竹之下芳也 『エンゲルスの唯物論・自然弁証法は時代遅れだ』
というまことに挑発的な論文があって、正直のところ面白い。

少し、つまみ食いしてみる。

1.序論 自然哲学の歴史

ケプラー、ガリレオ、ニュートンの評価がほとんどされていない。三者を通じた認識の進化を分析した武谷光男の3段階論も視界の外である。

エンゲルスはニュートンの「力」を誤解していた。ニュートンのいう「力:force」は、質量掛ける加速度として定義されたものであって、常識の社会で使う「力」とは異なる。

ニュートンは、運動には根拠・原因があることを示した。物質はそれ自身で運動しているわけではなく、外から力を加えられない限り運動しないことを示した。

現代の唯物論の運動論は、古代ギリシヤそのままで、誠に時代遅れである。

ここまで読んで、もうやめようと思ったが、もう少し続ける。

しかしエンゲルスは、ニュートンのエネルギー論については最大級の評価をしている。

それは良いのだが、エンゲルスのエネルギー論理解には多くの欠点がある(詳細は略)

2.質量転化の法則について

エンゲルスは運動とエネルギーの違いを理解していない。
しかし化学物質についての「量質転化の法則」の議論は今日でも肯定されるべきだ。

この辺では、竹内氏はほとんど「泥酔」状態だ。

3.運動の基本的諸形態

(イ)運動は、物質の内蔵する属性か

ここでは再び「物質はそれ自身で運動しているわけではない」というニュートンの主張が繰り返される。

つまりニュートンからエンゲルスの議論を導き出すことは出来ないと主張しているようだ。それは正しい。なぜならニュートンは不十分だからだ。

(ロ)運動は牽引と反発とからなる

これらの議論は、ニュートンの力学を否定するものである。万有引力は引力のみであって、反発力は定義されていない。
このような議論が、この21世紀の今日まで通用しているとは驚きであるというか恥ずべきことである。
あぁ聞いていて恥ずかしくなる。

もうやめた。
この人はニュートンを金科玉条とし、エンゲルスがこの近代科学に対して忠実でないと怒っているようだが、ニュートン力学が近代・現代科学に対してどういう位置にあるのかを考えていない。

要するにエンゲルスを批判するにあたっての、自らの立ち位置が、とんと不分明なのである。

題名にあげた「エンゲルスの自然弁証法は時代遅れか?」という問題意識だけなら、私も共有したいのだが、このひとの問題意識には現代物理学の知識が欠如していて、まったく説得力がない。
読んでいる私が恥ずかしいくらいだから、撤回するようおすすめする。


エンゲルスが時代遅れだということは誰が考えたって分かる話だ。
おそらくエンゲルスが19世紀末に書き溜めたノオトなのだろうと思う。それが1930年ころに発見されて世界に広がった。つまり書いてから40年後の話だ。時代遅れに決まっている。
肝心なことはそれを承知の上で若き科学者が感動したということにある。エンゲルスの自然弁証法が武谷の三段階論や坂田の理論、さらに益川のクオーク理論まで生み出したことに注目すべきなのである。
それに感動しつつ、エンゲルスの歴史的限界を指摘しようというのが我々の問題意識だ。そこが共感できない人が議論に参加しても、それは場外乱闘を招くに過ぎない。
議論を生産的なものとしようと考えるならば、最低でも、戦前の唯研での客観的唯物論論争は議論の土台にしてほしい。