2021年4月10日 “Scroll.in” India
Nandita Haksar
勇敢なシン・アウンへのオマージュ

シン・アウンは “Mizzima news” の共同創立者である。かつて彼女はインドで15年の亡命生活を送った。ミャンマに戻り活動していたが、一昨日、勾留された。

シン・アウン

ミャンマーの市民的不服従運動の画像を見ると、全国の町の通りに何十万人もの人々が押し寄せる壮大な抗議が見られる。

しかし大事なのは、そこにいる一人一人、旗を掲げる一人一人、三本指の敬礼をする学生たち、民主主義のために歌を歌う十代のわかものが、それぞれの勇気の物語を持っていることを忘れがちだ。

すべての抗議者は、自分が直面している危険を知っている。彼らは彼らの友人が撃たれて殺されるのを見た。人々は毎日逮捕され、拷問されている。

だから彼らは、逮捕、拷問、監禁が現実的な可能性であることを知っている。それを覚悟した上で、残忍な軍事政権のもとで民主主義のために戦うと決めるのだ。

そのような堅く団結した民主的な人々の中に、鋭い知性と、信念にもとづく勇気をもって働き続ける女性、シン・アウンがいる。


必死の電話がけもむなしく

シン・アウンは4月8日の朝に姿を消した。友人たちは彼女がどこかに隠れているだろうと期待していた。しかし、ついに彼女が軍隊に捕まったことを知った。彼女は現在、尋問センターで拘束されている。

軍事政権は彼女を捕らえただけでなく、彼女のすべてのものを破壊し奪った。

4月9日、彼らはアパートを襲撃しすべてを奪った。これにはインド亡命中に蓄えた資料すべてが含まれていた。そのコンピューターには彼女のメディア活動の歴史が保存されていた。

それから彼女の車とお金。彼女の個人銀行口座の預金、彼女が管理していた会社の口座のお金を押収した。ヤンゴンにあったシンアウンとの財産はすべて持ち去られたか、破壊された。


この虚弱な女性はなにものか?

ミャンマーの軍事政権にとって、彼女は重大な脅威であった。その理由は、彼女が虚弱な体にもかかわらず、決してくじけることのない強い精神力をもっていたからである。

33年前の1988年、ビルマで国民蜂起があった。そのときシンアウンはまだ学生だった。彼女はそれまで政治に関与したことはなかったが、何百、何千人の “普通の人たち” と同じように抗議行動に参加した。

その後シン・アウンは著名な活動家となり、軍のターゲットとなった。ある日彼女はインドの国境を越え亡命した。そのとき彼女は若く、弾圧がいつか終わり、国民民主連盟が権力を握ると確信していた。15年間も亡命しなければならないとは、思いもしなかった。

亡命学生たちは、国連難民高等弁務官事務所の証明書以外に身分証明書を持ってなかった。シン・アウンは、苦労の末インドの大学に進み、経営学コースで学位を取得した。彼女はこのキャリアを抵抗の組織で活用した。

シン・アウンは「BBCインド」で働きはじめた。そしてさまざまな政党や組織、幅広い進歩的な人々を識った。

インドではソエミントにも会った。彼はビルマ学生運動の英雄であり、非暴力的な手段で飛行機を乗っ取り、世界の人々にビルマの窮状を訴え、注意を向けさせた。

1998年、インドにいたシン・アウンとソエミントは、共同で “Mizzimaオンラインニュースサービス” を創設した。それは独立系報道の主要な情報源に成長した。

さらにシン・アウンは、ビルマの女性の組織化にも深く関わった。彼女はビルマ婦人連盟に加わり、それをビルマ国内少数民族を巻き込む運動に育て上げた。


市民権を取り戻す

2012年、民主化が実現すると、シン・アウンとソエミントはミナマールに戻り、ミャンマー市民権を取り戻した。それは彼らが何よりも大切にしていた市民権だった。

二人は多くの人々が第三国に定住する手続きを助けたが、自分たちは第三国定住のすべての申し出を拒否した。それは彼らが祖国へ強い愛情をもっていたしるしだった。

ミャンマーでは、8.8.88世代が畏敬の念を持って見られている。この間の軍事政権から民主主義への移行の過程において、二人は重要な役割を果たし続けてきた。 ソエミントは軍政時代に実行したハイジャック事件で裁判にかけられたが、彼女は冷静さを保ち、ひるむことなく支援し続けた。

シン・アウンの体調が不良となる

 シン・アウンは最近になって体調を崩し、精力的な活動はできなくなった。彼女は体調に合わせゆっくりと着実に物事を進めていた。

今年2月、クーデターが起こったとき、彼女はすでにミジマ通信社の経営を譲っていた。軍事政権がミジマ通信社の営業免許を取り消したとき、シン・アウンはすでに社員でさえなかったのだ。

ビルマ婦人連盟は、いまもシン・アウンの解放を訴え続けている。彼女はジャーナリストであると同時に、女性の権利活動家であり、なによりも優れた女性である。

彼女にはどんな状況にも耐える勇気と力があることを私は知っている

マヤ・アンジェロウの詩「スティル・アイ・ライズ」はシン・アウンとミャンマーの勇敢な女性のために書かれたものである。
“軍部の皆さんへ”
あなた方は私を歴史に書き留めることができます
あなた方の苦くねじれた嘘で、
あなた方は、私をほこりだらけの場所に投げ込み
踏みにじることができます。が、
それでも、ほこりのように、私は立ち上ぼるでしょう。