松島氏の節度ないベネズエラ批判について
いつも朝の目覚めは赤旗とともに始まるのだが、本日の赤旗は取り立てて気分の悪い記事が載っている。
それが松島良尚氏による「ベネズエラ」(坂口安紀・中央公論)の書評である。
1.対外関係の原則と節度
周知のことであるが、日本共産党国際委員の肩書きを持つ松島氏は、チャベスをふくめてベネスエラの20年余りの民衆の変革運動を、全面的に否定する立場に立っている。
周知のことであるが、日本共産党国際委員の肩書きを持つ松島氏は、チャベスをふくめてベネスエラの20年余りの民衆の変革運動を、全面的に否定する立場に立っている。
これは従来の日本の民主運動や連帯運動の視点を全面否定するものだ。そしてさらに、中南米の民主運動の流れを全面否定することも、松島氏は辞さない。
従来より私たちの外国の運動との関係には、一定の原則と節度があった。内部問題には干渉しない。相手が攻撃しない限り、あるいはそれが世界の平和に対する重大な侵犯でない限り、節度をもって対応するということである。
逆に、関係逸脱と一方的攻撃があれば、たとえ相手が大国であっても呵責なく闘うというのも原則であった。
このことをいま一度確認しなければならない。
2.一方的な意思表明
2.一方的な意思表明
第二に、松島氏が日本共産党の機関紙を使って、民主運動内部での異なる見解を無視して、書評という特殊な形式で一方的に自説を宣伝していることだ。
少なくとも数年前までは、民主運動内部でのベネズエラの自主的な改革を見る目は好意的なものであった。決して松島氏の見解は主流ではなく「異論」に過ぎなかった。
だから、少なくとも異なる意見が公平に扱われるべきであり、赤旗における「反論権」が認められるべきものと思う。
3.批判にあたっての「礼儀」
3.批判にあたっての「礼儀」
第三に松島氏が、書評の形をとって、聞くに耐えない、失礼千万の表現を続出することである。
たとえば、権威主義体制、国会の無効化、民主主義の希薄化、出来レース、政治犯として拘束、キューバによる治安・諜報訓練など恐ろしげな言葉が、引用という形をとって乱舞する。
批判された相手が事実として認めていなければ、それは中傷・フェイクと判断される可能性がある。
これらの言葉は、公党の国際部を代表する人物が公的な場で口にするような性格のものではない。批判というのは相手の顔に泥を塗ることではない。あまりにも下品である。
4.アメリカが世界を支配する構造は変わっていない
4.アメリカが世界を支配する構造は変わっていない
最後に、いつもながらのことだが、国際委員たる松島氏の中南米分析には、アメリカの干渉についての記述が欠如している。
日本の進歩勢力は、伝統的に世界の政治的出来事をアメリカとの関係の中に位置づけ、性格付けてきた。それしなければ重み付けができないからだ。
まったく松島氏がアメリカに言及していないわけではない。「アメリカのせいではなかった」と言及しているのである。もっとたちが悪い。
ことはベネズエラだけではない。ブラジルを手始めに、この数年の間でニカラグア、エクアドル、ボリビアで相次いで政府転覆策動が起きた。いくつかは成功した。それらは謀略的で半ば暴力的なものであった。
私の知る限り、赤旗はこれらの策動について、攻撃され倒された政府側を批判し、倒した側に支持を与えている。
私の知る限り、赤旗はこれらの事態を一連のものとみなしたり、背後のトランプ政権の存在を指摘してこなかった。
ことはラテンアメリカの問題に限局したものかも知れない。松島氏の個人的史観にもとづくものかも知れない。
いずれにせよ、私の生きているうちに、これらの問題が前進的に解決されることを祈るばかりである。
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