縁切りの手紙

「幸せの黄色いハンカチ」の冒頭画面だ。武田鉄矢がこの手紙で絶望の淵に追い詰められて、マツダの自動車で旅に出る。

ロードムーヴィーの出だしとしてはきわめてよくあるパターンだ。

しかしその縁切りの手紙にどう書いてあったかはまったく覚えがなかった。

これがその手紙だ。

enkiri

今の人は知らないだろうが、好きか嫌いかをあらわす、あるいはその行為がもう終わりかどうかをあらわす唯一の手段は手紙だった。

今ならメールで「さよなら、ごめん」で終われるのだろうが…

なお、「いつまでもお友達でいましょうね」は、女が男に告げる縁切りの常套句だった。

これは別れに際して言うべき言葉ではなかった。

これが「二度とおめぇの顔なんか見たくねぇよ」という言葉の日本語訳だというのは、男にはなかなか飲み込める言葉ではなかったからである。

桃井かおりは武田鉄矢と結婚できたか

あの映画に感激した人が、もし10年後、20年後に振り返ったら、あの二人は結婚できただろうか、その生活は長続きできただろうかという疑問に突き当たるだろう。

その問題は俗物である武田鉄矢にあるのではなく、本質的に人間的自立を求める桃井かおりの側にあるのだ。

幸せとは何なのか、ある意味でその答えをもらってしまった桃井かおりに、武田鉄矢との生活に共感はできないはずだ。なぜなら幸せについてのもっとも俗物的な理解について共感することはできなくなってしまったからだ。

その時子どもができてしまっているかどうかは決定的な問題だ。ここではできてしまったときのシチェーションを可能な限り統計的に後追いしてみる。

多分札幌にまともな仕事はないから職と給料をもとめて武田鉄矢は内地へと戻っていく。

札幌に残った桃井かおりには安定的な職はない。頼るべき身よりもないからたちまち貧困の底へと突き落とされる。仕送りはだんだん減り、間隔は遠くなり、やがて途絶える。

そこへ炭鉱閉山で離職した健さん夫婦が流れ込み、桃井かおりは健さんたちと共同生活を送るようになる。桃井かおりの同輩はそんな身よりもないから、「夜の街」で稼ぐか生保を取るか、たいていはその両方を選択して生きていくことになる。

桃井かおりはそんな女友達のために一肌脱ぐようになり、やがてNGOの代表として働くようになる。

給料のピンハネ、勝手な理由をつけた首切り、パワハラにセクハラ、生保課の保護打切りのおどし、子どもへのいじめと不登校、非行グループへの参加…

地獄への行進曲だ。しかしそこには助け合う組織があり、相互の堅い信頼があり、未来への確信がある。

幸福の黄色いハンカチ、第二部を

幸福の黄色いハンカチの第二部は作られなければならない。それは桃井かおりのその後の生き様を描く映画でなくてはならない。

黄色いハンカチはもう一度、多分札幌の空のどこかに掲げられなければならない。

山田監督、生きているうちによろしくおねがいします。