違星北斗 死の床にて

2021年01月31日 違星北斗に思う
違星北斗に思う その2

 の続編です。日記からの抜粋です。


昭和3年(1928年)

4月25日 北斗、千歳方面を行商中に喀血し余市にて闘病生活に入る。

喀血の その鮮紅色を見つめては 気を取り直す「死んじゃならない」
これだけの 米あるうちに 此の病気 癒やさなければ食うに困るが

5月8日 兄が熊の肉とフイベを差し入れ。

熊の肉 俺の血になれ 肉になれ 赤いフイベに 塩つけて食う
熊の肉は 本当にうまいよ 内地人 土産話に 食わせたいなあ
あばら家に 風吹き入りて ごみほこり 立つ 其の中に 病みて寝るなり
希望もて 微笑みし去年も 夢に似て 若さの誇り 我を去り行く

5月17日

酒飲みが 酒飲む様に 楽しくに こんな薬を飲めないものか
薬など 必要でない 健康な 身体になろう 利け 此の薬

6月9日 

東京を退いたのは 何の為 薬飲みつつ 理想をみかえる

7月18日

続けては 咳する事の苦しさに 坐って居れば 蝿の寄り来る
血を吐いた 後の眩暈に 今度こそ 死ぬじゃないかと 胸の轟き

9月3日

何となく淋しい。やはり生に執着がある。ある、大いにある。全く此の儘に死んだらと思うと、全身の血が沸き立つ様だ。夕方やっと落ち着く。
今日はトモヨの一七日だ。死んではやっぱりつまらないなあ。

10月3日

アイヌとして 使命のままに 立つ事を 胸に描いて病気を忘れる

12月10日

健康な身体となって もう一度 燃える希望で 打って出でたや

12月28日

此の頃左の肋が痛む。咳も出る。疲れて動かれなくなった。
東京の希望社後藤先生より、お見舞の電報為替。

此の病気で 若しか死ぬんじゃなかろうか ひそかに俺は遺書を書く
何か知ら 嬉しいたより来るようだ 我が家めざして配達が来る

昭和4年

1月6日 絶筆

いかにして「我世に勝てリ」と叫びたる キリストの如 安きに居らむ
世の中は 何が何やら知らねども 死ぬ事だけはたしかなりけり

挽歌 逝きし違星北斗氏

墓に来て 友になにをか 語りなむ 言の葉もなき 秋の夕ぐれ
バチェラー八重子