ピノチェトを埋葬する」という記事の抜粋。10月27日付のNACLA記事で筆者はJoshuaFrensさんというひとです。テキサス大学オースティン校のラテンアメリカ史の助教授という肩書きです。

憲法改正の国民投票に至る経過

去年の今頃、地下鉄運賃値上げ反対の闘争が起きました。それから1年、チリ国民は1980年憲法を書き直すことを国民投票で決めました。

1981年憲法はピノチェト憲法とも言われ、1973年のクーデターと残忍な軍事独裁の最も重要な政治的遺物となっていました。

公式の数字では有権者のほぼ80%が憲法改正の提案を承認しました。

もう一つの投票項目で、新たな市民主導の制憲議会が新憲法を起草することも決まりました。この議会の議員は来年4月の選挙で選出されます。

鈴木: 実はこちらのほうが遥かに重要です。憲法制定議会が招集されるのですが、この議会は従来の議会のように軍人が何議席というような縛りがまったくありません。おそらくこの民主的制憲議会が成立すれば、非民主的な国会は活動を制限されていくでしょう。多くの南米諸国でそういうコースになりました。

その構成は現在の国会とは無関係です。そしてこれは世界で初めてのことですが、議員は男女が同数になるように決められています。

選ばれた議員は約1年をかけて草案を審議します。そして22年に新憲法を提示し、国民投票にかけます。つまり有権者は今回の国民投票の後、議員選挙と憲法を採択するための国民投票と3回の選挙を行うことになります。

憲法改正には軍事独裁への最終的な告別と並んで、もう一つの意味があります。それは軍事独裁のもとで野放しにされた極端なネオリベラリズムを禁止することです。

2019年10月の大闘争

今回の憲法改正に向けての最初の狼煙となったのが、1年前の地下鉄運賃値上げ反対闘争でした。

若者は抗議し、改札口を乗り越え駅に乗り込み、占拠しました。ピニぇイラ大統領(保守派)は戦争状態を宣言し、サンチャゴの街を封鎖しました。

軍隊が街頭に出動しピニェイラは実力行使も辞さないと叫びました。それはかつてのピノチェトを思い出させるものでした。

この脅迫は若者の怒りに火をつけました。若者主導の抗議運動が全国の都市に拡大しました。1~2週の間にチリは“目覚めた”のです。

何千人ものチリ人が毎晩バルコニーや街角に行き、空の鍋やフライパンを叩きました。それは抗議活動に対する政府の軍事的対応に不満を表明するためのものでした。

デモは2020年10月25日に最高潮に達し、100万人以上がサンティアゴの通りに殺到しました。

活動家は市内の「尊厳」広場を占拠し、自らをプリメーラリネア(最前線)と名付けました。重武装の機動隊が何度も襲いかかりますが、彼らは大衆支援のもと踏みとどまります。

年が明けて1月、サンティアゴのリベルタドール通りとオヒギンズ通りの交差点で両者は激突しました。何百人もの抗議者が、催涙ガス容器とゴム弾の標的となりました。

デモ参加者の16歳の若者が「尊厳広場」の脇の橋から突き落とされましたが、それは完全な映像で公開されました。

多くの市民にとって、それは軍政時代を思い起こさせる悪夢です。平和的な抗議者への警察の無差別攻撃は、市民の怒りを呼びました。

多数の人権団体は声明を発表し蛮行を非難しました。治安部隊の蛮行に対し調査せず、説明せず、責任を取らず、取らせずを繰り返す政府への強い怒りが沸き起こりました。

一般市民の決起(Estallido)と参加型民主主義

サンティアゴの小さな近所の広場では、コミュニティの住民が集まり始めました。市民が過去を振り返り、討議しフォーラムを結成しました。それは社会的エスタリドと呼ばれます。(社会的激発という意味)

自分の近所の集会に積極的に参加している歴史家のロミナ・グリーン・リオハによれば、そのような会合は、「新しいチリを建設したい」という願いが「一人ぼっち」ではないことを示しあったのです。

パンデミックの発生は、これらの行動の多くを一時停止させました。それはまた、もともと4月に予定されていた1980年憲法に関する国民投票を遅らせました。

エスタリドは自由で自発的運動なので、リーダーシップを導入するのは困難でした。とくに外部の政治団体や労働団体に属する人にとって組織を動かすことは厄介でした。

学生指導者ノアム・ティテルマンは未経験の、「指導者のない運動」と呼んでいます。

しかしイシューごとにまとまった諸団体が、周りの団体と共感し「多様な運動の単一の要求」として憲法制定運動に収斂していくのは意外に急速でした。

学生運動を先頭とするさまざまな民衆運動

チリの学生運動は世界で最も強力です。彼らは高校生だった2000年から闘い続けてきました。2011年から2年にわたる抗議運動では、教育を市場の論理ではなくではなく、市民権の基本的な社会的権利として体系化するという考えを広めました。

カミーラ・バジェホ、ジョルジオ・ジャクソン、ガブリエル・ボリックなどは国会議員となり活動を続けています。

ミシェル・バチェレの第2政府(2014〜 2018年)の下で重要な教育改革が行われ、初等および高等教育における「営利」機関の歴史的な禁止が実現しました。

その他にも民族グループ、環境グループ、退職者の年金闘争、フェミニスト運動が共同しながら闘いを進めています。

人民連合の運動との比較

チリの歴史家マリオ・ガルセが述べたように、昨年の抗議行動に関係した運動の多様性は、おそらく1970年代初頭に起こったものよりもさらに深遠で民主的だろうとおもわれます。

現代のチリは「社会の動き」そのものが改革を推進しています。伝統的な「社会運動」の概念とはまったく異なるものです。このことから伝統的な政治組織や政党が支持されなくなったことを強調する意見もあります。

アジェンデとUPは、根本的な変化を追求するために、その時代の国内の既存の政治構造の中で働くことを約束しましたが、今日のチリ人は、民主主義が実践される方法と場所を再発明することを念頭に置いています。

これからの見通し

いままで国を導いた市民主導の一連の運動は、間違いなく、昨年の行動を継ぐものであり、新しい社会システムを生み出すものです。

鈴木: このレビューは悪い記事ではないが、意図的に市民運動を持ち上げ、チリ共産党や社会党の運動を軽視していると思う。選挙制度のせいで不当に表舞台から排除されているが、世界で最も活力を持った共産党であることは間違いない。