前の記事でエジンバラ大学が「新哲学」としてニュートン理論を導入し、その影響を受けたスチュアートが「経済学言論」を書いたとあった。

どうもこの辺の経緯がよく分からなくて、ネットをあたってみた。

とりあえず西脇 与作さんのブログに「微積分の背後へ」という記事があった。読んでみたが、ちんぷんかんぷん。とりあえずゴシップ記事的にまとめておく。

ことのはじめはニュートンの秘蔵っ子学者マクローリンがエジンバラ大学に赴任したことにある。

マクローリンは大学の改革を試み、その土台にニュートン理論をすえた。そしてこれを「新哲学」と呼んだ。

バークリのニュートン批判

1734年、これにバークリが噛み付いた。それが『解析家-不誠実な数学者へ向けての論説』(The Analyst: or a Discourse Addressed to an Infidel Mathematician)という論文である。

不誠実な数学者と名指されているのはニュートンその人である。

バークリはどこに噛み付いたか。

ニュートンの微分積分学の基礎には「無限小」といいう概念がある。

ニュートンはこの概念を用いてライプニッツ派(大陸派)と微積分のプライオリティを争っていた。

バークリは「無限小」=ゼロは、帰納的には証明できないと主張した。それは存在論的な誤解にもとづく論理的な誤謬なのだとし、彼岸性を主張した。

バークリは形而上学が数学の限界を定め、それが内包する哲学的問題を明らかにすると述べた。微分積分学は論理的に緻密でなく重大な難点がある。

「それを放置しておいて、教会の教えの非合理性ばかりを批判することができるか」という言い分だった。この男がずるいのは、いつもドローに持ち込めれば勝ちという作戦をとることだ。不可知論者の真骨頂だ。

無限小と無とゼロ

無限大・∞という概念があるのだから「無限小」もあってよい。それはゼロと同じだがゼロとは違う。

バークリの批判は、存在論的なものと論理的なものとの二つに分けることができる。

存在を極限あるいは無限小に帰することは正当化できない。それに相当するものは何も存在しない。

論理的な観点からいえば、「無限」の比較が行われていることである。

また、バークリは物体の存在なしに空間を考えることはできないとして、ニュートンの絶対空間の存在を否定した。

マクローリンとエジンバラ大学

18世紀スコットランドは自然科学の黄金時代だった。

1717年、エディンバラ大学の卒業生たちによって伝説的なランケニアン・クラブが結成された。そこではもっぱら哲学的、宗教的問題が議論された。

ランケニアンという名は、クラブの会合が行われた居酒屋の主人の名前からきている。

その後、人々や医学者たちは正式に哲学協会を発足させる。マクローリンはその中心人物であった。

ランケニアン・クラブにはじまるスコットランド哲学の形成は、クラークの自然神学や、これに対するバークリの批判を検討することから始まった。

マクローリンは無限小は証明を簡略化するためにだけ使用されたと主張した。さらにマクローリンは、極限によるニュートンの証明が「アルキメデスの方法」(帰謬法)の一般化だったとする。

後は面倒なので省略。