ドルメン同根論は破綻したが

ドルメン同根論は間違いなく破産している。マンローは破産したドルメン論にしがみつくことにより、考古学・人類学の主流から外れてしまった。

しかし同根論の根っこにある北方系人種の横移動の歴史は、必ずしも廃棄されたわけではない。

Yハプロ学説が人類学を席巻する20年前までは、HLA、T細胞白血病、HB抗原など多くの研究で、東アジア人の原基は北方を指していたのだ。

さらに、麦、金属器の渡来は中央アジアからの北方ルートを経由したと考えるのが素直である。


中央アジア系人種の横移動

ヨーロッパ先住民・ハプログループG2a

ドルメンの議論を聞いて初めて知ったのは、西ヨーロッパに先住していたのが非印欧系のハプログループG2aだということであり、彼らの時代は紀元前5000年に始まり3000年まで続いたということである。

ハプロGグループは9,500-30,000年前にコーカサスで誕生した。紀元前5000年に一部がヨーロッパに移動した。当初より農耕技術を持っていた可能性がある。

紀元前3000年ころにはハプログループR1b (Y染色体)に属す印欧語集団に駆逐され、混血することなくほぼ絶滅した。これをもってドルメンの時代も終焉を迎えた。

ハプログループG2aは現在もジョージアを中心にコーカサス地方に分布している。彼らの中央アジアにおける生息域は、現在のトルコ・ウィグル系人種のそれと重なっている。

もう一つの北方系ハプロ集団 N系人

おそらくマンローが混同しているのがハプロN人である。

ハプロN人は、20,000年前~25,000年前に、中央アジアでハプロO人と分岐した。シルクロードを経由し東アジアに達したと見られる。

一部は西方向に横移動しフィンランド人の祖先となっている。

N型人は確実な遼河文明の担い手である。古代中国文明の最初期に属する周王朝が、N系人による国家とする主張もある。私は与しないが。

N型が中央アジアから東進するに際して、先住者であるG型人の風習・伝統を身に着けた可能性があるが、人種として直接の血の繋がりはない。

強いて言えばG型人はコーカサス人であり、N型人はアフガンないしタジク人である。

N型人の過剰な強調には要注意

最近N型人の歴史的意義の強調が目立つ。中には通説の書き換えを迫るような提起もある。

注意しなければならないのは、O型人との関係を見誤らないようにすることだ。

最近の考古学的知見によれば、遼河文明のうち夏家店文化の上・下層の境界、すなわち紀元前1500年頃に遼河文明の担い手がN型人からO2人に交代したようである。

遼河文明の人種的交代が紀元前1500年頃とすれば、紀元前1000年ころに始まる黄河流域の周王朝がそれを遡ることはありえず、遼河文明研究者による引っ張り過ぎだろうと思う。

N型人とO型人はどこで分化したか

ウィキの流れ図では、イルクーツク近辺でNとOが分化したことになっているが、今日の通説としてはOはインド経由でインドシナから華南へと進出したことになっている。亜型(C1,C2)への分化のパターンもそちらのほうが説明しやすい。

ウィキによるNOの流れ図


それに華北~東北地方におけるN型人の現代の分布を見ても、明らかに南から北上したO2人がN系人を駆逐し、周辺部へと追いやっていることが明らかだ。

したがってNO人はイラン~アフガンあたりで分離し、O型は南ルート、N型は北方ルートで東アジアに入ったとするのが考えやすい。

N型人は交易民だった可能性がある

N型人はたんに進出し、征服し、支配する民族ではなかったのではないか。

かなり頻繁に東西方向への移動を繰り返し、西方文化を東アジアにもたらした可能性がある。

蒙古族や満州族、ツングース系は古来より土着していたC型人だが、西域回廊を支配していた夏や匈奴、突厥などはN型人だった可能性がある。

北方ルートを通じて麦栽培、青銅器、鉄器という三大文化が持ち込まれたのは、まさにN型人がルートを押さえ、華北を支配した時代と一致する。

マンローの偉大な示唆

何れにせよ、遺伝子解析などなかった20世紀初頭に、マンローが、横移動する民族、支石墓時代(青銅器)から鉄器時代の移行が民族の交代を伴った可能性、などまで念頭に置いていたことには驚くほかない。

私は素人でこれ以上の言及はできないが、学界各氏のご検討をたまわりたいと思う。