昨日国立博物館に行き、「出雲と大和」特別展を見てきた。
新型肺炎で中国人は少ないし、今日は一日中雨で夕方から雪になるというので、客は少ないだろうと思っていったが、「期待」とは異なっていた。

開館と同時くらいの入場だったので、さすがに最初はゆったりとしていたが、途中からどんどん増えてきた。

見ごたえは十分すぎるほどで、最後は足がくたくたになり一階の休憩室でぐったりとしていた。


私のテーマは2つあって、一つは従来からの疑問。銅鐸系弥生人と天孫系弥生人との関係だ。いわゆる国譲り神話と重なる。

もう一つは四隅突出型墳墓を作った、もう一つの渡来人の運命だ。この人々は遺跡としてしっかりとその足跡を残しているのだが、なぜか日本書紀にはまったく姿を表さない。

最大の謎は青銅器製品を埋めたのは誰かということだ。これまではスサノオを祖とする新羅系の天孫族が襲来し、青銅器文化を全否定するためにこれらを山に捨てたのだろうと思っていた。

それはどうも違うのではないか。第一波から第X波までの数次の渡来人があって、それらを受け止めつつ日本人が形成されていくのではないか、と思えるようになった。

3.

これまで墳墓の亜型の一つと思っていた四隅突出型墳墓が、一つの種族、一つの王朝の象徴として捉えなければならないこと、それもかなり明確に時代付けられた期間の存在であることを知ったのは、この展覧会からである。

展覧会と言うよりも、それを紹介する雑誌「時空旅人」の二〇二〇年1月号(発売は去年の11月末)からである。

これで出雲の時間関係は、相対的には次のような7期に細分されることが明らかになった。

①縄文人の世界
BC200頃?
②渡来人(長江人+晩期縄文人)の九州からの進出
紀元前後
③スサノオ(天孫系新羅流)の出雲進出
AD100頃
④国譲りと天孫系百済流による国土統一
AD150頃
⑤「四隅突出」人の出雲進出と支配
AD250頃
⑥「四隅突出」人の消滅と、天孫系百済流による支配の復活
AD350年ころ
⑦崇神王朝による出雲の征服。関門海峡以東の大和王国支配

これに考古学上のイベントを重ね合わせ、絶対年代に紐付けしなくてはならない。

4.

②期の始まりは、水田耕作の跡とか弥生式土器の出現などでかなりクリアーに同定できると思う。

③期は、より厳密に考えられなければならない。スサノオ、さらにその祖となるイザナギが果たして高天原系なのかが簡単には決められないからである。

アマテラスが高天原系であるとすれば、イザナギからの流れは大八州系とも考えられる。

この大八洲は前にも書いたように出雲でも九州でもなく朝鮮半島南岸であり、そこに住んでいたのは海洋民族としての晩期縄文人と中国から流れ着いた長江人の混合体だと考えている。

スサノオの性格だが、これは土着化した天孫族の家系ではないかと思っている。しかしこれはなんの根拠もない。

しかし、百済系の天孫族と異なり渡来人とは親和性があり、北九州の、とくに那の国より東方の日本海岸沿いに出雲まで広がっていったのではないだろうか。

④の時期は決められないが、少なくとも⑤とは異なり、⑤より前の出来事であったと考えられる。

⑥は、はっきりとは決められないが、そのあと九州王朝の支配が復活したことは間違いない。なぜなら、崇神王朝が出雲後を奪い取ったことは間違いないし、その時の出雲支配者が九州王朝からの派遣であったことも日本書紀に明示されているからだ。