藤ノ木古墳の不思議

とにかく不思議だ。2つの不思議が重なっている。大和の権力がなぜ突然にこのような富を手に入れたか、そしてもう一つは考古学者や歴史学者がなぜこの不思議にメスを入れようとしないのかということだ。

ふつう常識的に考えれば、このような究極の富の退蔵はしない。子孫が有効活用の道を考えるかあるいは血なまぐさい分捕り合いになるはずだ。

私は、これは海賊の船長が人知れず金銀財宝を隠しおおすお話に比較するしかないと思う。つまりこれらの財宝はどこかで誰からか強奪したとしか考えられないのである。

とすれば、これだけの財宝を持つ王国がどこかに存在して、それがある時期に崩壊して、略奪のままにさらされたということである。

それはいつのことだろうか。藤ノ木古墳の建造は6世紀後半とされる。その根拠は少し勉強しないとならないが、とりあえずはそのまま受け入れよう。

6世紀後半といえば、年数では550年から600年である。この間に任那が滅び、倭王朝も完全に姿を失った。そして歴史的には空白の50年が始まる。

しかし日本はこの50年でガラッと姿を変える。舞台が暗転していきなり次の場へと姿を変える、というより日本がその姿を表すのだ。

この時代の日本(大和)は荒々しい。文字もなく歴史もない。あるのは有り余るほどの富だけである。いわば略奪バブルだ。

黄金や碧玉はそれ自体が富である。しかし象徴としての富でもある。未開人にとってはたんに美しいと言うだけの存在だ。だからそのまま埋めてしまってもなんにも惜しくはないのだ。

継体天皇から安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇と訳の分からない天皇が相次ぐ。そして飛鳥時代に入り一気に文化の時代に移っていくのである。それが暗黒の中の富の移動と並行して進んでいく。

この時代の主役は間違いなく蘇我一族なのだが、この連中の出自がさっぱり分からない。

はっきりしているのは、九州王朝の余りある富を大和に持ち込んだのが蘇我であるということだ。
どうやって? 強奪して? 火事場泥棒で? それとも蘇我そのものが九州王朝の末裔なのか。

とにかく九州王朝の遺産がごっそりと大和に移った。その分け前をめぐり、蘇我・斑鳩という勝ち組と物部・大伴らの既成勢力との間に闘いがあった。

それは蘇我・斑鳩の圧勝に終わった。蘇我はそもそも飛鳥の馬の骨だったが、九州王朝の威光も背後につけ斑鳩とつるむことで圧倒的な政治力を手に入れた。

これが5世紀後半の政治状況だったのではないだろうか。