ハクスリー 年譜
Thomas Henry Huxley

鎖につながれて
正しい道を歩くくらいなら

私は間違いながらも
自由に歩く方を選ぶ。

1825年5月4日 
西ロンドンで生まれる。貧乏人の子沢山の家系で、8人の子の中で下から2番目だった。

1842年(17歳) 奨学金を得て、チャリングクロス病院で医学の研究を開始。

1845年(20歳) ロンドン大学で医学士の試験に合格。解剖学と生理学では首席となる。

1846年12月 海軍の測量船「ラトルスネーク」に船医として搭乗。オーストラリア近海で無脊椎動物(刺胞動物及び尾索動物)の研究に没頭。

1850年 王立協会のフェローに選ばれる。

1854年7月 海軍を辞め王立鉱山学校の講師となる。英国地質調査所の博物学部門も兼任。
当時ほとんどの科学者は裕福なアマチュアだったが、ハクスリーは海軍からの奨学金と大衆科学雑誌の記事を書いて生活を支えた。



1858年 脊椎動物の頭骨と脊柱が相同器官であるというこれまでの通説を否定。

1859年 チャールズ・ダーウィン『種の起源』を出版。ハクスレーは「十分に良い仮説」と評価する。
「進化説を考えなかったのは、私がどれほど愚かだったかの証拠だ」と語る。

以後進化論を熱心に擁護し、「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれる。

1860年 オックスフォードで開催された英国学術協会の討論会。ハクスリーとリチャード・オーウェンの仕込みを受けたウィルバーフォース大司教が対決。ハクスリーは、人間が猿と関係があったと主張。

1863年 ハクスリー、類人猿と人間の連関について包括的なレビューを発表。両者の脳がすべての解剖学的詳細において基本的に一致していることを示す。

1871年 王立協会の事務局長に就任。81年からは総裁となる。

1885年 ハクスレー、重い病に冒され公職を引退。

1895年6月29日 長い闘病生活のあと亡くなる