肥田舜太郎先生はずいぶん頑張っていらっしゃるというか、この歳になってもとんがり続けているので、その分人さまの批判にもさらされることになる。

竹野内真理という反原発の世界では有名な人がいて、この人が「娘道成寺」よろしく、紅蓮の炎で肥田先生を焼き尽くしにかかっているようだ。

満員電車の中で「痴漢だ、痴漢だ」と騒がれるようなもので、非常に困ったことではあるが、ある意味有名税みたいなものかもしれない。

それと比べると、もう少し隠微な批判がある。

肥田さんの書かれた「内部被曝」(2012年3月)という本への批判である。

題名は「内部被曝」(肥田舜太郎)の読み方。批判しているのは安井至という東大教授。環境学者を名乗る「隠れ原発論者」からの変化球である。

書かれたのは2012年4月1日。本の初版発行日が3月19日だから、異様に早い書評である。

まずは東大教授らしからぬかなり毒々しいレッテル貼りから始まる。

それにしても、まだまだ奇妙な出版物が出る。これは一体何なのだ。…この新書は危険な要素を含んだ出版物である。

ついで安井氏は、この本が恣意的で非科学的だと述べたあと

フクシマに対する差別意識を日本中に広めることが本書の目的

と、途方も無いことを言い出す。肥田先生は「工作員」だと言っているに等しい。これでは竹野内さんも真っ青だ。さらに二の矢が飛び出す。

そしてこの差別意識を利用して、原発を止めようとしている…福島県民のことを思うと、とてもやりきれない。

と嘆息してみせるのである。(…と思う、…のように見える などの表現は削除してある)

ついでこう言及する。

(このような主張は)放射線に対する過度な心配をする人々を増加させ、ある種の心身症を引き起こす原因を作り出す。

まさに原発事故発生時に東大教授たちが、「事実を話せばパニックが生じる」と言って、メルトダウンを隠蔽したのと同じ論理だ。

安井氏は「内部被曝が重大な影響を与える可能性がある」ことは認める。そのうえで、自然放射線との境界が曖昧であるとして、肥田先生がアオリをしていると非難する。これもあの時の「東大教授たち」と同じである。

著者は推測にすぎないことを多数羅列することによって、意図的に過大な影響があることを主張している

本書は落第である。できるだけ多くの人を騙す目的で書かれている

ここで安井氏は完全な「審判者」の立場に身をおいている。なぜなら彼は東大教授であり、環境学者であるからだ。

困った人だ。今や東大教授というのは、それだけで疑われ、裁かれる立場なのだが、そこが分かっていない。

そして悪影響の典型として持ち出すのが、先ほどあげた竹野内真理さんだ。ただ竹野内さんは福島事故の20年も前から原発反対運動に関わっている。こういうデマは、知っていてやる公安筋の悪質な手口だ。

安井氏は、ついでに、「チェルノブイリのかけはし」の野呂美加さんにも触れる。野呂さんたちは核被害の特効薬として「EM菌」というのを売り込んでいるようだが、私は寡聞にして知らない。

どうしてそのようなマイナーな話題を、安井氏は知っていて、それにわざわざ言及するのかも分からない。


以上が序論で、ここから膨大な本論(コメンタール)が始まる。

私も原著を見ていないので、目次を見ただけの感想から言えば、いくつかおやっというところもある。

例えば、「セシウムは心筋梗塞を起こす」というのは風が吹けば桶屋が儲かる的な感がある。「ベトカウ効果」については不承知である。「エイズの発症も放射線の影響」とか、「放射線の影響で学業成績も低下し、粗暴になる?」については眉唾である。

また自分の臨床体験からは、「低線量被曝」は危険ではない、問題は「内部被曝」である。「原爆ぶらぶら病」はうつ病の可能性が高い、などの実感を持っている。

第6章に関しては、論争するつもりはない。

コメンタールと言っても漠然たる学習ノートで、系統的な批判ではない。ただし批判してやるぞという系統的な意志には貫かれている。

結局、ケチつけや揚げ足取り的批判を除くと、昔ながらの「低線量被曝」=無害論に落ち着く。

これではどうしようもない。

そもそも内部被曝論は低線量被曝論に対する反論として出されているのであり、低線量被曝群から放射能症が多数発症している事実を説明するための理論である。

目下のところ仮説にとどまってはいるが、現実の被曝障害をもっともよく説明できるモデルであることも間違いないし、これに対する有力な反論も登場していないのである。

一体安井氏は肥田先生の所説のどこを批判したいのであろうか。読み終えて、そこが一番気になるところである。