ツチグモとクズ

むかしツチグモという人々がいて、短身長躯というから明らかな異人種で、おそらくは先住民。森に住んでいて渡来民とは交わらなかった。

景行天皇が九州 を親征した際に、朝廷軍に絶滅させられたことになっている。

大林太良さんという方の文章からの引用。

クニという言葉は、人間の文化的営為によって馴服された土地を指す。これに対し周囲の野性的世界はツチと呼ばれる。

クニに恭順する先住民は国栖、国巣と呼ばれ保護される。クニに恭順せぬ先住民はツチグモと呼ばれ討伐される。

それが討伐されたのは意外に遅く、九州では景行天皇の時代、おそらく4世紀の中頃に相当する。


ということで、

ツチグモ・クズと呼ばれた人々が縄文人の末裔であることは間違いない。


原弥生人は朝鮮半島で形成された?

そこで問題だが、

いわゆる弥生人というのは長江系の渡来人と縄文人がほぼハーフ&ハーフで混血したものである。この比率はミトコンドリアDNAでも維持されており、両者は征服・被征服の関係にあるのではない。

これは次のことを示唆しないだろうか。すなわち長江系と縄文系は、渡来する前にすでに混住混血を重ねていたのではないかということだ。

それが私の大八洲=金海説だ。紀元前20世紀ころ、喜界カルデラ噴火を生き延びた後期縄文人が、九州から渡海して朝鮮半島の南岸に植民した。

一方そこに山東半島を追われた長江人も合流し、稲作文明を開花させた。そのときに両者は出会い「原弥生人」が形成された

それが紀元前10世紀ころから逆植民が始まり、ほぼ弥生人と共通遺伝子を持つ人々が九州 の北岸に展開するようになった。

もちろん在来の縄文晩期人も大いに交わり、弥生人は縄文色を強くしたが、基本的骨格は変わらなかった。

純縄文人との棲み分け

しかし食料確保の手段、方法などにこだわる既存の縄文人は混住せずに棲み分けした。彼らは森や海岸での採集生活を続けた。

魏志倭人伝の「黥面文身」の異形の人々は、彼らの姿であろう。魏からやってきた人々は、朝鮮半島南部の人々を見て珍奇には思わず、むしろ秦の時代の亡命者と見て共感を抱くほどである。それが九州 に来て、弥生人を見て奇異の念を抱くとは思えない。

逆に言うと、純粋な縄文の暮らしや習慣は、当時でさえも辺縁的な存在になっていたことを示しているのではないか。

高天原の天孫系の来襲とツチグモの駆逐

そこにおそらく紀元前1世紀ころ、朝鮮北部から高天原の天孫族系がやってきた。彼らは半島南岸の弥生人コロニーを征服した後、海を渡り、日本の支配権をも要求するようになった。

彼らは弥生人社会を支配したが、当初は縄文人社会は無視した。しかし人口爆発が起き農地が必要になるに連れ、彼らの土地も収奪の対象となった。

天孫族に従ったものは、土地を割譲するのと引き換えに生業の維持を許された。そうでないものは抹殺された。

おそらくこれが日本人の形成過程の概略であろう。