平和憲法を守る3つの視点

1.平和憲法と、それを担ってきた日本の国民に誇りを持て

平和憲法は成立の当初から「理想論」と言われ続けてきた。しかし70年近くを経た今、それは「現実」となっている。

他国と戦火を交えず、平和を守りぬくことが可能であることを世界に先駆けて示した。それだけでなく平和のもとで繁栄を実現することで、それが理想ではなく現実に可能であることを実例として示した。

逆に、戦争不可避論にしがみつくことが、時代遅れの形式論理に過ぎないことを実証した。

日本国民は世界の先駆者として、このことに誇りを持っていいし、誇りを持つべきだ。

そして平和憲法擁護の運動において、まず何よりもこの視点を強調すべきだ。


2.一般民衆の戦争観を堅持せよ

戦争を見る目には二つある。それは勝者の戦争観と敗戦国の戦争観だ。勝者にあっては支配者は支配を継続するから、支配者の目から見た戦争観が民衆にも共有される。

敗戦国にあっては支配者が更迭され、支配者の戦争観は否定される。したがって民衆の戦争観が国民全体の戦争観となる。

戦争は懲り懲りだ、平和ほど素晴らしいものはない。それは命かけても守りぬく価値がある。

これが民衆の戦争観だ。

しかし勝者の戦争観は、戦争による犠牲と利得とを天秤にかける。戦争は支配者が目的を実現する手段のひとつとして考えられるようになる。そして政治ゲームの一場面のように考えられるよになる。

民衆からすれば、政治は平和の実現と維持のためにあるのであり、戦争は政治の自殺行為を意味するのだ。

私は絶対的平和主義者ではない。殴られたら殴り返すべきだと考えている。たとえ力及ばずともだ。しかしそれは政治ではない。政治は戦争という選択肢を破棄すべきだ。

それが民衆の戦争観ではないか。


3.過ぐる戦争の愚劣さを直視せよ

日本兵200万がアジア・太平洋各地で戦死した。彼らの死は客観的に見て明らかに無駄死であった。

日本の支配したアジア・太平洋各地で数百万の民衆が殺され、餓死に追い込まれた。それらの戦争のほぼすべては、究極的には日本により仕掛けられたものであった。

内地でも二つの原爆と度重なる空襲により、数十万の民衆が犠牲となった。これらの犠牲を生んだ背景には、必ずしも正当と言えない事情がある。しかしそれもふくめて、戦争という狂気が生み出したものであった。

日本軍は玉砕、特攻、集団自決など狂気の死を生み出した。また朝鮮人、中国人の強制連行、強制労働をはじめとする無数の人権侵害を生み出した。

民主主義が封殺され、正義が沈黙し、恐怖が支配するところでは、狂気が大手をふるう。狂気が突出し、愚劣さがニセの高貴さと交錯し、やがて自壊するというのが、過ぐる戦争の赴くところであった。

人々が刺激しあい高めあう代わりに、貶めあい傷つけあう倒錯した世界、それが戦争という誤った愚かな世界だ。

こんなことはもうたくさんではないか。