「伽耶国」の文献的根拠

韓国の文書には必ず「伽耶国」が登場する。

これに対し日本語版ウィキは、伽耶を加羅に置き換えて論じている。逆に韓国史学界は「加羅を伽耶に」置き換えて論じているようだ。

これは学者のやり方ではない。

しかもこれに任那をくっつけて、伽耶=加羅=任那の三位一体説まで進んでしまうので、我々シロウトには甚だ居心地が悪い。

どうもわからないのだが、中国の史書ではどうなっているのか、調べてみなければならない。果たして同一視してよいのか、同一視するならどちらに一本化すべきなのか、よくわからない。

中国史書における「伽耶」

ウィキによれば
唯一、清代に編纂された『全唐文』に於いてのみ伽耶の表記が用いられている
となっている。

ということなので、これは「伽耶」説にとってかなり具合の悪い話だ。ただ最初にも触れたように日本語版ウィキにはかなりバイアスがかかっている可能性もあるので、少し慎重に検討するべきだろう。

この後ウィキは古代朝鮮における「伽耶連盟説」を主張しているが、ここでも韓国史学界がなぜ伽耶の名称を用いるのかの説明を行わない。

また伽耶連盟説の文献的根拠についても説明がない。

教科書的な説明

世界史の窓」という教育者向けの解説サイトに、「新羅と百済に挟まれた半島の南端」についての解説がある。

これも同じく「伽耶=加羅=任那の三位一体説」に立っているが、説明はもう少し親切だ。

少し長く引用する。
『三国史記』ではおもに加耶(かや)として出てくるが、他に伽耶、加良、伽落、駕洛という表記もある。『梁書』には伽羅、『隋書』には迦羅と表記される。
加耶 ka-ya は加羅 ka-ra の r 音が転訛したもので、朝鮮語ではよく見られる。
もしこのとおりだとすれば…

これでかなり経過がはっきりしてきた。正式には加羅なので、科学的な議論の際は加羅と書くべきだ。カヤはカラの訛りなのであって正式な呼称ではない。

たしかに三国史記では伽耶と記載されており、すでに一般名として市民権を得ていることは間違いない。しかしそれは加羅の滅亡から1千年も経ってからの書であり、呼称である。

「加羅を伽耶と呼ぶべきではない」という意見は、本来は韓国の中から湧いてきて然るべきだろうと思う。それが祖先に対する敬意ではないだろうか。

少なくとも「伽耶」という呼称は、国際的な学術交流に際しては避けるべきではないか。まして日本がそれに従う所以はない、と私は思う。

任那の同一視について

同じサイトでの説明は下記の通り。
任那は本来はニンナと呼ばれていたものがなまったもの。広開土王碑には「任那加羅」と書かれており、加羅の中の一国を指す。
さらに続けて、加羅諸国の一つ「金官国」の別称と書かれているが、相当乱暴な説明だ。任那加羅と続け書きされているから「加羅の任那」だというのは到底説得力がない。「任那と加羅」と読んでいけない理由はまったくない。

もし任那がたんなる金官国の別称なら、「金官国」と改めるべきであるが、私にはそうは思えない。

「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓国諸軍事 安東大将軍 倭王」との宋書の記載は、安易な解釈を許さない。

韓や唐を「から」と呼んだのは日本人独特の通称であり、本来の意味とは異なる。私は「韓国」や「唐帝国」をカラと呼べと韓国の人に強要するつもりはない。