コロナショック、それとどう闘うか

1.社会防衛システムの脆弱化との複合

新型コロナはきわめて異例なスタイルでアウトブレイクし、パンデミックに至った。

それ自体はいずれ様々な分析がなされるだろう。

同じコロナウィルスによる感染であったが、武漢を発火点として東アジアに広がった第一次流行は比較的一旦収束の兆しを見せたが、イタリアで始まった第二次流行は凄まじく、あたかも100年前のスペイン風邪を彷彿とさせる拡大ぶりを示した。

“いわゆる文明先進国” に進出した新型コロナウィルスは、毒力・感染力ともに、武漢出発当初とは比較にならないほど強力になったかのように見えた。

しかし統計を詳細に分析してみると、公衆衛生的、社会医学的分析の示したものは、ウィルスの強さではなく、生活習慣の問題でもなく、社会防衛体制の脆弱さだった。それは、この間の緊縮財政による社会保障制度の改悪と医療供給体制の骨抜きがもたらしたものであった。

言い換えれば社会システムの足元が脆弱化していたことが、アウトブレイクの主要な理由であった。かつての欧米先進国は、すでに支配層の手によって「後進国化」していた。そのことがコロナによって暴露されたことになる。

次いで流行の主舞台となった米国においては、とくに貧困層の環境衛生、労働者の無権利状態、無保険状況が砂漠のように広がっており、その必然的な残酷な反映であった。

かくのごとくして、コロナ大流行は、国民の医療を受ける権利、ひいては生きる権利が毀損されている現状こそが最大の問題であることが明確になった。


2.生活インフラが崩壊するという特殊性

人々が社会の一員となって生きていくためには、生産活動と生活(消費)活動が必要である。生産活動のためには水道・電気、土木・建設、交通・運輸、通信などの生産インフラが必須だ。

一方生活インフラとしては、教育・学習、医療・保健、安全・保清、文化・スポーツなどのシステムがあげられる。

生活インフラの多くは、「対人サービス」として提供される。いわば人材集約型インフラである。それは社会が豊かとなり消費が多様化するにつれて、多種多彩となる。

こうして社会の生産力が高まるにつれて、ますます多くの労働人口が生活インフラ(いわゆる第三次産業)に関わるようになる。

このシステムは生きた、労働と消費が同時進行する “生身のシステム” なので、一定期間以上休むことができない。作り置きが利かないのである。

たとえ部分的に補償されたとしても、被害が長引けばそれは腐朽化し干からびて、最後は倒壊することになる。

コロナ危機の特徴は、それが生活インフラ崩壊と需要減退との複合危機だという点にある。だから内包する深刻さはリーマンショックや大恐慌とは異次元のものになる。


3.コロナ・ショックはリーマン後10年の集大成

コロナ・ショックはリーマン・ショック(欧州ソブリン危機をふくめ)以来の10年間の集大成となるだろう。

リーマン・ショック以来の経済・金融政策は金融崩壊の危機から世界を救った。しかし問題を解決したわけではなく先送りしただけだった。

大量に発行された通貨はすべて富裕層の手に落ち、新興国から強引に回収された富も富裕層のものとなった。それは貧富の格差を一層強めた。

同じような傾向はすでにコロナショックでも出現している。欧米では企業補償・支援として給付された資金が株主還元、あるいは自社株買いに回される事例が頻発している。

この間に起きた出来事は、ひとくるみにすればモラルハザードの進行と、金融操作の行き詰まり、ドルをもふくめた通貨の不安定化だ。

民衆は失業と国家からの排除により、国のうちにあってもディアスポラ化し、喪失感と不安定さと過激さを増している。


4.まず必要なのはコロナとたたかう「戦費」の調達

すでに多くの国で開始されているが、医療の維持、補給線の維持、就業支援、休業補償などは籠城戦を目的とする出資だ。生産・雇用維持には高い効率をもたらすが、経済復興の投資枠には括れない。

これは戦線を維持するための費用であり、どんどん消えていく金だ。これで直接景気の改善が見込めるわけではない。戦費に経済効率を云々しても始まらない。経済産業省の役人が出る幕ではない。

このような資金を手当するには「戦時公債」型の資金調達しかない。

韓国では「これは安全保障費の一部なのだから防衛予算の組み換えで原資を捻出せよ」という意見がある。構えとしてはそういうことだ。


5.金融安定化政策

これで戦線後退を避けながら、中期的な経済再建に臨むことになる。その際重要なのは現金(真水)の潤沢な供給で、これは欧州通貨危機でも試され済みだ。

今回は10年前の苦い経験を踏まえ、ECB、FRB、IMFが揃って機動的出動の構えを見せている。

新興国の債務との関係で一番前面に出るのがIMFであるが、伝家の宝刀のSDR引き出し権をどこまで拡大できるかは、米国の出方にも関わってくる。

これは正念場であり、トランプの介入を許さずにG20とFRB、IMFの連携がいかに大胆に進められるかが鍵を握っていると思う。


6.WHOへのトランプの介入を跳ね返す

WHOなしにコロナとたたかうのはレーダーなしに航海するのに等しい。専門機関の助言と国際間の協力がなければコロナ危機の克服は不可能である。ブーメランが繰り返されるのみだ。

このことはとくにアフリカなどの国々において明らかである。南アフリカではコロナ流行の只中に鉱山操業を再開したとのニュースを聞いた。生活が立ち行かなくなったからだという。実に暗然たる気持ちにさせられる。

トランプは知性の欠片も感じられない罵りと、常軌を逸した介入を繰り返している。目障り極まりない。しかしこういう危機にはこういう人物がお定まりのごとく登場するのであり、それもふくめて我々は乗り越えていかなければならない。

繰り返す。WHOを始めとする国際諸機関の活動を断固として支持し、国際協力を深めていかなければならない。そのことを通じてWHO分担金拒否がいかに犯罪的なのかを暴露し、抗議を集中させていかなければならないと思う。


7.共通の敵には共通した闘いを

コロナは国境や人種を超えた人類共通の敵である。短期には各国別の取り組みになるのもやむを得ないが、この闘いはかならず中長期のものになる。

どこの国が悪いとか誰の責任だと言っていても始まらない。対岸の火事と思っていれば必ずしっぺ返しに合う。ののしりやあなどりは自らの「科学的文盲」の証にほかならない。

各国が連帯し協調して取り組まなければならない。国連や国際諸機関(WHOやUNICEF、UNESCO、UNEP)に結集して取り組まなければならない。

その際は、経済原則とは別にもう一つの価値観として、「人間の安全保障」という価値を打ち立てておく必要があるだろう。(日本がその提唱国であることを念頭に置く必要がある)

世界のすべての人が安全にならない限り、私たちは安全に暮らせるようにはならないのだ、ということを肝に銘じておく必要がある。