鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 31 対米従属/構造問題(国家・経済構造の分析含む)


この文章は、リベラル21というブログから転載したものである。

転載にあたり著者、後藤政子さんより次のようなコメントをただいているので付記する。
メディアなどの報道のためか、心ある方々も心配されているところもあるようですので、できるだけ多くの方に実態を知っていただければ嬉しく思います。   米国の攻勢が続いておりますが、「平和デモ」の日は大きな問題もなく過ぎ、ジュニオルもスペインに出たようで、ほっとしております。今、米国が何を考えているのか、わからないところもございますが。 
よろしくお願い致します。
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キューバの「反政府デモ」は「作られたデモ」

スマホ時代の米国の介入のかたち

後藤政子(神奈川大学名誉教授)

◆それはツイッターから始まった

 7月11日、キューバで革命後初めて、生活苦にあえぐ市民の反政府デモが行われたことが新聞やテレビで伝えられた。一体、何が起きているのだろう。グランマ紙など現地の新聞の電子版を開いてみると、メディアの報道とは異なる実態が見えてきた。


それは「作られたデモ」、つまり、米国のSNS戦略が効を奏したものであった。


キューバ国内では数週間前から、SOSCubaというハッシュタグがついたツイッターが急速に広がっていた。11日、「サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス 指令、動員へ」というメッセージが届いた。街でデモが起きているという噂が飛び交った。初めは小さなデモだったが、次第に膨張し、「祖国と命」、「独裁を倒せ」というスローガンも聞こえた。


デモはハバナ州の西隣のアルテミサ州サン・アントニオ・デ・ロス・バニョスで始まり、ハバナ、カルデナス、サンティアゴ・デ・クーバ、シエンフエゴスなどで起きた。参加者は全国で数千人。ハバナのマレコン通りでは米国旗を掲げる者、火炎瓶を手にする者、警察官を襲ったり、車を転覆させたり、商店を略奪したりする者があった。
マチェーテをもった一人のデモ参加者が4人の警察官によって取り押さえられ、商店の略奪者数人が逮捕者された。何事かと駆けつけた多くの市民が周囲を取り巻いていたが、一般市民とデモ隊の衝突はなかった。
翌12日にはハバナ州東南のマヤベケ州グイネラで反社会グループの一団が警察署を襲撃しようとして警官に阻止され、住宅や電線を破壊したり、コンテナに火をつけたりした。襲撃者グループの一人が死亡し、警官を含む数人が負傷した。

 
米国のキューバに対する経済封鎖は革命直後から60年以上続いている。制裁の目的は経済を悪化させて国民の不満を高め、内部から政権を崩壊させることにある。これは制裁法の「1996年キューバの自由と民主主義連帯法=ヘルムズ・バートン法」に明記されている。
見逃してならないのは、そのために「人心を変える」政策に重点が置かれ、同法ではNGOや国際人権団体などへ働きかけることも規定されていることである。最近はスマホの時代でもあり、ツイッターやユーチューブなどソーシャルメディアが活用されるようになった。因みにキューバの携帯電話の利用者は660万人以上、インターネットの接続者は440万人である(2020年末)。


ロドリゲス外相は12日のテレビ番組で、スペイン人アナリストのフリアン・マシアス・トバルの調査をもとに、この米国の政策について明らかにしている。
これはアルゼンチン人のアグスティン・アントネジ(極右団体「自由財団」メンバー)がラテンアメリカの中道左派政権などの追放に用いた手法に倣ったもので、SNSなどを使い、経済危機、政権の無策、汚職、人権侵害などを訴え、独裁政府に対して立ち上がるよう呼びかける。フェイクニュースや模造した映像も頻繁に用いられる。
これにより、例えばボリビアでは反政府暴動が続き、初の先住民大統領のモラレスが右派勢力によるクーデタ―で追放された。

 
今回、キューバではまず、独裁下で苦しむキューバ人の支援を訴えるスペイン国旗のついたツイートがスペインで発信され、瞬く間に世界に広がった。
botという1秒間に5回のリツイートを自動的に配信できる高度なアプリが用いられていた。次いでHT#SOSCubaというハッシュタグ付きのツイートが作成され、世界のアーティストに向けてキューバ国民への「人道援助と連帯」を訴えるキャンペーンが繰り広げられた。1,100以上の返信があったが、そのアカウントのほとんどは最近ないしは1年以内に作られたものであった。
キューバ国内でも#SOSCubaというタグがついたアカウントのうち1,500以上が7月10日と11日に作成されていた。リツイートが世界で50万を超えたその時にデモが起きた。

 
マイアミでは米国の軍事侵攻を求めるキャンぺーンが繰り広げられ、13日にはマイアミ市長がフォックス・ニュースとのインタビューでキューバへの軍事侵攻を主張した。
これに先立つ6月15日にはフロリダ州政府がProActivo Miami Incorporationsという小さな企業にSOSCubaのハッシュタグの認定証を出している。同社はその日のうちにキャンペーン費用として州の資金を受け取った。ロドリゲス外相はこの認定書のコピーを7月12日のテレビ番組で示している。
 

11日にはまた、大統領府や外務省などの官庁、研究所、グランマ紙などのメディアのサイトがサイバー攻撃にさらされた。外務省では9時53分から10時23分までの間に1万件に及ぶアクセスが集中した。確認できたIPアドレスは34。ほとんどが米国のもので、他国から発信されたように装われていた。そのほかにイギリス、フランス、トルコ、オランダなどからのものがあった。

 
◆「反省すべきことは反省する」

 政府の対応は「キューバらしい」ものであった。
 

デモの報が伝えられると、ディアス・カネル大統領はすぐさま現場に駆けつけ、市民と話し合った。そのあとにテレビに出演して事態を国民に説明した。翌日の朝7時には閣僚らとともに数時間にわたり、事件の経緯、停電問題、経済状態、コロナ感染問題等々、キューバが直面する様々な問題について詳細に説明し、対応策を示した。2日後の14日にも円卓会議を行い、これもテレビで放映された。
 

とりわけキューバらしいのは、大統領が「反政府デモ」にはハバナの米国大使館に自由に出入りする「反革命家」だけではなく、一般市民も加わっていたことを明らかにしたことである。これらの市民は3つのグループに分けられるという。犯罪歴のある人々、生活に不満をもつ人々、学校にも行かず職にも就かない若者である。
大統領は「これは経済悪化のために国民生活が苦しんでいることを反映したものであり、反省すべきことは反省しなければならない。生活に苦しむ人々への配慮に足りない面はなかったか」として、弱者に対する政策の検証と見直しを打ち出した。


確かに経済情勢は厳しい。トランプ政権下では243もの新たな措置がとられ、キューバは、貿易も含め、「何もできない」状態になった。
昨年にはあらゆる手を尽くしてようやく人口呼吸器の輸入契約にこぎつけたが、入手先のスイス企業が米国企業に買収され、制裁法に抵触するとしてキャンセルになった。キューバに向かっていたベネズエラのタンカーが制裁の対象国であるとして拿捕され、積み荷の石油が米国内で売却されたこともあった。
トランプ大統領は置き土産としてキューバをテロ支援国リストに加えてホワイトハウスを去っていったが、そのために海外からの資金調達はおろか、貿易の決済のためのドルの支払いも難しくなった。
そこにコロナ禍が襲い、感染対策に必要な医薬品や人材、隔離施設等々が急増し、物資や資金の枯渇に拍車をかけた。状況の深刻さは1990年代のソ連解体による経済危機に匹敵するとも言われている。


 新型コロナの危機

Covid-19の初の感染者が確認されたのは昨年3月である。この時には広範な専門家の知見の結集、住民の政策決定への参加システム(対策の実効性を地域住民が検証し、その意見を政府の対策に反映させる)、地域に密着し、一人ひとりの住民の状態を熟知したファミリー・ドクター制度などが機能し、感染を抑止できた。
しかし、12月初めに第2波が始まり、新規感染者数は1日6,000人を超えるようになった(7月13日)。3大感染地はマタンサス州、ハバナ州、サンティアゴ・デ・クーバ州である。

 感染拡大の要因としてはデルタ株など変異株の拡大によるところが大きいが、感染者の急増に医師や看護師などの人材や医薬品の確保、隔離施設や病院のベッドの増加が追いつかない。PCR検査キットが不足し、感染者の特定や隔離が遅れる。また、国民のコロナ疲れ、マスクの使用や三密回避に無関心な人々、職場の衛生対策の不備といった問題もある。
 
ワクチン開発はフィンライ研究所や遺伝子工学バイオテクノロジー研究所などで早くから進められ、5種が開発された。AbdalaとSoberana 02の効果はそれぞれ92,5%、91.2%である。接種は19歳以上の国民を対象に1日100人につき00.99人のペースで進んでおり、ハバナ州では7月末、全国では8月までに80%が終了するという。
 
接種終了まで持ちこたえるべく、政府は国民に意識向上を訴えているが、ワクチンや医薬品の開発や製造は資金や資材の入手にかかっている。変異株に有効な不織布のマスクや手洗い用の石鹸も十分ではない。住宅不足のため都市部では2世代、3世代家庭が多く、家の中も蜜状態である等々。ここにも制裁による物資不足が影を落としている。

 
対キューバ制裁の特殊性

「世界一厳しい」と言われる米国の制裁であるが、キューバの場合、最大の特徴は制裁が第3国にも及ぶことである。たとえば日本の銀行がキューバに送金すれば莫大な制裁金を課される。しかも制裁は企業や個人だけではなく政府にも及ぶ。途上国は米国や国際機関の援助が停止されることもあり得る。そのためキューバが貧しい諸国に派遣している医師団が追放されたりしている。
 

バイデン政権下でも対キューバ政策はまったく変わっていない。議会の承認がなくても行政権によって実施できる政策があるにもかかわらず、それもなされていない。
バイデン大統領はまた、「反政府デモ」を「勇敢な行為」と称賛し、キューバ政府に国民の声に耳を傾けるよう求めた。警察官を武器で襲ったり、公共施設を破壊したり放火したりしたデモ隊員が拘束されたことに対し、バイデン大統領は23日には人権侵害であるとして制裁を強化している。
キューバのロドリゲス外相は「経済悪化は米国の封鎖のためであり、反政府デモは米国がしかけたものである。冷笑的である」と評している。
 

経済封鎖解除の見通しが切り開かれないなか、政府は何とか自力で経済を回復するとして、輸入に大幅に依存する食料の自給化を基軸に据えた経済再生策を打ち出している。エネルギー不足については、ソ連解体で石油供給が完全にストップした反省から国内で石油開発が進められており、国産の石油と限られた備蓄で何とかこの夏を乗り切るという。
とはいえ、食料生産の拡大に限っても、肥料や農薬の確保、流通部門の整備、さらには農場や工場の管理運営能力や労働意欲の向上など、課題は多い。

 
民主党のバイデン政権がなぜ対キューバ政策を変更しないのか。これは同政権をいかに評価するかという問題とも関わるが、関係改善を実現したオバマ政権下においてすら制裁は緩和されるどころか、激化していた。根底には、米国は「米国の限界」というものを乗り越えられるか、という問題が横たわっている。


キューバらしい社会体制

一方、ソ連解体により国際的に完全に孤立した1990年代とは異なり、世界の状況は変化している。国連総会で制裁解除決議に反対する国が米国とイスラエルの二か国だけになってからすでに久しいが、なかでもEUがキューバとの関係改善に本格的に動きだしたことは大きい。
ラテンアメリカでもメキシコのオブラドル政権、アルゼンチンのフェルナンド政権が成立するなど、この10年来、後退していた「米国離れ」が再生しつつある。両国政府は「反政府デモ」について米国を非難し、制裁解除を求めている。
 

7月11日の「反政府デモ」は、こうした国際情勢の変化を前に、米国が反転攻勢に出たものであった。

4月に開かれた第8回共産党大会ではラウル・カストロ第1書記が辞任し、指導部はディアス・カネル大統領ら革命を知らない世代の手に移った。世界のメディアはこれを「カストロ時代の終焉」と伝えたが、そうではなく、フィデル・カストロが提起し、「歴史的革命世代」により維持されてきた「21世紀にふさわしい、キューバらしい社会体制」の理念を、革命後世代が継承し、その実現に全力を捧げることを明らかにした党大会であった。

 
この点とも関連するが、キューバについて考える際にカギになるのは、キューバは社会主義を掲げているが、それは一般に考えられている社会主義とはまったく異なるものだということである。むしろ、「社会正義主義」とも言えるもので、「人間的でキューバらしい社会体制」とはいかなるものかについて模索し続け、ようやくたどり着いた「社会体制のあり方」を「社会主義」と呼んでいるのである。「初めに社会主義イデオロギーありき」ではない。今、キューバではこの理念に沿って政治経済社会体制の転換が進められている。
 

しかし、部分的経済自由化が進むとともに所得格差が拡大し、人種差別意識が頭をもたげるなど、矛盾も起きている。お金がすべて、という人々も現れており、「人心を変える」米国の政策が効を奏する素地が生まれている。若い指導者たちは、十分に予想していたとはいえ、早くも厳しい試練に直面している。

    

最近、新聞の経済面にしばしば登場する言葉が“K字回復”。言うまでもなくv字回復のもじりだ。
最初の縦棒はv字の下行脚に相当する。そこで谷底まで到達したあと、今度は右肩上がりの斜線へと続く。
これだけなら歪んだv字に過ぎないのだが、上り坂の中ほどで斜め下に向かう支線が発し、その線は最初の谷底まで転落して終わる。

要するに景気には浮き沈みがあって、それは今まで続いてきたのだが、それが最近は、そのように単純ではなくなったということだ。
落ちるときは、皆もろともに落ちるのだが、上がるときには勝ち組と負け組には別れてしまうということだ。

ただし、このグラフの縦軸は生産量とか利益というのではなく、所得というところがミソだ。

あくまでもモノの例えだから、あまり細かく詮議立てすると、いろいろ矛盾が出てくるが、結論から言うと所得の源泉が勤労所得と資産所得にわかれるところに股裂きの理由がある。

しかもそれが物質財と貨幣財の比率が乖離し、貨幣発行量が野放図に増加するほど、この傾向が顕著になるということだ。

勤労所得は、基本的には増減ともに等差級数的に推移する。これに対し資産所得は、預金や投資から得られる所得だから、複利でねずみ算的に増えていく。

この差が時間軸(横軸)とともに大きくなり、乖離するようになる。これが“K字回復”の機序である。つまり、このグラフの縦軸は所得ではなく、所得の対数である。

単純にいえば「バブル経済」の構図だが、バブルが信用の野放図な膨張であるのに対し、こちらは通貨供給の増加という裏づけを持っているだけ厄介だ。戦時経済にも似ている。

なお、所得ではこのグラフが成立するが、実体経済と金融市場の利益率の乖離も同じグラフで説明できるかどうかはわからない。市場ポートフォリオの再編や、政策介入、通貨事情の干渉が無視できないからである。

日経新聞に恐ろしい記事が載った。秋田博之という記者の署名記事で、土曜版一面のトップである。

見出しを並べると
きょう終戦75年
世界迫りくる無秩序の影
戦後民主主義の岐路に
というもので、民主主義の終末に対して警鐘を鳴らすものだ。
日経も変わったものだ、ふむふむと読みだすと、相当ディテールが異なってくる。
「あれあれ、なんかへんだぞ」と考え出す。
そういう意味では色々と考えさせてくれる記事ではある。

* 記事のレトリカルな特徴

「無秩序」の論拠として記事が強調するのは、国連の弱体化とIMF・世銀体制だ。

この2つは並列ではない。政治的上部構造と経済的土台だ。マルクス主義者でなくてもこれはABCだ。

筆者はこれをあえて並列化して、牛若丸のごとく、ここと思えばまたあちら。さまざまな事象を都合よくつまみ食いする。したがって内容は雑然とし、論旨は錯綜する。

経済の話と政治の話を分けた上で、論理を構築してもらわないと、賛成も反対もし兼ねる。

きつい言葉で言えば、これは酒飲み談義で、天下の日経新聞のトップ記事になるようなレベルではない。

1.国連の弱体化

記事が「無秩序」の象徴としてあげているのは、国連、とりわけ安保理の無力化だ。

その根拠は、シリア内戦。国連は何も出来ないというものだ。リットン調査団扱いだが、まぁなにも出来ていないのはそのとおりだ。

それは認める。

それがなぜなのかということになると、俄然話は変わる。「中国とロシアが拒否権を使いまくっているからだ」というのだが、そもそもシリアは喩え話に過ぎない。

問題は国連弱体化の理由が「中国とロシアが拒否権を使いまくっているから」なのかだが、ことはそれほど単純ではない。

戦後国連が発足して以来、ソ連は拒否権を発動し続けてきた。しかし国連はそれでも存在し続け、少しづつその力を蓄えてきた。

今日国際法体系が強固に築き上げられてきたのは、戦後の国際連合の業績である。それは連続拒否権攻撃を乗り越えて形成されてきた。


2.中国のIMF体制への攻撃

ここで秋田記者は突如として国連の話を止めてしまう。仕方がないので、私も従う。
とりわけ気がかりなのは、強大な経済力を使いもう一つの国際システムであるIMF・世銀体制まで切り崩しにかかっている中国の行動だ。
というのが、記者のもう一つの危機感だ。

こちらもかなりおかしい。

まず第一に、「IMF・世銀体制」に国連並みのプレステージがあるかどうかということだ。
IMF・世銀というが、ブレトンウッズはGATTもふくんでのシステムである(本来はILOもふくまれるべきだと思うが)

「IMF・世銀体制」は中国を排除してきたから、これを戦後経済システムといわれても、中国は素直に納得はできない。

当時の事情によるとはいえ、ドルという一国の通貨を国際決済通貨とするフィクションはいずれは解決すべきものである。

ということが、難癖。

第二には、中国がIMF・世銀体制を「切り崩しにかかっている」という事実認識だ。

2011年10月17日の記事で、「SDR基軸通貨構想について」というのを書いた。

デジタル人民元といい、中国はたしかにドル支配体制に風穴を開けることを願っている。それは通貨システムを壊すことではなく、すべての人に開かれたシステムに作り直し、さらに発展させることである。

それは米国以外のすべての国が願っていることであり、国際金融ゲームの一握りの勝者以外のすべての人にとって好ましいことなのだ。

もちろんそれは長期目標ではあるが。

問題は中国が現在のドル支配体制の代わりに、元による支配体制を目指すことで、それには秋田記者とともに反対したいと思う。

3.私から言いたいこと

このあとの文章も個別には触れたいところがあるが、千鳥足に付き合っていたのでは消耗だ。国連についてだけ述べておく。

国連の人権規約は、人権宣言の後15年もかけてコツコツと議論を積み上げたものだ。しかもその間冷戦はつづき、核の危機も続いた。拒否権発動も続いた。

そんな中で、世界の人々の願いに突き動かされて、国際人権規約が成立に至った。そしてさらに15年の後、日本もこの人権規約を批准した。

もっとあげておこう。植民地がなくなった、人種差別がなくなった、男女差別がなくなった、先住民への差別がなくなった…

これらがすべて戦後わずか100年足らずの間に実現したことである。

私たちには危機感もあるが夢もある。たとえばケインズの提案した世界基軸通貨「バンコール」である。

ドルにしがみつく時代はそろそろ終わるべきだ。

世界の経済と金融が、米国のしがらみから自由になったとき、真のグローバリゼーションが始まるのではないか。

「終戦」というのは正しい

1.8月15日の意味

学生時代、「終戦」というのは間違いで、大日本帝国の「敗戦」の日だと教わってきた。

たしかにそれはそのとおりだが、日本だけでなく世界のファシズム体制が最終的に終わりを告げた日という意味では、「終戦」というほうが感じが出るかも知れない。

ついにふたつの大戦まで至ってしまった、大量殺戮と「総力戦」の政治、そういう時代が終わりを告げた記念日、それが8月15日ではないだろうか。

3.時代を画す三つのエピグラフ

過ぐる時代をどう評価するか、来たるべき時代をどう作るか、それをどう次世代に引き継ぐか、それを確認していく作業が8月15日という日なのだろう。

その作業のための三つの礎がある。そこには繰り返し復唱すべきエピグラフがある。

それは第一に国連憲章、第二に世界人権宣言、第三に日本国憲法である。

A. 国連憲章(1945.4)

前文: われら連合国の人民は、一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から、将来の世代を救うことを決意した。

第1条: すべての人権と自由を尊重し、人種、性、言語または宗教による差別をなくす。


B. 世界人権宣言(1948.12)

前文: 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらした。
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利である。これを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である

第一条: すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

C: 日本国憲法

前文: われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

3.三つのエピグラフの意味

私なりの解釈だが、

第二次大戦は、人権を守る戦争だった。

ファシズムが究極の悪である理由は、人権の無視・蹂躙にある。同時にその究極の悪を暴力によって世界に押し付けようとしたことにある。

人権を守る戦いは大きな勝利を収めたが、戦いそのものは未完であって、その戦いを進めることが安定した平和ををもたらす。

人権を守る戦いは、つねに次世代のための戦いでもある。それは名誉ある戦いである。

世界は人権の実現に向けて究極的には前進しつつあることを確認しなければならない。

『反中国』でジタバタするのはおよしなさい

安倍政権、さらにその背後にいる米日支配層は,反中国の立場から危機意識を燃やして、右傾化、軍国化、対米従属強化に一路突き進んでいるようにみえる。
しかも考えれば考えるほど、日米同盟強化というその方向は、無意味で、不利益で、反国民的なように見えてくる。無意味というよりは反知性的というべきほどに思える。

私はそもそも中国と張り合おうという発想がおかしいのだと思う。張り合って勝てる可能性はほとんどない。そういう時代はもう20年も前に終わっている。
それは中国が強くなっているからではなく、日本がどんどん老衰化しているからである。
反中国派は「中国がどんどん強大化しているから怖い」というが、彼我の関係を冷静に見てみれば怖いのは「日本がどんどん弱小化している」ところにある。
そして、この傾向は、ことここに至ってはもはや防ぎようがないのである。

だから我々が日本の将来を思うとき、肝心なのは中国がどうするかではなく日本がどうなるかである。

人口はどこまで減少するとプラトーに達するのか。その時に総GDPと一人あたりGDPはどのレベルに落ち着くのか、ということは比較的容易に予想できる。

どう予想しても結論は一つ、日本はもはや決して大国ではありえない、ということである。
経済的プレゼンスはもはや台湾、韓国と肩を並べる程度に低下する。
そうなれば政治的結論は唯一つ、東アジアの政治地理学は米中関係を基軸とすることになり、米日・米韓・米台関係は米中関係に規定されて進むしかないということだ。
そうなると、日本の取る道はただ一つ、全方位外交だ。日本の安全はアメリカと中国の双方から保証してもらう他ない。

それを前提とするなら、最小限自衛も日米安保さえも是認しうるかもしれない。少なくとも中国にとっては政策選択の範囲内に入ってくる話であろう。
ただしここまでの話はきわめてマキャベリックな発想を基礎としている。肝心なことは憲法前文にある如く「国際平和のために名誉ある地位を占める」ことであり、そのための積極的なイニシアチブをいとわないことであろう。

大田講演 感想を三つほど

1.中国との主導権争い

GDP2位の交代、そして政治的には尖閣がきっかけだろうと思うが、明らかに日本の権力は中国を宿命的ライバルとみなすようになったようだ。日本の止めどない右翼化、軍事化はすべてこれで説明がつく。

中国との軍事・政治バランスをいかに保持するか、一切の軍事・政治戦略のキー概念になっているようだ。そのためにはTPPであろうとFTAであろうとなんでも飲む。

安保は明らかに中国を仮想敵国として再編されつつある。ソマリア、南スーダンへの自衛隊派遣は、尖閣防衛義務を米国に飲ませるための交換条件である。

このようにして日本は、日米同盟を攻守同盟化させ核同盟化させつつある。沖縄の海兵隊基地強化は、明らかに日本政府の能動的な姿勢のもとに突き進められている。

唯一の被爆国、憲法で戦力を放棄した国としての、戦後日本のプレステージみたいなものも投げ捨て、なぜそこまで突き進むのか。
それは台頭する中国への危機感以外には考えられない。

だから急速に進む軍国化の動きに反対し、ファシズムの出現を阻止するためにも、我々は従来型の中国観を洗いなおし、対中国関係の基本となるものを構築しなくてはならないのである。

その構想は日米両国の権力が考える対中戦略と噛み合わなくてはならないから、まずは現在進められつつある対中戦略の全体像を掌握しなければならないだろう。

2.対北朝鮮戦略の再構築

米朝関係は比較的かんたんである。息子ブッシュの大統領就任時まで、ネジを巻き戻してもう一度出発すればよいのである。

前の記事でも言ったように、北朝鮮問題のゴールは核放棄と米朝国交回復の同時決着である。このゴールは21世紀の初頭においてすでに半ば達成されていた。

これを壊したのはアメリカ側、とくに共和党筋だから、再出発には共和党をふくめたコンセンサスが必須である。言葉に出す必要はないが態度で示す必要はある。ある意味ではトランプ・共和党政権だからチャンスかもしれない。

米朝合意に基づき、①KEDO合意の再確認、②太陽政策、③6カ国協議、④日朝国交回復の4点セットが同時に進む必要がある。

北朝鮮は核とミサイルは放棄するしかないだろうが、アメリカの朝鮮半島での核の先制不使用は保障されなければならない。これは6カ国協議の枠組みで確認する以外には実現不可能であろう。

米朝合意が実現すれば、あとは日本政府が最大の妨害者になる。安倍政権は北朝鮮問題を対中国強硬路線の推進に利用している。だから米朝合意など成立しないほうが良いと思っている。困ったものだ。

3.米中合意の可能性とすり寄り戦略の破綻

オバマ政権の軸足は明らかに米日より米中にあった。米中を基軸とする戦略は初めてのものだが、今後もそれが続くのではないか。このトレンドをどう評価し、判断するかが問われる。

日本は中国を敵視し米国に擦り寄ることでアジアの勢力バランスを保とうとしているが、アメリカがはたして思惑通りに動いてくれるかどうか保障はない。今のところは日本の側の貢ぎもの次第だ。
中国重視路線と並ぶもう一つのトレンドが内向き思想である。

アメリカが今後ますます「アメリカ・ファースト」になるのは間違いない。アメリカが日本を大事にするか中国を大事にするかはイデオロギーの問題ではない。どちらが得かということでしかない。

ということは「反中国を基軸とする日米同盟」はますます非現実的なものとなるということだ。
先日読んだ丹羽宇一郎さんの本も、結局の趣旨は「日中対決時に米国が参戦する可能性はきわめて低い」ということだ。アメリカはいざという時の保険にはならない。

ということは、沖縄の基地強化、自衛隊の海外派遣、TPPによる中国包囲などの「アメリカにすり寄るための戦略」はますます無意味なものになるということである。
保険をかけるのは良いが、掛け先が間違っているし掛け方も間違っている。国防方針を再検討する以外に道はない。
基本は中国とは覇権を争わないということだ。なぜなら日本は覇道の立場を取らないからだ。ただし自衛権(正当防衛権としての警察・警備権)は持つ。この防衛権が交戦権や反撃権をもふくむかはむずかしい議論になる。(基本的には領土を越えての反撃権は持つべきでないと思うが)

太田昌克さんの講演「日米核同盟と安保法制」の要旨
久しぶりに良い講演を聞かせてもらった。2時間をこす講演 で、さらに30分の質疑応答つき。これがノンストップで続い たから相当応えたが、一気に聞かせてもらった。 レジメを手がかりに、思い出しながら要点をメモしておこうと 思う。
1.核兵器禁止条約と日本政府の対応
 いろいろ内幕が聞けたが、これは省略。要点は「核の傘」の 維持、核同盟としての「日米安保体制」が国策の最大命題だ ということ。
2.日本政府はオバマの「核先制不使用」を潰した
オバマは「核先制不使用」を宣言しようとしたが、これを日本 政府が押さえ込んだ。 トランプの当選直後のはしゃぎ振りを見て、安保の核同盟化 を目論み、見事に実現させた。 これが17年8月の「2+2合意」で確認された。 「米国の核戦力を含むあらゆる種類の能力を通じた、日本 の安全に関する同盟のコミットメントを再確認した」
3.北朝鮮政策: 米外交史上、最大の失敗
講演の三つ目の柱はペリー元国防長官との単独インタビュ ー。 このインタビューで引き出したのが、とくにブッシュ息子によ るクリントン北朝鮮政策の放棄。 これが今日の北朝鮮核問題を起こしたとする。 太田さんは、さらにオバマ政権の無策も責任があると考えて いる。
私の感想
私も、一時はオルブライト訪朝まで達成し、国交正常化も間 近と考えていた。それが突然ストップしたことに違和感を感じ ていたが、多少事情が飲み込めた。
鍵は二つ。一つは今回の選挙と同じで、圧勝と思われたゴア が番狂わせで破れたこと。もう一つはアホのブッシュの影に チェイニーがいてすべてを仕切ったこと。
確かに言われてみるとそうだ。トランプというのは口先右翼 だが、チェイニーは黙ってやりのけた。 それが大量破壊兵器のデマによるイラク攻撃の断行であり、 もう一つが北朝鮮外交の放棄だった。
北朝鮮は一転、悪の枢軸の一翼とされ、韓国の太陽政策も 小泉外交も、中国の6カ国協議も一切切り捨てられた。金正 日は世界中からコケにされたのである。

今宮さんの記事の隣に、「経済コラム」という囲み記事があって、これは記者が交替で書くいわば経済面の「潮流」みたいなものだ。
本日は金子記者の署名で「表の主役と裏の主役」というもの。この場合安保条約第5条が表方で、第2条が裏方だということになる。
今回の安倍首相の訪米は、表が尖閣諸島で、安倍首相はこのために経済協力という名の手土産を差し出したという評価であるが、これを安保条約と結びつけた発想が新鮮だ。金子記者のオリジナルかどうかは知らないが。
以下引用
今回の首脳会談では、米国の「日本防衛」を定めた安保条約第5条の適用範囲に尖閣諸島が含まれる、とトランプが表明したことが注目されました。
これと並んで、「互いに利益をもたらす経済関係の構築」と、「(アジア太平洋地域での)市場障壁の削除」との文言も書き込まれました。
これは安保条約の第2条、「国際経済政策における食い違いを除くことに務め、両国間の経済的協力を推進する」との条文に照応するものです。
安保条約の条文を今一度おさらいしておこう。
第二条: 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する
第五条: 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。(後段 略)

5条と2条のバーゲンという図式はレーガン政権発足時の「ロン・ヤス関係」に似ている。ともに癒着と従属を深める政策であることには変わりないが、どちらを売ってどちらを買うかという中身が逆になっている。
「ロン・ヤス関係」では日米貿易摩擦の中で5条を売って2条を買った。日本国憲法第9条に抵触することを知りながら、武力による貢献に一歩踏み出した。中曽根首相の「不沈空母」発言はこの時のものだ。これによって貿易摩擦を軽減しようと図ったが、それがムダだったことは歴史が証明している。
今回の安倍内閣は逆に2条を売ることで5条を買おうとしている。尖閣を安保の枠組みに組み込むことによって対中対決姿勢を確かなものにしようとしている。思えばそのためのTPPであった。そしてTPPでは不足だと蹴っ飛ばしたのがトランプ政権だ。
日米経済交渉という名の経済主権侵害が繰り返されてきた、その背景に安保条約第2条があることを、我々は忘れてはならない。日米同盟に追随することは、これまでにもまして屈服をもたらすことだ。それは日本経済の沈没へとつながっていく。それも過去の経験が明示するところだ。

この場をお借りして私の最近の勉強の一端を介する。

それは東芝問題。すでに2、3年前から大問題になっているが、私の調べたところでは東芝はだまされたといえる。(しかしそれは欲の皮が突っ張ったからで、同情の余地はない)

ウェスチングハウス社というのは、1970年代まではゼネラル・エレクトリックと肩を並べる総合家電メーカーだった。それが斜陽になり21世紀を迎えることなく消滅してしまった。しかしこの会社は軍事産業としてのもう一つの顔を持っていた。世界初の原子力潜水艦ノーチラス号から始まって、原子力空母エンタープライズなどすべての原子力艦の原子炉を生産している。この部門がいま問題になっているウェスチング原子力会社である。一応軍事産業部門は独立しているが、基本のノウハウは同じである。

この会社はえらく金食い虫で、単体での経営は困難だ。そこでイギリスの電力公社が買い取ったのだが、イギリスそのものがなかなかうまくいっていないこともあり、売りに出したのが事の始まりだ。

これに東芝が跳びついた。東芝としてはこれまでの軽水炉に加え加圧水型原子炉の技術も手に入るから、原発の一手販売が可能になる。その頃は『原発ルネッサンス』と言われ原発が成長部門と考えられていたこともある。買い取りの条件はウェスチングハウス社の持つコア技術には一切手を付けないということだ。東芝は経営責任を持つが、営業権のみの権限しかない、という誠に奇妙な合弁が成立した。

これには裏がある。米軍にすれば現代戦の最強の兵器である原潜や原子力空母の心臓部が他国のものとなるのは非常に困るのだが、維持するだけの金もない。そこで最初はイギリスに押し付けたが、イギリスが蹴ってしまった。そこで仕方なく日本に押し付けることにした。『金は出せ、しかしコア技術は渡さないぞ』ということだ。そこで経産省が乗り出した。『アメリカの要求を丸呑みしてもなおかつお釣りが出ますよ』という話で日本の各社に当たった。各社といっても原発に関して実績があるのは三菱重工、日立電機、東芝の3社しかない。

ここで登場するのがゼネラル・エレクトリックだ。実は一番WH社を欲しかったのはGEである。GE自体も決してただの電機メーカーではなく、原潜や原子力空母の原子炉を作っている。以前は軽水炉しか作れなかったのが最近では加圧水型の技術も身に着け、いまや原潜の原子炉はすべてGE製となった。しかし原子力空母では未だにWH社の後塵を拝している。だからWHは喉から手が出るほど欲しいのだが、米国の独占禁止法がそれを許さない。そこでダミーとして東芝を利用しようと考えた。東芝は軽水炉技術を通じて自分の子分になっていると考えたからだ。

此処から先は当て推量になるが、どうも東芝はGEに逆らったのではないか。さらに言えばGEの意向は米軍の意向だということを理解していなかったのではないか。

頭にきたGEは日立も巻き込んで価格操作した。これを当時のブッシュ大統領も後押しした。お陰で買取価格は数倍に膨れ上がりとてつもない『のれん料』を支払わされる羽目になった。

そこへもってきて福島原発だ。天井に登って梯子を外されて真っ逆さまに墜落してしまった。これが東芝の経営破綻の本質である。アメリカの軍産複合体の力をなめたのが命取りになったといえるだろう。

結局ヤクザな商売に手を出したのが東芝の命取りとなった、日本の電機産業のある意味では最後の砦と思われた東芝が潰れる場面を、我々は目前に見ている。ソニーもナショナルもシャープもすでにガタガタだ。今回の事件がなくても、いずれ遅かれ早かれ東芝も同じ道を辿ったかもしれない。それは日本電機産業の最後のあがきであったかもしれない。

だがそれで良いのだろうか。日米軍事同盟路線が日本経済を奈落の底に貶めるのを、我々は傍観していてよいのだろうか。いまや独立・平和の政治・経済路線を真剣に考えるべきときなのではないだろうか。

カジノ法がひどいことになっているのだが、反対論の中にアメリカからの圧力を指摘した文章が少ない。
下記は赤旗からの引用だが、だいじな情報と思われるので紹介しておく。
要するにカジノとTPPは同根なのだ。その上にトランプの登場があって、ますます激しく尻尾を振っているわけだ。実に見苦しい。

これはTPP、とりわけISDS(投資家対国家紛争解決条項)の解釈をめぐっては死活的な課題となる。
この点に関して共産党の山添参院議員が鋭い質問を行っている。
TPP ISDS訴訟・損害賠償の実例  山添拓
11月16日でやり取りが視聴できる。(ただし、このYou Tubeには下記のやり取りはない)
条約だから、国内の司法を越える部分があるのは当然ではあるが、利害が真っ向からガチンコしたときどうなるか。
これが大問題になっているのがエクアドルで起きた出来事。
エクアドルで石油採掘を行っていたシェブロン社が不採算を理由に撤退した。それまでアマゾンのジャングル地帯で原油を垂れ流し続けていた。いまも環境汚染は続いている。これに対しエクアドルの地方裁判所が損害賠償を命じる判決をくだした。
シェブロンはこれを不服として国際仲裁裁判所に提訴した。仲裁裁判所はシェブロンの訴えを認めエクアドルの地裁判決を無効とし、効力の停止を命じた。これが認められると、エクアドル政府はシェブロンの撒き散らした環境汚染の尻拭いをしなければならなくなる。それどころか、シェブロンは不当に訴えられたことに対する高額の賠償金をエクアドル政府に要求している。
なんとも理不尽な話だ。
山添議員は日本において同様の事態が起きた場合、政府としてどうするのかを問いただした。
石原TPP担当相の答弁は明確だ。
条約を遵守する立場から、仲裁判断に従う
ということだ。つまり日本の司法権は国際仲裁裁判所の判断に対して劣位に位置づけられるということだ。これが最高裁の判決であっても原則は変わらない。
金田法務大臣は、異なる見解を、控えめに述べた。
日本政府が仲裁判断に従わず、投資家が強制執行をもとめた場合、国内裁判所が「公序良俗違反」などを理由に仲裁判断を覆すこともありうる。
間に立った岸田外相は次のような見解を述べた。
国際仲裁裁判所の仲裁裁定の趣旨と、国内裁判所の判断の双方を踏まえた代替的な対応を図る。これにより、ISDS手続きを無意味にしないようにする。
一見、中立的な意見のようだが、最後の結論は「ISDS手続きを無意味にしない」ことであり、そのために「代替的な対応を図る」ということだ。つまり石原担当相と基本的な立場は変わらないことになる。

この見解がもたらすのは多国籍企業の乱訴だ。現に世界中で起きている。そのうちのいくつかは彼らの勝利に終わっている。
これに対して国内の司法判断は無視され、国家の独立の柱である司法の独立は否定されることになる。
きわめて重大な発言であり、しかも閣内不一致である。統一見解が必要だ。

7月7日の赤旗に注目すべき記事が掲載された。

見出しはこうなっている。

反共・反野党の攻撃に答える
甲府・横浜 不破前議長の街頭演説(要旨)

藤野発言で逆ねじを食らって、自衛隊をどうするのかの議論が避けて通れなくなった時点で、発表されたものだ。

この記事のリードはこうなっている。

不破哲三前議長は、甲府市(5日)と横浜市(6日)での街頭演説で、安倍晋三首相と自民党の反共・反野党の攻撃に痛烈な批判を加えました。その要旨を紹介します。

こんなことは普通はしない。二つの演説の報道記事そのものでは、こんなことは喋っていない。これは間違いなく不破さん自身が筆を入れて整理した文章だろう。「前議長」という肩書もあまり聞いたことがない。

最大の論点は自衛隊問題だ。基本的にはこれまでの見解を踏襲したものだが、いくつかの注目する論点がある。

1.自衛隊と憲法9条との矛盾の問題は、もっとも大きな問題の一つである。

なぜならアメリカとの軍事同盟という9条に背く道に踏み出して半世紀が経ってしまったからだ。

このほかにも、長く自民党政治が続いてきた結果、憲法に合わない現実が多くある。

将来、革新的政府ができた際は、こうした現実をただすことが、大きな課題となる。

2.問題は一気に解決はできない

一つにはそれが軍事同盟という国家機構のあり方そのものに関わっているからだ。

もう一つはアジアの情勢が軍事的対決の危険もはらむ中で、対応しなければならないからだ。

したがって、まずは積極的な平和外交を進め、平和で安定した国際環境を自らつくり出していくことが必要だ。

その上で、日本自身が憲法9条を真剣に守る立場を明らかにすることが基本であり、これらの点については国民が一致しうる方向だろう。

3.自衛隊の段階的縮小から廃止へ

以下は、不破さんの言葉をそのまま書き写したものである。

そのなかで、国民の合意のもとに、自衛隊を段階的に縮小して憲法の完全実施に向かってゆく。

率直に言えば、「国民の合意のもとに」はいらない。当たり前だ。

「段階的」もいらない。一度にできるわけはない。「憲法の完全実施に向かう」というのはどういうことか。文脈で見れば、「自衛隊をなくす」ということになる。

これは現実の国民の中での「自衛隊=役立ち」評価の姿勢とは、やはり平仄が合わない。「役立ち」を評価するなら、その方向での自衛隊再構築という流れにならないと論理が詰まる。

そこで「自衛隊をなくす」と言わないで、「憲法の完全実施に向かう」と含みをもたせているのが、不破さんの発言の最大のポイントであろう。


4.個別自衛権の問題が避けて通れない

ここから先は、不破さんとはまったく関係のない私の個人的な思いつきである。大した根拠もないから、あまり気にしないでください。

A.個別自衛権と正当防衛権との関係

自衛隊というのはたしかに戦力であり、いざとなれば闘い、殺しあうことになる。

ただそれは文字通り「敵の出方」次第である。敵がむやみに撃ちまくってくるならば、正当防衛権を行使してこれに対応するのは人権に属する問題だ。

歴史的には難しい問題もあるのだが、戦後70年の中で国民大多数が個別自衛権を憲法違反とはせず、裁判所も事実上それを追認して来たという経過がある。

それをすべて米日反動のなせる工作としていても、事は進まない。

B.個別自衛権と安保体制との関係

もう一つ、個別自衛権を認めないということが安保とセットになっており、米国の軍事力の下に留まる最大の根拠になっている。これは今の憲法が成り立つ国際法的基盤でもある。

護憲・平和を貫けば貫くほどに日米安保は不可避のものとなる。これは平和運動のジレンマである。

それは60年安保の時は「戸締まり論」として議論の焦点となった。しかしその例え話は米国における銃砲規制の議論とガチンコするわけで、おたがい違う次元のことを想定しているから、すれ違ってしまう。

立憲的原理として個別自衛権は認めた上で、とりわけ憲法前文の精神と突き合わせながら、憲法9条の扱いを決めていくしかないのではないだろうか。

5.自衛隊の現状は違憲状態

専守防衛、自衛権の確保という自衛隊創設の理念を認めたとしても、それとはあまりにかけ離れた自衛隊の実態がある。

まずもって、自衛隊の違憲状態への厳しい指摘が必要である。現在の自衛隊は決して専守防衛に徹した立憲主義的な組織とはなっていない。ハード的に言えば、専守防衛という枠を越えた装備、指揮系統が日本政府と米国統合参謀本部の二系統にわたる問題がある。過去の大日本帝国陸海軍への傾倒は目に余るものがあるし、政治的中立の原則、人権尊重も順守されているとは言いがたい。エトセトラだ。

これらを考えれば、現在の自衛隊を理念的にポジティブに捉えることはきわめて厳しい。理念としての個別防衛権の是認と、現実の自衛隊の受容ということの間には、なお大きな隔たりがあると言わざるをえない。

自衛隊のまるごと承認を踏み絵とするなら、それには断固拒否の姿勢を貫かざるをえないだろう。

6.国政変革の大目標と自衛隊評価問題との関係

以上を踏まえて、自衛隊問題の解決方向をスローガンとして掲げるなら、次のようになるだろう。

自衛隊は憲法の趣旨に従って専守防衛とし、それと同時に安保条約を非軍事的なものに変えていく

このように考えると、当然9条への抵触が問題となる。「国権の発動たる」という表現、「国際紛争を解決する手段としては」という表現を最大限に読み込むことになるが、「抑止力の保持」はぎりぎりクリアーするのではないだろうか。「憲法の趣旨」というのは前文のことだ。憲法前文との適合性が吟味されるべきであろう。

とは言いつつも、一般論としての憲法の枠内での個別自衛権の確認ということが、結局現実への妥協ということになってしまう一面を持っていることは否めない。率直に言えば、「国民的定着」という現実を無視はできないのである。それは正直に言って良いし、言うべきだ。

議論のポイントは二つある。

A. 個別自衛権の原点から見た、あるべき自衛隊の姿

個別自衛権の確認は、自衛隊の現状の丸呑み承認ではない。個別自衛権の確保にふさわしい組織のあり方が、より根本的に議論されなければならない。

B. 憲法前文に示された国際平和構築の任務

しかし、この個別自衛権問題が「国民連合政府」の実現への足かせとなるものではない。その最大の理由は、日本が51年の警察予備隊に始まり、戦力を事実上保持しながらも、平和国家としての歩みを続けてきたという事実である。

歴史の歩みが示しているものは、平和日本への歩みは、自衛隊のあるなしに縛り付けられているものではないということである。それこそが憲法前文の「国際社会での名誉ある地位」の精神なのである。

こういう議論もふくめながらの「国民連合政府」の政策課題が積み上げられていくことが望まれている。

そのうえで、我々の本来の主張は少数意見としては留保すべきであり、国民連合政府から民主連合政府への展望をめぐる一つの道筋としては明確にされるべきだろうと思う。これは既に、象徴天皇制をめぐる綱領議論の中で確認された論理である。


選挙後の総括の中でこれらの理論・実践課題は浮上してくるだろうと思う。「野党は共闘」で突っ走ってきた様々な人々が、今一度立ち止まって議論すべき時がやってくるだろうと思う。不破さんのことだから、そのくらいのことは見通していると思う。


東芝 粉飾決算 その後の動き

2015年07月11日

を書いて以来数ヶ月が経過した。この間あまりまじめにフォローしてなかったので、かなり分からなくなってきた。

8月12日に下記の記事をまとめてアップした。

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月13日  

結局、WH社との関係が一番の問題であることが分かった。もう一つはこの明らかな粉飾決算事件がどこまで指弾されるのか、どこからウヤムヤにされるのか、誰がもみ消そうとしているのか、あたりが今後の問題だろうと考えた。

その後戦争法反対の運動の中で、ちょっと頭が回らなくなった経過もある。

ということで、気を取り直して再チャレンジ。7月12日以降の動きをフォローしようと思う。

残念ながら前回最終日の7月12日よりかなり事実が経過してしまったため、かなりニュースが削除されてしまった。日時についても発生日時と掲載日時が微妙にぶれており、このため重複記載もあるかもしれない。

後で訂正・補充できるものについては補充していきたいと思う。

15年7月

7.20 第三者委員会、自主チェックと合わせ1560億円の利益水増しがあったことを確認。「経営トップの過度な当期利益重視の姿勢に原因があった」と指摘。

1560億円という数字は、08年度以降の累積利益である約5,700億円の1/4に当たる。

5月時点で判明していた「工事進行基準の処理に関わる」粉飾に加え、「PC事業部の部品の押し込み販売」や「半導体事業部の在庫評価」でも粉飾が明らかになった。(粉飾の手口については近日出荷さんのブログに詳しい)

7.21 東芝が記者会見。取締役8人の辞任が発表される。前田CFOより「WHは安定的な収益をきっちりと上げており、買収当時に比べ利益は大幅に拡大している」との回答が行われる。

7.24 経済産業省、会社法の運用指針を公表。社外取締役の役割を明確にし、監督機能の強化を促す。(まことにとぼけた話です)

15年8月

8.19 第三者委員会の調査に追加した調査で570億円が追加される。(粉飾発覚にもとづく固定資産の減額分)

8.31 15年3月期の決算(および金融商品取引法に定められた有価証券報告書)の発表を再度延期する。新たに10件の不適切会計が発覚したためとされる。金融庁(関東財務局)は、9月7日まで再延期することを承認。

15年9月

9.07 東芝が15年3月期決算を発表。連結税引き後利益は378億円の赤字となる。

9.07 東芝、有価証券報告書を提出。過去7年間通算で、利益を2250億円以上かさ上げしていたとされる。これは第三者委員会の調査における1560億円から700億円。8月の追加調査から120億円増えている。これは累積利益報告の40%に達する。

9.15 東証、投資家に注意を促す「特設注意市場銘柄」に東芝株を指定。企業統治などの管理体制に深刻な問題があるとする。

9.30 臨時株主総会。取締役の過半数を社外取締役にするなど、経営陣を一新。

WHを含む原子力事業で5156億円の「のれん及び無形資産」を計上。一方でWHの売上高や利益、資産状況は明らかにせず。

15年10月

10.24 東芝、事業売却による本格リストラに着手。スマホ用画像センサーや赤字が続く白色LED事業からの撤退を検討。

10月 貸借対照表(B/S)に関して触れなかった第三者委員会に隠蔽共犯の疑い。さらに役員交代後も事実を隠蔽し続けた室町現社長が同罪である可能性も浮上。さらに沈黙を守る「社外取締役」の責任も問われることになる。

15年11月

11.07 4~9月期決算を発表。「サービスや燃料事業が着実で、福島第1原発事故以降は安全対策というビジネスが伸びている」とするが、数字は明らかにせず。

WH問題については、「この9月末でも減損の兆候は見当たらず、資産性があると判断した」と述べる。

11.09 東芝、「役員責任調査委員会」の調査報告書を公表(公表のお知らせと調査報告書:PDF)。歴代3社長と元最高財務責任者(CFO)計5人の責任を明確化する。しかし室町正志社長ら現執行部は免罪される。

役員責任調査委員会: 東芝の依頼を受け、弁護士を中心に構成される。新旧役員の法的責任の有無と、それに伴う東芝からの損害賠償請求の可能性を調査。

11.09 東芝は、「役員責任調査委員会」の報告を元に、旧経営陣5人への損害賠償請求訴訟を起こす。

11.12 日経、WHで1600億円の巨額減損が発生し赤字決算となっていたことを明らかにする。社内メールの漏洩から明らかになる。

11.13 東芝、ウェスチングハウス社単体の減損を開示。

11.16 東証、東芝は開示基準に違反する可能性があると指摘。12年度のWH単体決算で約762億円の「のれん代」の減損損失を計上したにもかかわらず、情報開示しなかったことが問題とされる。

11.17 東芝、東証の指摘を受け、WH単体の減損に至った経緯を開示。連結の減損処理を見送ったことについては、「公正価値は帳簿価格を上回っている」と強弁。

11.26 弁護士や大学教授らのグループの「第三者委員会報告書格付け委員会」、7月に東芝の第三者委が出した報告書を批判。東芝に頼まれた範囲に調査を絞ったことで「第三者性」が欠落したとする。

11.27 東芝社長が記者会見。内容は①ウエスチングハウスの減損の詳細。②あらたな「事業計画」に就いてである。

①減損の詳細: 06年の買収以降、WHの累積営業赤字は3億ドルに達していた。東芝はWHが計上した減損損失を、本体の連結決算(のれん料の減損)に反映しなかった。室町社長は、WHの経営状況を開示しなかったことを陳謝。

②「64基計画」と呼ばれる事業計画: “世界的に原子炉がどんどん建っていく”と予想し、“今後15年間で64基の原発受注”を骨子とし、“18年度以降は利益が3倍増”という荒唐無稽なもの。当面する経営苦境については、「売却できる事業は売却する」とのべる。

15年12月

12.01 証券取引等監視委員会、東芝に74億円前後の課徴金の納付をもとめる。旧幹部の刑事告発は見送られる。企業の統治がずさんなため誰1人全体像を把握できていなかった結果、個人の刑事責任を問えないとする。

12.04 東芝、富士通、VAIO(ソニー)の3社がパソコン事業を統合する検討に入る。

12.05 東芝、白物家電の分離でシャープとの統合案が浮上。

12.05 画像用半導体の大分工場をソニーに売却。従業員約1100人がソニーに転籍することとなる。他の半導体事業の従業員についても、配置転換や早期退職により約1200人を削減する計画。

 

東芝 粉飾決算 その後の動き

昨日の赤旗で、重い話題がふたつと書いたが、もう一つが東芝問題だ。

8月12日に下記の記事をまとめてアップした。

闇株新聞といういささか怪しげな名前のサイトがある。ダイヤモンド社がスポンサーで内容はしっかりしている

。その12月4日号に載った記事を引用しておく。

 それでも「名門企業だから刑事事件にならない」のか?

日経ビジネスの証拠(メール)は、入手方法によっては「証拠能力」がなくなります。しかし捜査当局があらためて令状をとって入手すれば、十分な証拠となるはずです。あくまで捜査当局が「そうすれば」の話ですが。

 第三者委員会や東京証券取引所や証券取引等監視委員会(SESC)らの責任問題まで飛び出してくれば、今度は東芝を「徹底的に悪者」に仕立て上げなければならなくなり、刑事事件化する可能性もなきにしもあらずです。

 しかし当局は予定通り、金融庁による73億円の課徴金処分だけで、何事もなかったように済ませようとするはずです。

参考までに東芝のWH社買収に至る経過をおさらいしておく。

2005年6月 BNFL社がWH売却を決める。

7月 「ウエスティングハウスを三菱重工が買収か?」の情報が流される。これはこれとして、素直な流れだ。沸騰水型は三菱重工のオハコだということ もあるが、何よりも三菱重工が日本を代表する軍事産業であり防衛省と一体関係にあるからだ。アメリカが押し付ける相手としては最高だ。

にもかかわらず、BNFL取締役会の直前、奇妙な動きが出てくる。

2006年1月20日 GEが応札すると発表。これに日立製作所も組んで参加の意向を表明した。最終選定が予定されたBNFL取締役会のわずか1週間前である。まぁ率直に言えばジェスチャーだ。

1月22日 ブッシュ米大統領が米企業の支援をブレア英首相に表明した。米商務長官も「ブッシュ政権はGEを支援している」とする書簡を英貿易産業相に送った。

1月23日 イギリスのフィナンシャル・タイムズが「東芝が勝利した」と報道した。買収額は当初予想の2倍以上の50億ドル。どう考えても米・英政府が一体となった「アオリ」行為だ。

1月26日 BNFL取締役会が東芝売却を正式決定した。東芝はWH社の方針には干渉しないと発表した。この間に何があったかは想像に難くない。アメリカは三菱重工の態度を警戒したのだ。そして東芝に売るためにGEとつるんで一芝居うったのだ。

日本の三大重電企業である三菱重工、日立、東芝は米英両国に翻弄され、東芝が高値でジョーカーを掴まされたのだ。

東芝はそれでも「社長の愛人を名義だけ引き取れば余録がある」と踏んだから買ったのだろうが、その結果が今の体たらくである。御三方が頭に来て、べらべらと喋ってくれると有り難いが、そんなことをしたら命がいくつあっても足りないだろう。


あとから気づいたのだが、どうも最後の1週間の経過が変だ。

「どう考えても米・英政府が一体となった“アオリ”行為だ」と書いたのだが、値段を吊り上げるだけのためにそこまでするだろうか?

GEが突如応札の意向を表明し、日立が参加の意向を表明し、ブッシュ大統領が動き、商務長官も動いた。

これだけの駒が動いたら、もうひっくり返ったも同じだ。東芝が逆立ちしたって勝てっこない。

にもかかわらず、その翌日には「東芝が勝利」と報道された。

にもかかわらず、アメリカ政府は何の反応も示さなかった。

一体これはなんだろう。東芝と経産省がなにか重大な一札を入れたのだろうか?

そもそもGEが買えばアメリカにとっては何の問題もない。ところが、そこには独禁法抵触という問題が生じる。

したがって、GEは実質傘下の東芝に買わせようとした。これなら三菱を相手に東芝がしゃしゃり出てきた経過が説明できる。

とすれば、GEは土壇場になってなぜ東芝に回し蹴りを入れたのか? しかも同じ沸騰水型の日立をダシにして…

もう少し調べてみなければならない。

これは安倍首相の言葉だ。思わず目を疑う。
12月5日の英「エコノミスト」誌のインタビューでの発言。
* TPP交渉の参加国のなかで、私がもっとも強力に交渉を推進している。
*今年の日米首脳会談でも、交渉担当者に柔軟になるよう強く支持をした。だからこそ、早期の妥結は実現するだろう。これは強い決断だ。
*いまの交渉は全体として容易であり、最終段階に達しようとしている。
「TPP反対、自民党ウソつかない」と語ったあの舌はどこに行ったのだろう。これだけ誇らしげに、国民に嘘をついたことを自慢するような人物は、人間としての資質を疑わざるをえない。CTとったら前頭葉空っぽなのではないか。

井上議員の質問で提示された自民党のポスター。質疑応答は下記のアドレスで閲覧可能である。
https://www.youtube.com/watch?v=7Ouad-t0KWU
ウソつかない TPP断固反対 自民党
若干字余りだが、みごとな川柳ともとれる。

TPP_イノウエ
このポスター、次の選挙ではそっくり共産党のポスターに拝借してもよいだろう。

今度はカジノについてのウィキペディアの説明。

カジノは120ヶ国以上で合法化されており、国によって制限内容は大きく異なる。世界で2000軒以上のカジノが存在し、観光資源の1つとして競争が行われている。

スペインが1977年、デンマークは1991年、スイスは2000年から合法になった。

米国では、10の州では合法で、3つの州(アーカンソー州、ハワイ州、ユタ州)では禁止されている。ニュージャージー州では、1976年に保養地のアトランティック・シティー限定でカジノを合法化した。インディアン自治区におけるカジノは24以上の州に存在している。

アジアではマカオが有名だが、最近では新たにカジノが合法化されている国が増えている。韓国のカジノはほとんどが外国人専用で、客の9割が日本人である。

日本では、ギャンブル依存症の拡大、青少年への悪影響、治安悪化、暴力団などの犯罪組織の資金源になるなどの恐れがあることから、反対の動きが根強い。

ということでこの項目の著者はかなりカジノに前のめりな人のようだ。

まず第一に、現在行われている競輪、競馬など、また宝くじ等は賭博に該当するのか?

カジノはそれらと性質が異なるのか?

ということが問題になる。

次いで、競輪・競馬や宝くじで依存症になったり生活崩壊するケースがどのくらいあるのか。カジノはそれらに比べ毒性が強いものなのか。

あたりも、知っておく必要があるだろう。

まずはウィキペディアから

賭博は、金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりを行なう行為の総称である。

ということで、どうも「偶然性の要素」というのが判断の基準になるようだ。

日本では、地方自治体などによって主催される「公営ギャンブル」およびパチンコなどのギャンブル的な要素を持つ各種遊技が行われている。

カジノが解禁されれば、ここに加わってくることになるのだろうか。

公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な財源となってきたが、近年では一般大衆の「ギャンブル離れ」の影響を強く受けて不採算化が著しい。

ということになると、カジノの是非以前に、そもそも営業が成り立つのかどうかという問題が浮上してきそうだ。

パチンコ、ゲームセンター、麻雀などは、「ギャンブル的な要素を持つ遊技」とされており、ギャンブルそのものとはみなされていない。しかし近年のパチンコのように射幸心を煽る傾向が強まれば、本格的な規制の対象となる可能性がある。

カジノバーはこれらのゲームとは明らかに区別されている。

カジノバーは「換金できないチップを用いて店内に設置したルーレットなどで遊ぶことでカジノ的な雰囲気を楽しむ」施設とされているが、合法的なカジノバーを隠れ蓑にヤミのカジノを開帳すれば、違法賭博として警察から摘発される。

業として行われるもの以外に花札、ポーカー、サイコロ、バカラなどもゲームと賭博との境界が曖昧である。地方によっては闘鶏、闘犬、闘牛もギャンブルの対象となる。

むかし勤めていた病院では、患者さんが大相撲の勝ち負けクイズをやって、大いに盛り上がっていたが、その筋のお達しにより止めになった。

厳密に言うと、「ジャンケンをして(一番)負けた人が(他の全員に)缶ジュースを奢る」等のレベルの行為も賭博にあたるそうだ。

と、ここまでがウィキペディアの解説だが、期待した質問への応えはない。

大門議員のいつもながら胸のすくようなセリフが炸裂する。
「国民の願いを胸に」という議員が交代で書くコラム。

賭博は犯罪を誘発するという理由により刑法で禁じられています。
…先月ある会合の席でカジノ推進派議員と議論になりました。
A議員「カジノは経済効果がある」
私「人のカネまきあげておいて、どこが経済対策か」
B議員「雇用は増える」
私「雇われた人の何倍もの人の人生が破壊される」
B議員「ギャンブル依存症対策は、カジノの収益金を使って行うことになっている」
私「依存症を作っていて、その対策をやりますなど、マッチポンプだ」
…民間企業の関係者も、家族もいれば子供もいるでしょう。お天道さまに恥ずかしくない堅気の商売に精を出してほしいものです。

ただ、残念ながら、私は賭博の実体を余り良く知らないので、当面はコメントできない。
賭博性の強いゲームはたくさんあるが、それらと賭博そのものとの質的差を少し勉強してみなければならない。

ふと思った。与謝野はトロイの木馬だ。

脇さんの演説を読んで、先日の藤井・与謝野の座談会を思い出した。

座談会の記事を読んだ感想で、藤井と与謝野の違いをメモしておいたが、いま考えるとこの違いには重要な意味があったのではないかと思うようになった。

民主党政権の後半期は間違いなく「連合」党であった。ということは限りなく「経団連」党であった。

そして経団連の意を体した切り札として送り込まれたのが与謝野ではなかったかと思う。

菅直人は、民主党御三家の一人ではあったが、だいぶ見劣りのするタレント幹部にしか過ぎなかった。

彼が首相になる時は「連合」の意向を最大限受け入れるしかなかった。もちろんその背後には経団連がいる。

菅は経団連会長の傀儡となることによってのみ首相になれたのである。その際、「お目付け役」として送り込まれたのが与謝野という構図なのだろう。

与謝野はどう間違っても民主党ではないし、リベラルでもない。それに経済理論家でもなければテクノクラートでもない。東電出身の叩き上げ政治家でしかない。たしかに毛並みは良いかも知れないが、尊敬されるほどの人格者でもない。

ただオシの強さだけで政界を生き抜いてきた人物だ。

もちろん、財政の改革も、社会保障の再確立も重要な課題だし、ともに金が絡む以上一体的にやってゆかざるをえないことも自明だ。

しかし普通に考えるなら三方一両損で行くのが政治の世界だ。これを全部国民負担としておっかぶせて、大企業がぬくぬくと儲けを貯めこんでいくような政策は、長期的に維持不可能だ。

何よりも国民が許さない。

その国民が許さないような政策を民主党は受け入れてしまった。文句をいうような幹部は潰された。だから民主党は潰れたのである。

そして与謝野はトロイの木馬となった。

アーミテージらを論じるブログはたくさんある。

そんな中から拾ったいくつかの事実を上げておく。

毎日新聞 9月30日 夕刊 特集ワイドに北沢元防衛相のインタビューが載っている。

防衛相在任中に当時のゲーツ米国防長官と8回会談したほか、米政府やシンクタンクの多くの要人に会ったけれ ど、公式・非公式問わず「日本政府は集団的自衛権行使を容認すべし」との意見は全く聞かなかった。

2005年まで国務副長官だったアーミテージさんだけは 「容認すべきだ」と言っていたけど。

有事の際の役割分担を含め、集団的自衛権を改めて持ち出さなくても困らないよう、きちんとすき間は埋められているんです。

米国は日本がアジア諸国から危険視されず信頼される国であってほしいと考えていることは間違いない。「特に中国、韓国とは仲良くしてほしい」という忠告は米国に行けば必ず言われます。

だから現状では米国は行使容認の必要性は感じていない。

しかし北沢氏は知っていたのだろうか。
第3次アーミテージレポートの日本語訳が海上自衛隊幹部学校のHPに掲載されていることを。

民主党の一閣僚にすぎない防衛大臣は、完全にスルーされていた可能性がある。


左翼ブロガーは彼らを「ジャパン・ハンドラー」と呼んで、日本の生殺与奪の権力を握っていたかのように描いたかと思うと、いまは権力の中枢から弾かれて、一介の議会ロビイストに過ぎなくなたとこき下ろしたりと、どうも言うことが極端だ。

しかし、アーミテージはいまも、安倍首相の周辺や自衛隊制服組のあいだでは今でもマッカーサー並みの権威を持っている。

これを時代錯誤だと一蹴してはいけないだろう。国防総省・国務省・太平洋軍という表の権力とは別の権力(軍産複合体)が、今も動いていると見るべきではないか。


このあいだの在韓米軍幹部の発言だが、出処は時事通信だった。
重大発言の割りにはフォローがない。発言の背景が今ひとつ不明で、唐突な印象を否めない。
共同通信はこの発言をもう少しフォローしている。それが以下の部分。

この発言を受け、米国防総省のリトル報道官は「米国は日米韓の協力拡大に期待している」とする談話を発表し、日韓関係の改善による日米韓3カ国の安全保障面での連携を強化する重要性を強調した。

 また、ロックリア米太平洋軍司令官は同日の記者会見で、北朝鮮などによる脅威が高まった場合は、憲法9条の改正について「議論を行う必要が出てくる」と述べ、日本国内の動きに一定の理解を示した。(共同)

上記の記事で分かるように、在韓米軍幹部の発言は「つい喋ってしまった」という性格のものではない。国防総省の報道官も太平洋軍司令官も、在韓米軍幹部の発言を否定せず、それを前提として、日本側の衝撃を和らげるコメントを発している。

明らかにアメリカ軍・政府のチームプレーのもとで行われたものだ。

それは日米2プラス2会談の時期を狙って放たれた矢と考えるべきであろう。


ここで注目されるのがロックリア米太平洋軍司令官 の発言。これが良くわからない。憲法9条の改正について「議論を行う必要が出てくる」 とはどういうことだろう。誰と誰が議論するのだろう。

あるブログでは、これは誤訳ではないだろうかと指摘している。誤訳とすればゆるがせにはできない。しかし会見の全文はとりあえず見当たらない。定時の記者会見であれば、太平洋軍のホームページに行けば手に入るのかも知れないが…


時事通信の配信した文章全文があった。赤旗の省略した部分は以下のとおり。

ただ、この後ソウル市内のホテルで記者会見 したロックリア太平洋軍司令官は、北朝鮮をはじめとする脅威に対処するため憲法を変える必要があると感じた場合、「日本など地域各国の政府は議論を行う必要が出てくる」と強調。日本国内の動きに一定の理解を示した。 

つまり、「在韓米軍幹部」というのは、どうもロックリア本人の可能性が強い。

もうひとつ、ロックリアは「日本など地域各国の政府 は議論を行う必要が出てくる」と言っているのであって、日本国内に配慮したわけではないということである。むしろ「日本が憲法改正で突っ走るのなら、こちらは周辺国と対応を協議しますよ」という警告に近い。


ロックリア(Samuel Locklear)でグーグル検索してみると、下記のファイルを見つけた。

今年2月1日 電話記者会見 AFPの配信

米国は(アジア地域に)さらに基地を建設するつもりはない。(過去60年にわたって)この地域はいたって安定していた。戦略機軸の転換は基地新設を意味するものではなく、従来の同盟関係を強化し近代化していくことだ。

アジア太平洋地域における戦力バランスを米国が『再調整』するのではとの憶測や疑念が著しいが、これだけは言わせてもらいたい。再調整とは協調と協力の戦略だ。

尖閣問題は軍事介入なくして諸政府間で決定してほしい。最終的な帰属については、米国は判断を下す立場にはない。


日本関係情報 

国立国会図書館調査及び立法考査局
【アメリカ】 米太平洋軍及び戦略軍の態勢に関する下院公聴会
海外立法情報課・新田紀子

その一部

…ロックリア司令官は、次のように述べた。

第二次世界大戦後、米国は同盟国やパートナー国との関係を基本的には二国間関係の枠組みを中心に、ハブ・アンド・スポーク体制として構築・機能してきたが、一定の戦略環境の変化と多国間関係の重要性が増大している。

米国は、その意味で多国間枠組みを追求し、東アジア・サミットなどを支持しており、同盟国との関係においても、日米韓や日米豪といった3か国の活動も追求対象としている。

とすれば、「議論を行う必要性」は日本国内への配慮ではなく、韓国、場合によっては中国もふくむ議論の必要性と読み取るべきではないか。

次が7月11日の国防総省での記者会見

中国が経済大国化する中、中国海軍が自国領海から外洋へと進出してくるのは不可避だ。

しかしこれに伴い、(中国海軍の)若い司令官や指揮官が絡む誤算が生じる恐れ」は否定できない。

こうした衝突を回避するために米中の軍当局間で対話を進め、公海上などでルールを共有する必要がある

なお、ロックリアはこの会見で、「中国海軍の艦艇を米海軍基地に停泊させることを検討中だ」とも語っているようだが、産経新聞はこの部分をカットしている。(「人民網」には共同電によるとしてこの一文も掲載されている)




何れにしても、ロックリアの論調はアーミテージの第三レポートとは大分趣をことにしているようだ。どうもこのへんの事情が理解できていない。赤旗でもそういう論調はお目にかからない。

毎度読むたびに虫酸が走るが、読まない訳にはいかない。

経団連のコメント:
1.日本再興戦略の実行、大胆な規制改革、エネルギー政策の再構築、TPPを始めとする経済連携の推進など山積する課題を遂行せよ。
2.消費税率の着実な引き上げを不可欠の課題として最重視せよ。
3.(財界は)安倍政権の政策遂行に全面的に協力する。

経済同友会のコメント
1.少なくとも3年間の安定した政権となった。この3年間は日本再興の最後のチャンスだ。
2.経済政策のみならず、選挙制度、統治機構改革などの重要課題を遂行せよ。

ということだが、上記を見てはっきりしているのは消費税の引き上げが当面する最重要か愛として位置づけられていることだ。

しかも重要なのは、財政健全化という錦の御旗なしの主張となっていることだ。財政健全化を言えばアベノミクスと正面から衝突するので、この理屈は使えない。そうすると法人税引き下げのための財源ということになるのだが、そこは口が裂けても言えない。

米倉会長は、消費税で不況となっても「ある程度覚悟しなければならない」と強調しているようだ。

「我々が亡き後に洪水来たれ」とは、資本家の無節操ぶりを表すのによく使われる言葉だが、米倉会長は生きているいるうちに洪水を来たそうとしている。我が家はかすっていくだけだと踏んでいるからだ。

こういうのを「亡国の輩」というのではないかな、麻生さん。

片や米中首脳会談があり、片や防衛相の先制攻撃発言がある、これが現状です。
どちらがアメリカの本音か? 

言うまでもなく本音は対中関係です。
日米同盟はそのために役に立つ限りでの同盟なのです。
アメリカは対中関係を有利に進めるための手駒として日本を利用しているだけです。糟糠の妻・日本は、いまや「突き捨て歩」であり捨て駒です。

もう13年も前、アメリカのNMD構想について調べたことがあります。核弾頭ミサイルがアメリカ本土に飛んでくる時それをどう防ぐかという作戦であり、レーガン政権の打ち出したいわゆるスターウォーズの延長です。
やればやるほど、それが不可能であることが明らかになりました。
そこで打ちだされたのがTMDです。

(NMDはNational Missile Defense:国家ミサイル防衛。TMDはTheater Missile Defense:戦域ミサイル防衛の略)

ブッシュ戦略とNMD構想  北海道AALA2001年度総会のために
http://ha6.seikyou.ne.jp/home/AALA-HOKKAIDO/jousei/2001.htm

 NMD推進派の中でもっとも危険な主張は,元CIA長官ジェームス・ウールジーらのものです.NMDの最大の泣き所はおとりとの識別,弾頭分割型 ミサイルへの対処です.多弾頭ミサイルの場合,弾頭が八つに分かれるなら,それに対抗するためには8基の迎撃ミサイルが必要になります.さらにそれが多数 のおとり弾頭をばら撒けば,識別能力がない限り,それら一つ一つに1基の迎撃ミサイルが対応しなければなりません.

 これらの困難を解決する一番有効な方法は,攻撃ミサイルが発射された直後,未だブースト段階のミサイルを叩くことしかありません.ウールジーは北朝鮮の近くに迎撃ミサイルを配備せよと主張しています.こうなると果たして防衛なのか攻撃なのか分かりません.

 深刻なことに,ウールジーの主張はその技術的合理性とコスト上の利点が受けて,アメリカ政界に影響を広げつつあります.例えば,民主党軍縮派の理論家と言われるバイデン上院議員は,「北朝鮮のミサイルは,イージス艦搭載の迎撃ミサイルでブースト段階のあいだに打ち落とすのがいい」と発言してい ます.そしてまさにウールジーの主張の延長線上に,日本のTMD構想があるのです.

この時は日本は脇役でした。今度は日本に主役を演じさせようというのが米軍産複合体の思惑です。
中国とは今後仲良くやって行きましょう。しかし言うことを聞かない時は日本カードを切りますよ、というのがアメリカの本音だと思います。

こんなババ抜きカードでババを引いてはなりません。日本政府としては一刻も早くおさらばすべきです。身も心もグローバル化(無国籍化)した財界は、アメリカ・カードを握って離さないでしょうが…

ウォール・ストリート・ジャーナルがとんでもないニュースを発した。

小野寺五典防衛相がウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューでこたえたもの。

防衛計画の大綱の見直しで、北朝鮮のミサイルの脅威に関連して、敵基地に対する攻撃能力を持たせるなど自衛隊の役割を強化すると発言した。

攻撃が迫っていることが明らかになったりした場合には、日本が相手国を先制攻撃するのは自然なことで、国際的にも当たり前のこと であり、「憲法上も元々許されている と言われている」と強調した。

また、日本が防衛しなければならない海の面積が膨大であることを指摘し、米国の海兵隊に似た部隊を創設する必要性を訴えた。


どうも連中、鉄砲をぶっ放したくしくてしょうがないみたいだ。
中国はさすがに怖くて手が出せないが、北朝鮮ならやっつけてやろうと思っている。
そして北朝鮮への武力行使で、日本の本気度を示して中国を威嚇しょうと待ち構えている。
今私たちはとんでもない政権を抱いているのだ、ということを痛感せざるを得ない。
ドイツ国民は経済が良くなったといって、ナチスを歓迎した。実は良くなんかなっていなくて、莫大な負債を作り上げて、そのツケをチャラにするために戦争を始めたのだ。
今では、ナチスは最初から戦争で借金を踏み倒すつもりで政権についたのだということがはっきりしている。アベノミクスもどうもそれに近そうだ。

ヒットラーに似せた安倍首相の絵が、絵空事ではなくなっている。


都はるみのヒット曲で、「北の宿」という歌がある。

女心の未練でしょうか?
そうだ、そのとおりだ。

「仕方ない」という人もいるかもしれないが、時代劇の語りで言うなら「それは自分を棄てた男に対する未練であろうか」ということだ。

直視しなければならないのは、もはや彼は「私の彼」ではないということだ。カネを無心に来たらきっぱりと断ろう。

こんな曲もあった。
あの人は、行って行ってしまった。もう他所の人。

なんせ本人が、「おれっちはグローバルなマドロスさんだぜ」と言っているのだから間違いない。
ただそう言っておきながら、「居て貰いたいんなら、もっと金を出せ」というのは虫酸が走る。こういうのをやくざのヒモという。


頃は安政2年(1855年)、幕末のことである。
零細漁民が場所請負人の仕掛けたニシン漁の大網を切るという騒動があった。
背景はなかなかややこしいが、次のようなものである。
北海道を仕切っていたのは松前藩という大名。当時北海道は米が取れないので石高はゼロ、にしんや昆布の売上で藩財政をまかなっていた。
といっても武士は商売は苦手、商人に漁場を請け負わせて、そこからピンはねするという商売である。
この請負人は、最初は各地に運上屋という施設をたちあげて、現地のアイヌ人や和人の漁民から買い上げる商売だったが、これではウマミが少ない。直接企業を起こして現地の人を使役して、自ら漁業を営むようになった。

そこから3つの問題が発生してくる。
一つは乱獲だ。請負人には資本があるから大規模漁業をやる。大網を仕掛けて文字通りに真を一網打尽にする。当然資源は枯渇してくる。中小漁民の顎は干上がるという具合だ。
二つ目は、「場所」での階級関係が変化してくる。それまでは地元民は通商相手であり、「メノコ勘定」といっても基本的にはイーブンだ。しかし彼らを労働者として使役するようになると、状況は一変し、対立は先鋭化する。
3つ目は権力の変容だ。請負人が財力を持つようになれば、松前藩の政治を動かすようになる。藩は請負人の顔色をうかがうことなく政治を行うことはできなくなってくる。
別に汚職などやらなくてもよい。藩の財政は運上金で成り立っているわけだから、請負人が困れば藩も困るのである。
とは言っても、松前藩としては資源が枯渇しては困るわけで、そこがローカルな権力のローカルたる所以だ。
藩としてはこれまでは目をつぶってきたが、ここいらが限界ということで「大網禁令」を発することとなった。

ここからが一躍現代的な話となる。
「大網禁令」を受けた請負人たちは、「恐れながら」と箱館奉行所に駆け込んだ。

ここが話しの難しいところだが、実は当時の北海道は幕府と松前藩の二重支配構造になっていたのである。
安政といえば、時代劇のフアンにはお馴染み、幕末の「安政の大獄」という時代で、吉田松陰ら勤皇の志士が獄に繋がれ、最後に大老井伊直弼が桜田門城外で水戸藩浪士によって斬殺されるという時代である。
その背景にあったのはアメリカのペリー船長の黒船だが、本当のところ最大の脅威はアメリカではなくロシアだった。
そのロシアとの最大の接点となったのが北海道、千島、樺太だったのである。
それまで北海道を全面的に管轄していたのは松前藩だったが、19世紀の初めからは幕府が直接管理に乗り出すようになった。
その拠点が箱館奉行所だった。松前藩も箱館奉行所には頭が上がらなかったのである。

請負業者が「恐れながら」と申し出た内容は次のとおりである。
1.今はそういう時代か。もし北海道がロシアに奪われれば、資源も持続性もへったくれもないでしょう。
たしかにこれは説得力がある。
2.大網禁止は国家収入の減少をもたらし、経済的な国力の低下をもたらすのではないでしょうか。
これなんぞ、今の経団連の国際経済競争力の低下の論理と瓜二つ。
3.いったん事あれば軍事的にも請負業者の船舶、軍船の運転能力が必要になるでしょう。

これを聞いた箱館奉行所は、松前藩の頭越しに、大網の運営を許可することになる。

原発の論理が似たような軌跡をたどっているが、大企業の本質は変わらないということだ。


最終的な議論の落ち着きどころが見えてきた。
問題はこうなる。

人を大事にするか、それとも利益か

これは国の原則でもあるが、経営の原則でもある。
今の経団連主流は明らかに利益が第一である。第一であるというより、すべてだ。
彼らは基本的就業構造を、育成型から略奪型構造に変えようとしている。
彼らがほしいのは人材ではなく才能なのだ。
しかし才能というのは属人的なものだ。
使い捨てしていけばいずれは枯渇する。焼畑農業みたいなものだ。
おそらくその時は畑そのものを捨てて、別な所で焼き畑をするのだろう。それがグローバルというものである。

これでは持続型の発展は望めない。それどころか至る所で砂漠化をもたらすだけであろう。

才能というのは人間の花に当たる部分で、根があって、茎があって、葉があって初めて咲くものである。人を育てなければ花は咲かない。肥料ももちろんだが丹精を込めることが大事なのだ。

そのことは97年以来の経験で十分分かっているはずなのだが、経団連幹部の暴走に誰も異を唱えようとはしない。

アメリカが怖いからなのだろうか。


「国民総所得を増やす」という騙し

私も知らずに恥をかくところだった。

安倍首相の言う「10年間で一人あたり国民総所得を150万円増やす」という公約。

この国民総所得というのは給与所得とも雇用者報酬ともまったく関係のない概念だということだ。

垣内さんによれば、国民総所得というのは、むかしよく使われていた国民総生産(GNP)のことだそうだ。

話の経過からすると、むかしの日本は、いつも貿易赤字を出してヒイヒイ言っていたので国民総生産=国民総所得で良かったのだが、貿易黒字国になって海外からの利子・配当収入が入ってくると。総生産よりも総所得のほうが多くなって来て、国内生産を反映しなくなってしまったために、経済指標がGDPに変わったのだそうだ。

だから、逆に言うと、国民総所得というのはGDPに海外からの利子・配当収入を足したものということだ。

したがって、安倍首相の言う「国民総所得を増やす」というのは、あらあらで言ってGNPを一人あたり150万円分増やすということにすぎない。

GNPが増えても給与は上がらない。そのことは過去10年余りで実際に経験してきたことだ。

ところが安倍首相はGNPを増やすことをもって、「国民の平均年収を150万円増やす」と言っているらしい。「らしい」というのは、各地の演説でしゃべっているという情報で、確認はとれていない。

たださすがに問題にはなっているようで、菅官房長官は「首相は分かりやすく説明しようとしたんだろう」と釈明しているようである。

しかし垣内さんはこれは「言い換え」ではなく、「すり替え」だと噛み付いている。

私から見れば「騙しのテクニック」だ。

むかしの旅役者の「美空びばり」並みのお粗末。


5月29日産業競争力会議での発言。

我々のようなグローバル企業の場合、世界中のどこで投資をするかという際に、様々な条件を比較した上で、国内有利であれば国内、海外が有利であれば海外ということになる。
(だから)国内で投資をできるよう、環境整備をお願いしたい


基本的に、会議の性格に相応しくない発言だということが、まるでわかっていない。
この会議の目的は日本の産業競争力をどう回復させるかということであって、冷やかし客相手の値引き交渉ではない。
榊原氏の発言は、「嫌ならいいんだよ、よそに行くから」と言わんばかりの冷やかし客の発言であって、日本の立場に立ったものではない。
たとえばGEでもシーメンスでも、聞かれれば同じことを言うだろう。なぜなら彼らもグローバル企業だからである。

会議のメンバーとしての立場がまったくわきまえられていない。普通はこんな発言をするものがいれば、「とっとと出て行け!」と怒鳴られる筋合いのものである。
そのことがまるでわかっていないから、そもそも話が通じないのである。

安倍首相のいう「成長戦略」は矢の向きが逆だと言ってきた。
他の日本の矢が正しいかどうかは別にして、景気の振興、内需の拡大という方向はそれなりに感じられるが、「成長戦略」はどう見ても成長どころか内需の減退をもたらすものでしかない。

「世界で一番企業が活動しやすい国」というのは、いわば日本を多国籍企業の植民地とするということだ。

多国籍企業にとって一番仕事がしやすい環境とは、第一にタックス・ヘイブンになって資本の出し入れ自由の国になることだ。第二に労働力流動化が進んで首切り自由、労働者使い捨て御免の国になることだ。第三にあらゆる規制を取り払って、安全とか環境とかを一切考慮しないということだ。

(多国籍企業の道徳心のなさは、「課税逃れ」に典型的だ。
EUは、取り逃がしている税額が1兆ユーロ(約130兆円)になると見積もっている。これはEU加盟27カ国の財政赤字を合わせた額の2倍だ)

日本という国にとって、それが何を意味するか。
第一に国家の収入は減り、生産活動は外国に流れるということだ。第二に、勤労者の生活はますます悪化し、内需は収縮するということだ。第三にアメリカの悪いところがどんどん侵入し、自分のことしか考えない風潮が広がっていくということだ。

一言で言えば、「日本という国が壊れる」ということだ。

安倍首相の言葉を借りるなら、「世界で一番国内企業が活動しやすい国」にしなければならない。
いまや身も心も多国籍企業となった大企業ではなく、国内企業に軸足を置く産業政策への切り替えが必要だ。そのために成長力のあるものづくり産業を振興・育成しなければならない。

「経団連よさようなら」を宣言するのは、今でしょう。


産業政策を経団連から切り離せ

6月7日に政府の「ものづくり白書」が決定された。

白書は重大な懸念を表している。

①今後3年間に海外従業員数を増加させると回答した企業が53%に達した。

②海外生産を行なっている企業の33%が国内従業員数を減らすと回答した。

③生産設備の平均保有期間(設備更新の逆数に相当、設備老朽化の指標)は15.8年。これは20年前の10.3年に比べ1.5倍化している。

これらの企業は、内容から言って多国籍企業であり、多国籍企業を育成することは国のためにならない。これはアメリカの経験で明確に示されている。

巨大多国籍企業集団である経団連に追従する産業政策をすみやかに見なおすべきだ。「ものづくり白書」はそのことを明確にものがたっている。

赤旗の連載「米国従属経済」は読み応えがある。

経団連の総路線が「日米経済統合」にあることが分かる。
つまりは日本の大企業がアメリカの大企業と一体化することで、日本経済を支配しようという路線だ。
もちろん、その際はイコール・パートナーではない。アメリカ独占資本の対日支配の一翼となることによって、みずからの生き残りを図ろうという路線だ。率直に言えば「売国」路線だ。

これらの新支配層は、葛藤を持たない。彼らの中にぶつかり合うような二つの価値観は存在しない。

たとえば、80年代に苦渋の選択を迫られたり、時によっては兜をかぶって抵抗してみたり、というような葛藤は、彼らにはない。
日の丸意識は少なくともアメリカに対しては消失していると考えられる。(それが歪んだ形でアジア諸国に対する日の丸意識として反映されているのかもしれない)

「舞浜会議」における対立は、こういう形で解消されたのである。宮内社長の発言は、当時は異端であったが現在ではまごうことなき主流となっている。
彼らは「売国奴」であることを恥とは思わない。それは日本という国に傷をもたらしたとしても、みずからの会社に利益をもたらせば善なのである。いわば究極の企業ミーイズムなのだ。
この価値観の根本的な転倒が、97年以降の激変の根幹を成している。
この切り口から、もう一度さまざまな問題を捉え直してみなければならないようだ。


死んだと思った米倉会長がまた顔を出した。
「これからの日本はものづくりに徹底すべき」だと強調したという。
なんとも白々しい話である。
「ものづくり」路線は、いわゆる「日本型経営」の中核に座る思想である。
それは「アメリカ型経営」とは相容れないものである。
ものづくりはひとづくりだ。米作りは田作りだ。
ひとづくりを放棄してものづくりはできない。
アメリカはすでに工業生産を放棄している。大企業は多国籍企業となって、海外生産に軸足を置いている。
だから会社が儲ければ儲けるほど、国内企業は衰退していく。
こんなことはもう30年も前からわかっていることではないか。30年も前に、日本はそうやってアメリカを批判したではないか。そして日本型経営の優位性を称揚したではないか。
それを忘れるほどに健忘症が進んでいるのなら、潔く会長を降りるべきだ。

“舞浜会議”をグーグルで検索すると、まっさきにこれが出てくる。

岩波書店から出版された朝日新聞の連載記事だ。

その冒頭に、「今井・宮内論争」というのが出てくる。

いかにも朝日の臭いがするドラマ仕立ての文章だ。

「企業は,株主にどれだけ報いるかだ.雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」
 「それはあなた,国賊だ.我々はそんな気持ちで経営をやってきたんじゃない」
  94年2月25日,千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」.大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するため,泊まり込みで激しい 議論を繰り広げた.論争の中心になったのが「雇用重視」を掲げる新日本製鉄社長の今井敬と,「株主重視」への転換を唱えるオリックス社長の宮内義彦だっ た.経済界で「今井・宮内論争」と言われる.

この文章は「結局,舞浜が,企業も国も漂流を始めた起点ということになった」という品川正治のセリフで閉められている。

いかにも大げさで好みではないが、「97年問題」の序曲という意味では面白いエピソードである。

94年はじめという時期は、バブル後不況のまっただ中で、各企業とも莫大な含み損を抱え四苦八苦していた時代だ。

しかもアメリカの外圧はとどまるところを知らず、露骨な内政干渉まで開始している。

景気の後退、資産内容の悪化、対米輸出の鈍化という三重苦が日本経済を襲っていた。このままでは立ち行かないという焦りはすべての産業人に共通していたと思う。

私は、舞浜会議は“ならず者”経営者の反乱宣言として捉えるべきだろうと思う。

おそらく彼らの主張は個別には採用せざるをえないものであったろう。97年問題での対応を見ると、むしろ遅すぎたのかもしれない。

首切り・合理化は世の習いであるし、不況の中で経営を守るためにはリストラは避けられない。いいとは言わないがやむを得ない場合はあるし、94年はまさにそういう局面だった。

宮内・牛尾らはそれを思想にしてしまった。そういう企業こそが良い企業なのだと開き直った。

そしてその理論的裏付けとして、80年代以降のアメリカの経営思想を直輸入した。それはアメリカの外圧をも背景としていた。ところが産業界幹部はこれまでの「日本型経営」路線に自信をなくし、アメリカの外圧に対して思考停止状態に陥っていた。

97年から00年までの不況は、バブルのつけを払わされた時期だったから、誰がどうやってもあまり選択肢はなかったと思う。

それをやむをえざる事態と見るのか、それこそが企業精神の発露と見るのかは決定的な違いがある。

それが今世紀に入ってからの路線の問題として浮かび上がってきたのだろうと思う。

2011年10月に「日米構造協議年表」を3部に分けて掲載したのですが、埋もれてしまって探すのに一苦労しました。
1本にまとめてホームページに移植します(今夜、家に帰ってからやります)。これを機会にちょっと情報を足しました。

アーミテージが都内で講演し、慰安婦発言について批判した。

「韓国国民・国家の尊厳に対してどれだけ恥ずべき発言か、彼らがどんな気持ちになるかまず考えるべきだ」
「日本は70年間、人権の尊重について模範だった。慰安婦をめぐる発言はこの水準に達しておらず、この状況を一部の政治家がきちんと理解していないことを示している」
「これらの発言は“安倍政権は右翼のナショナリスト政権だ”と宣伝する中国外交を利することになり、さらにこの地域における中国の拡張主義から注意をそらすことになる。我々全員にとって有害な発言だ」
ここまではいいが、最後が振るっている。
「政治家はこの問題について発言しないことがベストだ」


以前にも触れたが、アーミテージはアメリカ軍産複合体の対日スポークスマンであり、かつてイラク戦争の時には戦争への参加を煽った張本人である。とても「平和の人士」とはいえない。
ただ、定期的に発表するアーミテージ・レポートでは、憲法改正の要求から解釈改憲で集団的自衛権を可能にしようとする方向へ軸足を移している。いわば憲法“安楽死論者”である。
背景にはアメリカの対中戦略の変化がある。

2012.9.15 第三アーミテージ報告

ことさらに慰安婦問題で、批判的な立場を明確にしたのにはウラがあるだろう。しかし、それがアメリカ世論を反映したものであることも、抑えておく必要がある。

そうすると、アメリカの意向を無視してまで、誰が、何故、暴走したのだろうか。このへんは日本の政治の深層に迫る分析がもとめられるところであろう。

経団連は一方では労働力流動化を訴えながら、他方では財政再建を強調するが、この二つは矛盾すると思う。
財政再建のためには、財政規律の強化と景気の回復が重要だ。財政規律の強化は支出減少を狙うものであり、景気の回復は収入増大を狙うものだ。
しかし財政規律の強化は不況局面では景気をさらに悪化させる可能性があり、慎重でなければならない。
とすれば、現在取りうる政策の主体は景気刺激策となるであろう。
ここまではごくごく常識の範囲内だろうと思うが、この常識が経団連には通じない。

TPPも同じで、日本の産業のかなりの部分に致命的なダメージを与える可能性があり、少なくとも現在の局面ではとるべき選択ではない。グローバル基準に見合った長期的な産業構造改革についての議論そのものは否定しないが、それは今、「バスに乗り遅れるから」とあせる話ではないだろう。

この常識も通じない。

景気回復と、それによる財政の再建という戦略は、アベノミックスですら掲げている。いまや日本の常識である。

その戦略の環となるのが内需の拡大であり、その前提となる雇用の拡大と雇用の質の確保である。

こういう流れから見ていくと、経団連の発想は日本を潰そうとしているとしか思えない。

今の時期に増税をやれば景気の底は抜け、財政危機はさらに深刻化する。労働力の流動性を高めれば、庶民の不安感はさらに高まり、支出は抑制される。

なぜそのような「やらずぶったくり」の愚かな主張をするのだろう。商売というのは相手があって、ウィンウィンの関係を築く中で成り立つものではないのだろうか。そうでなければ、それはビジネスではなく強盗だ。

しかし強盗というのは、相手に金があればこそ成り立つ。人を傷つけ、殺めても500円しか財布に入っていなければ、この商売成り立たなくなる。

こんな分かりきったことがどうして分からないのか。それが不思議だ。

本日の赤旗に三つの記事が並んでいる。
一つは、「日銀の当座預金が初の70兆円に」という記事。
日銀が量的緩和で多量の円を発行しているが、それが結局銀行から先には流れず、日銀の当座預金として積み上がっているという、笑い話のような話。
二つ目は、製造業の事業所数と従業員がさらに減少を続けているという記事。
事業所数が前年比3.2%減、従業員は3.8%減。従業員減は食品産業で8.3%減、情報通信機械器具(ケータイ)で8.9%減と高い。ただしデータは11年までのもので、やや古い。
三つ目は、経団連が提言を発表。消費税引き上げの断行、社会保障全般の給付削減をもとめたという記事。「さらなる消費税増税」も求めているという。

この3つを見れば、分かることは唯一つ。
お札をいくら刷っても無駄。景気を良くするには経団連と手を切るしかないということだ。
その裏にアメリカがいるとしても、経団連が旗を振っていることは間違いない。
この連中と付き合っている限り、日本は奈落の底に沈んでいくばかりだ。

むかし民族独立行動隊の歌というのがあって、
「民族の敵、国を売る犬どもを…」という一節があったが、まさにその通りの状況になってきた。


「従属経済」の記事によると、「財界奥の院」は経団連ではなく在日米国商工会議所のようだ。

経団連の基本機能は、このアメリカの意向を忠実に伝えるメガフォンの役割をはたすことにある。(もちろん利害が一致しているからでもあるが)

この関係がとりわけ雇用・労働問題では際立っている。

赤旗の記載を時系列に並べると、

①06年「日米投資イニシアチブ報告」
初めて解雇の金銭解決と、ホワイトから・エグゼンプション制の導入を主張。その後この主張を繰り返す。

②10年「日米財界人会議」の共同声明
労働者派遣法の改正に反対する。理由は「労働コストを上昇させ、日本国内への投資や事業の拡大の意欲をそぐもの」であり、「雇用保護を目的とする政策は、かえって逆効果」というもの。

③13年「在日米国商工会議所」の声明
「(財界の要望が)政府の指示書では薄められているようにみえる」とし、安倍政権の「成長戦略」に「懸念」を表明した。
さらに同会議所が提案した「解雇の金銭解決」などの方向を「重点的に取り組むことを、再び強くもとめます」ときたもんだ。これは内政干渉というより一国の政府に対する脅迫ではないか。

ただこれは、経団連の発言がそのままでは通らなくなってることへの焦りとも見て取れる。
「原発ゼロ」方針の策定の際に、アメリカ政府が直接脅迫をかけてきたのと似た構図ではある。これもアメリカの日本支配構造の露頭なのであろう。


今日の赤旗「米国従属経済」を見て驚いた。
もう10年も前に、富士通の秋葉直之社長(当時)は、
「株主に対しては責任があるが、従業員に対して責任はない。経営とはそういうものだ」
と言い放ったそうだ。(週刊東洋経済01年10月)

これ自体、ひどい話だが、その後の10年間に日本の株式市場は様変わりしている。
①外人の株式保有が増えている
外国法人等の株式保有比率の変化

1990年

1995年

2000年

2006年

2011年

 4.7%

10.5%

18.8%

27.8%

26.3%


株式分布状況調査(東証など)より作成

②外国人持ち株比が極端に高い企業が増えている
「会社四季報」によれば、オリックスが52%、楽天が39%、中外製薬が76%など。

これと富士通社長の発言を重ねると、企業はアメリカの株主に責任を持つ経営を行なっているわけだ。こうなると会社は従業員のものではないどころか、日本のものでさえなくなっている事になる。

以前、三本の矢のうち一つが逆向きだ、と書いたが、安倍内閣の労働政策は相互矛盾している部分がある。
これは経団連との関係ではなく、アメリカからの圧力によりネジ曲がった可能性が高いようだ。


池上さんという評論家のTV番組でTPP礼賛論を展開していた。

戦前のブロック経済化に対する反省からGATTが始まって、それがWTOにまで至ったのだが、それが行き詰まったのでFTAやTPPなどの構想が始まったのだということだ。

そこから得られる結論は、世界の経済が発展するためにはTPPが不可欠だということになる。
此処から先はほとんどフィクションの世界だから省略する。

しかし、「ブロック経済化に対する反省」との関連でいえば、池上さんの議論では国際通貨問題が完全に欠落している。結論から言えば、ブロック経済の復活はありえないということだ。

たしかに戦前のブロック経済は決済通貨がドルか、ポンドか、フランかという選択を含んでいた。ただこの場合、2つの前提があった。一つはポンドにせよフランにせよ、植民地体制を前提にしていた。この前提はすでにない。
もう一つは金本位制が仮想的ベースにあって、そのことを前提にした管理通貨制度であったということである。この前提もすでにない。

であるとすれば、結論は唯一つ。
帝国間の矛盾はすでに消滅した。現在のグローバリゼーションは、ドル経済ブロックへの包摂としてしか存在し得ないということである。

いっぽう、そのドルの基盤も明らかに弱体化しつつある。たしかに今もなお、ドルは決済通貨としての相対的有効性を持ち続けている。しかし誰もが分かるように、ドルはすでに基軸通貨としてのヴィンテージを失っている。「とりあえずの決済通貨」でしかないのである。

そのようなドルへの収斂は、つまるところ地獄に向かっての突進でしかない。

現実的な政策としての選択幅は限られており、ユーロへの乗り換え,SDRの活用などは当面の話題ではないのだが、原理的な部分でのこの覚めた目は、常に持ち続けなくてはならないと思う。


上記の文章は、大分酔いが回ってから書いているので、論旨が乱れている。

言いたいことは、こういうことである。
池上さんの論理には、二つのトリックが潜んでいる。

一つは、「GATTが正しく、ブレトンウッズ精神を追求するものであった」という前提から出発していることだ。これは歴史的事実とそぐわないものがあり、相当の議論を必要とするものではないか。
もう一つはWTOが進行しない原因が、「参加国が多すぎてまとまらないため」という、およそ非論理的な判断となっていることである。

それぞれについては、すでに過去のブログで触れているので、とりあえずリンクを張っておく。

2013/03/25 – ブレトンウッズ精神とTPP http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4817938

2013/03/25 – 安倍首相TPP参加の論理 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4817618

2011/10/17  通貨問題は貿易問題だ バンコールと国際貿易機関ITOhttp://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3950437

2011/10/20 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その1 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3955593

2011/10/27 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その2 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3967810

このごろ鳴りを潜めていると思ったら、米倉がまた騒ぎ始めた。
しかも経団連会長として言ってはいけないことまで言い出した。

短報記事で詳細不明だが、
①憲法改定に賛成。
②集団自衛権が確保されるべきだ。
③憲法96条の先行改定にも「異論はない」

この人の頭はいかれているとしか言いようがない。
経済団体の長が言っていいことと悪いことがある。
その見境がつかなくなっている。

それが安倍首相に詫びを入れるためのセリフだとすれば、品性の低劣さに吐き気を催す。

経団連として、この発言は問題にしないのだろうか。

柳沢記者がいいグラフを作ってくれた。
産業競争力会議で、経済同友会の長谷川代表が主張した「日本は解雇規制が強すぎる」という意見に対する反論。
反論と言うよりは、「一部当たっているな」ということがよく分かる。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/5/6/5603167b.jpg

わざと天地を逆にしてあるのは、長谷川氏らの思いを強調するためだ。我々としては左側の国を先進国として、そちらを目指すべきだと考えるのに対し、長谷川氏らは右側の諸国こそが目指すべき先進国だと考えていることになる。
会議の席上、長谷川代表は「国際最先端をよく検証した上で、日本が不利にならないような施策を検討していただきたい」と強調したそうだ。

この記事の中身はもうひとつある。

それは労働規制緩和=アメリカ流の労働慣行の押し付けが米国の要求でもあることだ。
09年版「日米投資イニシアチブ報告書」は下記のように書いている。

日本の労働市場の柔軟性を高めることで、日本が外国からの直接投資にとって、より魅力的なものになるだろう

この文章が、そのまま日本政府の政策になったと考えると、非常にわかりやすくなる。つまり労働規制の緩和とは、労働者いじめ政策ということより米国金融資本の意向を受けた政策なのだということである。
こういうのを、昔は「売国」政策と呼んだものだが…

TPPといえば思い出すのは去年の秋。
TPP参加の旗振りをしていたのは、自動車工業会だった。ニュースで推進派の会見が流れるときは、必ず自動車工業会の担当者が顔を出したものだった。
彼らの言い分は「TPPに参加すればアメリカの自動車関税がゼロになり、一層輸出が促進される」というものだった。

だったと思うが、どうだったか…
最近は記憶力が減退してはっきり覚えていないのだが、まさか当事者は忘れてはいないだろうと思う。

だから関税が据え置きになれば、自動車工業会のメリットはなくなる。むしろ軽自動車優遇制度の廃止などデメリットのほうが大きい。

それでは自動車工業会は反対に回るのか。どうもそうでもないらしい。
4月13日の産経記事

乗用車やトラックにかける関税の最大限の維持などの妥協を迫られ、関税の完全撤廃を求めてきた自動車業界からは落胆の声が漏れた。
日本自動車工業会の豊田章男会長は、「関税撤廃時期については残念だが、国益の一層の増進の観点からTPP交渉に臨むことを期待したい」とコメントした。
これは自動車業界としては何のメリットもないことの告白である。

これとは別のニュース
TPP交渉参加に関連し、麻生金融担当相は、「かんぽ生命保険によるがん保険などの新商品販売を数年間は認めない」と述べた。かんぽ生命は、「がん保険に参入する見通しが全く立たなくなった」と嘆いた。
(これは、日本市場で米国系の保険会社が大きなシェアを持つがん保険の権益を守るためと考えられる)

これでは自由化ではなく、規制強化ではないか?

そもそも、自動車工業会すらメリット無しというのでは、誰にとってメリットがあるのか?
ただの屈服ではないか?

「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」というのがあって、ホームページを解説している。
そこのQ&Aに軽自動車がなくなるのでは?
という項目がある。

答えは「大丈夫」: 真剣な意見とは思えませんでしたが、この要求は今では撤回されています。

というもの。
このサイト主は、秘密交渉の内側を知っているようだ。
とすると軽自動車は関税維持の取引材料に使われたのか?
今日の赤旗によると、「米自動車業界は“入場料”が未だ足りないと、日本の参加承認に反対しています」ということだ。




志位さんが7中総の結語で下記の文章を引用していた。あまり面白いので再引用する。

 壊れゆく日本という国 神戸女学院大学名誉教授・内田樹

「企業利益は国の利益」 

国民に犠牲を迫る詭弁 政権与党が後押し

起業したのは日本国内で、創業者は日本人であるが、すでにそれは随分昔の話で、株主も経営者も従業員も今では多国籍であり、生産拠点も国内には限定されない「無国籍企業」になっている。

そういうグローバルな展開をするのは企業の自由かもしれない。だが、企業のグローバル化を国民国家の政府が国民を犠牲にしてまで支援するというのは筋目が違うだろう。

国民国家の末期を官僚もメディアもうれしげに見ている

ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、そのつど政府から便益を引き出す企業を「日本の企業」と呼ぶことに、私は強い抵抗を感じる。

彼らにとって国民国家は、「食い尽くす」までは使いでのある資源である。

コストの外部化を国民国家に押し付けるときに、「日本の企業」だからという理由で合理化するのはやめて欲しいと思う。


まことに同感である。この共感を広げなくてはと思う。

それにしても

国民国家の末期を官僚もメディアもうれしげに見ている

という見出しは、思い切り刺激的である。 


この論文の全文は、内田さんのブログで閲覧できる。「国民国家」論も展開されている。

参照されたい


結構手厳しい意見があって、どう反論したら良いのか悩んでいる。

意見の骨子

食料安全保障の立場から、関税率を1000%に引き上げて、国内産業を保護育成したとして、それが本当に自給率の向上と呼べるものなのか。
それは「自給幻想」にすぎないのではないか。

国土保全と環境維持(例えば里山とか、棚田とか)のためのコストとして負担を受容するのは良いが、はたしてコスト計算はされているのか。過剰投資はないのか。

栽培作物の見直しは必要だろう。食料安保と国土保全が二本柱だとすれば、それに見合った作物は保護されるべきだ。それ以外のたとえばビートやこんにゃくはそれなりの扱いとなるのではないか。

私の反論

要は既存農業の維持のための理屈でなく、食料安保や国土保全の基本線を明確にし、その中にあらためて農業を位置づけ直すべきではないか。それについては認識は共通していると思う。

率直に言えば、日本農業は高齢化と後継者不足により自壊しつつある。だから本来から言えば、自由化反対というより先に、これからの日本にふさわしい農業再生策を、全国民が支持する形で打ち出さなければいけない。

食料安保と国土保全は基本だが、食の安全確保が農業保護のもう一つの柱だ。これはいくら非関税障壁と言われようと、安全を守るために必要な基準を守るべきだ。かさ上げしてもよいと思う。

かつての公害とその後の対応技術の向上のように、それは日本の「国際競争力」となるはずだ。

真の農業「自由化」とは

真の農業「自由化」とは、市場原理も受け入れつつ、日本農業が自主的に自立することだ。

いま一番問題なのは、農業の自立政策ではなく農業の放棄だということ、それがアメリカの輸入自由化圧力に屈した形で行われようとしていることだ。「自由化」はアメリカにとっての自由化でしかない。

だから、自由化してもアメリカからの輸入が増えるだけというひどく歪んだ形で導入される危険か大きい。これはダメなのではないか。

翻って、アジア諸国との関係を今後緊密にして行きたいと考える発想からは、役割分担も必要になってくるだろうし、国として一定の妥協も必要になるだろうと思う。

そこには住み分けというか共存・共栄の道はあると思う。一つは食文化としてのユニット化や高級食料品への特化であり、ひとつは安全性の押し出しである。

日本農業をめぐる二つの道

農産物自由化については、原理主義的にイエスかノーかを突きつけるべきではない。

対米従属を深めるような自由化か、アジアの諸国に向かって開かれた「共存・共栄の道」かという二つの道の選択として捉えるべきではないだろうか。

そしてその際は、たんなる既存農業の保護ではなく、食料安保、国土保全、食の安全確保という三つのポイントを起点にして、知恵を絞るべきではないだろうか。

以上を前提にした上で、農業保護を「原理主義」と批判する側の「市場開放」至上主義については、きっぱりと拒否したい。


首相の発言のなかで注目されるのは、⑤であり、ここではTPPがソロバン勘定ではなく、ひとつの理想として謳われている。
だが、TPPは人類社会の「理想」を内包しているのだろうか。
人、モノ、資本が自由に往き来するなかで生産が刺激され、経済が発展し人類が豊かになっていくのは大いに結構なことである。
それはただ自由化すれば実現されるのではなく、人類の共通の価値観を、これと並行しながら形成していくことで初めて実現するのである。
そういう意味では、たんなる自由化ではなく、それを通じて人類の理想を追求するという首相の構えは正しいと思う。
とすればTPP構想により具現化された来るべき世界の価値観とはどんなものだろうということを検討しなければならない。
我々は、それに近いものとしてブレトン・ウッズの構想を持っている。そしてそれが具体化されたものとしてのITO憲章(ハバナ宣言)を持っている。

それらについてはこれまでも触れてきたので、詳しくは繰り返さない。ただキーワードとして3つを挙げるならば、①ブロック化の拒否とルールある国際貿易の促進、②とりわけ発展途上局のキャッチ・アップによる経済的平等の実現、③人々の社会的権利の擁護、とりわけ働く権利の擁護、の三点に集約される。

今日それらはWTO、UNCTAD、ILOの各々の憲章に示されている。(実際にはWTOは独走し、その結果として破産しているが)

国際貿易と国際経済の正しいあり方について理想を追求するとするならば、途上国をふくめ多くの人々がさらに経済発展の成果を享受するような諸原則が必要である。

米国基準を世界基準として押し付けるTPPは、これらの原則を満たしているとはいえない。その基本発想は知財権の絶対化であり、基本的人権の相対化だからである。しかもこれは米国が国内で追究する政治思想とは切り離された二重基準でしかない。


ちょっと古い情報になるが、15日に安倍首相がTPP参加の意志を表明した記者会見は、これまでの「参加論」の集大成であり、非常に参考になる。

①TPPはモノ、サービス、投資の自由化を目指すものだ。
②環太平洋は世界経済の3分の1を占める大きな経済圏だ。TPPはその未来の繁栄を約束する枠組みだ
③TPP反対論は「内向き思考」であり、成長の可能性を放棄するものだ。
④TPPに参加しなければ、企業は日本に投資しなくなるだろう。
⑤TPPの意義は経済効果だけではない。日米同盟の価値観を拡大することになる。
⑥TPPは日本の安全保障に寄与し、日本の国益となる。
⑦TPPに参加しなければ、世界のルール作りから取り残される。
質問に答えて
⑧関税に聖域を残すことは確認された。5つの判断基準もしっかり守っていく。
⑨離脱の可能性については言わないほうがいい。キビシイが頑張る。

この内まともな議論は、①、②と⑤だけだ。③と④、⑦は脅しだ。⑥は本音ではあろうが、議論の本線とは関係ない。




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