石勝線トンネル火災事件の実相

このニュースの大事なことは、事故の重大性やJR北海道のひどさを告発することにあるのではない。

これだけ重大な事故であったにもかかわらず、乗客・乗員が大した怪我もなく無事助かることが出来たのはなぜかということだ。

そこで決定的なことは、乗員がひどかったにもかかわらず乗客の機転で助かることが出来たというマスコミ報道が本当に正しいのかどうなのかということだ。

それは乗客のヒロイズムをくすぐる論調ではあるが、「ヒーローたち」が乗客全員を救ったという場面は実のところ根拠はない。結果としてはっきりしているのは、どこかで乗員も避難し乗客全員も避難しているという事実だ。

しかもそれがJRの作成した事故対応マニュアルとは異なっているということだ。それにもかかわらず、JRは乗員に「判断ミス」を押し付けようとしていることだ。

どうもTV報道の作った筋書きとは違う事実がありそうだ。

ネットで集められる情報を集め、もう一度時系列で整理してみた。もちろん全部を集めきったとはいえないが、最初持っていた印象とは全く異なる実相が浮かび上がってきた。

あたったおもな資料

最初に読んだのは、ということはグーグルで最初にヒットするのは、「日経 ものづくり」の「事故は語る JR北海道のトンネル内で脱線・火災事故、車輪の異常を放置したずさんな保守」(2013/10/25)という記事だ(ただし前半分しか読めない)。事故から2年半を経過してから書かれた記事であり、実相に近いものと受け止めた。

叙述は我々が持っていた印象とあまり変わらないものであり、いささか感情的なところも同じだ。

トンネル内列車火災事故発生時の人間行動 の情報源は、2日後の北海道新聞に掲載された記事を編集したものであり、正確度には欠けている可能性。

その後、石勝線 第1 ニニウトンネル火災の検証 という論文を閲覧できた。相対的にはこれが一番確実な情報のようだ。

★阿修羅♪ >石勝線事故 という投稿がもっとも内容が濃い。6月2日の投稿だけに一般報道の後追いだが、記事を丹念に拾ってくれており貴重。

1.脱線から停車に至る経過

その事故は2011年5月27日の夜9時55分に起きた。占冠村のJR石勝線「第1ニニウトンネル」内でディーゼル特急「スーパーおおぞら14号」が脱線・停止・炎上した。

ニニウは占冠村の字名。アイヌ語そのままだが、以前は新入という漢字があてられていた。「ニニウ物語」というページがあって、いかにもという沿革が語られている。

北大にどんぐり会という農村セツルメントがあって、穂別町の福山を拠点とするB班はたしかニニウまで出張っていたはずだ。

第1ニニウトンネルは全長683メートル。長大トンネルが多い石勝線のなかでは珍しく短いトンネル。それが「奇跡の生還」に寄与した。

この「スーパーおおぞら14号」は1998年製で、「振り子式」と呼ばれる特殊な台車を使用している。石勝線は山の中のトンネルとカーブの続く路線だが、札幌と道東をつなぐショートカットとして比較的最近に建設されたため、近代工法が駆使され、制限時速は125キロまで認められていた。

その夜、列車は札幌に向け時速約110キロ(直後報道では時速120キロ)で走っていた。

乗客定員291に対し乗客は248名で、乗車率83%。時間を考えるとかなりの混みようだ。金曜の夜と言うことで、車内はサラリーマンや札幌に遊びに行く若者の客が多かった。

6両編成の列車を、突き上げるような衝撃が襲った。直後に「ドン、ドン」と異音がしたため、異常を感じた車掌(60歳)が運転士に停車を要請した。緊急停車した列車の4,5両目からは間もなく煙が上がった。

…というのが新聞記事っぽい表現。

2.事故調査報告の概要

事故の経過は後の検証では以下のごとく確認されている。

まず列車の先頭から4両目で、車両下部の金属部品「吊りピン」が脱落した。これは車輪の回転力をエンジンから伝える「推進軸」の部品である。脱落した部品は未だに発見されていない(その後脱線箇所から800メートル手前で発見)。

推進軸といえば自動車のシャフトにあたる。人間の体なら大動脈だ。その「落下など今の時代ではあり得るはずがない。完全な整備ミス」という意見も寄せられている。

列車は脱落した推進軸を引きずりながら、そのまま1キロ余り走った。そして清風山信号場付近で5両目の後台車の第1軸が脱線した。ちぎれ落ちた推進軸に乗り上げたためである。「ドン、ドン」という異音は、この脱線の際に発生したものと考えられる。

5、6両目のディーゼルエンジンは下面に打痕や擦過痕が多数あり、燃料タンクの下面に穴が開いて中は空になっていた。 6両目の前方の1機だけが焼けており、ここが火元とみられる。

列車はさらに脱線したままトンネルに突入。850メートル走ったあとトンネル内で停止した。この時の先頭車両の位置はトンネル入口から200メートル。したがって出口までの距離は480メートルということになる。

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停止から火災発生まで: 

まず6両目(最後尾)から発煙が始まった。停車時点で既に、6両目の台車付近から火の手が上がっていたのを乗客が確認している。

車両の下で「バチバチと部品を引きずるような音がして、物に乗り上げるような感触があった。直後に窓の外で火柱が一瞬上がった」(公務員45)

(北海道新聞では発煙源は4,5両目となっている)

3.初期対応

以下の数行はどの時点での状況の記載なのか不明のまま、事実だけが生のまま突き出されている。

①動かなくなった列車

トンネル内でトラブルがあった場合はトンネル外まで移動するのが原則である。運転手(26 運転歴10ヶ月)は煙を認めて列車の前進を試みたが、「ギアの切り替えができず」、列車は動かなかった。

なぜ動かなくなったのかが分からない。ある論者は動かなくなるはずがないとして、暗に運転士のパニックを示唆している。

気動列車は各車両に二台づつエンジンがあり、独立性が高い。12機のエンジンのうち一つや二つやられてもそれで動かなくなるはずはないというのである。

これについての納得行く説明は、検索した範囲では見当たらなかった。

②エンジン停止と照明の切断

その時点で既に、後方の車両からの発煙が確認されていたことから、運転士は無線で指令部に連絡し、指示に従ってエンジンを停止した。このため客室内は真っ暗となった。

これは良く分からないが、本当に真っ暗になったのだろうか。非常電源で非常灯はつくのではないか。運転士は非常灯もふくめオフにしたのだろうか。

③「火災」ランプの問題

一部の報道は、翌日の聴取に答えた運転手の発言をことさらに取り上げる。

運転台のパネルに「火災」のランプが点灯していた。しかし運転士は火災と認識せず、運輸指令に報告もしていない。

この行動は、それだけ聞けば極めて深刻なミスと受け止められる。しかし別報によれば必ずしも決定的なミスとは言えない。

第一に、この装置は事故の直後は作動せず、22時20分ころから、表示灯が点滅したり、ブザーが鳴ったりしていたという。

第二に、装置が作動した22時20分の時点では、車掌が車外避難を前提にトンネル内の安全を確認していた。運転士はその報告を待つ状況だった。

これらの事実が時系列に乗らないまま報道されると、運転士にすべての責任がかぶさるような印象を与える。勘ぐればそれを狙ったリークかもしれない。

4.火災の発生と拡大

時系列に戻ろう。

22時ちょうど、4,5両目で白煙が立ち上がり、焦げ臭い匂いが漂う。車掌は運輸指令に「後方3両の床下から煙が入ってきている。4両目の煙がひどい」と事態を報告。

以下、石勝線事故には他の報道にふくまれていない重要な記述がある。現在は元データは見ることが出来ないが、サンスポの記事(31日)である。

火災発生を懸念した指令は〔1〕運転士にただちに運転を再開し列車をトンネル外に出す〔2〕車掌に乗客を前方の車両に誘導する-との指示をした。車掌は「運転士が発車できないと言っている」と報告した。

これに対し指令は「大至急車内放送をかけて前方の車両に誘導し、後方の車両に乗客がいないか確認」と指示した。

このとき、車掌は「前から降りてトンネルを(歩いて)避難したほうがいい」と返答した。

この発言が、交信記録に基づいた事実であるとすれば、運輸指令は二つのミスを犯していることになる。指令〔1〕が実行不可能であるにもかかわらず、それに替わる代替案を示していないこと。緊急時であるにもかかわらず、現場の意見を尊重し、それを支援するのではなく、それを事実上無視したことである。

「お前に任す。俺達がカバーする。幸運を祈る」と、どうして言えなかったのか?

ただしこの経緯は他の文献で確認できない。

22時10分、車掌は発煙があった車両の乗客に指示し、前方車両に避難させた。同時に乗客には外に出ないで、車内で待機するよう指示。

5.差し迫る危機

「日経 ものづくり」の記載: 事故発生から20分過ぎても、乗務員は状況確認や運輸指令との連絡が不十分なままに経過した。この間、「調べるのでこのままお待ちください」「車外には出ないでください」との放送を繰り返し、乗客の車外への避難を制止し続けた。

煙が車内に充満し始めたが、車外への避難を促すアナウンスは最後まで流されなかった。車掌も乗務員も火災という認識はなかった。

この記述は状況を一面的に切り取ったものと思う。それは下記の経過を見ればわかる。

22時10分、運転士は指令に「モニターが消え、状況が把握できない」と報告。指令は全エンジン停止を指示。車掌からは「かなりすごい煙で息ができない」との報告があった。

石勝線事故では、指令は「煙が入ってくるのでドアを開けるのを待つように」と指示したとある。ただしこの指令がいつどのような状況で出されたのかは不明。

22時14分、運転士が車外に出てトラブル箇所を確認に向かう。このため指令からの連絡に対し一時応答が途絶える。前後して、車掌もトンネル内点検のため車外に出る。

別の記事では、「車掌と乗務員はトンネルの出口がどこなのか確認のため車両から降りて行った。戻るまで20分もあった」と記載されている。

運転士の行動は軽率であると思う。責任者が自分で動いてはいけない。車掌の行動も二人の乗務員にやらせるべきものであった。

この時点における車掌の取るべき行動は乗客のパニックを抑え、掌握することであった。暗く息苦しい空間にすし詰めにされた乗客に「車掌が逃げた」と思われたら大変なことになる。

ただ、そのうえで、車掌の行動は明らかに指令を無視して、乗客を下車・避難させるための準備と考えられる。

異常時マニュアルでは、運輸指令の指示がないと乗客を外へ避難させることが出来なかったのである。ここはしっかり踏まえておく必要がある。

6.火災か火災でないかという対立ではない

「車掌も乗務員も火災という認識はなかった」と書かれているが、それは炎を視認するということが火災の基準になっているためで、現場には「避難するべきシビア・アクシデント」という認識はあったのだろうと思う。

22時25分、無線交信記録によれば、列車からの連絡が復活。運転手が戻ったためで、車掌はまだ戻っていない。

運転手は運輸指令に「火災発生はない」と報告。ただし石勝線事故では、「前も後ろも煙が充満している。火災は発生していない」となっている。「前も後ろも煙が充満している」というところを省いてはいけない。

問題は「火災でなければOK」という運輸指令のマニュアル主義にあった可能性がある。

7.そしてパニック行動が始まった

大量脱出は結果オーライで、英雄的行動ともてはやされるが、社会心理学的に見れば集団パニック行動と考えても全く矛盾はない。

ただその行動は偽りの公的な合理性に対して真の合理性を突き出している。サルトル風に言えば、まさにみずからの実存をかけた投企である。

22時30分、前方の3両にも煙が入り始める。このとき、乗客の多く(約240人)は自らの判断で乗務員の制止を振り切り、非常ドアコックを使用して外へ避難。徒歩でトンネル外に脱出をはかった。

「前の方で車外に出ているのが分かった。乗客の男性から『外に歩いて逃げよう』との声が上がった」(医師29)

乗客の話では、「避難した乗客に対して職員が激怒した」といわれる。 頭数の計算から言うと、車掌と乗務員の1人がスカウティングに出たとすると、留守番はただ一人だ。必死に制止するのは当然だろう。彼の責任ではない。

22時34分、偵察から戻った車掌は運転指令に「乗客が車両から降り始めた」と連絡している。

乗客248人は、煙の立ちこめる暗闇のトンネルの中を500m近く歩いて出口へ向かった。時間にして10~15分の行程と考えられる。

乗客のあいだには不思議な連帯感が芽生えていた。

「パニックではなく、整然と励ましあって黙々と歩いた。煙がすごく30 センチ先も見えないほどだった。…乗客はみんな死ぬかもと感じたと思う。私もそう思った」(医師29)の証言。

8.乗務員の後始末

車掌と乗務員は3両目車両の後ろ側から列車に入り、乗客に避難を指示し車外に誘導した。

23時30分、乗客全員が列車から降車したことを確認。運転士と車掌、客室乗務員の計4人が下車した。さらに1時間にわたり煙の中に留まったことになる。

28日0時、乗務員と乗客の全員がトンネルから札幌側出口に脱出を完了した。方法・過程においてさまざまな問題があったにせよ、4人の乗務員は最後まで現場にとどまり任務を完遂したのである。

彼らを何処かの船長と同列においてはならない。このことは強調しておきたい。列車には人数不明の車内販売員がいたはずだが、彼らの情報はない。乗客数にふくまれているのかもしれない。

9.その後の若干の経過

避難した乗客が全員真っ黒けだった。本当に間一髪だった。

乗員1人を含む79人が煙に巻かれ、咽頭炎や喉頭炎など呼吸器系の症状を来たした。うち39人が病院に搬送された。

避難後、火災は車両全体に延焼し、全6両が焼損した。

28日午前7時、列車が燃え尽き鎮火。

午後1時、特急列車がトンネル外に搬出された。窓は焼け落ち、車体は熱で大きくゆがんでいた。

5月28日午後2時から、札幌のJR北海道本社で記者会見が行われた。出席者のトップは一條昌幸鉄道事業本部長だった。

声明の要旨: 最初に列車に異音があった。次いで煙が出た。車両から煙が出ることはあるが、すなわち火災ということではない。したがって煙が火災であることを確認しなければならない。しかし火災であることの確認手順が手間取った。JR北海道の火災発生の認知は2時間以上も遅れた。

「もう少し早い判断ができれば、短時間で避難ができたと思う。車掌も乗務員も最後まで 火災という認識はなく、判断が狂ってきていた」とし、車掌に責任を押し付けるとも取れる発言。

2011年9月には、JR北海道の中島社長が安全意識の向上を社員に促す遺書を残して自殺。

2013年5月31日、運輸安全委員会は、車輪の剥離やへこみにより生じた異常な振動により部品が脱落したことが、事故の原因になったとする調査報告書を発表。

4両目の車輪の表面が長さ40センチメートルにわたって剥離し、4.5ミリメートルのへこみが生じた。これにより異常な振動が発生し、減速機を固定していた吊りピンが脱落。減速機が垂れ下がって路面に衝突し、その衝撃で周辺の部品が脱落した。

10.感想的結論

マニュアルに火災時はトンネル内で停止させないという規定があったというが、火災という認識がなければ規定は無意味である。

以前のマニュアルでは火災は「炎が認められた時」と定めている。今回は乗務員が炎を見ていなかったため、火災と認識しなかったということになっている。

(現行マニュアルを見ることができる。「トンネル内における列車火災時の処置手順 北海道旅客鉄道株式会社」というもので平成23年9月の発行)

しかし問題はそこにはない。

もちろん、オイルタンクの炎上などあってはならないことで、ハード面でのフェールセーフ機構に決定的な問題があることは論をまたない。

しかし事故分析はどうして事故が起きたかの分析のみであり、どうして辛うじてではあるが全員を大事に至らしむる事なく避難させえたのかの分析はない。

乗客の一部が勝手にドアを開けて逃げ出したから、というだけでは感情的にはわかりやすいが、疑問は残る。乗務員がどこかで判断を変えたからこそ助かったのであろうか? その事実確認がここまでのところの情報では判断できない。