最近の戦争報道についてのいくつかの疑問

 

我々の基本的スタンス

まず、さまざまな報道について、我々の基本的スタンスを踏まえておきたい。

戦場での報道にはバイアスがかかる。事実か否かの判断は容易ではない。何かを語るに際しては、最低限でも国連事務局の認定した事実にもとづいて語るべきである。

第二に、ロシア側の言い分を考慮すべきである。あまりにも酷い暴行があった。しかし、それが酷いことは、ロシア側のやり方が酷いということではない。それは必ずしも一致しない。ロシアが真っ向から否定している以上、ウクライナ側による冤罪の可能性には留意すべきである。

今回の紛争の責任は上げてロシアにある。それは疑いない事実だ。であるにせよ、第三の視点が必要だ。ロシアは人類の敵ではない。彼らは不倶戴天の敵ではなく、過ちを犯した交渉相手なのだ。

状況の異常さが気がかり

ついで、示された状況の異常さが気がかりである。ロシア軍はキーウから敗退したのではなく東部へと転戦したのだから、遺体を埋葬する余裕はあったはずである。それが軍律の基本というものだ。

殺害の仕方の残虐さにも違和感を覚える。正規軍の仕業ではない。「ネオナチと戦う集団」の行いとしては理不尽だ。むしろ無法者の仕業と考えたいくらいだ。
まともな感覚を持った国際ジャーナリストであれば、「なにか変だな?」と疑問を抱くのが当然ではないだろうか。

ウクライナ軍による「解放」から発見までのタイムラグも気がかりだ。もし住民が集団虐殺されていたのならば、それを生き延びた住民は到着したウクライナ兵に真っ先に報告するだろう。

 

最大限の隠忍自重がもとめられる

はっきりしていることは、この大量虐殺でウクライナ人と世界の人々の、ロシアへの怒りが一層助長されるだろうということだ。そして停戦交渉の動きがしばらくは停滞するだろうということだ。

さらに武装闘争が煽られる可能性も否定できない。一番怖いのは軍の一部を形成するネオナチ暴力集団に殺傷力の高い武器が渡ることだ。その結果、暴力に歯止めが効かなくなる恐れもある。

マスメディアでは、ドイツが攻撃用武器を援助するという情報もある。これでは事実上のNATO参戦に限りなく近い行動ではないか。しかしそのことに国際的な批判もない。

とにかく戦争を終わらせることだ

とにかく戦争を終わらせることだ。少なくともこれ以上戦争をエスカレートさせないことだ。そのためには最大限の隠忍自重と最高度の理性の発揮が求められる。知ってほしい、憎悪と敵意からはなにも生まれないということを。

どうかそれを広げる方向で報道を強めてほしい。