「ベトナム人」をどう受けとめるか
技能実習生問題との関連で

1.日本と近い人々

地図を開いてみよう。ベトナムはアジアの中でも南寄りで赤道に近い。 韓国や中国、台湾やフィリピンよりもっと離れている。でも文化的には案外近いのだ。 中国に長江という大河がある。今から数千年前に、長江の流域に米作り文明が発生した。 中国北方で黄河文明が発達すると、長江に住んでいた人々は周辺部に散った。その一部は朝鮮半島から日本までわたり稲作を伝えた。 南に行った人々はベトナムにまで広がった。 中国人は長江の流域に「越」という国を作り、さらに南方にも進出するようになった。 そうやってベトナム(越南)という国が形作られた。だからベトナムはもともとは漢字の国である。 国の周辺部にはいまも、日本人のような顔をした人々が、日本と同じ習慣を守り続けている。

2.“独立ほど尊いものはない”

国の名前が「越南」というくらいで、最初から中国の影響は強かった。 ベトナム人は多くの犠牲を払い、中国からの独立を守り続けた。しかし100年ほど前にフランスの植民地となってしまった。 短い間だが、日本も支配者だった。第二次大戦中のことで、兵糧米を強制的に集めたために多くの餓死者が出ている。 とにかくベトナムの人々は、ずっと長い間、独立運動を続けてきた。 その合言葉となったのが「独立ほど尊いものはない」というものだ。 日本はたまたま植民地にならずに済んだが、心して聞くべきであろう。

3.“ベトナム反戦” の時代

ベビーブームと言われた世代がある。戦後、1947年から55年くらいの間に生まれた人々だ。 この人達にとってベトナムは特別な言葉だ。ベトナム戦争が本格化したのは67年ころからだった。 数え方はいろいろあるが、およそ反戦運動は10年続いた。その間に学園紛争があり、沖縄返還運動があった。 とにかく、大国が武力で世界を振り回すこと、大企業の意思が全てに優先されることが許せなかった。 当時の青年たちはもう70歳に達しているが、いまでもベトナムに青春を重ね合わせている。 だからベトナムの研修生が理不尽な目にあっていると聞くと、胸騒ぎがしてならないのだ。