斎藤環の「直接会うのは暴力」だろうか
赤旗の「朝の風」の激賞の吟味
赤旗の「朝の風」で斎藤環の「直接会うのは暴力」という発言を捉えてこれを積極的に捉えた考察が掲載された。
誰とどこで会うかは人権の問題だ。…人間だから直接会うのが当然という前提を見直す必要がある。
などなどだ。
言葉が踊っている。花から花へ舞っている。世間ではこういうのを「哲学」という。
ただ、そもそもの言い出しっぺである斎藤環という人がどういう人で、どういう背景でこのような物言いをしているのかがわからないと、なんとも常識的な判断がしにくい。
6月20日号のヤフーニュース
「朝の風」子が見た元ネタは、ヤフーニュースの6月20日号だそうだ。
題名はえらく長い。
精神科医・斎藤環が語る、コロナ禍が明らかにする哲学的な事実 「人間が生きていく上で、不要不急のことは必要」
ということで、いわば至極当たり前のことで、特に社会から半ば引退して好き勝手に引きこもっている団塊世代には、共感さえ覚える。
「強いられた引きこもりさん、ようこそいらっしゃいました」ということだ。
斎藤さんは精神科医で引きこもりが専門だそうだ。ここで対象とするのは社会不適応としての引きこもりだ。
つまり現在この瞬間、引きこもりには三種類あることになる。
一つは病的(と言っていよいか)な引きこもり、これは思春期の病気で中年まで引っ張っている人もいる。斎藤さんは非社会性と呼んでいる。
ふたつは好き好んでの引きこもり、活字三昧で、世の中高みの見物、私などがその典型だ。
三つが新種のコロナ性引きこもりだ。この人達はやる気満々で、ある人はこの生き方に満々と闘志を燃やしているし、ある人はフラストが溜まって、日暮れになると紅灯の巷へという場合もあろう。
それで、斎藤さんという人はウィキで調べると、言葉の料理人みたいな人で、和風、洋風、中華、いかようにでも言葉を操って概念らしきものをこしらえる人のようだ。
一応精神科の教授の肩書きもあるので臨床もやっているのだろうが、まずはメディアへの露出が命の人らしい。
だから「直接会うのは暴力」くらいのことは平気で言う種類の人かもしれない。私なぞはどうも苦手で、虫酸が走る。
ただこういう人が実際あってみると案外社交的で如才なかったりすることもあるので、予断は禁物だが。
ヤフーニュースの主な内容
斎藤さんが最近『中高年ひきこもり』という本を発表した。ちょうどコロナでステイホームが強いられたので、話題性はある。
途中まではなんの変哲もない臨床医学の話。「その辺が落とし所かなと思います」なんてセリフは常識人そのものだ。
そこから、急に
なぜ人は直接会おうとするのか。それは人が直接会うことは暴力であるからだ。
という台詞が飛び出す。
それで
そういう露悪的な言い方をするのは…直接会って話をすることに耐えられない人もいることを想像してほしいからです。
という風につながっていく。つまりは「直接あって話すのは結構精神的には重労働なんだ」ということを「暴力だ!」というキャッチコピーでまとめちゃったということなのであろう。
「朝の風」子は見事にその疑似餌に引っかかったという具合。しかも自身の思いで斎藤さんの言葉を膨らませている。
ただし、インタビューの最後でこうも言っており、バランス感覚はしっかり保たれている。
非常に憂鬱なのは私も同じですけれども、ストレスをあえて引き受けていかないと、精神のバランスは保てないので、私も一緒に取り組んでいきたいと思います。
つまりは小学校の頃の夏休み明けと同じだ。やすみにあきて学校に行きたい気分と、また規則と日課で体も心も縛られることへの拒否感。
この斎藤さんという人言葉遣いは時に過激だが、医学的判断としては結構常識的な人に見える。ただ、
「直接会うのは暴力」というフレーズはウケ狙いっぽくていただけない。人が生きていくための最低の強制というのはあり、その源となっているのは自然・社会のパワーだ。この強制的なパワーをゲヴァルトというならたしかに「暴力」ではあるが…
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