鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 80 日々雑感

「ネット霊園」か「思い出倉庫」か

ネーミングは「ネット霊園」だが、実質は「思い出倉庫」だろう。
“人繋がり” が形成できるかどうか、“場” が作れるかどうかなので、
目的を共有する集団が形成できるかどうかがカギになる。

基本活動
故人ロッカー: ハードディスクなど記憶媒体の整理。文書ファイルを図書分類で整理して保存。画像ファイルを年月日順に保存。
閲覧室で鑑賞。
アナログ資料のデジタル化。(これは実費を旨とする)
遺言 遺族・縁者メッセージ 公開
メーリングサービス 死亡広報

オプション活動
ヴァーチャル法事 偲ぶ会(オフ会) 
資料虫干し公開 資料に基づくセミナー

定点活動
遺品・パソコン閲覧スペース

財務活動
維持基金(会費?)の管理・運用
基金運営委員会(税務)


※ 終活援助まで手を出せば一気にビジネス化するが、そこまでやるか。

※ 葬儀屋さんと組んで、葬儀サービスの一環としてやることにすれば、財務・税務は回避できる。

今朝のニュースで「パティシエ・ロワイヤル」というコンクールが行われたと報道されていた。菓子職人のコンテストらしい。
王立菓子職人てなんだろうと思ったが、「バトル・ロワイヤル」のモジリだと薄々わかってきた。
少なくとも日本のある世界では、“ロワイヤル”がコンテスト(勝ち抜き)という意味で、なんの不思議もなく用いられていることがわかった。

「通用するならいいか」と言われると、「ノー」だ。言葉としてあまりにもひどすぎる。

と、思ったら
そもそもまったく関係ない用法が立派に単語化しているのもあるようだ。

ロワイヤル(〈フランス〉royale)
卵とブイヨンを合わせて蒸し、卵豆腐のように固めたもの。トマトやグリンピースなどで色づけしたものもある。スープの浮き実に用いる。
ウィキペディアのロワイヤルの項目にも山程の用例が列挙されている。

とはいえ、これらの名は、いわば景気づけにロワイヤルと名付けられたに過ぎない。
コンテストやコンクールの意味にロワイヤルという言葉を与えるのはあまりに無謀だ。

はバトル・ロワイアルに関する言葉の乱れをあとづけている。
まず「バトルロイヤル」(battle royal)というのがあって、「プロレスリングで、多数のレスラーがリング上で戦う試合方法」なのだそうだ。
これを、おそらくカッコよく言うつもりで「バトル・ロワイアル」と言い換えた人がいて、「1999年に刊行され、後に劇場映画化もされた人気小説のタイトル」なんだそうだ。
これがいわゆる「デス・ゲーム」作品の先駆けとして、後年多くのフォロワーを生み出し…
若者言葉として定着したらしい。
そして最後に、ロワイヤルが「バトル・ロワイヤル」の意味を持たされた、ということなのだ。

昼飯のあいだにテレビのニュースショーを見る。
本日はボクシング協会のスキャンダルで揃い踏みだ。
ただ当事者にとっては到底許せないだろう。太えやつではあるが、キャラ的にはどことなく憎めないところがある。「仁義なき戦い」で言えば金子信雄くらいのレベルかな。
C224meXUAAEffeX
         たかしさんのツィートより
少なくとも山口組の司組長のレベルではない。成り上がりの小悪人で、取り巻きとセット価格でなんぼのものだ。チンケな悪人なだけにわかりやすい悪戯をする。
スイート借り切というが、1泊2万円のスイートなんて笑っちゃう。
豪華なおもてなしセットというが、麦焼酎と梅酒ですよ。しかも1日じゃなく4,5日分だ。それも大した銘柄物ではない。「チョウヤのウメッシュで代替可」ってかわいいじゃないですか。カンロ飴と森永ミルクキャラメルとセンベエ盛り合わせがマスト・メニューだそうで、別に目くじら立てるほどのものではない。
日本大学に比べれば、可愛いもんだと思います。メディアにしてみれば叩きやすいでしょうね。こんな小悪人、叩き放題だ。

伊藤美誠・早田ひなは世界一だろう。
ソウル・オープンの中継を見たがとにかくすごい。
おそらく伊藤美誠はシングルでも中国選手を上回りつつあると思うが、これに早田がついたダブルスでは早田のドライブがすごい威力を発揮する。
とにかく早田のドライブはたぶん世界一の回転量だろうと思う。この人がしっかり打ったドライブを返せる人はほとんどいない。野球でいうとチーム打率3割のチームにホームラン40本の外人助人が加わったみたいなものだ。全盛期の内川と絶好調のデスパイネの組み合わせだ。
早田ひなの凄さは身重だとか筋肉だとかとは違うと思う。そのムチのような柔らかさに強さの秘密があるのだろう。だから決まったときの玊ぢからというか破壊力は見た目とはぜんぜん違う。
ダブルスをやったときに早田がドライブを打つ場面が作れれば、そのゲームは間違いなく取れる。相手もそうなったら諦めている。早田がドライブを打ったら、早田にドライブを打たせたら、その時点でとりあえずは終わりだ。
それにシングルプレーヤーとしても、もはや平野美宇を抜いてNo.2、美誠に迫るレベルに達している。
ダブルスというのはメジャーなゲームではないから、なかなかそこまで話を持っていくのは厳しいが、見る分には大変面白い試合なのでぜひ頑張って欲しいと思う。
それにしても早田さん、去年とは別人だ。堂々としていま一気にきれいになってきた。


あまり教えたくないけど、もし廃線になってしまったら、それも困る。
ということで、とびっきりの鉄道を紹介する。
それは根室本線で厚岸を出てから根室に向かうところだ。別寒辺牛湿原という。
皆さんは宮崎駿の「千と千尋の神隠し」という映画を見たことがあるだろうか。
あの映画のそろそろ終わる頃に、醜悪でシュールな温泉旅館から海の中を浮かぶように走る列車が登場する。顔なしお化けが横に座って、それが能面のように悲しみを湛えながら列車がしずしずと進むのだが、そんな場面が現実に存在するのだ。


厚岸の駅を出てから数分、突然視界を遮る一切のものが消え去る。360度が湿原となる。線路だけが砂利と枕木の分だけ僅かに高い。生き物はいるのだろうが人という生き物はいない。
こんな世界がおよそ20分は続く。
本当にあるんですよ。花咲線の根室行の列車、絶対に一度は乗ってください。あとせいぜい5年です。

北海道に穂別という町がある。正確に言えばあったということになる。平成の大合併で隣のむかわ町に合併された。

この町に恐竜博物館があって、これも正確に言うと恐竜ではなく水中に暮らした爬虫類らしいのだが、先日そこに見学に行ってきた。

小さな町には不似合いな立派な建物だが、見学者はほとんどいない。いずれ恐竜のように絶滅するのであろうか。

その博物館の受付で古老が語る穂別昔ばなしみたいな本があって、何気なく手にとってパラパラとめくったところ、これが意外と面白い。

つい買ってしまい、家で読み始めた。面白いと言ってもA5(全書版)で400ページの大著だ。途中で流石に飽きてきた。

一体何でこの本が面白いのか、いろいろ考えてみたが、結局これはガルシア・マルケスの「百年の孤独」なのだと思い至った。

1.アイヌ先住民

穂別の町は鵡川という川沿いに長く伸びている。明治に入るまでは川沿いにいくつかのアイヌ人集落があって、半農半漁、自給自足の生活を送っていた。とはいうものの、ほぼ無人の野と言ってよい。

なにせ理由は不明だが江戸中期からアイヌ人の人口はどんどん減って、明治に入ると全道でも数万というくらいだったから、アイヌの社会を征服して植民地化したと言うには程遠いものだった。

2.食い詰め者の群れ

町の歴史の最初はハグレモノの進入に始まる。ほとんどが食い詰め者かダマサれて来た人たちだ。明治40年ころの話だ。

最初は鵡川の下流の方から入ってきた。この人たちは押し出されていやいや入ってきた人たちだから、入り込みのスピードは遅かった。

ついで夕張から峠を越えて入ってきた。夕張がそもそも炭鉱で人が増えた流れ者の街である。山の向こうなら土地も豊かで食っていけるという風のうわさに乗ってしまうものがたくさんいた。夕張からの流れ、食い詰め者の流れが優勢となった。

この本のすごいのは、その人達(1900~1910年ころの生まれ)が健在(1990年現在)で、淡々とその苦労を語っていることだ。

その生き方は、突き放して言ってしまうと、人間と言うよりまるで虫けらのいのちだ。それが土地にしがみついて、黙々と働き続ける。しかしそういういのちは積み上がっていくのではなく、次々と入ってきては、そのほとんどが次々と消耗していくかのようだ。

何年かに1回は冷害がやってくる。その間に日照りがあり、洪水がある。焼畑農業は数年で地面が痩せてダメになる。住居・衛生環境は最悪で医療アクセスもほとんど期待できない。

災厄があり、病気があり、怪我があり、そのたびに人々は食い詰めて、街を出ていくか野垂れ死にしていくのだ。

それでも、しがみついて生きていく人もいる。子供の代には何かしら良くなるのではないかと思って頑張る。しかしその夢が叶うことはない。子供の代にも貧困はつきまとう。

ただ子供の代の人々は初代の獣のような生活に比べればよほど人間らしい。教育の力である。入植者がいかに学校教育を希望の糧としたか、その思いが切々と伝わってくる。そしてこの二代目たちが街の骨格を形成する。

3.町に凄まじい変革の嵐が襲う

鵡川の河口の方から鉄道線が伸びてきた。そうすると移出用の作物づくりが始まる。種子から灌漑設備、肥料・農薬と金もかかるようになる。当然町の中に金持ちが出現し、彼のもとで働く小作人も出現する。

こんな山の中に鉄道がどんどん入り込んできたのは、鉱物資源のためである。線路は国鉄ではなく炭鉱会社ものであった。

穂別の北部・西部は夕張から続く石炭の鉱脈であった。一方東部には日本国内で最大のクロームの鉱脈が連なっていた。石油の油田すらあった。

もちろん木材も伐採されたし、その後の二次林では木炭づくりも行われた。

これにより典型的な北海道の地方都市の体裁が、こじんまりと育ったのである。

4.沈滞から滅亡へ

この繁栄期は大正10年(1921)ころから、第二次大戦を挟んで昭和40年(1965年)ころまで続いた。

穂別は近辺一帯では豊かな街だった。町を鵡川とこれに並走する国鉄線が縦貫していた。穂別炭鉱、茂別炭鉱に新登川炭鉱、富内周辺のいくつかのクロム鉱はほかの街にはないものだった。石油は穂別炭鉱に近いところで採掘され、一時期は灯油として町内に供給されたこともある。
農業も稲里・長和の稲作は豊かな実りを与えた。夏の夜はホタルが乱舞した。豊田から仁和に至る鵡川沿いにも洪水さえなければ実りが期待できた。和泉の河岸段丘ではホワイトアスパラが全道ブランドとなっていった。

北海道はすべて昭和40年が境目である。すでに閉山の動きは始まっていた。農業構造改善と減反の嵐も始まっていた。北洋漁業の減船はもう少しあとのことになる。
すでに出稼ぎは長期化し、挙家離村の動きも始まっていた。

この頃から、私の穂別でのセツルメント活動が始まる。町には古い貧困と新しい貧困が重畳していた。

それまでの貧しさとは違い、先見えないひたすら沈殿していく貧しさがそこにはあった。

戦後生まれが三代目としてあとを継ぐはずであったが、彼らはすべて町を離れた。鉄道が廃止になり炭鉱やクローム鉱がすべて閉鎖され、林業が不採算となった今、そこに生きる縁はなかった。

2代目は跡継ぎを失ったまま齢を重ね、その土に帰る他になくなった。

今その作業がほぼ終了しつつある。


「忙しい何日間」という思考単位がある。
色んな人とあって、いろんな事実を知って、いろんなことを経験した。
それを納得するためにはもう一回り勉強しなければならないということがわかって、一方ではそんな経験に打ちのめされてヘトヘトになって、歳のせいで回復力が遅いからズルズルともう何日間という日が過ぎていいく。
若い時なら、こういうことは経験値として積み上げられ肥やしになっていくのだろうが、高齢化して精神的なスタミナと記憶力とが同時に落ちていく時代に入ると、ただの「骨折り損のくたびれ儲け」ということになる。余分なことはしないほうが良いのかもしれない。
ただそれを振り返っておくことだけは間違いなく良いことだろうと思う。そこで、この1週間を書き留めておくことにする。
11日の国際部会での議論。
いろいろな人がいろいろな発言をしたが、私の発言は次のこと。
1.リーマンショックから10周年立ったが、それは終わっていない。ねずみ花火みたいに彼方此方跳ね飛びながら、まだ続いている。これがわからないと、今の世界、これからの世界は読み解けない。
2.トランプの政策はすべて反オバマで貫かれている。だからオバマ政策の吟味が必要だ。オバマドクトリンというのは半分はリベラルな素敵な政策だ。残りの半分はエスタブリッシュメントの政策の焼き直しに過ぎない。トランプはそのうちのどちらに反抗しているのか。
議論の中で、アメリカ・ヨーロッパでのリベラル派の動きについて評価を求める意見があった。なかには「連帯」の相手をそちらにすべきではないかという声もあった。
私は、ずるいことに、あるときは、サンダース・コービン・メランションを一体として論じるべきと行った。別なときには、それぞれの特殊性を踏まえないといけないと言った。
そこをもっと説得力を持って語らなければならない。

じつは他にも話がある。久しぶりに天気が良いので、穂別まで行ってきた。恐竜の骨格が掘り出されたので大変夢のとこ度である穂別は学生時代に農村セツルで何回も入ったところなのでその思いもある。

ということで、ものすごいでかい問題意識が残ってしまった。
まずはとにかく書くだけ書いておこう。







どうもまことに不思議な事件だ。
事件の経過
総武線の幕張本郷駅で、痴漢が捕まり、その置換が取り調べのすきをついて逃げ出し、架線を支える電柱によじ登って立てこもった。
結局2時間後に“保護”されたのだが、なんとズボン、靴下を脱いで下半身はパンツ一丁という、中途半端にハレンチな状態で2時間も頑張ったのだと言う。
男の立てこもった電柱は、電車に電気を送る電線がむき出しではりめぐされ、触れば即死という環境。助かったのは何よりだった。被害者には申し訳ないが死んで許しを請うほどの罪ではない。
よじ登ったのが土曜の夜10時、“保護”されたのが12時と言うから、居合わせた人には大迷惑ではあるが、仕事に差し支える時間ではないから、「まぁ、飲み直そうか」ということかな。
推定される発症機序
発症の機序はおそらくパニック障害で、逃避反応として説明できる。ベースのメンタルには解離性人格障害(むかしで言うヒステリー)があったのだろう。
しかしそれだけで済ませられるかというところが大問題だ。
第一に、「痴漢として捕まった」ことが、瞬間に人格を崩壊させるような強烈なストレッサーになりうるということを示す症例だ。
非常に珍しいケースで、しかも社会病理の一現象の可能性があって、「東京という大環境」抜きには現れない反応ではないか。
第二に、無意識のうちに下着を脱いでしまうというのは、20年くらい前に有名な男性タレントが酩酊して公園で裸になり、警察のお世話になったという事件があった。 別に露出狂というのではなく、人に見せるというのでなく、脱いでみたくなるという意識下の欲望というのがあるのかもしれない。
考察されるべき事件の特殊性
ということで、今回の事件の興味は痴漢行為で捕まった時の心理状態に、他の状況とは異なる特殊性があるのかということ。 もう一つは脱衣行為というのが逃避反応(憑依)の一型としてあり得るのかということである。
これからワイドショーでやるだろうから、少し注意してみておこう。

何気なく富良野まで行ってきた。
出掛けたのがすでに10時近かったから「大丈夫かな」と思いつつ出掛けたのだが、わずか2時間あまりで行けるということに驚いた。
高速で三笠まで行って、そこから桂沢湖経由で行くのだが、本当の難所は幾春別を過ぎてから芦別市に入るまでと、富芦トンネル付近だけだ。基本的に信号はゼロ、道路工事は常時2,3箇所でやっているがそれだけだ。ほとんどが速度制限なし、追い越しも可能だ。
帰りは、芦別経由で滝川から高速に乗ろうと思ったが、滝川に行くのと岩見沢に出るのと距離・時間ともに変わらないことがわかり帰路も同じ道を選んだ。ただ三笠から岩見沢に抜ける道はすでに家が立ち並ぶ生活道路になっており、信号待ちもかなりある。やはり三笠から高速に乗るのが正解なようだ。
札幌から行って一番のとっつき、38号線の右側に北の峰スキー場に登っていく道がある。その角の喫茶店は感じの良い店だ。ここで無料地図がもらえるので、それを見ながら市内観光に出掛けた。
スキー場からの展望は素晴らしい。富良野盆地を隔てて眼の前に富良野岳、その奥がかすかに噴煙を上げる十勝岳。さらにその奥には雪をかぶる大雪連邦だ。
スキー場付近はもったいないくらい閑散としている。店の半分位は暖簾を掲げているが、あたりには人っ子一人いない。すでに閉店状態となっているところもたくさんある。
ここには外国人観光客は来ていないのだろうか。千歳からのアクセスはニセコより優れていて、西武プリンスもまだ諦めているわけではなさそうなので、これから大化けするかもしれない。
山麓の道路を南に進むと山の中腹に堂々たる高層建築が見えてくる。これが西武プリンスだ。山道を登っていくと今まで見えなかったもう一つの山がホテルの背中に見えてくる。これが芦別岳だ。これも立派な山だ。
コーヒーでも飲んでいこうと思ったが、意外に混んでいる。駐車場は車でいっぱいだ。月曜というのにすごい集客力だなと思ったら、なにかイベントがあったらしい。それで中には入らずにそのまま下ってきた。
途中にチーズ館というのがあったが、正直チーズは買ってまで食べたいと思ったことはない。冷蔵庫の場所塞ぎをしている。
その脇に看板があって道を入っていくと写真の展覧会場があった。
東京から移住して住み着いたという写真家の個人ギャラリーだ。相当のお金持ちらしく、建物の作りは立派なもので、展示された写真も一見に値する。
なんでも高齢のためあと数ヶ月で店終いするそうで、希望すれば展示物も分けてもらえるらしい。何れにせよお早めに。
ドライブのとき、いつも昼めしには苦労する。
どの街でもそうだが、観光地はそれなりでも、旧市街の荒廃ぶりは凄まじい。今回も街の中心部をぐるぐる回ったが、どうもこれはと思える店がない。まあ滝川に行って探すかと離れかけたとき、国道沿いの生鮮卸市場のなかに海鮮丼の店が見つかった。看板を見ると海鮮丼900円とある。ついその値段に釣られて入ってしまった。
値段からはとても信じられない充実ぶりだった。いつまで続くかわからないが、当面は「孤独のグルメ」並みのおすすめだ。
ご多分に漏れず富良野も限界集落だ。しかしもともとが農家のセンターだから、落ちるスピードは比較的遅い。悲惨さがないから気持ち的には落ち着く。
外国人観光が根付くと以外に息を吹き返すかもしれない。札幌からのアクセスの良さを考えれば穴場的存在かもしれない。
帰札後、テレビの夕方のニュースが富良野の話題を2つも流していた。一つはプリンスホテルに倉本聰の企画した高級エストランが店開きしたという話だ。ホテルの駐車場が混んでいたのはこのせいだったのだ。縁なき話である。
もう一つは市内の住宅で殺人事件。83歳の旦那が80歳の妻を刺し殺したという話。妻は車椅子で旦那が介護していたというが、別にそれが原因で殺ってしまったというわけでもないらしい。こちらが年取ったせいもあるが、83という年は、特にいなかでは、高齢者というほどのものではない。
普段仲の良い夫婦だったが「カッとなってやった」ということだ。夫婦喧嘩の決着としては尋常ではない。妻からかなり言い込められたのであろう。しかし台所から包丁を持ってきて車椅子の妻に襲いかかるという図は想像しにくい。知人・友人からは計り知れないDVの積み重ねがあったのだろうか。
ちょっと一筋縄ではいかない事件のようだ。

映画は大した映画じゃない。ありきたりの月並みの映画なんだけど、女優さんがすごい。
映画の名前は「陽だまりの彼女」で、女優の名前は上野樹理。とにかくその存在感が半端じゃない。映画の筋書きの通り「化け猫」を演じきっている。
女優さんは顔はまったくの10人並みで、別に映画俳優になるような美人じゃない。ところが映画を見ているとグイグイと引きずり込まれていく。強いていうとヘップバーンだね。日本で言うと、出始めの頃の田中裕子かな? 大竹しのぶかな? 沢尻エリカかな?
あたり一面に印象を撒き散らしながら走りすぎていく。走りすぎた後どんな顔だったっけと言われると、とんと思い出せない。キラキラとした飛跡だけが残っている。

あまりに天気が良いので、嫁さんを放り出してドライブに出かけた。
一応目標を留萌に据えた。去年の今頃はポイヤウンベを求めて浜益まででかけたのだが、今回はさらに足を伸ばそうというのである。
一度おぼえた道を走るのはとても楽で、浜益まではなんの疲れも感じることなく進んだ。ただ予想外れは去年立ち寄った浜辺の喫茶店が、今年は臨時休業だったことである。臨時休業という貼札が来年にはそのままに風に吹かれているのが、このあたりの風物詩であるから気がかりだ。
とにかくここまではまったくなんの支障もなく来たので、そのまま進む。
浜益の次が群別でその次が幌、ここからふたたび難所に差し掛かるが、意外になんということなく通り過ぎて、雄冬を過ぎて増毛まで入ってしまった。
「この辺が岩尾温泉だったかな」と思いつつ通り過ぎてしまった。まだ冬季休業中だったのだろう。増毛も街には入らずそのままバイパスしてしまった。
そうして視界の正面、小高い丘の上に留萌の街の建物群が視野を占める。伏古の我が家からここまで2時間弱。年を追うごとに快適になる。もはや通勤圏内と言ってもいいくらいだ。

留萌の建物群は砂丘の上に突然、無防備に、まるで蜃気楼のように現れる。蜃気楼だと思ったら本当なんだ。日本中の街でこんな感じを味わったことなどない。(霧多布も同じように出現するが、だいぶ規模が小さい)
留萌の街は出現の仕方も蜃気楼のようだが、街全体がほとんどウソのような街だ。ここにこんな街がなくてもなんの問題もない。もっというと、こんなところにこんなふうにあってはいけない街なのだ。
北海道というのは悲しい島で、いたるところに昭和遺跡という名の廃墟が建ち並んでいる。
長崎の沖合に「軍艦島」という炭坑跡があって見事なゴーストタウンになっているが、北海道という島はそのすべてが「軍艦島」なのだ。
北海道に住んでいると、そして夕張とか美唄とか留萌とか行くと、もう日本は限界集落を越えつつあると思う。東京だけが生き残るのだろう。かつては東海道ベルト地帯は生き延びると言われたが、今や静岡もしっかり穴凹地帯になっている。
酒が回ってきて話があちこち飛び始めた。
留萌観光は一泊すべきだろう。稚内と同じくらい奥行きがある。歴史を学びながら見ていかないと本当の良さは分からない。
今回は留萌駅の無料駐車場に車をおいて歩くことにした。出発点がわからないとさっぱりわからなくなる。ここからまず港へ歩く。この港はたいそう立派なのだが、今日に至ってはなぜこんなに立派なのかがわからない。無駄に立派なのである。
駅と港とは相当の距離がある。歩く距離ではない。港をさらに岬の方に向かうと市役所がある。港から背後の坂に登っていく途中が商店街で坂を登ったところに走っているのが札幌からの国道である。
人口4万の街がこれだけ複雑だとそれなりなに都会の趣きがある。しかし人口2万を切った街でこれだけの構造はただひたすらに無駄に煩雑だ。
函館の十字街、室蘭の中央通り、小樽の都通り、札幌の屯田通り、釧路の北大通…ゴーストタウンはどこでもそうだ。
とにかく、一日も早く、一日でも多くこれらの街を歩くべきなのだろう。駐車禁止を気にせずにいたるところに車を止めて歩くべきなのだろう。警察も一日も早く一方通行とか駐車禁止とか右折禁止とか止めるべきだろうと思う。それが街の衰退に拍車をかけているのだから。




昔話だ。
私は96年と97年の2年間、小樽の診療所の所長を勤めた。有床診療所の一人所長だ。
着任したときはひどい赤字だった。とにかく入院患者を確保しなければ赤字は解消できない。そのためには外来数を増やすしかない。しかしそんなことが簡単にできるわけはない。当面は往診数を増やすしかない。高齢化社会だから、そして小樽は坂の町だから、往診数を増やすのは、外来数の減少に対応するためにも必要だった。
そうやって往診数を増やすと、外来数も増えたし、入院数も増えた。多分厚労省の在宅重視の政策にも適合しただろうと思う。本当の患者のニーズに適合していたかどうかは別だが…
往診増加は戦略的に取り組んだ。週1回の往診には外来部門の全職員が参加した。月4回の往診はそれぞれ東部(築港・朝里)、市街中心部、北部(手宮・赤岩・高島・忍路)、西部(長橋・オタモイ・塩谷)に分けて行った。5週目は遊んでいたのかな? どっちにしても5時からは夜間診療が始まるので、楽をしていたわけではない。
1.東部コース
この往診の密かな楽しみが、喫茶店での道草であった。3時間で10軒回るのだがその間に10分ほどのティータイムが入る。2年間の間に月1回づつ行くから、結局それぞれのコースで24回行ったことになる。
その立ち回り先は4エリアごとに決まっていた。決まってはいたが、しばしば新たに開拓された。
東部周回コースは、入れ替わりが激しかった。最初に行ったのは国道から奥沢に行く道路で、光満ゴムの工場の一寸先の三叉路にあった喫茶店であった。そこは2、3回行ってすぐに潰れた。その後は、潮陵高校の坂を登っていって朝里に抜ける途中の崖にあった喫茶店で、ここは港の夜景を眺めるアベック向けの喫茶店で値段も普通の倍はした。ここは可愛い看護婦さんが着いて来たときだけ行った。
朝里に往診に行ったときは思い切り山越えで奥沢に出た。途中に(といっても無理やり途中なのだが)終わるワインの工場があって、無料で試飲ができるのだ。けっこうこの無料は高くて、係の人に顔を覚えられて高級なものを出してくる。当たり前だ。ナースは白衣で行くのだから。だから、結局いい値段のものを買わざるを得ない。
この工場は峠の途中で、冬場はゾッとしない。ところが良くしたもので、奥沢の十字街より札幌方向、川沿いに酒造りの工場がある。「男山」というが旭川の男山とは違う。その工場に、その頃お誂え向きに試飲コーナーができてしまった。結局ここでいっぱい引っ掛けてご帰還ということになる。
2.中部コース
中部コースは実は意外に往診先が少ない。まちなかに住む人はあまり勤医協や共産党とは縁がないのと、わざわざ勤医協でなくてもけっこう医療機関はあるからだ。
したがって往診先は山側に偏ることになる。したがって喫茶店も山際の眺めの良い喫茶店が増える。
小樽商大に向かういわゆる地獄坂、その途中の喫茶店、小樽駅ウラの市役所から西に入った喫茶店、は何軒か行った。
一番見晴らしの良い喫茶店は、駅前からきた国道が長橋方面に左折するところを曲がらずまっすぐ山を登ったところにある。下るのはエンジンブレーキだが、フットブレーキを使わないとタコメーターは5千回転まで上がる。私のおすすめの喫茶店だったが、私が小樽を去って間もなく閉じた。
この峠から、さらに山に登っていく道がある。50メートルほどで行き止まるのだが、その前に住んでいるおばあさんのところに往診しなくてはならない。ここは冬場は車は登れない。徒歩で行くしかないのだ。
3.北部コース
第3週の北方面は比較的喫茶店が多いところであった。一番クオリティが高いのは赤岩の坂を登っていく途中、かなり奥の方に菓子屋さんの直営の喫茶店がある。ここは自家焙煎をしていて、それは良いのだが、あの頃のはやりで真っ黒に焦がしていた。コーヒーの苦いのと豆が焦げて苦いのとは違うのだが、分かってない。分かってないのはいいのだが、その勘違いを客に押し付ける。とは言うものの店全体の雰囲気は標準以上だから一応受け入れる。パウンドケーキもうまい。ただし高いから毎度という訳にはいかない。
ここから高島の港まで一気に下がるとき、途中に思わず見とれてしまう高島診療所がある。20年前のあの頃でほとんど世界遺産状態だったが、今はどうなっているだろうか。
そして港につくとそこに2階建てのレストランがあって、1階が地ビールの工場だった。このビール、相当ひどかった。もう今ではやってないだろうと思うが、
ここの2階で日の傾いた高島港から色内の埠頭を見通すのもなかなかの雰囲気だった。北部にはもう一つの穴場がある。ほとんど幽霊ホテル化した祝津のホテルだ。ほぼ宿泊客ゼロのホテルの最上階が回転式のレストランになっていて、ギイコギイコと動いてはときにガタガタときしむ。コーヒーを飲みながら密かにいつご臨終になるのかと指折り数えていたことを思い出す。

4西部コース
これまで色々書いてきたが、西部はほとんど喫茶店の記憶がない。多分なかったのだろう。虎吉沢を下り喜ったあたりに1軒くらいあったのだろうか。私の覚えているのは5号線を下りきったところで塩谷の市街に入り、そこを抜けて海岸に出たところにビーチハウス状の喫茶店があったことである。夏の海水浴のシーズンこそ若者が来ることはあっても、ここで通年営業というのは流石に辛いだろうなと思ったっが、そのとおり翌年には姿を消していた。

本当につくづく思うのだが、もう北海道の田舎は住み続けること自体が難しい。まったく人がいなくなってしまったから、世間というものが存在しなくなった。
店終いしなければならないが、問題は何処まで消滅してくのか、何処までなら維持しうるのかが見当つかなくなっていることだ。
私は思うのだが、これなら道端のどこでも、なにか目印を立てて穴を掘って骨を埋めても見つからないなということだ。もっと露骨に言えば、見つかって一言二言文句を言われても、それで知らんぷりしてしまえばOKだということだ。

話がそれた。私は喫茶店世代の頂点にいて、その衰退を見つめてきた。いったい喫茶店文化とは何だったのだろう。何故か真剣に考えてしまう今日このごろである。

今シーズンを占う開幕戦、まさに不安が的中しつつある。
一番のリスク、それは栗山監督のセオリー外しがますます深刻化していることだ。フロントとうまく行っていないのだろうと思う。横尾の2番というのはあまりにひどい。キャッチャーも「ウソでしょう!」というキャストだ。
中田は1ヶ月だ。それでダメなら終わりだ。大田も結局鵜久森と同じで、それで終わりの人だ。2軍のホームラン王というのは、むかしからそれで終わりと相場が決まっている。
だいたいどういう野球をやろうとしているんだろう。守って、後半逆転して、1点差で逃げ切るヒルマン野球やるしかないんじゃないだろうか。弱い貧乏チームなんだから、勝つにはそれしかないでしょう。
 1番西川、2番松本、3番田中、4番近藤、5番レアード、6番岡、7番杉谷、8番鶴岡、9番中島
つまり近藤をファーストで、田中をDHで使うということ。あとは小谷野を拾ってくるくらいかな。我慢していればそのうち糸井や陽岱鋼クラスは育ってくる。あとはそこまで経営陣が頑張ってくれるかどうかだ。

多分、いつまでも続くわけはないし、病気が病気だから、終わればそれで終わりだと思うから、毎晩嫁さんと付き合ってビデオを見ている。
仕事はしない、活動もしない、頭は使わない、体も使わない、こんな生活は相当フラストが貯まるが、それに慣れてきた自分にもっとフラストがたまる。
難しいビデオはダメだから、テレビドラマのシリーズのビデオ化されたものを片っ端から見るということになる。
名前をあげようと思ったら殆ど憶えていないことに気がついた。そこでメモ代わりに見たものを書いておく。
まずは「結婚しない男」という連続ドラマだ。主演が阿部寛と夏川結衣の組み合わせのラブコメディだ。全15作くらいある。これが終わってから、嫁さんが阿部寛をリクエストするようになった。こんなの何処が良いのかと思うが、まぁ好き好きだから仕方ない。
落ちこぼれ高校生を東大に入学させる高校教師の連続ドラマというのを借りてきた。実にバカバカしくて見る気になれないが、嫁さんが見たがる以上付き合わざるを得ない。
次が阿部寛がCM作家をクビになって専業主婦をやるという設定のドラマ。いささか飽きた。
その次がヤクザが介護ヘルパーになるという荒唐無稽のドラマ。草彅たけしの主演で、ここにも夏川結衣が顔を出す。これも嫁さんが食いついて強引にご相伴させられた。
それが終わるのを待って、夏川結衣の「結婚前夜」というのを見た。これはNHKの5話完結のドラマで、マイフェアレディが下敷きになっている。脚本が素晴らしい。さすがNHKだ。
こういう映画は嫁さんと並んで見るのがいささかしんどい。お互いそこそこ心当たりはあるであろうから、横眼でちらっと見られる瞬間がけっこうズキッと来る。
夏川結衣という俳優は美人じゃない。少なくとも一目惚れするようなご面相ではないが、なにか変に魅力的だ。どちらかといえば嫌いではないが、人前で、とくに女性に「この女優さん良いね」というのが下心をさらけ出して言うようで、ひょっとはばかられてしまう女優だ。
「あら、こんな人がいいの?」と言われそうな感じ、「あれっ、俺の最初に付き合った彼女みたい」とふと過去を振り返ってしまいそうな感じ、とにかく何か気になってしまう女優さんである。
あと面白かったのが「ナニワ金融道」で、途中からはけっこうコメディーになってしまったが、1、2作目は相当迫力あった。コメディではあるが、いしだあゆみがゲストで出た番組はロードムービーの趣もあり、単作としても最高だった。
吉永小百合の「母と暮せば」は泣きの涙、嫁さんと代わる代わるにティッシュの箱に手を伸ばしていた。
私の母は4人兄弟。母以外はすべて男で、すべて医者になった。長兄が大学でセツルメントもどきにはまったらしい。当局に赤色分子として目をつけられたようだが、とにかく昭和5年ころに無事に医者になって、なった途端にコレラもどきで死んじまったようだ。
次兄は静岡で開業し金持ちになった、末弟は北大に行って学者になった。母はこの弟のようになってほしかったようだが、後年になってからは「長兄の血なんだね」と言って諦めた。父は「歯医者でも良いんじゃないの」と密かに思っていたが、そのような道は母の念頭にはなかった。

ネットでとりよせた鷹勇の特別本醸造。
何年ぶりかの鷹勇だったが、一瞬われを疑う。
これは酒じゃないよね、醸造用アルコールだね。だから「特別本醸造」なんだねと納得する。
たしかに鷹勇というのは最初の一口からグッとくる酒ではない。ぐい呑で一杯飲み終わった頃に、「えっ、これってなに」という酒ではある。
それにしても、この愛想の無さはなんだ。見事なまでのドキュメンタリーな乾燥感、口に広がるはずの“かぐわい”がない。上半分がヘラでこそぎ取られたような空虚感、舌に残るのは少々の糠のにおいだけだ。
困ったもんだね。これだけひどいと、ひとにくれてやるわけにもいかない。
だますわけにも行かないから、自決用の手榴弾を渡すように、「鷹勇の最期を確認してください」と言いながら渡すほかないだろう。




このところイライラが募っている。
夜中に咳が続いて、おそらくは左舌区の気管支拡張に、上顎洞感染が重なっているためのものと思われ、これまでもときに悪化・寛解を繰り返してきたが、どうも今回はしつこい。
とりあえず少しタバコを辞めてみて経過を見ようということにした。とはいっても、何度も繰り返された試みであり失敗に終わった試みであるから、半日くらいとタカをくくっていたが、なんと朝から寝るまで吸わずにしまったのである。
そうなると2日目は、禁煙を止めづらくなる。3日目はますますだ。さりとて吸いたい気持ちが軽減したわけではない。そもそも禁煙しようという決意などないのだから、辛いのだけがダラダラ続く。
生活のリズムが3拍子で形成されてきたから、これをどうするのかが戸惑いだ。“食う、飲む、吸う”あるいは“仕事する、飲む、吸う”の3拍子目がない生活というのはどう送るべきなのか、とりあえずは飲む、飲む、飲むでお茶とコーヒーとバターピーナツ
肝心の咳の方だが、たしかに朝の咳込みは多少軽くなったようだが、タバコをやめた努力のわりに見返りは少ない気もする。
明らかな有効性が確認できれば、それで目的は果たせたことになるのだから、その時点で喫煙は再開しようと考えている。ただ後鼻漏の方はいまだに続いており、このままでは週をまたぐことになりそうかな、と覚悟しつつある。
ということで、しばらく根を詰めた作業はしないようにします。
どうでもいいけど
3拍子の名曲をご紹介します。
NELLY OMAR - DESDE EL ALMA

5日(木)にふらりと宗谷まで行ってきました。
前に書いた天北線を見たかったのと、まだ宗谷岬を見たことがなかったので、それが目的と言えば目的ですが、まあどうでもよいことです。
家からすぐそばにインターがあるのでそこから高速で士別まではすぐに着きます。すぐといっても180キロ、“普通”に走って2時間はかかります。そこから天北線の出発点である音威子府についたのは途中休憩を挟んですでに12時を過ぎていました。
途中の美深にチョウザメの飼育場があるのですが、まったく宣伝もしておらず、看板すらありません。探すのに思わぬ時間がかかりました。しかしそれだけの価値はある立派な見物です。
入場料はなんと無料。隣接する道の駅にもそれらしき土産も何もありません。商売けがないというよりなにか隠しているようにさえ感じてしまいます。
私なら、チョウザメではなく「美深ザメ」とかネーミングして「ゆるキャラ」を作って全道キャラバンするね。チョウザメ・ステーキとかチョウザメ・バッグを販売して付加価値を大いにアップする。もちろんキャビアはそれ相当の値段をつけて、高級レストランに提供する。国際コンクールに出して箔をつける。まだそこまで成熟していないようだけど。
とにかく行こうと思う方は必ずネットで確認してください。その気にならなければ間違いなく見過ごします。美深なんてザラに行くところじゃありませんから、これは一生の不覚です。
もう一つの美深名物が羊かんです。これは左翼の人には泣ける話です。音威子府駅の職員がJR合理化と闘って東京に飛ばされた。北海道ではよくある話です。それが東京で配置された職場で羊かんづくりを学んで、美深に帰ってから羊かん作りを始めました。これが地元では評判になってかなりの売れ行きらしいのです。
とりあえず買ってきたがまだ食べてはいません。だいたいこの手の食い物は苦手なのです。見ただけで歯が疼いてくる。
音威子府駅はかなり観光化されていて、天北線に関するミニミュージアムも併設されています。なかなか充実しています。
音威子府で何か食おうと思いましたが、駅の立ち食いそばは1時で営業終了、目の前でシャッターを下ろしてしまう無情ぶり。道の駅に行ったら「本日休業」というありえない掲示。町内に食堂はなくなんとコンビニさえもありません。今回の旅行でわかったのですが、道北ではコンビニというのは決して「ありふれた光景」ではありません。「いなか」というのはInconvenient Countryの略だと心得たほうが良さそうです。
結局、空腹のまま音威子府を出発し天北線へと入りました。国道は天北線の線路跡と並行しながら走るのですが、それらしき遺物はなかなか見つかりません。一番良かったのは「北音威子府」の駅でした。
R0012325
89年の廃線から20年、今にも木立の向こうから列車がやってきそうな景色です。空き缶も、菓子の袋もまったくありません。この駅名板は国道からも木立を透かして見えますが、誰も気づかないようです。(一昨年、地元の有志が再建したのだそうです。がっくり)
峠を越えた小頓別は鉄道の走っていた様子はもはやなく、旅館「丹波屋」も崩壊は時間の問題のようです。上頓別はすでに集落そのものが消滅していました。
飯が食えるかと期待してやってきたピンネシリの道の駅もお休み、こうなれば中頓別まで走るしかありません。やっと中頓別のドライブインに到着。もうすでに3時ですからざるそばで手早く済ませて、と思ったらなんと20分も待たされました。ズルっとかきこんで浜頓別へ。
浜頓別の街はまだ活気があります。表通りこそシャッター街ですが、民家はこざっぱりとして廃屋はありません。ここもホタテ景気なのでしょうか。話に聞いた大通り、北1条、南1条をしっかり確認すればあとは用は無し。
陽が少し傾いてきました。暗くなる前には宗谷岬に着きたいと車を飛ばしました。なが~い直線道路、あたりには人家はなく「鹿の飛び出し注意」の看板ばかりが目につきます。そろそろお出ましの時間です。釧路で鹿には慣れています。道路に群れる鹿の群れの中を突っ切ったこともあります。
ようやく宗谷岬についたのが4時半を少し回ったあたり、もう日は沈んで夕焼けの空が広がっています。車窓の右前方にいくつかの島が見えてきました。それはだんだんとつながって山並みを形成します。宗谷岬は実は最北端というよりはサハリンに一番近いところなのです。明治の初め、樺太アイヌが島を追われて最初に定着したのがこの辺りです。気持ちわかりますね。
写真にとったのですが、小さすぎてわかりません。仕方がないのでほかの方の写真を拝借します。
樺太遠景
津軽海峡北部のハチクマさんのサイトより転載
最短直線距離で43キロだそうです。札幌・小樽間くらいです。借りておいていうのも何ですが、夕方のほうがもっとスッキリ見えます。風の強い日は水蒸気が飛ばされてよく見えます。
宗谷岬についた途端、吹き飛ばされそうなほどの強風、気温も急降下してとても長居できる雰囲気ではありません。
宗谷海峡
間宮林蔵と三角塔のあいだに見えてはいるのですが…
宗谷岬と稚内のあいだがけっこうありまして、ホテル到着が6時過ぎ。朝からずっと運転で頭の中がゴーッとなっています。しばらく休んでから街に繰り出しました。
稚内なんだから魚を、それもちょっとおごって寿司でも…と探して、そのうちにあまりの寒さでエイっと飛び込んだ寿司屋。
稚内では一流らしく、けっこう繁盛していました。カウンターの隅に座って熱燗を頼んで、空腹が手伝ってけっこうメートルが上がりました。味はいわゆるむかし風の寿司屋の味です。シャリの粒立ちがピンとせず5,6粒多い。甘みが強く酸味が足りない。ネタに下ごしらえをしない。鮪の赤身も赤貝も“まんま”で出てきます。アワビは噛み切れず残ってしまう。値段だけは老舗らしく一流です。
嗅覚はあるつもりなので、もう少し暖かければそれなりの店を見つけたと思うのですが、残念。
帰りにコンビニでコップ酒と酔ざましの牛乳を、と探したのですが、例によってコンビニがない。札幌なら石を投げれば当たるほどのコンビニが、探せど探せどない。
30分歩いてやっと駅のそばに見つけて買いました。宿につく頃には冷え切って、酔いだけが残っているという悪いパターンです。風呂で温まるといっそう酔いが回ってそのままバタンです。
ところで泊まったホテルかこれ。
ホテルサハリン
エンブレムの小さい字はロシア語でガスティニツァ・サハリンと書いてあるようです。ガストとはドイツ語でゲストのことですから。ゲストハウスという意味でしょうか。ホテルと言うにはちょっと気が引けるという感じかもしれません。
とにかく名前が気に入りました。「稚内に行ってホテル・サハリンに泊まってきた」というだけでシャレてますよね。
JTBやるるぶでは出てこない店だと思いますが、私はジャラン派なので見つけることができました。ロビーがかすかに魚臭いが、決して悪くはないホテルです。セザリア・エボラ風のおばさん(もう少し美人)がフロントを仕切っています。朝食が7時から8時までというのがすごいでしょう。
場所は最高です。あのルネッサンス桟橋の付け根から10メートル。時化れば舞った飛沫が飛んでくる場所です。朝日は宗谷岬の方から港越しに上がってきます。このときだけ宗谷岬がくっきりですが、太陽が上に上がると霞んでしまいます。
一人旅なら絶対のおすすめです。このマッチだけでもちょっとした自慢です。5,6個おねだりしてせしめてきました。
帰りに困ったことがいくつか
私の車は6年前のWishです。ナビがその時のものなので、最近の高速が載っていません。道北ではかなり部分開通していてバイパス代わりに無料利用できます。ところがそれがナビに組み込まていないのです。乗っているあいだは快調なのですが、降りてからのアクセスがわからず何度も迷子になりました。今度の定期点検のときにバージョンアップしてもらわくては…
国道275号線というのは地味な道路で、わりと遠慮しながら走っています。ときとして間道のほうが立派で間違えてしまいます。ひどいときは2,3キロ行ってから「あれ変だぞ」と引き返したりしました。そういうときに限ってナビが方向感覚を失ってしまうのです。
ときどき道路地図を見て、全体のイメージを持ってから運転するほうが無難です。
とにかく全行程750キロ、東京-青森よりもっと長い。71歳のジジイがよくも走ったものだと感心しています。ガソリンは満タンで余裕の完走でした。

Youtubeで耳掃除の動画を1時間見続けた。
eariss という耳掃除専門業者の宣伝映画らしい。
さすがに気分はあまり良くはない。ニオイがないのが救いだ。
今夜は夢を見そうだ。
とくにリンクは貼らないでおく。

以前から気になっていた室蘭に行ってきた。
室蘭には出張で何回も行っているのだが、その気で市内を見て回ったことはなかった。
多分、この地図を見てくれれば、誰しも、とっても気になる街だと思う。

室蘭
絵に描いたような良港だ。函館や小樽など比べ物にならない。港であればこうありたいという自然の条件をすべて備えている。広さはお釣りが来るほどで、防波堤など不要だ。後背地も広大だ。
しかし船の時代は終わってしまったから、どうしようもないのだ。
いまは乗換駅だった東室蘭が街の中心になっている。しかし室蘭駅はいまだに室蘭にある。市役所や市立病院やNHK放送局も室蘭にある。
室蘭本線は半島の西側をのたうつように走り室蘭の市街に至る。山裾に線路が敷かれているのだから仕方ないのだが、その海岸沿いは広く埋め立てられて新日鉄や日本製鋼の工場敷地になっているのだから、なんとなく割り切れないところがある。敷地の中を突っ切れば距離は半分で済むだろう。

かつて室蘭は北海道で5番目に大きい街だった。
都市人口推移
北海道が一番威勢が良かった昭和30年、札幌の人口は45万、これに次いで函館が23万、小樽が18万、旭川が14万、室蘭と釧路が11万、夕張が10万、帯広と苫小牧は5万足らずだった。
上の図では2000年までしかないが、2017年の今、状況はさらに惨憺たるものとなっている。

室蘭の地名はアイヌ色が濃厚だ。地図を見ても大黒島と白鳥大橋以外はすべてアイヌ語由来だ。駅名も輪西、御前水、母恋というふうに風情がある。
私は前から山の尾根を走る道路が気になっていた。どうしても一度走ってみたいと思っていた。あるひ、目が覚めて、天気が素晴らしいのに後押しされて、フッと出かけた。
札幌から110キロ、高速を使うと2時間でつく。ただし眠気はかなり強烈だ。100キロで走っていても車が止まっているように感じられる。
インターを降りて、地図でイタンキと書いてあるあたりから山道に入る。予想以上の難コースだ。しかし新日鉄の馬鹿でかい敷地を除けば景色は素晴らしい。日本製鋼を過ぎたあたりから尾根に出る。今度は太平洋が一望される。
地球岬からは噴火湾越しに恵山が目の前だ。これだけ美しい街なのに北海道の観光案内にも載らない理由は、ここがかつて公害の街だったからだ。
新日鉄の煙突から撒き散らされる鉄粉は、室蘭の町を赤茶色に染めた。企業城下町だったからそれを誰もなんとも言わなかった。もう50年も前、学生時代に泊まり込みで公害調査に来たことがある。細かい雪のように鉄粉が街なかを舞っていた。
それがいま高炉の火が消えて初めて美しさを取り戻した。
室蘭は観光の町としてもう一度再起すべきだと思う。
日本人は知らないが、中国人はそのことをよく知っている。地球岬は中国人だらけだ。



↑このページのトップヘ