間違えないでください。マルクス思想ではありません。
軽薄にいうと、2020年の世界の流行は第一に新型コロナですが、第二の流行はマスクです。

日本人、それに一部の東洋人の間ではマスクは比較的馴染みの深いものでした。
しかしそれ以外の地域、とくに欧米や中東、アフリカでは決して一般的なものではありませんでした。
新型コロナのパンデミックが始まった頃、外国ではマスクをした日本人は奇異の念で見られ、ときにはそれが「ヤバい人種」の象徴のようにさえ受け止められました。

しかし新型コロナがヨーロッパ全土を覆い大変な状況になると、おしゃれの本場イタリアやフランスでもマスクが当たり前のモードになりました。いわば、コロナ・リテラシーの象徴となったのです。

マスクはやがて新型コロナとともに米国に渡りました。そして2つのイデオロギーの衝突の中で、進歩派の象徴となりました。逆に言うとマスクを着けないことが保守派のクリードとなりました。

3つの写真を提示します。
トランプ集会
トランプ集会です。密密密+ノーマスクスです。空中に飛び交うウィルスが見えるようです。
白人至~1
白人至上主義者の集会です。当然マスクは未着用です。
BlackLivesMatter
ニューヨークで開かれたBlack Lives Matterの集会です。100%マスク着用です。
なお写真はクレームあり次第外します。


ここでマスクの本来の意義を確認します。これは本人のコロナ防御用にも役立ちますが、圧倒的な意義は他人への感染予防のためです。つまり利他主義→社会的予防→自らの感染防止という三段階を踏んだ防御アイテムなのです。

つまりそこには① 利他のコミュニティの思想があり、② それを前提とする予防手段というリテラシーがあり、③ それを共有する世間という道徳的枠付があるのです。

これが、東洋の風俗がパンデミックの圧力を受けて、ヨーロッパのモードとなった経過です。


ではなぜアメリカで白人原理主義者がマスク思想を敵視するのか。これが次の問題です。

これはコロナが人類に突きつけた「命の平等性」が基礎にあります。新型コロナは白人優位主義を打ち砕きました。それは3月以降に西欧各国で猛威をふるい、本家の中国を上回り、最悪記録を次々と更新しました。

これを機に欧州のみならず世界の国々が、社会ぐるみの予防対策を取るようになりました。そのためには「お互い様」の我慢がもとめられ、我慢が困難な弱者への配慮がもとめられました。

この2つ、つまり無差別な「命の平等性」と「お互い様」の思いやりは、ともに白人優位思想の根っこを揺るがすような危険な思想です。

だから、白人原理主義者はマスクが嫌いなのではなく、マスクに象徴されるようなアジア・ヨーロッパの「無差別・平等・博愛」思想を敵視するのではないでしょうか。

もちろん、このような時代遅れの考えはいずれコロナの前に吹き飛ばされるでしょう。「マスクか死か」と問われれば、真理の前に膝を屈するしかありません。

最後はちょっと読み過ぎになったかもしれません。