五木の子守唄の出だしはたしかに子守唄だ。
だがみんなが聞いて、ちょっとでも目頭を熱くするとすれば、それは後半の歌詞からだろう。
しかもそれは前半と状況をまったく異にする。そこには死への打ち消し難い受容がある。言葉遣いにも鄙びではない密やかさとほのかな色気がある。
悪いが、これは五木の山家びとで作れるような歌詞ではない。

地元の高校生が採取した、子守唄のさまざまなバリエーションがネットに上げられている。

この元歌の多くは、後半の歌詞がないか、別のものになっている。

この歌が全国に知られるようになったのは、終戦後に古関裕而が採譜してレコードに吹き込んだからなのだが、古関裕而がそんな山の中まで行ったとは思えない。
おそらく人吉の旅館で芸者が歌うのを聞いて感動したのだろう。この芸者歌には後半部も入っていて、代わりに元歌の前半はかなりカットされていたと思える。

つまり人吉の芸者衆が「子守唄」をアレンジして、強い方言をちょっと和らげて、それに人吉界隈ではやっていた「巡礼歌」をくっつけてドラマチック仕立てにしたのだろうと推測する。

巡礼(へんど)のうた

巡礼と言ってもさっぱりイメージが沸かないが、巡礼の姿をして門付けまがいをしていた者もあったという。

瀬戸内寂聴の「はるかなり巡礼の道」という文章に次のような記述がある。
私の故郷では巡礼と呼ばずに、「へんろ」または「へんど」と2つの呼び方をした。
「へんろ」はおをつけて「お遍路さん」と呼んだが、「へんど」には「お」も「さん」もつけなかった。
お遍路さんは四国の風習だが、同様の巡礼は九州など各地にもあったと思われる。

北原白秋の第二邪宗門に「霊場詣」という詩がある。
春なれば街の乙女が華やぎに
君もまじりて美しう、恋の祈誓の
初旅や笈摺すがた鈴振りて、
大野の南、菜の花の黄金海透く
筑紫みち列もあえかのいろどりに、
御詠歌流し麗うらと練りも続く日、
白秋の暮らしていた時代の柳川には、まだこういう景色があったのだろう。


「おどま」の意味

おどは西郷さんの「おいどん」と同じである。

第一人称単数の「おい」に対する複数「おいども」を表すが、必ずも複数というのではなく「わたしどもでは…」という、へりくだった「ども」である。

だから
おどま、盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと
は、「わたしどもいつきの娘は、お盆までのご奉公です」いうことになる。そこには大げさにいうと一種の異文化に対する対応というニュアンスが感じられる。


子守唄の2番の特徴

後半と言っても別歌(三浦伝承)では、2番からもう巡礼歌に移行する。
おどまくゎんじんくゎんじん ぐゎんがら打てさるく
ちょかでままたゃて ろにとまる
かんじんは勧進のことで、門付けしながらご奉謝をもとめる巡礼である。おそらく瀬戸内のいうヘンドであろう。

「ぐあんがら」は空き缶、さるくはさ・あるくで、歩き回ることである。
「ちょかでままたゃて」というのはヤカンで飯を炊くこと。「ろ」は堂宇のこと。つまり町外れのお堂に寝泊まりし、放浪する生活を歌っている。

現代版の2番とはまったく異なる、なにかザラッとした辛さが押し寄せる。

なぜ別歌(三浦伝承)を最初に取り上げたかというと、こちらが本歌で現代版が返し歌のような構成になっているように思えるからだ。
おどまくゎんじんくゎんじん あん人たちゃよか衆、
よか衆ゃよかおび よか着物
が自分たちの暮らしと対比して歌われる。夕食の後、焚き火を囲みながらの語らい、それは理不尽な差別への怨嗟と、貧しさをともにする集団(おいども)への仲間意識である。

そこにはふるさと「いつき村」への憧憬は毛ほども感じられない。


突き抜けた孤独感

ついで、3番と4番、5番と6番が、それぞれ本歌と返し歌になっている。それぞれが悲しみや苦しみを突き抜けた死生観となっており、深い感動を呼ぶ。
3.おどんがうちんちゅうて 誰が泣ゃてくりゃか
裏の松やみゃ せみが鳴く

4.せみじゃござらぬ 妹でござる
妹泣くなよ 気にかかる
多分自分の死を一番悲しんでくれるのが妹なんだろう、それくらいしかいないだろうという得心は、死の悲しさ以上に胸にせまる。
それにしても、今は死体となった私が、セミの鳴くように泣いている妹を見つめ、哀れんでいるという情景のシュールさは、なんに例えたら良いのだろう。
5.おどんがうっちんだら おかん端いけろ
人の通る数 花もらう

6.花は何の花 つんつん椿
水は天から もらい水
4番といい6番といい、返し歌に示された鮮やかな技巧は、もはや巡礼のレベルではなく、歌いなれた芸妓による歌詞であると暗示されている。「さんさ時雨」の1番の歌詞だけが突出していることと通じるものを感じる。

現代版では「道ばちゃいけろ」となっているが、三浦版では「おかん端」となっている。
おかんは「往還」で諸国の人が通る街道のことである。そこには、彼女たちの墓碑でもあるかのように、諸所にお地蔵さんが立っている、そういう道のことである。

「ヘンド」は、ただ道を歩くのではなく、街道を行き来する人たち、その人たち相手に商いをする人たちを稼ぎの相手にして生きているのだ。

だから生きるのも死ぬのも往還だ。それなら「埋葬してもらうのも往還沿い」というのが、ふさわしいのかも知れない。物理的にどうかは別にしても、往還に埋めてもらうのは、彼らにとって当然の帰結かも知れない。
 
それを一般の人達は野垂れ死にという。でもそれが「ヘンド」の宿命なら、「ぱっとにぎやかに行きましょう」ということになる。もちろんそんな花などもらえるわけがない、それを承知の強がりだ。


さいごに

いつきの子守娘には盆になったら帰る家があり、家族があった。「ヘンド」はハグレモノの集団で、家も家族もない。ヘンドする仲間と妹がいるだけだ。

彼女たちがどういう運命をたどっていくのか、ここではこれ以上の情報はない。

ただ旅役者や大道芸や瞽女たちは流れ物の芸者だが、「ヘンド」たちは御詠歌を歌うだけしか能がない。彼女たちは、より悲惨な運命に翻弄されて行ったのではないかと危惧する。