この独ソ戦年表は「ヘイトの衝突としての東部戦線」(20年2月21日)から独立させたものです。


スターリンの大粛清: 1936年から1938年までのあいだに、134万人が政治的理由で逮捕された。そしてそのうち68万人が処刑された。
1940年

12月 ドイツ陸軍参謀部、ソ連侵攻作戦「オットー計画」を提示。ヒトラーは計画を了解した上で、「レニングラードとウクライナの占領を第一目標とする」よう指示。これを受けて「バルバロッサ作戦」の策定が開始される。


1941年

6月22日
3時15分 ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃。西部戦線とは別の戦争、劣等民族の「絶滅戦争」と位置づけ、「敵軍事力の殲滅」を狙う。

北方軍集団ではレニングラードを包囲、中央軍集団は白ロシアのソ連軍を殲滅したあと、開戦1ヶ月でスモレンスクを占領する。これに対し、南方軍集団は進撃が遅れる傾向があった。
地図 開戦時

7月 開戦後1ヶ月でソ連軍は壊滅的被害。戦車約3500両、航空機約6000機、兵士約200万人が戦闘不能になる。ミンスク-スモレンスクを守る西部方面軍は壊滅する。ドイツ軍も相当の出血を強いられ、前線は停滞する。

8月 スモレンスクを陥落させた中央軍集団の主力部隊は南方軍集団の支援に回る。

ヒトラーは中央軍を北方と南方へと転進するよう命じ、モスクワ攻略を遅らせた。
モスクワ攻撃を最優先しない(=ドイツの生活圏確保を優先)という戦略に関しては、ヒトラーと軍トップの意見は一致していた。(山崎雅弘:モスクワ攻防戦ードイツ軍敗北の真因)

8月末 キエフ、ハリコフなどが陥落。この間にソ連軍捕虜は白ロシアで28万、スモレンスクで31万、キエフで66万人に達し、戦傷死を合わせて200万人が戦闘不能となる。

9月 ドイツ軍77個師団がタイフーン作戦を開始。モスクワ攻略に乗り出す。しかし作戦を担う中央軍は戦力分割により手薄となっていた。

モスクワ包囲


10月 ドイツ軍、クレムリンまであと十数キロのところで進撃が止まる。原因としては①ソ連が予備役を動員し戦意を維持したこと、②戦線拡大にも関わらず、輸送手段が劣悪であったこと、③ソ連の焦土作戦で装備の現地調達が困難となったこと、が挙げられる。

11月 ルーズベルト大統領、モスクワが陥落の危機を脱したと判断。ソ連に対する武器・物資援助(レンドリース法適用)に踏み切る。

12月6日 ソ連軍、モスクワで冬季大反攻を開始。ソ連軍は満州やシベリア地区の精鋭部隊をモスクワ周辺に投入。冬季装備の不足したドイツ軍はいったん敗走するが、辛うじて戦線崩壊を回避する。

12月8日 真珠湾攻撃。アメリカは直ちに対独参戦。ヒットラーは、アメリカを支配するユダヤ財閥が、ソ連を操るユダヤ人秘密結社と結託したと判断。ユダヤ人問題の『最終的解決』を命じる。


1942年 

2月 ソ連軍の冬季大反攻が終了。持久戦に移行する。ここまででドイツ軍の死者は20万人に達する。

冬 レニングラードの包囲が続き、多くの市民が飢餓で死亡する。

6月 ドイツ軍のブラウ(青)作戦が発動される。南部戦線にてコーカサス地方の石油資源獲得を目的とする。ソ連軍は戦略的撤退で戦力を温存。スターリングラードの線で戦力を再編成。

ブラウ作戦


8月 ブラウ作戦に参加した第6軍がB軍集団を形成。油田確保を目指すA軍集団と分離しスターリングラードを攻撃。テヘラン回廊の寸断を図る。

攻撃は絨毯爆撃から始まった。出撃回数1600回、使用爆弾1000トンで市街地は廃墟と化した。ソ連軍は待ち伏せと狙撃で「ネズミ戦争」を挑んだ。このためドイツ軍は砲撃や空爆が不可能となった。

11月 ソ連軍、占領されたスターリングラードの奪還を目指す。百万の歩兵と1千台の戦車がドイツ軍の補給路を切断。ドイツ軍第6軍33万の将兵は市内に孤立する。ヒトラーは第6軍の突破撤退を禁止し、死守命令を出す。

1943年

2月1日 スターリングラードを守備するドイツB軍10万人が投降。ほとんどがシベリアに送られ、祖国に帰還できたのは5000人にとどまった。ソ連軍の死者は50万人、民間人の犠牲者は20万人に達する。

2月 コーカサスで進軍が止まっていたA軍集団は、かろうじて撤退に成功。ブラウ作戦は完全な失敗に終わる。

このあとテヘラン回廊を通じて、ソ連に大量の軍事物資が届き始める。

2月下旬 ドイツ軍、進撃するソ連軍をハリコフで逆包囲し、殲滅する。

7月 ドイツ軍90万人が「城塞作戦」を開始。クルスク突出部を南北から挟撃する。ソ連のT34との戦車戦となるが、10日後にドイツ軍は撤退。これを機に攻守が逆転する。
クルスク
             地図 クルスク戦の配置

7月 連合軍がシチリアへ上陸。ムソリーニは解任・逮捕される。

8月 ハリコフ攻防戦が展開される。ドイツ軍はT34戦車軍と対抗するが後方支援なく、撤退に追い込まれる。

9月 ソ連軍の冬季攻勢が開始される。ハリコフ・キエフが奪還される。ドイツ軍はドニエプル河の西側まで撤退。

1944年

1月 レニングラード解放。約900日間の包囲が終了する。

6月22日 ソ連軍がバグラチオン作戦を発動。陸空一体の電撃戦を展開。圧倒的な物量・戦力差は個別に撃破され、中央軍集団は事実上壊滅する。

1945年

1月 ソ連軍がヴィスワ=オーデル攻勢。ポーランドを横断し、ドイツ国境を越える。

4月16日 ジューコフ元帥のベルリン総攻撃が開始される。

5月8日 ドイツ国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥がベルリンで無条件降伏文書の批准。