「人間の安全保障」と日本


外務省の外郭団体の機関誌に載せられた文章なので、若干内輪ぼめも入っているが、要領よくまとめられていると思う。

「人間の安全保障」(以下人間安保)の概念は、日本外交における重要政策として定着している。

人間安保は世界で認められ国連の基本理念の一つともなっている。


1.人間安保が打ち出された背景

人間安保が初めて提起されたのは1994年で、冷戦構造の崩壊がさまざまな地域紛争の契機となる不安定な時期だった。

貧困・感染症、地球温暖化問題など地球規模問題群の存在が顕在化し、それらをバックグラウンドに大量難民の発生、テロ・過激主義が生み出された。

国連は、危機にさらされているのは「人間それ自身」であり、国家中心の安全保障観では対処できないと判断した。

そして「人間への脅威」を取り除くことを、安全保障の新たな理念として提起した。


2.ルーズベルトの「四つの自由」が骨格

具体的作業を委ねられたのは二人の経済学者マブーブル・ウル・ハクとアマルティア・センであった。

ハクはパキスタン出身で国連発展計画の特別顧問、センはノーベル賞を受賞したことで有名である。

二人はF・ルーズベルトが1941年に発表した「四つの自由」を手がかりとして構想を展開した。

「四つの自由」は国連の理念の基礎を成しているだけではなく、日本国憲法前文の原理念のひとつともなっている。


そして、「欠乏からの自由」(Freedom from Want)と「恐怖からの自由」(Freedom from Fear)を統合的に捉えなおし、新たな安全保障の理念として提示した。

先進諸国においては共通の価値として「自由」「民主主義」「法の支配」「基本的人権」の四つが指摘されている。

「人間の安全保障」は、その一つである「自由」を安全保障の観点から解釈発展させたものと考えられる。


3.「人間安保論」と国際社会

国連で案を取りまとめたセンらは、以下のように規定している。
人間安保とは、人間の生存(Survival)、尊厳(Dignity)、生活(Livelihood)のために必要な諸条件を満たすことであり、
人間の生(Vital Core)にとってのあらゆる脅威を除去する取り組みである。(緒方・セン報告書)

見ればわかるように、前段と後段は明らかにニュアンスが異なる。このため、とくに後段をめぐって議論がかわされた。

先進国からは、すでに基本的人権の概念が定着しており不必要と批判された。

一方、途上国からは、「保護」を盾に国際社会の介入が正当化されるのではと警戒された。当時はユーゴスラビア内戦などで「人道的介入」が許容される雰囲気が強まっていたからである。

こうして議論は難航したが、安全保障観を根本的に変更するというのはなく、国家の安全保障とは別に人間安保の考えを打ち立てることの必要性と有用性を共通認識とすることで、コンセンサスを得ることになった。

また、後段については「人間の安全保障無くして、国家の安全保障は無い」という認識を共有するにとどめることとし、今後の具体的展開にかけることとなった。


4.議論を牽引した日本とカナダ

こうして議論は挫折・流産の危機に瀕したが、議論を牽引する役割を果たしたのが日本とカナダであった。

カナダは外交政策の一環として人間安保を採用した。そして対人地雷全面禁止条約、国際刑事裁判所の創設などでイニシアチブを発揮した。

いわば人間安保の実質的内容を具体的に示すことによって、国際社会の説得に成功した。

日本は1998年、当時の小渕首相のもとで人間安保を外交政策に取り入れ、二国間ODAや国連を舞台にこの概念の重要性を推進した。いわば人間安保キャンペーンのパトロン役を買って出た。

この人間安保の考えはその後も歴代総理によって尊重され、日本の外交方針の柱の一つとなっている。


5.国際概念としての人間安保の確立

2000年の国連ミレニアムサミットは、人間安保の中心概念である「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」の2つの自由を、国連として取り組むべき優先課題として明示した。

今後の課題としては

① 人間安保を「国家の安全保障」「国際社会の安全保障」の中核に位置づける努力。
これによりグローバル化した世界における「新たな安全保障論」の起点として期待される。

② 人間安保を国内政治にも適用し、ガバナンスや国家統治システムの議論にも応用していく可能性が示唆される。

③ またセンらの議論の後半部分、「人間の生にとってのあらゆる脅威を除去する」取り組みについても、コンセンサスの形成がもとめられていくことになるであろう。