3月にロシアに旅行することになって、目下勉強中である。
「戦争と平和について学ぶ旅」ということで独ソ戦について学ぶのが主要テーマである。
私にとっては、「ウソみたいな犠牲者数」を検証するための旅になりそうだ。
去年、岩波新書でずばり「独ソ戦」という本が出て、従来の疑問にスッキリと答えてくれたように思える。しかしその答えが本当に正しいかどうか、感覚として確かめてみたいという思いである。

目下のところ、私は「4分の1の正義」ということを考えている。国家・政府の支配者は独・ソともに最悪だった。国民レベルでもドイツは邪悪な精神に支配されていた。唯一ソ連の国民のみが相対的にイノセントであった。というのが私の想定である。
そこに自分の軸足を置いて世の中を俯瞰しようというのが、今回の作業の出発点だ。そうでないと何を言っても諸行無常の歴史的ニヒリズムになってしまうからだ。
とりあえず、戦記風に歴史を追っていく。

ウィキペディアによれば
独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、民間人の死者をいれると2000〜3000万人が死亡した。
これは人類史上全ての戦争・紛争の中で一国として最大の死者数である。ソ連軍の被害
大木によれば
1939年にソ連総人口は188,793,000人。
この内、戦闘員が8,668,000人ないし14,000,000人死亡。
民間人4,500,000ないし10,000,000人が軍事行動やジェノサイドにより死亡。
ほかに疫病や飢餓により死亡した民間人が8,000,000人ないし9,000,000人
となっている。
すべてを合わせたソ連の総死者は、ソ連時代は公式には20,000,000人とされてきた。ソ連崩壊後は上方修正され、現在では27,000,000人とされている。

(大木 毅 『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』2019年 岩波新書)

一方、ドイツ兵の犠牲者は390万人で、ドイツ民間人は約600〜1000万人である。

大木によれば、西部戦線や南部戦線も合わせたドイツ人犠牲者は、戦闘員が444万人ないし532万人。民間人が150万人ないし300万人とされる。

ドイツが戦争初期に捕らえたソ連兵の捕虜500万人はほとんど死亡した。
大木によれば、570万人のソ連軍捕虜のうち300万人が死亡した。

いっぽう、ドイツ兵捕虜300万人の多くは強制労働に従事させられ、およそ100万人が死亡した。大木もほぼ同様の数字を提示している。

独ソ戦の目的

独ソ戦の目的というが、ソ連側に目的などない。そもそも戦争などやる気はなかったし、戦争が始まってからもまだ夢見心地だった。

多くの人の見るところでは、バルバロッサ作戦が始まったときと、モスクワを攻めたときと、コーカサスに向かったときは、戦いの意味が違っていた、あるいは変わっていたということのようである。

目標は大きく分けて3つある。一つはソ連の軍事的壊滅であり、ひいてはスラブ民族の浄化へと進む「狂気の目標」であり、ふたつめはソ連政府を解体し、共産主義を地上から消滅させようという反共主義であり、3つ目がソ連生命線論に基づく植民地支配の構想である。

実際の戦闘においてはそれらが重層し、時々において重点を変えていたと思われる。肝心なことはこれらの三点すべてで、ヒトラー・ナチスとドイツ軍指導部は目標をともにしていたということである。そしてそのことが、最近の研究でますます明らかになりつつあるということだ。

ヒットラーは「我々は敵を生かしておくことになる戦争などしない」と言い放つ。
ドイツは東ヨーロッパ支配のための「東部総合計画」を持っていたが、この計画によれば、最終的に3千万人のロシア人・スラブ人が餓死すると見込まれていた。

東部戦線に関する地図はDNAというサイトの動画がわかりやすく、きれいだ。