体感は高音質とあいまって魅力。リフテルはたまにスカがあるので注意。バックハウスは無理やりベートーベンにしようとする。エマヌエル・アックスの盤は思いっ切り残響も入ってピアノしているが、意外に良い。


この記事は、その後180度転換されている。

をご覧いただければ理由はお分かりいただけるであろう。いまさら知らんぷりもできないので、恥をさらしておく。

通し番号記載は、今後姿を消していくであろう。

私もホーボーケン番号順に整理し直すことにする。整理し直したらもういちどブログに掲載することをお約束します。


どうもタバコを止めてから肉体的には多少良いが、精神的な持続性が落ちてしまったようだ。イライラと腑抜け状態が続く。

あと10年の生命、どう持たせればよいのか思案のしどころだ。

気持ちがひとところに落ち着かず蝶々のようにふわふわしている。

シェーンベルグの「浄められた夜が」演奏次第でずいぶん違う。カラヤンがどうも気に入らなくて、弦楽6重奏のテクスチャー感が出てこない。

エベーヌ四重奏団がすごく気に入ったのだが、弦楽合奏版を捨ててよいのかが気になって探してみたら、小沢指揮サイトウ・キネン・オーケストラの演奏がすごい。ただ、熱演はすごいのだが、やはりこの曲は弦楽6重奏曲だろうと思う。

ベートーベンの大フーガをフル・オーケストラで聴いても、ひたすら低音弦がうっとうしいのと同じだ。

それでなんとなしに小沢のディスコグラフィーを探していくうちに、入江美樹という奥さんが気になって、写真を探したらこんなのが出てきた。

入江美樹
顔はハーフだが体型は純日本風。亡命ロシア人の流れのようで、白人=上流階級ではない類(大鵬とかスタルヒンとか)の流れかもしれない。戦後の北海道にはちらりほらりと見かけたものだ。

滝川クリステルとは品格が違う。

後ろのアンちゃんがいかにも平凡パンチかJUNから抜けだしてきたみたいで、 ワタシ的にはハマってしまう。

あの頃の若者文化の憧れシーンをスカートめくりしたような気分だ。


それでその話がどうつながっていくかというと、小沢が活躍した頃のアメリカのミュージックシーンの話になって、Stu Phillipsの話に跳ぶのだ。ここがどうして跳ぶのかがよく分からない。

海馬の障害なのかもしれないし、私のブログの更新が進まない原因なのかもしれない。

とにかくこのLPが良いのだ。

Stu
ジャケットは相当いやらしい。

それでこのStu Phillips という人が、売れればなんでもいい人なのだ。

それで最大のヒット作がナイトライダーだ。ナイトは夜ではなく騎士の方のナイトらしい。いま考えればAIカーの走りだ。

多分このシリーズは見た。ハッセルホフという下品顔の俳優で“日本ハムの新庄”をさらに崩したけばい顔だ。

音楽はとんと覚えていない。今日び、こんなもの、リズムマシーンソフトでいくらでも作れる。

「見た」記憶はあるが、「さすがにここまでは」というのが

Knight Rider
ということで、肝心なことが書いてない。

とにかく小沢征爾とサイトウ・キネンの「浄められし夜」は見ておいた方が良い。


いまびっくりしている最中です。
チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 趙成珍)というピアニスト。あまりにも素晴らしくて、あっけにとられています。
もともと韓国のピアニストは好きで、独特のグルーブ感はとても日本人の及ぶところではないと思っていましたが、ついにここまで来たかという感じです。
2015年のショパン・コンクールで優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞したそうです。
というより、もはや世界のトップランナーとして完成しています。
私はツィマーマンが好きで、いわゆる「世界最高」だと思っていますが、彼がのして来たのはショパンコンクールを受賞してから数年後のことです。
逆にポリーニは受賞のときが一番で、その後は玄人筋の評判は良かったものの、私にとってはピンとこない存在でした。
ダン・タイ・ソンはコンクールで燃え尽きてしまったようです。ユンディ・リーはただの雑技団です。
しかしチョ・ソンジンはそういうレベルをはるかに超えています。ピアノ界の大谷です。
技巧も素晴らしいし、音色も最高ですが、それ以上にずば抜けた芸術的センスに惚れ惚れしてしまいます。
それは英雄ポロネーズとかスケルツォの2番のようなとりとめない「駄作」から物語を紡ぎ出す、センスの絶妙さに現れています。
You Tubeで探すと韓国には芸術的センスに溢れた人たちが山ほどいます。訴えてやまない国民性が芸術に向いているんでしょうね。
「嫌韓」の方にぜひ一度見てもらいたいと思います。きっと考えが変わるでしょう。
ピアノ協奏曲第1番
ピアノソナタ第2番
チョ・ソンジンは第一次予選にノクターンの作品48の1を選びました。この曲はルビンステイン風にエレジーっぽく弾くか、ポリーニみたいに行進曲風に行くかでずいぶん印象が違ってきます。
最初からずいぶん難しい曲を選んだもので、その冒険が必ずしも成功しているとは思えません、


You Tubeにはショパンコンクールで優勝したあとのベルギーでのコンサートもアップされています。正直に言えば弛緩しきっています。このままではダメでしょう。

流石に有名曲だけあって、You Tubeでもずいぶんとたくさんの演奏が聞ける。
本日聞いたのはブーレーズ、モントゥー、ミュンシュ、レイボヴィッツ、カラヤンの旧盤と新盤、ラトル・BPO、ブラッソンというところ。この倍くらい音源がある。カラヤンの旧盤はツェラーのフルートというのが売りになっているが、You Tubeの音質はかなりの低レベル、新盤は85年のものらしいが、どうしようもなくうざったい。
ラトルの音源は05年の東京ライブらしい。何故か音がくぐもっている。一つひとつの音は素晴らしいのに残念だ。ブーレーズはいつもながら好きでない。嫌なやつだ。
モントゥーの録音は来日直前のものであろう、ステレオだ。デッカのおかげで素晴らしい音がとれている。ミュンシュの録音も引けをとらない。モントゥーはロンドン交響楽団、ミュンシュはボストン交響楽団で最高の技術水準だ。
レイボヴィッツはLPからの盤起こしで、音そのものは良いのだが低調の雑音が気になってしまう。
いろいろ聞いていると、この曲はフルート協奏曲ではなく、かなり指揮者次第で変わってくる曲だということが分かる。ワグナーを聞いているのではないかと錯覚することさえある。それはレイボヴィッツ盤を聴いていると良く分かる。
ということで、ミュンシュには悪いがこの曲向きではない。減点法で行くとモントゥー盤かなということになる。ブラッソンもとてもいいのだが、オケのレベルがちょっと物足りない。
まぁ今日はこんなところで。


レビコフのピアノ曲はリャードフやリャプノフと比べると本当に雑な作りだ。
それなりのピアニストだったら、忌避するか大げさな響きに編曲するだろう。メロディーも月並みなセンチメンタリズムだ。
ただし、中山晋平の「波浮の港」を聞いて「あぁなんていいんだろう」と思う人にはお薦めだ。
そんなメロディーが次々と湧き出てくる。そんなレビコフの真骨頂が作品8のピアノ小曲集「秋の夢」だ。
全部で16曲からなる。まず右手のメロディがあって、左手は控えめに和音を奏でる。小学生でも演奏できそうな曲ばかりだ。
rebikohu
私はアナトリ・シェルデヤコフのピアノ全曲集を買ったのでそれで聞けるが、You Tubeでは全曲という訳にはいかない。というか、ほとんど聞けない。
ソメロというひとのCDも買ったが、金正恩みたいな写真のジャケットはおよそ反芸術的な雰囲気満載だ。
“Rebikov” で検索してみてください。なんとなくハマること請け合いです。

なぜ、ダウンロードをそんなに頑張ったかというと、ベルグルンドのシベリウス全曲を見つけたからだ。
しかも音が素晴らしい。
パーボ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団のシベリウス交響曲全集は、極めつけというほかない名盤だ。まったくもって奇跡の演奏であり録音だ。イギリスの片田舎の素人に毛が生えたような楽団のはずだが、これがベルグルンドの薫陶よろしきを得て、名指揮者と有名楽団の演奏をはるかに凌駕する世紀の名演を行ったのだ。
1970年台の録音だから、アナログだし古い。しかしアップロードするに際してすごいリマスターが加えられている。
ハムとランブルを除いて、S/N比が72dbまで向上したそうだ。聞いていると最近のDDDに勝るとも劣らない。
残念ながらビットレートは最近のYou Tubeのしばりで、AAC可変レートで128kbまでに押さえられているが、大型装置で聞いても十分耐えられる音質だ。
ついでにもう一つの演奏も紹介しておく。
同じパーヴォだが、こちらはパーヴォ・ヤルヴィ、ネーメではなくて息子の方だ。オヤジもずいぶん北欧モノを振っているが、息子もその薫陶を受けたのであろう、密かに得意としているようだ。
そのパーヴォ・ヤルヴィとパリ交響楽団との第一交響曲だ。「もういくつ寝るとお正月」が第2楽章に出てくる曲だ。冒頭のクラリネットがなんともいえずとろける。バーンステインとウィーン・フィルの演奏のときもクラリネットが素晴らしかったが、こちらは甘いショコラの風味だ。ヤルヴィはタクトを胸に押し当てたままである。
第3楽章の明快でおしゃれな感覚は、終楽章のゴージャスな音色とともに、これがシベリウスであることを忘れさせてしまうほどだ。音質も良い。ぜひご一聴をお勧めする。
なおヤルヴィの演奏にはフランクフルト放送交響楽団とのものもアップされているが、こちらは凡庸で録音のクオリティーも低い。

ドヴォルザークのバイオリン協奏曲ですごい演奏を見つけた。

スーク・ノイマン・チェコフィルの演奏がとにかくひどい音で、聞くに堪えない。諏訪内さんの演奏も良いのだが、古いアップのためか音がくぐもる。

何かもう少し良いものがないかと探してみた。

Johanna Martzy

という、聞いたこともない女流奏者の演奏で、フリッチャイとRIASがバックをつとめている。1953年の録音らしい。

dvorak

DGGの正規盤だからそれなりに由緒ある録音なのだろうが、かなり聴き込んだLP(モノ)からの盤起こしで、かなりスクラッチ・ノイズが気になる。オケの音はかわいそうなくらい貧弱だ。

SERIOSO SERIOSO さんも流石に気になったのか、同じ演奏を2ヶ月後に再アップしている。こちらは同じDGGでもヘリオドール・レーベルで違う盤のようだ。ステレオと銘打っているがもちろん疑似ステだ。

もちろん、ヌヴーよりはるかに音質は良い。たぶんリマスターして出してくれれば相当の音質で聞けると思う。

とにかくバイオリンの音色に酔いしれるべき演奏だ。どこまでが演奏家の腕で、どこまでが楽器の良さなのかは分からないが、低音での繊細さと高音での天まで伸びていく輝きが有無を言わせずに迫ってくる。

クレモナの名器を使用してたらしいがさもありなんと思わせる。

気になってヨハンナ・マルツィの音源をいろいろ探してみた。一世を風靡したらしく結構な音源がある。しかし結局のところこの演奏一発の人のようだ。結局名器に足を引っぱられてしまったのか

悪くはないがちょいと臭い。ヌヴーとはレベルが違う。この人でなければという人でもない。ブルッフあたりを入れていればもう少し人気が長持ちしたのではないかと思うが。

P.S. Beulah さんという方がものすごい音質でリマスターしている。これはリマスターが専門の会社のようで、デモンストレーションとして抜粋(約10分間)がアップされている。


ロシア音楽の年表でいろいろ地名が出てきますが、どうもピンときません。
少し勉強してみました。
江戸時代もそうなのですが、俗に「偉人」という人の多くは地方出身です。地方の小エリートが都会に出て勉強し偉くなっていくというのが、この時代(封建時代)の特徴のようです。なぜそうなのか、よくわかりませんが、地方には独自の文化があってその土壌が「偉人」たちを育んだのかもしれません。地方の疲弊は国の文化の多様性を失わせ、国を衰退に導いていくのかもしれません。

それはともかく、地名を地図で探すのですが、著作権の関係なのかまともな地図にヒットしません。グーグル地図は美しくないのですが、地名検索にはこれを使うしかありません。

とりあえず全体が分かる地図を掲載します。(画面上をクリックすると拡大されます)

Russiamap

RUSSIA - EUROPEAN REALM

というサイトからの転載です。

19世紀の地図も探しています。

ありました。

Russland und Scandinavien (Russia in Europe and Scandinavia), 1873

という地図で、ありがたいことにラテン文字表記です。

15 Mb  9345x7606 px

というすごい画像で、光通信でもダウンロードに数分を要します。(ロシアのサイトなので、向こうの問題かもしれない)

こちらは細切れにして紹介します。

1.ヴォトキンスク

まずはチャイコフスキーの生まれたヴォトキンスク。ウィキには次のように紹介されています。

ウドムルト共和国の首都イジェフスクの北東50キロメートルに位置する。カマ川の支流ヴォトカ川が流れることからヴォトキンスクという。

これって分かりますか。

ヴォトキンスク

これがグーグル地図です。ボルガ河畔のカザンから東北東に直線で300キロ、東京―名古屋くらいです。

道路事情にもよりますが、馬車でも5日間でしょうか。

このヴォトキンスク、1873年の地図には名前すら載っていません。相当山奥の田舎町だったようです。

もともとこのあたりはウラルの山の中で、フィン人系の先住民が住んでいましたが、鉱山が発見され、18世紀末からロシア人が入り始めたようです。

チャイコフスキーが生まれた1840年ころには文化のブの字もなかったと思います。

現在ヴォトキンスクは人口10万を数えますが、これは第二次大戦中に重工業がウラル山中に疎開したことがきっかけになっています。戦後は弾道ミサイルの生産拠点となっており、アメリカの監視要員が駐在していたこともあったようですが、その後追放されたとの報道もあります。

最近は人口減少の兆しもあり、前途はなかなか多難と思われます。


いろんなページからチャイコフスキーのボトキンスクでの生活を辿ってみます。

ボトキンスクは鉱山の町で、父イリヤは鉱山で政府の監督官をつとめる貴族でした。といっても、家系的にはウクライナ・コサックの出で、医師であった祖父の努力によって、貴族に叙せられた家系です。

母アレクサンドラはフランス人の血をひく女性で、先妻が死別したための後妻です。アレクサンドラの祖父はフランス革命をさけて亡命してきたフランス人の貴族でした。

母はチャイコフスキー自身が近寄りがたいと思うほどの美人で、フランス語とドイツ語が達者な教養のある女性でした。ピアノも弾き、プロの歌手ではないけれど素晴らしい美声の持ち主だったといいます。

チャイコフスキーが幼い頃は父の稼ぎも良く、彼が4才の時フランス人女性を住み込みの家庭教師として迎えます。ファニー先生は勉強を教えるだけでなく、世界の歴史や童話や易しい小説を読んで聞かせ、いつも側にいて優しく見守ってくれていました。

モーツァルトのオペラやシュトラウスのワルツが大好きで、覚えた節を自分なりにピアノで弾いたりするなど音楽的才能はあったようですが、特別教育を受けた様子はありません。

彼は7歳でフランス語による詩を作り、オルゴールを聞いて一人泣いているような子どもだった。(Rimshotさん

8歳のときに一家でモスクワに出たあと、ボトキンスクに戻ることはなかったようです。

0~8歳までの時期というのは、強烈な印象を残しているものと思いますが、直接ボトキンスクの思い出を題材にした曲というのはないようです。





カティア・ブニアティシュビリというピアニストがいる。名前を憶えるのにだいぶ時間がかかった。
グルジア出身でおよそ30歳くらい。ヨーロッパでは大変な人気らしい。
たいしたコンクール歴もないが、ルックスが良い。豊かなバストでたまらないお色気だ。ムター人気と似通ったところがある。しかしこの人の見せ場はルックスではなく、ハリウッド女優も真っ青のパフォーマンスにある。
独奏は大したことはないが、コンチェルトになると俄然すごい。管楽器奏者の独奏場面では口には笑みをたたえ、目では睨みつける。「にっこり笑って人を斬る」眠狂四郎の趣きだ。
要するに“あんみつ姫”さながらのスーパーわがまま姉ちゃんなのだが、大きな瞳で見つめられてニッコリ微笑まれると、ついその気になってしまうというあんばい。これには男女の差はなさそうだ。
もちろん毎日一緒に暮らしたくはない。Never and Neverだ。

グリークをお勧めする。とくに終楽章はホロビッツの爆演を思い起こさせる。


ブラームスのクラリネット5重奏曲といえば、ある意味“暗さ”が売りの曲だ。
それをムード音楽のように演奏している人がいる。
邪道とはいえ、これが意外に良いのだ。
Clarinet Quintet in B minor, Op. 115 - Autumn mood, Johannes Brahms

というYou Tubeのファイル。
Chamber Music Society of Lincoln Center
という団体の演奏で、ライブ録音らしく終わりに拍手が入る。
クラリネットは、一瞬耳を疑うような音を出す。

しかし、それでも良いのだ。
第一楽章の第一主題はスローなワルツだ。「うーむ、そうか」と納得してしまう。

だいたいこの曲の演奏はクラリネット奏者の名で呼ぶことが多い。ウラッハ盤とかライスター盤という具合だ。しかし、この演奏ではクラリネットは5重奏の1メンバーで、タクトは第一バイオリンが握っている。
それが良いのだろう。こちらはブラームスを聞きたいので、ライスターを聞きたいわけではない。
この線で、もう少し上手いグループが演奏してくれないだろうか。






マレー・ペライアのゴールドベルク変奏曲を聞いている。

ずいぶん色々聞いてきたつもりだが、やっぱりこれしかない。

と思って、ついに買う決意をした。

と思ったら、アマゾンで三種類も出ている。

① MURRAY PERAHIA THE FIRST 40 YEARS Box set

これがなんとCD73枚組で2万6千円。

流石に「うーむ」と唸る。生きているあいだに全部聞けるだろうか。

MURRAY Perahia AWARDS Collection Box set

これはCD15枚。なんとかなりそう。値段は4234円という中途半端なお値段だ。タワーレコードでは3622円になっている

MURRAY PERAHIA PLAYS BACH CD, Import, Limited Edition

これがCD 8枚。もちろんゴールドベルクも入っている。3369円。

これは②で決まりだね。

長年、ソニーで録音していたペライアがグラモフォンに移籍して、腹いせにソニーが投げ売りしているらしい。

 

 

スメタナSQ の3つのドヴォルザーク:ピアノ5重奏曲

それほどの曲とも思わないが、たまたまYou Tube で現役盤以外の二つの演奏を聞くことができた。

みんなピアニストが違うので、しゃべるには分かりやすい。

最初がシュテパンというピアニスト。これは60年代に出たスプラフォン盤らしい。

次が、1978年にヨセフ・ハラのピアノによる演奏。これは1978年11月18日、新宿厚生年金会館でのライブ録音。最後に拍手が入る。

この2枚目については「私のクラシック」というブログに経過が詳しく書かれている。

そして現在現役盤となっているのがパネンカとの共演。1996年日本でのスタジオ録音らしい。

なぜこんなことを書くかというと、私はあまりスメタナ四重奏団の演奏が余り好きでないからだ。

ゲスの趣味だが、どちらかと言えば私は朗々と歌ってほしい。

靴下の上からくすぐられても、余り感じないのである。

最初の頃、「スメタナは録音に恵まれていない」と思っていたが、そればかりでもないようだ。

それになんと言ったって、結成が1942年。ナチス支配下のプラハである。

正直言って結成(96-42=)54年を経たロートル軍団に緊張感など求めようがない。

というわけで、このやや冗長な5重奏曲を緊張感をたたえながら弾ききるのは無理だろうと思う。

聞けばわかると思うが、You Tubeでしか聞けないだろうが、60年代のシュテパンとの演奏が一番良いのだ。

シュテパンというピアニストがよいのだ。節度を保っているが、決して伴奏者の位置に留まってはいない。

どうせすぐ消えるだろうが、一応リンクはしておく。

Dvořák - Piano quintet n°2 - Smetana SQ / Stepan

Dvořák - Piano quintet op.81 - Smetana SQ / Hála

ついでに、私の好きな演奏はこちら

Dvorak, Piano Quintet No 2, Op 81, Juilliard Quartet, Rudolf Firkusny, Piano

フィルクスニーは好きなピアニストで、ドヴォルザークのピアノ協奏曲が良い。

つまりは、新世界交響曲をチェコフィルで聞くかニューヨークフィルで聞くかという趣味の問題。


「パガニーニ弦楽四重奏団」というアンサンブルがあったようだ。恥ずかしながら、いままで知らなかった。
名前からしてちょっと怪しげだ。安売りCDの発行元が適当につけた名前かと思わせる。
それがベートーベンの四重奏曲を録音している。
聞きはじめの音からしてひどい。くぐもった音を人工的にいじって、強音はハウリングしまくりだ。
しかししばらく我慢して聞いていくと、「おやっ?」ということになる。
まずとにかく技巧がすごい。第1バイオリンがすごいのだが、他のパートがそれを支えるのではなく、逆に押し込んでくる。ジャズで言うグルーヴ感である。
歌心があって、こんな曲(失礼)でも面白く聞かせる。「ブッシュやブタペストでないと」、という人が聞いたら目をむくだろう。線香の匂いの代わりに艶っぽい香水の匂いがする。
解説文(発売元の自賛)から引用する。
1940-60年代のアメリカで活躍した名門アンサンブル団体、
1946年にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集をリリースしたことを皮切りに、RCAVictorレーベルの下で弦楽四重奏曲の録音を数多く残した。
アンリ・テミアンカ(ベルギー生まれ)によって1946年に結成された。
ブッシュSQ、カルヴェSQ、レナーSQ、ブダペストSQといった戦前の歴史的な弦楽四重奏団と、ジュリアードSQといった戦後のアンサンブル団体のちょうど間にあたる。
団体名の由来はパガニーニが選んだ4つのストラディヴァリ(2Vn,Vla,Vc/通称パガニーニ・カルテット)に由来しています(現在、このパガニーニ・カルテットの楽器は東京クヮルテットが日本音楽財団の貸与で使用)。
芯の通った溌溂とした音色が素晴らしく、激しいパッセージにおいても揺るがぬ堅固なアンサンブルに圧倒されます。
別の情報によると、
1935年のヴィエニャフスキ国際コンクールで、ヌヴーがオイストラフを抜いて優勝した時、テミアンカは3位だったみたいです。
とのこと。
ヌヴーがオイストラフに勝った話は耳タコですが、一発勝負で勝っても、そりゃオイストラフが上でしょう、と、個人的には思っています。
まぁとにかくテミアンカがそういうレベルの人だったということ。

追補
パガニーニSQの演奏はリマスターされてCDで聞ける。You Tubeではベートーベンの1番がアップされている。音はすばらしくなっている。
135を初めて聞いたときの印象は多少薄まるが、グルーブ感の濃厚さは相変わらずである。どうしても時代的にはチャーリー・パーカーのビバップを連想してしまう。クラシックでいえばブタペストとジュリアードのあいだ、ジャズでいえばベニー・グッドマンとマイルス・デイビスのあいだである。
国際政治でいえば、終戦直後から冷戦・赤狩りが始まるまでの、世界中がワクワクしたつかの間の数年間、その遺産として受け止めたい。

追補
パガニーニSQの演奏はリマスターされてCDで聞ける。You Tubeではベートーベンの1番がアップされている。音はすばらしくなっている。
と書いたが、間違いであった。
全曲が聞ける。
ただしいつまで聞けるかは保証の限りではない。
もしブッシュSQとブタペストSQを持っているなら、どちらかを捨ててこちらに乗り換えるようお勧めする。
ついでに
著作権切れのせいか、最近スメタナSQの音源が出回るようになっている。こちらも見つけ次第ゲットするようお勧めする。「違法と知りつつダウンロードする」のでなければ違法ではない。

「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選  改訂増補版 その3

2017年07月15日

カリンニコフ 1866年~1901年 

カリンニコフはこれまでの作曲家とは異なり、無産階級の出身(父親は田舎巡査)である。

1884年にモスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに数ヶ月で退学した。

その後モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校で勉学を続けた。食うために忙しかったらしい。卒業したのは8年後のことだった。

92年にチャイコフスキーに認められ歌劇場の指揮者に抜擢されるが、ほどなく結核が悪化し断念。その後は死ぬまで保養地を転々とした。

ラフマニノフも出版を斡旋するなど生活維持に貢献したと言う。

以下の3曲はいずれも療養中のものである。

67 悲しい歌 1893

5拍子の短い歌。カリンニコフのピアノ曲としては最も知られているかもしれない。「雨降りお月さん、雲の上」と同じメロディである。

68 エレジー 変ロ短調 1894

この人はおそらく上流階級が持ち合わせない、ロシア的なメロディーを体に染み込ませていたのではないか。

それをうまく使いこなす技法を音楽学校で学んだのだろう。何分にも情報が少なく、感想的なことしか書けないが。

69 ワルツ イ長調 1894

しゃれたワルツだが、中間部はちょっと泥臭い。この曲まで入れる必要はなかったかと、ちょっと後悔している。

 

レビコフ 1866年~1920年

70 Op8_9 マズルカ イ短調 

おそらく毀誉褒貶、相半ばする人だと思う。私はたとえスベニール曲の作家であるにせよ、もっと位の高い人だと思うが。

モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも通ったことがあるらしいが、主たる勉強の場はベルリンとウィーンで、国内の作曲家の人脈とはあまり接していない。これが人気の上がらない原因かも知れない。

メロディーは大変美しい。ただ曲作りがきわめてシンプルなだけに、演奏する人の思いや手腕によってまったく印象が変わってくる。旅回り一座の台本みたいなものだ。

この曲は強弱とルバート、テンポの揺らし方が命の曲である。

71 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

これも同様のことが言える。とにかくメロディーの美しさには心奪われるものがある。

72 Op10_10 ワルツ ロ短調

上に同じ。

シェルデャコフ盤をお勧めする。ソメロは勧めない。金正日顔が気に食わない(と言うのは冗談)。レビコフは無調音楽の方に興味があり、先駆的な試みをしている。ソメロはその種の曲の方に興味が向いているようだ。

73 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

レビコフの同様の曲の中ではもっとも有名な曲で、比較的演奏される機会も多い。

74 Op29_3 秋の綴りから コン・アフィリツィオーネ

この曲はモスクワ室内楽団の弦楽合奏版が良い。

まぁ、この5曲を続けて聞いたら、理屈は不要になる。

75 秋の花々_1 モデラート

この曲集には作品番号がない。

76 秋の花々 アンダンテ

最後の2曲は多少落ちる。しかし雰囲気はある。

本来ならValse Mélancoliqueを入れなければならないのだが、どうも住所がよく分からない。作品2説と作品30説がある。

シェルデャコフのCDは、3枚組のくせに作品2も作品10も作品30もふくまれない。クソ欠陥品であるのか、真偽に疑いが持たれているのか。

当面真偽がはっきりするまではベスト100入りは保留する。

 

スクリアビン 1872年~1915年

77 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

作品番号1をこの単品のワルツにつけた理由はよく分からない。

84年(12歳)からズヴェーレフの音楽寄宿学校でラフマニノフらと共に学ぶ。モスクワ音楽院への正式入学は88年だから、習作に近いものだろう。

これと言ったひらめきは感じられないが、よくできたきれいな曲である。

78 ワルツ 嬰ト短調 1886年

作品番号はついていないが作品1の翌年の曲である。はるかに魅力的である。こんな曲は一生のあいだに何曲も作れるものではない。

79 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

これはスクリアビンの最高傑作(の一つ)であり、ロシア・ピアノ音楽の最高傑作の一つである。すでにショパンを越えている。

この時スクリアビンは未だ15歳。モスクワ音楽院にも入っていない。もうやることがないではないか。

80 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調 1988

作品3は音楽院に入った年から翌年にかけて作られた。すべてが良いのだが、ここでは3曲をえらんでおく。

81 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調

ショパンのマズルカの基準をしっかり守り、マズルカとは何かというところまで踏み込んでいく。

どうでもいいが、スクリアビンが信頼したと言われるフェインバーグの演奏はかなりマズっている。この人のバッハ・平均律を聞けば、羽目をはずしたロシア人が何をするか良く分かる。

82 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

リャードフもショパンの真似は非常にうまいが、しかしスクリアビンはモノマネではなく。ショパンになりきり、それをどう発展させるかと考えているように見える。

ある意味怖いところがある。

83 Op8 12の練習曲 第1番 1894

作品3からいきなり6年跳ぶ。

この間いろいろあった。もう音楽院は卒業している。Rコルサコフやベリャーエフの知遇を得たと言うから、ペテルブルクに出たのか。

そして92年に猛練習の結果、右手首を傷める。

相変わらず音はクリアーなのだが、どうもピアニズムの方に行ってしまったようだ。

音はさらに多彩になり、リズムは細かく刻まれる。はたしてそれがショパンの本質なのか。

84 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

12の練習曲の最後は、ショパンなら「革命のエチュード」である。スクリアビンもそれに従って、それっぽい曲を作った。

85 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

右手首を故障したスクリアビンは左手で練習を続けた。

その時の作品がこれである。

86 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

作品9はたんなるゲテモノではなく、スクリアビンを代表する作品の一つとなっている。

87 Op11 24の前奏曲から第11番 ロ長調 1895

24の前奏曲は数年がかりで書き溜められて97年に発表されているが、この曲は95年のもの。

美しく屈託がないが、このような雰囲気はその後影を潜める。

88 Op12_2 即興曲 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

アンダンテ・カンタービレとは言うものの、あまりカンタービレしない。

この曲のあと、次第にスクリアビンは非ショパン化、断片化、無調化していく。そして奇しくも、喧嘩別れした師アレンスキーと同じ43歳で死んでしまう。以降は割愛する。

スクリアビンの病跡学についての和文献はネット上には見つからない。多分統合失調絡みと思うが。
もう少し探してみる。

 

ラフマニノフ 1873年~1943年

89 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

ラフマニノフは没落貴族の息子で、父親とは生き別れた。ペテルブルクの音楽院の予科に入るが、素行不良で放校となり、モスクワ音楽院に横滑りした。

そこでも、ピアノ教師がスパルタ式だったことからケンカ別れしている。優等生のスクリアビンとは対象的である。

幻想小曲集は1892年、19歳の作品である。この人が作品番号を付けるのは割りと遅く、卒業制作のピアノ協奏曲第1番が作品1となっている。

それより前からかなりの作品があるようだが未聴である。ただ、スクリアビンが統合失調なら、この人は典型的な双極性障害であり、だめな時はだめだから、意外と大したものはないかもしれない。

この曲はのっけからラフマニノフ節炸裂である。冗舌なのも最初からのようである。

90 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

ピアノ曲の中でもっとも有名な曲。クレムリン宮殿の鐘の音がモチーフになっている。

ヨーロッパやアメリカでラフマニノフの名を一気に高めたと言う。

まぁショパンではないな。

91 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

これまたド派手な曲で、2台のピアノから繰り出される音量は凄まじい。アックスとブロンフマンという肉体はコンビで聴くと、その迫力に圧倒される。

93年の初演で、チャイコフスキーに捧げられている。しかしその直前にチャイコフスキーは急死している。

本筋とは外れるが、チャイコフスキーの死を悼んで作られたピアノ三重奏曲は、ラフマニノフ最高の傑作である(と思う)。

92 Op.16_3 楽興の時 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

もろにロシア人の叙情で、ブレスの長さはいささか持て余す。

「幻想的絵画」から3年経った96年の作で、すでに少し落ち込んできているのかもしれない。

93 Op.16_4 楽興の時 ホ短調

ショパンの作品25の練習曲みたいだが、こちらは左手でとんでもないスピードの分散和音を弾き続ける。

94 Op.23 前奏曲第2番 変ロ長調

いったん落ち込んだラフマニノフがふたたびハイになった1903年の作品で、低音部の連打が迫力満点である。

これはリヒテルの59年録音にまさるものはない。

95  Op.23 前奏曲第3番Op23 ニ短調

こちらはちょっと野卑な感じがあるので、「ショパンたち」に入れるのをためらったのだが、ワイセンベルクの演奏があまりにも見事なため、つい入れてしまった。

本当は4番を入れたかったが、100曲に余る。

96  Op.23 前奏曲第5番 ト短調

これも上と同じ理由。59年のリヒテル盤に脱帽。

リサイタルのライブ録音がたくさんあるが、ミスタッチなしに弾ききった人を見たことがない。なかには終盤惨めに自爆した人もいる。

なおこの曲だけは1901年の作曲。

97 Op.34 No14 ヴォカリーズ 嬰ハ短調

ここから先はだんだん、ラフマニノフのうざったさが鼻についてくる。2曲だけ拾っておく。

これはラフマニノフのオリジナルではなく、管弦楽付きのソプラノ独唱を編曲したものである。

98 Op.39 「音の絵」No_2 イ短調「海とかもめ」

後期ラフマニノフには珍しく、お茶漬け風味。鉛色の空を飛ぶかもめ。

私はなんとなく中野重治の「さよなら女の李」を連想してしまう。


グリエール 1875年~1956年

99 悲しきワルツ 作品41の2

最後の2曲となった。はじめはグリエール。長生きした人だが、基本的には最後のロシア・ロマン派である。

スクリアビン。ラフマニノフと聞いた後だとほっとする。

写真を見るとブレジネフ顔だが、人種的にはロシア人ではない。ドイツ人とポーランド人の間に生まれた。生地もキエフである。ついでに言えば平民の出身でプロテスタントであった。

しかしその作風は強烈なロシア主義だ。この曲もいかにもロシア風だ。2台のピアノのための6つの小品の第2曲となっている。


スタンチンスキー 1888年~1914年

100 夜想曲 1907

26歳で死んだ人で、作風からすればもうロシアロマン派を外れるのだが、そういう曲もあるということで…



ということで、かんたんなコメントを入れるだけで1週間もかかってしまった。

しかも、欲求不満が溜まってしまう。事実の不足が感情的表現に補われている。まず上げておいて、あとで編集することにする。

ひょっとすると曲目変更があるかもしれない。


「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選  改訂増補版 その2

2017年07月15日

アレンスキー 1861~1906

34 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

何と言ってもアレンスキーの代表曲である。4本の手20本の指が必然性をもって動いていて、無駄がない。

アレンスキーについては前の原稿で目一杯書いたので、詳しい紹介はしない。

35 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

前の原稿では2曲めのワルツをとってこちらを捨てたが、その前は3曲めになっていた。面倒なのでそのままにする。

皆さんには3曲通しで聞いていただきたい。

36 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 1.学者

学者(音楽学者)をからかっているような題だが、実は真面目に対位法を展開している。ジュノバとディミトロフというブルガリア出身のドゥオが真面目に演奏していてこれがいい。

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

この曲ではクームス盤のほうが華やかで軽やかだ。ジュノバとディミトロフは逆に重い。しかし立派な演奏だ。

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

クームスのCDでは「バレリーナ」(La Danseuse)となっているが、曲の作りは「ホタ」だから「踊り子」のほうがいいと思う。ズシズシと床がきしむような曲である。

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

アンダンテ・ソステヌートでロ長調となっている。楽譜を見たわけではないが、黒鍵だらけだろう。

40 Op.25 4つの小曲から No.2 夢想

アンダンティーノでハ長調となっている。演奏家にとってはずいぶん感じが違うだろう。

この2つはピアノ独奏曲としてはアレンスキー最良の曲と思う。

作品19の1と作品24の2は、良い音源がないため割愛した。

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード(Logaèdes)

この小品集ではこの曲だけが良い。アレンスキーの曲でいいのは、こういうふわふわの曲だ。

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

この曲はほとんどショパンだ。

41と42のあいだで2台のピアノのための組曲(作品33)の第6変奏スケルツォをパスしている。作品36の「24の性格的作品」以降のピアノ作品のほとんどをスルーしている。

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

この時期アレンスキーは絶不調である。この第8曲だけがかろうじて精気を保っている。

この曲にするか、作品53の5曲目「ロマンス」にするか迷ったが、取り替えるのも面倒なのでそのままにする。

44 練習曲集 Op74_6 プレスト(ニ短調)

結局アレンスキーからの選曲が難しくなったのは、作品74を聴いてしまったからである。

最近奇特な人が現れて、作品74の12曲を完全アップロードしてくれた。お陰で、100曲ギチギチに詰まっていた中から3曲も削らなくてはならなくなった。

本当はもっと入れたいのだが。

45 練習曲集 Op74_7 アンダンティーノ(変ホ長調)

とにかく音の響きが分厚く、まったく別人である。ソノリティーは完全にラフマニノフのものだ。

46 練習曲集 Op74_12 アレグロ・モデラート(嬰ト短調)

これがアレンスキーの「白鳥の歌」だ。売れなくなったアイドルが裸になるのとは違う。

もう少し生きていればという感じがする。

リャードフ  1855年~1914年

47 Op.9 2つの小品 1ワルツ ヘ短調 1884

アレンスキーより6つ年上で、活躍を始めたのも少し早いが、息の長い作曲家で、全盛期は少し後ろになる。

これは83年の作品で1曲めがワルツ、2曲めがマズルカとなっている。完全にショパン書法で書かれている。

5人組の後継者とされているがそのような雰囲気はない。なお、アレンスキーもリャードフもRコルサコフの「不肖の弟子」とされている。

48 Op10_1 前奏曲 変ニ長調 1885

この人の曲はとにかく短い。あっという間に終わる。この曲が1分45秒。俳句みたいなものだ。音も割りと節約している。

これがあのトルストイやドストエフスキーを生んだ同じ国の人とは信じがたい。名前まで簡素である。

49 Op.11_1 前奏曲 ロ短調 1886

これがリャードフの代表作。今度は完全にロシア音楽の世界だ。職人技を体得している。

50 Op.23 小品「湿地にて」ヘ長調 1890

ちょっと制作背景は分からないが、ロシア民謡を主題にした舞踊音楽のようである。

51 Op.32 ワルツ「音楽の玉手箱」1893

リャードフでもっとも有名な曲だ。そのためにその手の作曲家と見られている側面もある。

どうでも良いが、Snuff Boxというのは「嗅ぎタバコ入れ」のことで、おそらくオルゴールが内蔵されているのだろう。

ゼンマイが止まってしまう、という演出もある。プレトニョフがアンコールで派手にやっている。

ピティナによると親指酷使曲だそうだ。

52 Op.36 3つの前奏曲 第2番 変ロ短調 1895

またもショパンもどきだ。本物よりうまい、というところがすごい。しかしわずか1分だ。

53 Op.37 練習曲 ヘ長調 1895

「ロシアのショパンたち」にふさわしい曲が続く。これもショパンそのものだ。この人はひょっとすると贋作作家になれるのではないか。

54 Op.38 マズルカ ヘ長調 1895

フランスの香りさえ漂う。しかし終わりにかけてはロシアっぽさが顔を覗かせる。

意外に長いと思うが、これでも3分20秒。

55 Op.44 舟歌 嬰ヘ長調 1898

5分30秒というリャードフにすれば超大作。展開部の盛り上げ方は見事なものだ。やればできる。

youtubeではニコラーエバの名演が聴ける。

56 Op.57-1 前奏曲 変ニ長調 1900

作品57の3つの小曲は1前奏曲 2ワルツ 3マズルカよりなる。ベリャーエフから出版されている。

この頃は作れば売れるという恵まれた環境にいたはずだが、それでこんなもの。これが2分30秒で、次のマズルカは1分20秒。

57 Op.57-2 マズルカ ヘ短調 1905

ひどい話で、1曲めを書いたのが1900年、3曲めがそれから5年後、発表されるのがさらに1年後だ。

58 サラバンド ト短調 1899

作品11とほぼ同じ頃作曲された。作品番号はついていないがちゃんと発表されているようだ。

見事なバッハだが、さすがに恥ずかしかったのだろうか。

こうやって書いていると、リャードフは寡作家だったように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。

ラペッティの「リャードフ・ピアノ曲全集」はCDで5枚組だ。チャイコフスキーの7枚組には負けるが、かなりの量である。

買うには買ったが、聴き切ったという自信はない。ひょっとすると未だ掘り出し物があるかもしれない。

前も書いたが、キキモーラは必聴です。ストラビンスキーがリャードフをパクったということがよくわかる。リャードフもRコルサコフのパクリと言えなくもないが。とにかく器用な人だ。

リャプノフ  1859年~1924年

59 Op.1 No.2 間奏曲 変ホ短調 1887

この人は世間的には超絶技巧練習曲をのぞいてほとんど知られていない。

モスクワ出身者はみな和音が分厚く、曲が長い傾向がある。

つまりやや野暮ったいということだが、この人の特徴は多彩でありながら透明度を失わない和音の美しさにある。

ここまでで初めて登場するモスクワ音楽院の出身者である。しかし卒業後はペテルブルクに出て、そちらの教授になっている。

バラキレフの追随者と目され、最後までバラキレフの面倒を見た。たしかにバラキレフっぽい作風だ。

この曲は作品番号は1番だが、この時すでに29歳になっている。かなり遅いスタートだ。それまでモスクワにくすぶっていたようだ。

60 Op.1 No.3  ワルツ 変イ長調

ショパンというよりチャイコフスキーのワルツかもしれない。そこはかとない暗さがある。

61 Op.6_6 前奏曲 ヘ短調 Andantino Mosso 1895

1分38秒という短い曲だが、ロシア風の感傷に満ちている。

62 Op.8 ノクターン 変ニ長調

単体で発表されている。それだけ力を入れたということであろう。演奏時間も7分に達する。コンサート会場で聞けば映えるのであろう。

出だしのメロディーは美しいが、展開部がやや胃もたれする。そういうところはラフマニノフ風である。コンチェルトでも書く気分なのかもしれない。

リャードフなら3分の1に縮めるだろう。

63 Op.11 超絶技巧練習曲 第3番 鐘 1901

誰が聞いてもラフマニノフの鐘を思うかべるだろう。ラフマニノフの曲は1892年の作曲。それから9年後だからリャプノフが知らないわけはない。

しかしそれを承知で書きたかったのだろう。

64 Op.11 超絶技巧練習曲 第6番 嵐

この曲は第3番より3年も早く完成されている。そのまんまの情景である。

まぁ、超絶技巧の練習が目的なんだからしょうがないか。ロシアのショパンと言いながらだんだんかけ離れてきたようだ。

65 Op.36 マズルカ 第8番 ト短調

同じマズルカでもおよそショパンらしくないマズルカだ。リャプノフはバラキレフとともに地方に採譜に出かけたりしており、ナマのマズルカを耳にしたかもしれない。

そのイメージをそのまま膨らませて曲に仕上げたのであろう。これはこれでよい。

66 Op.57 3つの小品 第2曲 春の歌 イ長調

あとはズルズルと創作力が落ちていく。それが人生の最後近くになって、なんともしみじみとした曲を残した。

それが1913年に発表された3つの小品の一つ、「春の歌」である。あの重々しい左手の低音は消え、サラサラと曲が流れる。

それに乗せてなんとも懐かしいメロディーが小川のように流れていく。私としてはリャプノフ最高の曲にランクしたい。


アレンスキーのピアノ小曲を聴く

かなりの数がある。聴くことのできない曲も多い。
曲そのものは平易で、スクリアビンと違って聴くのに苦労することはない。

作品1はカノン形式の6つの小品 (1882)と題されている。コウドリアコフの演奏で聞ける。この中では1曲めの「同情」、3曲めの「行進」が良い。

彼はこの年にペテルブルク音楽院を卒業し翌年にはモスクワ音楽院の講師となっている。

作品8はスケルツォ 変ホ長調の単曲となっている。珍しくチッコリーニの演奏で聞けるが、別に面白いものでもない。

そして1890年に作品15のピアノ組曲が誕生する。29歳というのは比較的遅咲きにも見えるが、その前はかなり長い精神的な落ち込みがあったらしい。

作品15は2台のピアノのための組曲で、これが第1番。第1曲ロマンスはアレンスキーの代表作の一つ。第2曲ワルツもシャレている。第3曲ポロネーズは2台のピアノが大活躍する壮大な曲だが、一人で書斎で聴くには少々うっとうしい。

作品19の3つの小品は、第1番の練習曲のみが聞ける。ショパンの「革命のエチュード」を思わせる佳曲である。もっと演奏されてもよいのではないか。

作品20の前奏曲集は1番のみが聞ける。Bigarruresと題されているが意味が分からない。英語圏の人も苦労しているようだが、とりあえず「極彩色」としておく。ラベルの水の戯れを思わせる曲だが、あえて聞くほどのものではない。

作品23は2台のピアノの組曲第2番。「シルエット」と題されている。作品15の成功に味をしめて作ったものだろう。第1曲は「学者」と題されバロック風の雰囲気でまとめられている。ジュノバとディミトロフの演奏がよい。
3曲め「道化」はこの組曲で一番の佳曲。第5曲「踊り子」はホタのリズムが続いたあと、曲集のフィナーレとなる。

作品24の2つのスケッチは2曲めが良い。まどろむようなメロディーから始まり、悲しみをたたえた第二主題に移行する。良い音の音源がないのが残念だ。

作品25の4つの小曲は1曲めの即興曲がアレンスキーお得意の癒し系音楽だ。2曲めの夢想も出だしの旋律がしびれる。3曲めの練習曲は、曲の最後に「あれっ?」という節が出てくるが、それだけ。4曲目はつまらない。

作品28の小曲集は「忘れられたリズムに寄せて」という副題が付けられている。古いロシアのリズムを集めたものらしい。全部で6曲からなるが、1曲めのLogaèdesはソフトなせんりつで、リズムは普通の4拍子だ。2曲めのPeonは8分の6拍子の速いテンポ。あとの4曲は面白くない。

作品33は、2台のピアノの演奏だ。今度は変奏曲仕立てになっていて主題と9つの変奏から構成される。しかもそれぞれの変奏が舞曲になっているという凝った仕掛けだ。
そのわりには面白くない。面白いのは第6変奏のスケルツォくらいだ。最後の三曲は明らかにショパンのもじりだ。

この曲の前が有名なピアノ三重奏曲だ。エネルギーを使い果たした感じもする。

作品34は子供向けの連弾曲集である。2本の手でも弾けてしまうほど容易な曲だが、意外と面白い。1曲め「おとぎ話」と2曲め「かっこう」終曲「ロシアの主題によるフーガ」が良い。

それにしてもアレンスキー、1894年は書きまくっている。ぐうたらリャードフに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。

作品36、24の性格的作品も94年のものだ。ただし、この曲集はスカが多い。16曲目のエレジーまで聴く気がしない。エレジーもアレンスキーらしくないできだと思う。17曲「夢」、18曲「不安」もよどみ感がある。20番「マズルカ」に至ってようよう乗ってくる。しかし22曲タランテラは出だしはいいのに変な方に行ってしまう。お疲れのようだ。

このあとは96年に練習曲、98年に3つの小品くらいでほとんど作曲はストップしてしまう。

作品41の練習曲は4曲からなる。アレンスキーらしさが戻っている。1曲目の変ホ長調は柔らかく美しい。2曲めも美しいがひらめきはない。3曲めの変ホ短調はベートーベンの悲愴を思わせる佳曲である。4曲目はどうでも良い曲である。

作品42の3つの小品は音源がない。

作品43の6つのカプリースはクームスの演奏で聞ける。第1曲イ短調は作品36のタランテラと同じで、着想は良いのだが発展力が落ちている。第2曲イ長調もとりとめがない。ほかも同断である。

作品46「バフチサライの泉」は特段面白いものでもない。

世紀が変わって1901年、作品52の「海の近くで」という6つのスケッチが発表されている。これも面白くない。同じ年作品53の6つの小品も書かれた。この中では第5曲ロマンスが(だけが)良い。ニコラエーバの演奏がさすがである。
ただアレンスキーの持つ軽やかさが感じられずラフマニノフっぽい。

作品62は2台のピアノのための組曲(第4番)である。第4曲目は「フィナーレ」と題されゴージャスな作りである。

アレンスキーは1861年の生まれだから、20世紀を迎えた時点で40歳。すでにラフマニノフとスクリアビンの時代に移っている。そしてその6年後には亡くなる。

作品63の前奏曲は全12曲だが、そのうちいくつかをYou Tubeで聴くことができる。1曲め(イ短調)は短いが緊迫感のある曲である。12曲め(変ニ長調)もアレンスキーらしさが出ている。しかし取り立てて言うほどのものでもない。

作品65は2台のピアノのための組曲(第5番)である。子どものための組曲と題され、簡素な作りとなっている。子供のためとはいえまったくひらめきがない。どういうわけか最終曲の「ポーランド風に」だけがキラキラ光っている。

作品66はピアノ連弾のための小品集で全12曲からなる。小粒でシンプルだが、1曲めのプレリュード、4曲目のメヌエット、5曲目のエレジー、8曲目の行進曲など往年の面影が戻っている感がある。

作品67の6つのアラベスクは、第2曲ビバーチェや第6曲アレグロリソルートなど新たな響きが持ち込まれている。必ずしも成功しているとは言い難いが。

そして最後が死の半年前の作品74、12の練習曲である。これはまったくの謎である。どうしてこんな曲を書いたのか、書けたのかが分からない。

ここでのアレンスキーはまったくの別人である。第1曲でいきなり完全復活が告げられる。和音は新味が感じられる。第2曲、第3曲はくっきりした旋律線と優しさが印象的である。第4曲は信じられないくらいの分厚いスクリアビン風和音。第5曲のラベル風のアルペジオ、6曲目プレストの調性外し、第7曲アンダンティーノの美しい旋律とこれまでにない和音進行、第9曲のシューマン風、第10曲の推進力、11曲、12曲の力強い旋律線…、まさしく奇跡の12曲だ。

これまできれいごとでやってきたアレンスキーが、初めて自分をモロに出して、意志的な音楽を作り出した。

その瞬間に早すぎる死を迎えたのはまことに痛ましいことだが、死を目前にして初めて意志を明らかにしたとも言えるし、元気だったら相変わらずつまんない曲を書き続けていたかもしれない。そのへんはなんとも言えないのだが、せめてあと1年あればあと一つ書けたのではないかと思う。

ということで、アレンスキーを作曲順に眺めてみると、これだけピアノ曲を書いているにも関わらず、この人は管弦楽・室内楽志向の人だということがあらためて感じられる。
やはり最高傑作はピアノトリオだろう。弦楽四重奏も欠かせない。この人にとってピアノは息抜きないし営業用という感じがする。







をさらに増補します。

今回のネタ本は

1.ヴェ・ヴェ・ウスタソフ 「国民音楽論…ロシア楽派の歴史」という本で、1883年の出版です。スターソフは5人組のイデオローグとして活躍した理論家です。ムソルグスキーの死を契機に書かれたもので、ムソルグスキー以外はみんな体制派になってしまったと嘆いています。

この本は1955年に三一書房から邦訳出版されています。はたしてこんな本が売れたのでしょうか。

同時代性は面白く、あんなに過激な論客だったキュイが最近は体制に妥協してしまったと嘆いたりしています。

その一方、キュイの音楽作品は最近ずっと良くなって来た。スケルツォと間奏曲はなかなかのものだと評価しています。これは作品20の「12の小曲」と作品21のピアノのための組曲(全4曲)を指しているのでしょう。これについては私も同感です。

2.ジェームス・バクスト(森田稔訳)「ロシア・ソヴィエト音楽史」はずっと新しい本で、1971年に音楽之友社から発行されています。

今回の増補分は主にこちらからのものです。

いつもこうなのですが、引用文献の数が重なってくると相互の齟齬が出てきます。1~2年位の幅で前後関係があります。
そうするとこの間に起きたできごとについて、相対的な前後関係を明らかにすることが困難になります。それは原因と結果という関係のこともあるので、けっこう悩んでしまいます。
とりあえず年表ではそのままにして「文章化」の方で調整をかけたいと思います。




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