最初にタイの経済・社会状況をマクロに抑えておきたい。
タイ王国は、富の約70%を1%の富裕層が保有する世界一の格差社会である。格差が放置されていることから内需の増大は見込めず、中間層が育ちにくい環境が続いている。
格差が大きいということは都市と地方の格差も大きいということであり、貧富の差に加え地方の文化格差も大きい。
したがって地方から都市への人口圧力も大きく、バンコクのスラム街では、約200万人が不衛生かつ狭小な環境での生活を強いられている。そこに住む人は犯罪、流行病、家庭内暴力・性的虐待、麻薬に悩まされていて、識字率も低い。
さらに最近では国際都市バンコクに隣国ミャンマーやラオスからの経済難民も押し寄せている。
バンコクのスラムは、国境を越えて人々が暮らす より)
なお民主派学生・知識人のたたかいは、農村地帯の貧農を支持基盤とするタクシン親子の政権とは性格を異にしており、同一視することはできない。むしろ民主化運動参加者には、タクシン流政治を不潔だとして嫌悪感を持つ人も少なくない。長期的に見てこれは幸せなことではないと、私は思う。
民主派の要求は政治体制の変更である。しかしタクシンの政治は経済の変更である。それは01年の首相就任時に掲げた貧困対策の三本柱、すなわち①農民負債の返済猶予、②低額の健康保険、③庶民銀行の設立だ。
貧困層を味方につけなければ闘いは敗れるだろう。経済政策を掲げなければ、民主化は中途半端に終わるだろうと、私は思う。

以下は今年に入ってからの民主化の動きの経過である。


2020年 タイ民主化運動

1月

2月

民主化運動を担う政党、「新未来党」(FFP)が憲法裁判所により解散命令を受ける。新未来等は昨年の民政移管選挙で躍進し変革の担い手として期待されていた。

3月

末 プラユット首相が非常事態を発令。その後数度にわたり延長される。

4月

は全土を対象に外出禁止令を発動する。

5月

新型コロナウイルスにより非常事態宣言。バンコクはロックダウンされる。

6月 

初め 最大与党・国民国家の力党で派閥抗争が表面化し、執行部の半数が辞表を提出する。

4日 民主活動家ワンチャラーム・サタシット、亡命先のカンボジアで行方不明になる。

市中感染の減少を踏まえ、夜間の外出禁止措置が解除される。非常事態宣言は解除されることなく、繰り返し延長される。

7月 

ロックダウン解除に伴い、学生のデモが再拡大。中高生、女学生を中心のデモとなり、学内えの抗議活動と結合して展開される。

さらに軍事政権の支持派もデモに参加するなどかつてない広がりを見せる。

8月

3日 人権派のアノン弁護士が集会で演説。「タイ社会に寄り添う王室を」と呼びかける。

16日 バンコクの集会に、1万人ないし3万人が結集。クーデター以来、最大規模となる。議会の解散、新憲法制定、批判者に対する弾圧中止の3項目の要求をかかげる。さらに国王ラーマ10世への批判も公然と掲げられる。

9月

5日 バンコクの集会。三本指のピースサインと手首に巻いた白いリボンの高校生が目立つ。

19日 タマサート大学を占拠した学生が、隣接する王宮前広場に進出。5万人以上が参加し、14年以来最大規模となる。リーダーの一人は、国王と王室について糾弾し、王室改革が必要だと訴えた。

20日 続開集会、王室関連予算の透明化や王室への表現の自由などを求めた請願書を警察当局に提出。

10月

13日 バンコクで最大規模の反政府集会。その後連日の集会とデモを開催。

14日 デモ隊の脇を王妃が乗った車が通る。デモ参加者らは3本指を立てて罵声を浴びせる。

15日 プラユット政権は本格的な弾圧に乗り出す。非常事態宣言を発令し、5人以上の集会を禁じる。学生はSNSで直前に複数の開催場所を告知。数カ所に分散して交差点や道路を占拠。

15日 メディア側は規制は「報道の自由を脅かすもの」と反発。

16日 放水によってデモを強制排除。この場面はSNSでライブ中継され批判が集中する。集会はいったん解散。夕方から市内の交差点で集会開催。

16日 プラユット首相が記者会見。「権力を見くびらない方がいい。誰もがいつ死ぬか決まっている。病気か事故か、それともほかのことで。それは今日か、明日かもしれない」と恫喝。

16日 アムネスティ・インターナショナルは「平和的な抗議行動に対する過剰で不当な力の行使で、合法性や必要性を欠いている」との声明。

16日 24時間で20人を越えるデモ指導者らを逮捕。

17日 市内各地に分散してゲリラ集会が開かれ、交通網がまひする。この五月雨集会とデモは、その後も中高生を主体に連日続く。

17日 インラック前首相がSNSでプラユットの退陣を促す。

18日 この日は戦勝記念塔前でメイン集会。約1万人が集まった。

21日 プラユット首相、非常事態宣言を解除すると発表。議会に解決を委ねるよう呼び掛ける一方、辞任の要求は拒否。逮捕者の釈放も拒否。

21日 バンコク中心部で1万人規模のデモ行進。「プラユット首相は退場を」と連呼しながら首相府付近まで進む。

23日 ワチラロンコン国王やスティダー王妃が王室支持者に「あなたはとても勇敢だ。ありがとう」と声をかけた。

24日 タイ議会、憲法改正の判断を先送りする。現行憲法(17年制定)は、250人の上院議員を軍が任命する独裁憲法。

25日 ふたたびバンコク都心部の交差点を占拠し、抗議集会を開催。

11月

16日 国会で憲法改正について議論することが決まる。与野党と反体制派に近い市民グループが計7案を国会に提出。

17日 黄色のシャツの王室支持派がデモ隊と衝突。50人以上が負傷する。デモ隊の一部はバリケードを突破し、国会に向かう。

18日 タイ国会、憲法改正草案を検討する会議の設置を決める。野党がもとめた王室改革などは、改正対象から外れる。