白善燁の「若き将軍の朝鮮戦争」という本を読み始めた。まだ序文を読んだだけで評論するのは性急とは思うが、この人の「戦争観」は非常に優れたものだと思う。

ちょっと箇条書きにしておく。

1.日本の対外政策は朝鮮半島を中心として展開された。

明治維新直後の征韓論、1875年(明治8年)の江華島事件、日清・日露の闘いで、日本は朝鮮半島の覇権を握った。

2.満州事変から支那事変へ

1931年(昭和6年)に満州事変を起こし、満州国を建国した。しかしそれが中国の抵抗を招き、支那事変が不可避となった。

3.インドシナ半島への進出

支那事変は容易に解決しなかった。焦った日本は援蒋ルート遮断のためインドシナ半島まで手を伸ばした。

4.対英・米・蘭・蒋戦争へ

援蒋ルートは英・米・蘭の組織したルートであるがゆえに、それは必然的にそれらの国との闘いを意味した。それが太平洋戦争である。

5.「皇土朝鮮を保衛すべし」

1945年8月、ソ連軍侵攻に際し、大本営の作戦命令は「皇土朝鮮を保衛すべし」であった。日本軍は朝鮮を本土並みの扱いとしていたことが分かる。


この内、5.についてはにわかに首肯しがたいところがあるが、1.~4.については日本軍のだらしのなさ、戦略的展望の欠如も含めてよく理解できる。

トータルとして満州事変以来の「12年戦争」という言葉がよく用いられるが、どうも帯に短したすきに長しだ。戦闘の連続性という意味では支那事変以降の「8年戦争」というべきだし、日清戦争以来の一連という意味では「50年戦争」と呼ぶのがふさわしいのかもしれない。

その後半4年は「太平洋戦争」と呼ばれるが、主戦場という意味では「太平洋戦争」として良いのだが、誰と誰が闘ったのかという一般的な命名スタイルからすれば「対英・米・蘭・蒋戦争」と呼ぶのがふさわしい。縮めて言えば「日・連戦争」である。

「大東亜戦争」というのは多分に「大東亜共栄圏」のイデオロギーを引きずった言葉であるが、日本が東亜、すなわち東アジアの覇権を狙った戦争という意味では意外に的を得た命名かもしれない。

いずれにしても日清戦争以来のすべての戦争は、すべて日本軍を一方の当事者としており、日本の覇権主義に絡む戦争であったがゆえに、東アジア大戦争、あるいは日本帝国主義戦争と捉えるべきであろう。