「経済制裁は反対派の助けになっていない」かも知れないというちょっと衝撃的な評論が出た。
「スクロール・イン」というインドの独立系のブログの 3月31日号に掲載されたもので、
「スクロール・イン」というインドの独立系のブログの 3月31日号に掲載されたもので、
イフティカル・アーメド
「ミャンマーへの経済制裁は反対派の助けになっていないかも知れない」
「ミャンマーへの経済制裁は反対派の助けになっていないかも知れない」
Why economic sanctions against Myanmar may not help the cause of the pro-democracy protesters
This would allow the country’s military to brand domestic democratic activists as stooges of the West.
はじめに
2月1日の夜明け前の急襲で、軍部は再び国家権力の支配権を直接掌握した。
これはスウチーが徐々に軍事代表のポストを削減しようとした計画に対する拒否である。
ミャンマー軍部と中国
1970年代半ば、中国はビルマ共産党への支持を取りやめた。それ以来、中国はミャンマーに強力な足場を築いてきた。
ミャンマーは、北朝鮮やパキスタンと並んで、中国の3つの最も重要な戦略的パートナーであり、中国が失うわけにはいかない国だ。
民主化が実現しスウチーが政治的発言力を強めると、中国はスウチーを西洋のリベラルな偏見を持った、信頼できないパートナーと見るようになった。
彼らは自由民主主義が普及すれば、軍が政府の支配を失い、最終的にはミャンマーが西側諸国と連携することになるのではないかと恐れている。
そしてスウチーの改革を、軍の役割を完全に段階的に廃止する試みと考え、ミャンマーを中国の軌道から外すための第一歩と見なしている。
このため、中国は国際舞台での軍事政権の強力な防波堤となっている。
西側諸国は反軍運動の指導者となるべきではない
西側諸国は、ミャンマーの民主主義運動を支える方法として、より厳格な制裁を課すという古い戦術をとっている。
闘争のイニシアチブを握る地元の市民社会活動家もその考えに立ち、この呼びかけを繰り返している。彼らは主に社会の上層部に所属している。
そしてバイデン政権に対し、新たなより厳しい制裁を課すよう促している。
しかしミャンマーの歴史の中で、このような闘いが有効であった試しはない。
西側の政府は長い間、ミャンマーの権威主義体制に制裁を強要してきたが、一般の人々の苦しみを悪化させるだけだった。
軍の権威主義的支配はそのまま維持された。民主化運動家は西側のエージェントというレッテルを貼られ、民衆から孤立した。
同じことが繰り返されるなら、それはかえってミャンマーの抗議運動の障害になるかも知れない。
そして第三世界の救世主のように振る舞う中国とロシアの地位を引き上げることになる。
ミャンマーの民主主義は勝利できるだろうか?
数年前、世界の祝福を受けて民主的な改革・解放が始まった。そして先月はじめ、突然の終わりを告げた。それはすべての人々を激怒させ、大規模な反クーデターの闘いを引き起こし、これまでに少なくとも126人の殺害をもたらした。
しかし軍事政権に対する大規模な反乱はミャンマーでは目新しいものではない。ミャンマーの国民は独裁政権に対する反乱の長い歴史を持っている。
今までのところ、これらの繰り返されてきた激動は、勢力バランスを軍隊から民衆へと決定的にシフトさせることができていない。軍は常に力ずくでそれらを粉砕してきた。
しかし、ミャンマーの民主主義の未来は、現在の蜂起の成功にかかっている。
ミャンマーの軍事政権は、活気に満ちた民主主義の2つの基本的な柱である政党と市民社会を縛り上げてきた。
さらに、軍隊の組織体系は、人口のかなりの部分に権威主義の文化を教え込むことができた。フライン軍事政権の強固な基盤を提供するこの人たちは、多くのオブザーバーが理解できず無視してきた。
さらに最新の監視技術は、民主的な活動家を追跡することをより簡単にし、彼らが抗議を組織することをより困難にしている。
それでも運動は十分に強靭だ
それでも運動は十分に強靭だ
それでも、現在ミャンマーで進行中の抗議運動は、強力で強靭である。その力の源は彼らの自発性だ。自発的であるために、特定の参加者を追跡することによってだけでは、動きを阻止することはできない。中央組織がないため、監視の目よりも優位に立つことができる。
リアルに考えて、間違いなく、平和的な抗議が軍事力に匹敵することはめったにない。しかし、運動が成長しているというのは間違いない事実だ。
その理由は簡単だ。あらゆる分野の人々が参加し、当局や関係者に市民的不服従に参加するよう促している。100人以上の逃亡した警察官がまさにそれを証明した。
街頭行動のみならず、山猫スト、任務放棄、不同意など多様な形態で人々の強固な意志が継続して示されることは軍事政権にとって致命的な打撃となる。
この傾向が続けば、ミャンマー国民は歴史上初めて民主主義に到達することに成功するかもしれない。1990年に隣国バングラデシュの人々が行ったように。
あるいは闘争は失敗し、直接の軍事政権が復活するかも知れない。
最悪そうなったとしても、政権を握った軍部は自らの権力基盤の維持を図らなければならない。そのためには、徐々に民主主義システムを再導入していく可能性がある。
ちょっと論旨がわかりにくい文章なので、私なりに読みを入れておきたい。
話としては2つある。
一つはこの闘いはミャンマーの民衆が闘うべき性質のものであり、民衆の頭越しに軍事政権を懲らしめようというのは、気持ちはわかるが、余計なお節介になるかも知れないということだ。
そういう上から目線ではなく、あくまで民衆の闘いを評価し、拡散していくこと、そのためにもっともっと学ぶことこそが連帯の基本に座らなければならないということだ。
もう一つは、ミャンマーの人々の闘いの強靭さにもっと確信を持ってよいということだ。人々は40年の間、屈服を強いられてきたが、もはやその世界に戻ることはないだろう。軍部にはこの歴史の流れをせき止める力はない。
少なくともミャンマーについては、この2つが基本であり、いわゆる「地政学」的な分析や社会経済的評価は二次的なものにとどまるだろう。
ということで、この分析は的を得たものだと思います。先日取り上げたシンガポール首相の発言は良心的なものですが、これらについての確信がないような気がします。