宗像大社

宗像神社、厳島神社などの総本社である。
伊勢神宮、出雲大社と並び、貴の称号を持つ。

沖ノ島からは縄文時代からの遺物が発見されている。

1.海北道中の守護

釜山・宗像間の海路は「海北道中」と呼ばれ、これを守護するのが神社の最大の勤めであった。
そもそも「海北道中」はどのようにして形成されたのか。
時期的に見ればそれは天孫族の手によるものではない。天孫族が朝鮮半島南部に進出するのは、早くとも紀元前500年、衛氏朝鮮の時代である。
紀元前3世紀になると、衛氏朝鮮が漢により滅ぼされ、残党がさらに南に逃げ込むことで、百済ができ、馬韓など三韓地方北部に華北系民族が進出してきた。

このころすでに渡来系民族は大量に海をわたり、北九州に米作文明を伝えている。その渡来民によって「海北道中」は開拓されたのだ。沖ノ島から縄文時代からの遺物が発見されるのはそのためだ。

2.海北道中は天孫族に奪われた。

天照大神と素戔嗚尊の誓約の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神である。

そもそもなぜ誓約を交わしたか。それはスサノオのイザナギに対する裏切りの密約である。

この説話は何を意味しているか。渡来民の開拓した「海北道中」は天孫族により武力で奪われた。渡来民は天孫族に武力で支配されるようになった。そのことを意味するのだ。

高天原に陣取る天孫族が北方系の由来であるのに対し、イザナギ系は縄文晩期人で海洋系である。彼らは朝鮮海峡を挟んで両岸の地域「大八洲」を建設した。

同じ頃、長江領域からやってきた米作民は朝鮮半島南岸に定着し、米作を始めた。彼らの国は「豊葦原中国」と呼ばれた。北方から来た騎馬民族には「豊葦原」など悪夢でしかない。

3.スサノオはイザナギを裏切った

スサノオはイザナギの息子であるというのが素性である。

高天原のアマテラスとの血縁は怪しい。

スサノオは日本への海路「海北道中」を防衛する役を担っていたが、スサノオはイザナギに逆らい、イザナギはスサノオを追放した。スサノオは高天原に逃げ込んだ。

山川・大地は大いに震動し、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと疑った。しかしスサノオは、アマテラスに手を組もう、九州をイザナギの支配から脱却させ天孫族の支配下に置こうと持ちかけた。

スサノオの邪心を疑った天照は、その本心を確かめるために“ウケイ”する。結構怪しげな儀式で、スサノオの剣を口で噛み砕くという鬼のような仕業だ。

そうしてその破片に命を与えて3人の女神にした。娘を人質に差し出させたということかも知れない。3人には天孫が下るに際して3つの島で守護せよと命じた。

途中経過はブラックボックスだからわからないけど、スサノオに監視をつけたのだと思うと話は結びつく。

彼は「海北道中」を天孫族に売り渡し、その論功行賞で高天原への仲間入りを許された。しかし色々難癖をつけられて、最後には失楽園の憂き目にあった。

4.スサノオは出雲に第二の葦原中津国を建設した

高天原の天孫族は朝鮮半島の支配権と「海北道中」の制海権を獲得した。

スサノオにはあまりいいことはなかった。裏切り者の末路をたどったスサノオは高天原を追放され、新羅から日本へと落ち延びていく。

スサノオ一族は未開拓だった出雲に植民し、第二の葦原中津国の建設を図った。


5.天孫降臨と宗像神社の新たな役割

宗像は出雲との間で前線基地となった。天照大神の命で降臨したニニギノミコトを奉じ助けるというのが宗像神社の新たな使命となった。

「古事記」によれば、この三柱の神は、元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であった(ウィキペディア)

三宮の位置

これが天孫族の守り神になったのは後付けであろう。その際肝心なことはスサノオの剣を砕いて宗像に神を祀ったということにある。