このところ多忙で、赤旗も貯まり加減だ。
記事への食いつきも悪くなっている。
これも軽めの記事で、ミレーの種まく人についてだ。
井出洋一郎さんが書いた「種をまく人 ミレー生誕200年」という記事。
この絵は5点あるそうだ。
1.1846年の小品 これは海が背景に描かれているらしい。府中市美術館にあるそうだ。
2.1847年の作品 これは畝を耕す牛も描き込まれているらしい。ウェールズ国立美術館蔵。
3.1850年の作品 これがもっとも有名なものだそうだ。ボストン美術館蔵。
4.1850年の作品 ボストンのものと瓜二つだそうだ。なぜ二つ作ったのかはわからない。山梨県立美術館蔵。
5.1850年代の作品 未完のままだが、もっともサイズが大きいものだ。カーネギー美術館蔵。
ということで、5つのうち二つも日本にあるということは、日本人がよほどこの絵を好きな証拠だろう。

この絵についての井出さんのコメントを紹介しておく。
ミレーの「農民画」で最初に画壇で問題視されたのが、「種をまく人」であった。パリの官展であるサロン展に1850年に出品されたこの絵は、、2年前に王党派を一掃し、農民と市民階級が勝利した二月革命の余波という背景を持っている。
しかし時はすでにルイ・ボナパルトのクーデターと帝政が準備され、民主共和制が崩壊する寸前であり、左右両陣営の対立が極まった時代であった。
若い農夫の孤独な農作業を描いた「種をまく人」は右からの厳しい批判と、左からの熱心な賞賛の嵐に見舞われる。


5,6年前に釧路の美術館でもミレー展(バルビゾン展だったかな?)をやったから、私は実物を見ているかもしれない。釧路の美術館はとても水準の高い展覧会をやってくれる。何よりも空いているのがありがたい。それだけでも釧路に住む意味があるくらいだ。

下記は岩波書店のホームページから
「種まく人」のマークについて

創業者岩波茂雄はミレーの種まきの絵をかりて岩波書店のマークとしました.茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身で,「労働は神聖である」との考えを強く持ち, 晴耕雨読の田園生活を好み,詩人ワーズワースの「低く暮し,高く思う」を社の精神としたいとの理念から選びました.マークは高村光太郎(詩人・彫刻家)に よるメダル(左写真)をもとにしたエッチング.

ということで、ミレーの絵とは直接関係はないようだ。そういえばゴッホにも同じ絵柄の作品がある。どちらもミレーの絵にインスピレーションを受けている。
岩波書店の説明では、ワズワースと高村光太郎が挙げられているが、どういうわけか小牧近江と雑誌「種まく人」への言及はない。これは意識的に無視しているのか、なにか裏事情があるのか。

ミレーの作品は5枚あると書いたが、実はもうひとつある。それが1851年のエッチングだ。

ジャン=フランソワ・ミレーの「種まく人」 | ムッシューPの美の探究 より


ゴッホが題材としてのはこのエッチングだったようだ。また高村光太郎もこのエッチングからメタルを作成したらしい。ただし別のページでは「ミレーの原画に基づいてPaul-Edmé LeRat が制作したエッチングである」ときさいされている。

アルフレド・サンシエが1881年に著した『ミレーの生涯と作品』には、以下のように記されている。この記載をゴッホは熟読したそうだ。

白い種袋を托され、種まきを引き受けた時には、種を一杯に入れた袋のはしを左腕に巻きつけ、新しい年の期待を胸にふくらませ、いわば一種の聖職にたずさわるのである。
彼はもはや一言も発せず、しつかりと前を見て畝と畝の距離を測りながら、儀典歌のリズムに合わせるように規則的な動作で種をまく。大地に落ち た種は、すぐに耙で土をかけられ、おおわれる。
種をまく男の身ぶりと、抑揚のついたその歩みは、本当に堂々たるものがある。その動作は、真実、大きな意味を持っており、種をまく人はその責任の重さを実感している。


のページより引用。(ちなみに邦訳者は井出さん)