1.九州南部縄文文化と野焼き

先日、テレビで阿蘇山のカルデラ内の野焼きの風習が取り上げられていた。

とくに私の興味を引いたのは阿蘇における野焼きが1万3千年前から続いているという事実だった。

地層を掘り返せば、それはかなり明白な事実として確認できるだろう。

阿蘇だけでなく姶良・鬼界カルデラから、霧島、雲仙、桜島と噴火の歴史はしおりのように地層に織り込まれているはずだ。


2.野焼きの焼畑との違い

そして1万3千年という数字が、南九州における早期縄文の出現とピタリと一致することが、私を驚かせた。

まさに南部縄文は野焼きとともに始まった。そして火の大規模な使用が副産物としての素焼き土器を生み出し、縄文文化を導き出したと言えるのではないだろうか。

番組の紹介では、野焼きによって管理された草原という環境を作り出し、年間のエネルギーやCO2の出納をちゃらにしつつ、人間の住める空間に変えるというのが野焼きのサイクルなのだという。

焼かれた野は、狩猟・採集文化の舞台なのだ。

そこが焼畑と異なるところで、焼畑の場合は焼いたあとそこから地力を収奪する。そして何年かの後にはそこでの耕作を放棄し再生を待つ、というサイクルになる。野焼きは植物が生え、育ち、生き物を育み、人間はそのおすそ分けに預かる。耕作はしない。


3.野焼きが縄文文化(南方)を生み出した

そしてこれこそが関東以北に起こった縄文文化とは別個の南方縄文文化を説明する根拠なのではないか、とひらめいたのである。

なぜなら、常緑樹林は落葉樹林と異なり、そのままではただの緑のジャングルでしかない。人間を寄せ付けない酷薄な自然である。縄文人が生きていく手段を提供することはできないからである。

もちろん、これは想像であり1万3千年前(最終氷期)の南部九州が常緑樹の森林だったとする根拠はない。だが落葉樹林であったとすれば、野焼きをする必要もなかったはずである。

そうすると、おのずから目はグローバルな歴史へと広がる。世界における人類の歴史のトバ口で野焼きはどんな役割を果たしたのだろう。

その答えがわかれば、南部九州の縄文文化についてもおのずから回答が与えられるのかも知れない。


3.野焼きへの “科学的” 批判の嵐

とは言うものの、今や野焼きは四面楚歌の状態である。というより犯罪扱いされている。

これはエコロジーではなく「環境ハラスメント」である。しかもこのキャンペーンにはかなりの「科学者」が手を貸している。このあたり「嫌煙ハラスメント」と良く似ている。

私は医師の端くれであり、科学的視点を無視するわけではない。だが、この論争にはもっと多くの、「非」科学者が絡むべきである、と考える。

人類史の黎明期から延々と営まれ続けてきた「野焼き」という業が人類にとって悪いものであるはずはないのだ、という確信から出発すべきである。それは人類が初めて「環境」そのものを改編し、管理する瞬間だった。その炎は人類文化の発祥を告げる狼炎であったはずだ。

それは人類史的な確信であり、変革の立場からのダイナミックな視角であり、構造学的枠組みからの脱出である。


4.野焼きのエコロジー

霧島市のホームページには次のような記載がある。
かつては里山の雑木林から薪や炭を作り、落ち葉は田畑の肥料に利用するなど、人為的な管理により良好な環境が保たれていました。
しかし生活様式の変化から、里地里山との関わりが減少し、手入れ不足による荒廃が進んでいます。
スギ・ヒノキ植林地では適切な管理がされず、森が暗くなり下層植生が失われています。そのため、周辺の植生は単調になっており、そこに生息・生育する生きものも少なくなっています。
…草地はこれまで、人の手により草刈りや火入れ等の管理を行ってきたことによって維持されてきました。しかし、人の手が入らなくなると、植生の遷移が進み木本類が侵入してきて草地は消滅します。
CO2という単一のものさし、価値観で事物を裁断するのは、特定の立場の人々の思い上がりだと思う。