詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

というブログでも杉山平一を紹介している。

は、東日本大震災を契機に書かれた「希望」という詩、谷内さんはその詩の後半の「我慢」という言葉に注目している。


我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ

負けるな

ここを谷内さんはこう読む。

何もできないときは、何もできないまま、できることをしていればいいのだ。それは「我慢する」というような消極的なことになってしまうかもしれないが、それでもそこには「する」という「自発」がある。
「自発」があるかぎり、それに答える何かがある。
 それが「希望」である。

たしかにそのほうが適当だ。
ぴっぽ さんの
その連鎖を、勇敢に断ち切るのです。
というのは、やはりちょっと言いすぎだなと思う。

多分杉山さんというのは業で読ませるタイプの詩人だと思う。乗っけられると、ドドドッと行く。
志しはいうほど濃くはないんじゃないかな。