ネット社会とデマ

日経の日曜版に滝順一さんの書いた「フェイクの時代…私達にできること」という記事が載った。
主に技術的な側面から昨今のフェイクニュースの動向を書いている。

へぇっと驚くトピックもあるが、やや情報詰め込み過ぎで、うっとうしいところもある。

これからのフェイク対策に触れられているが、結論から言うと、いずれ対策は立てられるようになるだろうということだ。

国立情報学研究所の山岸教授は「改ざん画像を検知するソフトがブラウザに組み込まれる日が来る」と楽観的だ。

要は迷惑メールへの対処と同じで、フェイク検知もネット社会の日常作法になるということだ。

しばらくは矛と盾との競争時代が続くが、世の中が理性をもとめる以上、技術はそういう方向に動いていくだろうというのである。

おそらくその現場技術者の経験に基づく判断は正しいのだろうと思う。

フェイクニュースの歴史

滝さんはそれを歴史的にあとづけている。

19世紀末、米国ではイエロー・ペーパーの煽情的なフェイクニュース合戦が展開され、それが米西戦争を招いた。

付け加えるなら、テレビが出始めの頃から70年ころまで、我々はテレビのニュースを信用しなかった。新聞や総合誌が世論を形成した。新聞は2,3紙とるのが当たり前だった。リベラルな家には赤旗も入っていたものだった。

テレビやラジオは肩のこらない話題からはみ出ることはなかった。週刊誌はヘアヌードとスキャンダルが売りの劣情誌だった。

滝さんは書いている。
このように、フェイクニュースが氾濫するのは、新しいメディアの勃興期につきものの現象なのかも知れない。
かつてのイエローペーパーの社主ピュリッツァーの名は、いまや権力に立ち向かい真実を報道した人々に贈られる賞の名前として知られるようになった。

ネットもいずれ整理され、公序良俗を求めて、アングラとの境界が厳しく制定されていくことになるだろう。

それにしてもロイター、BBC、朝日、赤旗がベネズエラについてフェイクニュースを書きまくり、IMFはおろかUNHCRまで、怪しげな情報を垂れ流すのはどういうわけか。