李成市(り・そんしと読む。早稲田大学文学学術院)

李さんはなかなか慎重な人で、簡単に尻尾を掴まれるようなものの言い方はしない。あくまでもその専門分野でのエキスパートとして、その矩は越えないように努力してるようだ。
それでも十分にその説は魅力的である、


1. 東アジア世界論における漢字の伝播と受容

西嶋定生は、漢字を媒介に、中国に起源する儒教、漢訳仏教、律令を受容した地域を「東アジア文化圏」と名づけた。

西嶋によれば、東アジアは政治的には「冊封体制」としてシステム化された。この二本柱によって「東アジア世界」が形成された。

しかしながらこの論理は成り立ち得ない。いかにその理由を述べる。

2.東アジア文化圏における例外としての新羅

6世紀以降の新羅は漢字を受容していた。それは中国の冊封を受ける以前からであった。これは「東アジア政治システム」からでは説明できない。

さらに言えば、新羅は純粋な漢文(正格漢文)ではなく「変体漢文」とよばれる新羅的な様式を用いていた。

それは新羅言葉を文字として表現するために、漢字を用いる試みである。それは漢字文化であっても、漢文文化ではない。

このような傾向は法制、儒教、仏教の受容にも同じように見られる。

3.韓国と日本の木簡

現在日本の木簡は、37 万点の出土がある。
中国で木簡が大量に使用されたのは秦漢時代である。日本で使われ始めたのが7世紀なかば、大化の改新ころからなので、長い間隔がある。

最近韓国での木簡出土が増えており、その内容が日本のそれと酷似していることが分かってきた。このため日本木簡の源流を韓国に求めるようになってきた。

問題は、このような類縁関係を生み出した要因である。

百済・新羅木簡の出現は、日本木簡に比べ1世紀ほど先行している。この文字化の流れがどこからどこへ流れているかは、おのずから明らかであろう。