鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 71 音楽/クラシック

その時はたしかにそう思ったが、この演奏を聞くとこれもまたいいのだ。どうも人間というのはいい加減なものだ。
この曲のスタンダード演奏となっているクレンペラーの演奏も、クライマックスへ向かっての追い込み感が素晴らしい。まるでワグナーの序曲を聞いているような気がする。
結局、山本富士子と有馬稲子と岸恵子とどっちがいいかみたいなものだ。
モントゥーの演奏のすごいのは音色の多彩さとニュアンスの豊かさだ。そうとう崩して歌うが、演歌っぽくなる寸前で止まっている。
多分、シカゴ交響楽団がすごくうまいのだろう。ただしモントゥーはその楽団さえテンポが怪しくなるほどに振り回している。
RCAビクターのリビング・ステレオの音質も素晴らしい。
とくにフランク嫌いの人におすすめの演奏だ。

追加
この間テレビに有馬稲子が出ていた。山本富士子も姿をさらしている。
頼むから、テレビに出ないでほしい。とくにこういう“見た目いのち”で“性格ブス”の人は、美しさが醜さに転化する。

昨日、上原彩子さんのリサイタルに行ってきました。
どこからどういうふうに金が出ているのかわからないが、とにかくめっぽうコストパフォーマンスのいいリサイタルでした。
札幌の隣町、北広島市で行われた演奏会ですが、土曜のマチネーで3千円です。隣町と言っても私の家からはとても近くて、車で1時間足らずでつきます。おまけに会場入口でスタンプを押してもらうと駐車料金がただなのです。
ふつう札幌中心部のホールに行けばタクシー代だけで往復6千円はかかるので、まことにありがたい話です。
それで演奏のほうですが、ドビュッシーの前奏曲第一と喜びの島、シューマンの子供の情景とリストの愛の夢、そして休憩後にリストの巡礼の年から「ダンテを読んで」とつながっています。
上原さんの売りは日本人初のチャイコフスキー・コンクール優勝者ということにつきます。流石にそれだけのことはあって、指回り、タッチいずれも見事なものでした。
ただ、演奏はあまり面白くはないのです。
なぜだろうと、天井を仰ぎながら考えていました。なにかリズム感がないのです。アンコールにやったくるみ割り人形の「花のワルツ」はおはこなのだろうと思いますが、どうもワルツには聞こえない。一方で「子供の情景」はメロディーラインが和音に埋もれてしまうのです。
私は音楽というのはメロディーがまずあって、それにコードが付いて曲になると思っているので、メロディーが聞こえない演奏は好きになれません。
もう一つリズムですが、こちらは音楽にとって必須ではありませんが、「ノリ」はとても大事だろうと思います。ワルツがワルツに聞こえないというのは、やはり相当問題があるのではないでしょうか。
ロシア人は一般的にリズムがだめな人が多いです。韓国の演奏家は一体にノリが良く、グルーヴ感を持っています。
日本人はどうなんでしょうか。結構いい人もいると思いますが、上原さんは若干問題がありそうな気がします。
もっと歌ってほしいと思います。そして体で踊ってほしいと思います。
そういうわけで、CDのサインセールは申し訳ないが遠慮させていただきました。

シューマンの蝶々は名曲とは言えないかもしれないが、謝肉祭と並んでわかりやすくて景気のいい曲だ。
あまりYou Tubeに音源が多いわけではないが、そこそこ聞ける。
今回聞いたのはエゴロフ、アラウ、リフテル、レイヌ・ジャノリの4種類。いずれも良い演奏だ。結局好き嫌いの話になるから、その時々の心理状況にも影響される。腕前から言えばリフテルが圧倒的で、しかもこれはコンサート・ライブだが音質テストのサンプルにしてもいいくらいのすごい音質だ。ただ、「そこまで攻め込まなきゃなんないほどの曲なの?」という感じが残る。フィナーレは明らかにやりすぎだ。
エゴロフもだいたい似たような攻め方をしていて、もっとシャープだ。レイヌ・ジャノリは私のお気に入りだから、これはもうしょうがない。
というわけで最後に、期待もせずアラウの演奏を聞き始めた。これが意外にすごい。とくにリズムのとり方が独特で、「これがシューマンの演奏じゃないの?」という感じで説得される。
Silent Tone Record/シューマン・ピアノ作品集/クラウディオ・アラウ/欧PHILIPS:6768 084/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード
というページでとりあえず聞くことができる。盤起こしなのだろうか、通常のCDを越えたすごい音がする。ただし3分で切れる。
意外な取り合わせの一つかもしれない。わたしは同じような「意外な取り合わせ」としてルビンステインのシューベルトを聞いたことがある。
人間何ごともやってみなければわからないものだ。

ドヴォルザークのドゥムキーの演奏をYou Tubeであさっているうちに、何か名前は知らないがえらく生きのいい演奏にあたった。
Queyras,Faust,Melnikov という三人のトリオだ。「3人だからトリオだ、何が悪い」と言われているようで、第一印象はよろしくない。「あんたらハイフェッツかオイストラフのつもりしてるんか」、とタメ口の一つも叩きたい。
名前は多国籍っぽいが例によってユダヤ系か?
しかし演奏は良いんだ。私の好きなのはボーザール・トリオで、録音曲目は限られているけどギレリス・コーガン、ロストロポービッチも良いですね。
トリオというのは音としてまとまっていないと曲としての面白さは出てこないと思う。さりとてたった3人でやるのにあまり人の顔ばかり見ていても仕方ないので、そのへんの兼ね合いなんだろうと思う。
そんでもって、そこはやっぱりピアノ弾きに仕切ってもらわないとうまくいかないでしょう。ピアノはオーケストラの代わりみたいなところがあるのだから…
それでこのトリオも、ピアノが仕切っているみたいに聞こえる。しかし誰が何を演奏しているかもわからなくて、じつに困った団体だ。むかしならレコード会社が有無を言わせず名前つけるのだろうが…

といっているうちに、ドゥムキーが終わって、つぎのファイルが始まった。
Spring Sonata/Isabelle Faust と題されている。画面は静止画面で、バイオリン弾きの女性とピアノ弾きの男性が並んでいる。女性はゲルマン系の美人でこれがファウストでしょう、男はラテンというかひょっとしてアラブ混じり。名前はメルニコフとスラブっぽい。

演奏はバイオリンのオブリガート付きのピアノ・ソナタ。そもそもそういう曲なんだからしょうがない。むかしのグリュミーを起用したハスキルの演奏もそうだった。

これにケイラスというチェロが加わってトリオになったんだね。了解。
これはギレリス・コーガンのコンビにロストロポービッチが加わったのと同じだ。ギレリスが仕切ったのと同じようにメルニコフが仕切っているのでしょう。

連中がどういうかは別にして、私の心づもりとしてはメルニコフ・トリオとして覚えておくことにしよう。



困った。思い出せない。
誰か分かる人いますか。
童謡ですよね。かなり有名な…
歌詞が思い出せない。
後ろが「小川さらさら 春の色」なんだけど
前が思い出せない。
出だしがわからないと、さすがのグーグルでも
検索には引っかかってこない

このファイルはVotreValseという人が公開したもの。
題名は
Très jolie - Emile Waldteufel - Valse française となっている、8分40秒ほどのかなり長いワルツだ。
説明欄には
Magnifique valse française d'Emile Waldteufel : apprenez à danser cette valse avec notre école de danse VOTRE BAL / VOTRE VALSE
としか書いていない。
どうもクルト・レーデル指揮スロバキア国立フィルの演奏でワルトトイフェルの全集が出ていて、その中の1曲らしい。

いろいろ調べていくうちに、この曲の題名はT Valse française ではなく「Tres jolie, Op. 159」だと分かった。

これであらためて検索すると、いくつかの演奏がヒットして、情報がわかってきた。

日本語ウィキでワルトトイフェルの項目を開き、作品番号159で当たると、次の説明が出てきた。

『愛しの彼女』 Très jolie op.159 (1878)
青木爽により「春の川で」という日本語の歌詞が付けられ、NHK「みんなのうた」で広く知られるようになった。

なるほどそういうことだったかい。

そこで、あらためて、青木爽+「春の川で」で検索してみる。

NHKみんなのうたのサイトで「春の川で」がヒットする。残念ながら映像も音源も失われてしまったようだ。

うた西六郷少年少女合唱団
作詞青木爽
作曲ワルトトイフェル
編曲小林秀雄

となっていて、しっかりワルトトイフェルの名がクレジットされている。こちらが知らなかっただけだ。

放映されたのが1965年03月と言うのは驚きだ。私は受験の真っ最中で東京・京都と走り回っていた。
流石にこの頃、家にもテレビはあったが、「みんなのうた」を憶えるほど見ていたとは思えない。

記憶装置にそれだけ余裕があるならもう少し英単語でも憶えていたはずだが、まぁ、だからこんなものなのかもしれない。

しかし歌詞も載っていないのは困るな。

Hoick というサイトに歌詞が載っている。
著作権の関係でなかなか難しいようだが、
私の憶えていたのとは全く違う歌詞だ。
一体これはなんなんだ!
うろ覚えの所に自分で勝手に創作した歌詞を乗せていたのか?

調べていたらarcadiaさんのブログで同じようなことをいていた。方向は逆だったが。

初めて聞いた名前の作曲家だが、まず曲名が良い。
ピアノ曲集で「砂丘にある家」という題名。1905年の発表で、作曲家の名前はガブリエル・デュポン、フランス人らしい。全10曲でたいしたメロディーもなく、寄せては返す波のような音の繰り返しだ。40~50分もそれが続くから、真面目に聞いたら飽きる。バックグラウンドで鳴っていればよいのである。
グーグルで「画像」と入れると色んな絵が出てくる。

「La Maison dans les dunes」の画像検索結果
「La Maison dans les dunes」の画像検索結果


関連画像
このデュポンという人の曲で有名なのはマンドリンという歌曲。ほかには「憂鬱な時間」Les heures dolentes というピアノ曲集もあってこちらのほうがそれなりにメロディーもあって聞きやすいが、その分陰にこもって、ひたすら長いのは同じだ。

これほどまでに日本国内で無視されている日本人演奏家も珍しい。
とにかくインターネットで井上奈津子と入れてもまったくヒットしない。
色々やってみて、まあとにかくイタマール・ゴランと入れたら、英語のプロファイルが見つかった。
大阪生まれで、10歳ころからフランスに渡って勉強したらしい。パリ音楽院を優秀な成績で卒業した。そこそこの入賞歴はあるがメジャーなものがないと日本のメディアは取り上げない。
それにしてもこれだけ無視されているのも珍しい。
私はヒマに任せてラベルのピアノ曲をYouTubeであさっているうちに、その名前(Natuko Inoue)を偶然見つけた。
マ・メール・ロアのピアノ連弾は効果が上がる曲なので、結構顔見せに取り上げられる。とくにコンサートで指揮者が元ピアニストだったりすると、コンチェルトのあとのアンコールに取り上げられることになる。
YouTubeではアルゲリッチとバレンボイムの同郷連弾が聞ける。
ということで、肝心の井上さんの演奏はなんとイタマール・ゴランとの共演だ。これはコンサート・ライブで、ユトレヒトで行われたジャニーヌ・ジャンセン室内音楽フェスタの一幕だ。
「これはちょっと身分が違いすぎるのでは?」と気になって調べたのだが、日本語ファイルはゼロ。
あるフェスティバルのサイトに下記のプロファイルが掲載されていた。
natsuko

Natsuko Inoue was born in Osaka, Japan, where she started her musical studies. She left to France at the age of ten, continuing her education and specialization at the National Conservatory of Paris under the supervision of Georges Pludermacher, where she graduated with the prestigious 1st Prize in piano. Natsuko Inoue has been a regular participant of the most important concert venues and music festivals worldwide, such as Internationaal Kamermuziek Festival Utrecht, Festival Pablo Casals at Prades, Dubrovnik Summer Festival. She received numerous awards such as the 1st Prize of Radio France, “Maurice Ravel” Prize, 1st Prize of Steinway competition and special chamber music awards. She is currently working and performing with numerous artists and orchestras in the United States, Europe and Japan. Among them, her husband, the pianist Itamar Golan, with whom she performs together regularly at piano four hands, presenting original projects and unusual, fascinating repertoires.
 
ということで疑問は氷解。
これからもご健闘をお祈りいたします。
イタマール・ゴランは10年位前に衛星放送の朝のリサイタルで初めてみた。誰かバイオリンの伴奏できたのだが、バイオリン弾きのことはとんと覚えていないで、この伴奏者が記憶に焼き付いた。
伴奏のくせにゴシゴシと押し付けてきて、場合によっては食ってしまう勢いだ。「お主、やるな!」というイメージだったが、その後、来ること、来ること。日本に帰化したのではないかと思っていたら、やはりこういうことをしてたのだ。
それにしても、ゴランの記事は山ほどあるが、井上さんについては全く触れられていない。昔の2枚目役者は独身のふりをしていたが、まさかそんなことでもあるまいに…

ところで、演奏の方はとっても良い。リンクしておきます。
Ravel: Pavane pour une infante défunte & Ma mère l'oye, quatre mains
題名には井上さんの名もゴランの名も出てこないから、ヘタをすると見逃す。
映像を見ると、たしかに夫婦でないと弾けないような運指ですね。

はなはだ僭越ながら、お屠蘇で酔った勢いで書いてしまう。
初期ドビュッシーというのはどうも変だ。ピアノ曲を経時的に聞いているとどうも納得がいかない。
そもそも作曲家としてはきわめて出発が遅い。
1880年、18歳のときにメック婦人のお抱えピアニストになり、お屋敷暮らしをした。そのときにメック夫人がドビュッシーの曲をチャイコフスキーに見せたが、「稚拙だと酷評された」とウィキには書いてある。チャイコフスキーとメック夫人との関係はこの頃からちょっと怪しくなってきていて、ドビュッシーに肩入れするメック夫人に、チャイコフスキーは面白くないものを感じていたかもしれない。
とは言え、実際に聞いてみたその曲(L.9 ボヘミア風舞曲)はたしかに稚拙と言われても仕方ないところがある。
ちなみにドビュッシーはピアノ三重奏曲をメック夫人に見せて、メック夫人は「ピアノ・トリオって良いわねえ」くらいのことを、チャイコフスキーあてに書いたらしい。
それでチャイコフスキーは、ニコライ・ルビンシュテインが死んだのを機に「偉大な芸術家の思い出」というトリオを書いたのだそうだ。ウソか本当か知らないが、そう書いてある。
84年にカンタータを書いてローマ大賞をとったというから、学才は間違いなくあるのだろうと思うが、ピアノ曲はチャイコフスキーの「酷評」後10年間発表していない。
それが1990年、いきなりまとめてドカーンと発表する。「二つのアラベスク」にはじまって、マズルカ、夢、スティリー舞曲、スラブ風バラード、ワルツ、ベルガマスクとほぼ連番でピアノ曲が並ぶ。
在庫一掃のクリアランス・セールの如きだ。
おそらく実作の年度はそうとう違うのだろう。まとめて聞いて「ドビュッシーってどんな作曲家?」とわからなくなってしまう。
だが、結局すごいのはベルガマスク、とくに月の光とアラベスクの1番だけだ。他はほぼヒラメキを感じない。さすがに稚拙とは言わないが、陳腐で凡庸だ。
たぶんドビュッシーは、作曲法というより、こういうコード進行を手に入れたのだろう。ジョアン・ジルベルトがボサノバのコード進行を発明したように。
ドビュッシーは印象派と呼ばれるのを好まず、象徴派と呼ばれたがっていたようだが、技法的に言えばスーラの点綴法みたいに分散和音を振りまいて雰囲気を出しているみたいなものだ。表現法(イディオム)なのであって、それほど高踏的な内容ではない。
調性の放棄と全音階への親和性は、論理的必然性というよりはイベリア趣味とか東洋情緒の受け入れの形で現れる。
結局、ドビュッシー的な音の世界は20世紀に入って「喜びの島」まで本格化しないのではないか。
この流れを追っていくと、どうもドビュッシーはロシアの作曲家の後追いをしているのではないかという気がしてくるのである。
端的に言えば、ドビュッシーがコード進行や音階などで新味を打ち出すとき、その数年前にロシアの作曲家が同じようなことをしているのである。
後期のリャードフ、アレンスキー。これに踵を接したラフマニノフとスクリアビンは、まさに「映像」においてドビュッシーが目指してたものではないか、そう思う。
それを、酔った勢いでいうと、記事の見出しの如くなるのである。

以前こんな文章を書いていて、誰かさんが読みに来たようだ。

あらためてYou Tubeで「パガニーニのソナタ」を開いてみると、ずいぶん曲数が増えている。
そのうちに訳が分からなくなってきた。以前の記事にも書いたのだが曲の分類がメチャクチャである。
おそらく書いたのがめちゃくちゃで、管理の仕方もメチャクチャだったから、ゴミ屋敷状態になるのも無理はない。

とにかくウィキの曲名一覧を手がかりに、分かる範囲で整理ししてみた。
paganini

そもそもソナタ ホ短調という曲を作品3の6という言い方が良くない。
パガニーニはおそらく死後に次々に曲が発掘されたらしく、作品番号の付いた曲の数倍にのぼる。
ことにギター伴奏付きのバイオリンソナタは膨大な数に上っており、作品番号のついているのは氷山の一角にすぎないのである。

幸いなことにM.S.分類というのが出来上がっていて、これでほぼ全曲がカバーできている。なおありがたいことに、ハイドンのソナタと違ってウィーン原典版というやっかいな分類もないので、これに従えば基本的には整理できるはずだ。
ただマイナーな録音では作品番号しか書いてないものもあり、こういうのに限って作品番号が間違っていたりする。

ヴァイオリン・ソナタ第10番が分からない
最大の問題がヴァイオリン・ソナタ第10番と、第12番というファイルである。
これはたぶん、パガニーニの生前に発表されたのが作品2と作品3の二つのソナタ集(各6曲)で、これを通算したために第10番とか12番という言い方が生まれたのだろうと思った。
12番というのはYou Tubeではエリコ・スミという人が弾いているのだが、まさしく作品3の6である。
10番はレオニード・コーガンが弾いている。なかなかの名曲名演である。しからばこれは作品3の4かと思いきや違う。作品3の4はニ長調である。

作品3というので困るのはM.S.133のソナタ集「Sonate Di Lucca」にも作品3の番号が振られていることである。
おなじ作品3の1とか2でも、M.S.27のものとは全く異なる。
どうもこれはMS133につけられた作品3というのは、変な話だが作品番号ではなく、ルッカソナタ集の第3集という意味らしい。
というのも、MS9のバイオリンソナタ集がルッカソナタの第1番と名付けられているからだ。そしてMS10が2番で、MS11がどういうわけか4番なのである。そこにMS133のルッカソナタ第3番がハマるとするとぴったりだ。
ルッカ・ソナタについて
それにしてもルッカソナタというのがどういうソナタなのかの説明がどこにもない。これも困ったことだ。
ホームページ作成会社のホームペーじの「息抜き」というところをクリックすると「のぶながわが人生」というホームページが現れる。この中の一つにパガニーニの紹介がある。
ここにルッカの説明があった。
パガニーニは1805年から4年間公式演奏活動を停止して愛人のところにこもっている。20歳前後のことらしい。そこがルッカというところでその間に作曲したソナタが30曲あり、これらを総括してルッカ・ソナタと言っているようだ。
 Frassinet 夫人に捧げられた12曲
 Felice Baciocchi に捧げられた6曲
 T. 夫人に捧げられた6曲
 Princess Napoleone に捧げられた6曲
で30曲。曲名としては
 作品3 6曲(MS-133)
    作品8 6曲(MS-134)
 Duetto Amoroso(MS-111)
なのだそうだ。ツェントーネのように一つにまとまってはいない。

てなこともあるので、当面はMS番号がついているもの以外の曲は、とりあえず不明曲に分類しておくしかなさそうだ。
M.S.だからといって安心はできない
MSも完全ではない。例えばMS112(作品64)はチェントーネソナタと言われるが、この中には18曲のソナタがふくまれているから、おそらく6曲セットのソナタ集が三つふくまれているのだろう。とにかくそういうものだとおぼえておくしかない。
これらの整理はジュノバのダイナミック社が出した9枚のCDによる影響が強いようで、今後まだ変わっていく可能性も十分ありそうだ。なんとなくダイナミック社がM.S.を軽んじているのではないかという雰囲気も伝わってくる。
このところ、随分ソナタ集が出ているようだ。ソナタ集となっているものだけで10集ある。一つの集に6曲ふくまれるからこれだけで60になる。

困るのは、けっこう名曲だらけで、聞くしかないことだ。以前チャレンジしたタルティーニ全集は、玉石混交とはいうものの実のところほとんど石だらけで、途中でやめてしまった。

パガニーニの方はどうもそうは行かないようだ。この文章はもう一回くらい追補が必要かもしれないが、それほどの意義があるかも疑問の余地がある。
まずは少し聴き込んでみつことだろう。

Violin Summit with Baiba Skride, Alina Pogostkina and Lisa Batiashvili

というTV番組があって、バイオリン3人娘として売り出そうという狙いらしい。

かなり酷な番組で、否が応でも三人を比較せざるを得ないことになる。

腕前から言ってもキャリア・知名度から言ってもバティアシュビリが抜きん出ているのは分かる。彼女から見れば、こんな三人組で売り出されるのはいささか心外ではなかろうか。

アリナ・ポゴストキナは器量が良くて愛想が良いから人気はある。腕は三人の中ではちょっと落ちる(と思う)。
2

バイバ・スクリーデはラトビア人。日本ではまったく無名だが、ドイツではそれなりの人気のようだ。田村俊彦と近藤真彦と、もう一人誰だっけ、の人である。

腕はしっかりしている。顔はそれほどでもない。「美人ヴァイオリニスト ☆ バイバ・スクリデ」という日本語のファイル(衛星放送のエアチェック)があるが、どちらかと言えば肉体美と言うべきか。

やっぱりそうだった。

2001年のエリザベート・コンクールで、第1位がバイバ・スクリーデ(ラトビア)、第4位がアリーナ・ポゴストキーナ(ロシア)となっている。
営業とは言え、腕と顔でヒト様と比べられるのは辛いところがありますね。

ーツァルトのディヴェルティメント

すみません。まったく自分の心おぼえだけのために、このファイルをアップします。

しかも、中味は森下未知世さんのサイト「Mozart con grazia」の抜粋にすぎません。

このサイトはとても親切で、ダウンロードした曲を整理するのにとても役に立ちます。「個人的な好みを語ることは野暮である」と考える方らしく、要点をきちっと教えてくれるのがありがたいところです。

こういう方の個人的な好みを」お聞かせ願えればとも考えますが…


ディヴェルティメントは「喜遊曲」と訳されている。ヴァラエティに富んだジャンルで、楽器編成も様々だった。

セレナードは編成がかなり大きく、8楽章が典型である。ディヴェルティメントの方は室内楽的で、6楽章が多い。

「新モーツァルト全集」ではディヴェルティメントを3つのグループに分類している。

  1. オーケストラのためのディヴェルティメント、カッサシオン
  2. 管楽器のためのディヴェルティメント
  3. 弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント

しかしモーツァルトがそのような区分を意識していたとは思えず、そのときどきの事情に応じて考えていただけではないか、と思われる。

 1. ディヴェルティメント 第1番 変ホ長調 K.113

    1771年11月 ミラノ [A] クラリネットが使われた最初の管弦楽作品

 2. ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K.131

    1772年6月 ザルツブルク [A] 作曲の動機や目的は不明

 3. ディヴェルティメント ニ長調 K.136 (125a)

    1772年1?3月 ザルツブルク [A] 旧全集では弦楽四重奏曲第24番

 4. ディヴェルティメント 変ロ長調 K.137 (125b)

    1772年1?3月 ザルツブルク [A] 旧全集では弦楽四重奏曲第25番

 5. ディヴェルティメント ヘ長調 K.138 (125c)

    1772年1?3月 ザルツブルク [A] 旧全集では弦楽四重奏曲第26番

 6. ディヴェルティメント 第3番 変ホ長調 K.166 (159d)

    1773年3月24日 ザルツブルク [B]

 7. ディヴェルティメント 第4番 変ロ長調 K.186 (159b)

    1773年3月 ミラノ [B] 作曲の目的は不明。

 8. ディヴェルティメント 第5番 変ロ長調 K.187 (Anh.C17.12)

  モーツァルト本人の作品ではない。

 9. ディヴェルティメント 第6番 ハ長調 K.188      1773年夏 ザルツブルク [B]

10. ディヴェルティメント 第7番 ニ長調 K.205 (167A)    1773年7月 ザルツブルク [C] 

11. ディヴェルティメント 第8番 ヘ長調 K.213      1775年7月 ザルツブルク [B]

12. ディヴェルティメント 第9番 変ロ長調 K.240

    1776年1月 ザルツブルク [B] 大司教のための食卓音楽

13. ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調 「ロドロン・セレナード第1」     K.247

14. ディヴェルティメント 第11番 ニ長調 K.251     1776年7月 ザルツブルク [C] 

15. ディヴェルティメント 第12番 変ホ長調 K.252 (240a)

    1776年1?8月 ザルツブルク [B] 舞曲風4楽章。大司教の食卓音楽。

16. ディヴェルティメント 第13番 ヘ長調 K.253

    1776年8月 ザルツブルク [B] ディヴェルティメントの中で唯一の3楽章作品。 

17. ディヴェルティメント 第14番 変ロ長調 K.270

    1777年1月 ザルツブルク [B] 大司教の食卓音楽として

18. ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 「ロドロン・セレナード第2」 

    K.287 (271H)    1777年6月? ザルツブルク [C] 

19. ディヴェルティメント ヘ長調 未完 K.288 (246c)    76年6月 ザルツブルク [A]

20. ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 「ロビニッヒ」 K.334 (320b)

    1779年?80年 ザルツブルク [C] モーツァルトのディヴェルティメントの中で最も有名な作品。 第3楽章のメヌエットはよく単独で演奏されるほどポピュラー。

このページには他にも12曲の断片が収録されているが、とりあえず省略する。

ということで、ディベルティメント…番とよんでも良いのだが、K136~138が抜けてしまうのが以下のも癪なので、ケッヘルで呼ぶのが一番いいのでしょう。
ということで、管楽合奏を除いたラインアップは以下の通り。
divertiment
弦楽合奏を主体とするものはK131の第2番が最初。You Tubeではセルの凛とした演奏と、マリナーのしっとりとした演奏が聞ける

K136~K138の三曲は元の「旧分類」では弦楽四重奏曲に分類されていたため、ディヴェルティメントとしての番号がついていないのだそうだ。
You Tubeではニューヨーク・クラシカル・プレーヤーズというグループの颯爽とした演奏が聞ける。
K136はモーツァルトの曲の中でももっともポピュラーなものの一つだ。
小沢と水戸室内管弦楽団の演奏が抜群だ。水戸は指揮者なしの演奏もアップされているが、聴き比べるといかに指揮者が必要かがわかる。
K247、K251、K287、K334 の4曲は立派な管弦楽曲で、4楽章にまとめればそのまま交響曲となるほどである。You Tubeではカラヤンの名演奏が聞ける。胃もたれするという向きの方にはマリナーの演奏がスッキリするかもしれない。
K563 は異質のディヴェルティメントだ。昔からグリュミオー・トリオが定番だが、Veronika Eberle, Sol Gabettaらの演奏が素晴らしい音質で迫る。
veronikasol
  Veronika Eberle
       Sol Gabetta


あまりYou Tubeの特定のサイトを宣伝して良いことはないだろうし、ひょっとして迷惑かもしれないが、素敵なサイトを見つけると一言感謝したくなる。

それがDeucalion Projectというサイトだ。日本人のサイトらしくファイル名が日本語で入っている。2016/12/30 日に登録となっているのでまだ1年未満だ。

にも関わらず膨大なリストを抱えているのは、誰かのサイトをそっくりそのまま譲り受けたかららしい。
デュカリオンというのはプロメテウスの息子だから、世のために「悪事」を引き継いだということなのか。ありがたい話だ。

再生リストにはクラシック曲が作曲家別に多数並んでいる。特徴的なのはかなり地味目の曲が拾われていること、古めの音源が多いこと、音質がブラッシュアップされていること、だ。特に最後のポイントはだいじで、かつての新潮文庫的な匂いがする。岩波でも角川でもなくてクリーム色の新潮ですよ。わかります?

これから少し潜り込んで、よさ気なものをピックアップします。
まずはモーツァルトで、196本のファイルが並ぶ。

出て来る順に紹介するとセルのクラ協。ついでカサドシュとセルのP協が21~27と続く。つぎがチッコリーニの初期ソナタで15番まで。V協はオークレールで揃える。これは泣ける。音質もみごとに磨きあげられている。

後期交響曲は誰で揃えるというわけではないが、イッセルシュテットのプラハ(59年)とジュピター(61年)は聞きものだ。Fl協はモイーズのSPだが、さすがに辛いところがある。ハスキルのP協20盤はご存知の名盤。音質は最高だ。カザルスがいくつかあるが好みの分かれるところ。

弦楽五重奏をバリリで揃えた。いまあえてという感もあるが、音は素晴らしい。フルベンがP協20の伴奏をしているが54年5月のものらしい。ひどいものだ。グリュミオーとコリン・デイビスのV協は定番。音質も素晴らしい。

ユーディナとペルルミュテールのピアノは趣味の世界。タックウェルのHr協はステレオというのが強みだが、私はブレインでよい。

25番以降の交響曲がワルターでまとめてアプロードされている。おなじみで、音質も良いのでCD持っていない人はダウンロードしておいたほうが良い。

以降は特記するものはないので端折らせてもらう。


毎年末にNHK教育テレビで「クラシック音楽今年の回顧」みたいな番組をやっていて、毎年それを見るのが楽しみだった。
何か8ミリ映画にとった映像を流すみたいで、絵柄も音質も「良くもこんな絵を流すな」と感動するほどのものだった。
今でも覚えているのがヴィンシャーマンとバッハ・ゾリステンのリサイタルでバイオリンとオーボエの協奏曲の第3楽章を流した場面だった。多分大阪万博ころだったと思うが、まさに鳥肌モノだった。
それからだいぶ経っていたと思うが、クリーブランドがマゼールと一緒にやってきたときの演奏会の触りをやっていた。何かロシアの管弦楽曲ではなかったかと思うが、文字通り光彩陸離たるもので、クリーブランドからこんな音が出るんだ、と感心した覚えがある。
しかしどうもこの組み合わせは長続きしなかったようで、その後いろんな人が指揮者になって、そのたびにどんどんクリーブランドの音も落ちていった。だいたい街そのものが落ち目なのだからしょうがない。ということで、音的にはマゼールの時代がクリーブランドのピークだったのではないかと思う。
そんなことがあったことも忘れていたが、本日たまたまYou Tubeでこの組み合わせのベートーベンの第1交響曲を聞いて、あまりの腕前に腰を抜かしてしまった。
もともとマゼールはこの世代でピカイチの指揮者だと思っていたが、このオケからこれだけの音を引き出すのはやはりこの人しかいなかったのではないか。ただしもう少し禁欲的でも良かったか、という気もする。極彩色だが薄っぺらい。
すこしこの組み合わせの音源を探してみて、また報告する。

「ウィーンの三羽烏」という言葉が以前から気になっている。

いろいろネットで調べるのだが、英語記事をふくめて満足な答えは載っていない。

この世界のことだから、かならずとんでもない物知りがいて、「それはこういうことなんだ」と微に入り細にわたり説明してくれるものだと思っていたが、もうそういうおじさん方は死んでしまったのかもしれない。

三羽烏の由来

まずは、名前の由来だが、これがよく分からない。

「三羽烏」というのはいかにも日本の言葉である。この言葉のいわれも不詳のようだが、一番納得がいきそうな説明は有馬温泉の発見の由来にカラスが登場してきて、どうもこれが語源らしい。なかなか由緒ある言葉である。

しかしこんな言葉をウィーンの人々が知るわけがない。英語で言うと「ウィーンのトロイカ」(Viennnese Troika)と言うらしい。

トロイカというのは三頭建ての馬車のことだから、日本語としてはぴったりだ。ただいまの語感だとさすがに「三羽ガラス」は古い。「トリオ」くらいで済ますのではないだろうか。

ただ、いつ、誰が名付けたのかなど、そのいわれについては英語版でも説明はない。
なぜバドゥラ・スコダ、デムス、グルダなのか

つぎに、なぜバドゥラ・スコダ、デムス、グルダの3人が三羽烏なのか。なぜワルター・クリーンやブレンデルが入らないのかということだが、これについてもはっきりした答えはない。

考えられる理由はいくつかある。

ひとつは生粋のウィーンっ子かどうかという問題だ。

まずは5人の生まれと生地を表示する。

パウル・バドゥラ=スコダ

1927

ウィーン

イェルク・デムス

1928

ザンクト・ペルテン

ヴァルター・クリーン

1928

グラーツ

フリードリヒ・グルダ

1930

ウィーン

アルフレッド・ブレンデル

1931

モラヴィア

ザンクト・ペルテンは田舎だが、文化的にはウィーンである。

austria-map

https://jp.depositphotos.com/31778515/stock-photo-austria-map.html

これでみると、バドゥラ・スコダ、デムス、グルダを括るのは理にかなっている。しかしクリーンは生まれはグラーツだが学んだのはウィーン音楽院だ。ブレンデルはグラーツの音楽院ではあるが、卒業後はウィーンに出てそこで勉強している。

だから、どうも生まれや育ちを詮索するのはあまり意味があるとも思えないのである。たとえばウェルナー・ハースは31年の生まれだが、彼はシュツットガルトで生まれてらい、ずっと西向きで暮らしている。ウィーンには見向きもしていない。これなら三羽烏に入れないという判断は良く分かる。

5人の音楽家への道

このあと、この文章ではあまり分け隔てせずに、「5人組」としてみていくことにしようかと思う。

彼らはいずれも辛い少年時代を送っている。物心ついたとき、ウィーンは大恐慌の中で疲弊しきっていた。労働者よりの政策をとってきたウィーン市政は転覆させられ、失業者5割におよぶ厳しい引き締め政策がもたらされた。

彼らがウィーン音楽院に入る頃、世間はもう音楽どころではなくなっていた。1939年になるとナチがやってきてオーストリアは併合される。保守派や富裕層は喜んでナチの前に身を投げ出した。

彼らはユダヤ人の排斥にも積極的に加担した。ウィーンフィルの楽団員のうち11人が馘首された。そのうち9人が強制収容所で死亡した。

その5年後に敗北の日がやってきた。1945年3月、ウィーン中心部にも空襲があり国立歌劇場やシュテファン大寺院などが破壊された。フルトベングラーはベルリンからやってきて、エロイカの放送録音を残したあとスイスに逃げ出した。

1ヶ月後、ソ連軍がウィーンに入った。彼らは市内で略奪を繰り返したが、ドイツ人は文句を言えない。ドイツ人はソ連に攻め入り数千万人を殺害したからだ。ナチに追随したものは口をつぐんだ。

1945年、オーストリアは二度目の敗戦を味わうこととなった。以後10年にわたり4カ国占領軍に分割支配されることとなる。

キャリアのスタート

戦争に敗けたときバドゥラ・スコダが18歳、デムスとクリーンが17歳、グルダが15歳で、いずれもウィーン音楽院の生徒であった。ブレンデルはまだ14歳でグラーツの音楽院に在籍していた。ここから5人はキャリアをスタートさせることになる。

もっとも目覚ましい功績を上げたのはグルダだった。かれは46年のジュネーヴ国際コンクールに優勝する。と言うよりこれが5人組で唯一のメダルだ。

年長のバドゥラ・スコダは、47年のオーストリア音楽コンクールに優勝した。毎日コンクールに優勝するみたいなもので、「だから何さ」というレベルだ。

ウィーン音学院のピアノ科のボスはエドウィン・フィッシャー、どういうわけかミケランジェリも指導スタッフの一人だったらしい。あまりコンクールには熱心でなかったのかもしれない。

49年のブゾーニ国際コンクールではブレンデルが4位に入賞している。51年にはクリーンがおなじブゾーニで3位、何か期するところがあったのか翌年も出場するが、結局おなじ3位。

この二人は、ブゾーニ・コンクールでの4位とか3位とかがキャリアハイになっている。いまなら考えられない出発点だ。

ということで、ブゾーニ・コンクールがウィーン音学院のピアノ科にとってはトラウマになってしまったのかもしれない。最後はデームスがブゾーニに挑戦し優勝している。なんと56年になってからの話で、小学生のコンクールに高校生が参加するようなものだ。

デームスのキャリアもそれほどのものではない。ウィーン音楽院を出たあとパリに行き、マルグリット・ロンの指導を受ける。そしてロン・チボー・コンクールに出るのだが、優勝はしていない。ほかのノミニーの顔ぶれを見れば到底勝てそうもないライバルばかりだ。

三羽烏はウェストミンスター社の宣伝?

キャリア的にもそれほどの差はない

コンクールの実績から言うと、グルダを除けば50歩100歩である。クリーンとブレンデルは明らかに落ちるが、ほかの二人にそれを笑うほどのテクニックがあるわけでもない。

つまり、「ウィーンのトロイカ」はレコード会社のキャンペーンではないかということだ。

ここから先は、裏付けなしの推測なので「間違っていたらごめんなさい」の世界。

 アメリカにウェストミンスターというレコード会社があった。タワーレコードの宣伝文句にこんなのがある。

1949年にニューヨークで創設され、短期間に綺羅星のごとく名録音の数々を残したウエストミンスター・レーベルは、創設の中心メンバーであったジェイムズ・グレイソンがイギリス人で、もともとロンドンのウエストミンスターのそばに住んでいたことにより、「ウエストミンスター」と命名されました。

これは別の会社の宣伝。

このレーベルは49年、ミッシャ・ネイダ,ジェイムズ・グレイソン,ヘンリー・ゲイジ、そしてチェコ出身の指揮者のヘンリー・スヴォボダによりニューヨークで設立されました。

ワルター・バリリとその四重奏団,ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団,パウル・バドゥラ=スコダ,エリカ・モリーニ,レオポルド・ウラッハ,イェルク・デムスら、ウィーンを中心とした名演奏家たちを始めとして…

この会社がいわば経済苦境に苦しむウィーンの音楽界に、言葉は悪いが底地買いに入ったわけだ。

よく「音楽の都 ウィーン」と言うが、「音楽だけは」という皮肉にも聞こえる。20世紀の初頭ウィーンは決して音楽の都ではなく、すべてにおいて都であった。

それが第一次大戦に敗れ、国土が切り刻まれる中でメトロポリスの実体を失った。借金生活が成り立たなくなり、ナチスドイツに吸収され、ふたたび第2次大戦で残されたすべてを失った。

「音楽の都」というが、音楽を聞くにも演奏するのにもお金は要る。商売できなければ音楽家もみな逃げ出す。残ったのは年老いた二流の演奏家か、駆け出しのチンピラしかいない。

しかしそこはハプスブルク以来200年の音楽の歴史と伝統がある。掘り起こして火をかき起こせば、タダ同然で「お宝」が手に入る。それが上記に掲げられた演奏家たちであろう。

成功したとは言えない「トロイカ」キャンペーン

おそらくトロイカと言っても中心はグルダだったのではないだろうか。コンクール歴を見ても、16歳でジュネーブ国際コンクール優勝というのは相当のものである。

これに比べれば、バドゥラ・スコダは「毎日コンクール」優勝くらいの経歴で、デームスはロン・チボーに出たというくらいの経歴だ。

そこでウェストミンスターは、1950年にカーネギー・ホールにグルダをデビューさせたあと、三人組のセットで若手を売り出した。「たのきん・トリオ」みたいなものだ。しかし成功したとはいえない。やがてロシアからとんでもないピアノ弾きが続出するようになると、彼らのテクニックではとても太刀打ち出来ない。

ただピアニストが一流になっていくのはコンクール向けのテクニックばかりではないので、デームスもバドゥラ・スコダも長年かかって少しづつキャリアを積み上げ、一流ピアニストに成長していく。これが伝統の力だと思う。

ウェストミンスターの計算違いは、グルダがデッカに行ってしまったことだ。1954年にグルダはデッカにベートーベンのソナタ全曲を録音している。

Vox社で実績を積み上げたブレンデルとクリーン
底地買いと言っても、ウェストミンスターはそれほどアコギな仕事をしたわけではない。むしろ高級感さえ漂わせた。商売上手である。LPの値段も決して安くはなかった。高城さんのブログで昭和28年に3200円だったと書いてある。私はまだ小学校低学年で価格など知らなかったが、中卒の初任給くらいだろうか。
米Voxは安物レコードの象徴的存在である。貧しいヨーロッパで音楽家を一山いくらで買って、安物の録音機で録音しては売りまくるという下品な商売をしていた。とは言え、こういう会社があるからこそ我々ごときもレコードに接することができたのだから、足を向けて寝られるものではない。
「レコード芸術」で曲を知って、Vox盤、あるいはソノシートで我慢するというのが青春であった。二人の連弾のハンガリー舞曲とか、パツァークの独唱にクリーンが伴奏した「水車小屋の娘」なんかを聞いた記憶がある。購入の動機は曲ではなく、その時の財布の中身と価格のバランスと勇気のあるなしであった。
とにかくそこで二人は拾われた。表通りのクラブではないが、裏通りのキャバレーで華々しく活動した。
ここからブレンデルは羽ばたいて、フィリップスのエースに成長していく。クリーンはその後は鳴かず飛ばずで、70年代の末からようやくモーツァルトを中心に評価され始めた。アマデウス四重奏団との四重奏曲は驚くべき名演だ。
NHKテレビのピアノ教室の講師になってからは、日本でも名前が売れ始めたらしい。
You TubeにN響とやったモーツァルトの23番のライブビデオが残されている。あの澄んだ美しい音がどういうタッチから紡ぎされているかが分かる。蛇足ながら若杉弘の指揮も懐かしい。

とにかく5人が5人とも録音機会や発表機会に大変恵まれていたことは間違いない。あの時期にその場所でしか生まれ得なかったチャンスであった。それを一概に幸運とはいえない、不幸と裏合わせの機会であったが、彼らが懸命に活躍し、その機会をモノにしたことは間違いないだろう。


ここまでハイドンのピアノソナタにはまり込んで、なんでこんなことまでしなければならないのかと思う。

結局前の記事で、肝心なことが説明できていないからである。

「ウィーン原典版」(ランドン版)というのが結局混乱の元だったのだろう。

こういうことになると、日本語のネット文献はとんと無力である。

調べてみて分かったのはこういうことだ。
ハイドンという人はドイツ人として初めて大衆の支持を受けた作曲家だ。しかも大変息の長い作曲家で、ウィーンで楽譜が売れ始めたのがかなりの歳になってからだ。だから楽譜が売れる前エステルハージの時代にかなりの曲が手書きコピーで流布された。つまり海賊版がやたらと多い人なのである。だから作品目録を作るに当たっては『伝 正宗』のヤマの中から本物を探し出す作業が必要になる。

1926年生まれのアメリカ人ロビンズ・ランドンが、第二次大戦後間もなくウィーンにやってくる。まさに「第三の男」の時代だ。

彼はボストンでの学生時代、ウィーンから亡命してきたガイリンガーというハイドン研究者の講義を受けて感動していた。ウィーンに来てからは、ハイドン研究の大御所ラールセン(デンマーク人)の指導も受けていたといわれる。
溢れんばかりの才気とやる気、それにかなりの資力(パトロン)もあったんだろうと思う、たちまちのうちにウィーンとボストンにハイドン協会を立ち上げてしまった。

彼のハイドン協会は、「不幸なハイドン」のために一刻も早く全集を完成しようと奔走するが、結局それは挫折する。

やがて戦後の混乱が落ち着いてくると、ラールセンは復興資金の集まるケルンに移り、ハイドン研究を継続する。そこにはラールセンより15歳年上のホーボーケン(オランダ人)も結集した。

57年にホーボーケンが作品目録を提示した。ロビンス・ランドンは相当あせったようだ。

ランドンは妻クリスタ(5歳年上)とともにウィーンに戻った。他の研究者の協力を得て訂楽譜の編集を急ぎ、しばしばハイドン研究所より早く完成させて出版した。これがいわゆる「ウィーン原典版」である。

ピアノ・ソナタに関してはクリスタ・ランドンの名義で別目録を発表、ホーボーケンと真っ向対決の形になった。その不正確さ故に拙速の批判を浴びることがあったともいう。つまり巷の多くの『伝 正宗』を取り込んじゃったわけだ。

結局この混乱は、ロビンズ・ランドンが亡くなることで終りを迎えた。このあと「ウィーン原典版」、ランドン校訂の旧版を底本として改訂に着手し、新版ではホーボーケン番号順へ並び替えられたというから全面降伏である。クリスタ・ランドンの名は原校訂者として残されているが、その意味は定かでない。
PS
クリスタ・ランドンはほとんどネットでは紹介されていない。写真も見当たらない。
1921年、ベルリンに生まれる。父親は保守系の政治家だった。39年、クリスタが18歳のときに戦争を嫌ってウィーンに移住。そのままウィーンで終戦を迎えた。ウィーン音楽院を卒業後、当時ウィーンで創設されたハイドン協会に就職する。ベルリンなまりのきつい子だったという回想がある。
このハイドン協会というのがよく分からないが、多分ラールセンが中心となったのだろうが、アメリカからの資金提供を受けていたのではないか。ウィーンとボストンのダブルフランチャイズとなっている。そこに大学を卒業したてのロビンス・ランドンがやってくる。あるいはロビンス自身がフィクサーだったかもしれない。
クリスタは後にロビンスの二度目の妻となる。5歳年上の姉さん女房だから、傷心のランドンにとって慰め役になっていたのかもしれない。
クリスタはハイドン協会の解散後もケルンのハイドン研究所、ウィーンに立ち上げたウィーン原典版研究所と、ロビンスと行動をともにする。
彼女はウィーン原典版の発行と接して、77年になくなっている。ロビンスはその後3度めの結婚をしている。
生前はシューベルトの初期交響曲の校訂に携わったらしいが、ハイドンのピアノソナタにはほとんど研究実績がみあたらない。このことから、この大胆不敵な仕事は実のところロビンスのものではないかとも思われる。


多分、おおくの不正確さをふくんでいると思います。訂正・加筆を期待します。

ハイドンのピアノソナタとナンバリングの歴史

飯森 豊水「J.ハイドン研究における近年の変化について」を下敷きにしながら歴史動向を探る。

1732年3月31日 ハイドンが生まれる。

1761年 ハンガリー貴族エステルハージ侯爵家に副楽長として仕える。

1770年頃 ソナタ(Hob18-19, 44-46)が作曲される。(出版は10年後)

1774年 ヴィーンのクルツベック社から6曲の鍵盤楽器ソナタ(Hob21-26)が出版される。この頃ハイドンにおけるソナタの位置づけが定着。

1776年 「6曲のソナタ」(Hob27-32)が発表され、流布する。

1780年 ヴィーンのアルタリア社から6曲のソナタ(Hob35-39, 20)が出版された。

1783年 ロンドンで3曲のソナタ(Hob43, 33, 34)が出版される。

1784年 シュパイアーで3曲のソナタ(Hob40-42)が出版される。

1789年 2曲のソナタ(Hob48-49が発表される。この頃からクラヴィアに代わってピアノが鍵盤楽器の主流となる。

1800年 ロンドンやヴィーンで3曲のソナタ(Hob 50-52)が出版される。いずれも94年の第2回ロンドン滞在中に書かれたもの。

1810年 ハイドンの死去。ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社(以後ブライトコップフ)の代表でハイドンの友人グリージンガーによる伝記が出版される。

1879年 C.F.ポール、ハイドンに関する研究を開始。「グローブ音楽事典」でハイドンの項目を執筆。

1895年 高名な音楽理論家フーゴー・リーマン、ハイドンの手稿を発掘。発表された34作品に新たに発見された5曲を加え39曲とする。

1908年 ブライトコップ社による「ハイドン全集」の編集が開始。

1918年 「ハイドン全集」のうち、ピアノソナタの巻が発表になる。校訂者カール・ペスラーは一挙に52曲へ拡大した。

この全集は全3巻からなり、第1巻に第1-22番、第2巻に第23-38番、第3巻に第39-52番が収められた。彼はこの52曲のソナタを創作年代順に並べることを意図した。しかしとくに第1~17番を作曲順に並べるにはその判断の助けとなる資料がまったく欠けていたといわれる。

1927年 オランダの音楽学者アントニー・ヴァン・ホーボーケン、ハイドンの楽譜等を写真で複製するなど収集を開始。1千曲のカードを数えるに至る。

1932年 ガイリンガー、「ヨゼフ・ハイドン」を執筆。代表的ハイドン概説書となる。

1933年 ブライトコップ社の「ハイドン全集」が挫折。

1939年 デンマークの研究者 J.P.ラールセン、ハイドン楽譜の真贋に関する先駆的研究。門下にホーボーケン。(ただしホーボーケンはラールセンより15歳年上)

1947年 ボストン生まれのロビンズ・ランドン、ウィーンに軍務で赴任。ラールセンの下でハイドンの研究を始める。

1950年 ボストン・ウィーンのハイドン協会による全集発行の企画がスタートする。ラルセンがシニア研究員、ロビンズ・ランドンが実務を担当した。

1951年 楽譜は4巻まで出したあと中断。全集企画が流産する。

1955年 ケルンに「ハイドン研究所」を設立。ラールセンが初代責任者となる。学問的に緻密な全集を新たに出版することを目的とする。

1955年 ロビンズ・ランドンが『ハイドンの交響曲』を出版。真正の交響曲を特定し、作曲順を推定する。

1957年 ホーボーケン、「ハイドン書誌学的作品目録」を作成。第1巻「20のグループの器楽曲」が発表される。この内「グループ16」(表記はHob.XVI:)がピアノソナタに割り振られる。

ホーボーケンは、すでに整理されているジャンルについてはできるだけそれを尊重するという方針を採る。したがって、ピアノソナタにおいてはペスラーの第1~52番がそのまま踏襲された。

1958年 ハイドン研究所、ハイドン全集の発行を開始。60年までに最初の8巻(ヘンレ社本)を出版。所長はラールセンからフェーダーに交代。

1968年 進まぬ作業に業を煮やしたランドンは、独自の『ウィーン原典版』の作成に乗り出す。この年に交響曲全曲の楽譜が発行される。

1972年 ハイドン研究所ゲオルグ・フェダー校訂の原典版ピアノ全集(ヘンレ社)が発刊される。

1973年 クリスタ・ランドン、ヴィーン原典版を発表。新たに13曲を加え(うち6曲は実体がない)、3曲を排除して62曲とした。全62曲に通し番号を付けなおした。

クリスタ・ランドンはほとんどネットでは紹介されていない。ウィーン音楽院を卒業後、ハイドン協会にくわわる。49年にロビンスの二度目の妻(5歳年上)となる。77年になくなっている。他にほとんど見るべき実績がないことから、ロビンスの仕事ではないかと思われる。

ランドンは他の研究者の協力を得て訂楽譜の編集を急ぎ、しばしばハイドン研究所より早く出版した。ランドン版に当たる第4番、第7番、第17番~19番、第21番~28番はホーボーケン版には該当するものがない。

ランドンおよびその陣営の研究者たちによる楽譜出版が、その不正確さ故に拙速の批判を浴びることがあった。最大の問題は根拠なしに創作順を推定して全面的に番号づけ直したころにある。

1974年 ケルンのヨーゼフ・ハイドン研究所、ハイドン関連文献の目録作成を開始。

1978年 ホーボーケンの目録第三巻(作品集、作品番号一覧、出版社一覧、被献呈者一覧等のデータ集および追補と訂正)が発行し、全目録が完成。

1976年 ランドン、5巻からなる膨大な『ハイドン:年代記と作品』を刊行。

1984年 アメリカのDover Publications 社、ペスラーの『ピアノ全集』全2巻を復刻・出版。

1994年 ロビンス・ランドンが「新発見のピアノソナタ」とした作品をめぐって論争。これらの楽曲は偽作であると結論された。

2004年 全音楽譜がハイドン:ソナタ集1、2を発行。各15曲が収録されている。いずれもホーボーケン表記を採用。ランドン表記を旧分類とする。

2009年 没後200年を機に、G.ヘンレ社より「ピアノソナタ全集(原典版)全3巻」が発行される。ケルンのハイドン研究所「ヨーゼフ・ハイドン全集」の一部を構成する。

鍵盤音楽担当編集者のフェーダーは、通し番号を付すのをやめ、全54曲を10のグループに分け創作順関係に融通性をもたせた。

2009年 「ウィーン原典版」、ランドン校訂の旧版を底本として改訂に着手。改訂担当者はライジンガー。ランドン独特の通し番号は旧番号として維持されたものの、並び順はホーボーケン番号順に並び替えられる。

2010年 ペータース社より「マルティエンセン編ピアノ・ソナタ集 全2巻」が発行される。

2013年 「ウィーン原典版ハイドン ピアノソナタ全集」が改訂。日本では音楽之友社から発行。

ハイドンのピアノソナタをまとめ聞きする。
ハイドンをまとめ聞きするというのは、そもそも無理なのである。
そんなことは前から分かっている。わかってはいるが一度やってみたいのである。それが性というものだ。
シンフォニーは10番位で最初に挫折し、それでも頑張って行くと、30番位でなにが何やら分からなくなってくる。
そのへんからは徹底的に流しまくって、聞いたことにして前に進んでいく。
それでも50番位でもうごちそうさまになる。
ニックネーム付きを選んで進むが、それでもパリセットに入る頃には耳がストライキを起こす。
最後は、そんなことで一生を終わるのかという、声が聞こえてくる。これはほとんど統合失調の手前だ。
交響曲で挫折したのなら、弦楽四重奏がどうなるかは火を見るより明らかだ。
それに比べればピアノソナタはかなり気楽に行けるのではないかと、またもや始めた次第。
以前、ピアノトリオはけっこう気楽に進んだので、少し頑張ってみよう。

ピアノソナタを聞くのにあたって最初に困ったのは、名前がばらついていることである。
ばらつくのは決定的な権威がいないからであり、譲りあいの精神が欠如しているからである。
みごとなほどにばらついており、そのばらつきに規則性がない。

バッハとモーツァルトは幸せである。ケッヘルとBWVでとりあえず収まってくれるからだ。
一番不幸なのはスカルラッティで、たいした有名でもないのにL(ロンゴ)とK(カークパトリック)が意地を張り合っている。
それでもまだKとLと名を名乗るから良いが、ハイドンの場合は名を名乗らない。


私のつたない記憶では、かつて一時はホーボーケンに統一しようという流れがあったと思う。
しかしそれはもうない。昔のピアノソナタ第何番に戻ろうとしている。しかし2,3割の人はいまだにホーボーケンにこだわっている。だから同じ曲がまったく違う番号で出てくる。その際鑑別するには曲の調性で判断する。また作品番号もついているのでこれでも推測できる。
とにかく音源がある程度溜まってくるとこれを整理していくだけでも大変なのだ。
ということで、これからハイドンのピアノソナタを聞こうと思っている人のために、あらあらの曲名一覧を提示しておこう。
(なおオヴェ・アンスネスのソナタ集の番名は多分、「ウィーン原典版」の現行版ではなく旧版(ランドン版)を使っているのではないだろうか
一般的に言えば、ここに名前がない曲は聞く必要はないと思っていい。
haydn_PS
なお、ウィキペディアではホーボーケン番号順に曲を並べているが、今日では意味が無いので利用しないほうが無難。ピティナの索引(全音楽譜版?)を使って一覧表を作らないとあとでひどい目にあう。
曲としては、31番、32番、33番、38番、47番、50番、53番、59番あたりが定番曲だろう。
演奏は誰が良いということはないが、録音が新しく良いものが良い。ピアノフォルテやクラヴサンの演奏は避けた方が良い。
ブレンデルがあらゆる面から見て無難。クリーンも良いがブレンデルより粒が小さい。アンスネスの立体感は高音質とあいまって魅力。リフテルはたまにスカがあるので注意。バックハウスは無理やりベートーベンにしようとする。エマヌエル・アックスの盤は思いっ切り残響も入ってピアノしているが、意外に良い。


この記事は、その後180度転換されている。

をご覧いただければ理由はお分かりいただけるであろう。いまさら知らんぷりもできないので、恥をさらしておく。

通し番号記載は、今後姿を消していくであろう。

私もホーボーケン番号順に整理し直すことにする。整理し直したらもういちどブログに掲載することをお約束します。


どうもタバコを止めてから肉体的には多少良いが、精神的な持続性が落ちてしまったようだ。イライラと腑抜け状態が続く。

あと10年の生命、どう持たせればよいのか思案のしどころだ。

気持ちがひとところに落ち着かず蝶々のようにふわふわしている。

シェーンベルグの「浄められた夜が」演奏次第でずいぶん違う。カラヤンがどうも気に入らなくて、弦楽6重奏のテクスチャー感が出てこない。

エベーヌ四重奏団がすごく気に入ったのだが、弦楽合奏版を捨ててよいのかが気になって探してみたら、小沢指揮サイトウ・キネン・オーケストラの演奏がすごい。ただ、熱演はすごいのだが、やはりこの曲は弦楽6重奏曲だろうと思う。

ベートーベンの大フーガをフル・オーケストラで聴いても、ひたすら低音弦がうっとうしいのと同じだ。

それでなんとなしに小沢のディスコグラフィーを探していくうちに、入江美樹という奥さんが気になって、写真を探したらこんなのが出てきた。

入江美樹
顔はハーフだが体型は純日本風。亡命ロシア人の流れのようで、白人=上流階級ではない類(大鵬とかスタルヒンとか)の流れかもしれない。戦後の北海道にはちらりほらりと見かけたものだ。

滝川クリステルとは品格が違う。

後ろのアンちゃんがいかにも平凡パンチかJUNから抜けだしてきたみたいで、 ワタシ的にはハマってしまう。

あの頃の若者文化の憧れシーンをスカートめくりしたような気分だ。


それでその話がどうつながっていくかというと、小沢が活躍した頃のアメリカのミュージックシーンの話になって、Stu Phillipsの話に跳ぶのだ。ここがどうして跳ぶのかがよく分からない。

海馬の障害なのかもしれないし、私のブログの更新が進まない原因なのかもしれない。

とにかくこのLPが良いのだ。

Stu
ジャケットは相当いやらしい。

それでこのStu Phillips という人が、売れればなんでもいい人なのだ。

それで最大のヒット作がナイトライダーだ。ナイトは夜ではなく騎士の方のナイトらしい。いま考えればAIカーの走りだ。

多分このシリーズは見た。ハッセルホフという下品顔の俳優で“日本ハムの新庄”をさらに崩したけばい顔だ。

音楽はとんと覚えていない。今日び、こんなもの、リズムマシーンソフトでいくらでも作れる。

「見た」記憶はあるが、「さすがにここまでは」というのが

Knight Rider
ということで、肝心なことが書いてない。

とにかく小沢征爾とサイトウ・キネンの「浄められし夜」は見ておいた方が良い。


いまびっくりしている最中です。
チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 趙成珍)というピアニスト。あまりにも素晴らしくて、あっけにとられています。
もともと韓国のピアニストは好きで、独特のグルーブ感はとても日本人の及ぶところではないと思っていましたが、ついにここまで来たかという感じです。
2015年のショパン・コンクールで優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞したそうです。
というより、もはや世界のトップランナーとして完成しています。
私はツィマーマンが好きで、いわゆる「世界最高」だと思っていますが、彼がのして来たのはショパンコンクールを受賞してから数年後のことです。
逆にポリーニは受賞のときが一番で、その後は玄人筋の評判は良かったものの、私にとってはピンとこない存在でした。
ダン・タイ・ソンはコンクールで燃え尽きてしまったようです。ユンディ・リーはただの雑技団です。
しかしチョ・ソンジンはそういうレベルをはるかに超えています。ピアノ界の大谷です。
技巧も素晴らしいし、音色も最高ですが、それ以上にずば抜けた芸術的センスに惚れ惚れしてしまいます。
それは英雄ポロネーズとかスケルツォの2番のようなとりとめない「駄作」から物語を紡ぎ出す、センスの絶妙さに現れています。
You Tubeで探すと韓国には芸術的センスに溢れた人たちが山ほどいます。訴えてやまない国民性が芸術に向いているんでしょうね。
「嫌韓」の方にぜひ一度見てもらいたいと思います。きっと考えが変わるでしょう。
ピアノ協奏曲第1番
ピアノソナタ第2番
チョ・ソンジンは第一次予選にノクターンの作品48の1を選びました。この曲はルビンステイン風にエレジーっぽく弾くか、ポリーニみたいに行進曲風に行くかでずいぶん印象が違ってきます。
最初からずいぶん難しい曲を選んだもので、その冒険が必ずしも成功しているとは思えません、


You Tubeにはショパンコンクールで優勝したあとのベルギーでのコンサートもアップされています。正直に言えば弛緩しきっています。このままではダメでしょう。

流石に有名曲だけあって、You Tubeでもずいぶんとたくさんの演奏が聞ける。
本日聞いたのはブーレーズ、モントゥー、ミュンシュ、レイボヴィッツ、カラヤンの旧盤と新盤、ラトル・BPO、ブラッソンというところ。この倍くらい音源がある。カラヤンの旧盤はツェラーのフルートというのが売りになっているが、You Tubeの音質はかなりの低レベル、新盤は85年のものらしいが、どうしようもなくうざったい。
ラトルの音源は05年の東京ライブらしい。何故か音がくぐもっている。一つひとつの音は素晴らしいのに残念だ。ブーレーズはいつもながら好きでない。嫌なやつだ。
モントゥーの録音は来日直前のものであろう、ステレオだ。デッカのおかげで素晴らしい音がとれている。ミュンシュの録音も引けをとらない。モントゥーはロンドン交響楽団、ミュンシュはボストン交響楽団で最高の技術水準だ。
レイボヴィッツはLPからの盤起こしで、音そのものは良いのだが低調の雑音が気になってしまう。
いろいろ聞いていると、この曲はフルート協奏曲ではなく、かなり指揮者次第で変わってくる曲だということが分かる。ワグナーを聞いているのではないかと錯覚することさえある。それはレイボヴィッツ盤を聴いていると良く分かる。
ということで、ミュンシュには悪いがこの曲向きではない。減点法で行くとモントゥー盤かなということになる。ブラッソンもとてもいいのだが、オケのレベルがちょっと物足りない。
まぁ今日はこんなところで。


レビコフのピアノ曲はリャードフやリャプノフと比べると本当に雑な作りだ。
それなりのピアニストだったら、忌避するか大げさな響きに編曲するだろう。メロディーも月並みなセンチメンタリズムだ。
ただし、中山晋平の「波浮の港」を聞いて「あぁなんていいんだろう」と思う人にはお薦めだ。
そんなメロディーが次々と湧き出てくる。そんなレビコフの真骨頂が作品8のピアノ小曲集「秋の夢」だ。
全部で16曲からなる。まず右手のメロディがあって、左手は控えめに和音を奏でる。小学生でも演奏できそうな曲ばかりだ。
rebikohu
私はアナトリ・シェルデヤコフのピアノ全曲集を買ったのでそれで聞けるが、You Tubeでは全曲という訳にはいかない。というか、ほとんど聞けない。
ソメロというひとのCDも買ったが、金正恩みたいな写真のジャケットはおよそ反芸術的な雰囲気満載だ。
“Rebikov” で検索してみてください。なんとなくハマること請け合いです。

なぜ、ダウンロードをそんなに頑張ったかというと、ベルグルンドのシベリウス全曲を見つけたからだ。
しかも音が素晴らしい。
パーボ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団のシベリウス交響曲全集は、極めつけというほかない名盤だ。まったくもって奇跡の演奏であり録音だ。イギリスの片田舎の素人に毛が生えたような楽団のはずだが、これがベルグルンドの薫陶よろしきを得て、名指揮者と有名楽団の演奏をはるかに凌駕する世紀の名演を行ったのだ。
1970年台の録音だから、アナログだし古い。しかしアップロードするに際してすごいリマスターが加えられている。
ハムとランブルを除いて、S/N比が72dbまで向上したそうだ。聞いていると最近のDDDに勝るとも劣らない。
残念ながらビットレートは最近のYou Tubeのしばりで、AAC可変レートで128kbまでに押さえられているが、大型装置で聞いても十分耐えられる音質だ。
ついでにもう一つの演奏も紹介しておく。
同じパーヴォだが、こちらはパーヴォ・ヤルヴィ、ネーメではなくて息子の方だ。オヤジもずいぶん北欧モノを振っているが、息子もその薫陶を受けたのであろう、密かに得意としているようだ。
そのパーヴォ・ヤルヴィとパリ交響楽団との第一交響曲だ。「もういくつ寝るとお正月」が第2楽章に出てくる曲だ。冒頭のクラリネットがなんともいえずとろける。バーンステインとウィーン・フィルの演奏のときもクラリネットが素晴らしかったが、こちらは甘いショコラの風味だ。ヤルヴィはタクトを胸に押し当てたままである。
第3楽章の明快でおしゃれな感覚は、終楽章のゴージャスな音色とともに、これがシベリウスであることを忘れさせてしまうほどだ。音質も良い。ぜひご一聴をお勧めする。
なおヤルヴィの演奏にはフランクフルト放送交響楽団とのものもアップされているが、こちらは凡庸で録音のクオリティーも低い。

ドヴォルザークのバイオリン協奏曲ですごい演奏を見つけた。

スーク・ノイマン・チェコフィルの演奏がとにかくひどい音で、聞くに堪えない。諏訪内さんの演奏も良いのだが、古いアップのためか音がくぐもる。

何かもう少し良いものがないかと探してみた。

Johanna Martzy

という、聞いたこともない女流奏者の演奏で、フリッチャイとRIASがバックをつとめている。1953年の録音らしい。

dvorak

DGGの正規盤だからそれなりに由緒ある録音なのだろうが、かなり聴き込んだLP(モノ)からの盤起こしで、かなりスクラッチ・ノイズが気になる。オケの音はかわいそうなくらい貧弱だ。

SERIOSO SERIOSO さんも流石に気になったのか、同じ演奏を2ヶ月後に再アップしている。こちらは同じDGGでもヘリオドール・レーベルで違う盤のようだ。ステレオと銘打っているがもちろん疑似ステだ。

もちろん、ヌヴーよりはるかに音質は良い。たぶんリマスターして出してくれれば相当の音質で聞けると思う。

とにかくバイオリンの音色に酔いしれるべき演奏だ。どこまでが演奏家の腕で、どこまでが楽器の良さなのかは分からないが、低音での繊細さと高音での天まで伸びていく輝きが有無を言わせずに迫ってくる。

クレモナの名器を使用してたらしいがさもありなんと思わせる。

気になってヨハンナ・マルツィの音源をいろいろ探してみた。一世を風靡したらしく結構な音源がある。しかし結局のところこの演奏一発の人のようだ。結局名器に足を引っぱられてしまったのか

悪くはないがちょいと臭い。ヌヴーとはレベルが違う。この人でなければという人でもない。ブルッフあたりを入れていればもう少し人気が長持ちしたのではないかと思うが。

P.S. Beulah さんという方がものすごい音質でリマスターしている。これはリマスターが専門の会社のようで、デモンストレーションとして抜粋(約10分間)がアップされている。


ロシア音楽の年表でいろいろ地名が出てきますが、どうもピンときません。
少し勉強してみました。
江戸時代もそうなのですが、俗に「偉人」という人の多くは地方出身です。地方の小エリートが都会に出て勉強し偉くなっていくというのが、この時代(封建時代)の特徴のようです。なぜそうなのか、よくわかりませんが、地方には独自の文化があってその土壌が「偉人」たちを育んだのかもしれません。地方の疲弊は国の文化の多様性を失わせ、国を衰退に導いていくのかもしれません。

それはともかく、地名を地図で探すのですが、著作権の関係なのかまともな地図にヒットしません。グーグル地図は美しくないのですが、地名検索にはこれを使うしかありません。

とりあえず全体が分かる地図を掲載します。(画面上をクリックすると拡大されます)

Russiamap

RUSSIA - EUROPEAN REALM

というサイトからの転載です。

19世紀の地図も探しています。

ありました。

Russland und Scandinavien (Russia in Europe and Scandinavia), 1873

という地図で、ありがたいことにラテン文字表記です。

15 Mb  9345x7606 px

というすごい画像で、光通信でもダウンロードに数分を要します。(ロシアのサイトなので、向こうの問題かもしれない)

こちらは細切れにして紹介します。

1.ヴォトキンスク

まずはチャイコフスキーの生まれたヴォトキンスク。ウィキには次のように紹介されています。

ウドムルト共和国の首都イジェフスクの北東50キロメートルに位置する。カマ川の支流ヴォトカ川が流れることからヴォトキンスクという。

これって分かりますか。

ヴォトキンスク

これがグーグル地図です。ボルガ河畔のカザンから東北東に直線で300キロ、東京―名古屋くらいです。

道路事情にもよりますが、馬車でも5日間でしょうか。

このヴォトキンスク、1873年の地図には名前すら載っていません。相当山奥の田舎町だったようです。

もともとこのあたりはウラルの山の中で、フィン人系の先住民が住んでいましたが、鉱山が発見され、18世紀末からロシア人が入り始めたようです。

チャイコフスキーが生まれた1840年ころには文化のブの字もなかったと思います。

現在ヴォトキンスクは人口10万を数えますが、これは第二次大戦中に重工業がウラル山中に疎開したことがきっかけになっています。戦後は弾道ミサイルの生産拠点となっており、アメリカの監視要員が駐在していたこともあったようですが、その後追放されたとの報道もあります。

最近は人口減少の兆しもあり、前途はなかなか多難と思われます。


いろんなページからチャイコフスキーのボトキンスクでの生活を辿ってみます。

ボトキンスクは鉱山の町で、父イリヤは鉱山で政府の監督官をつとめる貴族でした。といっても、家系的にはウクライナ・コサックの出で、医師であった祖父の努力によって、貴族に叙せられた家系です。

母アレクサンドラはフランス人の血をひく女性で、先妻が死別したための後妻です。アレクサンドラの祖父はフランス革命をさけて亡命してきたフランス人の貴族でした。

母はチャイコフスキー自身が近寄りがたいと思うほどの美人で、フランス語とドイツ語が達者な教養のある女性でした。ピアノも弾き、プロの歌手ではないけれど素晴らしい美声の持ち主だったといいます。

チャイコフスキーが幼い頃は父の稼ぎも良く、彼が4才の時フランス人女性を住み込みの家庭教師として迎えます。ファニー先生は勉強を教えるだけでなく、世界の歴史や童話や易しい小説を読んで聞かせ、いつも側にいて優しく見守ってくれていました。

モーツァルトのオペラやシュトラウスのワルツが大好きで、覚えた節を自分なりにピアノで弾いたりするなど音楽的才能はあったようですが、特別教育を受けた様子はありません。

彼は7歳でフランス語による詩を作り、オルゴールを聞いて一人泣いているような子どもだった。(Rimshotさん

8歳のときに一家でモスクワに出たあと、ボトキンスクに戻ることはなかったようです。

0~8歳までの時期というのは、強烈な印象を残しているものと思いますが、直接ボトキンスクの思い出を題材にした曲というのはないようです。





カティア・ブニアティシュビリというピアニストがいる。名前を憶えるのにだいぶ時間がかかった。
グルジア出身でおよそ30歳くらい。ヨーロッパでは大変な人気らしい。
たいしたコンクール歴もないが、ルックスが良い。豊かなバストでたまらないお色気だ。ムター人気と似通ったところがある。しかしこの人の見せ場はルックスではなく、ハリウッド女優も真っ青のパフォーマンスにある。
独奏は大したことはないが、コンチェルトになると俄然すごい。管楽器奏者の独奏場面では口には笑みをたたえ、目では睨みつける。「にっこり笑って人を斬る」眠狂四郎の趣きだ。
要するに“あんみつ姫”さながらのスーパーわがまま姉ちゃんなのだが、大きな瞳で見つめられてニッコリ微笑まれると、ついその気になってしまうというあんばい。これには男女の差はなさそうだ。
もちろん毎日一緒に暮らしたくはない。Never and Neverだ。

グリークをお勧めする。とくに終楽章はホロビッツの爆演を思い起こさせる。


ブラームスのクラリネット5重奏曲といえば、ある意味“暗さ”が売りの曲だ。
それをムード音楽のように演奏している人がいる。
邪道とはいえ、これが意外に良いのだ。
Clarinet Quintet in B minor, Op. 115 - Autumn mood, Johannes Brahms

というYou Tubeのファイル。
Chamber Music Society of Lincoln Center
という団体の演奏で、ライブ録音らしく終わりに拍手が入る。
クラリネットは、一瞬耳を疑うような音を出す。

しかし、それでも良いのだ。
第一楽章の第一主題はスローなワルツだ。「うーむ、そうか」と納得してしまう。

だいたいこの曲の演奏はクラリネット奏者の名で呼ぶことが多い。ウラッハ盤とかライスター盤という具合だ。しかし、この演奏ではクラリネットは5重奏の1メンバーで、タクトは第一バイオリンが握っている。
それが良いのだろう。こちらはブラームスを聞きたいので、ライスターを聞きたいわけではない。
この線で、もう少し上手いグループが演奏してくれないだろうか。






マレー・ペライアのゴールドベルク変奏曲を聞いている。

ずいぶん色々聞いてきたつもりだが、やっぱりこれしかない。

と思って、ついに買う決意をした。

と思ったら、アマゾンで三種類も出ている。

① MURRAY PERAHIA THE FIRST 40 YEARS Box set

これがなんとCD73枚組で2万6千円。

流石に「うーむ」と唸る。生きているあいだに全部聞けるだろうか。

MURRAY Perahia AWARDS Collection Box set

これはCD15枚。なんとかなりそう。値段は4234円という中途半端なお値段だ。タワーレコードでは3622円になっている

MURRAY PERAHIA PLAYS BACH CD, Import, Limited Edition

これがCD 8枚。もちろんゴールドベルクも入っている。3369円。

これは②で決まりだね。

長年、ソニーで録音していたペライアがグラモフォンに移籍して、腹いせにソニーが投げ売りしているらしい。

 

 

スメタナSQ の3つのドヴォルザーク:ピアノ5重奏曲

それほどの曲とも思わないが、たまたまYou Tube で現役盤以外の二つの演奏を聞くことができた。

みんなピアニストが違うので、しゃべるには分かりやすい。

最初がシュテパンというピアニスト。これは60年代に出たスプラフォン盤らしい。

次が、1978年にヨセフ・ハラのピアノによる演奏。これは1978年11月18日、新宿厚生年金会館でのライブ録音。最後に拍手が入る。

この2枚目については「私のクラシック」というブログに経過が詳しく書かれている。

そして現在現役盤となっているのがパネンカとの共演。1996年日本でのスタジオ録音らしい。

なぜこんなことを書くかというと、私はあまりスメタナ四重奏団の演奏が余り好きでないからだ。

ゲスの趣味だが、どちらかと言えば私は朗々と歌ってほしい。

靴下の上からくすぐられても、余り感じないのである。

最初の頃、「スメタナは録音に恵まれていない」と思っていたが、そればかりでもないようだ。

それになんと言ったって、結成が1942年。ナチス支配下のプラハである。

正直言って結成(96-42=)54年を経たロートル軍団に緊張感など求めようがない。

というわけで、このやや冗長な5重奏曲を緊張感をたたえながら弾ききるのは無理だろうと思う。

聞けばわかると思うが、You Tubeでしか聞けないだろうが、60年代のシュテパンとの演奏が一番良いのだ。

シュテパンというピアニストがよいのだ。節度を保っているが、決して伴奏者の位置に留まってはいない。

どうせすぐ消えるだろうが、一応リンクはしておく。

Dvořák - Piano quintet n°2 - Smetana SQ / Stepan

Dvořák - Piano quintet op.81 - Smetana SQ / Hála

ついでに、私の好きな演奏はこちら

Dvorak, Piano Quintet No 2, Op 81, Juilliard Quartet, Rudolf Firkusny, Piano

フィルクスニーは好きなピアニストで、ドヴォルザークのピアノ協奏曲が良い。

つまりは、新世界交響曲をチェコフィルで聞くかニューヨークフィルで聞くかという趣味の問題。


「パガニーニ弦楽四重奏団」というアンサンブルがあったようだ。恥ずかしながら、いままで知らなかった。
名前からしてちょっと怪しげだ。安売りCDの発行元が適当につけた名前かと思わせる。
それがベートーベンの四重奏曲を録音している。
聞きはじめの音からしてひどい。くぐもった音を人工的にいじって、強音はハウリングしまくりだ。
しかししばらく我慢して聞いていくと、「おやっ?」ということになる。
まずとにかく技巧がすごい。第1バイオリンがすごいのだが、他のパートがそれを支えるのではなく、逆に押し込んでくる。ジャズで言うグルーヴ感である。
歌心があって、こんな曲(失礼)でも面白く聞かせる。「ブッシュやブタペストでないと」、という人が聞いたら目をむくだろう。線香の匂いの代わりに艶っぽい香水の匂いがする。
解説文(発売元の自賛)から引用する。
1940-60年代のアメリカで活躍した名門アンサンブル団体、
1946年にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集をリリースしたことを皮切りに、RCAVictorレーベルの下で弦楽四重奏曲の録音を数多く残した。
アンリ・テミアンカ(ベルギー生まれ)によって1946年に結成された。
ブッシュSQ、カルヴェSQ、レナーSQ、ブダペストSQといった戦前の歴史的な弦楽四重奏団と、ジュリアードSQといった戦後のアンサンブル団体のちょうど間にあたる。
団体名の由来はパガニーニが選んだ4つのストラディヴァリ(2Vn,Vla,Vc/通称パガニーニ・カルテット)に由来しています(現在、このパガニーニ・カルテットの楽器は東京クヮルテットが日本音楽財団の貸与で使用)。
芯の通った溌溂とした音色が素晴らしく、激しいパッセージにおいても揺るがぬ堅固なアンサンブルに圧倒されます。
別の情報によると、
1935年のヴィエニャフスキ国際コンクールで、ヌヴーがオイストラフを抜いて優勝した時、テミアンカは3位だったみたいです。
とのこと。
ヌヴーがオイストラフに勝った話は耳タコですが、一発勝負で勝っても、そりゃオイストラフが上でしょう、と、個人的には思っています。
まぁとにかくテミアンカがそういうレベルの人だったということ。

追補
パガニーニSQの演奏はリマスターされてCDで聞ける。You Tubeではベートーベンの1番がアップされている。音はすばらしくなっている。
135を初めて聞いたときの印象は多少薄まるが、グルーブ感の濃厚さは相変わらずである。どうしても時代的にはチャーリー・パーカーのビバップを連想してしまう。クラシックでいえばブタペストとジュリアードのあいだ、ジャズでいえばベニー・グッドマンとマイルス・デイビスのあいだである。
国際政治でいえば、終戦直後から冷戦・赤狩りが始まるまでの、世界中がワクワクしたつかの間の数年間、その遺産として受け止めたい。

追補
パガニーニSQの演奏はリマスターされてCDで聞ける。You Tubeではベートーベンの1番がアップされている。音はすばらしくなっている。
と書いたが、間違いであった。
全曲が聞ける。
ただしいつまで聞けるかは保証の限りではない。
もしブッシュSQとブタペストSQを持っているなら、どちらかを捨ててこちらに乗り換えるようお勧めする。
ついでに
著作権切れのせいか、最近スメタナSQの音源が出回るようになっている。こちらも見つけ次第ゲットするようお勧めする。「違法と知りつつダウンロードする」のでなければ違法ではない。

「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選  改訂増補版 その3

2017年07月15日

カリンニコフ 1866年~1901年 

カリンニコフはこれまでの作曲家とは異なり、無産階級の出身(父親は田舎巡査)である。

1884年にモスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに数ヶ月で退学した。

その後モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校で勉学を続けた。食うために忙しかったらしい。卒業したのは8年後のことだった。

92年にチャイコフスキーに認められ歌劇場の指揮者に抜擢されるが、ほどなく結核が悪化し断念。その後は死ぬまで保養地を転々とした。

ラフマニノフも出版を斡旋するなど生活維持に貢献したと言う。

以下の3曲はいずれも療養中のものである。

67 悲しい歌 1893

5拍子の短い歌。カリンニコフのピアノ曲としては最も知られているかもしれない。「雨降りお月さん、雲の上」と同じメロディである。

68 エレジー 変ロ短調 1894

この人はおそらく上流階級が持ち合わせない、ロシア的なメロディーを体に染み込ませていたのではないか。

それをうまく使いこなす技法を音楽学校で学んだのだろう。何分にも情報が少なく、感想的なことしか書けないが。

69 ワルツ イ長調 1894

しゃれたワルツだが、中間部はちょっと泥臭い。この曲まで入れる必要はなかったかと、ちょっと後悔している。

 

レビコフ 1866年~1920年

70 Op8_9 マズルカ イ短調 

おそらく毀誉褒貶、相半ばする人だと思う。私はたとえスベニール曲の作家であるにせよ、もっと位の高い人だと思うが。

モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも通ったことがあるらしいが、主たる勉強の場はベルリンとウィーンで、国内の作曲家の人脈とはあまり接していない。これが人気の上がらない原因かも知れない。

メロディーは大変美しい。ただ曲作りがきわめてシンプルなだけに、演奏する人の思いや手腕によってまったく印象が変わってくる。旅回り一座の台本みたいなものだ。

この曲は強弱とルバート、テンポの揺らし方が命の曲である。

71 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

これも同様のことが言える。とにかくメロディーの美しさには心奪われるものがある。

72 Op10_10 ワルツ ロ短調

上に同じ。

シェルデャコフ盤をお勧めする。ソメロは勧めない。金正日顔が気に食わない(と言うのは冗談)。レビコフは無調音楽の方に興味があり、先駆的な試みをしている。ソメロはその種の曲の方に興味が向いているようだ。

73 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

レビコフの同様の曲の中ではもっとも有名な曲で、比較的演奏される機会も多い。

74 Op29_3 秋の綴りから コン・アフィリツィオーネ

この曲はモスクワ室内楽団の弦楽合奏版が良い。

まぁ、この5曲を続けて聞いたら、理屈は不要になる。

75 秋の花々_1 モデラート

この曲集には作品番号がない。

76 秋の花々 アンダンテ

最後の2曲は多少落ちる。しかし雰囲気はある。

本来ならValse Mélancoliqueを入れなければならないのだが、どうも住所がよく分からない。作品2説と作品30説がある。

シェルデャコフのCDは、3枚組のくせに作品2も作品10も作品30もふくまれない。クソ欠陥品であるのか、真偽に疑いが持たれているのか。

当面真偽がはっきりするまではベスト100入りは保留する。

 

スクリアビン 1872年~1915年

77 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

作品番号1をこの単品のワルツにつけた理由はよく分からない。

84年(12歳)からズヴェーレフの音楽寄宿学校でラフマニノフらと共に学ぶ。モスクワ音楽院への正式入学は88年だから、習作に近いものだろう。

これと言ったひらめきは感じられないが、よくできたきれいな曲である。

78 ワルツ 嬰ト短調 1886年

作品番号はついていないが作品1の翌年の曲である。はるかに魅力的である。こんな曲は一生のあいだに何曲も作れるものではない。

79 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

これはスクリアビンの最高傑作(の一つ)であり、ロシア・ピアノ音楽の最高傑作の一つである。すでにショパンを越えている。

この時スクリアビンは未だ15歳。モスクワ音楽院にも入っていない。もうやることがないではないか。

80 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調 1988

作品3は音楽院に入った年から翌年にかけて作られた。すべてが良いのだが、ここでは3曲をえらんでおく。

81 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調

ショパンのマズルカの基準をしっかり守り、マズルカとは何かというところまで踏み込んでいく。

どうでもいいが、スクリアビンが信頼したと言われるフェインバーグの演奏はかなりマズっている。この人のバッハ・平均律を聞けば、羽目をはずしたロシア人が何をするか良く分かる。

82 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

リャードフもショパンの真似は非常にうまいが、しかしスクリアビンはモノマネではなく。ショパンになりきり、それをどう発展させるかと考えているように見える。

ある意味怖いところがある。

83 Op8 12の練習曲 第1番 1894

作品3からいきなり6年跳ぶ。

この間いろいろあった。もう音楽院は卒業している。Rコルサコフやベリャーエフの知遇を得たと言うから、ペテルブルクに出たのか。

そして92年に猛練習の結果、右手首を傷める。

相変わらず音はクリアーなのだが、どうもピアニズムの方に行ってしまったようだ。

音はさらに多彩になり、リズムは細かく刻まれる。はたしてそれがショパンの本質なのか。

84 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

12の練習曲の最後は、ショパンなら「革命のエチュード」である。スクリアビンもそれに従って、それっぽい曲を作った。

85 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

右手首を故障したスクリアビンは左手で練習を続けた。

その時の作品がこれである。

86 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

作品9はたんなるゲテモノではなく、スクリアビンを代表する作品の一つとなっている。

87 Op11 24の前奏曲から第11番 ロ長調 1895

24の前奏曲は数年がかりで書き溜められて97年に発表されているが、この曲は95年のもの。

美しく屈託がないが、このような雰囲気はその後影を潜める。

88 Op12_2 即興曲 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

アンダンテ・カンタービレとは言うものの、あまりカンタービレしない。

この曲のあと、次第にスクリアビンは非ショパン化、断片化、無調化していく。そして奇しくも、喧嘩別れした師アレンスキーと同じ43歳で死んでしまう。以降は割愛する。

スクリアビンの病跡学についての和文献はネット上には見つからない。多分統合失調絡みと思うが。
もう少し探してみる。

 

ラフマニノフ 1873年~1943年

89 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

ラフマニノフは没落貴族の息子で、父親とは生き別れた。ペテルブルクの音楽院の予科に入るが、素行不良で放校となり、モスクワ音楽院に横滑りした。

そこでも、ピアノ教師がスパルタ式だったことからケンカ別れしている。優等生のスクリアビンとは対象的である。

幻想小曲集は1892年、19歳の作品である。この人が作品番号を付けるのは割りと遅く、卒業制作のピアノ協奏曲第1番が作品1となっている。

それより前からかなりの作品があるようだが未聴である。ただ、スクリアビンが統合失調なら、この人は典型的な双極性障害であり、だめな時はだめだから、意外と大したものはないかもしれない。

この曲はのっけからラフマニノフ節炸裂である。冗舌なのも最初からのようである。

90 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

ピアノ曲の中でもっとも有名な曲。クレムリン宮殿の鐘の音がモチーフになっている。

ヨーロッパやアメリカでラフマニノフの名を一気に高めたと言う。

まぁショパンではないな。

91 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

これまたド派手な曲で、2台のピアノから繰り出される音量は凄まじい。アックスとブロンフマンという肉体はコンビで聴くと、その迫力に圧倒される。

93年の初演で、チャイコフスキーに捧げられている。しかしその直前にチャイコフスキーは急死している。

本筋とは外れるが、チャイコフスキーの死を悼んで作られたピアノ三重奏曲は、ラフマニノフ最高の傑作である(と思う)。

92 Op.16_3 楽興の時 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

もろにロシア人の叙情で、ブレスの長さはいささか持て余す。

「幻想的絵画」から3年経った96年の作で、すでに少し落ち込んできているのかもしれない。

93 Op.16_4 楽興の時 ホ短調

ショパンの作品25の練習曲みたいだが、こちらは左手でとんでもないスピードの分散和音を弾き続ける。

94 Op.23 前奏曲第2番 変ロ長調

いったん落ち込んだラフマニノフがふたたびハイになった1903年の作品で、低音部の連打が迫力満点である。

これはリヒテルの59年録音にまさるものはない。

95  Op.23 前奏曲第3番Op23 ニ短調

こちらはちょっと野卑な感じがあるので、「ショパンたち」に入れるのをためらったのだが、ワイセンベルクの演奏があまりにも見事なため、つい入れてしまった。

本当は4番を入れたかったが、100曲に余る。

96  Op.23 前奏曲第5番 ト短調

これも上と同じ理由。59年のリヒテル盤に脱帽。

リサイタルのライブ録音がたくさんあるが、ミスタッチなしに弾ききった人を見たことがない。なかには終盤惨めに自爆した人もいる。

なおこの曲だけは1901年の作曲。

97 Op.34 No14 ヴォカリーズ 嬰ハ短調

ここから先はだんだん、ラフマニノフのうざったさが鼻についてくる。2曲だけ拾っておく。

これはラフマニノフのオリジナルではなく、管弦楽付きのソプラノ独唱を編曲したものである。

98 Op.39 「音の絵」No_2 イ短調「海とかもめ」

後期ラフマニノフには珍しく、お茶漬け風味。鉛色の空を飛ぶかもめ。

私はなんとなく中野重治の「さよなら女の李」を連想してしまう。


グリエール 1875年~1956年

99 悲しきワルツ 作品41の2

最後の2曲となった。はじめはグリエール。長生きした人だが、基本的には最後のロシア・ロマン派である。

スクリアビン。ラフマニノフと聞いた後だとほっとする。

写真を見るとブレジネフ顔だが、人種的にはロシア人ではない。ドイツ人とポーランド人の間に生まれた。生地もキエフである。ついでに言えば平民の出身でプロテスタントであった。

しかしその作風は強烈なロシア主義だ。この曲もいかにもロシア風だ。2台のピアノのための6つの小品の第2曲となっている。


スタンチンスキー 1888年~1914年

100 夜想曲 1907

26歳で死んだ人で、作風からすればもうロシアロマン派を外れるのだが、そういう曲もあるということで…



ということで、かんたんなコメントを入れるだけで1週間もかかってしまった。

しかも、欲求不満が溜まってしまう。事実の不足が感情的表現に補われている。まず上げておいて、あとで編集することにする。

ひょっとすると曲目変更があるかもしれない。


「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選  改訂増補版 その2

2017年07月15日

アレンスキー 1861~1906

34 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

何と言ってもアレンスキーの代表曲である。4本の手20本の指が必然性をもって動いていて、無駄がない。

アレンスキーについては前の原稿で目一杯書いたので、詳しい紹介はしない。

35 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

前の原稿では2曲めのワルツをとってこちらを捨てたが、その前は3曲めになっていた。面倒なのでそのままにする。

皆さんには3曲通しで聞いていただきたい。

36 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 1.学者

学者(音楽学者)をからかっているような題だが、実は真面目に対位法を展開している。ジュノバとディミトロフというブルガリア出身のドゥオが真面目に演奏していてこれがいい。

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

この曲ではクームス盤のほうが華やかで軽やかだ。ジュノバとディミトロフは逆に重い。しかし立派な演奏だ。

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

クームスのCDでは「バレリーナ」(La Danseuse)となっているが、曲の作りは「ホタ」だから「踊り子」のほうがいいと思う。ズシズシと床がきしむような曲である。

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

アンダンテ・ソステヌートでロ長調となっている。楽譜を見たわけではないが、黒鍵だらけだろう。

40 Op.25 4つの小曲から No.2 夢想

アンダンティーノでハ長調となっている。演奏家にとってはずいぶん感じが違うだろう。

この2つはピアノ独奏曲としてはアレンスキー最良の曲と思う。

作品19の1と作品24の2は、良い音源がないため割愛した。

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード(Logaèdes)

この小品集ではこの曲だけが良い。アレンスキーの曲でいいのは、こういうふわふわの曲だ。

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

この曲はほとんどショパンだ。

41と42のあいだで2台のピアノのための組曲(作品33)の第6変奏スケルツォをパスしている。作品36の「24の性格的作品」以降のピアノ作品のほとんどをスルーしている。

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

この時期アレンスキーは絶不調である。この第8曲だけがかろうじて精気を保っている。

この曲にするか、作品53の5曲目「ロマンス」にするか迷ったが、取り替えるのも面倒なのでそのままにする。

44 練習曲集 Op74_6 プレスト(ニ短調)

結局アレンスキーからの選曲が難しくなったのは、作品74を聴いてしまったからである。

最近奇特な人が現れて、作品74の12曲を完全アップロードしてくれた。お陰で、100曲ギチギチに詰まっていた中から3曲も削らなくてはならなくなった。

本当はもっと入れたいのだが。

45 練習曲集 Op74_7 アンダンティーノ(変ホ長調)

とにかく音の響きが分厚く、まったく別人である。ソノリティーは完全にラフマニノフのものだ。

46 練習曲集 Op74_12 アレグロ・モデラート(嬰ト短調)

これがアレンスキーの「白鳥の歌」だ。売れなくなったアイドルが裸になるのとは違う。

もう少し生きていればという感じがする。

リャードフ  1855年~1914年

47 Op.9 2つの小品 1ワルツ ヘ短調 1884

アレンスキーより6つ年上で、活躍を始めたのも少し早いが、息の長い作曲家で、全盛期は少し後ろになる。

これは83年の作品で1曲めがワルツ、2曲めがマズルカとなっている。完全にショパン書法で書かれている。

5人組の後継者とされているがそのような雰囲気はない。なお、アレンスキーもリャードフもRコルサコフの「不肖の弟子」とされている。

48 Op10_1 前奏曲 変ニ長調 1885

この人の曲はとにかく短い。あっという間に終わる。この曲が1分45秒。俳句みたいなものだ。音も割りと節約している。

これがあのトルストイやドストエフスキーを生んだ同じ国の人とは信じがたい。名前まで簡素である。

49 Op.11_1 前奏曲 ロ短調 1886

これがリャードフの代表作。今度は完全にロシア音楽の世界だ。職人技を体得している。

50 Op.23 小品「湿地にて」ヘ長調 1890

ちょっと制作背景は分からないが、ロシア民謡を主題にした舞踊音楽のようである。

51 Op.32 ワルツ「音楽の玉手箱」1893

リャードフでもっとも有名な曲だ。そのためにその手の作曲家と見られている側面もある。

どうでも良いが、Snuff Boxというのは「嗅ぎタバコ入れ」のことで、おそらくオルゴールが内蔵されているのだろう。

ゼンマイが止まってしまう、という演出もある。プレトニョフがアンコールで派手にやっている。

ピティナによると親指酷使曲だそうだ。

52 Op.36 3つの前奏曲 第2番 変ロ短調 1895

またもショパンもどきだ。本物よりうまい、というところがすごい。しかしわずか1分だ。

53 Op.37 練習曲 ヘ長調 1895

「ロシアのショパンたち」にふさわしい曲が続く。これもショパンそのものだ。この人はひょっとすると贋作作家になれるのではないか。

54 Op.38 マズルカ ヘ長調 1895

フランスの香りさえ漂う。しかし終わりにかけてはロシアっぽさが顔を覗かせる。

意外に長いと思うが、これでも3分20秒。

55 Op.44 舟歌 嬰ヘ長調 1898

5分30秒というリャードフにすれば超大作。展開部の盛り上げ方は見事なものだ。やればできる。

youtubeではニコラーエバの名演が聴ける。

56 Op.57-1 前奏曲 変ニ長調 1900

作品57の3つの小曲は1前奏曲 2ワルツ 3マズルカよりなる。ベリャーエフから出版されている。

この頃は作れば売れるという恵まれた環境にいたはずだが、それでこんなもの。これが2分30秒で、次のマズルカは1分20秒。

57 Op.57-2 マズルカ ヘ短調 1905

ひどい話で、1曲めを書いたのが1900年、3曲めがそれから5年後、発表されるのがさらに1年後だ。

58 サラバンド ト短調 1899

作品11とほぼ同じ頃作曲された。作品番号はついていないがちゃんと発表されているようだ。

見事なバッハだが、さすがに恥ずかしかったのだろうか。

こうやって書いていると、リャードフは寡作家だったように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。

ラペッティの「リャードフ・ピアノ曲全集」はCDで5枚組だ。チャイコフスキーの7枚組には負けるが、かなりの量である。

買うには買ったが、聴き切ったという自信はない。ひょっとすると未だ掘り出し物があるかもしれない。

前も書いたが、キキモーラは必聴です。ストラビンスキーがリャードフをパクったということがよくわかる。リャードフもRコルサコフのパクリと言えなくもないが。とにかく器用な人だ。

リャプノフ  1859年~1924年

59 Op.1 No.2 間奏曲 変ホ短調 1887

この人は世間的には超絶技巧練習曲をのぞいてほとんど知られていない。

モスクワ出身者はみな和音が分厚く、曲が長い傾向がある。

つまりやや野暮ったいということだが、この人の特徴は多彩でありながら透明度を失わない和音の美しさにある。

ここまでで初めて登場するモスクワ音楽院の出身者である。しかし卒業後はペテルブルクに出て、そちらの教授になっている。

バラキレフの追随者と目され、最後までバラキレフの面倒を見た。たしかにバラキレフっぽい作風だ。

この曲は作品番号は1番だが、この時すでに29歳になっている。かなり遅いスタートだ。それまでモスクワにくすぶっていたようだ。

60 Op.1 No.3  ワルツ 変イ長調

ショパンというよりチャイコフスキーのワルツかもしれない。そこはかとない暗さがある。

61 Op.6_6 前奏曲 ヘ短調 Andantino Mosso 1895

1分38秒という短い曲だが、ロシア風の感傷に満ちている。

62 Op.8 ノクターン 変ニ長調

単体で発表されている。それだけ力を入れたということであろう。演奏時間も7分に達する。コンサート会場で聞けば映えるのであろう。

出だしのメロディーは美しいが、展開部がやや胃もたれする。そういうところはラフマニノフ風である。コンチェルトでも書く気分なのかもしれない。

リャードフなら3分の1に縮めるだろう。

63 Op.11 超絶技巧練習曲 第3番 鐘 1901

誰が聞いてもラフマニノフの鐘を思うかべるだろう。ラフマニノフの曲は1892年の作曲。それから9年後だからリャプノフが知らないわけはない。

しかしそれを承知で書きたかったのだろう。

64 Op.11 超絶技巧練習曲 第6番 嵐

この曲は第3番より3年も早く完成されている。そのまんまの情景である。

まぁ、超絶技巧の練習が目的なんだからしょうがないか。ロシアのショパンと言いながらだんだんかけ離れてきたようだ。

65 Op.36 マズルカ 第8番 ト短調

同じマズルカでもおよそショパンらしくないマズルカだ。リャプノフはバラキレフとともに地方に採譜に出かけたりしており、ナマのマズルカを耳にしたかもしれない。

そのイメージをそのまま膨らませて曲に仕上げたのであろう。これはこれでよい。

66 Op.57 3つの小品 第2曲 春の歌 イ長調

あとはズルズルと創作力が落ちていく。それが人生の最後近くになって、なんともしみじみとした曲を残した。

それが1913年に発表された3つの小品の一つ、「春の歌」である。あの重々しい左手の低音は消え、サラサラと曲が流れる。

それに乗せてなんとも懐かしいメロディーが小川のように流れていく。私としてはリャプノフ最高の曲にランクしたい。


アレンスキーのピアノ小曲を聴く

かなりの数がある。聴くことのできない曲も多い。
曲そのものは平易で、スクリアビンと違って聴くのに苦労することはない。

作品1はカノン形式の6つの小品 (1882)と題されている。コウドリアコフの演奏で聞ける。この中では1曲めの「同情」、3曲めの「行進」が良い。

彼はこの年にペテルブルク音楽院を卒業し翌年にはモスクワ音楽院の講師となっている。

作品8はスケルツォ 変ホ長調の単曲となっている。珍しくチッコリーニの演奏で聞けるが、別に面白いものでもない。

そして1890年に作品15のピアノ組曲が誕生する。29歳というのは比較的遅咲きにも見えるが、その前はかなり長い精神的な落ち込みがあったらしい。

作品15は2台のピアノのための組曲で、これが第1番。第1曲ロマンスはアレンスキーの代表作の一つ。第2曲ワルツもシャレている。第3曲ポロネーズは2台のピアノが大活躍する壮大な曲だが、一人で書斎で聴くには少々うっとうしい。

作品19の3つの小品は、第1番の練習曲のみが聞ける。ショパンの「革命のエチュード」を思わせる佳曲である。もっと演奏されてもよいのではないか。

作品20の前奏曲集は1番のみが聞ける。Bigarruresと題されているが意味が分からない。英語圏の人も苦労しているようだが、とりあえず「極彩色」としておく。ラベルの水の戯れを思わせる曲だが、あえて聞くほどのものではない。

作品23は2台のピアノの組曲第2番。「シルエット」と題されている。作品15の成功に味をしめて作ったものだろう。第1曲は「学者」と題されバロック風の雰囲気でまとめられている。ジュノバとディミトロフの演奏がよい。
3曲め「道化」はこの組曲で一番の佳曲。第5曲「踊り子」はホタのリズムが続いたあと、曲集のフィナーレとなる。

作品24の2つのスケッチは2曲めが良い。まどろむようなメロディーから始まり、悲しみをたたえた第二主題に移行する。良い音の音源がないのが残念だ。

作品25の4つの小曲は1曲めの即興曲がアレンスキーお得意の癒し系音楽だ。2曲めの夢想も出だしの旋律がしびれる。3曲めの練習曲は、曲の最後に「あれっ?」という節が出てくるが、それだけ。4曲目はつまらない。

作品28の小曲集は「忘れられたリズムに寄せて」という副題が付けられている。古いロシアのリズムを集めたものらしい。全部で6曲からなるが、1曲めのLogaèdesはソフトなせんりつで、リズムは普通の4拍子だ。2曲めのPeonは8分の6拍子の速いテンポ。あとの4曲は面白くない。

作品33は、2台のピアノの演奏だ。今度は変奏曲仕立てになっていて主題と9つの変奏から構成される。しかもそれぞれの変奏が舞曲になっているという凝った仕掛けだ。
そのわりには面白くない。面白いのは第6変奏のスケルツォくらいだ。最後の三曲は明らかにショパンのもじりだ。

この曲の前が有名なピアノ三重奏曲だ。エネルギーを使い果たした感じもする。

作品34は子供向けの連弾曲集である。2本の手でも弾けてしまうほど容易な曲だが、意外と面白い。1曲め「おとぎ話」と2曲め「かっこう」終曲「ロシアの主題によるフーガ」が良い。

それにしてもアレンスキー、1894年は書きまくっている。ぐうたらリャードフに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。

作品36、24の性格的作品も94年のものだ。ただし、この曲集はスカが多い。16曲目のエレジーまで聴く気がしない。エレジーもアレンスキーらしくないできだと思う。17曲「夢」、18曲「不安」もよどみ感がある。20番「マズルカ」に至ってようよう乗ってくる。しかし22曲タランテラは出だしはいいのに変な方に行ってしまう。お疲れのようだ。

このあとは96年に練習曲、98年に3つの小品くらいでほとんど作曲はストップしてしまう。

作品41の練習曲は4曲からなる。アレンスキーらしさが戻っている。1曲目の変ホ長調は柔らかく美しい。2曲めも美しいがひらめきはない。3曲めの変ホ短調はベートーベンの悲愴を思わせる佳曲である。4曲目はどうでも良い曲である。

作品42の3つの小品は音源がない。

作品43の6つのカプリースはクームスの演奏で聞ける。第1曲イ短調は作品36のタランテラと同じで、着想は良いのだが発展力が落ちている。第2曲イ長調もとりとめがない。ほかも同断である。

作品46「バフチサライの泉」は特段面白いものでもない。

世紀が変わって1901年、作品52の「海の近くで」という6つのスケッチが発表されている。これも面白くない。同じ年作品53の6つの小品も書かれた。この中では第5曲ロマンスが(だけが)良い。ニコラエーバの演奏がさすがである。
ただアレンスキーの持つ軽やかさが感じられずラフマニノフっぽい。

作品62は2台のピアノのための組曲(第4番)である。第4曲目は「フィナーレ」と題されゴージャスな作りである。

アレンスキーは1861年の生まれだから、20世紀を迎えた時点で40歳。すでにラフマニノフとスクリアビンの時代に移っている。そしてその6年後には亡くなる。

作品63の前奏曲は全12曲だが、そのうちいくつかをYou Tubeで聴くことができる。1曲め(イ短調)は短いが緊迫感のある曲である。12曲め(変ニ長調)もアレンスキーらしさが出ている。しかし取り立てて言うほどのものでもない。

作品65は2台のピアノのための組曲(第5番)である。子どものための組曲と題され、簡素な作りとなっている。子供のためとはいえまったくひらめきがない。どういうわけか最終曲の「ポーランド風に」だけがキラキラ光っている。

作品66はピアノ連弾のための小品集で全12曲からなる。小粒でシンプルだが、1曲めのプレリュード、4曲目のメヌエット、5曲目のエレジー、8曲目の行進曲など往年の面影が戻っている感がある。

作品67の6つのアラベスクは、第2曲ビバーチェや第6曲アレグロリソルートなど新たな響きが持ち込まれている。必ずしも成功しているとは言い難いが。

そして最後が死の半年前の作品74、12の練習曲である。これはまったくの謎である。どうしてこんな曲を書いたのか、書けたのかが分からない。

ここでのアレンスキーはまったくの別人である。第1曲でいきなり完全復活が告げられる。和音は新味が感じられる。第2曲、第3曲はくっきりした旋律線と優しさが印象的である。第4曲は信じられないくらいの分厚いスクリアビン風和音。第5曲のラベル風のアルペジオ、6曲目プレストの調性外し、第7曲アンダンティーノの美しい旋律とこれまでにない和音進行、第9曲のシューマン風、第10曲の推進力、11曲、12曲の力強い旋律線…、まさしく奇跡の12曲だ。

これまできれいごとでやってきたアレンスキーが、初めて自分をモロに出して、意志的な音楽を作り出した。

その瞬間に早すぎる死を迎えたのはまことに痛ましいことだが、死を目前にして初めて意志を明らかにしたとも言えるし、元気だったら相変わらずつまんない曲を書き続けていたかもしれない。そのへんはなんとも言えないのだが、せめてあと1年あればあと一つ書けたのではないかと思う。

ということで、アレンスキーを作曲順に眺めてみると、これだけピアノ曲を書いているにも関わらず、この人は管弦楽・室内楽志向の人だということがあらためて感じられる。
やはり最高傑作はピアノトリオだろう。弦楽四重奏も欠かせない。この人にとってピアノは息抜きないし営業用という感じがする。







をさらに増補します。

今回のネタ本は

1.ヴェ・ヴェ・ウスタソフ 「国民音楽論…ロシア楽派の歴史」という本で、1883年の出版です。スターソフは5人組のイデオローグとして活躍した理論家です。ムソルグスキーの死を契機に書かれたもので、ムソルグスキー以外はみんな体制派になってしまったと嘆いています。

この本は1955年に三一書房から邦訳出版されています。はたしてこんな本が売れたのでしょうか。

同時代性は面白く、あんなに過激な論客だったキュイが最近は体制に妥協してしまったと嘆いたりしています。

その一方、キュイの音楽作品は最近ずっと良くなって来た。スケルツォと間奏曲はなかなかのものだと評価しています。これは作品20の「12の小曲」と作品21のピアノのための組曲(全4曲)を指しているのでしょう。これについては私も同感です。

2.ジェームス・バクスト(森田稔訳)「ロシア・ソヴィエト音楽史」はずっと新しい本で、1971年に音楽之友社から発行されています。

今回の増補分は主にこちらからのものです。

いつもこうなのですが、引用文献の数が重なってくると相互の齟齬が出てきます。1~2年位の幅で前後関係があります。
そうするとこの間に起きたできごとについて、相対的な前後関係を明らかにすることが困難になります。それは原因と結果という関係のこともあるので、けっこう悩んでしまいます。
とりあえず年表ではそのままにして「文章化」の方で調整をかけたいと思います。




五人組とルビンシュテインの論争に関する、チャイコフスキーの結論。

「無題の器楽曲を作るのは、純粋に叙情的な過程です。それは抒情詩人が詩によって自己を表現するように、音によって心中を打ち明けることです」

みごとに音楽的過程を言い当てていると思う。彼はこの結論を得たあと、標題音楽についても論を及ぼす。

「すべての音楽は標題的です。叙情的作品の場合は作曲家の喜びや苦しみの感情が標題です。しかしその標題は(あえて掲げる)必要がないし、不可能でもあります。これに対し作曲家が外的な刺激を受けて、その霊感を音楽によって表現する場合は標題が必要です。どちらも存在理由を持っています。どちらかを排他的に認めることなどできません」

これも素晴らしい。「標題」を視覚的刺激に留めることなく、より本質的に規定することで、論理の色を抜け出す。

結局、「叙情的な過程」というものが作曲の核心に存在し、それは音楽以外のすべての芸術的過程と共通するものだということになる。

「情」というものを、たんなる刺激の反映ではなく、内的に湧き起こる能動的な力だと理解すれば、叙情か標題かという対立は無意味なものになる。

では内的な力がすべてで、外的な刺激はたんなるきっかけにすぎないのか。そうではない。外的な刺激はそのものが力を持っている。だから外的な力が強い時は、内的な力との合作になる。

これで作曲過程における叙情と標題性の性格は構造化された。ただそれで話は済むわけではない。相争う両派からは折衷派と非難されるかもしれない。

そこでチャイコフスキーは「何のための叙情性であり標題性なのか」を押し出す。

「私の音楽を愛し、そこに慰めと支えを見出してくれる人々の数が増えることを、私は心から願っています」

つまり、出来上がった作品は他の人々にとって「外的刺激」なのであり、その人々の内心に働きかける力なのである。美しい景色や優れた詩のように、心に感動を与え、内的な力を産ましめるように、作品に魂を与え命を吹き込まなくてはならない。

ただ、論争としてはこれで決着がつくのだろうけれど、バッハやビバルディーのような「職人技」の音楽については別な議論が必要になるかもしれない。

(引用はバクスト「ロシア・ソヴィエト音楽史」より)

2017年07月15日


2016年10月30日に 「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選 を投稿した。

それから1年も経たずに改訂版を投稿する。前回の時点ではスクリアビンがしっかり聞けてなかった。また同時代のリムスキー・コルサコフ、グラズーノフなどなどもカヴァーしていなかった。

一応それらも聞いてみたが、結局カリンニコフ、グリエール、スタンチンスキーのほかは取り上げるほどのものはなかった。管弦楽や室内楽の才能とピアノの才能は少し違うらしい。

作曲家別に、おおよそ古い順に並べていく。とは言っても、ほとんどが1885年から2005年にかけての20年間の間にほとんどの作品がかたまっているので、あくまで便宜上のものと考えてほしい。

無調(に近い)の作品は除外した。楽典とか演奏には素人なので、難しいか平易かはいっさい配慮していない。「メロディーいのち」である。

今回は、曲目紹介に私的な感想は入れないと心に決めている。多くはPTNA(ピティナ)の解説の要約であるが、これでは足りないので英語の文献からかなり補充した。

 

グリンカ 1804~1857

1 ノクターン「別れ」 ヘ短調

ミハイル・グリンカは「ロシア音楽の父」と呼ばれる。歌劇「ルスランとリュドミラ」(1842年)の序曲が有名である。

この曲は1939年に作られている。紛らわしいがロシア語では別れのことをラズルカという。石原裕次郎の持ち歌で「別離(ラズルカ)」というのがあるそうだ。

2 マズルカ ハ短調

グリンカが作った6曲のマズルカのうち5番目の作品で、グリンカが39歳のときに作られている。

マズルカはポーランドの舞曲だが、ロシア人も大好きで、この時期ほとんどの作曲家がマズルカを作曲している。

 

バラキレフ 1837年~1910年

3 1864 ひばり (原曲はグリンカ)

バラキレフは18歳でペテルブルクに出て、たちまち頭角を現した。5年ほどのあいだに「5人組」を組織し、国民音楽を唱導した。

この曲は敬愛するグリンカの歌曲をピアノ用に編曲したものだが、内容的にはグリンカの曲を主題にした作曲といえる。(原曲もYou Tubeで聞けます)

4 1859 ポルカ嬰へ短調

ポルカは1830年代にボヘミアで作られ、ドイツに広がった。普通は陽気な2拍子だが、ここでは短調の曲となっている。

スメタナグリンカも短調のポルカを作っている。これはボヘミアからポーランドに広がったポレチュカの影響かもしれない。ショパンはポルカを書いていない。

5 1902 トッカータ 嬰ハ短調

バラキレフは何度も失敗しては立ち直っている。彼は死の前年、72歳の時まで曲づくりしている。これは65歳のときの曲だ。

ただし作品目録を見ると、この年に書いたというより書き溜めた楽譜を在庫一掃的に整理出版したのではないか。

32歳のときの難曲「イスラメイ」と通じるものがある

6 1902 ノクターン No.3 ニ短調

これもトッカータと同様だ。

なおYou Tubeにはあまりめぼしい音源がない。バラキレフのピアノ曲集はCD6枚組と膨大である。多分まだ知られざる歌曲が眠っているだろうと思う。

 

ムソルグスキー 1839年~1881年

7 1859 子供の遊び スケルツォ

ムソルグスキー初期の単品出版曲。展覧会の絵の「チュイリュリーの庭」をしのばせる。

8 1865 子供の頃の思い出 第2曲 最初の罰

ピアノ曲集「子供の頃の思い出」は5曲からなる。1曲めがスケルツォで、子供の遊び・スケルツォとは同名異曲。2曲めが「乳母と私」で、3曲めがこれ。

副題は「乳母は私を暗い部屋に閉じ込めた」となっている。

9 1865 ロギノフの主題による「夢」

日本語の説明は探せなかった。All Music というサイトに短い説明があった。

この頃ムソルグスキーは多くの仲間とともにペテルブルクのアパートを借り、共同生活を送っていた。仲間の一人にロギノフ(V.A. Loginov)という詩人がいた。この曲は彼のために作られ捧げられている。

10 1880 涙の一滴 ト短調

ムソルグスキーの小品の中では最もよく知られた曲。「涙」とも題されているが、原題がUne larmeなので、「涙のひとしずく」とした。

死の前年ということになるが、この時まだ41歳である。年表を参照いただきたいが、この頃彼は仕事を失い、クリミアを演奏旅行していた。「クリミア南岸にて」、「村にて」などの曲があり、最初は100選に入れていたが、今回は割愛した。

 

ボロディン 1833年~1887年

11 「小組曲」より 1.修道院で 嬰ハ短調

小組曲は1985年の発表で、ボロディンの唯一のまとまったピアノ曲集。ベルギーのアルジャントー伯爵夫人に捧げられている。正式な名前はマリー=クロティルド=エリザベト・ルイズ・ド・リケ。

アルジャントーはキュイの作品にも登場する。おそらく5人組のパトロンだったのだろう。

修道院とCDの日本語で書いたが、クヴォンと読む。英語ではnunnery で修道尼の方である。

小組曲は全7曲からなり、それぞれに副題が付けられている。この曲には「大聖堂の円天井の下で少女は神を思うことはない」と題されている。

12 「小組曲」より 2.間奏曲

ボロディンお得意のオリエンタル・ムードである。副題は「彼女は外の世界を夢見る」となっている。

貴族の子女が幼少時に修道院で育てられるのは、よくあることである。少女にとって「外の世界」は夢の世界である。

13 「小組曲」より 7.夜想曲 変ト長調

副題は「少女は満ち足りた愛によって眠りにつく」となっている。

有名な弦楽四重奏曲のノクターンを連想させる、同一フレーズの執拗な繰り返し。

 

キュイ 1835年~1918年

14 Op.20 12の小曲 第8番 子守歌

血筋で言うとキュイはロシア人ではない。

父親はフランス人でありリトアニアに住み着き、リトアニア人を妻とした。当時リトアニアはロシア領だったが、その昔はポーランドと並ぶ大国であった。

最初は土木学者としてキャリアをスタートさせ、1855年クリミア戦争で軍務についたあとは築城術の専門家となった。

音楽ではオペラ作家を目指したが成功せず、「余技」のピアノ曲が名を残すことになった。

キュイは作曲家としては類のない遅咲きである。とくにピアノ曲のスタートは遅い。作品番号1のスケルツォが1857年、22歳である。その後の作品は声楽、合唱、管弦楽曲が主体で、作品1もピアノ連弾曲である。

純粋なピアノ独奏曲は1877年の「3つの小品」(作品8)が最初である。作曲家デビューの20年後、42歳のことである。金沢摂さんの演奏を聞いても分かるように、この作品で左手のパッセージはほとんど何もしていない。

15 Op.21 組曲 1 即興曲 変イ短調

さらにその5年後、47歳の作品20で、初めて売り物になるピアノ曲を書いたことになる。もっともピアノ連弾曲ではあるが。

そして次の作品21でピアノ曲作家としての才能が花開いた。この曲は4曲からなる組曲の冒頭であるが、なぜ短調なのか分からない。
1885年に出版され、リストに献呈されている。世の「大作曲家」たちが寿命を終えることである。

16 Op.21 組曲 2 Tenebres et lueurs 嬰ト短調

フランス語で「暗闇と光」というらしいが詳細は不明。いかにもそれらしい曲である。

対位法を築城術のごとくに用いているのが印象的。

17 Op.21 組曲 3 間奏曲 変イ長調

これも短いパッセージを積みげていく築城術型作曲法の実例ということになるのか。

18 Op.22_3 ノクターン 嬰ヘ短調

とにかくキュイに関しては日本語文献が皆無にちかい。ソ連時代に軽視された影響もあると思う。

この「4つの小品」も85年、作品21と同時に出版されている。

19 Op.31 3つのワルツより 第2番 ホ短調

1886年の作曲で、第1番 アレグロ イ長調。第2番 アレグレット ホ短調。第3番 アレグレット・モッソ ニ長調からなる。

20 Op.40 ピアノ曲集「アルジャントーにて」 第5番 セレナーデ

キュイは1887年、ベルギーのアルジャントー(Argenteau)を訪れる。ベルギーと言ってもアントワープ周辺のフランス語地域である。

パトロンである伯爵夫人に会うのが目的だったろうが、とにかくこの訪問にあわせて9曲のピアノ小曲集を作った。「9つの性格的小品」と題されており、

1. 西洋より、2. 閑暇、3. 気まぐれに、4. 小さな戦争、5. セレナーデ、6. 談話、7. マズルカ、8. 礼拝堂にて、9. バラードをふくむ。

どことなく聞き覚えのあるスペイン風の曲である。

21 Op.40 「アルジャントーにて」第6番

練習曲“Causerie”(おしゃべり)と題されている。女性のおしゃべりに男性が相槌を打っている。

残念ながらYou Tubeでは以上の2曲しか聞けない。全曲を聴いてみたいものである。

22 Op.64 前奏曲集 第2番 ホ短調

ここからは前奏曲集からの抜粋。

何度も年のことを言うが、この曲集が発表されたのは1903年、すでに68歳である。もちろん書き溜めたものもふくまれているのだろうが、そのみずみずしさは特筆に値する。

You Tubeではいろんな演奏が聞けるが、ビーゲルの演奏した全曲盤はぜひとも買うべきである。アマゾンはとんでもない値段がついているが、タワーレコードならセール価格1142円だ。フィンガーハット盤は他の曲との抱き合わせだが、いずれも情緒たっぷり。こちらも絶対のお薦めだ。

2番は短い舟歌風の曲。メンデルスゾーンの無言歌を連想させる。

23 Op.64 前奏曲集 第4番 ロ短調

魅力的なテーマが提示されるが、展開は比較的簡潔。

24 Op.64 前奏曲集 第6番 嬰ヘ短調 Andante

同じテーマが最初は重々しいマーチ、ついでバラード風に、舞曲を挟んで、最後はエレジーで終わる。映画音楽のような構成。

25 Op.64 前奏曲集 第7番 イ長調

これもメンデルスゾーンの「春の歌」を思わせる簡素な曲。

26 Op.64 前奏曲集 第8番 嬰ハ短調

劇的なテーマの曲。強奏の連続は練習曲に近い。

27 Op.64 前奏曲集 第9番 ホ長調

夜想曲風のゆったりした曲想。もっともショパンに近い。

28 Op.64 前奏曲集 第10番 嬰ト長調

これもショパンのバラードを思わせる曲。

29 Op.64 前奏曲集 第16番 ヘ短調

スクリアビンの真似をしてみました。

30 Op.64 前奏曲集 第18番 ハ短調 Allegretto

メロディーは一番キュイらしさが出ている。

これで一応前奏曲は締切だが、入れなかった曲の中にも良い曲はある。

31 Op92 3つの旋律スケッチ 第1番 モデラート ハ長調

あえて作品92(3 Esquisses mélodiques)の3曲を全て100選に入れてしまった。

この作品は「ピティナ音楽辞典」にも載っていない。IMSLPは真偽を疑っているようだ。

The edition by the Art Publication Society would appear to be the only one to date. The details of how this work was acquired and issued by the Society, and how it was rendered in English, are subject to further investigation.

と書いている。

また英語版ウィキの「作品リスト」の項目ではこう書かれている。

Many individual compositions by Cui have been published over the years, especially in English and French editions, without information as to opus number

私はYou Tubeから拾った。演奏者・アップロード者はルイス・アンヘル・マルティネスという人だ。

発行元のクレジットによれば、1913年の作曲で同年にミズーリ州セントルイス(!)で出版されているとのことだ。実物がアップロードされている。

あとは“Believe or not”の世界だ。

32 Op92 3つの旋律スケッチ 第2番 モデラート ニ長調

1番と2番はロシア民謡風のメロディーに簡潔な左手が添えられている。

33 Op92 3つの旋律スケッチ 第3番

これは明らかに聞き覚えのあるキュイの曲だ。キュイの最高の曲の一つと言ってよい。おそらく真相は、キュイが鼻紙を捨てるようにメロディーを撒き散らしたということだろう。

とりあえず100選に入れてしまったが、いずれ番外編に突っ込むべきかもしれない。佳曲であることは間違いないのだが。


You Tubeには時々とんでもない掘り出し物がある。

リヒテルの1959年の録音で、ラフマニノフの前奏曲作品23の2番というのがそれだ。

まさに「奇跡の演奏」だ。野球で言うと大谷の165キロだ。

ほかに4番も5番もない。

リヒテル年表で調べてみると、リヒテルはこの年に東欧を旅している。

まず4月にワルシャワに行き、5日間連続で演奏会を開いている。録音をしに行ったのかもしれない。ヴィスロッキ指揮ワルシャワ・フィルとモーツァルトの20番、ラフマニノフの2番を入れている。

我々にとっておなじみのラフマニノフがこの時録音されたのかもしれない。

その他にラフマニノフの前奏曲23の2,4,5と32の1,2も入れているようで、この時の録音かもしれない。

6月末に一度ソ連に戻ったあと、10月には東ドイツで2週間、その後11月にはプラハで3日間仕事をしている。この時スメタナホールでラフマニノフの前奏曲を13曲も演奏しているから、こちらかもしれない。

正直言って、新世界=メロディア盤のピアノ協奏曲(ワルシャワ)の録音はひどかった。スプートニクを飛ばした国の録音とは思えない。

こちらの音源はかなりしっかりした音で入っているから、チェコ(スプラフォン)の録音かもしれない。

探してみたが今はもうないようだ。

その代わりに、すごいお宝映像がアップされている

Sviatoslav Richter - Rachmaninoff Prelude op 23 N 2

リヒテルにまだ髪の毛があった時代だ。風前の灯ではあるが。

こいつもすごい映像だ。

ギレリスが空軍の飛行場で、出動前の飛行士たちを前に前奏曲23_5を演奏している。これぞまさしく「戦場のピアニスト」だ。ギレリスは相当必死に「音楽」の意味を考えたであろう。

Gilels - Prelude Op 23 No 5 - Rachmaninoff

「たしかに音的にはあり得るな」、と変に納得してしまう。


アレンスキーを聞いていて、びっくりした。

作品74というおそらく最後に近い番号のピアノ練習曲集だ。

全12曲ということで練習曲集としてのルーチンは踏んでいる。

物の本によると、この人は将来を嘱望されながら酒とバクチで身をもち崩し、最後は結核となり45歳でなくなったらしい。

それが1905年のことであるが、この曲集はその年に作られている。

アレンスキーの作風は保守的で、ミニ・チャイコフスキーみたいな路線を走っていた。最初から交響曲とか協奏曲で売り出した。

ピアノ独奏曲には大したものはなく、2台のピアノのための組曲が5つもある。売れ線狙いであろう。

練習曲というのはかなりピアノ弾きの証しみたいなところがある。みんな結構書いているが、この人は盛りの時期にはほとんど練習曲は書いていないし、書いても面白くもないものだ。

それが死ぬ直前になってとつぜん練習曲集を、しかも完全な形で残した。ある意味で信仰告白とも遺書ともとれる。

そんな曲がなぜかYou Tubeで聞ける。

この人はムラっ気があって、だめな曲はだめなのだが、どういうわけか、ウィキにもとりあげられないようなこの練習曲集が12曲全部素晴らしいのだ。

1番で「えっ」と驚いて、2,3,4、5と進む。6番がすごいデモーニッシュな曲で、ショパンの葬送ソナタの第3楽章みたいだ。

7番が最高で、シンプルな旋律だが和音は世紀末だ。しかし無調の世界へは踏みとどまる。最後の12番は宗教的な香りさえ漂わせる。

参考までに私の「ロシアのショパンたち」100曲にランキンしたアレンスキーの曲は以下の通り。

34 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

35 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

36 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 1.学者

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

40 Op.25 4つの小曲から No.2 夢想

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

44 練習曲集 Op74_6 プレスト(ニ短調)

45 練習曲集 Op74_7 アンダンティーノ(変ホ長調)

46 練習曲集 Op74_12 アレグロ・モデラート(嬰ト短調)



ロシアにはまだとんでもないピアニストがひそんでいる。

とにかく後から後から出て来る。

ソコロフのあとはウラジミル・バック、コロリオフ、クシュネローヴァとなるのだが、今回驚いたのがアレクサンダー・ウルヴァロフ。

You Tubeでロシア小曲の演奏家として出てくる。見た目普通のおっちゃんなのだが演奏はすごい。

それで調べたのだが、インターネットには英語の紹介さえない。ドイツ語のサイトにかんたんな紹介があった。

1954年、ペテルスブルクの生まれ。まぁ生まれた時はレニングラードだ。

ペテルブルク音楽院でピアノを学んだ。ショパンコンクールにも参加しているらしい。卒業後は82年からノボシビルスクで教鞭をとった。

1001年にドイツに移住した。ドレスデンの音楽学校でピエノを教えている。









ソ連崩壊のときには相当数のロシア人がドイツに移住しているようだ。東ドイツだけでも大変なのに、ずいぶん頑張って受け入れたものだ。

それが今になって生きているとも言える。苦労は買ってでもせよということか。

ロシアにはまだとんでもないピアニストがひそんでいる。

とにかく後から後から出て来る。

ソコロフのあとはコロリオフ、クシュネローヴァ、ヴォルドスとなるのだが、今回驚いたのがアレクサンダー・ウルヴァロフ。

You Tubeでロシア小曲の演奏家として出てくる。見た目普通のおっちゃんなのだが演奏はすごい。

それで調べたのだが、インターネットには英語の紹介さえない。ドイツ語のサイトにかんたんな紹介があった。

1954年、ペテルスブルクの生まれ。まぁ生まれた時はレニングラードだ。

ペテルブルク音楽院でピアノを学んだ。ショパンコンクールにも参加しているらしい。卒業後は82年からノボシビルスクで教鞭をとった。

1001年にドイツに移住した。ドレスデンの音楽学校でピエノを教えている。

ソ連崩壊のときには相当数のロシア人がドイツに移住しているようだ。東ドイツだけでも大変なのに、ずいぶん頑張って受け入れたものだ。

それが今になって生きているとも言える。苦労は買ってでもせよということか。

どこがすごいかと言われても困るのだが、とにかく小曲を録音しているマイナー・レーベルの演奏家たちとはまったくレベルが違うのである。

論より証拠、

Alexander Urvalov, A. Borodin, Vier Stücke aus "Petite suite"

Alexander Urvalov, C. Cui, Präludium op. 64, Nr. 16, Serenade op. 40, Nr. 5, Walzer op. 31,

Alexander Urvalov, M. Balakirew, Islame


あたりを聞いてもらえば、そのすごさが分かってもらえるだろう。



むかし、高校生の頃だから、東京オリンピックの前、レコード屋に行ってため息を付きながら眺めていたレコードがある。

ライナーのバルトーク弦・打・チェレスタ、ライナーのローマの松、ミュンシュのオルガン交響曲と海、コンドラシンとRCAのイアリア綺想曲だ。これにアンセルメのダッタン人の踊り、オーマンディの山人の歌も加わる。

陳腐な言い方だが、めくるめく音の洪水に脳みそが方向感覚を失うのだ。

どうせ買ったって、家の貧弱な再生装置じゃレコード屋の試聴室で聞く音は出ないよなと、あきらめて帰ったものだ。

と言いつつバルトークだけは廉価版が出たときに買ったが、他はいつの間にか忘れていた。

今回久しぶりにようつべでミュンシュのサン=サーンスを見つけて聞いてみた。

相変わらずびっくりするほど音は良い。59年の録音とはとても思えないほどだ。とくにダイナミックレンジの広さには驚く。強音でも音が団子にならずに、各パートの音が明瞭に分離されている。

この頃のRCAの録音は世界最高レベルだったのだなあということがあらためてわかる。

ただし高音はざらつき艶はない。強音では折り返しがある。おそらくリマスターされた音源だろうが、原音の限界であろう。

もう少し新しい録音でいい演奏はないだろうかと探してみた。デュトワ、メータ、マゼール、バレンボイム、パーボ・ヤルヴィ…と一通り聞ける。良い時代になったものだ。

中で意外に良いのがジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団の演奏だ。見た目の派手さはないが、目の積んだ演奏をしていて、普通にシンフォニックだ。とくに木管の美しさは印象的だ。

しかしミュンシュの刷り込みがひどくて、どんちゃか鳴ってくれないとどうも聞いた気がしない。「おうっ、はええとこどんちゃかやってくれ」という気分になる。

やはり、ミュンシュは空前絶後と言うべきか。

おっと、とんでもないものが出てきた。

オーマンディ・フィラデルフィアだが、こちらはFebruary 6, 1980の録音だ。その頃オーマンディーって生きていたっけ? Telarc SACD と書かれている。80年代にCDで発売されたもののリマスターらしい。

とにかくすごい音だ。

コメント欄がすごい。

Fuck, this Pipe Organ blow out my head and my speakers...

* This is why subwoofers were invented

むかし、ステレオが出始めの頃、ド派手な音のさわりだけ集めたサンプル盤みたいなものがあった。最初がツァラストラで、夜の女王のアリアだったり、最後がホルストのジュピターだったりする感じ。

この曲ってそれでいいんじゃない。プレートルには申し訳ないけど。

それで余白にオルガン独奏曲が入っているけど、「これで、オタクのコンソール使えるかしら?」という感じで響き渡る。

お早目のダウンロードを


youtubeの世界では、ウラジミル・バックがちょっとしたブームになっているようだ。


一気に大量のファイルがアップロードされている。

圧巻はショパンのバラード第1番だ。亡命前の1988年に録音されたもの。こういうのを完璧というのだろう。ナマの音が一つもない。すべての音が周りと溶け込みながら紡ぎ出される。一つひとつの音にニュアンスがある。

消えないうちにダウンロードして下さい。できるだけ良い装置で音量をギリギリまで上げて、眼をつぶって聞いてください。2つのマズルカ(Op17-4と68-4)のなんと寂しげなことか。消え入るような美しさだ。

サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」は何度聞いても3本めの手があるとしか思えない。リストのハンガリア狂詩曲などシフラも真っ青だ。


そもそも、世にどれほどの音源があるのか。グーグルで“bakk discography” といれてみた。

dicogs というサイトにそれに相当するページがあった。

1) Владимир Бакк* - И. Гайдн* / Ф. Шуберт* / Ф. Лист* / С. Рахманинов* - Соната № 10 / Экспромт / Венгерская Рапсодия № 6 / Соната № 2 ‎(LP)    Мелодия  33 С 10—04837-8        1974            

2) Владимир Бакк*, Д. Cкapлaтти*, В. А. Моцарт*, А. Скрябин*, С. Прокофьев* - Untitled ‎(LP, Album)    Мелодия  С 10—10151-52  1978            

3) J. Brahms, R. Schumann, F. Chopin, A. Scriabin ‎(LP, Album)     Мелодия  C10 28871 001   1989  ブラームス後期小曲から5曲、シューマンのアラベスク、ショパンのバラード第3、スクリャービンのソナタ9番。

bakk1989

4) Frédéric Chopin, Владимир Бакк* - Ballade No. 1 / Fantasia / Sonata No. 2 Мелодия  1989

ということで、LPが4枚。いずれもソ連時代のもので、15年間も暮らした米国での録音は皆無である。

これにモスクワでのテレビ放送のエアチェック、ブエノスアイレスでの惨めな、しかし素晴らしい演奏というのがすべてである。

ロシア語はてんでダメだが、

1)はハイドン、モーツァルト、リスト、ラフマニノフと書いてあるようだ。

2)はスカルラッティ、モーツァルト、スクリアビン、プロコフィエフ、

3)、4)は英語でえす。

ただこのリストにはドビュッシーやフォーレ、サン=サーンスなどフランスものがないので、ひょっとするとそれは米国録音かもしれない。とすれば、この写真だが…

living legend

ここに中古が出品されている。2枚組で80ドルだ。


一つのコンサートのライブ録画がアップされている。

1993年6月12日、ブエノスアイレスのテアトロ・アルヘンティノ・デ・ラプラタでのコンサートの録画だ。名前はすごいが、実際は相当チンケだ。ピアノもフルコンサートではないし、椅子ときたらそのへんの折りたたみ椅子だ。念のいったことには、椅子がフロアーを傷つけないようにボードが敷いてある。

以前の年譜で行くと、ロシアから亡命してイスラエルに行ったあと、現地のユダヤ人コミュニティーの引きでアルゼンチンに渡って演奏活動を始めているから、その最初の頃の演奏であろう。

何とも言えないが、どうも盗み撮りかもしれない。カメラは最初から最後まで1台だ。しかし場所は特等席で、画面も最初は揺れるが、途中からはしっかり固定される。三脚を立てている可能性が高い。

変な言い方だが公認の盗み撮りかもしれない。音質は最低だ。覚悟して欲しい。

おそらく最初の曲目がモーツァルトのきらきら星だ。始まってしばらくしても会場のざわつきは収まらない。その中で第なんとか変奏のところで、突然度肝を抜く腕前が披露される。

多分その後がフランクのコラール前奏曲だ。会場はざわついたままだがバックは集中していく。

スカルラッティのソナタはすごい。

演奏は最初は緊張気味でミスタッチも多い。しかしどんどん演奏が白熱してくる。それとともにざわついていた会場が、水を打ったように静まり返っていく。

バックは数曲のソナタを続けて演奏している。何番と言い当てるほどスカルラッティを聴き込んでいないが、すべて一度は耳にした有名職である。

バックのスカルラッティはまるでベートーヴェンのソナタのようだ。荒っぽいといえばそれまでだが、辛気臭さはどこにもない。

最後がスクリャービンか。鬼神の如き演奏だ。この曲はソ連時代のまともな録音が聴けるのだが、全然迫力が違う。「死んでもいい」くらいの気持ちで弾いている。

この演奏のコメント欄に身内と思しき人が書き込みしている。
Thank you so much for posting his works. I also have the tapes/dvd's of them.

So happy the world can now see.  My heart to you. B

My genius boy.

実はこの身内の人は同じ演奏を楽屋裏の方から撮影していた。そのもう一つの音源はさらにひどい。しかし演奏を終えたあとのバックの深い溜め息がなまなましく伝わってくる。

アンコール曲がシューマンのアラベスク。(ひょっとすると順番違っているかもしれない)


最後に今回探し当てた音源の一覧。前よりは増えていると思う。

bakk01
bakk02
こんな記事がありました。

GUILD FOR INTERNATIONAL PIANO COMPETITIONS

3 piano scholarships awarded

June 27, 2001

The Guild for International Piano Competitions has awarded its first three scholarships. Yoko Sata Kothari of Palm Beach Gardens received the “Kathleen McGowan Thousand Dollar Key.” Carl DiCasoli of Palm Beach Gardens received the “Lillian Abraham Thousand Dollar Key.” Gregg Taylor of Miami received the “Annette Megaro Thousand Dollar Key.”

The three namesakes are members of the guild.

The amount of each grant is decided by guild master pianist-in-residence Vladimir Bakk of West Palm Beach. Each scholarship entitles the recipient to 10 hours of coaching by Bakk.

“The financial value of the grant is $1,000, but its artistic value is priceless and could be life-altering,” guild president John Bryan said.


晩年を知る手がかりかもしれません。

リャードフのピアノ曲を聞いていて、モニーク・ダフィル(Monique Duphil)というピアニストに当たった。
作品11の1というポピュラー曲だが、思いっきりリズムを揺らしてロマンチックに弾いている。
他の演奏はないかとYou Tubeを探してみたが、まともな音質の演奏はない。そもそも作品11の1そのものが消えている。ラフマニノフの第二協奏曲のライブと言うか盗み撮りがアップされているが、子供は騒ぐはフラッシュを目の前でバチバチやらかすとか、とにかく拷問に近い状況でのパフォーマンスだ。
ダウンロードしておいてよかったなと思いつつ音源を探してみると、ナクソスで86年に出た「リャードフ名曲集」というCDの中の一曲だとわかった。
ナクソスのディスコグラフィーを見ると、彼女の音源はほぼこれだけ。あとはバイオリンソナタの伴奏が1枚。
絶版になっていなければ購入することとして、とりあえず紹介しておく。
フランス、ボルドーの生まれ。パリ音楽院でマルゲリート・ロンとジャン・ドワイアン、ジョセ・カルヴェに学ぶ。ピアノ部門の首席、室内楽で対象を獲得し卒業。
15歳で音楽院協会(Societe des Concerts du Conservatoire)のコンサートにデビュー。その後相次ぐ成功により、今までに5大陸50カ国で演奏を行っている。

これが若い時の写真。最近のものはあまり見ないほうが良いと思う。
ナクソスの紹介はあまりに簡潔なので、別の資料も紹介しておく。
1980年にアメリカ・デビュー。オーマンディ、シャルル・デュトワなどと共演している。現在では香港に本拠地を置き日本を含むアジア・オセアニアで活発な演奏活動を行っている(と書かれているが日本語の紹介ページはほぼ皆無)
年齢不詳なのだが、室内楽の共演者を見ると主たる活躍期間は1970年前後と思われる。いまは教育者としての活動が主のようで、92年からオハイオ州Oberlin College Conservatory of Musicの教授職にある。


本日は音楽鑑賞三昧。
最初はオーギュスタン・デュメイというフランス人のバイオリニスト。以前にも書いたことがあると思うが、もう6,7年も前、釧路時代にテレビで度肝を抜かれたことがある。
関西フィルの演奏会が放送されて、この人がいきなりラヴェルのツィガーヌを弾いて、それがすごかったのだ。多分ホールの音響がよく響いたのも関係しているだろう。
その時はそれで終わったのだが、しばらくしてからベートーヴェンのバイオリン・ソナタを聞いて、この人はただのフランス物のスペシャリストではないなと感じた。私はむかしからコーガン・ギレリスの親子コンビが好きだったのだが、録音も考えるといまやこちらが上だ。あの入れ墨おばさんのピレシュが洒落っ気を入れて、それをデュメイが受け止めるという演奏スタイルだ。
ここまでが既報。
本日はデュメイとピレシュに中国人のチェロ弾きが加わったブラームスのピアノトリオ第1番。二人の掛け合いもさることながら、中国人のチェロの美音に心奪われた。Jian Wangというらしい。
ウィキペディアで調べると、ジャン・ワン(王健)という。68年、西安の生まれ。文化大革命の只中だ。かなり苦労したらしいがアイザック・スターンの引きでアメリカに留学し頭角を現したらしい。
とにかく音が明るく伸びやかで、バイオリンでも弾くように良く鳴る。ピレシュがまた良くて、ガンガン押さえつけるのではなく、要所要所に刺さりこんできて味の効いたフレーズを奏でる。第2楽章ではヤマハ・ピアノの弱音の抜けの良さが堪能できる。
これを受け止めるデュメイの貫禄が聞きどころだ。
この曲ではカッチェン・スーク・シュタルケルの名演があってどうしようもないみたいなところもあるが、ブラームスらしくないブラームスを聞きたいときは一番のおすすめと思う。

昨日書いた記事を訂正しなくてはならない。

リヒターはバッハのチェンバロ協奏曲をたった一度しか録音していないようだ。そしてアルヒーヴで発売されたのは7つの協奏曲と2台の協奏曲の1,2番だということだ。

そしてチェンバロの音がやや引っ込み過ぎというのも、すべての録音に共通しているようだ。つまりニコニコにアップされた音は多少お化粧していた可能性があるということだ。(久しぶりにニコニコを訪ねたが、もう削除済みだった)

厚く整った弦楽、足元を固めて行くようなバス・パート、そこに音量は小さいがカリっと明瞭に浮かぶチェンバロ、作品の魅力をくっきり聴かせてくれます。リヒターの演奏とアルヒーフの録音技術も車の両輪の関係でしょうね。(Micha クラシックとリュートの楽しみより)

うーむ、そうか。“カリッと明瞭に浮かび”上がってこないのは、私の耳のせいでしょうかね。この間高音域聴力を調べたら、まったく聞こえず、愕然としたばかり)

すこしこの録音について情報を集めておこう。


1.なぜチェンバロ協奏曲と呼ぶのか

大変お恥ずかしい話だが、いままでクラヴィアとチェンバロの違いがわからなかった。むかしはクラヴィア協奏曲と言ったような気もする。

同じ楽器を演奏しているのに、片方では平均律クラヴィア曲集だし、片方ではチェンバロ協奏曲だ。なぜなんだというと、意外とみんな微妙に勘所を外して答えてくれる。

いろいろな文章を読んで、今のところ「こうだ」というポイントを書いておく。

2.クラヴィアは非営業の鍵盤楽器

まずクラヴィアというのは鍵盤楽器のことだ。ただしオルガンは除く。バッハの主な仕事はオルガン弾きだった。だからバッハの場合は、もともとは本業以外の内輪の鍵盤楽器という意味がふくまれる。ここが一つのポイント。

3.クラヴィアには2種類ある

これが話をややこしくしている原因である。

一つはおなじみのチェンバロであり、もう一つがクラヴィコードという楽器である(他にLauten-Clavicymbelというのもあったらしい)。見た目は似ているが音を出す原理はだいぶ違う。

チェンバロは弦をはじいて音を出すからハープの親戚である。クラヴィコードは弦を叩いて音をだすので、強いて言えばツィンバロンの親戚筋に当たる。

バッハはクラヴィコードを自家用に愛用していたらしい。きっと作曲の作業のときはクラヴィコードを使っていたのではないだろうか。

だから独奏用の曲はすべてクラヴィア曲となっている。平均律は原語では“Das Wohltemperirte Clavier”となる。「クラヴィコードで作ったんだけど、チェンバロで演奏してもいいよ」てな感じで、クラヴィア曲と名付けたのではないかと想像する。

4.英語だと分かりやすい

ウィキの英語版を見るとクラヴィア曲ではなくキーボード曲と表現されている(もちろんクラヴィア曲という人もいる)。身も蓋もない表現だが、分かりやすい。「所詮それだけのことよ」と突き放した感じが気持ち良い。ドイツ語だとKlavierwerke – BWV 772–994

5.なぜチェンバロ協奏曲なのか

いまや日本ではチェンバロ協奏曲と呼ばなければならない雰囲気になっている。しかしクラヴィア協奏曲と呼んではいけないのか。答は「いいんだよ、なんと呼んでも」ということだ。

実際にキーボード協奏曲と書いてあるのもある。ペライアのCDのタイトルはそうなっている。リヒターが55年にアメリカで演奏会を開いたときの録音がプレミアLPで出ていて、そのタイトルもクラヴィア協奏曲となっている。

ちなみにドイツ語版ウィキでは“Sonaten mit Cembalo oder Continuo, BWV 1014–1040”だ。

なお、蛇足ではあるが、


チェンバロ cembaloはイタリア語。正式にはクラヴィチェンバロclavicembalo という。 英語ではハープシコード harpsichord(竪琴+弦)、 フランス語ではクラブサン clavecinです。
即ち、チェンバロ cembalo = ハープシコード harpsichord = クラブサン clavecin

ハープシコードとクラヴィコードとチェンバロとクラヴィーアの違いは何?より引用。)

6.にもかかわらず、チェンバロ協奏曲なのだ

本当は5.まで書いておけば良いのだが、ついでに言っておくと、協奏曲が弾けるキーボードはチェンバロしかないのだ。だからチェンバロ協奏曲なのだ。

クラヴィコードではとても弦合奏に太刀打ちできない。あまりにもか弱い音なのだからしょうがない。

ではチェンバロなら良いかというと、それでも足りない。埋もれてしまう。

それをなんとかしようと工夫して作ったのがバッハのチェンバロ協奏曲ということになる。言ってみればロドリーゴのアランフェス協奏曲みたいなものだろうと思う。このひ弱な楽器をいかにフューチャーしながら曲として面白いものに仕上げていくかという苦労は買わなくてはいけないだろう。

かくしてバッハは世界初のチェンバロ協奏曲の作者として名を馳せることになる。

7.バッハはどこまで本気だったのか

蛇足も良いところだが、さらに書き連ねる。

2台、3台、4台までふくめてずいぶんたくさんのチェンバロ協奏曲を書いたものだが、バッハはどこまで本気だったのだろうかとふと思ってしまう。

そもそもこれらの曲は余技だった。ライプツィヒの聖トマス教会のオルガン奏者を務める一方、休みの日にはアマチュア楽団の演奏を楽しんだ。それがけっこう人気になってしまうと楽団に曲を提供するようになる。その殆どは旧作に手を入れでっち上げた曲だ。3,4,6番などは原曲に比べれば明らかに手抜き工事だ。

バッハは、ライプツィヒのアマチュア楽団(コレギウム・ムジクム)の指導と指揮活動を1729年から1741年まで務めています。

一連のチェンバロ協奏曲は、すべてこの楽団のために書かれたものです。
…そのほとんどがオリジナルではなくて、自作または、他の作曲家の作品(多くがバイオリン)を編曲したものなのです。(クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Labelより)

おそらく、バッハは音楽が教会からサロンへと進出していく、その端境期に生きたのではないだろうか。朝は協会に行ってオルガンを弾いて業務をこなす。その後は家に帰ってクラヴィコードを相手に曲作り、という日課の中にサロンでの音楽シーンが付け加えられた。やがて世俗の仕事のほうが本業より忙しくなる。サロン音楽の必須のアイテムがチェンバロだったとすれば否応なしにチェンバロに取り組まざるをえない。

サロンという空間で、10人程度の弦合奏が相手であればなんとか太刀打ちできるだけの音量が期待できるからである。

とりあえず、このくらいで

以前、ニコニコ動画が音質が良かった時代にカルル・リヒターのバッハは売り物だった。あのときにバッハのチェンバロ協奏曲を聞いて感動したものだった。最近、You Tubeにも同じ曲がアップされて聞いたのだが、まったく印象が異なる。
はっきり言ってYou Tubeのほうがリアルな録音で、ニコニコの方は相当いじった録音であろうと思う。録音の日付を見るとリヒターは60年代の初めに一度録音して、70年代の初めに再録音したようだ。それでニコニコの方は旧録音でYou Tubeのほうが新録音ではないかと思う。
旧録音ではチェンバロの音量が弦楽合奏と対を張っている。しかし新録音ではかなり弦合奏の奥に引きこもりがちだ。実際のコンサートでは多分それが当たり前なのだろう。
むかしはそうやって録音するのが当たり前だったのかもしれない。高校の頃にFMで聞いたジョージ・マルコムの演奏もそんな感じだった。カークパトリックもレオンハルトももう少しチェンバロの音が出張っている。
ところが旧録音の方で慣れてしまっている私の耳には(年齢のせいもあって)チェンバロの音が聞こえてこない。まるで成人病検診の聴力検査みたいだ。「そういえば鳴っているね」というほどの音でしかない。チェンバロ練習用のマイナスワン演奏かと思ってしまう。
リアルの音量バランスで言うと、やはりチェンバロを2、3台並べてやらないと協奏曲にならない。だからバッハはそちらの方に力を入れたのではないかと思う。
それではと言うのでピアノで弾いた録音を探してみる。引っかかったのがペライアの演奏。アカデミー室内楽団を弾き振りしている。実に素晴らしい演奏だ。ペライアは大好きな演奏家で、弱音の美しさがたまらない。
しかしバッハとなると、それがアダになる。「そんな艶めかしい曲ではないでしょう」と思ってしまう。それと弦とのバランスが勝ちすぎている。弦合奏がただの合いの手になってしまっている。ショパンを弾くようにバッハを弾いてはやはり困るのである。
なかなか難しいのだ。
ドンデラー(ピアノと指揮)ドイツCOの演奏があって、ドンデラーは“キーボード”に徹している。こうするとピアノと弦とのバランスがとれて聞きやすい。その代わりピアノにはニュアンスもへったくれもない。
しかし聞いていくうちに、「やっぱりペライアはいいなぁ」と思い始めたから、こちらもいい加減なものである。

2月10日 追記

ペライアのバッハは良い。こういう演奏は類を見ないが、良いものは良い。

最初は違和感を覚えた。「こんなものバッハじゃない」と思った。しかし慣れてくると「バッハじゃなくちゃいけないのか?」と思うようになってくる。そういえばポリーニのバッハを聴いたときもそんな気分になったことを思い出す

ニコラーエヴァ以来、「バッハはロシア人」と相場が決まっているようだ。

しばらくはソコロフを聞いていたが、何かうっとうしい。そこで最近はコロリオフを聞く機会が多かった。

コロリオフという人はソ連崩壊時に西側に移った人で、ソコロフやクシュネローヴァと似たような経過だ。バッハは良いが他の作曲家になると何故かスカスカの人だ。

いづれにしてもロシア系の、特に最近のピアノ弾きは情緒がない。エドウィン・フィッシャーの半音階的幻想曲とフーガでバッハに目覚めた私としては、もっと情緒纏綿たるバッハが聞きたいのである。

ペライアはそういうバッハではない。あくまでも美音である。しかし下品ではない。ペライアは「綺麗なら良いだろう」と開き直っている。

私もなんとなくそんな気分になっている。いまは「イギリス組曲」を聞いているところである

「ピアノの詩人」といえばショパンの代名詞。世界中どこに行っても通用する。ところが誰がいつからショパンを「ピアノの詩人」と呼ぶようになったのかが判然としない。
それはいつかまた詮索するとして、「ロシアのショパンたち」を書いていて「なるほど」と思ったことがある。
ショパンは別格として、「ピアノの詩人」と言われておかしくない人はたくさんいる。どちらかと言えば小品にさえを見せる人たちだ。
意地悪く言えば、あまり大河小説のような大作は書けない人、小物作曲家というイメージもある。今では死語になったが「女性的」という言い方もできる。
ところで、ロシアの「世紀末」作曲家たちを聞いていると、そういうちょっとネガティブな枠組みと違う「ピアノの詩人」概念が存在するのではないかと思うようになった。
逆説的だが、ピアノで詩を作り歌う才能がない人というのが世の中にいるのではないかという考えである。
ラフマニノフの場合
最初に気がついたのはラフマニノフだ。
ラフマニノフについては以前、1901年の前奏曲(作品23)の途中でプッツンしたのではないかと書いたことがある。
ラフマニノフといえばチャイコフスキーも目をかけたモスクワ音楽院の俊秀で、大谷ではないがピアノと作曲の両方でトップをとった。前途洋々の人だったはずだが、途中で作曲の方はあきらめている。多くの解説では彼の持病であるメランコリーが関係しているのではないかと言われている。
私もそれを念頭に置いて「プッツン説」を唱えたのだが、あらためて聞いてみて、もっと問題は本質的ではないかと考えたのである。
彼の作品一覧を見て気づいたのだが、彼はそもそも最初からピアノ曲をあまり書いていない。作品番号がつかない初期作品を除くと、作品3の「幻想的小品集」が92年、2台のピアノのための「幻想的絵画」を挟んで、4年後の「楽興の時」が作品16、それから5年をおいて作品23の「前奏曲集」が出たのが1901年である。
この前奏曲集は前にも書いたとおり、途中からカスの集まりになっている。本来なら24曲書くのが筋なのに、10曲でやめてしまった。
それから9年もあとにもう一度、残り13曲を発表するのだが、私の耳からすればカスばかりだ。その後の曲もほぼ同断だ。
なぜか
それはラフマニノフがピアノの名人ではあっても作曲の名人であっても、「ピアノの詩人」ではないということではないか。
彼のピアノ独奏の名曲はほとんどが、“ゆびぢから”でピアノを目一杯鳴らすものばかりだ。「詩人というよりは「プロレスラー」だ。たしかに彼は名ピアニストで名作曲家であるかもしれないが、それは大谷風の二刀流であって、そこに渾然一体となった「詩人」がいるわけではない。
カトワールの場合
カトワールはなかなか良い室内楽を残している。ピアノトリオからカルテット、クインテット、弦楽四重奏曲と一通り取り揃えている。
さぞピアノ独奏でも良いものがあるのではないかと思ったが存外少ない。彼の曲を聞いていると、歌うのは弦楽器、ピアノはそれを支えるのが役割という分担があるように聞こえる。
だから「ピアノで歌いなさいといわれると、ちょっと困っちゃうんだなぁ」という感じがする。もちろん作曲をする時はすべてのパートをピアノで音作りしていくのだろうが、そのときピアノは「音出し装置」、作曲ツールとしか位置づけられていないのではないか。
どうも「ピアノで歌う」というのは、バイオリンとか他の楽器で歌うのとは次元の異なる感性を必要とするのではないかと思う。ピアノというのは本質的にリズム楽器みたいなところがあって、音はポクポクとぶつ切りでしか出てこない。「歌」が音の連続性・持続性を要求するものだとするなら、ピアノは歌とは本質的になじまないのである。
そういう本質的な限界を持った楽器で、それにもかかわらず歌を歌うとするなら、間隙を埋める装飾音符とかいろいろアヤを付けなければならない。
しかしアヤを付けすぎるといかにも野暮ったい演歌になってしまいかねない。その辺の兼ね合いがピアノ曲の制作や演奏には問われるのであろう。そのセンスが「詩人の魂」となるのであろう。

たしか前にも書いたが、ギレリスとコーガンは義理の親子で、コーガンはギレリスに心酔していたという話だ。
ギレリスというのは謙遜な人で、ソ連の演奏家としては最初に西欧にエクスポーズしたのだが、「世界一のピアニスト」と賞賛された時にマジに否定したそうだ。
「ソ連には私よりはるかに上手い人がいる」とコメントしたのだが、それがリヒテルだった。
しかし「そうだろうか」と私は思う。テクニックと言うだけならたしかにそうなのかもしれない。しかし聞いて「良いな」と思うのは、私ならギレリスだ。
リヒテルなら、どの曲を演奏しても曲の中にぎりぎりと切り込んでいく、そういう凄さがある。それを傍で感じる時はすごいなと思う(だがいつもそうではない)。
ギレリスの演奏は鍵盤をオーケストラのようにあやつる指揮者のように聞こえる。それがどう違うかというと、多分リズム感と響きなのだろうと思う。
ギレリスの演奏はどっしりと安定して、優しい。ギレリスの演奏は気持ちいいのである。リヒテルは時として不機嫌でそっけなく、人の心を不安定にさせる。音色は綺麗とは言い難い。ベートーベンのソナタで、その違いは顕著だ。
シューマンやドビュッシーはギレリスには合わない。ところがブラームスのピアノ協奏曲第2番はギレリスの不朽の名演だ。グリークの叙情小曲集は珠玉の一枚だ。
いま、アシュケナージやプレトニョフが指揮者として大をなしている。私が思うにはギレリスこそ大指揮者になったのではないかと思う。彼には大谷選手並みの素質があったと思う。惜しいことだ。
そのギレリスが娘婿のレオニード・コーガンと組んでベートーベンのバイオリンソナタを出している。これはこの曲のベストだと思う。学生時代、FONTANAという廉価版シリーズでグリュミオーとハスキルのレコードを買ったが、音のバランスが悪かったせいかもしれないが、この曲へのマイナス・イメージが焼き付けられた。それがこの演奏で払拭できたのである。
たしかにコーガンのバイオリンは線が細く硬質で、オイストラフと比べての話であるが、きまじめだ。しかしそれがギレリスのバックを得て生き生きと踊り始めるようになる。(この話は以前書いたよね)
さて、話がようやく本題に入る。
このギレリスとコーガン親子にロストロポーヴィッチが加わったのがこのトリオである。名前はついていないが、どう考えてもギレリスを中心にしたトリオだ。だからこれから先はギレリス・トリオと読んでおく。
このギレリス・トリオが演奏したのがチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」だ。

このあと、つらつらと書き連ねた文章があっという間に消えた。
もうやめた。
これだけあれば、一応は足りている。
You Tubeでは同じ年の同じ演奏でモーツァルトのピアノトリオ第一番が聞ける。おそらく同じレコードの裏面なのだろう。こちらのほうがピアノの大音量がかぶさらない分聞きやすくなっている。ただしロストロポーヴィッチの出番は殆どない。目立ちたがり屋だから無理やりしゃしゃりこんでくるが、そもそも音符がないのだからどうしょうもない。

こまった。
レビコフのピアノ曲集全曲盤を買ってしまった。
AnatolySheludyakov-VladimirRebikov
見ての通り、シェルデャコフというピアニストがレビコフのピアノ曲全曲をCD3枚に吹き込んでしまったのだ。
やっと名曲百選を作って、レビコフをかなり押し込んだのだが、これから聴き込んでいくととてもそのレベルでは収まらないかもしれない。困ったものだ。

すみません。たくさんのアクセスいただいているようですが、実は勝手に改訂してしまいました。下記をご覧ください。
2017年07月06日2017年07月15日2017年07月17日

ジャ~ン! 自分でファンファーレ

1年をかけて、やっと終わった。

「ロシアのショパンたち」

一応、100曲を選び終えた。

作曲家別に、おおよそ古い順に並べていく。

グリンカ

1 ノクターン「別れ」 ヘ短調

2 マズルカ ハ短調

バラキレフ

3 1864 ひばり (原曲はグリンカ)

4 1859 ポルカ嬰へ短調

5 1902 トッカータ 嬰ハ短調

6 1902 ノクターン No.3 ニ短調

ムソルグスキー

7 1859 子供の遊び スケルツォ

8 1865 子供の頃の思い出 第2曲 最初の罰

9 1865 ロギノフの主題による「夢」

10 1879 クリミアの南岸にて 第1曲アユダク山麓グルズフ

11 1880 村にて

12 1880 涙の一滴

ボロディン

13 「小組曲」より 1.修道院で

14 「小組曲」より 2.間奏曲

15 「小組曲」より 7.夜想曲

キュイ

16 Op.20 2台のピアノによる8つの小曲 第8番子守歌

17 Op.21 組曲_1-即興曲

18 Op.21 組曲_2-Tenebres_et_lueurs

19 Op.21 組曲_3-間奏曲

20 Op.22 ノクターン

21 Op.31 3つのワルツより 第2番 ホ短調

22 Op.40 「アルジャントーにて」no 6 「おしゃべり」練習曲

23 Op.64 前奏曲集 第2番 ホ短調

24 Op.64 前奏曲集 第4番 ロ短調

25 Op.64 前奏曲集 第6番 嬰ヘ短調 Andante

26 Op.64 前奏曲集 第7番 イ長調

27 Op.64 前奏曲集 第8番 嬰ハ短調

28 Op.64 前奏曲集 第9番 ホ長調

29 Op.64 前奏曲集 第10番 嬰ト長調

30 Op.64 前奏曲集 第16番 ヘ短調

31 Op.64 前奏曲集 第18番 ハ短調 Allegretto

32 Op92 3つの旋律スケッチ 第1番

33 Op92 3つの旋律スケッチ 第2番

34 Op92 3つの旋律スケッチ 第3番

アレンスキー

35 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

36 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

40 Op.25 4つの小曲から No.3 練習曲 (中国の主題による)

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

リャードフ

44 Op.3a 6つの小品 3 フーガ ト短調

45 Op.4 4つのアラベスク No. 2 イ長調 アレグレット

46 Op.9 2つの小品 1ワルツ ヘ短調

47 Op.11 3つの小品 第1番 前奏曲 ロ短調

48 Op.23 小品「湿地にて」ヘ長調

49 Op.31 バラード“古い時代から”第1曲 マズルカ ト長調

50 Op.32 ワルツ「音楽の玉手箱」

51 Op.36 3つの前奏曲 第2番 変ロ短調

52 Op.37 練習曲 ヘ長調

53 Op.38 マズルカ ヘ長調

54 Op.44 舟歌 嬰ヘ長調

リャプノフ

55 Op.1 No.1 練習曲 変二長調

56 Op.1 No.2 間奏曲 変ホ短調

57 Op.1 No.3  ワルツ 変イ長調

58 Op.6 7つの前奏曲 第6番 ヘ短調

59 Op.8 ノクターン 変ニ長調

60 Op.11 超絶技巧練習曲 第3番 鐘

61 Op.11 超絶技巧練習曲 第6番 嵐

62 Op.36 マズルカ 第8番 ト短調

63 Op.41 降誕祭 第1曲 クリスマスの夜

64 Op.41 降誕祭 第3曲 クリスマスの歌

65 Op.41 降誕祭 第4曲 クリスマスの歌手たち

66 Op.57 3つの小品 第2曲 春の歌

レビコフ

67 Op2_3 メランコリックなワルツ ロ短調

68 Op8_9 マズルカ イ短調

69 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

70 Op10_10 ワルツ ロ短調

71 Op15_2 悪魔の楽しみ

72 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

73 Op23_2 冬の歌

74 Op23_4 エスペランサ(希望)

75 Op23_5 スヴェニール

76 Op28_3 羊飼いの踊り

77 Op29_3 モデラート・コン・アフィリツィオーネ

78 ワルツ ヘ短調

79 秋の花々 モデラート

80 秋の花々 アンダンテ

81 小さな鐘の踊り

スクリアビン

82 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

83 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

84 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調

85 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調.flac

86 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

87 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

88 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

89 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

90 ワルツ 嬰ト短調 1886年

ラフマニノフ

91 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

92 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

93 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

94 Op.16 楽興の時 第3曲

95 Op.16 楽興の時 第4曲

96 Op.23 前奏曲第2番

97 Op.23 前奏曲第3番

98 Op.23 前奏曲第5番

99 Op.34 No14 ヴォカリーズ

100 Op.39 絵画的練習曲《音の絵》No_2 イ短調

基本的にはすべてYou Tubeで聞けるものばかりである。リンクはすぐ切れる。しかしそのうちまた出てくる。あえてリンクはしなかったので、自分で検索してほしい。

選曲の基準はショパンっぽいこと、聞きやすいことである。必然的に大音響のうざったい曲は少ないが、入ってはいる。彼らのお手本はショパンとリストだったから、どうしてもリストっぽさが混じるのであろう。あのブラームスだって初期の曲はバリバリだ。

もちろんいつまでもショパンの真似ばかりもしていられないから、経歴を重ねるとともに独自の音作りに移行していく。だから基本的にはキャリアの浅い時期の曲が多くなる。いわゆる「初期の習作」である。

したがって音源探しは意外に難しい。見つけた曲以外にも佳曲はたくさんあるだろうと思う。また聴き込んでいくうちに味が出てくるブラームスの間奏曲みたいのものもあるだろう。

結局なんだかんだとCDも買ってしまった。挙げておくと、

1.Lyadov Complete piano works: Marco Rapetti (5枚組)

2.Vladimir Rebikov Piano works: Jouni Somero (1枚)

3.Cesar Cui Complete works for piano solo:  Osamu Nakamura (1枚目のみ)

4.Cesar Cui 25 Preludes: Jefrey Biegel (1枚)

5.Borodin Complete piano music: Marco Rapetti (1枚)

6.Sergei Lyapunov Piano music: Margarita Glebov (1枚)

とりあえず、これでアップロードしておくことにする。後はチャイコフスキーが第一次候補で40曲ばかり残っている。これを絞り込んで30曲位にすれば完全に終わる。チャイコフスキーを「ロシアのショパンたち」に括るのは、いささか無理があるが、そこは勢いだ。

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