このシリーズはとりあえず以下の5本です


「五木の巡礼歌」考 続き
この間「五木の子守唄」が子守唄ではないと論じたが、その後You Tubeを中心にいろいろと詮索してみた。

結論は変わらないのだが、たしかに子守唄系統の歌詞はいくつかある。

私は、それらは巡礼歌が五木に持ち込まれ、様々な歌詞をつけられたものだろうと思う。


1.どれをオリジナルとするか

前の文章でも書いたが、昭和25年に古関裕而は(おそらくは人吉を)訪れている。

まさか五木に足を伸ばしたわけはなかろうし、五木出身の人から採譜したとも思えない。

当時、人吉に流布していたものを採譜したに違いない。基本的にはこのときの歌詞とメロディーがいまでもスタンダードになっている。

最初は鮫島有美子の歌。ビオラとフルートのオブリガートがついているが、ほぼアカペラ。
熊本県民謡、採譜・編曲:古関裕而というクレジットが入っているので、これが古関裕而の採譜したオリジナルであろう。

1 おどま盆ぎり盆ぎり
  盆から先ゃおらんと
  盆が早(はよ)くりゃ早もどる
2 おどまかんじんかんじん
  あん人たちゃよか衆(し)
  よか衆よか帯 よか着物(きもん)
3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて
  誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか
  裏の松山蝉が鳴く
4 蝉じゃごんせぬ
  妹(いもと)でござる
  妹泣くなよ 気にかかる
5 おどんがうっ死んだら
  道ばちゃいけろ
  通る人ごち花あぎゅう
6 花はなんの花
  つんつん椿
  水は天からもらい水

これを出発点とするのが妥当であろう。ただしすでに子守唄系と巡礼歌系は混じっているので、別々にオリジンを追究しなければならない。

次が昭和28年に山口淑子の吹き込んだレコードの歌詞で、4番「セミじゃござんせぬ…」がカットされている。


2.ビクター少年民謡会の歌

2つの録音が収録されていて、1つ目が61年のもの。

かなり古関裕而のものと異なり、「おどまぼんぎりぼんぎり」はなく、2番が1番に入り、2番が以下のとおり
良かき帯など欲しくはないが、
せめて母さんいて欲しや
郷に帰っても母はいないことが分かる。これはのちの「妹でござる」への伏線かも知れない。しかしやや凡庸である。

その後は、なぜか「子守唄」の歌詞が始まり3番、4番、5番と続く。聞いたことのない歌詞だ。凡庸でしかも標準語である。

68年のレコードの歌詞は古関の1番が復活し、2番「勧進、勧進…」が抜けて子守唄系「おどまいやいや…」が入る。3番からは古関の歌詞に戻る。

この2枚のレコードからは、歌詞の取捨選択に当たり、かなりの混乱があったことが點せられる。


3.子守唄系は昔からのもの

この歌詞は「五木の子守唄」とは言うものの、一番だけが子守を話題としていて、他はすべて巡礼歌である。

つまり誰かが昔ながらの子守唄を巡礼歌の旋律に合わせて、一種の替え唄として子守唄を作ったと見るべきではないか。

You Tubeに「正調、五木の子守歌」というのがあって、五木村の道の駅で流れている曲を録音したものだ。

かなり聞き取りにくいが「巡礼」につながる歌詞はなささそうだ。つまり五木には子守唄が別にあって、両者が融合したものとも考えられる。

メロディにはどことなく島原地方の子守唄を思わせるものがある。

五木の子守唄には山口俊郎の編曲というのもある。
題名が面白い「流行小唄 五木子守唄」というので、キングレコードの発売。歌手は照菊というから芸者歌手だったのだろう。
歌詞は古関版とほぼ同じ。発売時期は不明だが追っかけ発売であろう。
komoriuta

つまり当時現地には、多少の歌詞の異同はあったにせよかっちりと枠のはまった「五木の子守唄」が完成していたのである。

桃山晴衣/五木の子守唄(古謡)は1番が子守唄系が入り、2番に例の「ガンガラ」が入る。それで終わりだ。3番はない。
細部の異同があるので紹介しておく。
おどま勧進勧進 がんがら打ってさろく
猪口でまま炊あて 堂に泊まる
「猪口」は土壺だと説明されている。


ウィキに見る五木の子守唄

ウィキの記載は、ちょっと決めつけ気味のところが気になるが、かなり勉強になる。

いくつか新しく知ったことをノートしておこう。

1.五木の正調子守唄は西日本の子守唄と共通のルーツ

五木の子守唄は第2次大戦後レコードに吹き込まれてから大流行したが、地元のものとはやや曲節の違ったものになっている。

とし、流行したものをお座敷唄、五木で歌われているものを正調と呼んでいる。

それで正調の代表的なものを掲載している。これを紹介しておく。
おどまいやいや
泣く子の守りにゃ
泣くといわれて憎まれる

ねんねした子の
かわいさむぞさ
起きて泣く子の面憎さ

ねんねいっぺんゆうて
眠らぬ奴は
頭たたいて尻ねずむ

おどんがお父つぁんな
あん山ゃおらす
おらすともえば行こごたる
というもので、「おどまぼんぎりぼんぎり」すらでてこない。日頃膾炙しているものとは全くの別歌である。 

率直にいえば、こちらの方はさしたる興味はない。


2.座敷唄の方は人吉で流布されていた

おそらく古関裕而が採譜したものとほぼ同様のものを、1930年に人吉の小学校教師・田辺隆太郎がはじめて発見し採譜している。

この歌は当時すでに五木村では歌われなくなっており、どのようにして発見されたかは謎とされる。

問題はこれに1番の「おどまぼんぎりぼんぎり…」がついていたかどうかだ。

例えば61年のビクター盤は出だしから「おどま勧進勧進…」である。

このあたりはもう少し根掘り葉掘り引き出したいところだ。