日経新聞から。

4.19nikkei


解説を読んでもなおわかりにくいが、
①小学校5年生で明らかに習熟の壁があることが分かる。
②それはとりわけ算数で著明に現れる。
③それはたんなる習熟の時期的遅れではなく、高得点層と低得点層への分離と固定化である
ということになる。
淡々と説明されているが、これは大変な問題ではないか。

実はこの時点で授業が一気に難しくなっているから壁ができるのでる。
それは「概数の知識と図形の応用」なのだそうで、理由の特定もできているのだ。それは「算数的論理」の理解である。つまり算数の国語的理解、正確には一種の言語としての理解である。

一番かんたんな比喩は、音楽と五線紙の関係である。五線譜が読めなくたって音楽は楽しめるし、場合によっては立派な演奏家にだってなれる。しかし五線譜を読めるようになることで、そこから先に奇跡の世界が広がっていくのである。だから本気で音楽をやろうと思ったらどうしても五線譜を理解するしかない。そういうブレイクスルーがいつかは、やってくるのである。

書いているうちにだんだん腹が立ってくるのだが、教育者はどうしてそれを是正しようとしないのだろうか。1年間で80ー63=17%もの生徒が脱落してしまうのは、教育の内容が学習能力をこえて過重なのか、教育のスピードが早すぎるのか、そのいずれかである。

それを知るためにテストをするのであって、理解率が3分の2以下であれば、生徒が反省する前に教師が反省しなければならない。というより、指導要領の作成者が悪い。結論はそれしかないはずだ。

しかも大事なことは、「算数は理解の積み重ねが重要な科目」なのだということである。だから、この1年でついた差は取り戻すことができないまま固定化され、年とともにどんどん拡大していくことになる。人的資源の確保という観点から見れば、とんでもないムダの発生をもたらしていることになる。

そのことに気づいていながら、過去数十年にわたり、まったくなんの問題意識も持たない、どうするんだ。

これでは選別のための選別である。小5の算数の授業計画に落とし穴を作って、そこで17%の生徒を競争から脱落させる。たとえそこでかろうじて踏みとどまっても、そのつっかかりがボデーブローとなってやがて脱落していくものもあるだろう。

競争社会である以上、何らかの選別はつきまとうしかないのだろうが、このような形で競争に決着つけるのはどうも腑に落ちない。

とりあえずは、なぜそこでつまづく子がいるのか、しっかり原因を突き止めて、手立てを立ててほしいものである。

というより現場の教師は分かっているはずだ。おそらく次々と落ちこぼれていく子を前に地団駄を踏んでいるはずだ。なぜならそれは自己否定でもあるからである。

かつて水道方式とかをふくめて優れた実践経験があるはずだ。一度自分なりにレビューしてみたいと思う。