61年草稿における機械論
(佐竹『剰余価値学説史執筆の動機』の読書ノートです)

協業や分業による生産力の増大は、社会的労働の無償の自然諸力の表現である。

これに対し、機械は生産諸部面に商品として、不変資本の一部分として入っていく。

それが剰余価値の増大にどう結びつくのはは考察が必要である。

まず考えられるのは、機械の採用は生産規模の拡大を意味するということだ。すなわち、資本の蓄積であり、それによる競争での勝利である。

生産規模が拡大すれば機械の効率が上昇し、剰余価値が増大する。しかし生産規模が拡大するとは限らないから、機械が剰余価値を拡大するとは言えない。

では競争での勝利以外にも機械の導入の意義はあるのか?

ここでマルクスは「機械の採用にかんする八つの要因」を指摘する。

(1)特別剰余価値の生産
(2)絶対的労働時間一総労働日ーの延長
(3)労働強度の増大 (労働効率の改善)
(4)機械導入による単純労働への代替
(5)賃金引上げの要求やストライキへの対抗手段
(6)「労働者たちが労働の生産性向上を我が物にしようと思い上がること」を防ぐ
(7)労働や材料のムダの最小化(労働の連続性や廃物利用など)
(8)機械による「労働の代替」

あげては見たものの、それらの多くは的外れだ。機械の採用の動機ではなく、採用の結果・影響・効果に過ぎない。

マルクスは剰余価値の概念が空回りしていることに気づき、それがスミスのv+mドグマ、重農主義の労働価値への単純な当てはめよるものであることを発見する。
そして資本主義のもう一つの特徴である機械の充当という過程が、この空回りを露呈したと考える。

ここで主格としての資本家が、「人格化された資本」として機能していると規定することにより、新たなパラダイムを獲得するのである。