人権 (とくに生存権)  備忘録

認識は現状から過去に「なぜ、なぜ?」と遡りつつ進むのだけど、認識した結果を自分なりにまとめて書こうとすると川上から書かないと納まりがつかない。

ただしそうやって書くと見栄えはいいが、認識の深まりとは逆方向なので、わかりにくくなる場合が多い。下手をすると読者は途中で挫折しかねない。そのへんは作者の腕の見せ所だ。

ということを前提にしながら、とりあえず川上からの流れ図を(論証抜きに)説明しておく。


1.人権論は米国流の社会契約論を源流とする

A. バージニア権利章典と独立宣言

B. 合衆国憲法(1787)と権利章典(修正第1条-第10条)

 
2.古い不平等と新しい不平等

A. フランス人権宣言

フランス革命のふたつの任務: フランス流社会契約論と「古い不平等」システムの打倒

米国には「古い不平等」(身分制)はなかった。したがって基本文書において平等に関する言及はない。個々人に備わる基本的人権の考えも見られない。

B. 新しい不平等の出現

米国は南北戦争を経験したが、「新しい不平等の出現は遅れた。

C. 憲法の修正条項としては

*修正第13条・奴隷制廃止(1865)
*修正第15条・黒人参政権(1870)
*修正第19条・女性参政権(1920)

にとどまる


3.立法による社会権の付与

A. 第一次大戦後の貧困救済の動きと社会権・生存権

ヨーロッパでは戦勝・戦敗のいかんを問わずインフレ・貧困などが蔓延した

これに対してふたつのアプローチが行われた。

一つは制定限度の生活を権利として認め、国家に義務を追わせるもの(ワイマール型)。
一つは国家の本来的機能・能動的責務として社会福祉を必須とするもの(英米型)である。この場合生存権の思想は無視したままでも話は進む。

B. ニューディーラーの福祉政策

このような自由権偏重の米国社会を打破したのが、ニューディール政策

とくに35年以降、社会保障制度、全国労働関係法が導入され、法体系として実質的に生存権の保障がなされていく。

後半期の政策はケインズ経済学ではなく、福祉経済学の流れを引き継ぐものとして位置づけられる。


C. 四つの自由

40年の年頭教書でルーズベルトが提示したもの。

人権を自由権と認めた上で、思想・信仰の自由に困窮からの自由、戦争からの自由を付け加えた

困窮からの自由は社会権・生存権、戦争からの自由は平和的生存権を指す。
ルーズベルトはこの4つの自由を「第二の権利章典」と呼んだ。これらの内容は日本国憲法の前文にも書き込まれている。(米国内で一般化しているかどうかは不明)

憲法に社会権・生存権を組み込むのは困難なための論理的曲芸である


4.世界人権宣言から国際人権規約へ

A. 世界人権宣言の重要性と限界

ルーズベルト未亡人で国連代表のエレノアがまとめ上げた。4つの自由を世界の宣言に高めた。

しかし、4つの自由の持つ弱点が持ち込まれた結果、社会権は前文等に「散りばめられている」が条文として定式化されていない。

B. 国際人権規約の成立

社会権・生存権をきちっと書き込むことは48年の宣言採択当時からのものであった。

早速この点について人権委員会での議論が始まったが、冷戦のさなかの議論であるため、多くの困難があった。

結局、18年後に国際人権規約が採択された。規約はA規約とB規約に分かれそれぞれ社会権規約、自由権規約と呼ばれた。

これにより社会権(経済的、社会的及び文化的権利)が国際法の最高位となる人権規約で認められ、かつ自由権と同等の重みを持つものとして位置づけられた。


5.社会権の内容が豊富化

人権規約の採択と並行して、個別課題での条約化が次々に成立した。(年表参照

A. 「人間の安全保障」

ここでは社会権・生存権に関連する2つの前進を挙げたい。一つは93年に国連開発計画 (UNDP) が「人間の安全保障」を提唱したことである。

これは国民の生存を国家安全保障の一環と位置づける考え方である。国民を平和のうちに生かし続けることが、国家防衛と並ぶ政府の基本義務だと規定され、国家の本来責務の一環としてビルトインされた。

これは福祉経済の発想に通じるものである。

B. 社会権擁護が社会開発と結び付けられた

もう一つは、国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されたことである。

ここでは生存権そのものが発展する権利として位置づけられ、自由権の基礎をなすものとして位置づけられた。

アジェンダでは17項目の「持続可能な開発目標」が掲げられているが、これはそのまま社会権として位置づけられることも可能である。

ある国の人権状況を総合的に見る際、このような「人権マクロ」に基づいて評価することも必要だ。

C. 人権NGOの活動には注意が必要だ

このように国連レベルでは人権概念が大きく変わりつつある。

しかし多くの人権NGOは冷戦構造を引きずり、「自由権こそ人権の核心である」と主張し、自らのものさしに合わせ、「社会主義国や宗教国家など強権国家には、人権委員会の構成国である資格はない」と拒絶してきた。

自由権は今も究極の人権ではあるが、あまりイデオロギー的に扱ってはいけないと思う。もう少し「人権マクロ」を総合評価する中で人権状況を客観的に発展してくれるように望むものである。