いま引きこもりを主人公とした映画を見終わったところである。とても感動的だった。たぶん数多くの実例を踏まえているのだろうと思う。

深く考えさせてくれる映画ではあるが、たぶんそれが病気だということから目をそらそうとする、希望的観点に基づいているのではないか。

「引きこもり症候群」という症候群があるとすれば、それは「自閉症」に基づく症候群であろうと思う。しかし「自閉症」という疾患単位はあるにせよ、そういう本質規定はまったくの誤りである。誤りであるだけでなく、本人と家族をますます窮地に追い込む罪作りな病名であろうかと思う。

自閉症はまず何よりも微細脳損傷と理解すべきかと思う。その損傷部位は一時記憶装置である。

大体が脳の働きの大部分は記憶装置である。判断とか対応というのは、さまざまなイベントを視覚化させ、その画像を短期記憶装置により連続的な事象と捉え、その事象をハンドルにより操作していく技能のことである。

一つ一つの画像に意味はなく、パターン化したシンボルに過ぎない。、それが連続した時にはじめて現象としての意味を持ってくる。いかに画像が鮮明であろうと、その時間軸上での再構築と動態化能力がないと無意味になってしまう。

自閉症の人はこのパターン化、シンボル化ができない。画像はいつまでも画像のままである。

これは一次的には頭頂葉の障害であり、さらにこの情報を二次処理する特定の脳分野の障害であり、反応系の連結障害である。どちらが原因でどちらが結果なのかは不分明である。聴覚情報(嗅覚・触覚も)というのは本質的に連続的なので、生物は発達のどこかの時点で聴覚と視覚を結合させる能力を手に入れたに違いない。

病理学的には発達障害と認知症は同じ病気であるが、病因としてはことなる。こういう視点からの取り組みが必要である。

なぜこのような当たり前の話をするかというと、児童精神医学や教育心理学には変なカリスマがたくさんいて、それを信じる変な実践家がたくさんいるからだ。

くれぐれも「脳科学者」を名乗る怪しげな輩には騙されないように、ご用心を!