の再解読

すみません、いくつかの事実が判明し、根本的な訂正が必要になりました。

* これは有名な写真の後の写真です。1枚目の写真を撮ったあとに三吾さんが帰ってきたんですね。三吾さんはよそ行きの格好をしているので、演奏会が終わって帰ってきたところではないでしょうか。
多喜二通夜3
その肩を掴んでいるのが江口渙です。鹿地亘は引っ込めばいいのに座ったままです。

ちょび髭は姉夫婦と書きましたが間違いです。これは小林本家の方です。その前の女性はその奥さんでしょう。姉は近所でも評判の美人だったようで、後の写真のうりざね顔とはまったく異なるようです。

姉夫婦は小樽にいましたから、飛行機でもなければ到底間に合いません。それに背負っていた赤ん坊は姉夫婦の子供ではなく、妹(幸田)の子でした。

妹の子が居た理由があまりにも突飛だったので、そこが思い浮かびませんでした。

ということで、文章を再アップします。

既発の有名な写真(以下写真A)と同じアングルでほぼ同時に撮られたものと考えられる。前列右端の原泉と後列左の小坂多喜子が、2枚の写真の両方に同じ位置で写っているからだ。その差は数分程度と思われる。
これまで写真Aの撮影者は「貴司山治あるいは『時事新報』のカメラマン前川」とされていたが、これで貴司山治の撮影であることが確定された。

ここはまったく正しい。

おそらくその時に小林家に到着したのが鹿地亘、千田是也らであったろうと思う。彼らは上野壮夫(小坂の夫)とともに遺体の枕元に座り、腕組みして遺体を見下ろした。そこで貴司が二度目のシャッターを押した。

これはむしろ逆の可能性がある。

貴司は鹿地亘、千田是也らと同時に小林卓に到着した。彼らが遺体を囲んでいる間に貴司はカメラを三脚にセットした。

そしてとりあえずとったのが写真Aだった。

その時三吾が帰ってきて、セキと並んで枕元に座ったのが写真Bだろう。デスマスク取りや写生はその後始まった。

それでその前の話だが、最初に来たのは寝台車である。セキと孫(多喜二の妹の子)に小林本家の旦那(おそらくその妻と)が登場していた。
その後ろをついてきたタクシーに乗っていたのは江口渙と安田医師であった。安田医師とセキの二人で死体検案を開始した。

そこに百合子・稲子らのグループが合流した。多分壺井栄、若杉鳥子も居たと思う。

検屍が終わり安田医師と百合子・稲子らのグループが退席した。

これと入れ替わりに時事新報社の車がやってきた。下帯姿の多喜二の遺体を撮影したのは時事新報のカメラマンであったろう。

ここにはふじ子が居て遺体に抱きついたり号泣したりと騒いでいる。これを見ていたのは小坂多喜子夫婦である。百合子・稲子らのグループは見ていない。

時事新報社のカメラマンは写真を撮るなり帰った。上野によればふじ子は「いつの間にか帰った」ことになっているが、時事新報社の車に同乗した可能性が高い。

そして百合子グループもふじ子と時事新報も居なくなったあと、貴司、原、鹿地、千田らがどやどやとやってきて写真を撮った、という経過である。

それで前列左端の女性であるが、タキさんの可能性は低い。セキが連絡を取らない限りタキさんは来れないが、セキにそのような暇はなかったと思われる。

そこで私の文章だが、

下記の経過表から見て(多喜二の)姉ではないかと思う。姉は絶対来ているはずだ。セキさんが背中におぶったまま築地まで行った、その孫は絶対に引き取らなければならないからだ。そのとなり性別不明の人物は姉の旦那と考えたい。

と書いた。
これがまったくの見当違いであることが、今回分かった。

それが最初に書いた文章である。

私は姉夫婦は東京に住んでいたのではないかと考えた。セキの背負っていた「孫」が誰かを説明するにはそれしかなかったからである。

しかしそれは思い込みだった。セキさんがとんでもないウルトラCをかましていたのである。

いろいろあるのだが、結局、小樽の家は住む人が居なくなって、妹が嫁に行った幸田家が引き取ることになったのである。

姉は結婚して佐藤になって家を出て、朝里に住んでいた。

幸田家は商いをやっていて、子沢山でなかなか面倒が見きれない、ということになった。そこでなんとセキさんがその一人を引き取って東京で面倒を見ることになったのである。

つまり、たまたま娘が忙しいから子守をする、というレベルではなく、里子を育てている状況だったのだ。どうもこのおっかさんやることがスケールを外れている。

ということで、私の当て推量はとんだ間違いだった。

それではこのちょび髭は誰かと言うと、秋田の小林本家の旦那なのである。

これがこの「母の語る 小林多喜二」のだいじなポイントだ。

セキさんというのは火事場で知恵が働く人で、多喜二の遺体を身請けするには、戸主の了承が必要だと分かっていた。そこでたまたま東京に居た本家の旦那に無理を言ったのである。

田舎の人は律儀な人で、もう秋田からすっかり足を洗ってしまった多喜二の面倒を最後まで見てくれたのだ。

この2枚の写真は、戯曲の台本の1ページのように、それらの事実を鮮やかに描きつくしている。