「終戦」というのは正しい
1.8月15日の意味
学生時代、「終戦」というのは間違いで、大日本帝国の「敗戦」の日だと教わってきた。
たしかにそれはそのとおりだが、日本だけでなく世界のファシズム体制が最終的に終わりを告げた日という意味では、「終戦」というほうが感じが出るかも知れない。
ついにふたつの大戦まで至ってしまった、大量殺戮と「総力戦」の政治、そういう時代が終わりを告げた記念日、それが8月15日ではないだろうか。
3.時代を画す三つのエピグラフ
過ぐる時代をどう評価するか、来たるべき時代をどう作るか、それをどう次世代に引き継ぐか、それを確認していく作業が8月15日という日なのだろう。
その作業のための三つの礎がある。そこには繰り返し復唱すべきエピグラフがある。
それは第一に国連憲章、第二に世界人権宣言、第三に日本国憲法である。
A. 国連憲章(1945.4)
前文: われら連合国の人民は、一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から、将来の世代を救うことを決意した。
第1条: すべての人権と自由を尊重し、人種、性、言語または宗教による差別をなくす。
B. 世界人権宣言(1948.12)
前文: 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらした。
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利である。これを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である
第一条: すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
C: 日本国憲法
前文: われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
3.三つのエピグラフの意味
私なりの解釈だが、
第二次大戦は、人権を守る戦争だった。
ファシズムが究極の悪である理由は、人権の無視・蹂躙にある。同時にその究極の悪を暴力によって世界に押し付けようとしたことにある。
人権を守る戦いは大きな勝利を収めたが、戦いそのものは未完であって、その戦いを進めることが安定した平和ををもたらす。
人権を守る戦いは、つねに次世代のための戦いでもある。それは名誉ある戦いである。
世界は人権の実現に向けて究極的には前進しつつあることを確認しなければならない。
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