6月22日 日本経済新聞
中村亮「米軍トップ、辞任よぎった夜 『親トランプ』の苦悩」

がとても面白い。見てきたような話ではあるが…

6月1日、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は、合衆国憲法修正第1条は「表現の自由」を盾に、デモ鎮圧のために米軍動員を求めるトランプ大統領に激しく抵抗した。

激論の末、ひとまず軍動員の回避に成功したが、警官隊がデモ隊を強制排除したあとに、ミリー議長は戦闘服姿でトランプに随行するハメになった。

ミリー

その日の夜、ミリー議長はメディアやネットで、自らの行動が「軍による政治介入」などと集中砲火を浴びるのを目のあたりにした。

批判者の中にはマティス前国防長官などの米軍OBもいた。ミリー議長は周辺に辞任の是非を相談するまでになった。

息をさせて
    ベネズエラ制作のポスター(We hope というのが良い)

話は10日後に飛ぶ。

6月11日、ミリー議長は国防大学の卒業生に向けた祝辞で、「私はあの場にいるべきではなかった」と述べた。

それはホワイトハウス前で軍服を着てトランプ氏に随行したことをさしている。

さらにミリー議長は「みなさんもこの誤りから学んでほしいと私は切に願っている」と言葉を続けた。

しかし、話はこれでおしまいだ。
辞任もしなければ、トランプと決別もしていない。トランプは慰留に入っている。
周辺情報によれば、ミリーはトランプ派の高級将校として軍に送り込まれたらしい。その結果、かなりの特進を経て現職についたようだ。
勘ぐれば、あんな写真がでかでかと出て、軍の反人権派のトップとして扱われたことに対するエクスキューズかとも取れる。
だから、問題はミリーの良心ではなく、統合参謀本部議長さえ一夜にして辞任間近に追い込むほどの民衆の圧力なのだ。
そしてコロナさへなければこれほどにはならなかったろうという、両者の社会心理学的な連結について思いを致すことだ。