19世紀 ロシア文学 年表(文章が長い「年表」です)

2015年12月16日 
と合わせながら読んでください。

1820年 プーシキン、長編詩『ルスラーンとリュドミーラ』を発表。

1824年 プーシキン、当局に睨まれ、北ロシアの故郷に送られる。この時期に『ボリス・ゴドゥノフ』を執筆する。

1825年 貴族の若手将校たちがペテルブルクで武装蜂起。12月に発生したために「デカブリストの乱」と呼ばれる。

1831年 プーシキンに長女マリアが生まれる。後に「アンナ・カレーニナ」のモデルとなる。

1833年 プーシキン『エフゲニー・オネーギン』

1825年から書き継がれ、8年で完成する。

遊び疲れたオネーギンが田舎の領地に隠棲する。地方貴族ラーリン家の娘タチヤーナは、オネーギンに恋し、思いを打ち明けるがあしらわれる。
オネーギンは友人の許嫁にちょっかいを出し、決闘で殺してしまう。田舎にもいられなくなり、モスクワに戻る。
一方タチヤーナも結婚して公爵夫人となりモスクワに出る。二人は再会し、今度はオネーギンが恋に落ちるが、タチヤーナはこれを拒み離れていく。

1834年 プーシキン『スペードの女王』

こちらは寓話の短編。舞台はペテルブルク。

臆病な賭け好きの青年ゲルマンが、友人の祖母アンナ・フェドトブナ伯爵夫人を知り、その屋敷を襲う。
彼女は必勝の手を知っており、過去に大勝したことがある。その秘密を教えろと銃で脅迫したところ彼女は死んでしまった。
何日かあとにゲルマンの枕元にアンナの亡霊が立った。そして3-7-1の必勝番号を告げた。
彼は1回目に3,二回目に7で勝ったが、3回目に1の札を引いたら、それがスペードの女王に早変わりし、その女王がゲルマンに微笑みかけた。その瞬間にゲルマンは発狂してしまった。

というわけで、話はほとんど「罪と罰」に重なっている。

1836年 ゴーゴリ『検察官』

ある地方都市。ペテルブルグから検察官がやってくるとの話が持ち上がる。実は査察官らしき人物の正体は貧乏な小役人なのだが、田舎者の無知につけ込んでシコタマ騙し取る。

この偽査察官も田舎の腐敗役人の裏返しに過ぎないから、ユーモアはジャリッと砂混じりだ。

ゴーゴリはウクライナ人でプーシキンの薫陶を受けた。プーシキンが漱石ならゴーゴリは芥川に当たる。超一流の皮肉屋だが、思索家としては復古派にとどまる。

技法と多彩さにおいて追随を許さない。 ドストエフスキーは「私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた」という。

1837年 プーシキン、決闘に敗れ死亡。彼は決闘マニアだった。


1840年 レールモントフ『現代の英雄』

カフカス勤務のロシア軍将校、ペチョーリンの物語。貴族の出で高い教育を受けたがオネーギンと同じくシニカルで虚無的だ。
しかもなお悪いことに人を残酷な実験や快楽のための材料とみなしている。

レールモントフはデカブリスト敗北後の反動的社会状況に抗議していたと言う。
プーシキンと同じく決闘で死んだが、この作品により、プーシキンと並ぶ近代ロシア文学の創始者とみなされている。


1842年 ゴーゴリ『外套』

ドストエフスキーは「私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた」と書いた。

貧しい小官吏のアカーキー・アカーキエヴィッチが一大決心をして外套を誂える。外套は彼の生涯の夢になる。
しかし外套ができあがった最初の夜、その外套はペテルブルクの暗闇で剥ぎとられてしまい、アカーキー・アカーキエヴィッチは悲嘆のあまりに死んでしまう。
その後彼の幽霊が出始める。幽霊は嫌味な上司の外套を剥ぎとってしまう。


1840年代 評論家ベリンスキーが「批判的リアリズム」を唱える。

1852年 ゲルツェン『過去と思索』

亡命先のロンドンで自伝の執筆を開始。デカブリストの衣鉢を継ぐビルドゥングス・ロマンとしても面白く、ベストセラーとなる。

1857年 ゲルツェン、雑誌『鐘』を発行。「ブ・ナロード」を提唱し、「革命的民主主義」の先駆的思想家となる。マルクスとは疎遠なままに終わる。

1850年代 ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイらがあいついで文壇に登場。社会問題への関心とヒューマニズムで共通する。

1862年 ツルゲーネフ『父と子』

登場人物の一覧を見るだけで、「絶対に読むものか」と決意を抱かせる小説。読み終わっても登場人物の名が思い出せない。海馬が強烈な拒否反応、ツルゲーネフと聞いただけで総毛立つ思いがする。

1860年代 チェルヌィシェフスキー

1863年 トルストイ『戦争と平和』

全四巻からなる大作である。6年にわたり書き継がれた。
基本的には歴史小説だが、平和=恋愛の場面と戦争=ナポレオンの侵略とが組み合わさり、波瀾万丈の物語となっている。

1866年 チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』

ベリンスキーの社会批評を発展させ、革命的民主主義を提唱。

1866年 ドストエフスキー『罪と罰』

学生崩れの若者が、ナポレオンと自分を比較し、良い企図はあらゆる犯罪を正当化し得ると考える。
彼は金貸しの老婆を殺し金を奪うが、煩悶のあまり警察に自首する。
ドストエフスキーは40年代から活動開始。シベリア流刑となり、戻ったあと本格的な著作活動を開始。

1869年 ドストエフスキー『白痴』

1872年 ドストエフスキー『悪霊』

1873年 トルストイ『アンナ・カレーニナ』

『戦争と平和』についで書かれ、完成に4年を要した。愛と死をめぐる悲劇の物語。

1879年 ラヴロフら『前進』を発刊。これをもとに「人民の意志」を結成。

1880年 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

「正教の神髄を代弁した者」と評される。

父フョードル。強欲で好色な成り上がりの地主。前妻との間に長男のドミートリイ。
後妻は次男のイヴァンと三男のアレクセイを生んだあと死亡。
長男ドミートリイ。野生的な魅力をもつ。堕落した生活を送り、婚約者カチェリーナから借金を背負う。にもかかわらず近所に住む妖婦グルーシェンカを父と争う。
次男イヴァン。理科大を出たインテリで無神論者。兄の婚約者を愛している。
三男アレクセイ。中学校を中退して修道院に身を預けた修道僧。神の愛によって肉親を和解させようとする。
父+三兄弟を軸に入り組んだ人間関係と妬みや憎しみなどネガティブな感情が渦巻く。

1881年 「人民の意志」活動家がアレクサンドル2世を暗殺。

1890年代 チェーホフ『短編小説』

我々にはむしろ劇作家として馴染みが深い。『かもめ』(96年)、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』(01年)、『桜の園』(04年)などが知られている。

1902年 ゴーリキー『どん底』(戯曲)


1907年 ゴーリキー『母』(長編小説)