はじめに

3月7日に「泊原発を再稼働させない連絡会」の講演会があって、元福井地裁の裁判長の樋口英明さんがお話をされることになっている。

2014年5月、福井地裁で大飯原発運転差し止めの判決が出された。ついで2015年04月、福井地裁で高浜原発運転差し止めの判決が出された。

これらは今日各地で出されている、原発差し止め判決の雛形ともなっているものであり、今一度確認しておくべきであろう。

樋口さんは、この2つの判決を出された方である。演題はずばり「私が大飯原発を止めた理由」となっている。聞かない理由はないだろう。

ただし話は法理論も入ってきて多少むずかしいと思う。少し私なりに勉強した中身を紹介しておきたい。

Ⅰ.判決に至る経過

こういう下世話な話は素人にもわかりやすい。それとこの判決の意味が逆に証明されたことにもなるので、分かる範囲で紹介しておきたい。

樋口英明氏は当時62歳。福井地裁の裁判長を勤めていた。まず2014年に大飯原発の稼働を差し止めている。この判決は名古屋高裁(金沢支部)であっという間にひっくり返された。

高浜差し止め判決については相当の悶着があった。3月になって、関電側は学者や専門機関による意見書の提出を要求、判決の引き伸ばしを図った。

樋口裁判長はこれを認めなかった。すると関電側はその場で裁判官の交代を求める「忌避」を申し立てた。

このような忌避が認められるわけはないが、名古屋高裁でそれが棄却されるまで、一時的に裁判は中断となる。

ところがその間に4月になり、樋口氏は「定期異動」という名目で、名古屋家裁への転勤を命じられた。

樋口氏の後任裁判長は同じ15年の12月に高浜の差し止め仮処分をあっさりと覆した。判決そのものも18年7月に高裁で覆されている。

「グル」だと断定はしないが、相当いやらしい人事である。しかも福井地家裁から名古屋家裁・簡裁といういわば左遷人事である。ただしこの案件が継続審理だったために、旧ポストで仮処分決定を出すことには成功した。

樋口氏はこの職を最後に定年退職となった。



実は不勉強で、14年の大飯原発訴訟と15年の高浜原発訴訟の2つがあることを知らなかった。
したがってその2つの判決の違いもよく分かっていない。両方とも樋口さんの作成したものである。

最初の大飯原発判決は、「人格権」という考えから訴訟の妥当性を導き出し、「万が一」の論理から裁判による差し止めの妥当性を導き出す。

いわば2階建ての論立てになっているが、詰まるところは裁判所の判断権原が司法の責務に由来していることの論証である。

① 人格権の枠組み

人格権は生存を基礎としているから、すべての法分野において、最高の価値を持っている。
人格権は憲法13条と25条に規定された権利である。
それは裁判においても依拠すべき解釈上の指針である。
生存に関わる人格権侵害のおそれがある際は、執行の差止めを請求できる。
また、多数の人格権を同時に侵害する恐れがあるときは、なおさらである。

② 「万が一」の論理

原発に求められるべき信頼性はきわめて高度なものでなければならない。

大きな自然災害や戦争以外で、憲法の人格権がきわめて広範に奪われる可能性は、原発事故のほかは想定しがたい。

かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である。

③ 裁判所の判断権原

①と②からして、原発の安全性判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい。

原発の安全性基準があっても、その事項については裁判所の判断が及ぶ。

原子力規制委員会は新規制基準への「適合性」の審査を行うが、「安全性」については、裁判所の判断が別個に及ぶべきだからである。



大飯原発から1年経って、こんどは高浜に関して同じような訴訟があった。

高浜判決については、少し詳しく勉強した。おそらく判決も大飯から1年経ってさらに踏み込んでいるのであろうと思われる。

判決内容は耐震性評価、使用済み核燃料の保管に関して具体的に踏み込んで問題を指摘している。

念頭に置いているのは明らかに原子力規制委員会の安全性評価である。そこには「規律ある操業」を目標とする委員会への強い批判の声が聞かれる。

1. 基準値震動について

「基準地震動」は当該原発に想定できる最大の地震動である。それを超えれば炉心損傷に至る危険をも含む。

「基準地震動」は計算で出た一番大きな揺れの値ではないし、観測そのものが間違っていることもある。基準地震動を策定する合理的根拠は見い出し難い。

実際には「基準値振動」は何度も越えられている。原発の所在地は20ヶ所たらずだが、この10年足らずのあいだに4ヶ所で「基準地震動」を超える地震があった。

高浜原発の「基準値振動」も過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析に基づいている。高浜のデータだけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

2.「基準値未満なら安全」とはいえない

高浜原発が運転を開始した時、基準地震動は370ガルであった。その後関西電力は、「安全余裕がある」との理由で550ガルに引き上げた。しかしこのとき根本的な耐震補強工事は行われていない。
さらに新規制基準が実施されたのを機に、700ガルにまで引き上げられた。このときも根本的な耐震補強工事は行われないままだった。

原発の耐震安全性確保の基礎となるべき「基準地震動」を、何のしかるべき対応もなしに数値だけ引き上げるということは、無責任な耐震安全性の引き上げと言わざるを得ない。それは関西電力のいう「安全設計思想」とも相容れないものである。

とはいえ、関西電力の基準地震動、700ガル以下なら安全なのだろうか。
実際には700ガルを下回る地震によっても、①外部電源が断たれ、②主給水ポンプが破損し、③主給水が断たれるおそれがある。
関西電力はこのことを自認している。

関西電力は「原発の安全設備は多重防護の考えに基いている」という。しかし、多重防護とは「堅固な第一陣が突破されたとしてもなお第二陣、第三陣が控えている」という備えを指すのである。第一陣の備え(外部電源と主給水)が貧弱なため、いきなり背水の陣となるような備えは、多重防護とは言いがたい。そのような「第一陣軽視」の考えは、多重防護の意義からはずれていると思われる。

外部電源と主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿である。外部電源と主給水は安全確保の上で不可欠な役割を担っている。これら「第一次設備」はその役割にふさわしい耐震性を求められる。それが健全な社会通念である。
しかるに、関西電力はこれらの設備を「安全上重要な設備でない」と主張している。だから「安全なのだ」ということになる。このような債務者の主張は理解に苦しむ。

このような考えのもとでは、「基準地震動」である700ガル未満の地震においても、冷却機能喪失による炉心損傷に至る危険が認められると言わざるをえない。

3. 小括

関西電力は他の原発敷地と高浜原発との地域差を強調している。しかしその地域差なるものは確たるものではない。全世界の地震の1割が我が国の国土で発生しているのであり、「日本国内に地震の空白地帯は存在しない」と考えなければならない。

その上さらに、基準地震動に満たない地震によっても、冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るのである。すなわち高浜原発の危険は、「万が一」というレベルをはるかに超える現実的な危険である。

4. 「使用済み核燃料」というもう一つの問題

使用済み核燃料は、将来、我が国の存続に関わるほどの問題である。しかしそれは堅固な施設によって閉じ込められていないのが実情である。格納容器に代わるべきものとして使用済み核燃料プールが位置づけられているが、その耐震性はBクラスにとどまっている。

なぜか? その理由は「使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要する」からである。

そこで「深刻な事故はめったに起きないだろう」という見通しのもとに、姑息的な対応で済まされている。すなわち、「国民の安全を何よりも優先」との見識は前提とされていないのである。


5. 当面、守られるべき住民の安全について

A) 安全性確保に必要な方策

原発の脆弱性を補強し安全性を確保するためには、

①基準地震動の策定基準を見直し、基準地震動を大幅に引き上げ、それに応じた根本的な耐震工事を実施する、
②外部電源と主給水の双方について、基準地震動に耐えられるように耐震性をSクラスにする、
③使用済み核燃料を堅固な施設で囲い込む、
④使用済み核燃料プールの給水設備の耐震性をSクラスにする

などの方策がとられなければならない
さらに、中央制御室へ放射性物質が及ぶ危険が予想されることから、耐震性及び放射性物質に対する防御機能が高い免震重要棟の設置が必要である。

しかるに原子力規制委員会が策定した新規制基準は、①~④について規制の対象としていない。免震重要棟については無期限の猶予期間が設けられている。かような規制方法に合理性がないことは自明である。

B) 新規制基準に求められるべき合理性 「万が一」への備え

平成4年の最高裁判決(いわゆる伊方判決)の趣旨は、まず「原発の周辺住民に重大な危害を及ぼす深刻な災害が、万が一にも起こらないようにする」ことである。そのため、「原発設備の安全性につき十分な審査を行う」ことにある。

そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもない」といえる厳格な内容を備えることである。

しかるに、新規制基準は上記のとおり、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。

そうである以上、もはや新規制基準に適合するか否かについて判断する必要はない。そこには、住民が人格権を侵害される具体的危険性が明らかである。


6. 保全(仮処分)の必要性について

高浜原発の事故によって住民は取り返しのつかない損害を被るおそれがある。したがって、本案訴訟の結論を待つ余裕はない。

すでに原子力規制委員会の設置変更許可がなされている現状では、現状を保全する(緊急の)必要性が認められる。



「万が一」論の根拠は最高裁「伊方判決」である。これは1993年の最高裁第一小法廷判決を指す。

「伊方判決」の趣旨は、原発周辺住民のに深刻な災害が万が一にも起こらないようにすること(一次予防)。そのため、原発の安全性に十分な意を尽くすこと(二次予防)にある。

判決当時にはあまり注目されていなかった部分だ。判決全文(判例倉庫)を読むと、以下の行が出てくる。

原子炉設置許可の基準として、右のように定められた趣旨は、
①原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料と して使用する装置であり、
②その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、
③原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、
A 当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、
B 周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがある
以上①~③にかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため(努力しなければならない)

これが福井地裁判決の法的根拠を形成しているのである。

ということで、結果的には原告側敗訴でったが、重要な前進があったのである。それが「万が一論」である。